守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇   作:ギアっちょ

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ジョーイ係長は唐揚げを軽くしたい

 ホテルレストランの新しい名物となった、LEDカレー。

 その人気は、一時的な話題だけでは終わらなかった。

 

 昼時になれば、カレーを目当てに客が訪れる。

 家族連れ。

 仕事途中の会社員。

 観光客。

 年配の夫婦。

 

 辛いものが苦手な客へは、香辛料を調整した控えめなものも用意されるようになった。

 

 限定ディナーの予約が取れなくても、ホテルへ来る理由がある。

 それこそが、料理長の望んだ形だった。

 

「LEDカレー、三つ!」

 

「コーンポタージュ、二つ!」

 

「お子様用のカレー、一つです!」

 

 昼の厨房へ、次々に注文が飛び込む。

 

 料理長は鍋を確認し、料理人たちへ指示を出した。

 

「香りの仕上げは、皿を出す直前に」

 

「はい!」

 

「お子様用は香辛料を間違えないように」

 

「確認済みです!」

 

 皿へ盛られたカレーが、次々と客席へ運ばれていく。

 厨房は忙しい。

 

 だが、以前のように限られたヴィンテージワインの残量を気にする必要はない。

 

 必要な材料を仕入れ、正しい工程で仕込み、客へ提供する。

 料理人にとっては、ごく普通の仕事だった。

 そして、その普通がありがたかった。

 

 昼営業が一段落した頃。

 料理長は、客席から戻ってきた給仕へ尋ねた。

 

「お客様の反応は?」

 

「好評です。追加でカレーを注文された方もいらっしゃいます」

 

「追加?」

 

「ご家族で一皿ずつ召し上がった後、お子様がもう少し食べたいと」

 

 料理長の口元が、わずかに緩んだ。

 

「そうですか」

 

「それから、こちらが本日分のご要望です」

 

 給仕が、小さなメモを渡す。

 

 料理長は目を通した。

 

子ども向けの副菜が欲しい。

カレーと一緒に注文できる肉料理はないか。

宴会で、皆が食べやすい料理を増やしてほしい。

部屋へ持ち帰れる軽食があると嬉しい。

唐揚げが食べたい。

 

 最後の要望だけ、妙に筆圧が強かった。

 

「唐揚げですか」

 

「複数のお客様から同じご意見をいただいています」

 

 給仕が説明する。

 

「お子様にも、ご年配のお客様にも馴染みがありますし、宴会料理にも使いやすいかと」

 

「確かに」

 

 唐揚げは、特別な料理ではない。

 家庭でも、弁当でも、食堂でも出る。

 醤油味。

 塩味。

 香辛料を利かせたもの。

 土地や店によって違いはあるが、誰もが一度は口にしたことのある料理だ。

 

 ホテルの料理長として、唐揚げを軽く見るつもりはない。

 

 ありふれているからこそ、誤魔化しが利かない料理でもある。

 

「試作してみましょう」

 

「ホテル独自のものを?」

 

「そうですね」

 

 料理長は少し考えた。

 

「ただ、普通に作るだけでは、LEDカレーとの組み合わせとして弱いかもしれません」

 

「ヘキサクス社に、唐揚げのレシピはないでしょうか」

 

 その言葉を聞き、料理長の手が止まった。

 

「ヘキサクス社に?」

 

「コーンスープも、カレーも、元の味は良かったのでしょう?」

 

「それはそうですが」

 

「ジョーイ係長へ尋ねてみますか?」

 

 料理長は、すぐには答えなかった。

 

 ヘキサクス社の食品には、優れた味と余計な問題が同居している。

 

 問題だけを取り除けば、優秀な商品となる。

 

 そのことは、すでに何度も証明された。

 

 しかし、何かを尋ねるたびに、

 

食べると赤い汗が出る。

口の中で音が鳴る。

関節が軋む。

銀歯が抜ける。

 

 といった、料理には不要な説明が追加される。

 

「……安全なものがあれば、ですね」

 

 料理長は慎重に答えた。

 

     ◇

 

 株式会社ヘキサクス。

 営業管理部。

 

 ジョーイ係長は、ホテルから届いた問い合わせを読んでいた。

 

宴会、ルームサービス、持ち帰り用として利用可能な唐揚げ、

または唐揚げ用原材料の提案を希望。

 

「唐揚げ……」

 

 ジョーイ係長は、嫌な記憶を探るように天井を見た。

 

 何かあった。

 確か、以前。

 唐揚げに関する事故報告を読んだ気がする。

 

「係長」

 

 食品開発部のスタッフが、机の横から声をかけた。

 

「唐揚げなら、ありますよ」

 

「言い方が怖いな」

 

「からあげ六式です」

 

 ジョーイ係長の顔が曇った。

 

「六式……」

 

「六つのこだわりで作った商品です」

 

「その六つ、言うてみ」

 

「油、衣、下味、揚げ時間、余熱」

 

 開発スタッフが一度息を止める。

 

「そして、余韻です」

 

「最後だけ嫌な予感しかせぇへん!」

 

 ジョーイ係長は端末を操作し、過去の記録を検索した。

 

 すぐに、該当する資料が表示された。

 

特殊食品事故報告

商品名:からあげ六式

試食者:桂木弥子、すえぞう

症状:唐揚げ一個による急激な満腹感。

 

備考:両名とも、一時的に追加摂取不能。

健康被害なし。約一時間後に食欲回復。

 

 ジョーイ係長の視線が、最後の一行で止まった。

 

「一時間で戻っとるやないか!」

 

「試食者が特殊でしたので」

 

「特殊言うな。否定はでけへんけど」

 

 さらに記録を開く。

 

桂木弥子:

「一個で夕食一回分くらいあります」

 

すえぞう:

「ハライッパイ」

「ハラ……ヘラナイ」

 

 ジョーイ係長の表情が真剣になる。

 

「あのすえぞうが、ハライッパイ」

 

「はい」

 

「二回も、ハラへらない言うとる」

 

「重大な異常です」

 

「報告書の文章だけで危険性がわかるな……」

 

 続いて、製品説明が表示される。

 

我が一族自慢の油で揚げさせた、至高の唐揚げだ。

常人は衣だけで胃が降伏するがね。

慣れると癖になる。

 

 ジョーイ係長は机を叩いた。

 

「衣だけで胃を降伏させるな!!」

 

 営業管理部へ声が響く。

 

 周囲の社員たちは、一瞬だけ振り返った。

 

 だが、ジョーイ係長が特殊食品の資料を読んでいるとわかると、すぐ仕事へ戻った。

 最近では、よくあることだった。

 

「味はどうなんや」

 

「高評価です」

 

 開発スタッフが別の資料を開く。

 

「衣はザクザク。下味は濃いめ。肉汁も十分に残る。

 試食した桂木弥子も、美味しいと評価しています」

 

「すえぞうも?」

 

「“うっす”と」

 

「それは美味い方の“うっす”なんか?」

 

「二回言っています」

 

「なら高評価やな」

 

 ジョーイ係長は資料を最初から読み直した。

 

 味は良い。

 鶏肉も、下味も、揚げ方も良い。

 問題は、特殊な油。

 その油を過剰に保持する衣。

 そして、食べた人間の胃を強制的に閉店させる余韻。

 

「昔の在庫は?」

 

「当時、ログナー司令が回収した四個は分析後に廃棄されています」

 

「そらそうや。今残っとっても食べられへん」

 

「製造記録と、特殊油の密封サンプルは残っています」

 

「油は封印したまま持ってこい。勝手に開けるな」

 

「はい」

 

「下味のレシピは?」

 

「完全な形で残っています」

 

「衣も?」

 

「通常原料の配合と、特殊油を保持するための添加物が記録されています」

 

 ジョーイ係長は椅子から立ち上がった。

 

「ログナー司令へ連絡や」

 

「正常化するのですか」

 

「ホテルが唐揚げを探しとる」

 

「しかし、これは一個で一食分になります」

 

「せやから直すんや!」

 

 ジョーイ係長は事故報告書を指差した。

 

「唐揚げは一個で食事を終わらせるもんやない。もう一個、もう一個と食べてもらうもんや!」

 

     ◇

 

 A.K.D.側の分析室。

 密封された特殊油。

 衣に使用された添加物。

 元のレシピ。

 

 ログナーは、それらを一つずつ確認した。

 

 ジョーイ係長、ホテルの料理長、食品開発スタッフが立ち会っている。

 

「原因は、この油ですか」

 

 料理長が尋ねた。

 

「油だけではない」

 

 ログナーは分析結果を示した。

 

「衣へ加えられた多孔質素材が、特殊油を大量に保持する。摂取後は胃液を吸収し、体積を増す」

 

「胃の中で衣が増えるんですか?」

 

「一定の範囲で膨張する」

 

 ジョーイ係長が顔をしかめる。

 

「唐揚げの衣を、腹の中で増築すな」

 

「加えて、油に含まれる成分が満腹信号を過剰に刺激する」

 

「中毒や消化障害は?」

 

 料理長が確認する。

 

「ない。一定時間後には分解、排出される」

 

「だから、一時間ほどで弥子ちゃんとすえぞうが復活したんですな」

 

「両名の代謝と食欲を基準にするな」

 

「ですよね」

 

「通常の人間なら、満腹感が数時間続く可能性がある」

 

「宴会で最初に出したら、ほかの料理が全部残りますね」

 

 料理長が言った。

 

「直接提供は通行止めだ」

 

 ログナーの判定は即座に下った。

 

「特殊油と多孔質添加物も、食品用途では使用させない」

 

「それ以外は?」

 

「鶏肉、下味用調味料、香辛料に異常なし」

 

「揚げ時間や余熱工程は?」

 

「通常の調理法だ。問題ない」

 

 ジョーイ係長は開発記録を見る。

 

「つまり、味を作っとる部分は残せる」

 

「ああ」

 

「危険な油と、胃の中で増える衣だけ外す」

 

「それで安全性は確保できる」

 

 料理長が、下味の配合表へ目を通す。

 

「醤油、生姜、ニンニク。ここまでは一般的ですね」

 

「数種類の香辛料と、肉を柔らかくする漬け込み工程があります」

 

 開発スタッフが説明する。

 

「味を濃くしても、肉の内側まで塩辛くならないよう調整しています」

 

「優れた設計です」

 

「ありがとうございます」

 

「衣のザクザクした食感も残したい」

 

「特殊油を使わずに、同じ音を出すのは難しいかもしれません」

 

「同じである必要はありません」

 

 料理長が答えた。

 

「胃を降伏させる衣を再現しても意味がない。食感の良さだけを、別の方法で作りましょう」

 

 ジョーイ係長も頷く。

 

「六つのこだわりも、全部捨てる必要はない」

 

「最後の“余韻”は、どうしますか」

 

 開発スタッフが尋ねた。

 

「変える」

 

 ジョーイ係長は、元の記録を指でなぞった。

 

油。

衣。

下味。

揚げ時間。

余熱。

余韻。

 

「新しい六つ目は、後味や」

 

「後味」

 

「唐揚げを食べた後に残るんは、腹の重さやない」

 

 ジョーイ係長は言った。

 

「もう一個食べたい、いう気持ちや」

 

 料理長が、静かに笑った。

 

「良い唐揚げは、一個で箸を止めさせません」

 

「せや」

 

「次の一個へ、箸を進ませる料理です」

 

「それを作りましょう」

 

 ログナーが短く告げた。

 

「完成後、再検査する」

 

「お願いします、司令」

 

     ◇

 

 ホテルの試作厨房。

 

 一回目。

 

 下味は、からあげ六式の基礎レシピを使用した。

 

 揚げ油は、ホテルで通常使用しているものへ変更。

 

 衣から、多孔質添加物を完全に除外する。

 

 まずは最も単純な正常化だった。

 

 揚げたての唐揚げが、試食皿へ並ぶ。

 

 香りは良い。

 

 見た目も悪くない。

 

 ジョーイ係長が一つ食べた。

 

「……美味い」

 

 料理長も食べる。

 

「下味は良いですね」

 

「昔の味は残っとる?」

 

 ジョーイ係長が開発スタッフへ尋ねる。

 

「肉の味は近いです。ただ、衣が違います」

 

「軽くなりましたが、ザクザク感が弱い」

 

 料理長も頷いた。

 

「普通の美味しい唐揚げです」

 

「それでは駄目ですか」

 

「駄目ではありません」

 

 料理長は断言した。

 

「ですが、開発部が作った“六式”の良さまで消す必要はない」

 

 ジョーイ係長が笑う。

 

「カレーの時と同じですな」

 

「元へ戻すだけではなく、先へ進めるのでしょう?」

 

「せや」

 

 一回目は、安全。

 

 しかし、まだ六式ではなかった。

 

     ◇

 

 二回目。

 

 片栗粉を増やし、衣を厚くした。

 

 ザクザクした食感は戻った。

 

 だが、油を吸いすぎる。

 

「胃は降伏しませんが、普通に重いです」

 

 開発スタッフが言った。

 

 ジョーイ係長も一個を食べ、紙ナプキンで指を拭いた。

 

「手も油で降伏しとる」

 

「衣を厚くすればよいわけではありませんね」

 

 料理長が皿を見る。

 

「二度揚げを試しましょう」

 

「高温で?」

 

「最初は低めの温度で肉へ火を通す。その後、休ませる」

 

「余熱工程を使うのですね」

 

「はい。最後に高温で短く揚げ、表面の水分だけを飛ばします」

 

「油を吸わせるのではなく、水分を抜いて食感を作る」

 

「その方が軽くできます」

 

     ◇

 

 三回目。

 

 最初の揚げ。

 

 短い休ませ時間。

 

 余熱で、肉の中心へゆっくり火が入る。

 

 そして、高温での二度目の揚げ。

 

 鍋から引き上げられた瞬間、細かな音が響いた。

 

 ぱちぱちと油が切れる。

 

 料理長は唐揚げを網へ置き、すぐには皿へ移さない。

 

「盛り付けまでの時間も重要です」

 

「揚げたてが一番では?」

 

 ジョーイ係長が尋ねる。

 

「表面の油と蒸気を少し逃がします。急いで皿へ置けば、底の衣が湿る」

 

「余熱が、ここでも効く」

 

「はい」

 

 数分後。

 

 唐揚げが試食皿へ並べられた。

 

 ジョーイ係長が一つ取る。

 

 まだ熱い。

 

 息を吹きかけ、かじる。

 

 ざくっ。

 

 以前の記録に残っていた音とは、少し違う。

 

 硬い衣を砕く音ではない。

 

 軽く乾いた音。

 

 中から肉汁が広がる。

 

「……これや」

 

 開発スタッフも食べる。

 

「下味は、昔の六式です」

 

「衣は?」

 

「違います。でも、こちらの方が」

 

 もう一口。

 

「次を食べたくなります」

 

 料理長が尋ねる。

 

「胃は?」

 

「重くありません」

 

「満腹信号は?」

 

「普通です」

 

「銀歯は?」

 

 ジョーイ係長が聞いた。

 

「カレーではありません」

 

「念のためや」

 

 料理長も試食した。

 

「衣の香ばしさを、もう少し出せます」

 

「まだ直すんですか」

 

「今のままでも美味しい。しかし、宴会場へ運ぶ時間を考えると、食感が少し弱くなるでしょう」

 

「店内だけやなく、ルームサービスや持ち帰りもありますな」

 

「冷めた時の味も確認します」

 

 熱いうちだけ美味しい商品では、用途が限られる。

 

 料理長は唐揚げを数個取り分け、時間を変えて試食した。

 

 十分後。

 

 二十分後。

 

 三十分後。

 

 冷めるにつれ、衣は少しずつ柔らかくなる。

 

 だが、下味が濃すぎないため、肉の味は残った。

 

「持ち帰り用は、衣の配合を少し変えましょう」

 

「同じ商品で、用途別に?」

 

「揚げ時間は変えず、粉の比率だけ調整します」

 

 ジョーイ係長は感心したように言う。

 

「唐揚げ一個でも、考えること多いですな」

 

「老若男女が知っている料理ですから」

 

 料理長が答えた。

 

「誰でも知っている味ほど、違いもわかります」

 

     ◇

 

 四回目の試作。

 

 店内用。

 

 宴会用。

 

 持ち帰り用。

 

 三種類の提供条件を想定しながら、衣と油切りを調整した。

 

 下味は共通。

 

 揚げ方も基本は同じ。

 

 それでも、客の口へ届く時間が違えば、仕上げも変わる。

 

 料理長と開発スタッフは、何度も試食を重ねた。

 

 そして、最終候補が完成した。

 

「ログナー司令へ送りましょう」

 

 ジョーイ係長が言った。

 

「その前に」

 

 料理長は、二人分の試食皿を見た。

 

「以前の試食者にも、確認していただくべきでは?」

 

 ジョーイ係長は眉をひそめた。

 

「弥子ちゃんと、すえぞうですか」

 

「前の六式を、実際に食べています」

 

「安全検査前に食べさせるわけには」

 

「もちろん、ログナー司令の通行可が先です」

 

「なら、本人らは絶対来ますな」

 

「お願いすれば来てくださるのでは?」

 

「お願いせんでも、唐揚げいう言葉だけで来ます」

 

     ◇

 

 最終検査。

 

 ログナーは、完成した唐揚げと使用原料を確認した。

 

「特殊油なし」

 

「はい」

 

「多孔質添加物なし」

 

「はい」

 

「満腹信号へ作用する成分も検出されない」

 

 ジョーイ係長が尋ねる。

 

「胃の中で増えませんね?」

 

「増えない」

 

「一個で夕食が終わりませんね?」

 

「通常の唐揚げ一個分の満腹感だ」

 

「通行判定は?」

 

「通行可だ」

 

「よっしゃ!」

 

 ジョーイ係長は拳を握った。

 

 料理長は、もう少し冷静だった。

 

「味の方はいかがですか」

 

 ログナーが一つ食べる。

 

 ざくっ。

 

 肉汁。

 

 下味。

 

 香辛料。

 

「美味い」

 

「ありがとうございます」

 

「だが、試食者の選定には反対だ」

 

 ジョーイ係長の表情が固まる。

 

「弥子ちゃんとすえぞうですか?」

 

「あの二名の食事量は、一般消費者の基準にならない」

 

「それは承知しています」

 

「安全性の確認には使えない」

 

「安全性は司令が確認してくださいました」

 

 料理長が言う。

 

「二人には、以前の味と比較していただきたいのです」

 

 ログナーは黙った。

 

「胃が降伏しないことも、本人たちに知っていただきたい」

 

「試食という名目で大量摂取する可能性がある」

 

「そこは量を管理します」

 

 ジョーイ係長が答えた。

 

 その瞬間。

 

 試験室の扉が開いた。

 

「唐揚げの再試験と聞きました!」

 

 桂木弥子が立っていた。

 

 その横から、すえぞうが顔を出す。

 

「ハラへった!」

 

 ログナーがジョーイ係長を見る。

 

「誰が知らせた」

 

「ワシやありません!」

 

「ホテルの料理人さんから聞きました!」

 

 弥子が元気よく答える。

 

「以前の被害者として、改善状況を確認する責任があります!」

 

「ない」

 

 ログナーが即答する。

 

「消費者代表として!」

 

「試食したいだけだ」

 

「それもあります!」

 

「大部分がそれだ」

 

「否定はしません!」

 

 すえぞうが胸を張る。

 

「うっす!」

 

 ログナーは数秒沈黙した。

 

「一人六個までだ」

 

「六個?」

 

 弥子が聞き返す。

 

「比較用としては十分だ」

 

「六個入りですものね」

 

「追加は禁止する」

 

「わかりました」

 

 弥子は素直に頷いた。

 

 ジョーイ係長は、その素直さを信用しなかった。

 

     ◇

 

 白い皿へ、唐揚げが六個ずつ並べられた。

 

 揚げたて。

 

 軽く油を切り、少し休ませてある。

 

 弥子は、一個目を手に取った。

 

「いただきます!」

 

 ざくっ。

 

 目が輝く。

 

「美味しい!」

 

「前と比べてどうや?」

 

 ジョーイ係長が尋ねる。

 

「下味は同じです。醤油と生姜、ニンニク。その奥に、少し香辛料があります」

 

「衣は?」

 

「前より軽いです。でも、ちゃんとザクザクしてる!」

 

 肉汁も残っている。

 

 濃い味。

 

 しかし、油が舌へまとわりつかない。

 

 一個目を食べ終えた弥子は、迷わず二個目へ手を伸ばした。

 

「二個目、行けるか?」

 

「余裕です!」

 

 二個目。

 

 三個目。

 

 四個目。

 

 ジョーイ係長は心配そうに見守った。

 

 料理長は、食べ方と表情を観察する。

 

 ログナーは、量を確認している。

 

 弥子は五個目を食べ、六個目も平らげた。

 

「ごちそうさまでした!」

 

「腹は?」

 

「まだ入ります」

 

「よっしゃ!」

 

 ジョーイ係長が拳を上げた。

 

 料理長が首を傾げる。

 

「六個食べて、まだ入ることを正常と判定してよいのでしょうか」

 

「弥子ちゃんの場合は正常です」

 

「一般消費者の基準ではない」

 

 ログナーも念を押した。

 

「味の比較には使える」

 

「前の六式は、一個で本当に動けなくなりました」

 

 弥子は真剣な表情になった。

 

「美味しいのに、二個目へ進めなかった。食欲はあるのに、胃だけが拒否していたんです」

 

「今は?」

 

「次へ進めます」

 

 弥子は空になった皿を見る。

 

「これが唐揚げですよ」

 

 料理長が静かに頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

 次は、すえぞう。

 

 一個目。

 

「うまい!」

 

 二個目。

 

「うまい!」

 

 三個目。

 

「うっす!」

 

 四個目。

 

 五個目。

 

 六個目。

 

 すえぞうは、皿を綺麗に空にした。

 

 ジョーイ係長が、慎重に尋ねる。

 

「すえぞう」

 

「うっす!」

 

「腹はどうや?」

 

 全員が見守る。

 

 前回。

 

 一個食べたすえぞうは、二個目を見つめたまま、嘴を止めた。

 

 そして、

 

ハライッパイ。

 

 と、世界の終わりを告げるように呟いた。

 

 今。

 

 すえぞうは空の皿を見た。

 

 次に、厨房の方角を見た。

 

 胸を張る。

 

「ハラへった!」

 

 試験室へ歓声が響いた。

 

「正常化成功やあぁぁぁ!!」

 

 ジョーイ係長が叫ぶ。

 

 開発スタッフも拍手する。

 

 弥子も笑顔で、すえぞうの背中を叩いた。

 

「戻ったね、すえぞう!」

 

「うっす!」

 

 料理長だけが、少し困惑していた。

 

「六個食べた後に空腹なのは、本当に正常なのでしょうか」

 

「すえぞうですから!」

 

 弥子が断言する。

 

 ログナーは短く言った。

 

「個体差だ」

 

「司令が認めた!」

 

「安全性とは別の話だ」

 

 ジョーイ係長は、完成した唐揚げを見た。

 

 味は残った。

 

 ザクザクした衣も残った。

 

 肉汁も、濃い下味も。

 

 失われたのは、胃を降伏させる余計な作用だけ。

 

「六つ目のこだわりも、これで決まりやな」

 

「後味、ですか」

 

 開発スタッフが尋ねる。

 

「せや」

 

 ジョーイ係長は、空になった二枚の皿を指した。

 

「食べた後に残るんは、満腹で動けへん苦しさやない」

 

「美味しかった」

 

 弥子が言う。

 

「また食べたい」

 

 料理長が続ける。

 

「次の一個へ進みたい」

 

 ジョーイ係長は頷いた。

 

「それが、唐揚げの後味や」

 

     ◇

 

 商品名については、少し議論になった。

 

「からあげ六式という名前を残すのですか」

 

 ホテル支配人が尋ねる。

 

 料理長は頷いた。

 

「六つの工程には、開発部の技術があります」

 

「しかし、以前の商品と混同される可能性が」

 

「安全化したことを、明確に表示しましょう」

 

 ジョーイ係長が資料を出す。

 

ホテル特製

からあげ六式

 

油、衣、下味、揚げ時間、余熱、後味。

六つの工程を大切に仕上げた唐揚げです。

 

 支配人は説明文を読み直した。

 

「“余韻”ではないのですね」

 

「胃が降伏する余韻は捨てました」

 

「それは書かないでください」

 

「もちろんです」

 

「銀歯についても」

 

「今回は最初から関係ありません!」

 

「最近、お客様が何にでも銀歯を確認されますので」

 

「カレーの影響が強すぎますわ……」

 

 料理長が、もう一枚の資料を出した。

 

「用途別の提案です」

 

 宴会用の大皿。

 

 ルームサービス用の六個セット。

 

 子ども向けプレート。

 

 持ち帰り用の箱。

 

 LEDカレーとの組み合わせ。

 

「カレーに唐揚げを付けるのですか」

 

 支配人が尋ねる。

 

「ご要望が多い組み合わせです」

 

「重くなりませんか」

 

「以前の六式ではありません」

 

 料理長が少し笑った。

 

「今度の唐揚げは、食事を終わらせません」

 

     ◇

 

 提供初日。

 

 ホテルのランチメニューに、新しい一品が加わった。

 

からあげ六式

六個入り

 

単品

LEDカレーセット

お子様用三個セット

 

 最初に注文したのは、家族連れだった。

 

 父親はLEDカレー。

 

 母親は通常ワイン版の牛ほほ肉煮込み。

 

 子どもは、唐揚げの付いたお子様プレート。

 

「大きい!」

 

 子どもは、唐揚げを一個持ち上げた。

 

 かじる。

 

 ざくっ。

 

「おいしい!」

 

 もう一個。

 

 さらに、父親のカレーからライスを少しもらう。

 

「ちゃんと食べられていますね」

 

 給仕が厨房へ報告した。

 

「一個で止まっていません」

 

 ジョーイ係長は胸をなで下ろした。

 

「普通は、そこを心配せんでええんやけどな」

 

 別のテーブル。

 

 年配の夫婦が、六個入りを二人で分けていた。

 

「衣が軽いですね」

 

「冷めても美味しい」

 

 夫が三個目へ手を伸ばす。

 

「もう一つ食べてもいいか」

 

「最初から三つずつでしょう」

 

「そうだったか」

 

 もう一個を食べたい。

 

 取り分を少し多くしたい。

 

 それは唐揚げを囲む、ごく普通の会話だった。

 

 宴会場でも、大皿へ盛られた唐揚げは好評だった。

 

「こちら、追加できますか?」

 

「からあげ六式を、もう一皿お願いします!」

 

 厨房へ追加注文が飛び込む。

 

 料理長が答える。

 

「六式、追加一皿!」

 

 ジョーイ係長が、その声を聞いた。

 

「追加注文……」

 

 一個で全員の胃を閉店させた旧版では、絶対に起こらなかった注文だ。

 

 一皿が空になり、次の一皿が求められる。

 

「これや」

 

 ジョーイ係長は小さく呟いた。

 

「商品は、客を止めるためにあるんやない」

 

「次の注文へ進んでもらうためにある」

 

 料理長が続ける。

 

「はい」

 

「しかし、食べ過ぎには注意が必要です」

 

「そこは普通の唐揚げと同じですな」

 

「それでよいのです」

 

     ◇

 

 一週間後。

 

 販売実績がまとまった。

 

 単品。

 

 セット。

 

 宴会。

 

 ルームサービス。

 

 持ち帰り。

 

 すべてで、当初予測を上回っている。

 

 特に人気だったのは、LEDカレーとのセットだった。

 

LEDカレー&からあげ六式セット

 

 先へ進んだカレーと、次の一個へ進める唐揚げ。

 名前だけを見ると、星団兵器のセット販売にも見えた。

 

 だが、出てくるのは普通に美味しい昼食である。

 

 持ち帰り用の箱も人気だった。

 

 ホテルの売店には、夕方になると唐揚げの香りが漂う。

 

 宿泊客が部屋へ持ち帰る。

 家族への土産にする。

 帰宅途中に買う。

 特別な日に限らず、普通の日に買われていく。

 

 ホテル支配人が売上報告を確認した。

 

「老若男女、幅広いお客様に注文されています」

 

「唐揚げですから」

 

 料理長が答える。

 

「限定品ではないことが、強みですね」

 

「材料と仕込みを確保すれば、毎日提供できます」

 

「ヴィンテージワインのように、残量を気にする必要もない」

 

「はい」

 

「このレストランにも、日常的に選ばれる料理が増えました」

 

 料理長は、厨房の方を見る。

 

「特別な料理だけが、お客様の記憶へ残るわけではありません」

 

「普通の日に、また食べたいと思う料理もある」

 

「その通りです」

 

     ◇

 

 ヘキサクス社へ、正式な定期発注書が届いた。

 

からあげ六式用

下味調味液および香辛料ブレンド

 

月間定期発注

 

用途:ホテルレストラン、宴会、ルームサービス、持ち帰り販売

 

 ジョーイ係長は、発注書を机へ置いた。

 

「カレーに続いて、唐揚げも定期発注」

 

 開発スタッフが頷く。

 

「はい」

 

「一個で胃を降伏させへん」

 

「はい」

 

「何個も売れる」

 

「はい」

 

「追加注文まで来る」

 

「はい」

 

「売上が、旧版の想定を超えとる」

 

「一個で客の食事を終了させるより、複数個を注文していただいた方が売上は増えます」

 

 ジョーイ係長は、ゆっくり両手で顔を覆った。

 

「当たり前や……」

 

「はい」

 

「ものすごく当たり前のことや……」

 

「はい」

 

「なんで今まで、そこへ到達せんかったんや……」

 

 開発スタッフは答えなかった。

 

 答えはわかっている。

 

 会長が、客へ売ることより、Xiを困らせることを優先したからだ。

 

 ジョーイ係長は顔を上げた。

 

「開発した人らにも、売上報告を回してくれ」

 

「もう確認しています」

 

「反応は?」

 

「追加発注の数字を、何度も見直していました」

 

「そら見るわ」

 

「自分たちの下味が、初めて継続商品になったと」

 

 ジョーイ係長は、発注書をもう一度見た。

 

「味は、最初から本物やった」

 

「はい」

 

「客を止める余計なもんだけ外した」

 

「はい」

 

「それだけで売れた」

 

「それだけではありません」

 

 開発スタッフが言った。

 

「料理長が、衣と揚げ方を新しく作ってくださいました」

 

「せやな」

 

「元へ戻したのではなく、今の唐揚げへ進めた」

 

「カレーと同じや」

 

 ジョーイ係長は、小さく笑った。

 

「うちの商品、後ろ向きな悪意を外したら、ちゃんと前へ進むんやな」

 

     ◇

 

 会長室。

 

 ジョーイ係長は、正常化報告書を提出した。

 

 シックスは書類へ目を落とす。

 

「特殊油を外したのか」

 

「外しました」

 

「常人が一個で満腹にならない」

 

「なりません」

 

「胃も降伏しない」

 

「しません」

 

「すえぞうは」

 

「六個食べて、ハラへった言うてました」

 

「そうか」

 

 シックスは、売上欄を見る。

 

「旧版より売れているな」

 

「一個で食事を終わらせへんからです」

 

「追加注文もある」

 

「はい」

 

「効率が悪い」

 

「商売としては、こっちの方が効率ええんです!」

 

「一個で常人を沈黙させる方が、製品としては強い」

 

「唐揚げに強さを求めるな!」

 

 ジョーイ係長が叫んだ。

 

 シックスは顔を上げる。

 

「Xiは食べたか」

 

「まだです」

 

「送れ」

 

「送りません」

 

「なぜだ」

 

「本人が普通に注文するまで待ちます」

 

「私の一族の品だ」

 

「ホテルの商品でもあります。客として食べてもらいます」

 

「代金を取るのか」

 

「当たり前です!」

 

 シックスは、しばらくジョーイ係長を見た。

 

「最近のお前は、Xiに甘いな」

 

「ワシは客全員に平等です」

 

「怪物強盗にも?」

 

「代金を払うなら客です」

 

「払わなければ」

 

「警察呼びます」

 

「面白い」

 

「面白がらんといてください!」

 

 シックスは報告書を閉じた。

 

「好きにしろ」

 

「言われんでも、そのつもりです」

 

 ジョーイ係長は書類を抱え、会長室を出ようとした。

 

 その背中へ、シックスが声をかける。

 

「ジョーイ」

 

「何です?」

 

「“六式”の名は残したのだな」

 

「六つの技術は、開発した人らの仕事ですから」

 

「そうか」

 

 それ以上、シックスは何も言わなかった。

 ジョーイ係長も振り返らなかった。

 

     ◇

 

 営業管理部へ戻ると、経理部から新しいメッセージが届いていた。

 

株主総会資料作成のため、

特殊食品正常化事業の収支報告を提出してください。

 

対象期間:事業開始から現在まで。

 

売上、開発費、正常化費用、回収費、補償費、在庫評価を含む。

 

 ジョーイ係長は画面を読む。

 

 もう一度読む。

 

 そして、机の上に積まれた資料を見る。

 

 象の珈琲。

 コーンスープ。

 爆音煎餅。

 口の中で鳴るラムネ。

 ヴィンテージワイン。

 LEDカレー。

 からあげ六式。

 

 商品は正常化した。

 危険な作用は取り除いた。

 

 客は喜び、取引先からは追加注文が来ている。

 

 だが。

 

「開発費、回収費、補償費……」

 

 ジョーイ係長は、嫌な予感を覚えた。

 

 ヘキサクス社の商品には、たいてい最後に余計なものが加えられている。

 

 数字の中にも、何か余計なものが埋まっている気がした。

 

 端末へ、特殊食品事業の収支一覧を表示する。

 

 売上。

 

 原価。

 

 正常化費用。

 

 そして、その下。

 

 会長特別指示案件。

 

 特殊作用追加研究費。

 

 嫌がらせ専用試作費。

 

 対Xi反応確認費。

 

 ジョーイ係長の表情が、少しずつ固まった。

 

「……なんや、これ」

 

 正常化された唐揚げの香りが、営業管理部まで届くことはなかった。

 

 代わりに。

 

 株主総会へ向けた数字の中から、別の意味で腹に重いものが、ゆっくり姿を現し始めていた。

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