守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
別荘を後にした一行は、山道を下り、近くの牧場へ向かっていた。
目的は、ひとつ。
ソフトクリームである。
……少なくとも、キラはそう思っていた。
「今日はもう、平和に終わりましょう」
運転席のキラが、わりと本気の声で言った。
助手席のラクスが、やわらかく微笑む。
「ええ。きっと楽しい締めになりますわ」
後部座席で弥子が身を乗り出す。
「ソフトクリーム!」
「牧場ソフト!」
泉がその横で笑う。
「弥子ちゃん、朝からずっとそれですね」
「だって牧場だよ!?」
「牛乳! ソフト! 乳製品!」
ネウロが鼻で笑った。
「ククク……人間は白い甘味に浮かれすぎる」
「おまえは黙って食べなさい」
「吾輩が食うとは言っていない」
「絶対食べるでしょ!」
一方、別の車では、カイエンが窓の外を眺めていた。
「牧場か」
「地球の牧場というのは、のどかなものだな」
承太郎が隣で短く言う。
「着いてから言え」
露伴はすでにメモ帳を開いている。
「牧場という閉じた空間における、人間の甘味への期待」
「悪くない」
アウクソーが静かに言った。
「露伴先生、到着前から記録を始めておられるのですね」
「当然だ」
露伴。
「期待している時の顔は、食べている時の顔と同じくらい重要だ」
カイエンが小さく笑う。
「やれやれ」
「漫画家先生は、ソフトクリームひとつでも物語にするらしい」
「する」
露伴。
「するんだ……」
泉が別車両にいなくてよかった、とキラは思った。
牧場は、思った以上に広かった。
木造の建物。
土産物屋。
軽食処。
遠くに見える動物たち。
そして、看板に並ぶ食事メニュー。
弥子が真っ先に看板へ走った。
「ソフトクリーム――」
そして、止まった。
「……え」
キラが嫌な予感を覚える。
「弥子?」
弥子が震える指でメニューを指した。
「肉がある」
泉が即座に言う。
「見つけた」
「ジンギスカン!」
「鉄板焼き!」
「ステーキ!」
「ハンバーグ!」
「ビーフカレー!」
キラが額を押さえた。
「ソフトクリームだけの予定だったよね?」
「牧場まで来て肉を見逃すのは礼儀に反するでしょ!」
「そんな礼儀はないよ!」
カイエンがメニューを見上げる。
「ほう」
「ステーキもあるのか」
「昨日は鹿肉だったが、これはこれで悪くないな」
「カイエンさんまで!?」
ネウロが愉快そうに笑う。
「ククク……」
「牧場で獣を眺めながら肉を食う」
「人間の業が濃縮された施設だな」
弥子が一瞬言葉に詰まる。
「うっ……」
「否定しづらいけど言い方が最悪!」
承太郎は看板を一瞥して言った。
「食いたい奴だけ食えばいい」
「承太郎さん、今日も正しい」
キラ。
露伴は看板を見て、目を細める。
「いい」
「癒やし、甘味、肉、土産、観光」
「牧場という空間の中に、人間の欲望がよくまとまっている」
泉が遅れて追いつき、ため息をついた。
「センセ、牧場に来てまで分析しないでください……」
「するなというほうが無理だ」
「でしょうね!」
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ソフトクリーム売り場へ向かう途中、
ネウロがふと牧場の奥を見る。
「魔界の牧場で飼われているものは、こんな穏やかな獣ではない」
キラが反射で言う。
「出た」
弥子も言う。
「出たわね」
ネウロは楽しそうだった。
「魔界の牧場では、乳を搾るたびに飼育者の寿命を三日吸う魔牛がいる」
「その乳は濃厚だが、飲む者の夢に五日ほど干渉する」
キラがげんなりする。
「食品として成立してないよ!」
弥子が腕を組む。
「いや、でも濃厚なのはちょっと気になる……」
「気にするな」
承太郎。
そこへカイエンが、妙に張り合うように言った。
「ジョーカー太陽星団の牧場は、もっと優雅だぞ」
「乳製品用の家畜は品種管理されていてね」
「冷凍スイーツなら、アイスやソフトクリームよりフローズンヨーグルトが流行りだ」
弥子が目を輝かせる。
「フローズンヨーグルト!」
「それも食べたい!」
キラが少し笑う。
「どこでも食べる方向に戻るんだね」
露伴はメモを走らせる。
「魔界の魔牛」
「ジョーカーのフローズンヨーグルト文化」
「地球の牧場ソフト」
「非常にいい」
泉が頭を抱える。
「センセのメモ帳が、もうジャンル不明なんですけど」
ラクスがソフトクリーム売り場を見て微笑んだ。
「では、まずは地球式の牧場ソフトをいただきましょうか」
カイエンがうなずく。
「そうだな」
「郷に入っては何とやらだ」
ネウロが鼻で笑う。
「人間の甘味など、吾輩が――」
弥子が即座に言う。
「じゃあネウロはいらないのね?」
「……味見程度なら許してやる」
「ほら食べる!」
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全員の手に、牧場ソフトが行き渡った。
弥子は迷わずプレミアム。
キラとラクスはバニラ。
泉もバニラ。
承太郎は一番普通のバニラ。
露伴は観察しやすいからという謎の理由でバニラ。
カイエンは少し迷ってバニラ。
アウクソーは小さめ。
ネウロは「味見」と言いながら普通サイズ。
弥子がひと口食べる。
「うっま!!」
「濃い!」
「なにこれ、牛乳が本気出してる!」
泉が笑う。
「また語彙が勢いで押してきた」
キラも食べて、目元を和らげた。
「……おいしい」
「これは平和だね」
ラクスも微笑む。
「ええ、とても」
承太郎は無言で食べている。
だが、食べる速度は遅くない。
弥子がそれを見逃さない。
「あ、承太郎さん気に入ってる」
「うるせぇな」
「当たり!」
カイエンもひと口食べて、少しだけ目を細めた。
「ほう」
「悪くない」
「地球の牧場ソフトも、なかなかやる」
露伴が即座に聞く。
「ジョーカーのフローズンヨーグルトと比べてどうだ」
「別物だな」
カイエン。
「こっちは濃い。まっすぐだ」
「まっすぐな甘味」
露伴。
「いいな」
ネウロはソフトクリームを眺めながら言う。
「ククク……」
「人間どもは、この程度の甘味でこれほど顔を緩ませるのか」
「実に安い幸福だ」
弥子が睨む。
「じゃあ返せ」
ネウロは一口食べた。
「……ふん」
「悪くはない」
「素直じゃない!」
アウクソーは静かに食べていた。
カイエンがそれを見る。
「どうだい、アウクソー」
「美味しいです」
アウクソー。
「ただ、溶けるのが早いので、お早めに」
「感想が実務寄りなんだよなあ」
キラ。
泉が笑う。
「でもそれがアウクソーさんらしいです」
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ソフトクリームを食べ終えても、弥子の視線はまだメニューに残っていた。
「……ステーキ」
キラが気づく。
「弥子」
「……ハンバーグ」
泉も気づく。
「弥子ちゃん」
「……ビーフカレー」
承太郎が短く言う。
「食うな」
「まだ何も言ってない!」
「言ってる顔だ」
カイエンがメニューを眺めながら言う。
「まあ、次に来た時の楽しみにすればいいだろう」
弥子が目を輝かせる。
「次!」
「次がある!」
露伴がすぐ反応する。
「次か」
「悪くないな」
泉が即座に警戒する。
「センセ、何か企画しないでくださいね」
「しないとは言っていない」
「言ってください!」
ラクスがやわらかく言う。
「でも、また皆さまで来るのも楽しそうですわね」
キラが苦笑する。
「ラクスがそう言うと、本当に次がありそうで怖いな……」
ネウロがくつくつ笑う。
「ククク……」
「人間は一度味を覚えると、また同じ場所へ戻る」
「実に単純だ」
弥子が堂々と言う。
「単純でいいの!」
「うまいものは正義!」
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牧場を出る前に、土産物屋を少し見ることになった。
チーズ。
ジャム。
乳製品。
お菓子。
牧場グッズ。
弥子は全部に反応する。
泉は予算を見る。
キラは持ち帰れる量を考える。
ラクスは小さな土産を選ぶ。
承太郎は早く出たい顔。
カイエンはチーズを少し眺める。
露伴は売り場の配置を観察する。
ネウロは試食だけに興味を示す。
アウクソーは保冷バッグの有無を確認する。
「アウクソーさん」
弥子が真顔で言う。
「やっぱりうちの事務所に――」
「駄目だ」
カイエンが即答。
露伴も続く。
「ではウチに――」
「もっと駄目だ」
アウクソーは少しだけ困った顔で言った。
「恐縮です」
キラが笑う。
「最後まで人気だね」
ラクスが頷く。
「ええ、本当に助けていただきましたもの」
泉も心から言う。
「アウクソーさんがいなかったら、たぶんこの合宿、二日目の朝で破綻してました」
「そんなに?」
キラ。
「そんなにです」
泉。
承太郎が短く言う。
「否定はしねぇ」
ネウロが鼻で笑う。
「ククク……人間どもが一体のファティマに依存している様は滑稽だな」
弥子が即座に言う。
「おまえも結構楽してたでしょ!」
ネウロは答えなかった。
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牧場の駐車場。
いよいよ、それぞれ帰路につこうとした時だった。
アウクソーのスマホが、静かに震えた。
彼女は画面を見た。
一瞬だけ、動きが止まる。
「マスター」
カイエンが振り返る。
「ん?」
「メールです」
「誰からだい?」
アウクソーは、画面を見たまま答えた。
「AKD総司令より」
空気が止まった。
キラが小さく言う。
「えっ」
泉が顔を引きつらせる。
「それって、まさか……」
弥子が目を丸くする。
「経費のやつ!?」
ネウロが愉快そうに笑う。
「ククク……」
「請求の咎が追ってきたか」
承太郎が短く言う。
「くだらねぇ」
露伴の目が光る。
「待て」
「開ける前の空気がすでにいい」
「よくないです!!」
泉。
アウクソーはスマホをカイエンへ差し出した。
カイエンは受け取る。
画面に表示された差出人。
AKD総司令
件名。
何だこれは。
沈黙。
キラが思わず言った。
「怖っ……」
弥子も頷く。
「件名だけで怒ってる……」
泉が青ざめる。
「絶対怒ってるやつです……」
露伴は本気で感心していた。
「いい」
「“何だこれは。”だけで関係性が分かる」
「非常にいい」
「センセ、そこ拾います!?」
泉。
カイエンはしばらく画面を見つめたあと、
そっとスマホを伏せた。
「……帰るか」
キラが驚く。
「読まないんですか!?」
アウクソーが静かに言う。
「マスター、内容確認は必要です」
カイエンは平然と言った。
「今読むと、帰りの気分が悪くなる」
「もう悪くなってるじゃないですか!」
キラ。
アウクソーがさらに追撃する。
「既読です」
カイエンが止まる。
「……やれやれ」
弥子が笑いをこらえきれない。
「既読ついたんだ!」
ネウロがくつくつ笑う。
「ククク……」
「逃げ道を塞がれたな、剣聖」
承太郎が帽子を押さえる。
「自業自得だ」
ラクスが上品に言った。
「確認だけは、なさったほうがよろしいかと」
カイエンはしぶしぶ画面を開いた。
本文は短かった。
カイエン。
“避暑地における共同生活費”とは何だ。
“食材費”はまだいい。
“飲料費”も、まあいい。
だが、“山菜採取後の鹿肉関連雑費”とは何だ。
この道――いや、この請求は通行止めだ。
ほかを当たれ。
一同、沈黙。
そして。
弥子が腹を抱えて笑った。
「通行止め!!」
泉も耐えきれず笑う。
「怖いけど、言い方が強すぎる……!」
キラは頭を抱えた。
「だから経費で落とすの無理だったんですよ……」
カイエンはスマホを見つめながら、しばらく無言だった。
やがて、ぼそっと言う。
「しゃーない」
「アマテラスに直接回すか」
アウクソーが即座に言った。
「それが原因かと」
「ははっ」
カイエンは笑った。
「君は手厳しいな」
露伴は最後までメモしていた。
「いい」
「合宿の締めとして、これ以上ない」
承太郎が一言。
「やれやれだぜ」
ネウロが愉快そうに笑う。
「ククク……」
「甘味で終わるはずが、最後は請求で終わる」
「実に人間らしい」
ラクスは穏やかに微笑んだ。
「皆さま、楽しい合宿でしたわね」
キラが苦笑する。
「楽しかったけど、濃すぎたよ……」
弥子が大きく頷く。
「でもまた来たい!」
泉が即座に言う。
「次はもう少し普通でお願いします」
露伴が言った。
「普通ではつまらない」
「センセ!!」
カイエンはスマホをしまいながら、山の方を振り返った。
「やれやれ」
「二泊三日にしといて正解だったな」
「三泊してたら、ログナーが直接来てたかもしれん」
キラが真顔で言う。
「それは本当にそうかもしれませんね……」
アウクソーが静かに言った。
「では、帰りましょう」
その一言で、ようやく全員が動き出した。
二泊三日の別荘合宿。
カレー。
温泉。
山菜。
熊。
鹿肉。
牧場ソフト。
そして、AKD総司令からのメール。
いろいろあった。
ありすぎた。
だが、誰も大きな怪我をせず、
誰も致命的に壊れず、
キラも最後には眠れた。
それだけで、十分だったのかもしれない。
露伴は最後にメモ帳を閉じる。
「……悪くなかった」
泉が横から言う。
「それ、センセ基準ですよね」
「当然だ」
「でしょうね」
そして一行は、それぞれの帰路へついた。
山の別荘と牧場のソフトクリームを後にして。
だが、岸辺露伴のメモ帳には、最後にこう書かれていた。
――次は、もっと深い場所でもいい。
泉京香がそれを見てしまったのは、
帰りの車に乗る直前だった。
「センセ」
「何だ」
「その“もっと深い場所”って何ですか」
露伴は答えなかった。
ただ、少しだけ笑った。
泉は、心の底から思った。
まだ終わってない。