守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
山菜と鹿肉の夕食は、無事に終わった。
食器は片づき、鍋も洗われ、キッチンもアウクソーの指揮のもと再び整った。
山での熊遭遇という大事件があったわりには、別荘の夜は穏やかだった。
少なくとも、表面上は。
弥子がソファに沈み込む。
「はぁー……」
「今日は濃かった……」
泉が深く頷く。
「本当に濃かったです」
「山菜採りって聞いて、まさか熊までセットとは思いませんでした」
ネウロがにやりと笑う。
「ククク……」
「山とはそういうものだ。人間が勝手に“のどかな自然”と呼んでいるだけで、本来は牙も爪もある」
キラが疲れた顔で返す。
「たまに正しいこと言うのやめてよ……」
承太郎はコーヒーを飲みながら短く言った。
「今日はもう寝ろ」
「ほんとそれ」
キラ。
ラクスがやわらかく微笑む。
「その前に、お風呂ですわね」
弥子が立ち上がる。
「あ、そうだ!」
「みんな今日も風呂入れよ!」
泉が吹き出す。
「誰目線なのそれ!?」
「生活指導!」
弥子。
アウクソーが静かに頷いた。
「山道を歩きましたし、汗もかいています」
「入浴はされたほうがよいかと」
カイエンが肩をすくめる。
「やれやれ」
「今日は山菜、熊、鹿肉、温泉か」
「ずいぶん豪華な一日だったな」
露伴がメモ帳を閉じずに言う。
「非常によい一日だった」
泉が即座に反応する。
「センセの“非常によい”と私たちの“無事でよかった”は、意味が違いますからね」
「当然だ」
露伴。
「そこは否定してください!」
風呂は昨日と同じく、女子が先、男子が後。
混浴などという単語は誰も言わない。
言い出しそうな人間が約一名いた気もするが、言う前にアウクソーとラクスの静かな視線で封じられた。
女子組はさっさと準備に入る。
弥子は湯上がり用のタオルを抱えながら言う。
「昨日もよかったけど、今日は山歩いたあとだから絶対もっと気持ちいいよね!」
泉も少し笑う。
「それは分かります」
「今日は本当に入りたいです」
ラクスが静かに言う。
「身体も心も、少し休めましょう」
アウクソーは脱衣所へ向かう前に、
キラのほうをちらりと見た。
「キラ様」
キラが反射で背筋を伸ばす。
「はい」
「湯上がり用に、飲み物を冷やしてあります」
キラが一瞬黙る。
「……例の?」
「はい」
弥子が吹き出す。
「もう完全に専用ドリンクじゃん!」
キラは苦笑した。
「いや、でも……」
「ふつうに美味しいし、助かってるから……」
ラクスが微笑む。
「良いことですわ」
ネウロが鼻で笑う。
「ククク……」
「ついに自分から魔法の白濁液体を受け入れ始めたか」
「表現が最悪なんだよ!!」
キラ。
承太郎が低く言う。
「うるせぇな」
「ネウロに言ってください!」
キラ。
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女子組が風呂へ向かったあと、
男子組はリビングでしばらく待つことになった。
キラはソファに座り、
明らかに眠そうな顔をしている。
露伴がそれを見る。
「……いい顔だな」
キラが即座に警戒する。
「何ですか」
「一日を終えた調整役の顔だ」
露伴。
「疲れているが、まだ周囲を見ている」
「しかも、自分の疲労を後回しにしている」
「やめてください」
キラ。
「本当にやめてください」
カイエンが笑う。
「漫画家先生、坊やまで本格的に取材対象にし始めたか」
露伴は平然と言う。
「当然だ」
「最初は君に集中していたが、キラ・ヤマトも十分に面白い」
キラが顔を覆う。
「嬉しくない……」
承太郎が露伴を見た。
「やめとけ」
「まだ何もしていない」
露伴。
「“まだ”が余計だ」
承太郎。
ネウロがくつくつ笑う。
「ククク……」
「読めそうで読めぬ人間というのは、実に厄介だな」
露伴が珍しくネウロに目を向ける。
「おまえに言われるのは不快だが、その通りだ」
キラは心底思った。
今日は絶対、男子部屋では眠れない。
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女子組が戻ってきて、入れ替わりで男子組が露天風呂へ向かう。
昨日よりは皆、少し手慣れていた。
湯船に浸かると、
キラが思わず息を吐く。
「……ああ」
「これは効く……」
カイエンも肩まで浸かりながら言う。
「山のあとだと、また違うな」
承太郎は何も言わないが、
目を細める程度には気持ちよさそうだった。
ネウロが湯を指で揺らす。
「ククク……」
「今日の人間どもは、疲労でさらに反応が鈍いな」
「黙って入れ」
承太郎。
露伴は湯気の向こうでカイエンとキラを交互に見ていた。
「今日の収穫は多かった」
「カイエンは“本物”を少し見せた」
「キラ・ヤマトは、それを見てもなお全体を戻そうとした」
「両方、非常にいい」
「湯の中で講評しないでください……」
キラ。
カイエンは少し笑う。
「やれやれ」
「今日は早めに寝かせてやったほうがいいんじゃないか、漫画家先生」
露伴はキラを見る。
「むしろ、寝る前の顔が見たい」
「こわい!!」
キラ。
承太郎が低く言った。
「露伴」
それだけで、露伴は少しだけ黙った。
「分かっている」
「今日はやらない」
キラが小さく言う。
「その“今日は”が本当に怖いんですよ……」
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風呂から戻り、
湯上がりの飲み物を受け取ったキラは、
リビングのソファに腰を下ろした。
手元には例の乳酸菌飲料。
弥子がそれを見て言う。
「お、今日も飲んでる」
キラは少しだけ笑う。
「うん」
「普通に美味しいし」
泉が苦笑する。
「完全に習慣化してる……」
ラクスはキラの顔を見て、少しだけ目を細めた。
「キラ」
「うん」
「今夜は、どちらでお休みになります?」
リビングの空気が一瞬止まった。
キラは、男子部屋のほうを見た。
露伴。
ネウロ。
カイエン。
承太郎。
いや、承太郎は悪くない。
カイエンも別に悪くない。
露伴とネウロはだいぶ悪い。
しかし総合的に見て、あの部屋は眠るには濃すぎる。
キラは静かに言った。
「……ごめん」
「僕、今日はリビングのソファでいいかな」
「頼む」
弥子が即座に叫ぶ。
「ほらー!!」
「やっぱり!!」
泉も頷く。
「むしろ昨日からそうしたほうがよかったのでは……」
アウクソーは冷静に言った。
「合理的な判断かと」
キラが苦笑する。
「合理的って言われると、ちょっと複雑だけど……」
ラクスはやさしく頷いた。
「キラがそのほうが休めるのでしたら、それが良いと思いますわ」
承太郎も短く言った。
「好きにしろ」
カイエンは面白そうに笑う。
「やれやれ」
「とうとう逃げ出したか、坊や」
「逃げ出したんじゃないです」
キラ。
「睡眠の確保です」
ネウロがにやりとする。
「ククク……」
「中央管理職がついに現場を離れ、後方基地へ退避か」
「その言い方やめてよ!!」
露伴はすでに何か言いかけていた。
「リビングのソファで一人眠る調整役……」
「取材にするな!!」
全員の声が揃った。
露伴は少し不満そうだった。
「まだ最後まで言っていない」
「最後まで言ったら余計悪いです」
泉。
アウクソーが静かに続ける。
「露伴先生」
「キラ様のお休みを妨げないよう、お願いいたします」
ラクスもやわらかく言った。
「ええ」
「今夜は、そっとしておいてくださいませ」
露伴は二人を見て、数秒だけ沈黙した。
静かな圧。
かなり静かだが、確実に圧。
「……分かった」
露伴はようやく言う。
「今夜は見ない」
キラが即座に言う。
「“今夜は”ってまた!」
承太郎が帽子のつばを押さえた。
「やれやれだぜ」
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アウクソーがすぐに毛布と枕を出してくる。
泉が感心する。
「早い……」
「もう用意してたんですか?」
「可能性はあると思っていましたので」
アウクソー。
弥子が笑う。
「読まれてる!」
キラは毛布を受け取りながら、少し恥ずかしそうに言う。
「ありがとう、アウクソーさん」
「お休みください」
アウクソー。
「明日は三日目ですので」
「その言い方、地味に怖いなあ……」
キラ。
ラクスがキラのそばに立つ。
「おやすみなさい、キラ」
「うん」
キラ。
「おやすみ、ラクス」
そのやり取りを見て、
露伴がほんの少しだけメモ帳へ手を伸ばしかけた。
だが、ラクスが振り向いた。
にこり。
露伴は手を止めた。
「……書かない」
泉が小声で言う。
「センセが止まった……」
弥子も小声で言う。
「ラクスさん、やっぱり強い……」
カイエンが楽しそうに笑う。
「やれやれ」
「坊やも守られてるな」
承太郎が短く言う。
「寝かせろ」
この一言で、
ようやく全員が動き出した。
女子は女子部屋へ。
男子は男子部屋へ。
キラだけが、リビングのソファへ。
ネウロは去り際に、キラを見下ろして言った。
「ククク……」
「よい夢を見ろ、キラ・ヤマト」
「できれば悪夢をな」
「ほんと最後までろくでもないな!!」
弥子が廊下から怒鳴った。
キラは毛布にくるまりながら、力なく笑った。
「……おやすみ」
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やがて別荘は静かになった。
完全な静けさではない。
二階の床が少し軋む音。
誰かが小さく咳をする音。
遠くの虫の声。
山の夜の気配。
リビングのソファで横になったキラは、
目を閉じた。
今日は疲れた。
山菜を採った。
熊に遭った。
カイエンが熊を追い返した。
鹿肉を食べた。
そして、結局、自分はソファで寝ることになった。
でも。
昨日よりは、眠れそうだった。
その少し離れた廊下の影で、
露伴が一瞬だけリビングを見た。
だが、何も書かなかった。
その代わり、心の中でだけ呟く。
調整役が、ようやく自分を休ませることを選ぶ。
……悪くない。
そして露伴は静かに男子部屋へ戻った。
今日のところは、本当に何もしなかった。
それだけで、キラにとっては十分だった。
露伴のメモ・二日目夜
・風呂後、疲労が顕在化
・キラ・ヤマト、自発的にリビング就寝を選択
・周囲は即受け入れる
・ラクスとアウクソーの静かな保護
・承太郎、最小限で許可
・カイエン、からかうが止めない
・ネウロ、最後まで悪意
・今夜は書かない
最後に一行。
――二日目、終了。