守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇   作:ギアっちょ

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ラキシスは少しだけディナーを楽しみたい

 夕暮れのホテルロビー。

 

 大理石の床へ、天井の灯りが柔らかく映り込んでいる。

 その中央に、三つの異なる食欲が集結していた。

 

 一人目。

 美しい金色の髪を揺らし、優雅なドレスに身を包んだラキシス。

 

 二人目。

 レストラン前のメニューを、すでに三周ほど読み込んでいる桂木弥子。

 

 三人目。

 メニューの文字はほとんど読めないものの、

 料理の写真だけで全容を理解したすえぞう。

 

「ハラへった!」

 

「私も!」

 

「楽しみですわね」

 

 三人の声が重なった。

 

 少し離れた場所では、ログナーがホテルの案内表示を確認していた。

 

 その目は静かだった。

 だが、平穏ではない。

 

 ログナーはすでに、この夕食を単なる会食とは考えていなかった。

 

 補給作戦である。

 

「ログナーさん」

 

 弥子が振り返った。

 

「一つ、確認していいですか?」

 

「何だ」

 

「今日のお会計は、どういう扱いですか?」

 

「姫様の公式な会食として、A.K.D.宮廷費から支出される」

 

 弥子の目が輝いた。

 

「つまり、ラキシスさんのおごり!」

 

「国家予算です」

 

 ラキシスが微笑む。

 

「どうぞ遠慮なさらず、お好きなものを召し上がってください」

 

「ありがとうございます!」

 

 弥子の遠慮が、音を立てて消滅した。

 

 ログナーが言う。

 

「姫様。“遠慮なく”と“無制限”は別です」

 

「まあ」

 

 ラキシスは、少し不思議そうに首を傾げた。

 

「皆様で楽しくいただくための費用でしょう?」

 

「そうですが」

 

「でしたら、皆さんが満足なさるまで召し上がるのがよろしいのでは?」

 

 ログナーは数秒、ラキシスを見つめた。

 

「姫様も召し上がるおつもりですね」

 

「少しだけです」

 

 弥子が、すえぞうと顔を見合わせる。

 

 すえぞうが胸を張った。

 

「うっす!」

 

 ログナーは短く息を吐いた。

 

 ラキシスの言う「少しだけ」が、一般的な意味で使われていないことを、彼は知っていた。

 

     ◇

 

 ホテルレストラン。

 

 窓際には、夜景を見渡せる大きなテーブルが用意されていた。

 

 ラキシスが中央。

 

 その向かいに弥子。

 

 弥子の隣にすえぞう。

 

 ログナーは、全員を見渡せる席へ座った。

 

 料理を楽しむための配置ではない。

 

 監視と補給管理に最適な配置だった。

 

 給仕がメニューを配る。

 

「本日は、特殊食品正常化記念ディナーをご用意しております」

 

 弥子がメニューを開いた。

 

「前菜、コーンスープ、ヴィンテージワインの牛ほほ肉煮込み、デザート、コーヒー……」

 

「うまい!」

 

 すえぞうが言った。

 

「まだ料理は来ていない」

 

 ログナーが指摘する。

 

「写真を見て判断したんだよね、すえぞう」

 

「うっす!」

 

「判断が早いです」

 

 ラキシスは楽しそうに微笑んだ。

 

 給仕が続ける。

 

「なお、牛ほほ肉の煮込みは、現存数の少ないヴィンテージワインを使用しているため、お一人様一皿までとなっております」

 

 弥子の笑顔が止まった。

 

「一人一皿……」

 

「はい」

 

「大盛りは?」

 

「申し訳ございません。使用できるワインの量が限られておりますので」

 

 弥子は、わずかに肩を落とした。

 

 ラキシスが優しく言う。

 

「希少なものです。ほかのお客様の分も残さなければ」

 

「そうですよね……」

 

「ですが」

 

 ラキシスがメニューの後半を開く。

 

「こちらには、アラカルトのお料理もございます」

 

 弥子の肩が上がった。

 

「アラカルト!」

 

「限定の煮込みをいただいた後は、ほかのお料理を少しずつ楽しみましょう」

 

「はい!」

 

 ログナーがメニューを閉じた。

 

「姫様。先に注文量を確認します」

 

「まだ決めてません」

 

「だからこそです」

 

 弥子がアラカルトのページを指でなぞる。

 

「オムレツ、ローストビーフ、魚介グラタン、ローストチキン、ナポリタン、フライドポテト、パンの盛り合わせ……」

 

「上から順番でもいいですわね」

 

 ラキシスが言った。

 

 給仕の表情が、わずかに固まった。

 

「姫様」

 

「何でしょう、ログナー」

 

「メニューは一覧です。注文票ではありません」

 

「すべて美味しそうですわ」

 

「否定はしません」

 

 弥子が手を挙げた。

 

「私、上から順番に賛成です!」

 

「ハラへった!」

 

「すえぞう様も賛成ですわね」

 

 ログナーは給仕を見た。

 

「厨房の現在の稼働状況は」

 

「はい?」

 

「追加注文を連続して処理できるか」

 

「通常の範囲でしたら」

 

「通常ではない」

 

 給仕は、テーブルに座る三人を見た。

 

 優雅な姫君。

 小柄な少女。

 丸みを帯びた不思議な生き物。

 

 見た目からは、脅威を判断できなかった。

 

「まずはコースのお料理をお楽しみいただき、その後、追加のご注文をお伺いいたします」

 

「妥当だ」

 

 ログナーが頷いた。

 

 給仕は一礼して去った。

 

 弥子が小声で言う。

 

「ログナーさん、食事なのに作戦会議みたいですね」

 

「お前たち三名が同席した時点で、補給任務だ」

 

「まだ何も食べてませんよ!」

 

「だから準備している」

 

     ◇

 

 最初に運ばれてきたのは、魚介と季節野菜の前菜だった。

 

 白い皿へ色鮮やかに盛り付けられた魚介。

 柑橘を使ったソース。

 薄く切られた野菜。

 

 給仕が説明する。

 

「こちらには、一般的な食材のみを使用しております」

 

 弥子が尋ねた。

 

「本当に普通ですか?」

 

「はい」

 

「食べると、口調が変わったりしません?」

 

「いたしません」

 

「昔の記憶が蘇ったり」

 

「いたしません」

 

「匂いを嗅ぐと、何か忘れたり」

 

「いたしません」

 

 給仕が、少し不安そうにログナーを見た。

 

「通常の前菜だ」

 

 ログナーが保証した。

 

「安心しました!」

 

 弥子は魚介を一口食べる。

 すぐに表情が明るくなった。

 

「美味しい!」

 

 ラキシスも、優雅にフォークを運ぶ。

 

「ええ。とても爽やかなお味です」

 

 すえぞうも、一口。

 

「うまい!」

 

 三人の皿は、ほぼ同時に空になった。

 

 給仕が空いた皿を下げながら、少しだけ驚いた顔をする。

 

 ラキシスはハンカチで口元を押さえた。

 

「良い始まりでしたね」

 

「はい!」

 

「ハラへった!」

 

 ログナーがすえぞうを見る。

 

「今、一皿食べた」

 

「ハラへった!」

 

「事実は変わらないようだな」

 

     ◇

 

 二品目。

 

 濃厚なコーンポタージュ。

 表面にはクルトンとパセリ。

 スプーンを入れれば、黄色いコーンの粒がいくつも現れる。

 

 弥子が目を輝かせた。

 

「ちゃんと粒が入ってます!」

 

「以前は缶の中から出なかったものですね」

 

 ラキシスが言う。

 

「姫様もご存じでしたか」

 

 ログナーが尋ねる。

 

「ええ。ソープ様から伺いました」

 

「陛下は、容器の構造に興味を示されていましたか」

 

「粒だけを選別して止める仕組みを、別のものへ応用できないかと」

 

「止めましたか」

 

「普通にすべて出る容器がよろしいですわ、と申し上げました」

 

「正しい判断です、姫様」

 

 弥子がスープを一口飲む。

 

「甘くて美味しい!」

 

 コーンの粒も、きちんと口へ届く。

 

 すえぞうは、カップへ顔を近づけるようにして飲んだ。

 

「うまい!」

 

 ラキシスも静かに飲み進める。

 

 給仕が少し離れたところへ移動した時には、三つのカップが同時に空になっていた。

 

 弥子が手を挙げる。

 

「おかわりできますか?」

 

 ラキシスも続ける。

 

「わたくしも、もう一杯いただけますか」

 

「ハラへった!」

 

 すえぞうも参加した。

 

 給仕がログナーを見る。

 

 ログナーは厨房の方向を確認した。

 

「コーンスープの在庫量は」

 

「まだ十分にございます」

 

「では許可する」

 

 弥子が喜ぶ。

 

「やった!」

 

 ラキシスは微笑んだ。

 

「ありがとうございます、ログナー」

 

「姫様の食事に許可を出したわけではありません。厨房の供給能力を確認しただけです」

 

「どちらでも、結果は同じですわ」

 

 ログナーは反論しなかった。

 

 結果は、確かに同じだった。

 

 三人の前へ、二杯目のコーンスープが運ばれてきた。

 

     ◇

 

 ホテルの厨房。

 

 料理長は、空になった六つのスープカップを見た。

 

「もう二杯ずつ?」

 

「はい」

 

 給仕が答える。

 

「ラキシス様は、少しだけ召し上がると伺っていたのですが」

 

 ジョーイ係長が、厨房の端で腕を組んでいた。

 

「その“少し”を信じたらアカンみたいです」

 

「まだコースの途中です」

 

「わかってます」

 

「追加のアラカルトも検討されていると」

 

「それも聞いてます」

 

 料理長は、次の料理を見た。

 

 数百年熟成ヴィンテージワインの牛ほほ肉煮込み。

 

「こちらだけは追加できません」

 

「そこはログナー司令も理解してます」

 

「ほかの料理で満足していただけるでしょうか」

 

 ジョーイ係長は、客席の方を見る。

 

「問題は、満足するまで何皿要るかですわ」

 

     ◇

 

 牛ほほ肉の煮込みが運ばれてきた。

 

 深い赤色のソース。

 柔らかく煮込まれた肉。

 温野菜とマッシュポテト。

 香りが立ち上った瞬間、弥子は背筋を伸ばした。

 

「これが、至高のビーフシチュー……!」

 

「商品名ではない」

 

 ログナーが言う。

 

「でも、至高ですよね?」

 

「味については否定しない」

 

 給仕が説明する。

 

「こちらは、数百年熟成されたヴィンテージワインを使用し、九十五度以上で三十分以上加熱しております」

 

 弥子が尋ねる。

 

「加熱しないと、赤い汗が出るんですよね」

 

「はい」

 

「一日か二日くらい」

 

「はい」

 

「そのまま飲んだ人は?」

 

「当ホテルでは提供しておりません」

 

「安心しました」

 

 ラキシスがソースの香りを確かめる。

 

「長い時間を重ねた香りがいたしますわ」

 

「姫様。飲用は通行止めです」

 

「存じております。お料理として楽しみますわ」

 

 三人が、ほぼ同時に肉を口へ運んだ。

 

 弥子の目が大きく開く。

 

「美味しい!」

 

 ラキシスも、静かに頷いた。

 

「素晴らしいですわ」

 

「うまい!」

 

 すえぞうは、短い言葉へ全感情を込めていた。

 

 肉は柔らかい。

 ソースは濃厚だが重すぎない。

 ワインの酸味が牛肉の旨味を引き立て、長い熟成による複雑な香りが残っている。

 弥子は、普段よりもゆっくり食べていた。

 

 一人一皿。

 おかわりはない。

 それを理解しているからこそ、一口ずつ大切に味わっている。

 

 ラキシスも同じだった。

 優雅な動作のまま、最後のソースまでパンで丁寧にすくう。

 

 すえぞうも、空になっていく皿を名残惜しそうに見つめていた。

 

 やがて。

 

 三つの皿が空になった。

 

 三人が、ほとんど同時に給仕を見る。

 

 給仕の肩が、わずかに揺れた。

 

「申し訳ございません。こちらのお料理は、一皿までとなっております」

 

「わかっています」

 

 弥子は、残念そうに答えた。

 

「大切なお料理ですものね」

 

 ラキシスも頷く。

 

「ハラへった!」

 

 すえぞうだけは、制度を受け入れていなかった。

 

「すえぞう」

 

 ラキシスが優しく声をかける。

 

「同じお料理はないけど、ほかにも美味しいものがありますよ」

 

「うっす!」

 

 立ち直りが早かった。

 

 ラキシスはアラカルトメニューを開く。

 

「それでは、少しだけ追加をお願いしましょう」

 

 ログナーもメニューを開いた。

 

「具体的に」

 

「オムレツと、ローストビーフと、魚介のグラタンを」

 

「三品ですね」

 

「まずは」

 

 給仕の手が止まった。

 

 ログナーが確認する。

 

「“まずは”とは」

 

「一度に頼みすぎては、厨房の皆様が大変でしょう?」

 

 ラキシスは、どこまでも思いやり深かった。

 

 注文を減らす方向ではなく、分割する方向に。

 

     ◇

 

 最初の追加料理。

 

 半熟のホテルオムレツが三皿。

 

 ナイフを入れると、内側の卵が柔らかく開く。

 

 弥子が感動する。

 

「きれい!」

 

「職人の技ですわね」

 

 ラキシスも目を細めた。

 

「うまい!」

 

 すえぞうは、すでに食べていた。

 

 オムレツは数分で消えた。

 

 続いてローストビーフ。

 

 薄く切られた肉へ、香味野菜を使ったソース。

 

 弥子は一枚を食べた後、給仕へ尋ねた。

 

「もう少し厚切りにもできますか?」

 

「可能ですが」

 

「では次は厚めで!」

 

「次があるのですね」

 

 給仕は小さく呟いた。

 

 さらに魚介グラタン。

 

 海老。

 帆立。

 マカロニ。

 熱々のホワイトソース。

 

「とても優しいお味ですわ」

 

 ラキシスが言う。

 

「優しいのに、しっかりお腹にたまります!」

 

 弥子が答える。

 

 ログナーが弥子を見る。

 

「たまっているようには見えない」

 

「気持ちの上では!」

 

「胃の話をしている」

 

「そちらはまだ余裕があります!」

 

 給仕が次の注文を確認する。

 

「追加はいかがなさいますか」

 

 ラキシスがメニューを見る。

 

「皆様、次は何がよろしいでしょう?」

 

「ローストチキン!」

 

「ハラへった!」

 

「わたくしは、ナポリタンも気になりますわ」

 

「では両方!」

 

「フライドポテトも添えていただきましょう」

 

 ログナーが口を挟む。

 

「姫様。“添える”量を確認してください」

 

「大皿で皆様と分ければよろしいでしょう?」

 

「大皿の寸法を」

 

 給仕が説明する。

 

「通常は四名様程度でお召し上がりいただく量です」

 

「では、二皿ほど」

 

「姫様」

 

「三名ですから」

 

「計算が合っていません」

 

 弥子が言う。

 

「すえぞうもたくさん食べますから!」

 

「お前もだ」

 

「ラキシスさんも!」

 

 ログナーがラキシスを見る。

 

 ラキシスは微笑んだ。

 

「皆様と同じくらいですわ」

 

「それが問題です」

 

     ◇

 

 厨房では、追加注文票が次々に増えていた。

 

「ローストチキン追加!」

 

「ナポリタン三皿!」

 

「フライドポテト、大皿二つ!」

 

「ローストビーフ、今度は厚切り!」

 

 料理人たちが動く。

 

 料理長が指示を出す。

 

「一皿ずつ丁寧に。量が多くても、品質は落とすな」

 

「はい!」

 

 ジョーイ係長は、注文票の列を見つめていた。

 

「これ、ホテルの晩餐会か何かです?」

 

「四名様です」

 

「一名はほとんど食べてへんでしょう」

 

「ログナー司令は、前菜とコース料理のみです」

 

「実質三名やないですか!」

 

 食品開発スタッフが記録用紙を見る。

 

「コーンスープへの評価、良好。牛ほほ肉煮込みへの評価、極めて良好」

 

「アラカルトはヘキサクス関係ないで」

 

「ホテルの料理全般への評価も記録しています」

 

「何の調査になっとるんや」

 

 料理長は、ローストチキンの焼き上がりを確認した。

 

「限定のワインだけが評価されたのでは、料理人として悔しいですからね」

 

 ジョーイ係長が料理長を見る。

 

「燃えてます?」

 

「お客様が美味しそうに召し上がってくださるなら、作りがいがあります」

 

「競争したらアカンですよ」

 

「何と?」

 

「客の胃袋とです」

 

     ◇

 

 ローストチキン。

 

 ナポリタン。

 

 フライドポテト。

 

 厚切りのローストビーフ。

 

 パンの盛り合わせ。

 

 料理が運ばれるたび、三人の表情が明るくなる。

 

 すえぞうの口元は、ナポリタンのソースで赤く染まっていた。

 

 ログナーが一瞬だけ目を細める。

 

「どうしました?」

 

 弥子が尋ねる。

 

「赤い」

 

「あっ」

 

 弥子もすえぞうを見る。

 

「大丈夫です! ナポリタンのソースです!」

 

「分析するまでもない」

 

 すえぞうは満足そうに胸を張った。

 

「うまい!」

 

 ラキシスがナプキンですえぞうの口元を優しく拭く。

 

「きれいになりました」

 

「うっす!」

 

 フライドポテトの大皿が来る。

 

 すえぞうが目を輝かせた。

 

「うまい!」

 

「まだ食べてないよ」

 

 弥子が笑う。

 

 ラキシスも一本取った。

 

「温かいうちにいただきましょう」

 

 ログナーが尋ねる。

 

「姫様も召し上がるのですか」

 

「美味しいものに関係ありません」

 

「その通りですが」

 

 ラキシスはポテトを口へ運ぶ。

 

 嬉しそうに微笑んだ。

 

「美味しいです」

 

 ログナーは、それ以上止めなかった。

 

 ラキシスが楽しんでいる。

 

 その事実は、食事量とは別に尊重されるべきだった。

 

「弥子様」

 

「はい?」

 

「次は、こちらのパンもいただきませんか」

 

「いただきます!」

 

「ガーリックバターと、蜂蜜がございますわ」

 

「両方試しましょう!」

 

 ログナーが静かに水を飲んだ。

 

 止める時機を見失ったわけではない。

 

 姫様が満足するまでの範囲を、慎重に見極めているだけだった。

 

 おそらく。

 

     ◇

 

 料理長が、客席へ挨拶に現れた。

 

「お料理はいかがでしょうか」

 

 弥子が勢いよく答える。

 

「全部美味しいです!」

 

「うまい!」

 

 すえぞうも続く。

 

 ラキシスは、料理長へ穏やかな微笑みを向けた。

 

「牛ほほ肉の煮込みは、もちろん素晴らしゅうございました」

 

「ありがとうございます」

 

「ですが、ほかのお料理も、どれも丁寧に作られてますね」

 

 料理長が少し驚いた顔をする。

 

「希少なワインだけではございません。

 オムレツも、グラタンも、ローストビーフも。

 皆様のお仕事が、とても美味しいのです」

 

 弥子が大きく頷く。

 

「そうです! このホテル、何を食べても美味しいです!」

 

「エライ!」

 

 すえぞうの一言に、料理長の表情が柔らかくなった。

 

「ありがとうございます」

 

 限定ワインの力だけではない。

 料理人自身の腕を評価された。

 その言葉は、厨房で働く者にとって、何より嬉しいものだった。

 

「牛ほほ肉の煮込みは追加できませんが」

 

 料理長は言った。

 

「ほかのお料理でしたら、もう少し腕を振るわせていただけます」

 

 ログナーが顔を上げる。

 

「料理長」

 

「はい」

 

「三名の胃袋へ挑戦するな」

 

「挑戦ではありません。おもてなしです」

 

「結果は同じだ」

 

 弥子が手を挙げる。

 

「では、料理長のおまかせで!」

 

 ラキシスも微笑む。

 

「お願いいたしますわ」

 

「ハラへった!」

 

 料理長は一礼した。

 

「承知いたしました」

 

 ログナーは静かに額へ指を当てた。

 敵軍の補給線なら、もっと簡単に止められた。

 

     ◇

 

 料理長のおまかせとして、小さな皿が数品運ばれてきた。

 

 白身魚の香草焼き。

 

 野菜の小さなキッシュ。

 

 チーズを使った温かい一皿。

 

 どれも、限定ワインには頼っていない。

 厨房の技術と工夫で作られた料理だった。

 

 三人は、それらを一つずつ味わった。

 

「これも美味しい!」

 

「香りが素敵ですわ」

 

「うまい!」

 

 料理長は少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 

 料理が皿から消えていく速度は驚異的だった。

 

 だが、一皿ごとにきちんと味わっている。

 

 弥子は食材の組み合わせへ感動し、

 ラキシスは香りや火の入れ方まで褒め、

 すえぞうは全身で喜んでいる。

 

 量だけではない。

 本当に料理を楽しんでいた。

 

「作りがいがありますね」

 

 料理長が小さく呟いた。

 

 隣にいた給仕が答える。

 

「厨房の在庫は減っていますが」

 

「それも料理の役目です」

 

     ◇

 

 やがて、デザートワゴンが運ばれてきた。

 

 チョコレートケーキ。

 

 苺のタルト。

 

 プリン。

 

 フルーツゼリー。

 

 アイスクリーム。

 

 小さな焼き菓子。

 

 給仕が説明する。

 

「お好きなものをお選びください」

 

 弥子が即答する。

 

「全部!」

 

 ラキシスがワゴンを見る。

 

「どれも美味しそうですね」

 

「ラキシスさんも全部にします?」

 

「皆さんと同じものをいただきますわ」

 

 給仕が確認する。

 

「すべてを一つずつ、三名様分でよろしいでしょうか」

 

 ログナーがすえぞうを見る。

 

「酒類を使ったものと、コーヒー味はすえぞうへ出すな」

 

「かしこまりました」

 

 弥子が喜ぶ。

 

「許可が出ました!」

 

「安全上の制限を伝えただけだ」

 

「ありがとうございます、ログナー」

 

 ラキシスも礼を言う。

 

「礼を言われる判断ではありません、姫様」

 

 給仕がデザートを取り分ける。

 

 三人の前へ、小さな皿が次々に並んでいく。

 

 テーブルの上が、菓子の庭園のようになった。

 

「きれいですね!」

 

「ええ」

 

「うまい!」

 

 すえぞうはプリンを食べていた。

 

「すえぞう、早い!」

 

 デザートも、順調に消えていった。

 

 ラキシスは最後まで優雅だった。

 

 フォークの動きも、姿勢も、微笑みも変わらない。

 

 ただし皿の減る速度だけは、弥子とほぼ同じだった。

 

 ログナーは、それを静かに確認していた。

 

 数えてはいない。

 

 兵站を管理しているだけだった。

 

     ◇

 

 食後。

 

 弥子とラキシスの前には、象の消化過程を経た希少コーヒー。

 

 すえぞうの前には、温かいミルクが置かれた。

 

 弥子はコーヒーの香りを確かめる。

 

「製法を知ってると、少し複雑ですね」

 

「けれど、とてもよい香りです」

 

 ラキシスは、何の抵抗もなくカップを持ち上げた。

 

 弥子が尋ねる。

 

「ラキシスさんは平気なんですか?」

 

「ええ。普通の象が食べた豆でしょう?」

 

「普通……ですかね?」

 

「ソープ様が、象の消化器官を人工的に再現なさるよりは普通ですわ」

 

 ログナーが口を挟む。

 

「比較対象が適切ではありません、姫様」

 

「ログナーが止めてくださったのでしょう?」

 

「はい。陛下には、通常の製法で十分と申し上げました」

 

「それなら安心ですわ」

 

 弥子は一口飲む。

 

 柔らかな苦味。

 果実のような香り。

 

「……美味しい」

 

「ええ」

 

「知ってても美味しいのが悔しいですね」

 

「美味しいものは、美味しいのですわ」

 

 すえぞうは温かいミルクを飲んだ。

 

「うまい!」

 

 それが、この夜最後の味の評価だった。

 

     ◇

 

 食事が終わる頃、ラキシスの端末へ通信が入った。

 

 表示された名前を見て、ラキシスの表情がさらに柔らかくなる。

 

「ソープ様です」

 

 通信を開く。

 

『ラキシス。夕食はどうだった?』

 

 ソープの声が聞こえた。

 

「とても美味しゅうございました」

 

『そう。楽しめた?』

 

「はい。弥子様とすえぞう様も、ご一緒してくださいました」

 

『たくさん食べた?』

 

 ラキシスは、テーブルの上を見る。

 

 すでに皿は下げられている。

 

 だが、食事記録はログナーの端末に残っている。

 

「少しだけです」

 

 弥子が、そっとログナーを見る。

 

 ログナーは何も言わない。

 

『そう。楽しめたならよかった』

 

「今度は、ソープ様ともご一緒したいですわ」

 

『うん。僕も楽しみにしているよ』

 

「はい」

 

 通信が終わる。

 

 弥子が小声で尋ねた。

 

「ログナーさん」

 

「何だ」

 

「“少しだけ”でいいんですか?」

 

「陛下は、姫様が楽しんだ量ではなく、楽しめたかを確認された」

 

「でも、皿の数は」

 

「国家機密だ」

 

 すえぞうが胸を張った。

 

「うっす!」

 

     ◇

 

 会計。

 

 給仕が、細長い明細をログナーへ渡した。

 

 限定コース三名分。

 

 コーンスープ追加。

 

 オムレツ。

 

 ローストビーフ。

 

 魚介グラタン。

 

 ローストチキン。

 

 ナポリタン。

 

 フライドポテト。

 

 パン盛り合わせ。

 

 料理長のおまかせ料理。

 

 デザートワゴン。

 

 追加飲料。

 

 明細は、一枚では収まっていなかった。

 

 弥子が横から覗く。

 

「結構いきましたね!」

 

「お前が言うな」

 

 ログナーが答える。

 

 ラキシスは満足そうに微笑んだ。

 

「とても美味しかったです」

 

「うまい!」

 

「感想と会計額は別です」

 

 給仕が尋ねる。

 

「お支払いは、A.K.D.宮廷費でよろしいでしょうか」

 

「それで処理しろ」

 

「かしこまりました」

 

 ログナーは金額を確認した。

 

 表情は変わらない。

 国家予算として支払えない額ではない。

 問題は、金額そのものではなかった。

 外貨が一方的に流出する。

 継続するなら、別の形で価値を戻す必要がある。

 

 ログナーは、テーブルの上に置かれた白いナプキンへ視線を向けた。

 

 手に取る。

 

 繊維の質。

 刺繍。

 洗濯耐久性。

 業務用としての実用性。

 短い時間で確認する。

 

「このリネンは、どこから仕入れている」

 

 給仕が目を瞬かせた。

 

「はい?」

 

「テーブルクロスとナプキンだ。外部業者か」

 

「はい。契約している専門業者から仕入れておりますが」

 

「年間使用量は」

 

「ログナーさん?」

 

 弥子が尋ねる。

 

「今、お会計の時間ですよね?」

 

「だから確認している」

 

「どういうことですか?」

 

「支払いは完了する」

 

 ログナーはナプキンをテーブルへ戻した。

 

「その後の話だ」

 

 ラキシスが、楽しそうにログナーを見る。

 

「何か思いつかれましたの?」

 

「A.K.D.側から供給できる品があるかもしれません」

 

「まあ」

 

 弥子が首を傾げる。

 

「食事の後に、商談が始まるんですか?」

 

「食事が終わったから始める」

 

 給仕は困惑したまま、ログナーを見ていた。

 

 ログナーの中では、すでに次の計算が始まっていた。

 

 食費。

 外貨。

 ホテルの需要。

 A.K.D.宮廷工房の生産能力。

 高品質な繊維。

 業務用リネン。

 

 ラキシスたちが一晩で食べた料理が、新しい交易の入口になろうとしていた。

 

     ◇

 

 ホテルを出る前。

 

 ラキシスが料理長へ、改めて礼を伝えた。

 

「本当に、素敵な夕食でした」

 

「ありがとうございます」

 

「また皆様で参ります」

 

 料理長は微笑んだ。

 

「次回も、心を込めてご用意いたします」

 

 ログナーが言う。

 

「次回は三日前までに、想定食事量を申告してください」

 

 弥子が驚く。

 

「食事に兵站計画が必要なんですか!?」

 

「お前たち三名には必要だ」

 

「私は、まだ少ししか食べてません!」

 

「その認識から修正しろ」

 

 ラキシスが優しく微笑む。

 

「では、次回はもう少し早くお知らせいたします」

 

「姫様。申告時には、正確な量をお願いします」

 

「もちろんです」

 

「“少しだけ”は数量ではありません」

 

「まあ」

 

 ラキシスは、少しだけ残念そうな顔をした。

 

 すえぞうが元気よく声を上げる。

 

「ハラへった!」

 

 全員がすえぞうを見る。

 

 弥子が尋ねた。

 

「今まであれだけ食べたのに?」

 

「ハラへった!」

 

 ログナーは静かにホテルの出口を示した。

 

「帰るぞ」

 

「うっす!」

 

 その夜。

 

 ラキシスは少しだけディナーを楽しんだ。

 弥子も遠慮なく楽しんだ。

 すえぞうは、最後まで腹を空かせていた。

 

 ホテルの厨房は大いに働き、料理人たちは満足した。

 

 A.K.D.宮廷費からは、決して少しではない金額が支払われた。

 

 そしてログナーは、その食事代をきっかけに、新しい交易の可能性を見つけていた。

 

 料理はすべて正常化されていた。

 

 三人の食欲だけは、最後まで正常化されなかった。

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