守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
午後のカフェテラスは、妙に静かだった。
通りに面した席。
日差しは強すぎず、風も悪くない。
人の声、カップの音、遠くを走る車の気配。
その中で、ダグラス・カイエンは一人、当然のような顔で茶を飲んでいた。
正確には、ヒューア・フォン・ヒッター子爵の顔で。
長い髪を軽く流し、椅子に深く腰かけ、
通りを行く女性たちをなんとなく眺めている。
「……やれやれ」
「地球のカフェも、悪くないな」
そこへ、背後から声がした。
「また会ったな」
カイエンは振り向かない。
「また見つけた、の間違いじゃないのかい、漫画家先生」
岸辺露伴は、すでに向かいの椅子に手をかけていた。
「座るぞ」
「許可を取る気があるようには見えんな」
「ある」
露伴は座った。
「だが、断られても座る」
カイエンは小さく笑った。
「正直でいい」
露伴はスケッチブックを取り出す。
「別荘の件で、いくつか聞きたいことがある」
「いくつか、ね」
カイエン。
「君の“いくつか”は信用ならん」
「では一つに絞ろう」
露伴はまっすぐカイエンを見る。
「熊を退かせた時、君は何をした?」
カイエンはカップを置いた。
「山道で熊に会った」
「追い返した」
「それだけだ」
「違う」
露伴。
「剣を抜いたようには見えなかった」
「だが空気が裂けた」
「熊は傷ついていない。だが理解した」
「“それ以上進むな”と」
「どうやった?」
カイエンは、心底面倒そうに笑う。
「手品師が種を明かすと思うかい?」
「君は手品師ではない」
「似たようなものさ」
「違う」
露伴は即答した。
「君は、軽く見せることで本質を隠している」
カイエンの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……漫画家ってのは、ほんと面倒だな」
「よく言われる」
「だろうな」
その時だった。
カイエンの視線が、露伴の背後へ流れた。
露伴も気づく。
誰かがこちらへ近づいてきている。
長い髪。
細い体つき。
柔らかな雰囲気。
露伴は一瞬、アウクソーかと思った。
だが違う。
歩いてきた人物は、もっと軽く、もっと柔らかく、
そして妙に華やかだった。
泉京香が、店内から追加の飲み物を持って戻ってきたところで、その人物を見て止まる。
「……えっ」
「誰ですかこの美人!?」
その人物は、にこっと笑った。
「やあ、カイエン」
カイエンは、カップを持つ手を止めた。
「おまっ……」
「アマ――」
「僕はソープ!」
相手は食い気味に言った。
「レディオス・ソープだよ!」
カイエンは口を閉じた。
露伴の目が光る。
「……今、何を言いかけた?」
「何も」
カイエン。
「言いかけたな」
「何も言ってない」
「“アマ”までは聞こえた」
「気のせいだ」
泉はそれどころではなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「今、声……男性……?」
「え、男性なんですか!?」
「女性じゃないの!? ほんとに!? まじで!?」
ソープは少し嬉しそうに笑った。
「ふふ、よく言われるよ」
カイエンが呆れたように言う。
「喜ぶな」
「褒められたら喜ぶだろう?」
「そういうとこだぞ、アマ――」
「僕はソープ!」
またソープが食い気味に言った。
「レディオス・ソープ!」
露伴がさらに身を乗り出す。
「二回目だ」
「やはり隠しているな」
泉が両手を振った。
「待ってください!」
「情報量が多いです!」
「この美人さんが男性で、カイエンさんが何か言いかけて、先生がもう取材モードで……!」
露伴はソープを見た。
「君は何者だ」
ソープは自然に椅子へ座る。
「僕はレディオス・ソープ」
「MHマイスターだ」
泉が聞き返す。
「えむえいち……?」
「わかりやすく言えば、整備士だね」
ソープは軽く肩をすくめる。
「だからカイエンとは、そういう付き合い」
カイエンがぼそっと言う。
「……そういうことにしておくか」
露伴が即座に反応した。
「待て」
「今、“そういうことにしておく”と言ったな」
「細かい男だな、君は」
カイエン。
ソープはにこにこしている。
「そういうことにしておいてよ」
泉は額に手を当てた。
「この時点で、絶対ただの整備士じゃないですよね……」
露伴は頷く。
「同感だ」
ソープは困ったように笑った。
「ひどいなあ」
「本当に整備士でもあるんだよ」
「そろそろシュペルターも、メンテナンスの時期だと思ってね」
露伴はその単語を逃さなかった。
「シュペルター?」
カイエンが少し顔をしかめる。
「余計なことを言うな」
「余計じゃないよ」
ソープ。
「大事なことだ」
露伴が続ける。
「シュペルターとは何だ」
「君の持ち物か?」
「武器か?」
「機械か?」
ソープは露伴をじっと見た。
「君、観察力がいいね」
「君ほどではない」
露伴は即答した。
「君は、この席に来た瞬間から全員を見ている」
「泉くんの反応も、僕の視線も、カイエンの言いかけも」
「全部分かったうえで笑っている」
泉が小声で言う。
「先生、初対面で喧嘩売ってません?」
「売っていない」
露伴。
「確認している」
カイエンが紅茶を飲む。
「やめとけ、漫画家先生」
「そいつはぼくより厄介だぞ」
露伴の目がさらに鋭くなる。
「君より?」
「ああ」
カイエンはあっさり言った。
「ぼくよりだ」
ソープは少し不満そうにする。
「ひどいなあ、カイエン」
「事実だろう」
「まあ、否定はしないけど」
泉が椅子に座り込みながら言う。
「否定しないんだ……」
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しばらくして、ソープはカップを注文しながら、
ようやく本題に入った。
「それで、カイエン」
「少し聞きたいんだけど」
カイエンは露骨に嫌そうな顔をする。
「帰っていいか?」
「駄目」
ソープは笑顔のまま言った。
「“避暑地における共同生活費”って何?」
カイエンは空を見た。
「ログナーめ……」
露伴が即座にメモ帳を開く。
「待て」
「今、重要な単語が出たな」
泉が露伴を止める。
「センセ、そこ拾うんですか!?」
「拾う」
露伴。
「AKD総司令、ログナー、経費申請、ソープ」
「関係が見えてきた」
ソープは少し困ったように笑う。
「関係というほどじゃないよ」
「僕が許しても、ログナーが許さないんだよねぇ」
カイエンが睨む。
「つまり君も許してないんだろ」
「そんなことはないよ」
ソープ。
「ちょっとだけ確認したかっただけ」
「ちょっとだけ、ね」
カイエン。
「君の“ちょっとだけ”も信用ならんな」
露伴が横から言う。
「似た者同士だな」
二人が同時に露伴を見た。
カイエン。
ソープ。
その瞬間だけ、カフェテラスの空気が変わった。
露伴は黙った。
だが、目は輝いていた。
いい。
非常にいい。
今、二人の空気が揃った。
ただの知人ではない。
整備士と客でもない。
もっと古く、もっと深い何かがある。
泉はその空気を感じて、思わず小さく言った。
「……先生」
「また、やばいもの見つけた顔してます」
露伴は静かに答える。
「見つけた」
「でしょうね!」
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泉は、まだソープをちらちら見ていた。
「あの……」
「本当に男性なんですよね?」
ソープはにこりと笑う。
「そうだよ」
「うそぉ……」
「ひどいなあ」
「いや、すみません」
泉。
「でも、その……普通に美人なので」
ソープは今度こそ嬉しそうだった。
「ありがとう」
カイエンが呆れた声で言う。
「だから喜ぶな」
「嬉しいものは嬉しいよ」
露伴がソープの顔を観察している。
「外見だけでも十分に強い」
「だが、それ以上に、君は場に入り込むのが自然すぎる」
「初対面のはずなのに、すでに場の中心にいる」
「なぜだ?」
ソープは笑う。
「そんなに難しいことかな」
「難しい」
露伴。
「普通の人間は、カイエンの前に立った時点で少し構える」
「だが君は構えない」
「カイエンも、君には一瞬だけ崩れた」
「それが気になる」
カイエンが面倒そうに言う。
「気にするな」
「無理だ」
ソープは紅茶をひと口飲んだ。
「漫画家って、面白いね」
「よせ」
カイエン。
「餌をやるな」
「もう遅い」
露伴。
泉が頭を抱える。
「もう遅いんだ……」
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ソープはバッグから小さな端末を取り出した。
「それで、これ」
「ログナーから回ってきた明細だけど」
カイエンが目を逸らす。
「見たくない」
「見て」
「嫌だ」
「見て」
「……やれやれ」
ソープは画面を見せる。
「食材費」
「飲料費」
「雑費」
「山菜採取後の鹿肉関連雑費」
泉が思わず吹き出した。
「改めて見ると、すごい項目ですね……」
露伴は真剣に言った。
「いい項目だ」
「よくないです」
泉。
ソープが首を傾ける。
「山菜採取後の鹿肉関連雑費って、何?」
カイエンは淡々と言う。
「山菜を採った」
「熊に遭った」
「鹿肉を食った」
「なぜそうなるのかな」
「流れで」
「流れで鹿肉は食べないよ」
「地球では食べるらしい」
「カイエン」
「何だい」
ソープは笑顔のまま言った。
「この請求、通らないよ」
「ケチだな」
「僕がケチなんじゃない」
ソープ。
「ログナーが怒ってる」
「君も怒ってるだろ」
「少しだけ」
「ほらな」
泉が小声で言う。
「この人たち、会話のテンポが近い……」
露伴はメモを取る。
「非常に近い」
「だが立場は違う」
「カイエンは崩す側、ソープは受け流しながら締める側だ」
ソープが微笑む。
「よく見てるね」
露伴は答える。
「それが仕事だ」
カイエンが言う。
「仕事熱心すぎるのも問題だな」
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その時、カフェの入口の方に、もう一人の人影が現れた。
今度こそ、アウクソーだった。
露伴は顔を上げる。
「……今度は本物か」
泉が小声で言う。
「本物って何ですか」
アウクソーは静かに歩いてくると、カイエンへ一礼した。
「マスター、お時間です」
カイエンは椅子から立ち上がる。
「お、助かった」
ソープも立ち上がった。
「ちょうどいいね」
「僕も一緒に行くよ」
「シュペルターの件もあるし」
アウクソーはソープへ一礼する。
「ソープ様」
露伴がその呼び方を聞き逃さない。
「ソープ様?」
カイエンが顔をしかめる。
「アウクソー」
ソープが慌てて笑う。
「ただの敬称だよ」
「僕はソープ」
「レディオス・ソープ」
露伴はじっとソープを見る。
「……今の呼び方で、また一つ分かった」
「何が?」
「君は、“ただの整備士”ではない」
ソープは少し楽しそうに笑う。
「さあ、どうだろうね」
カイエンは露伴に背を向ける。
「また今度だ、漫画家先生」
露伴が立ち上がる。
「待て」
「まだ聞きたいことがある」
「君の聞きたいことは、いつだって多すぎる」
ソープも軽く手を振る。
「ふふ」
「次があればね」
露伴が言う。
「その言い方は、次がある人間の言い方だ」
ソープは答えない。
アウクソーが静かに一礼する。
「失礼いたします」
そして三人は去っていった。
カイエン。
ソープ。
アウクソー。
歩き出した三人の空気は、不思議なほど自然だった。
主従。
旧友。
共犯。
整備士と騎士。
それだけでは足りない。
露伴には、まだ何も分からない。
だが、何も分からないという事実が、
どうしようもなく面白かった。
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三人が見えなくなったあと、
泉が恐る恐る言った。
「センセ……」
「今日はもう帰りましょう」
露伴は動かない。
「泉くん」
「はい」
「今の男、何者だ」
「私が知るわけないじゃないですか!!」
露伴は座り直し、スケッチブックを開いた。
「レディオス・ソープ」
「MHマイスター」
「整備士」
「シュペルター」
「ログナー」
「AKD」
「カイエンが言いかけた“アマ”」
「アウクソーの“ソープ様”」
泉が青ざめる。
「やめてください」
「点を線にしようとしないでください」
「絶対やばいです」
露伴は静かに笑った。
「もう遅い」
「またそれ!」
「僕は今日、取り違えた」
露伴。
「アウクソーだと思った」
「女性だと思った」
「整備士だと思った」
「カイエンの周辺人物の一人だと思った」
泉が聞く。
「違ったんですか?」
露伴はスケッチブックに、ソープの横顔を描き始めた。
「全部、少しずつ違った」
「だから面白い」
泉は深くため息をつく。
「先生……」
「また増えましたね、描ききれない人」
露伴は答えた。
「違う」
「え?」
「描ききれないのは、もはや人間一人ではない」
「カイエンの背後にある世界そのものが、まだ見えていないんだ」
泉はしばらく黙った。
それから、心底疲れた声で言う。
「……帰りましょう」
「今日だけはもう、本当に帰りましょう」
露伴はスケッチを止めない。
「もう少しだけ」
「その“もう少しだけ”も信用ならないんですよ!!」
カフェテラスに、泉の悲鳴に近い声が響いた。
露伴は聞いていなかった。
彼はすでに次のページを見ていた。