守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇   作:ギアっちょ

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ジョーイ係長は株主総会の前夜に眠れない

 午後八時四十三分。

 株式会社ヘキサクス、営業管理部。

 

 普段なら多くの社員が帰宅している時間だった。

 だが今夜、営業管理部の一角だけは、昼間よりも明るかった。

 机の上には、株主総会用の資料。

 正常化事業の収支報告。

 商品別の開発費。

 取引先から届いた継続契約書。

 株主から出ると予想される質問と、その回答案。

 

 そして、ホテルから届けられたLEDカレーと、からあげ六式の空き容器。

 中身は、すでに会議へ参加した社員たちの胃袋へ収まっていた。

 

「もう一度、最初からお願いします」

 

 経理担当者が言った。

 

「まだやるんですか」

 

「明日の株主総会では、同じ質問を何度も、違う言葉で尋ねられる可能性があります」

 

「株主さん、しつこいですな」

 

「出資した資金の使い道を確認する権利があります」

 

「正論が重い……」

 

 ジョーイ係長は、ネクタイを少し緩めた。

 

 まだ本番ではない。

 

 今は想定問答の練習である。

 

 しかし、すでに背中へ汗をかいていた。

 

 経理担当者が手元の紙へ視線を落とす。

 

「質問します」

 

「はい」

 

「特殊食品事業が長期間にわたって赤字だった原因は、何ですか」

 

 ジョーイ係長は答えた。

 

「会長が、売れる商品に売れへん機能を付けたからです」

 

「率直すぎます」

 

「事実やないですか」

 

「もう少し、株主総会に適した表現でお願いします」

 

「ほな」

 

 ジョーイ係長は資料を見る。

 

「食品としての基礎開発は、複数の商品で販売可能な水準に達していました。しかし、後から追加された特殊作用と、それに伴う製造、回収、補償の費用が、事業全体の損失を拡大させました」

 

「結構です」

 

「最初の方がわかりやすいでしょう?」

 

「わかりやすさと、会場の秩序は別です」

 

「会長本人がおるのに、ワシだけ言葉選ばなアカンのですか」

 

「ジョーイ係長は、正常化事業の責任者ですから」

 

「特殊食品在庫正常化責任者です」

 

「はい」

 

「経営責任正常化責任者やないです」

 

「明日は、似たような役割になると思われます」

 

「思わんといてください!」

 

 経理担当者は、顔色一つ変えなかった。

 

「次の質問です」

 

「まだあるんですね」

 

「なぜ、赤字の正常化事業を継続するのですか」

 

「正常化事業は黒字です」

 

「説明を続けてください」

 

「危険な作用を除いた商品は、ホテル、喫茶店、駄菓子店、酒販店で継続的に売れています。返品率は低く、重大事故はゼロ。定期発注も増えています」

 

「事業を廃止した場合は?」

 

「売上がなくなるだけやなく、回収済み在庫の価値も失います。取引先の信用も失います」

 

「開発スタッフの雇用については?」

 

 ジョーイ係長は、一瞬だけ言葉を止めた。

 

「守るべきです」

 

「理由は」

 

「売れる味を作ったんは、あの人らやからです」

 

 練習用の会議室が、少し静かになった。

 

 ジョーイ係長は続ける。

 

「失敗した商品を作った、と一括りにしたらアカン。コーンスープも、カレーも、唐揚げも、味は最初から評価されとった。余計なもんを足された後も、その部分だけは残ってた」

 

「はい」

 

「失敗から学んだいうより、壊された仕事を取り戻したんです」

 

 経理担当者は回答案へ書き込んだ。

 

「その表現は、残しましょう」

 

「ええんですか」

 

「事実であり、簡潔です」

 

「経理から褒められた……」

 

「褒めてはいません」

 

「そういうとこやぞ!」

 

     ◇

 

 午後九時二十七分。

 

 想定問答の練習が終わった。

 経理担当者たちは資料をまとめる。

 開発主任は、明日使用する説明図を最後まで確認していた。

 基礎開発。

 特殊作用の追加。

 回収。

 正常化。

 再販売。

 

 商品の流れが、一枚の図に整理されている。

 

「これなら、難しい数字を追わなくても理解できます」

 

 ジョーイ係長が言った。

 

「株主の皆様へ誤解なく説明するためです」

 

「ワシも、この図を先に欲しかったですわ」

 

「係長は数字の詳細まで理解する必要があります」

 

「株主さんにはわかりやすく。ワシには分厚い明細」

 

「責任者ですから」

 

「その言葉、明日までに嫌いになりそうです」

 

 若い開発スタッフが、小さな封筒を差し出した。

 

「係長」

 

「何や?」

 

「開発部からです」

 

「何が入っとるん」

 

「明日、資料と一緒にお持ちください」

 

 ジョーイ係長は封筒を開いた。

 

 中には、一枚の紙。

 

 開発スタッフたちの署名が並んでいた。

 

私たちは、命令されたものを作っただけだとは申しません。

危険性を理解しながら、止められなかった責任はあります。

それでも、最初に作った味まで失敗だったとは思いたくありません。

正常化された商品を、これからも作りたいと考えています。

 

 ジョーイ係長は、しばらく紙を見つめていた。

 

「これ、誰が書いたんや」

 

「全員で」

 

「こんなん、総会で読んだら、責任認めた部分だけ拾われるかもしれへんぞ」

 

「それでも、何も言わずに係長だけへ任せることはできません」

 

「ワシ一人でやる言うてへん」

 

「壇上へ立つのは、係長です」

 

「……せやな」

 

「私たちは、後ろにいます」

 

 ジョーイ係長は、署名の並んだ紙を封筒へ戻した。

 

「後ろやなく、横に来てほしいんですけどね」

 

「席の配置上、それは難しいです」

 

「物理的な話やない!」

 

 開発主任が、少しだけ笑った。

 

「それでも、係長は一人ではありません」

 

 ジョーイ係長は返事をせず、封筒を鞄へ入れた。

 

     ◇

 

 午後十時五分。

 

 ホテルレストラン。

 営業を終えた店内には、照明が一部だけ残されていた。

 昼間の賑わいはない。

 白いテーブルクロス。

 整えられた椅子。

 厨房から、翌日の仕込みをする音がわずかに聞こえる。

 

 ジョーイ係長は、客席の奥で一人待っていた。

 

 目の前には三つのカップ。

 ホテルブレンドの珈琲。

 象の珈琲ではない。

 普通の豆を、普通に抽出した珈琲だった。

 

 自動扉が開く。

 

「遅くなったね」

 

 Xiが入ってきた。

 

 その後ろに、バクスチュアルが続いている。

 二人とも、目立たない服装を選んでいた。

 ただし、バクスチュアルの人間離れした美しさは、服装だけでは隠しきれていない。

 

「すみません。こんな時間に」

 

 ジョーイ係長が立ち上がる。

 

「昼間だと人が多いからね」

 

「株主総会へ出る話やのに、人目を避けて来るんですな」

 

「出るとは言ってないよ」

 

「そうでした」

 

 Xiは席へ座る。

 

 バクスチュアルも、その隣へ座った。

 

「珈琲、普通ノ?」

 

「普通のホテルブレンドです」

 

 ジョーイ係長が答える。

 

「象は通ってません」

 

「良イ」

 

「確認項目が増えたなぁ……」

 

 Xiがカップを手に取る。

 

「それで?」

 

 声から、いつもの軽さが少し消えた。

 

「話って何?」

 

 ジョーイ係長は、鞄から資料を取り出した。

 

 だが、すぐには開かなかった。

 

「数字から説明します?」

 

「嫌だ」

 

「即答ですな」

 

「僕は株主じゃない。会社の損益にも興味はない」

 

「でしょうな」

 

「会社が赤字になろうが、潰れようが、僕には関係ないよ」

 

 ジョーイ係長は頷いた。

 

「会社を助けてほしいんやありません」

 

「じゃあ、誰を?」

 

「人です」

 

 Xiがジョーイ係長を見る。

 

「食品を作った人らです」

 

 ジョーイ係長は、商品別の資料を机へ並べた。

 

 コーンスープ。

 ヴィンテージワイン。

 LEDカレー。

 からあげ六式。

 

「この人らが、売れる味を作った」

 

「知ってるよ」

 

「その後、会長の命令で余計なもんを足した」

 

「それも知ってる」

 

「株主総会で、最初から全部、開発部の失敗やったことにされる可能性があります」

 

 Xiの表情は変わらない。

 

「会社員だろう。命令に従った」

 

「せやから、責任がゼロとは言いません」

 

「なら、僕が口を出すことじゃない」

 

「でも、責任全部を押しつけるんは違います」

 

「どう違うの?」

 

「銀歯が抜けるカレーを作ったんは開発部です」

 

「そうだね」

 

「でも、その前に、普通に美味いカレーを作ったんも開発部です」

 

「……」

 

「どっちも事実です」

 

 ジョーイ係長は、LEDカレーの資料をXiの前へ置いた。

 

「片方だけ選んで、失敗した人間にするのは違う」

 

 バクスチュアルが、資料の写真を見る。

 

「LEDカレー」

 

「せや」

 

「作ッタ人タチ、困ッテル?」

 

「困ってます」

 

「ナゼ?」

 

 ジョーイ係長は、バクスチュアルにもわかるよう、言葉を選んだ。

 

「美味いカレーを作ったのに、危ないカレーを作った責任だけ残されそうなんです」

 

「危ナイ部分、シックス?」

 

「会長の指示です」

 

「デモ、作ッタノハ、アノ人タチ」

 

「そうです」

 

「アノ人タチ、悪イ?」

 

 ジョーイ係長は少し考えた。

 

「悪くない、とは言い切れません」

 

 Xiが、わずかに意外そうな顔をした。

 

「止められへんかった。作ってしもうた。そこは本人らも責任を感じてます」

 

「なら」

 

「でも、美味いものを作ったことは悪くない」

 

 ジョーイ係長は、バクスチュアルの目を見た。

 

「それを取り戻そうとしたことも、悪くない」

 

 バクスチュアルは、しばらく資料を見ていた。

 

「LEDカレー、無クナル?」

 

「すぐになくなるとは限りません」

 

「人タチハ?」

 

「異動や処分の対象になる可能性はあります」

 

「カレー、作レナクナル?」

 

「そうなる人もおるかもしれません」

 

 Xiは珈琲を一口飲んだ。

 

「ジョーイ係長」

 

「はい」

 

「僕が証言したら、何が変わるの?」

 

「会長が何のために、特殊作用を付けさせたか」

 

「僕への嫌がらせ」

 

「それを、当事者の口から説明できます」

 

「あのクソ親父も認めているんだろう?」

 

「会議では」

 

「明日も同じことを言わせればいい」

 

「言うとは限りません」

 

 Xiが笑った。

 

「あのクソ親父らしいね」

 

「笑い事やありません」

 

「僕が出れば、株主は別のことを考えるよ」

 

「別のこと?」

 

「会長の子どもがいる。しかも親父に対抗できる。

 なら、次の会長にできるんじゃないかって」

 

「先に言うときますけど」

 

 ジョーイ係長は身を乗り出した。

 

「ワシはあんたを会長にする気ありません」

 

「本当に?」

 

「今の会長一人で手いっぱいです!」

 

「それ、前も聞いた」

 

「何度でも言います!」

 

「でも、僕が会場へ出た瞬間、そういう話は始まる」

 

「そこは止めます」

 

「止められる?」

 

「止めます!」

 

「今の君を見ていると、仕事が増える未来しか見えないけど」

 

「やめてください! ワシにも見えます!」

 

 バクスチュアルが、Xiを見る。

 

「Xiサン。行キタクナイ?」

 

「行きたくないよ」

 

「会社、嫌イ?」

 

「嫌いというより、関わりたくない」

 

「シックス、嫌イ?」

 

「好きではないね」

 

「人タチモ、嫌イ?」

 

 Xiは答えなかった。

 

「LEDカレー、作ッタ人」

 

「……嫌いじゃないよ」

 

「料理長」

 

「嫌いじゃない」

 

「ジョーイ係長」

 

 Xiはジョーイ係長を見る。

 

「少しうるさい」

 

「そこは嫌いでええです!」

 

「嫌いじゃないよ」

 

「なら良かったです」

 

「素直だね」

 

 バクスチュアルは続ける。

 

「Xiサン。私ニ、好キ、選ンデイイ、言ッタ」

 

「言ったね」

 

「カレー、好キ。珈琲、好キ」

 

「うん」

 

「作ッタ人タチモ、自分ノ作ッタ物、好キト言ッテイイ?」

 

 Xiの指が、カップの取っ手で止まった。

 

「……どういう意味?」

 

「危ナイ物、作ッタ。デモ、普通ニ美味シイ物モ、作ッタ」

 

「そうだね」

 

「ソレ、好キト言ッタラ、駄目?」

 

「駄目じゃないよ」

 

「明日、全部、失敗ニサレタラ」

 

 バクスチュアルは、ぎこちなく言葉をつないだ。

 

「好キ、消エル?」

 

 Xiは、何も言わなかった。

 

 感情を持たないよう作られたファティマ。

 

 好き嫌いは設定されていないと語っていた彼女。

 

 その彼女が、自分で見つけた「好き」を守ろうとしている。

 

「バクスチュアル」

 

「何?」

 

「僕は、誰かを守るような人間じゃないよ」

 

「知ッテル」

 

「怪物強盗だ」

 

「知ッテル」

 

「人の物を盗む」

 

「知ッテル」

 

「会社の株主総会へ行って、真面目に証言するような人間じゃない」

 

「デモ」

 

 バクスチュアルはXiの手を見た。

 

「今日、盗マナイ」

 

「今日は、ね」

 

「カレー代、払ッタ」

 

「一度だけだよ」

 

「名前、付ケタ」

 

「頼まれたから」

 

「次モ、一緒ニ食ベル、約束シタ」

 

「……うん」

 

「前ヨリ、先ヘ進ンダ」

 

 Xiは目を伏せた。

 

「またLEDの話?」

 

「ウン」

 

「株主総会へ行くことが、先へ進むことなのかな」

 

「不明」

 

「わからないんだ」

 

「デモ、逃ゲナイ。ソレハ、前ト違ウ」

 

 店内は静かだった。

 

 厨房の音も止まっている。

 

 料理長たちも、二人の邪魔をしないよう、奥へ下がっていた。

 

 ジョーイ係長も口を挟まなかった。

 

 バクスチュアルが、Xiへ手を差し出した。

 

「私モ、行ク」

 

「君も?」

 

「Xiサン、一人ジャナイ」

 

「会場には入れないかもしれないよ」

 

「近クニ、イル」

 

「親父もいる」

 

「知ッテル」

 

「嫌なことを言われるかもしれない」

 

「手、取ル」

 

 Xiは、差し出された手を見る。

 

「会場へ入る時だけ?」

 

「途中デ、離ス?」

 

 Xiが困ったように笑った。

 

「……別に、離さなくてもいいけど」

 

 ジョーイ係長は思わず顔を背けた。

 

「いまだ! そこで」

 

「何?」

 

 Xiが鋭く見る。

 

「何でもありません!」

 

「絶対、何か言おうとしたよね」

 

「株主総会前に余計な問題を増やしたくないです!」

 

 バクスチュアルは、Xiの手を取った。

 

「Xiサン」

 

「うん」

 

「行ク?」

 

 Xiは、長く息を吐いた。

 

「条件がある」

 

 ジョーイ係長が姿勢を正す。

 

「何です?」

 

「会社を継ぐ話が出たら、僕は帰る」

 

「わかりました」

 

「次期会長候補として紹介しない」

 

「絶対しません」

 

「僕の発言を宣伝へ使わない」

 

「そこは内容によります」

 

「使う気じゃないか!」

 

「正常化事業への評価なら、営業としては」

 

「使わない!」

 

「わかりました!」

 

「それから」

 

 Xiはジョーイ係長を見る。

 

「僕は会社を助けるために行くんじゃない」

 

「はい」

 

「親父を追い落とすためでもない」

 

「はい」

 

「作った人たちへ、間違った請求書が届かないようにするだけだ」

 

 ジョーイ係長の表情が変わった。

 

 以前、Xiは株主総会での証言について、同じような意味の言葉を使っていた。

 

 請求書の宛先を正しくする。

 

 数字を正常化する仕事と、同じだった。

 

「それで十分です」

 

「呼ばれたら話す」

 

「ありがとうございます」

 

「まだ礼は早い」

 

「話す言うてくれた時点で、十分です」

 

「僕が途中で帰る可能性もあるよ」

 

「バクスチュアルさん」

 

 ジョーイ係長が彼女を見る。

 

「お願いします」

 

「手、取ル」

 

「離さんといてください」

 

「ウン」

 

「僕の意思は?」

 

「逃ゲル?」

 

「逃げないよ!」

 

「ナラ、問題ナイ」

 

 怪物強盗は、ファティマと営業係長によって、退路を少しずつ塞がれていた。

 

     ◇

 

 午後十一時十四分。

 

 話し合いは終わった。

 

 Xiとバクスチュアルが店を出る。

 

 ジョーイ係長は、入口まで見送った。

 

 夜の風は少し冷たい。

 

 Xiは数歩進んだところで振り返った。

 

「ジョーイ係長」

 

「何です?」

 

「僕が行くこと、あの親父には言わないで」

 

「伏せカードですからね」

 

「僕を札みたいに扱わないでよ」

 

「会長が先に言い出したんです」

 

「クソ親父らしいなぁ」

 

「何時に来ます?」

 

「開始直前」

 

「遅刻は困ります!」

 

「怪盗に定刻を求めるの?」

 

「株主総会へ来る参考人です!」

 

「面倒だな」

 

 バクスチュアルがXiの袖を引く。

 

「普通ニ、来ル」

 

「君までジョーイ係長側なの?」

 

「約束、守ル」

 

「……わかったよ」

 

 二人は並んで歩いていく。

 

 途中で、バクスチュアルがXiの手を取った。

 

 Xiは一度周囲を見た。

 

 誰もいないことを確認する。

 

 それでも、手を離さなかった。

 

 ジョーイ係長は、その背中を見送った。

 

「伏せカードやないな」

 

 小さく呟く。

 

 盤面をひっくり返すための道具ではない。

 一人の人間。

 

 自分の父親と向き合うことを、心から嫌がっている若者。

 そして、その手を取って一緒に歩く女性。

 

「巻き込んでもうたな……」

 

 だが、頼らなければ守れないものがある。

 ジョーイ係長は、深く頭を下げた。

 

 二人の背中は、すでに暗い道の先へ進んでいた。

 

     ◇

 

 午前零時二分。

 

 ジョーイ係長は、再び営業管理部へ戻った。

 

 誰もいないと思っていた。

 

 だが、彼の机の前に一人の男が立っていた。

 

 シックス。

 

 黒い服。

 

 静かな笑み。

 

 机に積まれた株主総会資料を、勝手に読んでいる。

 

「勝手に人の机を見んといてください!」

 

「会社の机だ」

 

「ワシが整理した資料です!」

 

「私に関する記述が多いな」

 

「原因ですからね!」

 

 シックスは資料を一枚持ち上げる。

 

「特殊作用追加費」

 

「はい」

 

「対Xi反応確認費」

 

「はい」

 

「嫌がらせ専用試作費」

 

「その名前は、経理が正式には使えん言うてました」

 

「惜しいな」

 

「惜しくない!」

 

 シックスは、ジョーイ係長を見る。

 

「眠れないのか」

 

「誰のせいやと思ってるんです」

 

「私だろう」

 

「自覚あるんですね!」

 

「明日、株主はお前へ多くの質問をする」

 

「会長にもします」

 

「私は答えたいものへ答える」

 

「全部答えてください!」

 

「株主が、正しい質問をすればな」

 

「また言葉遊びを……」

 

 シックスは、机の端へ置かれたXiの連絡先を見る。

 

 ジョーイ係長は、素早くカードを伏せた。

 

「見るな!」

 

「もう見た」

 

「伏せカードなんです!」

 

「来るのか」

 

「答えません」

 

「そうか」

 

 シックスは楽しそうに笑った。

 

「本当に来ると思うか?」

 

「知りません」

 

「Xiは責任を嫌う」

 

「知ってます」

 

「誰かのために壇上へ立つような者ではない」

 

「それも知ってます」

 

「なら、なぜ頼んだ」

 

 ジョーイ係長は、机の上の封筒を見た。

 

 開発スタッフ全員の署名。

 

「ほかに、頼める人がおらんかったからです」

 

「弱い答えだ」

 

「本人が断ったら、それまでです」

 

「では、来なかった時は?」

 

「ワシが数字だけで戦います」

 

「勝てるか」

 

「勝たなアカンでしょう」

 

「なぜ」

 

「仕事やからです」

 

 ジョーイ係長は、シックスを正面から見た。

 

「ワシは会社のためなら、何でもする人間やありません」

 

「知っている」

 

「会長のためでもない」

 

「それも知っている」

 

「でも、棚を貸してくれた取引先と、美味いもん作った開発スタッフは守ります」

 

「それがお前の仕事か」

 

「少なくとも、今は」

 

 シックスは、少しだけ目を細めた。

 

「面白い」

 

「明日は、その言葉を使わんといてください」

 

「なぜだ」

 

「何が起きるかわからんからです!」

 

「明日は、すでに何かが起きる」

 

「不吉なこと言わんといてください!」

 

 シックスは資料を机へ戻した。

 

「利益を見せろ、ジョーイ」

 

「見せます」

 

「悪意より価値があると、株主に証明しろ」

 

「会長本人が言う台詞ですか」

 

「お前が始めた正常化だ」

 

「会長の後始末です!」

 

「同じことだ」

 

「全然違う!」

 

 シックスは背を向けた。

 

「眠れないなら、資料を読め」

 

「寝かせてください!」

 

「明日、眠る時間はない」

 

「余計寝られんようなこと言うな!!」

 

 シックスは笑いながら、営業管理部を出ていった。

 

 ジョーイ係長は、閉じた扉を見つめる。

 

「何しに来たんや、あの人……」

 

 励ましたのか。

 脅したのか。

 様子を見に来ただけなのか。

 おそらく、本人以外にはわからない。

 

 本人にも、分類する気はないのだろう。

 

     ◇

 

 午前一時三十八分。

 

 ジョーイ係長は、営業管理部の長椅子へ横になっていた。

 

 照明を落とす。

 

 上着を畳み、枕代わりにする。

 

 目を閉じる。

 

「特殊食品事業の赤字原因は……」

 

 目を開ける。

 

「アカン。頭の中で答弁始まっとる」

 

 もう一度、目を閉じる。

 

 今度は株主たちの顔が浮かぶ。

 

 実際には会ったことのない人物まで、勝手に想像される。

 

なぜ赤字を放置した。

責任者は誰だ。

会長の私物化ではないか。

正常化事業に将来性はあるのか。

Xi氏を後継者に。

 

「最後の議案、出てくるな……」

 

 寝返りを打つ。

 

 端末が鳴った。

 

 ジョーイ係長は飛び起きる。

 

 画面を見る。

 

 ホテル料理長からのメッセージだった。

 

明日は通常通り営業いたします。

LEDカレーも、からあげ六式も仕込み済みです。

皆様のお仕事によって、当店は今日も料理を提供できます。

ご健闘をお祈りしております。

 

 続いて、喫茶店から。

 

象の珈琲は、明日も十杯分ご用意します。

最初に棚を貸した店として、今後も取引を希望します。

 

 駄菓子店。

 

子どもたちは、次のラムネと煎餅を待っています。

学校へは持ち込ませません。

 

 酒販店。

 

売れない時期から付き合った取引先を守る営業を、こちらも支持します。

 

 ジョーイ係長は、一通ずつ読んだ。

 

「みんな、起きとるんか……?」

 

 送信時刻を見る。

 

 予約送信だった。

 

「ですよね」

 

 少しだけ安心した。

 

 自分の仕事を見ていた人がいる。

 

 売上表の数字ではなく、商品が届いた先に。

 

 料理を食べる人。

 珈琲を飲む人。

 ラムネを鳴らす子ども。

 唐揚げをもう一個取る人。

 そこに、正常化事業の結果がある。

 

「寝なアカン」

 

 ジョーイ係長は、もう一度横になった。

 

 目を閉じる。

 

 今度は、Xiとバクスチュアルの姿が浮かんだ。

 

 手を取って歩く二人。

 

「来てくれるんかな……」

 

 Xiは、呼ばれたら話すと言った。

 

 ただし、怪盗の約束である。

 

 普通の人間より信用できるのか、普通の人間とは違う意味で信用できるのか、判断が難しい。

 

「来てくれへんかったら」

 

 数字で戦う。

 

 来てくれたら。

 盤面が変わる。

 

 ただし、どちらへ変わるかはわからない。

 

「ほんま、強すぎる札や……」

 

 ジョーイ係長は、ようやく眠りへ落ちた。

 

     ◇

 

 午前二時十一分。

 

 端末の通知音で目を覚ました。

 

「三十分も寝てへん!!」

 

 画面を見る。

 

 送信者はXi。

 

『明日、行く。

 ただし、普通に受付を通るのは面倒だから、別の入口を用意して。』

 

 続けて、バクスチュアルから。

 

『普通ニ、入ル。

 約束、守ル。』

 

 さらにXi。

 

『君、どっちの味方なの?』

 

 バクスチュアル。

 

『Xiサンノ、味方。

 デモ、約束モ守ル。』

 

 ジョーイ係長は、思わず笑った。

 

「強いなぁ、バクスチュアルさん……」

 

 返信する。

 

『正面玄関から、参考人受付へ来てください。

 変装、天井裏、換気口、窓からの侵入は禁止です。』

 

 すぐに既読がつく。

 

 Xiからの返信。

 

「選択肢を全部潰さないでよ。』

 

 バクスチュアル。

 

『普通ニ、行ク。』

 

 ジョーイ係長は端末を胸の上へ置いた。

 

「来る」

 

 もう伏せた札ではない。

 

 だが、まだ場には出ていない。

 

 明日。

 

 必要な瞬間まで、Xiは控室で待つ。

 

 呼ばれなければ、何も話さず帰る。

 

 呼ばれれば、会長の子どもとしてではなく、悪意を受けた当事者として言葉を置く。

 

「これで、揃った」

 

 数字。

 

 取引先。

 

 開発スタッフの証言。

 

 会長の指示。

 

 そして、Xi。

 

 ジョーイ係長は、ようやく目を閉じた。

 

     ◇

 

 午前六時。

 

 目覚まし時計が鳴る。

 

 ジョーイ係長は長椅子から飛び起きた。

 

「寝た気がせぇへん……」

 

 鏡を見る。

 

 目の下に、薄い影。

 

 髪は少し乱れている。

 

 ネクタイを締める。

 

 曲がる。

 

 結び直す。

 

 また曲がる。

 

「こんな時に限って!」

 

 営業管理部の扉が開いた。

 

 経理担当者が入ってくる。

 

「おはようございます」

 

「早いですな」

 

「資料の最終確認がありますので」

 

「ネクタイ、曲がってません?」

 

「曲がっています」

 

「直してください」

 

「私は経理です」

 

「そこを何とか!」

 

 経理担当者は小さく息を吐き、ネクタイを直した。

 

「ありがとうございます」

 

「経費には計上しません」

 

「何でも経費の話にせんでええです!」

 

 開発スタッフたちも、次々と出社する。

 

 誰も眠れていないような顔をしていた。

 

「お前らまで何で早いんや」

 

「係長だけを送り出せません」

 

「総会の席、後ろにあります」

 

「見えています」

 

「なら、前向いてください」

 

「係長も」

 

「ワシは前向かんと話せへんでしょう!」

 

 机の上に、資料を並べる。

 

 封筒。

 

 取引先からの書面。

 

 商品別収支。

 

 正常化後の販売実績。

 

 想定問答。

 

 すべて鞄へ入れる。

 

 最後に、五千枚印刷された名刺を一箱。

 

「名刺、そんなに要りますか」

 

「作られたもんは使わな損や!」

 

     ◇

 

 午前八時二十分。

 

 株主総会会場。

 

 正面玄関には、すでに株主たちが集まり始めていた。

 

 受付。

 警備。

 案内係。

 役員用入口。

 参考人控室。

 

 社員たちは、落ち着かない様子で行き交っている。

 

 ジョーイ係長は壇上を確認した。

 

 自分の席。

 

 マイク。

 

 資料を映す画面。

 

 上座には、シックス会長の席。

 

 まだ本人は来ていない。

 

「係長」

 

 開発主任が呼ぶ。

 

「参考人の方が到着されました」

 

 ジョーイ係長は時計を見る。

 

「ほんまに時間通り来た……」

 

「そこへ驚くのですか」

 

「怪盗ですよ?」

 

 参考人受付へ向かう。

 

 そこにはXiが立っていた。

 

 変装していない。

 

 窓からも、天井からも入っていない。

 

 正面玄関を通り、正式な受付を済ませている。

 

 隣には、バクスチュアル。

 

 彼女はXiの手を握っていた。

 

「おはようございます」

 

 ジョーイ係長が頭を下げる。

 

「本当に来てくれたんですね」

 

「帰っていい?」

 

「まだ始まってもない!」

 

「受付で、本人確認を三回された」

 

「普通の手続きです!」

 

「怪盗に本人確認を求めるって、矛盾してない?」

 

「今日は参考人です!」

 

 バクスチュアルが言う。

 

「普通ニ、来タ」

 

「ありがとうございます」

 

「約束、守ッタ」

 

「はい」

 

 Xiが、つながれた手を見る。

 

「受付が終わっても離してくれないんだ」

 

「離ス?」

 

「……別に、いいけど」

 

 ジョーイ係長は、少しだけ笑った。

 

「控室を用意してます」

 

「呼ばれるまで待てばいいんだね」

 

「はい」

 

「本当に必要な時だけ呼んで」

 

「わかりました」

 

「会長にする話が始まったら」

 

「ワシが止めます!」

 

「止められなかったら?」

 

「バクスチュアルさん」

 

「Xiサン、連レテ逃ゲル」

 

「頼もしいな!」

 

「そこは止めてよ!」

 

 Xiは、株主総会会場の扉を見る。

 

 その向こうには、父親がいる。

 

 父親の会社。

 

 自分を困らせるために作られた商品。

 

 その商品を作らされた人々。

 

 Xiの手へ、バクスチュアルの指が少し強く重なる。

 

「Xiサン」

 

「何?」

 

「一人ジャナイ」

 

 Xiは、一度目を閉じた。

 

「わかってるよ」

 

 ジョーイ係長は二人を控室へ案内した。

 

 伏せカードは、そこにいた。

 

 だが、盤面を変えるための道具ではなかった。

 

 嫌な過去と向き合うことを選んだ一人の若者と、その手を取って歩く一人のファティマ。

 

 その二人が、必要な時を待っている。

 

     ◇

 

 午前八時五十五分。

 

 開場を告げるベルが鳴った。

 

 株主たちが席へ着く。

 

 役員が壇上へ並ぶ。

 

 最後に、シックスが現れた。

 

 ジョーイ係長と目が合う。

 

 シックスは、わずかに笑った。

 

 Xiが来ていることに気づいているのか。

 

 わからない。

 

 怪物の考えを読む余裕は、今のジョーイ係長にはなかった。

 

 経理担当者が、小声で告げる。

 

「係長。ネクタイは曲がっていません」

 

「そこは安心しました」

 

「資料も揃っています」

 

「はい」

 

「数字は、事実です」

 

「はい」

 

「難しく話す必要はありません」

 

 ジョーイ係長は、一度深く息を吸った。

 

「誰が、美味いもんを作ったか」

 

「はい」

 

「誰が、余計なもんを足したか」

 

「はい」

 

「誰が、先へ進めたか」

 

「はい」

 

「それを説明すればええんですね」

 

「その通りです」

 

 ジョーイ係長は壇上へ上がった。

 

 背後には開発スタッフ。

 机の中には取引先の書面。

 資料には正常化された数字。

 控室にはXiとバクスチュアル。

 そして正面には、株主たち。

 逃げ場はなかった。

 

 だが、一人でもなかった。

 

 午前九時。

 議長が、開会を宣言する。

 

 決戦の朝が始まった。

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