守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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夕食の片づけが終わる頃には、
別荘の外はもうすっかり夜の色に沈んでいた。

山の空気はひんやりとしていて、
窓を少し開けると、
木々の匂いと遠くの虫の声が静かに流れ込んでくる。

リビングでは、
食後のゆるんだ空気が広がっていた。

弥子はソファに沈み込みながら、満足げに腹をさする。

「はー……」
「食った食った……」
「カレーって、やっぱり正義ね……」

ネウロが横から鼻で笑う。

「ククク……
たかが香辛料煮込みでここまで幸福そうな顔をする」
「人間は安上がりだな」

「うるさいわね!」
弥子。
「おいしいものはおいしいの!」

承太郎は壁際でコーヒーを飲んでいた。
食後のこの時間になっても、ほとんど崩れないのがこの男である。

「騒ぐな」
とだけ言う。

「食後くらいちょっとはいいでしょ!」
弥子。

「ちょっとじゃ済まねぇだろ」
承太郎。

泉が思わず頷いた。

「それはそう」

キラはテーブルの端で、コップに例の乳酸菌飲料を少しだけ注いでいた。

弥子が見つけて笑う。

「出た」
「キラの安眠ドリンク」

「言い方!」
キラ。
「いや、でも……今日はちょっと助かるかも……」

ラクスが穏やかに微笑む。

「そうでしょう?」
「少しでもお休みになれたほうがよろしいですもの」

アウクソーも静かに言う。

「胃腸薬もあります」
「必要でしたら後ほど」

キラが少しだけ遠い目になる。

「備えが完璧すぎて逆に不安なんだけど」

カイエンはグラスに水を注ぎながら言った。

「やれやれ」
「ここまで備えられると、坊やもいよいよ病人扱いだな」

「病人じゃないですよ!?」
キラ。

「だが、かなり消耗はしている」
露伴が真顔で言う。
「今日だけで見ても、運転、買い出し、調整、炊事補助、会話の交通整理と」
「役割が多すぎる」

「数えないでください!」
キラ。

泉がぼそりと呟く。

「でも、たしかにキラくんが一番働いてましたよね……」

「泉さんまで!?」

ラクスはごく自然に言った。

「キラはそういう方ですもの」

キラは頭を抱えた。

「褒められてるのに、全然気が休まらない……」


岸辺露伴は招いてしまう その5

露伴はソファの背にもたれながら、

今日の空気をじっと見ていた。

 

食後の疲れ。

満腹の緩み。

それでも崩れない人間関係の距離。

 

「いい」

と露伴が小さく呟く。

 

泉が即座に反応する。

 

「センセ、その“いい”がいちいち怖いんですよ」

 

「怖がるな」

露伴。

「今のは純粋な感想だ」

「満腹のあと、人間は少しだけ本音が出やすくなる」

 

弥子が眉をひそめる。

 

「うわ、またそういう目で見てたの」

 

「見ていた」

露伴。

 

「堂々と言うな!」

 

ネウロがくつくつ笑う。

 

「ククク……

よいではないか」

「“食後の弛緩”とは実に人間らしい」

 

「おまえも同じだろ」

キラ。

 

「吾輩は美食のあとでも隙を見せん」

ネウロ。

 

「見せてるから言ってるんだよ」

キラ。

 

カイエンがそのやりとりを横目で見ながら言う。

 

「たまにはこういうのもいいだろう」

「あの若いのがいると、面白いのも事実だがね」

 

承太郎が小さく頷いた。

 

「たしかに……それはあるな」

 

キラがぴたりと止まる。

 

「えっ」

 

弥子がすぐに反応する。

 

「うわ、何今」

「本人のいないところでだけ評価する大人の悪い癖!」

 

「今いるだろ」

承太郎。

 

「そういう問題じゃないの!」

弥子。

 

キラは苦笑するしかない。

 

「いや、でも……」

「ありがとうございます?」

 

「疑問形になるのも分かるな」

泉。

 

ラクスが静かに言った。

 

「キラがいらっしゃると、皆さま自然にまとまっておられますもの」

 

アウクソーも続ける。

 

「ええ」

「気遣いが自然です」

 

キラは本気で困った顔になる。

 

「やめてくださいよ、そうやって改めて言われるとほんとに逃げ場がないんですけど」

 

露伴はその表情まで見逃さない。

 

「非常にいい」

「評価され慣れていない善人の顔だ」

 

「だから取材しないでってば!」

 

______________________________

 

 

しばらくして、

泉がレシートの束を整理し始めた。

 

買い出し分、消耗品、追加の飲み物。

別荘に来てまだ初日だというのに、

それなりの量になっている。

 

泉が紙を見ながら言う。

 

「……思ったより使ってますね」

 

弥子がソファから身を起こす。

 

「そりゃ九人もいればそうでしょ」

 

「しかもまだ初日だし」

キラ。

「明日の朝食とか昼とか考えたら、また買い足し出るよね」

 

アウクソーが静かに頷く。

 

「はい」

「食材の回転は早いかと」

 

「主に弥子のせい?」

泉。

 

「失礼ね!」

弥子。

「でもまあ、ちょっとはそう!」

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……

食材の消耗速度において、騒音娘は主力だな」

 

「うるさい!」

 

その時、カイエンがレシートの束をちらりと見て、気だるげに言った。

 

「やれやれ」

「しゃーない」

「ここはAKDに費用負担してもらうか」

 

沈黙。

 

泉が顔を上げる。

 

「は?」

 

キラも止まる。

 

「え?」

 

弥子が目を輝かせた。

 

「うわ出た!」

「公費でカレー!」

 

「言い方がひどいな」

カイエン。

 

ネウロは実に楽しそうだ。

 

「ククク……

よい」

「国家規模の食費精算とは、なかなか見ぬ光景だ」

 

承太郎が低く言う。

 

「くだらねぇな」

 

ラクスは手元のカップを置いて、少しだけ首を傾げた。

 

「まあ……」

「それはまた、ずいぶん大胆なご判断ですわね」

 

アウクソーが静かに確認する。

 

「マスター」

「本気ですか」

 

「半分はな」

カイエン。

「ミラージュナイト権限ってやつだ」

 

泉が即座に言う。

 

「絶対だめでしょ!」

 

「だめってこともない」

カイエンは肩をすくめた。

「避暑地での共同生活費、食材費、雑費――」

「まあ、そのへんで落とせるだろう」

 

「“そのへん”で国家予算を使うな!」

キラ。

 

露伴の目が光る。

 

「いい」

「非常にいい」

「“公的権力と私的食欲の境界”――」

 

「露伴は黙ってて!!」

今度は全員かなり綺麗に揃った。

 

カイエンはまったく悪びれず続ける。

 

「何だい」

「別に酒池肉林してるわけでもあるまいし」

「カレーと肉と少々の酒だぞ」

 

「“少々”って言う人に限って少なくないんですよ」

泉。

 

アウクソーがレシートを受け取り、目を通す。

 

「用途の記載は正確にしたほうがよいかと」

 

「じゃあ何て書く?」

カイエン。

 

「“共同生活費”では曖昧です」

アウクソー。

「“食材費”“飲料費”“雑費”で分けたほうが自然かと」

 

ラクスが小さく微笑んだ。

 

「その分け方は、わりとちゃんとしておりますわね」

 

「当然です」

アウクソー。

 

キラが頭を抱える。

 

「なんで“本当に処理する前提”で話が進んでるんだろう……」

 

カイエンは平然としている。

 

「やれやれ」

「じゃあ明細は君に任せよう、アウクソー」

 

「承知しました」

アウクソー。

「ただし、後で確認はされるかと思います」

 

弥子がすぐ反応する。

 

「誰に?」

 

アウクソーは一瞬だけ間を置いた。

 

「……上から、でしょうか」

 

カイエンが口元を上げる。

 

「まあな」

「何に使ったか、気になる御仁はいるだろうさ」

 

露伴がその言葉を聞き逃さない。

 

「ほう」

 

泉も嫌な予感に顔をしかめる。

 

「……センセ」

「今、“新しい取材対象”を見つけた顔しました?」

 

「した」

露伴。

 

「素直!!」

 

承太郎が深く息を吐いた。

 

「やれやれだぜ……」

 

______________________________

 

 

その空気を切り替えるように、

ラクスが窓の外を眺めながら言った。

 

「でも、こちらの別荘」

「夜の空気がとても気持ちよいですわね」

 

キラもつられて窓の外を見る。

 

「うん」

「星も見えそうだし」

 

弥子が立ち上がる。

 

「ねえ、ちょっと外見てきていい?」

「散歩がてら!」

 

泉がすぐ止める。

 

「暗いですから、あんまり離れないでくださいね」

 

「はーい」

と言いながら、

弥子はもうテラスのほうへ出ている。

 

数秒後。

 

「えっ」

 

声がした。

 

キラが振り向く。

 

「どうしたの弥子」

 

弥子が窓越しに叫ぶ。

 

「ちょっと待って!」

「なにこれ!?」

 

全員がぞろぞろとテラスへ出る。

 

夜気の中、別荘の裏手へ続く小道がある。

その先に、木立に半分隠れるようにして、

小さな湯気が上がっていた。

 

泉が目を丸くする。

 

「……うそ」

「これ、温泉?」

 

アウクソーが先へ出て、静かに確認する。

 

「露天風呂のようです」

「源泉が引かれているのでしょうか」

 

弥子が目を輝かせる。

 

「露天!?

別荘の裏に!?」

「最高じゃん!!」

 

キラも驚いている。

 

「えっ、聞いてなかったんだけど」

 

露伴が腕を組む。

 

「だからここにした」

 

泉が振り向く。

 

「やっぱり設備込みで選んでたんですね!?」

 

露伴は当然のように言う。

 

「温泉は、人間の警戒を一段階ほど解く」

「会話の質が変わる」

 

「そこまで計算してるの怖いよ!」

キラ。

 

ネウロが口元を吊り上げる。

 

「ククク……

人間は湯に浸かると脆くなるからな」

 

承太郎がすぐ言う。

 

「おまえは入るな」

 

「何だと?」

ネウロ。

 

「そのままだ」

承太郎。

 

ラクスは静かに湯気の向こうを見ていた。

 

「とても素敵ですわね」

「せっかくですし、使わせていただきましょうか」

 

弥子が元気よく手を挙げる。

 

「はい!」

「女子先!!」

 

「まあ、それが自然ですわね」

ラクス。

 

アウクソーも頷く。

 

「ええ」

「先に女性陣が入り、そのあと男性陣でよろしいかと」

 

キラがほっとしたように言う。

 

「混浴とか言い出す人がいなくてよかった……」

 

カイエンが横で笑う。

 

「残念だったな、坊や」

 

「残念じゃないですよ!?」

 

泉が咳払いをする。

 

「じゃあ、女子が先で」

「そのあいだ男性陣はリビング待機、でいいですね?」

 

承太郎が短く答える。

 

「ああ」

 

露伴はもうメモしている。

 

「いい」

「“露天風呂があると知った瞬間の人間の顔”――」

 

「またやってる!」

弥子。

 

アウクソーが静かに言った。

 

「では、入浴に必要なものを準備します」

 

ラクスが微笑む。

 

「ご一緒いたしましょうか」

 

「お願いします」

アウクソー。

 

泉も慌ててついていく。

 

「え、ちょっと待って」

「女子会トークが濃そうで今から不安なんですけど」

 

弥子はもう完全に楽しみな顔だ。

 

「それはそれで面白いじゃん!」

 

「君はそう言うと思ったよ……」

キラ。

 

 




こうして、
初日の夜はさらに次の段階へ進むことになった。

・女子は露天風呂へ
・男子はリビング待機
・そのあと男子風呂
・そしてそのあと、やっと就寝

理屈の上ではそうだ。

だが、この別荘で
理屈どおりに物事が終わるかどうかは、まだ分からない。

露伴は今日最後のメモを取る。

・食費増大
・AKD経費処理の可能性
・上からの確認フラグ
・露天風呂あり
・会話の質、さらに変化の予感
・非常によい

最後に、少しだけ迷って書き足す。

――まだ一日目の夜である。

その一文の重さに、泉だけが気づいていた。

「……センセ」
「“まだ”って付けるの、やめません?」

露伴は振り向かずに答えた。

「無理だ」

泉は小さく空を仰いだ。

「でしょうね……」
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