守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
午前九時。
株式会社ヘキサクス、第百二十七回定時株主総会。
開会を知らせる声が、広い会場へ響いた。
壇上には、シックス会長をはじめとする役員たち。
その一段下。
普段なら決して座ることのない席に、ジョーイ係長がいた。
肩書は、
営業管理部 係長
特殊食品在庫正常化責任者
である。
取締役ではない。
執行役員でもない。
ただの係長である。
だが、その前にはマイクが置かれ、手元には株主総会用の分厚い資料が積まれていた。
「なんでワシ、ここに座っとるんやろ……」
ジョーイ係長が小さく呟く。
隣に座った経理担当者が答えた。
「正常化事業について、最も詳しいからです」
「聞こえてました?」
「はい」
「独り言くらい、そっとしといてください」
「本番中ですので」
「まだ始まったばっかりや!」
経理担当者は、ジョーイ係長のネクタイを見る。
「曲がっていません」
「そこだけは安心しました」
会場を見渡す。
前方には、大口株主や機関投資家の代表。
後方には、個人株主。
さらにその後ろ。
会社関係者用の席には、食品開発部のスタッフたちが座っていた。
皆、緊張した顔で壇上を見つめている。
取引先から届いた書面は、ジョーイ係長の鞄の中。
開発スタッフたちの署名もある。
正常化された数字も揃っている。
そして会場脇の控室には。
怪物強盗Xiと、バクスチュアルが待っている。
まだ、切る時ではない。
ジョーイ係長は、膝の上で両手を握った。
「では、報告事項へ移ります」
議長役の取締役が告げた。
「特殊食品事業および、同事業における在庫正常化活動について、担当責任者より報告いたします」
会場の大型画面に、名前が表示される。
特殊食品在庫正常化責任者
ジョーイ
「名前だけなんですね」
経理担当者が小声で言った。
「名刺にも名字ないんです」
「人事記録には?」
「ジョーイです」
「そうですか」
「今そこ掘らんでええでしょう!」
「ジョーイ係長、お願いします」
議長に呼ばれた。
ジョーイ係長は立ち上がった。
演台へ向かう。
一歩。
二歩。
距離にすれば、ほんの数メートル。
だが、そこへ立つまでの道は長かった。
売れない不良在庫。
危険な食品。
回収と封印。
取引先への謝罪。
ホテルとの交渉。
料理長との試作。
開発スタッフの悔しさ。
会長の悪意。
その全てが、足元に積み重なっている。
演台へ着く。
会場を見た。
何百もの目が、自分へ向けられている。
「ええと……」
用意していた挨拶文を開く。
株主の皆様におかれましては、平素より格別のご高配を賜り。
読む。
もう一度読む。
口から出てこない。
ジョーイ係長は、紙を裏返した。
「すみません。こういう言葉、ワシには向いてません」
会場が少しざわついた。
経理担当者が、わずかに眉を動かす。
ジョーイ係長は続けた。
「難しい数字は、資料に書いてあります」
大型画面が切り替わる。
三つの箱が表示された。
青い箱。
赤い箱。
緑の箱。
「今日は、この三つだけ覚えてください」
ジョーイ係長は、青い箱を指した。
「まず、青」
普通に美味しい食品
「コーンスープ、カレー、唐揚げ、酒、菓子。うちの開発部が、最初に作ったもんです」
次に、赤い箱。
後から追加された特殊作用
「銀歯を抜く辛味。胃を降伏させる油。飲んだ人間の汗を赤くする成分。口の中で音を鳴らし続ける仕組み」
会場のあちこちから、困惑の声が漏れた。
「すみません。ワシも説明してて意味わかりません」
小さな笑いが起きた。
「この赤い部分を作るために、ぎょうさん金を使いました。しかも、これのせいで商品は売れへんようになった」
最後に、緑の箱。
危険な作用を外し、売れる商品へ直す
「これが、ワシらのやった正常化です」
画面に、商品名が並ぶ。
象の珈琲
コーンスープ
煎餅
ラムネ
ヴィンテージワイン
LEDカレー
からあげ六式
「最初から美味かった部分を残して、余計なもんを外しました」
ジョーイ係長は一度、会場を見回した。
「結果、売れました」
画面に、売上を示す棒が伸びる。
難しい比率や細かな数字は出さない。
ただ、正常化前と正常化後。
二本の棒だけが並んでいる。
正常化前は短い。
正常化後は長い。
「ホテル、喫茶店、駄菓子店、酒販店から、継続注文をもろてます」
次の画面。
商品の返品。
重大な事故。
正常化後は、どちらもほぼゼロ。
「売れへんもんを売ろうとしたんやない」
ジョーイ係長は言った。
「危ないもんを、そのまま押しつけたんでもない」
ホテルから届いた要望書が表示される。
カレーと一緒に注文できる肉料理が欲しい。
宴会や持ち帰りに使える料理を増やしたい。
「相手が欲しいもんを聞いて、うちに何があるかを探しました」
からあげ六式の写真。
旧版。
一個食べるだけで胃が降伏する唐揚げ。
正常化版。
家族連れが、一皿を分け合っている。
「ホテルには唐揚げが欲しいいう需要があった。うちには、味はええけど、油だけが盛大に間違っとるレシピがあった」
会場から、また少し笑いが起きる。
「ホテルの料理長と、うちの開発スタッフが一緒に直した」
正常化版の売上が表示される。
「今は、追加注文が来てます」
ジョーイ係長は胸を張った。
「求められたもんへ、うちが持っとる技術で応えた。相手は商品が増える。うちは売上が立つ」
「それが商売です」
難しい言葉ではない。
だが、会場の誰にでも意味が伝わった。
「正常化事業だけを見れば、黒字です」
ジョーイ係長は、次の画面へ進めた。
「それでも、特殊食品事業全体は赤字になっとる」
赤い箱が大きくなる。
「理由は簡単です」
ジョーイ係長は、壇上のシックスを一瞬見た。
「余計なもんを付けるのに、金を使いすぎました」
会場が静かになった。
シックスは何も言わない。
ただ、楽しそうにジョーイ係長を見ている。
「それだけやありません」
画面に、新たな項目が出る。
回収費
補償費
保管費
廃棄費
正常化費用
「余計な機能を付けたせいで、回収せなアカン。被害が出たら補償せなアカン。危ない在庫は封印して保管せなアカン」
ジョーイ係長は赤い箱を指した。
「赤い部分が、一回金を食う」
次に、回収費用。
「後始末でもう一回、金を食う」
最後に正常化費用。
「直すのに、さらに金を食う」
会場の奥から、低い声がした。
「三重の損失か」
「はい」
ジョーイ係長は答えた。
「味を作る金より、味と関係ないもんへ使った金の方が多い商品までありました」
株主たちが資料をめくる。
ざわめきが広がる。
ジョーイ係長は、手元の紙へ目を落とした。
「これが、うちの特殊食品事業の数字です」
一度、息を吸う。
「でも、これを全部まとめて、“食品開発部が失敗した”で終わらせるんは違います」
食品開発スタッフたちが、顔を上げた。
「美味いもんを作った人間と、余計なもんを付けろと命令した人間」
ジョーイ係長は言った。
「同じ責任やありません」
◇
報告が終わると、議長が質問を受け付けた。
最初に手を挙げたのは、前方に座る男性株主だった。
「正常化後の商品が黒字であることは理解しました」
「ありがとうございます」
「しかし、その利益は、過去の損失を回収するには不十分ではありませんか」
「今すぐ全部取り返せる額やありません」
「では、事業を廃止し、これ以上の損失を止める方が合理的では?」
会場が静かになる。
想定していた質問だった。
ジョーイ係長は答える。
「廃止すれば、今ある売上も消えます」
「赤字の原因となった事業でしょう」
「赤字の原因は、正常化事業やありません」
「同じ食品事業です」
「数字を一つにまとめたら、そう見えます」
ジョーイ係長は画面の青と赤を指した。
「でも、青は売れました。赤は損しました」
簡単な言葉だった。
「売れた方まで捨てたら、損した方だけが残ります」
男性株主は黙った。
「それから」
ジョーイ係長は鞄から一枚の書面を取り出した。
「A.K.D.ミラージュ騎士団総司令、ファルク・U・ログナー氏から、取引先としての評価書をいただいてます」
会場がどよめいた。
ジョーイ係長が読み上げる。
特殊食品正常化部門は、危険在庫を販売可能な資産へ転換した。
取引、品質、安全性に重大な問題なし。
同部門の縮小および廃止は、合理性を欠く。
男性株主の眉が動く。
「A.K.D.との継続取引があるのですか」
「はい」
「規模は?」
「守秘義務がありますので、ここでは言えません」
経理担当者が、小さく頷いた。
ジョーイ係長は胸の中で安堵した。
今の答えは間違っていないらしい。
「ただし」
ジョーイ係長は続ける。
「ログナー司令が“重大な問題なし”と書いたんは、かなり高い評価です」
「そうなのですか」
「普段は、アカンもんに“通行止め”言う人ですから」
何人かの株主が、資料の注釈を確認した。
そこには、A.K.D.側の安全確認記録が添付されている。
男性株主は着席した。
◇
次に立ったのは、年配の女性株主だった。
「数字の話は、あまり詳しくありません」
ジョーイ係長は少し身構えた。
「ですが、一つだけ教えてください」
「はい」
「なぜ、美味しいものに、そんな変なものを入れたのですか?」
会場が静まり返った。
ジョーイ係長も、数秒答えられなかった。
数百ページの資料。
複雑な費用。
長い経緯。
その全てを貫く、あまりにも単純な質問だった。
「……ワシも、それが聞きたいです」
思わず、本音が出た。
会場に笑いが広がる。
「失礼しました」
ジョーイ係長は、シックスを見る。
「会長の指示です」
女性株主は、シックスへ視線を移した。
「会長は、なぜ?」
議長が口を開こうとする。
しかし、それより早く、シックスが答えた。
「面白いからだ」
笑いが止まった。
女性株主が目を瞬く。
「美味しい料理を台無しにすることが?」
「ああ」
「会社のお金を使って?」
「そうだ」
「……それは、面白くありません」
女性株主は、きっぱりと言った。
シックスの笑みが、わずかに深くなる。
「そうか」
「少なくとも、私は嫌です」
「株主として?」
「食べる人間としてです」
女性株主はジョーイ係長を見る。
「普通に美味しいものを売ってください」
「はい」
ジョーイ係長は、深く頭を下げた。
「そのために、ここにおります」
◇
質問は続いた。
「正常化商品の安全性は、今後も保証できるのか」
「販売前に、社内と外部、両方の検査を入れます」
「ホテル一社へ依存していないか」
「喫茶店、駄菓子店、酒販店にも販路があります。今後は同じ商品を無理に広げるんやなく、それぞれの店に合うもんを提案します」
「過去の商品被害について、補償は終わっているのか」
「未完了分は別紙の通りです。売上が立ったからいうて、後始末を放り出す気はありません」
「責任者であるあなた自身の責任は?」
ジョーイ係長は、少し黙った。
「売れへん在庫を放置した期間があります」
「あなたが作ったのではないでしょう」
「せやけど、預かった後はワシの仕事です」
「では、処分を受けるのですか」
「必要なら受けます」
開発スタッフたちが、ざわめいた。
「ただし」
ジョーイ係長は言った。
「ワシ一人を処分して、何も直らんのやったら意味はないです」
質問した株主は、ゆっくり頷いた。
◇
空気が変わったのは、一人の株主が開発部門の責任を問い始めた時だった。
「ここまでの説明では、全て会長の判断が原因であるかのように聞こえます」
低い声。
財務担当取締役と関係の深い、大口株主だった。
「しかし、実際に特殊作用を開発し、商品へ加えたのは食品開発部です」
ジョーイ係長の表情が引き締まる。
「はい」
「危険性を理解していながら、なぜ拒否しなかったのですか」
「立場上、拒否できへんかった者もいます」
「命令されれば、何を作っても許されると?」
「許されるとは言うてません」
「では、現場にも相応の責任がある」
「あります」
開発スタッフたちが、息を詰める。
ジョーイ係長は否定しなかった。
「止められへんかった責任。作ってしもうた責任。それは、本人らも認めてます」
署名の入った紙を取り出す。
「これが、開発部からの言葉です」
大型画面へ映される。
危険性を理解しながら、止められなかった責任はあります。
それでも、最初に作った味まで失敗だったとは思いたくありません。
正常化された商品を、これからも作りたいと考えています。
大口株主は紙面を見る。
「つまり、自ら責任を認めている」
「そこだけ拾わんといてください」
「書かれていることです」
「最後まで読んでください」
「責任者として、あなたは彼らを処分すべきでは?」
「処分するかどうかは、ワシの権限やありません」
「では、あなたの考えは?」
ジョーイ係長は、開発スタッフたちを見る。
若いスタッフ。
開発主任。
LEDカレーの完成時、試食した客の言葉に涙を流した者。
からあげ六式の追加発注書を、何度も見直していた者。
「一括りにはせん」
「どういう意味ですか」
「危ないもんを作った責任は調べる」
ジョーイ係長は言った。
「でも、美味いもんを作った功績も調べる」
「同じ人間です」
「同じ人間やから、両方見なアカンのです」
大口株主は、首を横へ振った。
「甘い」
「そうかもしれません」
「組織の命令だったという証拠はあるのですか」
「指示書があります」
「会長の署名がないものも多い」
「口頭指示です」
「ならば、現場が会長の意向を勝手に推測した可能性もある」
「それは」
「会長が本当に、怪物強盗Xiへの嫌がらせを目的として命じた。その証拠は?」
会場の空気が、鋭く変わった。
ジョーイ係長は、シックスを見る。
シックスは笑っている。
何も答えない。
「会長」
ジョーイ係長が呼びかける。
「先日の会議で、あんたは認めましたね」
「何をだ」
「Xiを困らせるために、特殊作用を付けさせた」
「そうだったか?」
「この期に及んで、とぼけるんですか!」
会場がざわめく。
大口株主が言う。
「株主総会の場では、明確な証拠が必要です」
ジョーイ係長の指が、演台の端を強く握った。
わかっていた。
シックスは、質問されれば答えると言った。
だが、正しい形で質問されなければ答えない。
自分の悪意さえ、遊びに変える。
「証拠なら」
ジョーイ係長は、会場脇の扉を見る。
まだ、切る時ではないかもしれない。
数字だけで押し切れる可能性もある。
Xiを出せば、別の議論が始まる。
後継者。
創業家。
経営権。
本人が最も嫌がる話。
ジョーイ係長は迷った。
大口株主が畳みかける。
「証拠がないのであれば、現場の判断責任を明確にすべきです」
開発スタッフたちが俯く。
その時。
壇上の経理担当者が、小さく言った。
「係長」
「何です」
「責任の向きを、正常化するのでしょう」
ジョーイ係長は、一度目を閉じた。
「……せやな」
会場脇の係員へ合図を送る。
「参考人をお願いします」
ざわめきが広がった。
「参考人?」
「誰だ」
「食品開発の関係者か」
扉が開いた。
◇
控室。
Xiは椅子へ座り、壁へ背を預けていた。
「呼バレタ」
バクスチュアルが言う。
「聞こえてるよ」
Xiは立ち上がらない。
「Xiサン」
「帰ろうか」
「帰ル?」
「今なら、まだ間に合う」
会場から、ざわめきが聞こえる。
父親の会社。
父親の悪意。
自分を標的として作られた商品。
そのために人生や仕事を振り回された人々。
「僕には関係ない」
Xiは、いつもの言葉を口にした。
バクスチュアルは否定しなかった。
「ウン」
「会社がどうなっても」
「ウン」
「僕は会長にならない」
「知ッテル」
「責任も負わない」
「知ッテル」
「それでも行けって?」
「言ワナイ」
バクスチュアルは、Xiの正面へ立った。
「私ハ、ココニ居ル」
「一緒に来ないの?」
「Xiサン、話ス」
「君は?」
「待ッテル」
バクスチュアルは、ぎこちなく微笑んだ。
「戻ッテ来ル?」
Xiは、その微笑みを見た。
感情を持たないよう作られた彼女。
好き嫌いは設定されていないと語っていた彼女。
その彼女が、自分で選び、自分を待っている。
「待っていてくれる?」
「ウン」
「逃げたら?」
「手、取ル」
「やっぱり逃がしてくれないんだ」
「Xiサンノ、味方」
Xiは、困ったように笑った。
「それなら」
扉へ向かう。
「少しくらい、前へ進めるかな」
「ウン」
「行ってくる」
「待ッテル」
Xiは扉を開いた。
◇
株主総会会場へ、一人の青年が入ってくる。
変装していない。
派手な演出もない。
正面の通路を、普通に歩いてくる。
それでも、空気は一変した。
怪物強盗Xi。
シックスの体細胞から生み出された存在。
会長の子ども。
ヘキサクス社を幾度も襲い、シックスの悪意と対立してきた人物。
ざわめきが大きくなる。
「Xiだ」
「本物か?」
「なぜ、ここに」
Xiは演台の横まで来た。
ジョーイ係長が、小声で言う。
「ありがとうございます」
「まだ早いって言っただろ」
「来てくれただけで十分です」
「帰っていい?」
「終わってからにしてください!」
Xiのために、臨時のマイクが用意された。
議長が確認する。
「お名前と、会長との関係をお願いします」
Xiは、会場を見た。
「怪物強盗Xi」
堂々と名乗る。
「そこに座っているシックスの子どもだよ」
ざわめきがさらに大きくなる。
「本日は、特殊食品開発の目的について、証言されると」
「そうらしいね」
「あなたは、一連の商品開発の事情をご存じなのですか」
「全部じゃない」
Xiは答えた。
「僕に届いていないものもあるし、父は僕が知らない場所でも余計なことをするからね」
「では、何を証言できますか」
Xiは、シックスを見る。
父親と子ども。
二人の視線が、会場の中央でぶつかる。
「銀歯が抜けるカレー」
Xiが言う。
「赤い汗を出させるワイン」
「胃を降伏させる唐揚げ」
「人の生活や尊厳を、少しだけ不便にする食品」
会場のあちこちから、何とも言えない反応が漏れる。
「その多くは、僕への嫌がらせとして作られた」
大口株主が立った。
「その根拠は?」
「本人から何度も送られてきたから」
「贈答品では?」
「贈答品に、“Xiが困るまでの時間を計測せよ”なんて記録を付ける?」
会場が静かになる。
「父は、僕が困るところを見たい。そのために、会社の人間と金を使った」
「開発部も、それを理解していたのでは?」
「理解していた人もいるだろうね」
「ならば、彼らも共犯では?」
「責任がないとは言わないよ」
Xiは、ジョーイ係長と同じ答えをした。
「でも」
声が少し低くなる。
「開発部が、売れない商品を作ったんじゃない」
「何?」
「売れる商品に、父が売れなくなる理由を足したんだ」
会場が静まり返った。
LEDカレー。
からあげ六式。
コーンスープ。
最初の味は良かった。
商品として成立していた。
後から加えられた悪意が、それを壊した。
「カレーを作った人たちは、最初から銀歯を抜きたかったわけじゃない」
「唐揚げを作った人たちは、客の胃を止めたかったわけでもない」
「美味しいものを作った」
Xiは言った。
「父が壊した」
シックスが、そこで口を開いた。
「私を告発するのか、Xi」
「違うよ」
Xiは即座に答えた。
「僕は、この会社を助けに来たんじゃない」
「お前の父を追い落とすためでもない?」
「興味ないね」
「ならば、なぜ来た」
「間違った請求書が、違う人間へ送られそうだったから」
Xiは、開発スタッフたちを見る。
「僕への嫌がらせなら、請求書の宛先は僕でも、開発部でもない」
視線を、再びシックスへ戻す。
「あなたでしょう?」
会場が揺れた。
言葉にならないどよめき。
ジョーイ係長は、演台の下で拳を握る。
シックスは笑っていた。
怒っているようには見えない。
むしろ、嬉しそうだった。
「そうだ」
シックスが言った。
一言。
だが、会場全体を止めるには十分だった。
「特殊作用の追加は、私が命じた」
財務担当取締役が顔色を変える。
「会長!」
「銀歯を抜く辛味も、胃を降伏させる油も、赤い汗を出させる成分も」
シックスは淡々と続ける。
「私の悪意だ」
「会長、発言を」
「私の悪意を、他人の失敗へ変えるな」
財務担当取締役が黙った。
開発スタッフたちが、一斉に顔を上げる。
Xiが言う。
「そういうところだけは正直だね」
「私の作品だからな」
「作品扱いするな!」
ジョーイ係長が叫んだ。
「会社の損失です!!」
緊張の糸が一瞬だけ緩む。
会場の何人かが、思わず笑った。
シックスはジョーイ係長を見る。
「証明されたぞ」
「誰のせいで、こんな大ごとになったと思ってるんです!」
「私だ」
「堂々と言うな!!」
◇
証言が終わった。
Xiはマイクから離れる。
議長が言った。
「Xi氏。参考人としてのご協力に感謝します」
「もう帰っていい?」
「お待ちください」
「何で?」
前方から、一人の株主が手を挙げた。
「Xi氏へ質問があります」
「嫌な予感しかしないな」
「あなたは、ヘキサクス社の経営へ関与する意志がありますか」
Xiの表情が消えた。
「ない」
「会長の子どもとして、後継者になる可能性は?」
「ない」
「しかし、社員の立場を理解し、会長へ対抗できる人物は貴重です」
「僕は怪物強盗だよ」
「現在の会長より、社員を見ているのでは?」
会場の後方から、微かな声。
「確かに」
「少なくとも話が通じる」
「次期会長候補として」
「待って!」
Xiがマイクを掴んだ。
「その話はしないって約束だっただろ!」
ジョーイ係長が立ち上がる。
「議長! その件は本日の議案にありません!!」
「次回の議案として検討を」
「検討もせんでええです!!」
別の株主が言う。
「社外取締役なら」
「もっと嫌だよ!」
「顧問」
「何の顧問!?」
「特殊食品被害者代表」
「そんな肩書まで作るな!」
開発スタッフの席から、笑いが漏れた。
シックスは楽しそうにXiを見ている。
「人気だな、Xi」
「あなたのせいだろ!」
「私を退かせ、お前を玉座へ縛りつける」
「最悪の嫌がらせを思いついた顔をするな!」
控室の扉が、少しだけ開いた。
バクスチュアルが顔を出す。
「Xi会長?」
「君まで言わないで!!」
「違ウ?」
「絶対違う!」
「デハ、帰ル?」
「今すぐ帰る!」
ジョーイ係長が慌てる。
「議決が終わるまで待ってください!」
「僕の役目は終わっただろ!」
「最後までおった方が安全です!」
「何が!?」
「外で報道陣に囲まれます!」
Xiは黙った。
「……控室へ戻る」
「それがええです」
「ジョーイ係長」
「何です?」
「二度と呼ばないで」
「次回がなければ」
「ある言い方だね!?」
Xiはバクスチュアルのいる控室へ戻っていった。
扉が閉じる直前。
バクスチュアルがXiの手を取るのが見えた。
◇
議長が場を整え直した。
「それでは、特殊食品事業に関する今後の方針について、取締役会からの提案を説明します」
画面に、四つの項目が表示された。
一、特殊食品正常化事業を正式な継続事業とする。
二、食品へ特殊作用を追加する場合、安全性、販売可能性、費用の審査を義務づける。
三、会長または役員の私的な目的による開発費は、通常の食品開発費と分けて記録する。
四、正常化事業の利益の一部を、功績のあった社員への特別賞与へ充てる。
ジョーイ係長の目が、最後の項目で止まった。
「特別賞与?」
経理担当者が頷く。
「先ほど追加されました」
「誰が?」
「複数の株主から、書面提案がありました」
「ボーナス……」
会長の意味不明な食品開発によって、会社の利益が減った。
その結果、名前もなかった営業スタッフのボーナスが削られた。
彼はただ、叫んだ。
会社の商品は売るために作れ!!
その叫びから、全てが始まった。
「係長」
経理担当者が言う。
「今は議決中です」
「すみません。ちょっと感慨が」
「まだ決まっていません」
「現実に戻すん早いな!」
株主から質問が出た。
「会長の私的な目的とは、どこまでを指すのか」
ジョーイ係長が答える。
「客へ売ることより、特定の相手を困らせることを優先した開発です」
「具体的には?」
「対Xi反応確認費、Xi嗜好調整研究費、Xi贈答用特殊加工費」
「ほぼXi氏では?」
「はい」
「会長個人へ請求すべきでは?」
会場がざわつく。
ジョーイ係長がシックスを見る。
シックスは何も答えない。
財務担当取締役が口を挟む。
「会社の研究成果となる場合、全額を個人負担とすることは」
「研究成果が銀歯を抜くカレーですよ?」
年配の女性株主が言った。
「私は会社のお金を使ってほしくありません」
「私もです」
「少なくとも、取締役会の承認を必要とすべきだ」
「費用を分け、株主へ見えるようにしてほしい」
意見が広がっていく。
ジョーイ係長は思った。
数字を隠さず、正しい場所へ置いた。
それだけで、株主は判断できる。
誰かが全部を決めるのではない。
見えるようにする。
問えるようにする。
止められるようにする。
それが、会社を正常化するということなのかもしれない。
「会長」
議長がシックスへ尋ねる。
「本提案について、何か発言はありますか」
シックスは、ゆっくり立ち上がった。
会場全体が静まる。
「私の悪意が、会社にどれほどの価値を持つか」
ジョーイ係長の顔が曇る。
「また始まった……」
「今日、株主は一つの答えを出した」
シックスは続ける。
「私の悪意は、商品として採算が合わない」
「当たり前です!」
「ジョーイ」
「何です!」
「お前の普通の商売は、利益を生んだ」
ジョーイ係長は、言葉を止めた。
「危険な在庫を止め、直し、売った」
「はい」
「取引先を増やし、開発者の技術を資産へ戻した」
「はい」
「私の悪意より価値があると、数字で示した」
シックスは笑った。
「ならば、使えばいい」
「提案に賛成するんですか」
「ああ」
財務担当取締役が驚く。
「会長!」
「私を止める仕組みが、本当に私を止められるのか」
シックスの笑みが深くなる。
「見せてもらおう」
「承認理由が怖いわ!!」
「面白いだろう?」
「明日からその言葉、申請制にしますよ!」
「それも提案へ加えるか?」
「本気で検討します!!」
◇
議決が始まった。
賛成。
反対。
棄権。
集計が進む。
会場の大型画面へ、結果が表示される。
特殊食品正常化事業の継続
可決
開発スタッフたちが、息を吐いた。
特殊作用追加時の審査義務化
可決
ジョーイ係長が拳を握る。
私的目的の開発費分離および開示
可決
財務担当取締役が、苦い顔で資料を閉じる。
そして最後。
正常化事業の利益を原資とする特別賞与
可決
一瞬。
ジョーイ係長の耳から、会場の音が消えた。
「……通った?」
経理担当者が答える。
「可決です」
「開発スタッフのボーナスは?」
「支給対象です」
「営業管理部は?」
「功績を確認した上で、支給対象となります」
「ワシは?」
「責任者ですので、対象です」
ジョーイ係長は、演台へ両手をついた。
肩が震える。
「係長?」
経理担当者が心配そうに呼ぶ。
ジョーイ係長は顔を上げた。
「勝ったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
株主総会会場へ、営業係長の叫びが響いた。
開発スタッフたちが立ち上がる。
拍手。
最初は小さかった。
次第に広がる。
取引先の信用。
開発者の技術。
正常化された商品。
売上。
数字。
そして、失われかけたボーナス。
全てが、一つの議決へつながった。
「ジョーイ係長」
議長が咳払いする。
「まだ閉会していません」
「すみません!」
ジョーイ係長は慌てて姿勢を正した。
「でも、これは叫んでもええでしょう!」
年配の女性株主が笑う。
「少しくらいなら、よいのでは?」
「ありがとうございます!」
「普通に美味しいものを、これからもお願いします」
「任せてください!」
「変なものは?」
「通行止めにします!」
会場に笑いと拍手が広がった。
◇
株主総会は、予定時間を大幅に超えて終了した。
役員たちが退席する。
株主たちも、次々と会場を出ていく。
ジョーイ係長は、演台の前で深く息を吐いた。
「終わった……」
足から力が抜ける。
椅子へ座り込んだ。
開発スタッフたちが集まってくる。
「係長」
「ありがとうございました」
「私たちのことを」
「礼は、売上で返してください」
ジョーイ係長は、疲れた顔で笑った。
「もっと美味いもん作って、もっと売らせてください」
「はい」
「ただし」
指を立てる。
「余計な効果は絶対付けるな」
「はい!」
「会長が命令してきたら?」
「審査へ回します」
「勝手に作ったら?」
「通行止めです」
「よし!」
ジョーイ係長は立ち上がった。
そこへシックスが近づいてくる。
開発スタッフたちの表情が強張る。
「会長」
「ジョーイ」
「何です?」
「お前は、私の会社を守った」
「違います」
ジョーイ係長は即答した。
「ワシが守ったんは、取引先と、働いとる人らです」
「結果は同じだ」
「そこが腹立つんです」
「ならば、次も正常化しろ」
「次を作る気ですか!?」
「審査を通せばいいのだろう?」
「通す前提で言うな!!」
シックスは笑った。
「ボーナスは守れたな」
「はい」
「そのために、株主総会まで動かしたか」
「最初から、こんな大ごとにする気はなかったんです!」
「だが、ここまで来た」
「誰のせいや!」
「私だ」
「最後まで堂々と言うな!」
シックスは、控室の方を見る。
「Xiは?」
「帰る準備してます」
「私の会社を守って帰るのか」
「本人の前で言わん方がええですよ」
「なぜだ」
「今度こそ会社ごと盗まれます」
「それも面白い」
「面白がるな!」
◇
控室。
Xiは椅子へ座り、バクスチュアルから差し出された珈琲を飲んでいた。
「普通の珈琲?」
「ウン」
「よかった」
扉が開く。
シックスが入ってくる。
Xiは露骨に嫌そうな顔をした。
「帰っていい?」
「私へ聞くな」
「じゃあ帰る」
「Xi」
「何?」
「私の会社を守った気分はどうだ」
「最悪だね」
「社員から支持されていたぞ」
「もっと最悪だ」
「次期会長候補として」
「その話を続けたら、今すぐ金庫を全部空にするよ」
「怪物強盗らしいな」
「あなたの会社を守ったんじゃない」
Xiはカップを机へ置いた。
「僕は、間違った請求書を返しただけだ」
「結果は同じだ」
「ジョーイ係長と同じことを言ってる」
「彼も、お前も、私の会社へ利益を残した」
「気に入らないな」
「なぜだ」
「あなたに得をさせたみたいだから」
「ならば、次は私から奪うといい」
「言われなくても、そうするよ」
二人の間に、冷たい笑みが交わされる。
バクスチュアルが、Xiの手へ触れた。
「帰ル?」
「うん」
シックスが彼女を見る。
「お前がXiを連れてきたのか」
バクスチュアルは首を横へ振った。
「違ウ」
「では、誰が」
「Xiサン、自分デ来タ」
シックスの目が、わずかに細くなる。
「私ハ、手ヲ取ッタ」
「そうか」
「帰ル時モ、取ル」
「好きにしろ」
バクスチュアルはXiの手を握った。
「行コウ」
「うん」
Xiは立ち上がる。
シックスの横を通り過ぎる。
「父さん」
珍しく、Xiがその呼び方をした。
シックスが振り返る。
「次に僕を困らせたいなら、自分のお金でやって」
シックスは、初めて少しだけ意外そうな顔をした。
そして笑う。
「検討しよう」
「やらないとは言わないんだね」
「悪意に採算を求めるな」
「株主は求めるよ」
Xiは扉を開けた。
バクスチュアルと一緒に、控室を出ていった。
◇
建物の外。
空は青かった。
雲は少ない。
朝から続いていた緊張が、嘘のような天気だった。
バクスチュアルが空を見上げる。
「良イ天気」
「そうだね」
「良イコト、アル?」
「今日は、もう十分あった気がするけど」
「Xiサン、前ヘ進ンダ?」
Xiは、会社の建物を振り返った。
嫌いな場所。
近づきたくなかった場所。
父親の影が、あまりにも濃い場所。
それでも、自分の足で入り。
自分の言葉を置き。
自分の足で出てきた。
「少しだけね」
「上リ坂?」
「かなり急だったよ」
「辛カッタ?」
「すごく面倒だった」
「逃ゲタカッタ?」
「今も逃げたい」
バクスチュアルは、ぎこちなく微笑んだ。
「デモ、私、待ッテタ」
「知ってる」
「手、取ル?」
「もう取ってるだろ」
二人の手は、すでにつながっている。
「離ス?」
「……今日は、そのままでいいよ」
「ウン」
Xiは歩き始めた。
「お腹空いた?」
「ウン」
「またあのレストランへ行こうか」
「LEDカレー?」
「株主総会の後までクソ親父の会社の商品は、ちょっと重いな」
「普通ノ、ランチ?」
「それがいい」
「一緒ニ食ベル?」
「そのために誘ったんだよ」
「支払イハ?」
Xiは少し考えた。
「今日は僕が出す」
「彼女ノ分モ?」
Xiの足が止まる。
バクスチュアルは、真っすぐ彼を見る。
「……その言葉、覚えてたんだ」
「ウン」
「意味は、まだ決まってないよ」
「決メル?」
「今すぐじゃなくていい」
「一緒ニ、歩ク?」
「うん」
「ナラ、良イ」
二人は再び歩き出した。
どんなに上り坂が辛くても。
ここから、前へ進める。
君がそこで微笑んでくれるなら。
君がいつも微笑んでくれるから。
◇
その頃。
社内の会議室では、経理担当者がジョーイ係長へ新しい書類を渡していた。
「正常化事業の正式な組織化に伴い、辞令が出る予定です」
「昇進ですか!?」
「特殊食品正常化室の責任者を兼務していただきます」
「役職は?」
「係長です」
「変わらへんのかい!!」
「業務権限は増えます」
「給料は?」
「人事部で検討中です」
「仕事だけ先に増やすな!!」
「五千枚作成した名刺は、そのまま使用できます」
ジョーイ係長は、机の上の名刺箱を見る。
特殊食品在庫正常化責任者
ジョーイ
「……そこは助かった」
「なお、名刺の裏面へ“正常化室責任者兼務”のシールを貼ります」
「五千枚全部に?」
「はい」
「誰が貼るんです?」
「正常化室で」
「ワシらやないか!!」
会議室に、最後の叫びが響いた。
商品は正常化された。
数字も正常化された。
責任の向きも、少しだけ正された。
怪物強盗は、自分の足で前へ進んだ。
そしてジョーイ係長の仕事は。
正常化されるどころか、また少し増えた。