守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
夕刻。
ホテルのロビー。
イエッタは、待ち合わせ時刻の少し前に到着していた。
いつものように姿勢を正し。
静かに立っている。
そこへ。
白いコートをまとった男が歩いてきた。
ファルク・U・ログナー。
A.K.D.ミラージュ騎士団総司令。
そして。
イエッタのマスター。
「待たせたか。」
「いいえ。」
イエッタは微笑む。
「私も、今来たところです。」
ログナーが時計を見る。
「予定通りだ。」
「はい。」
「行くぞ。」
「はい、マスター。」
二人は並んで歩き始めた。
行き先は。
以前から何度も利用しているホテルレストラン。
ただし。
今日の目的は、いつもとは少し違う。
ヘキサクス社へ出張派遣されているイエッタ。
その労をねぎらうための食事だった。
少なくとも。
ログナー本人は、そう説明していた。
◆
レストラン。
二人は窓際の席へ案内された。
夜景がよく見える場所だった。
イエッタが椅子へ座る。
「綺麗ですね。」
「ああ。」
ログナーはメニューを開いた。
「今日は限定コースを予約してある。」
「ありがとうございます。」
「お前がまだ食べていないものを選んだ。」
イエッタが顔を上げる。
「私が?」
「そうだ。」
「以前、マスターがお召し上がりになったコースでしょうか。」
「ああ。」
イエッタは少しだけ目を細めた。
「覚えていてくださったのですね。」
ログナーは当然のように答える。
「忘れる理由がない。」
「…………。」
「どうした。」
「いいえ。」
イエッタはメニューへ視線を戻した。
「嬉しいです。」
ログナーは。
ほんの一瞬だけ。
何も言わなかった。
「そうか。」
それだけだった。
◆
料理が運ばれてくる。
スープ。
前菜。
パン。
そしてホテル側が正常化した、いくつかの料理。
イエッタは一つずつ味わっていた。
「美味しいです。」
「ああ。」
「マスター。」
「何だ。」
「ご自分のお料理も召し上がってください。」
ログナーの手が止まる。
「食べている。」
「先ほどから、私の反応ばかり確認されています。」
「異常がないか見ているだけだ。」
「本日は検査ではありません。」
「分かっている。」
「では。」
イエッタは少し微笑む。
「マスターも、お食事を楽しんでください。」
ログナーは。
以前。
トニオ・トラサルディーの店でも。
似たことを言われたのを思い出した。
「……前にも言われたな。」
「はい。」
「覚えている。」
「でしたら。」
イエッタはスープを一口飲む。
「今日は、実践してください。」
ログナーがわずかに眉を上げる。
「手厳しいな。」
「マスターがお仕事を始めてしまいますので。」
「癖だ。」
「存じています。」
ログナーもスープへ手を伸ばした。
イエッタは満足そうに頷いた。
◆
そして。
メイン料理。
牛ほほ肉の赤ワイン煮込み。
ヘキサクス社が所有していた、希少なヴィンテージワイン。
そのまま飲めば問題のある特殊作用を持つ。
しかし。
十分な加熱により、原因となる作用は失われる。
料理長は、その特性を利用し。
長時間煮込む料理へと仕上げた。
数量限定。
今では、このレストランの特別な一皿だった。
ウェイターが皿を置く。
「牛ほほ肉の赤ワイン煮込みでございます。」
イエッタが料理を見る。
「これが。」
「ああ。」
ログナーが答える。
「例のワインを使っている。」
「マスターは以前、召し上がっていますね。」
「そうだ。」
「美味しかったですか?」
「ああ。」
即答だった。
イエッタは少し笑う。
「では。」
ナイフを入れる。
肉は驚くほど柔らかく。
ほとんど力を入れずに崩れた。
ソースと共に一口。
「…………。」
ログナーが見る。
「どうだ。」
イエッタはゆっくり飲み込んだ。
「美味しいです。」
「そうか。」
「はい。」
もう一口。
「赤ワインの香りが、とてもよく残っています。」
「ああ。」
「ですが。」
「何だ。」
イエッタはログナーを見る。
「マスターが美味しいと仰った理由が。」
「少し分かった気がします。」
ログナーは静かに答えた。
「そうか。」
「はい。」
二人はまた料理を口へ運ぶ。
同じ皿。
同じ味。
同じ時間。
言葉は多くない。
それでも。
イエッタにとっては。
十分だった。
◆
しばらくして。
ログナーが口を開いた。
「ヘキサクスでの勤務はどうだ。」
イエッタは苦笑する。
「マスター。」
「何だ。」
「またお仕事のお話ですか。」
「確認だ。」
「本日は慰労では?」
「だからこそ聞いている。」
イエッタは少し考えた。
「問題ありません。」
「負担は。」
「ありません。」
「無理をしていないか。」
「しておりません。」
「ならいい。」
ログナーは頷いた。
イエッタは少し黙る。
そして。
「ですが。」
「何だ。」
「一つだけ。」
「言え。」
「ヘキサクスへ派遣されてから。」
少し間を置く。
「マスターとお会いする時間は、以前より減りました。」
ログナーが止まる。
「…………。」
イエッタは続ける。
「勤務上の問題ではありません。」
「そうか。」
「はい。」
「なら何だ。」
イエッタは少しだけ視線を逸らした。
「私的な感想です。」
ログナーは。
何も言わなかった。
ただ。
その言葉を受け取った。
しばらくして。
「派遣勤務は、まだ続く。」
「はい。」
「次の休暇は。」
「はい。」
「空けておけ。」
イエッタが顔を上げる。
「任務でしょうか。」
「違う。」
「では?」
ログナーは淡々と言った。
「また食事をする。」
イエッタは。
ほんの少し。
本当に少しだけ。
嬉しそうに笑った。
「はい。」
「マスター。」
◆
食事を終え。
二人はレストランを出た。
イエッタが尋ねる。
「この後は、お戻りになりますか。」
「いや。」
ログナーはエレベーターへ向かう。
「まだ時間がある。」
「?」
「バーへ行く。」
「バー?」
「少し飲む。」
イエッタは少し意外そうな顔をする。
「マスターからお誘いいただけるとは思いませんでした。」
「嫌か。」
「いいえ。」
「では行くぞ。」
「はい。」
◆
ホテル上階。
バーラウンジ。
照明は控えめ。
大きな窓の向こうには、街の夜景が広がっている。
二人はカウンターではなく。
窓際の小さなテーブル席へ座った。
ログナーはウイスキー。
イエッタは軽めのカクテル。
グラスが置かれる。
ログナーが一口。
イエッタもゆっくりと味わう。
「いかがですか。」
「悪くない。」
「そうですか。」
「お前は。」
「美味しいです。」
それだけ。
しばらく二人は。
何も話さなかった。
ただ。
静かな音楽と。
夜景と。
酒を楽しんでいた。
やがてログナーが口を開く。
「ヘキサクスで何か問題が――」
「マスター。」
止められた。
「……何だ。」
「今日は、もうお仕事のお話は終わりにしましょう。」
「…………。」
「せっかくですから。」
ログナーはグラスを見る。
「……そうだな。」
イエッタが少し微笑む。
「珍しいですね。」
「何がだ。」
「素直です。」
ログナーがイエッタを見る。
「私を何だと思っている。」
「マスターです。」
「なら問題ない。」
「はい。」
少しの沈黙。
イエッタが口を開いた。
「マスター。」
「何だ。」
「今日は。」
「私を労ってくださるためのお食事だったのですね。」
「ああ。」
「では。」
ログナーを見る。
「マスターは。」
「誰に労っていただくのですか。」
ログナーの手が止まる。
「…………。」
イエッタは静かだった。
「ミラージュ騎士団総司令として。」
「バビロン国王として。」
「陛下のお側に仕える者として。」
「いつも。」
「誰かのために動いておられます。」
ログナーは何も言わない。
「ですから。」
イエッタは柔らかく微笑む。
「今夜くらいは。」
「私がお付き合いします。」
「…………。」
ログナーは。
少しだけ。
表情を緩めた。
「そうか。」
「はい。」
二人のグラスが。
静かに触れた。
◆
時計の針が進む。
バーを出る頃には。
夜もかなり深くなっていた。
エレベーター前。
イエッタが尋ねる。
「これから、お戻りですか。」
「いや。」
ログナーは答えた。
「部屋は取ってある。」
イエッタが。
一瞬だけ止まった。
「…………。」
「どうした。」
「いいえ。」
ログナーは続ける。
「この時間から移動する必要はない。」
「はい。」
「警備と避難経路も確認してある。」
イエッタは少し笑った。
「マスター。」
「何だ。」
「お部屋まで業務的に説明なさらなくても。」
ログナーが黙る。
「…………。」
「結構です。」
「……そうか。」
「はい。」
エレベーターが到着する。
扉が開く。
二人が乗り込む。
ログナーが階数ボタンを押した。
イエッタが。
隣に立つ。
「マスター。」
「何だ。」
「今夜は。」
「任務ではありませんね。」
「ああ。」
「では。」
エレベーターの扉が。
ゆっくりと閉まり始める。
イエッタは。
穏やかに微笑んだ。
「ゆっくりいたしましょう。」
扉が閉じる。
その先を。
わざわざ記録する者はいなかった。
少なくとも。
ログナー本人が、
通行止めにした。