守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
少し人気の少ない通りの端に、一台のバイクが停まっていた。
黒く、重く、無駄のない車体。
持ち主同様、妙な威圧感がある。
その横で、空条承太郎が黙って立っていた。
腕を組み、帽子のつばを押さえ、じっと車体を見下ろしている。
「……やれやれだぜ」
エンジンがかからない。
完全に沈黙しているわけではない。
セルは回る。
だが、噛み合わない。
どこかで電気が途切れているような、あるいは燃料の回りが悪いような、嫌な引っかかりがあった。
承太郎は、こういう時に騒がない。
ただ、黙って原因を見ようとする。
「点火か……」
そう呟いた時だった。
背後から、軽い声がした。
「困っているの?」
承太郎は振り向いた。
そこに立っていたのは、金髪の美少女だった。
白い服。
細い手足。
どこか現実離れした雰囲気。
承太郎は一瞬だけ目を細める。
「……誰だ」
少女はにこりと笑った。
「通りすがりの整備士、かしら」
「整備士?」
「ええ」
少女はバイクに目を向ける。
「見てもいい?」
承太郎は即答した。
「触るな」
少女は少しも怯まない。
「直したいなら、触らせて」
「……」
承太郎は黙って少女を見た。
ただの好奇心ではない。
目線が違う。
車体の表面ではなく、構造を見ている目だった。
承太郎は少しだけ間を置いて、低く言った。
「壊すなよ」
「壊しはしないわ」
少女はしゃがみ込む。
「整備士だもの」
少女は、手袋もせずにバイクの状態を確認し始めた。
カウル。
配線。
バッテリー端子。
点火系。
燃料の流れ。
その動きに迷いはない。
承太郎は黙って見ている。
女の子に見える。
だが手つきは、完全に素人ではない。
むしろ、妙に慣れている。
機械を怖がっていない。
構造の前で、無駄に力まない。
少女は小さく呟いた。
「電装まわりね」
「接点が少し甘い」
「振動でずれたのかしら」
承太郎が聞く。
「分かるのか」
「だいたい」
少女は楽しそうに答える。
「この子、乱暴に扱われているようで、意外と手入れはされているわね」
「……」
「オイルも悪くない」
「チェーンも見ている」
「ブレーキの感触も変じゃない」
「持ち主は無口だけど、雑ではない」
承太郎は少しだけ目を細めた。
「勝手に決めるな」
「違う?」
「……足は大事にする」
少女は笑った。
「そう」
「そういうところ、カイエンと違うわ」
その名前で、承太郎の目が変わった。
「……てめぇ」
「どこかで……?」
少女は立ち上がり、にこりと笑った。
「前にも会ったわよ」
承太郎は数秒、彼女を見た。
そして低く言う。
「……ソープか」
「正解」
承太郎は、帽子のつばを押さえた。
「やれやれだぜ」
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「姿が違うな」
承太郎はそれだけ言った。
ソープダッシュは楽しそうに笑う。
「そうね」
「説明する気は?」
「長くなるわ」
「ならいい」
即答だった。
ソープダッシュは思わず笑った。
「あなた、本当に余計なことを聞かないのね」
「面倒なだけだ」
「それも賢いわ」
承太郎はバイクへ視線を戻す。
「直るのか」
「直るわ」
ソープダッシュは再びしゃがみ込む。
「少しだけ待って」
そう言って、細い指で配線の接点を確認する。
ポケットから小さな工具を取り出し、端子を調整する。
承太郎がその工具を見る。
「持ち歩いてるのか」
「ええ」
「整備士だから」
「便利な言葉だな」
「あなたもそう言うのね」
ソープダッシュは笑った。
「カイエンにも言われたわ」
「……あいつは持ち物を雑に扱いそうだ」
「実際、細かいことはアウクソー任せね」
承太郎はほんの少しだけ納得したような顔をした。
「だろうな」
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そこへ、タイミング悪く――あるいは良く――岸辺露伴と泉京香が通りかかった。
泉が先に気づく。
「あれ?」
「承太郎さん……?」
露伴は、次の瞬間にはもう状況を見ていた。
黒いバイク。
承太郎。
しゃがみ込んで修理しているソープダッシュ。
露伴の目が輝く。
「……いい」
泉が即座に嫌な顔をする。
「先生、今“いい”って言いましたね」
「言った」
露伴。
「承太郎が、ソープにバイクを直されている」
「しかも承太郎は騒いでいない」
「これは非常にいい」
承太郎が低く言う。
「露伴」
露伴はすぐに一歩止まった。
「見ているだけだ」
「見るな」
「無理だ」
泉が頭を抱える。
「なぜそこで正直なんですか……」
ソープダッシュは工具を動かしながら、楽しそうに振り返る。
「あら、露伴先生」
「ちょうどいいところに来たわね」
露伴は近づこうとする。
承太郎が一言。
「来るな」
露伴は止まる。
「……近づかない」
泉が驚く。
「珍しく聞いた……」
「承太郎さんに怒られると面倒だからな」
「そこは分かってるんですね」
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ソープダッシュは接点を整えると、軽く手を払った。
「たぶん、これでいけるわ」
承太郎はバイクにまたがり、セルを回す。
一瞬の沈黙。
次に、エンジンが低く目を覚ました。
重い音が、通りに響く。
承太郎は数秒だけそれを聞いてから、ソープダッシュを見た。
「……直ったな」
「ええ」
「助かった」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
ソープダッシュは少し満足そうに笑う。
「どういたしまして」
露伴が小声で言う。
「承太郎が礼を言った」
承太郎の視線が飛ぶ。
露伴は咳払いした。
「記録しただけだ」
「するな」
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ソープダッシュはバイクの音を聞きながら言った。
「いい音ね」
「機械は、調子が戻ると音が変わるわ」
承太郎は少しだけ黙る。
「……分かるのか」
「分かるわ」
「音、振動、匂い」
「全部が教えてくれる」
「……」
「あなたも、そういうのをちゃんと聞いているのね」
ソープダッシュ。
「乱暴そうに見えて、意外と丁寧」
承太郎は低く返した。
「乱暴に見えるのは余計だ」
「余計じゃないわ」
露伴がまたメモを取る。
「乱暴そうに見えて、機械の声を聞く男」
「非常にいい」
泉がぼそりと言う。
「先生の表現で、話が急に漫画のコピーみたいになる……」
承太郎はエンジンを止めた。
「用は済んだな」
ソープダッシュは頷く。
「ええ」
「でも少し意外だったわ」
「何がだ」
「あなた、もっと力で片づける人かと思っていた」
承太郎は帽子を押さえる。
「直せるものは直す」
「殴る必要があるものだけ殴る」
ソープダッシュは、ほんの少しだけ目を細めた。
「いいわね」
「その線引き」
承太郎は答えない。
ソープダッシュは続ける。
「カイエンは、そこをたまに雑にするのよ」
「……あいつと比べるな」
「嫌?」
「面倒だ」
「そう」
ソープダッシュは笑った。
「でも、あなたのそういうところは好きよ」
承太郎は一瞬だけ動きを止めた。
露伴のペンが止まらない。
泉が小声で叫ぶ。
「先生! 書かないで! そこ書かないで!」
承太郎が低く言う。
「露伴」
「分かっている」
露伴はメモ帳を閉じた。
「今のは書かない」
泉が心底驚く。
「本当に!?」
露伴は言った。
「命が惜しい」
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その時、遠くから声がした。
「ソープ!」
カイエンだった。
いつの間にか通りの向こうに立っている。
隣にはアウクソー。
カイエンはソープダッシュと承太郎、そしてバイクを見て、すぐに状況を察した。
「……今度は何をしてるんだ」
ソープダッシュは手を振る。
「修理よ」
カイエンはバイクを見る。
「承太郎のか」
承太郎は短く言う。
「直してもらった」
「ほう」
カイエンは少し面白そうに笑う。
「珍しい取り合わせだな」
ソープダッシュはすかさず言った。
「彼、見た目より丁寧に乗ってるわ」
「あなたと違って」
カイエンの眉が動く。
「おいソープ」
「ぼくがシュペルターを雑に扱ってるみたいな言い方をしたな」
「違うの?」
「違う」
アウクソーが静かに言った。
「マスター」
カイエンは一瞬詰まる。
「……多少は任せているだけだ」
ソープダッシュが笑う。
「ほら」
承太郎がぼそりと言う。
「やれやれだぜ」
露伴は堪えきれずに呟いた。
「いい」
「アウクソーの一言で崩れるカイエン」
「非常にいい」
カイエンが露伴を見る。
「漫画家先生」
「それは書くな」
露伴は堂々と言った。
「もう書いた」
泉が天を仰いだ。
「先生……」
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アウクソーはソープダッシュへ一礼した。
「ソープ様、お時間です」
ソープダッシュは少し名残惜しそうに頷く。
「そうね」
「承太郎くん、また何か壊れたら呼んで」
承太郎は即答した。
「呼ばねぇ」
「そう言うと思った」
「だが」
承太郎は少しだけ間を置いた。
「借りはできた」
ソープダッシュはにこっと笑う。
「覚えておくわ」
カイエンが横から言う。
「おい」
「承太郎の借りを変なことに使うなよ」
「使わないわよ」
「嘘くさいな」
「信用ないのね」
「日頃の行いだ」
アウクソーが静かに言う。
「ソープ様、そろそろ」
「はいはい」
ソープダッシュは軽く手を振り、カイエンとアウクソーの方へ歩いていった。
去り際、承太郎のバイクをもう一度だけ振り返る。
「いい子ね」
「大事にしてあげて」
承太郎は答えなかった。
ただ、エンジンの音をもう一度だけ聞くように、静かにバイクへ手を置いた。
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ソープダッシュたちが去った後、露伴はメモ帳を開いた。
泉が疲れた声で言う。
「先生」
「今日のまとめは何ですか」
露伴は少し考えてから書いた。
レディオス・ソープは修理する。
壊れた機械も、見えづらい関係も。
泉はそれを覗き込んで、少しだけ黙った。
「……今日は、ちょっといいこと書いてますね」
露伴は当然のように言った。
「いつもいいことを書いている」
「そこは黙ってればよかったのに……」
承太郎はヘルメットを手に取り、バイクにまたがった。
露伴が声をかける。
「承太郎さん」
「何だ」
「今日の件、いつか漫画に使ってもいいか」
承太郎はエンジンをかける。
低い音が響く。
そして一言。
「断る」
そのまま、バイクは走り去った。
露伴はその背中を見送る。
「……やれやれ」
「いい返事だ」
泉が苦笑した。
「それ、返事としては最悪ですよ」
「いや」
露伴はスケッチブックを閉じた。
「承太郎らしい」
夕方の通りに、エンジンの音が遠ざかっていく。
直せるものは直す。
殴る必要があるものだけ殴る。
空条承太郎は、やはり空条承太郎だった。