守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
夕刻。
ホテルレストランの厨房には、いつもとは少し違う緊張が漂っていた。
料理人たちは仕込みを確認し、給仕たちはグラスやカトラリーの位置を何度も見直している。
料理長が、集まったスタッフを前に告げた。
「本日、非常に重要なお客様がお越しになります」
若い給仕が尋ねる。
「著名な方ですか?」
「表向きは、レディオス・ソープ様。職業はMHマイスターです」
「整備士の方?」
「そう聞いています」
「それでしたら、なぜ支配人まで?」
少し離れた場所では、ホテル支配人がネクタイの位置を直している。
普段なら一度で済む作業を、すでに五回ほど繰り返していた。
料理長が声を低くする。
「詳しい事情を知る必要はありません。いつも通り、失礼のない接客をしてください」
「いつも通りなのに、失礼のないよう念を押すんですか?」
「いつも以上に、いつも通りに」
「難しいです」
その通りだった。
ジョーイ係長が、厨房の入口から顔を出した。
「事情を知らん人は、ほんまに普通でええです」
「ジョーイ係長は、ご存じなのですか?」
「まあ、社内資料で少し」
株式会社ヘキサクスが保有する顧客情報。
そこには、レディオス・ソープについて、必要以上に詳しい記録があった。
職業:MHマイスター
別名義および同一人物情報:
A.K.D.当主
惑星デルタ・ベルン大統領 アマテラスの帝
星団最高権力者
備考:技術的好奇心が極めて強い。
商品説明時、「面白い」と発言した場合は注意。
ジョーイ係長は、その資料を初めて読んだ時、最後の注意事項だけ妙に具体的だと思った。
今は、その意味を理解している。
「ソープ様が何かを『面白い』と言うたら、どうすればいいんですか?」
料理長が尋ねた。
「ログナー司令を見てください」
「それだけで?」
「司令が止めます」
「何を?」
「先へ進むのをです」
料理長は少し考えた。
「お食事の進行を?」
「技術開発の進行をです」
「料理を召し上がるだけですよね?」
「そうなるよう、みんなで祈りましょう」
料理長の緊張が、一段階増した。
◇
ホテルの正面玄関に、一組の男女が現れた。
小柄で穏やかな雰囲気の青年。
金色の髪を持つ、美しい女性。
その少し後ろに、白い男が付き従っている。
レディオス・ソープ。
その妻、ラキシス。
そして、ミラージュ騎士団総司令ファルク・U・ログナー。
表向き、今日のソープはA.K.D.当主でも、惑星デルタ・ベルン大統領でもない。
ただの腕のよいMHマイスターである。
少なくとも予約表には、そう書かれていた。
「ソープ様」
ラキシスがホテルの入口を見上げた。
「こちらですわ。先日、弥子様や、すえぞうとご一緒したホテルは」
「話に聞いていたより立派なところだね」
「お料理も、とても美味しかったです」
「ラキシスがそこまで楽しそうに話すから、僕も来てみたかったんだ」
ラキシスが嬉しそうに微笑む。
その様子だけを見れば、どこにでもいる仲のよい夫婦だった。
少なくとも、星団一の資産と権力を持つ夫妻には見えない。
自動扉が開く。
支配人、料理長、ジョーイ係長が迎えに出た。
「レディオス・ソープ様。ラキシス様。本日はご来店いただき、誠にありがとうございます」
「こちらこそ。ラキシスがお世話になったそうだね」
「先日は、大変楽しいお食事でございました」
支配人の声が、少しだけ上ずった。
ラキシスが料理長へ微笑みかける。
「先日は、本当にありがとうございました。
どのお料理も、とても美味しかったです」
「身に余るお言葉でございます」
「今日は、ソープ様にも召し上がっていただきたくて」
「精いっぱい務めさせていただきます」
料理長の背筋が、さらに伸びた。
ソープは周囲を見回す。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。今日は普通に食事をしに来ただけだから」
「は、はい」
ソープが「普通に」と言ったことで、事情を知る者たちは少し安心した。
ログナーが静かに続ける。
「陛下の私的なご来店だ。過度な対応は不要だ」
事情を知らない若い給仕の動きが止まった。
「……陛下?」
ジョーイ係長が素早く間へ入る。
「社内での愛称みたいなもんです!」
「愛称で陛下と?」
「変わった会社なんです!」
「ヘキサクス社がですか?」
「そうです! だいたい全部ウチが変なんです!」
それについては、誰も否定できなかった。
◇
窓際の席。
ソープとラキシスが並んで座り、ログナーは向かい側へ席を取った。
ログナーは同行者であり、護衛であり、今夜に限っては技術開発の制動装置でもある。
「ログナーもご一緒に召し上がってくださいませ」
ラキシスが言った。
「よろしいのですか、姫様」
「もちろんですわ。皆様でいただく方が楽しいでしょう?」
「承知しました」
ジョーイ係長が、少し離れた位置に立っている。
ソープが彼を見る。
「君も一緒に食べないの?」
「ワシは営業担当として、何かあった時のために」
「料理なら、ホテルの人たちが運んでくれるよ」
「料理以外に何か起きそうなんです」
「何が?」
「それを陛下に説明すると、起きる可能性が上がります」
ログナーが答えた。
「よい判断だ」
「ありがとうございます、司令」
「僕だけ、よくわかっていないんだけど」
ラキシスが優しく微笑む。
「今日は、普通にお料理を楽しみましょう、ソープ様」
「そうだね」
ひとまず、平和な食事が始まりそうだった。
◇
最初に運ばれたのは、魚介と季節野菜の前菜だった。
給仕が説明する。
「こちらは、一般的な食材のみを使用しております」
ソープが少し不思議そうな顔をした。
「わざわざ普通だと説明するんだね」
「この後のお料理に、少し特殊な経緯がございますので」
「そうなんだ」
ソープは魚介を一口食べた。
柑橘の酸味。
魚の旨味。
野菜の食感。
「美味しいね」
料理長が、少し離れた位置で安堵する。
ラキシスも口元を緩めた。
「ええ。前回も、この前菜から始まりましたの」
「ラキシスは、どれが一番気に入った?」
「どれも美味しゅうございましたが、牛ほほ肉の煮込みは特別でしたわ」
「それが例のワインを使った料理だね」
「はい」
ソープは楽しそうだった。
料理そのものにも興味がある。
そして、それ以上に、料理がそこへ至るまでの経緯にも興味があった。
ログナーはすでに、それを察していた。
◇
二皿目。
濃厚なコーンポタージュ。
表面にはクルトンとパセリ。
スプーンを入れると、コーンの粒がいくつも現れる。
「綺麗なスープだね」
ソープが言った。
「ありがとうございます」
料理長が説明を始める。
「元は、株式会社ヘキサクスが製造した缶入りのコーンスープでした」
「味に問題があったの?」
「いいえ。味は最初から高い評価を受けておりました」
ジョーイ係長が、見本の缶を持ってきた。
「問題は、こちらの容器です」
ソープは缶を手に取る。
「普通の飲み口に見えるけど」
「内側に細かな返しが入っとります。スープは通しますが、コーンの粒だけ引っかかるんです」
「粒だけ?」
「はい。一粒も出ません」
「偶然ではないの?」
「意図的です」
「何のために?」
ジョーイ係長は、遠い目をした。
「飲んだ人を苛立たせるためです」
数秒の沈黙。
ソープは缶の飲み口を光へ透かした。
「粒の大きさと形を判別して、選択的に止めるんだ」
ログナーの視線が鋭くなる。
ジョーイ係長も身構えた。
料理長と支配人は、事前説明を思い出した。
そして、ソープが言った。
「面白いね」
担当給仕の持っていた水差しが、わずかに傾いた。
ログナーが静かに口を開く。
「陛下。その先は不要です」
「まだ何も言っていないよ」
「言葉にされる前に止めています、陛下」
「でも、この構造を利用すれば、MHの整備工程で特定の大きさの異物だけを」
「通常の選別装置で十分です」
「形状だけでなく、弾性まで判別できるようにすれば」
「陛下。料理の話から整備技術へ進まれませんよう」
「僕は整備士だよ?」
「今日の陛下は客です」
「そうだったね」
ラキシスがスープを一口飲む。
「ソープ様。粒もすべて、美味しくいただけますわ」
ソープもスプーンを取った。
「本当だ。甘味が濃いね」
「普通に粒の出るスープがよろしいですわ」
「そう?」
「はい」
「では、今日はこれを楽しもう」
担当給仕は、目に見えて安堵した。
ジョーイ係長が小声で言う。
「一件目、通行止め成功……」
料理長が尋ねる。
「今の会話は、どういう」
「深く考えんでください。新しい設備の設計図が生まれなかった。それで十分です」
◇
ソープはスープを飲みながら、テーブルのナプキンへ触れた。
「この布、A.K.D.の宮廷工房製だね」
支配人が答える。
「はい。先日より試験導入を経て、正式採用させていただいております」
「ログナーが進めた交易だって聞いたよ」
「非常に品質が高く、現場からも好評です」
ソープは繊維を指先で確かめる。
「洗濯しなくても汚れが消えるようにできたと思うけど」
ログナーが即答した。
「必要ありません、陛下」
「でも、分子レベルで汚れを選別して」
「通常の洗濯で十分に落ちます」
「熱を使わず、繊維自体が」
「陛下」
ラキシスも声を重ねる。
「ソープ様」
二方向から止められ、ソープは二人を見る。
「まだ試作品も作っていないよ」
「構想の段階で止めています、陛下」
「普通に洗濯できる布がいいです」
「そう?」
「はい」
「では、それでいいね」
支配人は、目の前でホテルリネンが未知の装置へ進化しかけたことを理解した。
そして、それが夫妻と総司令の会話だけで取り消されたことも。
「ジョーイ係長」
支配人が小声で呼ぶ。
「はい」
「このようなことは、よく?」
「陛下がおられる場所では、わりと」
「ログナー司令が同行されていて、本当に良かったです」
「ラキシス様もです。この二人がおらんかったら、ナプキンが何になってたかわかりません」
◇
牛ほほ肉の煮込みが運ばれてきた。
深い赤色のソース。
柔らかく煮込まれた肉。
温野菜とマッシュポテト。
ソープは、立ち上る香りを静かに確かめた。
「熟成香が残っているね」
「こちらには、数百年熟成されたヴィンテージワインを使用しております」
料理長が説明する。
「元のワインには、飲用時に赤い汗を生じさせる成分が加えられていました」
「どうして?」
「会長の意向です」
ジョーイ係長が答えた。
「ワインそのものは、丁寧に作られた良いものなんです。熟成も管理されとった。ところが最後に、飲んだ人を困らせる成分を足しました」
「それは、もったいないね」
ソープの声から、笑みが少し消えた。
技術や材料へ興味を持つ彼にとって、長い時間をかけて作られたものを、余計な悪意で損なう行為は好ましくなかった。
「飲むと、どれくらい続くの?」
「通常量で一日から二日。極端な量を飲んだ場合は、さらに長くなる可能性があります」
「それを加熱で分解した?」
「九十五度以上で、三十分以上です」
「原因成分だけが熱に弱いんだね」
ログナーがナイフを置いた。
「陛下」
「まだ面白いと言っていないよ」
「同じ表情をされています」
「そうかな」
「はい」
ソープは少し考えた。
「一定の温度へ到達した時だけ解除される機構として、応用できるかもしれない」
料理長の顔が引きつる。
ログナーが落ち着いて答える。
「陛下。料理から機構設計へ進まれませんよう」
「兵器とは言っていないよ」
「整備用の封印機構ですか」
「どうしてわかったの?」
「長い付き合いですので」
「それなら、話が早いね」
「止めます、陛下」
「最後まで聞いてからでも」
「必要ありません」
ラキシスが肉を一口食べる。
「ソープ様。こちらのお料理、とても美味しいです」
ソープもナイフを入れた。
肉は、わずかな力で崩れる。
一口食べる。
「本当だ」
ソースの深い味。
ワインの酸味。
肉の旨味。
長い熟成の香り。
余計な作用だけが消え、時間をかけて作られた味が残っている。
「美味しいね」
料理長の表情が明るくなった。
「ありがとうございます」
「長い熟成だけに頼っていない。肉への火の入れ方と、ソースの濃度がちょうどいい」
料理長が深く頭を下げる。
「光栄です」
「ラキシスが、また来たいと言った理由がわかったよ」
ラキシスは嬉しそうに微笑んだ。
「ソープ様にも気に入っていただけて、何よりです」
「また一緒に来ようか」
「はい」
その一瞬だけは、星団国家も技術開発も存在しなかった。
仲のよい夫婦が、美味しい料理を一緒に楽しんでいるだけだった。
ログナーも、その会話を止めなかった。
◇
食事が進むにつれ、担当給仕の緊張も少しずつ解けていった。
ソープは権威を振りかざさない。
料理の説明を真剣に聞き、美味しいものは素直に美味しいと言う。
ラキシスは以前と変わらず優しく、給仕や料理人へ何度も感謝を伝える。
ログナーは少し怖い。
だが、理不尽なことは一つも言わない。
むしろ、ソープが料理から技術開発へ離陸するたび、安全に着陸させている。
若い給仕は、料理を下げながらジョーイ係長へ小声で尋ねた。
「本当にMHマイスターの方なのですか?」
「それは本当です」
「ログナー司令は、先ほどから陛下と」
「敬意を込めた愛称です」
「A.K.D.のナプキンを、自分の工房のもののように説明されていました」
「詳しい整備士なんです」
「支配人が入店時に、ほとんど最敬礼を」
「腰が痛かったんです」
「料理長も」
「料理人の礼です」
「ジョーイ係長」
「何です?」
「隠す気がありますか?」
「ワシは頑張ってます!」
その時、ソープが振り返った。
「別に、知られても困らないよ」
若い給仕が固まる。
ジョーイ係長も固まった。
ログナーが静かに告げる。
「陛下。今回は私的なご来店です」
「そうだったね」
「その設定、忘れんといてください!」
ジョーイ係長の声が、レストランへ響いた。
「失礼しました……」
今夜初めて大声を出したのは、客ではなく営業係長だった。
◇
デザート。
チョコレートムースと、赤い果実のソース。
給仕が説明する。
「こちらには、特殊な食材を使用しておりません」
ソープは少し意外そうな顔をした。
「普通のデザートなんだ」
「はい」
「普通というのも、面白いね」
ジョーイ係長が身構える。
「どういう意味です?」
「料理として完成していれば、変わった作用がなくても人を喜ばせられるということだよ」
ジョーイ係長は、ゆっくり肩の力を抜いた。
「そっちの面白いですか」
「ほかに何があるの?」
ログナーとラキシスは、何も言わなかった。
二人とも、ほかの可能性を知っていた。
ソープはムースを一口食べる。
「甘さが控えめでいいね」
「赤いソースも、普通の果実ですわ」
ラキシスが微笑む。
「赤い汗は出ない?」
「出ません」
料理長が即答した。
「安心したよ」
「料理長は、もっと安心していると思います」
ジョーイ係長が言った。
◇
食後。
担当給仕が、二人分の珈琲と、ログナー用の飲み物を運んできた。
柔らかな苦味と、果実に似た香りを持つ、象の消化過程を経た珈琲。
ソープは、以前にもその製法を聞いている。
だからホテル側も、特別な説明は加えなかった。
ただし、事情を知るスタッフ全員が、食事中で最も緊張していた。
ジョーイ係長は、小声でログナーへ確認する。
「司令。本当に出して大丈夫ですか」
「出せ」
「また再現装置の話になりません?」
「止める」
「ものすごい自信ですな」
「過去にも止めている」
ソープは珈琲を一口飲んだ。
香りを確かめる。
「やっぱり、面白いね」
担当給仕の背筋が伸びた。
料理長が厨房の扉から顔を出した。
支配人は遠くの柱の陰で手を組んだ。
ジョーイ係長はログナーを見た。
ログナーが口を開くより早く、ソープが続けた。
「象の体内環境は、個体や食事で差が出る。人工的に再現できれば、品質を一定に」
「陛下」
「ソープ様」
ログナーとラキシスの声が重なった。
「まだ装置を作るとは言っていないよ」
「品質を一定にする方法を考えておられます」
「研究の入口ですわ」
「入口に立っただけだよ」
「先へ進まれませんよう、陛下」
「普通の象の珈琲がよろしいですわ」
ソープはカップを見る。
「人工的に管理した方が、衛生面も生産量も」
ログナーの声は穏やかだった。
だが、拒否の余地はなかった。
「必要ありません、陛下」
ラキシスも優しく続ける。
「今いただいている珈琲が、とても美味しいです」
「そう?」
「はい」
「では、これを楽しもう」
ホテルスタッフたちが、一斉に息を吐いた。
若い給仕だけが、状況を完全には理解できていなかった。
「今、何が止まったのですか?」
ジョーイ係長が答える。
「新しい国家規模の研究計画です」
「珈琲一杯から?」
「この方の場合、始まる時はだいたいそんなもんです」
「普通の食後の飲み物ですよね?」
「今夜、普通のまま終わったことを喜びましょう」
◇
珈琲を飲みながら、ソープは料理長を呼んだ。
「今日はありがとう」
「こちらこそ、ご来店いただき光栄でございます」
「珍しい材料や変わった経緯は、確かに面白かった」
料理長は少し緊張する。
「でも、料理が美味しいのは、それだけが理由じゃないね」
「と申しますと」
「コーンスープは、温め方で粒の食感を残していた。牛ほほ肉も、ワインの香りに頼らず、肉とソースのバランスを整えている。前菜やデザートには、そもそも特殊な材料を使っていない」
ソープは穏やかに笑った。
「料理人が、ちゃんと美味しくしているんだね」
料理長は、しばらく何も言えなかった。
星団最高権力者に評価されたからではない。
料理の背景にある技術や希少性ではなく、自分たちの仕事を見てもらえた。
それが嬉しかった。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
「スタッフ一同、何よりの励みになります」
ラキシスも言った。
「わたくしが、また参りたいと思った理由も同じですわ」
「はい」
「また二人で来るよ」
「いつでもお待ちしております」
ログナーが続ける。
「次回も、私が同行します」
ソープがログナーを見る。
「夫婦の食事だよ?」
「陛下が、料理から先へ進まれなければ不要です」
「今日は進んでいないよ」
「三度、入口に立たれました」
「三度だけ?」
「回数の問題ではありません、陛下」
ジョーイ係長が小声で言う。
「司令の同行、継続決定やな……」
◇
食後のアンケート。
ホテル側は、三人へ用紙を渡した。
ソープの回答。
料理はどれも美味しかった。
正常化の工程も興味深い。
容器構造、熱分解、発酵環境について、いくつか試してみたい。
ラキシスの回答。
とても美味しゅうございました。
ソープ様にも楽しんでいただけて、何よりです。
技術的な試作は必要ございません。
ログナーの回答。
料理および接客に問題なし。
陛下の着想三件は通行止め。
次回も同席を要する。
ジョーイ係長は、三枚を並べて読んだ。
「料理のアンケートに、国家研究の阻止記録が残っとる……」
料理長が答える。
「料理への評価は、三名とも高評価ですね」
「そこだけ見たら、ものすごく平和なんですけどね」
「実際、何も起きておりません」
「起きる前に二人が止めたんです!」
◇
会計。
担当給仕が伝票を運ぶ。
「こちら、本日のお会計でございます」
ソープが伝票を見る。
「僕が払うよ」
ジョーイ係長は、思わず金額より支払い方法へ視線を向けた。
星団一の資産家が、世を忍ぶ整備士としてディナー代を払う。
どの口座から出るのか。
宮廷費なのか、個人資産なのか、整備士レディオス・ソープ名義の財布なのか。
下手に尋ねると、星団経済の深部へ触れそうだった。
「領収書は、どうなさいますか」
「レディオス・ソープで」
ソープが答えた。
ログナーは何も言わない。
私的な来店という設定を、今度はきちんと守っている。
担当給仕が領収書を作成する。
レディオス・ソープ様
但し、ディナー代として
ジョーイ係長は、少しだけ安心した。
この一枚だけを見れば、本当に整備士夫妻の夕食だった。
◇
ホテルを出る。
夜風が、ラキシスの金色の髪を揺らした。
「素敵なお食事でしたね、ソープ様」
「うん。また来よう」
「次回は、どのお料理がよろしいでしょう」
「普通の料理も食べてみたいな」
「まあ」
「変わった経緯がなくても、料理人の仕事は面白いからね」
ラキシスは嬉しそうに微笑んだ。
「それがよろしいです」
少し後ろを歩くログナーも、その会話を聞いていた。
今度こそ、研究へ進まない純粋な感想だった。
ジョーイ係長が隣へ並ぶ。
「司令」
「何だ」
「今日は、無事に終わりましたな」
「ああ」
「開発案件ゼロ」
「三件を止めた」
「結果としてはゼロです」
「結果だけならな」
「次回も来られるそうですけど」
「同行する」
「やっぱり」
「陛下の安全と、星団の技術史を守るためだ」
「レストランのディナーで、そこまで背負わんといてください」
◇
翌朝。
ホテルの内部共有資料へ、新しい注意事項が追加された。
レディオス・ソープ様ご来店時の対応
一、通常のお客様として接客すること。
二、正体について、必要以上に詮索しないこと。
三、お料理の技術的背景を説明する際は、ログナー司令またはラキシス様の同席を確認すること。
四、ソープ様が「面白い」と発言された場合、慌てずログナー司令を見ること。
五、新規開発の提案が始まった場合、料理の感想へ話題を戻すこと。
若い給仕が、その資料を読んだ。
「これ、接客マニュアルですよね?」
料理長が答える。
「当ホテルでは、そう扱います」
「四番だけ、避難訓練みたいです」
「実際、未然に防ぐためのものです」
「何を?」
料理長は少し考えた。
「先へ進むことを、です」
その日のレストランも、平穏に営業を始めた。
コーンの粒は、すべてスープと一緒に客へ届いた。
ヴィンテージワインの悪意は、鍋の中で分解された。
象の珈琲は、普通の象による普通ではない製法のまま提供された。
レディオス・ソープは、すべての料理を楽しんだ。
そして三度ほど先へ進もうとした。
そのすべてを、妻と総司令によって止められた。
料理は新しい技術を生まなかった。
その夜に限れば、それこそが最大の成功だった。