守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
別荘の夜はすっかり深まっていた。
湯気をまとったような温かな空気と、
山の夜のひんやりした静けさが交じる時間。
弥子がタオルを肩にかけたまま、男子組のいるリビングへ顔を出す。
「はい、次、男子ー!」
キラがびくっとする。
「もうそんな時間?」
「そんな時間よ」
弥子。
「ていうか、あんた今のうちにちゃんと休んだ?」
「休めるわけないでしょこの空気で!」
キラ。
承太郎がソファから立ち上がる。
「行くぞ」
ネウロがにやりとする。
「ククク……
では次は、人間の雄どもの弛緩した顔でも見せてもらうとしよう」
「おまえが一番風呂を“観察対象”にしてるだろ」
キラ。
露伴はもう立っていた。
「待っていた」
「その言い方やめてくださいよ!」
キラ。
「なんで露天風呂まで取材前提なんですか!」
「湯は人を緩める」
露伴。
「非常に重要だ」
カイエンが立ち上がりながら笑う。
「やれやれ」
「今夜の露天は、どうやら静かにはならんらしいな」
アウクソーが男子組へ一礼する。
「お湯はちょうどよい温度でした」
「石畳が少し滑りやすいので、お気をつけください」
「ありがとう、アウクソーさん」
キラ。
弥子がにやっとする。
「キラ、生きて帰ってきなさいよ」
「縁起でもないこと言わないで!?」
ラクスはやわらかく微笑む。
「ごゆっくりどうぞ」
カイエンが横でぼそりと言う。
「残念だったな、坊や」
キラが即座に振り向く。
「だから何がですか!?」
弥子が吹き出す。
「そこまだ引っ張るんだ!」
承太郎が低く呟く。
「くだらねぇ」
男五人――
キラ、承太郎、カイエン、ネウロ、露伴。
しかも場の外側からは、
泉が少しだけ心配そうに見送っている。
「……大丈夫かな、キラくん」
それに対してアウクソーが、
ほんの少しだけ間を置いて答えた。
「……そうであるとよいのですが」
泉が小さく息をのむ。
「やっぱり不安なんじゃないですか!」
一方その頃、
男子組は露天風呂へ向かう小道を歩いていた。
月明かりに照らされた石畳。
木の影。
遠くの虫の声。
一見すれば、なかなか風情がある。
だがメンツが風情を壊していた。
キラが小声で言う。
「ねえ」
「なんで僕、またこの中に入ってるんだろう」
承太郎が即答する。
「流れだろ」
「納得できないよその理由!」
ネウロがくつくつ笑う。
「ククク……
中央管理職の宿命というやつだ」
「だからその呼び方やめてってば!!」
露伴が横から真顔で言う。
「いや、だが事実として君がいると場が回る」
「そういう正論が一番つらいんだよ!」
カイエンが少しだけ愉快そうだった。
「やれやれ」
「坊や、だいぶ板についてきたな」
「板についてほしくないです!」
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脱衣所へ入る。
承太郎は最短距離で必要なことだけ済ませる。
無駄がない。
カイエンは気だるげに髪をまとめながら、
妙に絵になる。
露伴の視線が吸い寄せられる。
「……やっぱり君は無駄に絵になるな」
「“無駄”は余計だ」
カイエン。
「余計じゃない」
露伴。
「日常の動作がすでに作画資料として強い」
「風呂場でまで取材するな」
キラ。
ネウロは鼻で笑う。
「ククク……
人間どもがいちいち羞恥を気にするのも滑稽だな」
承太郎が即座に言う。
「おまえは喋る量を減らせ」
「何だ、不良」
ネウロ。
「湯に入る前から機嫌が悪いぞ」
「元からだ」
承太郎。
キラは思った。
この温泉、本当に疲れを取る場なんだろうか。
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湯船に浸かった瞬間、
まずキラが言った。
「……あ、これは気持ちいい」
その一言は本音だった。
外気は涼しい。
湯はやわらかい。
夜空もきれいだ。
条件だけ見れば、かなり良い。
カイエンも肩まで浸かり、ゆるく息をつく。
「ほう……」
「悪くない」
「少なくとも、漫画家先生の別荘選びは正解だったらしい」
露伴は湯の中でも観察をやめない。
「人が湯に入った瞬間の顔は面白いな」
「承太郎さんは変わらない」
「キラ・ヤマトはようやく少し緩んだ」
「カイエンは気だるげなままだが、警戒が半段ほど下がった」
「半段って何だよ……」
キラ。
承太郎が深く息を吐く。
「やれやれだぜ……」
ネウロだけが妙に満足そうだ。
「ククク……
よい湯だな」
「人間が弛緩していく様がよく見える」
「おまえが一番怖いこと言ってるよ!」
キラ。
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しばらくは珍しく、
穏やかな沈黙が続いた。
湯の音だけがする。
その静けさの中で、
カイエンがぽつりと言う。
「たまにはこういうのもいいだろう」
承太郎が横目を向ける。
「珍しいことを言うな」
「そうかい?」
カイエン。
「静かな湯も、悪くない」
一拍。
「……まあ、あの若いのがいると、面白いのも事実だがね」
キラがぴたりと止まる。
「えっ」
「またその話するんですか!?」
承太郎が短く言う。
「たしかに……それはあるな」
「承太郎さんまで!?」
キラ。
ネウロがにやりとした。
「ククク……
当人の前で評価するとは珍しいな」
カイエンが少し笑う。
「湯で気が緩んだんだろうさ」
「じゃあ言わないでくださいよ!」
キラ。
露伴が即座にメモ帳へ手を伸ばしかける。
「いい」
「湯の中では人間の本音が少し出る」
承太郎が低く言った。
「持ち込んでたのか」
「当然だ」
露伴。
「当然じゃないですよ!?」
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空気が少し落ち着いたところで、
ネウロが湯を指で揺らしながら言った。
「しかし人間は理解しがたい」
「わざわざ熱い湯に浸かり、警戒を下げ、無防備になる」
「これでは襲ってくれと言っているようなものだ」
キラがぎょっとする。
「物騒なこと言わないでよ!」
露伴が目を細める。
「ほう」
「今のは少し面白いな」
「面白がるな」
承太郎。
カイエンが気だるげに言う。
「やれやれ。
この場で一番風情を壊してるのは、間違いなくそこの魔人だな」
「光栄だ」
ネウロ。
「褒めてない」
キラ。
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湯気の向こうで、
カイエンが髪をかき上げる。
その動作もまた、妙に様になっていた。
露伴は見てしまう。
見れば見るほど、描きたくなる。
軽い顔。
緩んだ顔。
なのに、どこか一線を越えさせない顔。
露伴がぼそりと言う。
「やはり君は描ききれないな」
キラが嫌な顔をする。
「風呂でそれ言います?」
カイエンは少しだけ笑う。
「やれやれ。
湯に浸かってる最中までそれかい」
「君が悪い」
露伴。
「無防備に見えて、無防備じゃない」
「それが余計に厄介だ」
承太郎が低く言う。
「露伴」
その一言だけで、
“余計なことはするな”
が伝わる。
露伴は小さく息をついた。
「分かっている」
「今日はやらない」
「その言い方ほんとに信用ないんですよ……」
キラ。
ネウロがくつくつ笑う。
「ククク……
よいではないか」
「湯に浸かりながら執着を燃やす漫画家」
「実に醜くてよい」
「おまえの感想いちいち嫌だな!」
キラ。
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湯から上がる少し前。
キラが、ぽつりと言った。
「……ごめん」
承太郎が見る。
「何だ」
キラは本気で言った。
「たぶん明日の夜あたり、
僕、リビングのソファで寝るって言うかもしれない……」
沈黙。
カイエンがまず吹き出した。
「ははっ」
「そこまでか、坊や」
ネウロがにやりとする。
「ククク……
ついに現場管理職が戦線離脱を口にしたぞ」
「その言い方やめて!」
承太郎は短く言う。
「好きにしろ」
露伴は真顔だ。
「リビングで一人寝る人間の顔にも――」
「取材にしないで!!」
キラ。
そこへ、露天風呂の入り口のほうから、
アウクソーの声がした。
「キラ様」
キラがびくっとする。
「えっ、アウクソーさん!?」
「失礼します」
アウクソーの声だけが静かに届く。
「お飲み物を置いておきます」
「湯上がりにどうぞ」
カラン、と小さな音。
脱衣所の棚に、例の乳酸菌飲料が一本置かれたらしい。
カイエンが笑う。
「やれやれ」
「完全に介護されてるな」
「介護じゃないです!」
キラ。
「……でもありがとう、アウクソーさん!」
アウクソーはそれ以上は言わず、気配だけが離れていった。
承太郎がぼそりと呟く。
「よく見てるな」
露伴が真顔で言う。
「いい」
「非常にいい」
「だから何がだよ……」
キラ。
なんだかんだで、
男子風呂も無事に終わった。
大事件はない。
決闘もない。
露伴は結局、何もしていない。
だが、
平和だったかと聞かれると、
キラは少し困る。
脱衣所で乳酸菌飲料を手にしながら、
キラは本気で思った。
これはもう、明日の夜はリビングのほうがいいかもしれない。
そこへ承太郎が横を通る。
「……効くのか、それ」
キラが苦笑する。
「睡眠の質向上とストレス緩和らしいです」
承太郎が一拍置く。
「必要だな」
「承太郎さんまで!?」
カイエンも髪を拭きながら言う。
「違いない」
露伴はその様子を見て、また何か書いていた。
「湯上がりの男と乳酸菌飲料」
「妙にいい絵だ」
「だから描かないでくださいって!!」
ネウロだけは最後まで楽しそうだった。
「ククク……
一日目の夜にしては上出来だな」
キラが小さく呻く。
「“一日目の夜にしては”って言い方やめて……」