守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
午後のホテルレストラン。
昼食を終えた弥子は、メニューを閉じながら満足そうに息を吐いた。
「はぁ……美味しかった」
向かいにいた遥が微笑む。
「そんなに?」
「うん。でもね、ここで前に食べた限定ディナーがすごく美味しかったんだよ」
「限定ディナー?」
「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み。お肉がすっごく柔らかくて、ソースも濃厚で……」
弥子は思い出しただけで、少し幸せそうな顔になった。
「また食べたいなぁ」
遥の目が輝いた。
「じゃあ、お母さんが作ってあげる」
弥子の笑顔が止まった。
「…………」
「どうしたの?」
「お母さん」
「なあに?」
「今のは、作ってほしいという意味じゃなくて」
「牛肉を赤ワインで煮込めばいいんでしょう?」
「説明だけ聞くとそうなんだけど!」
遅かった。
遥はもう、料理の段取りを考え始めていた。
「でも、その時のワインは特別なものだったんだよ。ものすごく古くて、希少で」
「そんなワインは買えないわねぇ」
弥子は少し安心した。
「でしょ?」
「だから普通の赤ワインを使うわ」
「…………」
安心は三秒で終わった。
◆
翌日。
ホテル側の好意で、試作用に厨房の一角が貸し出された。
遥の前には、スーパーで買った普通の赤ワイン。
牛肉。
玉ねぎ。
人参。
香味野菜。
その他、一般的な材料。
弥子は材料を一つずつ確認した。
「普通だ」
ジョーイ係長も確認する。
「普通ですな」
ログナーも見る。
「少なくとも、特殊食品は入っていない」
弥子は胸を撫で下ろした。
「今回は大丈夫かも」
厨房入口から声がした。
「だから言っただろ」
カイエンだった。
後ろにはアウクソーとXiもいる。
「普通の赤ワインなんだろ?」
弥子。
「そうですけど」
「だったら何が起きるんだヨ」
Xiが師匠を見る。
「その台詞、何回目?」
「うるせぇヨ」
アウクソーが静かに言う。
「マスター。以前も同じようなことを仰っていました」
「今回は条件が違う」
「どの辺りがでしょうか」
「全部普通だろ!」
遥が鍋を混ぜながら振り返る。
「そうよ。フツーに作ってるわよ」
弥子。
「お母さんの“普通”は参考にならないの!」
◆
数時間後。
赤ワイン煮込みが完成した。
香りは良い。
見た目も良い。
深い赤褐色のソース。
柔らかそうな牛肉。
今までの遥料理にありがちだった金属光沢も、宝石の輝きも、異様な色彩もない。
カイエンが皿を覗き込む。
「ほら見ろ」
Xi。
「まだ食べてもいないよ」
「見た目が普通だ」
弥子。
「それだけで安心しないで!」
遥は嬉しそうに一皿を用意した。
「誰から食べる?」
一瞬。
全員が黙った。
そして。
「ハラへった!」
すえぞうが前に出た。
弥子。
「いた!」
ジョーイ係長。
「いつからおったんや」
「ハラへった!」
遥は笑って、小さめに取り分ける。
「じゃあ、すえぞうちゃんからね」
弥子。
「またすえぞうで安全確認するの!?」
ラキシスはいなかった。
それでも、なぜか同じ検査方式が採用されていた。
すえぞうは肉を口へ入れる。
「ウマイ!」
もう一口。
「ウマイ!」
皿はあっという間に空になった。
そして。
何も起きない。
一分。
三分。
五分。
すえぞうは元気だった。
「ハラへった!」
カイエンが腕を組んだ。
「ほら見ろヨ」
アウクソー。
「マスター」
「大丈夫だって」
Xi。
「前にもすえぞう基準で失敗したよね」
「今回は見た目も味も普通だ!」
カイエンは自分で皿を取った。
「いただくぜ」
弥子。
「ああ、もう……」
一口。
カイエンの眉が上がる。
「……うまい」
二口。
「普通にうまいじゃねぇか」
遥が嬉しそうにする。
「ほんと?」
「ああ。肉も柔らけぇし、ソースも悪くない」
弥子も恐る恐る少量を味見する。
「……美味しい」
遥。
「よかった!」
カイエンは得意げに笑った。
「だから心配しすぎなんだヨ」
アウクソー。
「まだ十数分しか経っていません」
「食後に何か起きる前提で話すな!」
◆
十五分後。
皆はまだ厨房近くの休憩スペースにいた。
カイエンは上機嫌だった。
「今回は完全に当たりだナ」
Xi。
「当たりっていう評価基準になってる時点でどうなんだろう」
「前のグリーンカレーだって何ともなかっただろ?」
「それ僕が食べたやつだから」
「でも何も起きなかった」
「エメラルド出たけどね」
「身体には何もなかっただろ?」
カイエンは笑う。
「要するに、遥さんの料理だって毎回危険なわけじゃねぇってことだヨ」
アウクソーは何も言わなかった。
ただ。
少し離れたところにいるすえぞうを見ていた。
弥子も、ふとそちらを見る。
「……あれ?」
すえぞう。
「ハラへった!」
弥子が目を細めた。
「すえぞう?」
「ウッス!」
「ちょっと待って」
近づく。
額。
頬。
首回り。
体表に、妙な赤みがある。
弥子の顔色が変わった。
「すえぞう?! なんで赤いの!? 」
Xiが振り返る。
「え?」
すえぞうの表面には。
うっすらと。
しかし間違いなく。
赤い汗が浮かんでいた。
Xiの表情が変わった。
「……まさか」
カイエンの笑顔が止まる。
「…………」
Xiが師匠を見る。
「師匠」
「言うな」
「まだ何も言ってないよ」
「分かるヨ!!」
カイエンはゆっくり自分の額を触った。
手のひらを見る。
赤い。
「…………」
弥子。
「出てる!!」
Xi。
「師匠も赤い」
カイエン。
「なんでだヨォ!!」
◆
アウクソーがすぐにカイエンの状態を確認する。
「マスター。気分は?」
「普通だヨ!」
「眩暈は?」
「ない!」
「痛みは?」
「ない!」
Xi。
「じゃあ見た目だけ?」
カイエン。
「見た目が大問題なんだヨ!」
白っぽいシャツの襟元には、すでに赤い染みが広がり始めていた。
カイエンがそれを見る。
「……最悪だ」
アウクソー。
「ですから止めました」
「今それ言うなヨ……」
すえぞうは全く気にしていない。
「ハラへった!」
弥子。
「元気なのが余計に判断しづらい!!」
ログナーが二人の状態を見る。
「血液ではない」
カイエン。
「見りゃ分かるヨ!」
「発汗に伴って色素様物質が排出されている」
Xi。
「……親父のヴィンテージワインと同じ?」
ログナーは少量を採取する。
「作用は似ている」
全員。
「…………」
弥子がゆっくり遥を見る。
遥は首を傾げていた。
「フツーに赤ワイン煮込み作っただけなんだけどねぇ……」
弥子。
「なんで再現したの!?」
「何を?」
「シックスの変なワインの副作用!!」
遥。
「え?」
「今回、普通の市販ワインだよね!?」
「そうよ」
ジョーイ係長がボトルを確認する。
「普通にスーパーで売っとるやつです」
カイエン。
「じゃあ何で俺が赤いんだヨ!!」
誰も答えられなかった。
◆
幸い。
すえぞうもカイエンも健康状態に問題はなかった。
ログナーが分析結果を確認する。
「シックスのヴィンテージワインと酷似しているが、作用はかなり弱い」
カイエン。
「どれくらい続く?」
「摂取量から見て、一時間から二時間程度だろう」
「一週間じゃねぇのか」
「今回はな」
カイエンは深々と息を吐いた。
「助かった……」
Xi。
「師匠、普通の料理で一週間赤い汗が出る可能性まで考えてたんだ」
「黙れ」
ログナーが続ける。
「水分を取れ。運動は控えろ。服は着替えた方がいい」
アウクソー。
「用意いたします」
カイエン。
「黒い服で頼む」
「承知しました」
Xi。
「学習したね」
カイエン。
「今回はちゃんと学習するヨ!!」
弥子が遥を見る。
「お母さん、調理中に何か変わったことしなかった?」
遥。
「普通よ」
「その答え以外で!」
遥は少し考える。
「赤ワインがちょっと酸っぱかったから、蜂蜜を少し入れたくらい?」
ジョーイ。
「蜂蜜で赤汗にはならんやろ……」
「あと、味が尖ってたから牛乳をほんの少し」
弥子。
「混ぜたんだ……」
「でも美味しくなったでしょう?」
弥子は反論できなかった。
味は。
確かに美味しかった。
◆
二時間ほど後。
すえぞう。
通常。
「ハラへった!」
カイエン。
ほぼ通常。
ただし着替え済み。
「……もう出てねぇナ」
アウクソーが確認する。
「はい。問題ありません」
カイエンは安心して椅子へ沈み込んだ。
Xiが横から言う。
「師匠」
「何だヨ」
「今回、何が悪かったと思う?」
「食ったことだヨ」
「そこまで辿り着いたんだ」
「うるせぇ!」
遥が近づいてくる。
「でも、味はどうだった?」
カイエン。
「…………」
遥。
「?」
カイエンは少し迷った。
「……うまかったヨ」
遥は笑った。
「よかった!」
カイエン。
「そこだけ拾うなヨ!!」
◆
翌日。
ヘキサクス社。
ジョーイ係長は一枚の報告書を持って、会長室へ入った。
シックスが書類から目を上げる。
「何だ」
「特殊食品関連の事象報告です」
「また何か売れないものでも見つかったのか」
「今回は、会長の商品やありません」
シックスは興味を失ったように視線を戻す。
「ならば好きに処理しろ」
ジョーイは報告書を机へ置いた。
「ただし、会長のヴィンテージワインと、よう似た現象が出ました」
シックスの手が止まった。
「……何?」
ジョーイが報告書を開く。
「赤ワイン煮込み摂取後、すえぞう及びダグラス・カイエンに赤色発汗を確認」
シックスの目が細くなる。
「私のワインを使ったのか」
「使ってません」
「では別の特殊食品か」
「違います」
「何を使った」
「スーパーで売っとる普通の赤ワインです」
沈黙。
シックス。
「もう一度言え」
「普通の市販赤ワイン」
「私のワインは?」
「一滴も使ってません」
「特殊成分は?」
「入ってません」
「では」
シックスは報告書を取った。
「なぜ赤い汗が出る」
ジョーイ。
「そこが分からんので報告しとるんです」
◆
シックスは資料を読む。
使用酒類。
一般市販品。
調理者。
桂木遥。
摂取者。
すえぞう。
ダグラス・カイエン。
症状。
赤色発汗。
健康被害。
なし。
作用時間。
約一時間から二時間。
推定原因。
不明。
再現性。
不明。
シックスの眉間に皺が寄る。
「……桂木遥」
ジョーイ。
「この前の青いカレー作った人です」
「知っている」
「会長のカレールーからサファイア出した」
「言うな」
ジョーイは続ける。
「今回は、会長のワインを使わずに似た作用を」
「言うなと言っている」
「ただですね」
シックスが睨む。
「何だ」
「会長のヴィンテージワインより、作用時間はだいぶ短いです」
沈黙。
「…………」
「一~二時間で収まりました」
シックス。
「それがどうした」
「被害も軽いです」
「もういい」
「しかも味は好評で」
「もういいと言っている」
ジョーイは報告書を閉じた。
「一応、“類似作用の別系統再現例”として記録しときます」
シックス。
「記録するな」
「会社の事象報告なんで無理です」
シックスは黙った。
数百年。
特殊な葡萄。
熟成。
樽。
そして。
最後に加えた悪意。
それらを積み重ねて完成した。
赤い汗を流させるヴィンテージワイン。
一方。
桂木遥。
市販の赤ワイン。
牛肉。
野菜。
蜂蜜。
少量の牛乳。
そして。
娘に。
美味しかった料理を。
もう一度食べさせてあげたい。
という善意。
結果。
赤い汗。
シックスは報告書を机へ置いた。
「……理解できん」
ジョーイ係長は心の中だけで思った。
それは前回も聞いた。
◆
その頃。
カイエンは、昨日汚れた白いシャツを眺めていた。
アウクソーが言う。
「染みは落ちそうです」
「それだけが救いだナ……」
Xiが笑う。
「師匠」
「今度は何だヨ」
「次に遥さんが料理作ったら?」
カイエンは即答した。
「食わん」
Xi。
「本当に?」
「食わん!」
少し間。
「……見た目が普通でも?」
「食わん!」
「美味しそうでも?」
「食わん!!」
アウクソーが静かに頷いた。
「覚えておきます」
カイエン。
「なんでお前ら、俺の発言を記録したがるんだヨ!」
遠くから。
遥の声が聞こえた。
「今度、何作ろうかしら」
カイエン。
「聞こえねぇ!!」
怪盗Xiは。
少しだけ笑った。
その宣言が。
いつまで続くか。
今はまだ。
誰にも分からなかった。