守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
机の上には原稿用紙。
スケッチブック。
資料。
そして、少し冷めかけたコーヒー。
いつもなら、紙を走るペンの音だけが部屋に満ちている。
だが今日は違った。
机の向こうで、泉京香が両手で資料を持ったまま、じっと露伴を見ていた。
「先生」
「何だ」
「これ、本当に取材ですよね?」
露伴はペンを止めずに答えた。
「もちろんだ」
泉は、少しだけ眉をひそめる。
「本当に?」
「しつこいな、泉くん」
露伴はようやく顔を上げた。
「作品にはリアリティが必要だからね」
「その言い方が一番信用できないんです」
露伴は心外そうにする。
「信用できない?」
「できません」
泉は即答した。
「先生の言う“リアリティ”って、だいたい常識から三歩くらい外れたところにあるじゃないですか」
「三歩なら近いだろう」
「そこじゃないです」
露伴は椅子に背を預け、指を組んだ。
「泉くん」
「君は以前、僕の別荘で起きたことを覚えているか?」
泉の顔が即座に曇った。
「忘れたくても忘れられません」
「いい答えだ」
「よくないです」
露伴は机の上の地図を広げた。
そこには、ひとつの土地の名が書かれている。
六壁坂。
泉はその文字を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。
「……先生」
「まさか」
「そう」
露伴はうなずく。
「次は六壁坂だ」
泉は資料を握る手に力を込める。
「やめましょう」
「早いな」
「早いも何もないです!」
泉。
「六壁坂って、先生ご自身が“何かある”って分かってる土地ですよね!?」
「なんでそこへ行くんですか!」
露伴は当然のように言った。
「何かあるから行くんだ」
「でしょうね!」
「一番言ってほしくない答えでした!」
露伴は、机の上に数枚のスケッチを並べた。
カイエン。
ソープ。
アウクソー。
キラ。
ラクス。
承太郎。
ネウロと弥子。
泉はその顔ぶれを見て、ますます不安になった。
「……この人たち、まさか全員誘うつもりですか?」
「全員とは言っていない」
「じゃあ誰を?」
露伴はペン先で三人分のスケッチを示した。
「まずは、カイエン」
「ソープ」
「アウクソー」
泉は深いため息をついた。
「本命ですね」
「そうだ」
露伴。
「六壁坂という土地に、彼らを置く」
「それだけで、何が見えるか分からない」
「分からないから危ないんですよ!」
露伴は静かに笑った。
「分からないから、取材になる」
泉は頭を抱える。
「先生、本当に最悪の方向に前向きですね……」
露伴は続ける。
「カイエンは、軽い顔をしながら本物を隠している」
「ソープは、整備士を名乗りながら存在そのものが曖昧だ」
「アウクソーは、その二人をつなぎ、現実的に場を維持する」
「はい」
「この三人を、六壁坂という“土地の記憶が濃い場所”に置く」
「すると、どうなると思う?」
泉は少し考えた。
「……何も起きないのが一番です」
「つまらない答えだな」
「安全な答えです!」
露伴は手元のスケッチを見下ろす。
「僕はずっと、カイエンを描ききれていない」
「ソープもそうだ」
「人間なのか、技術者なのか、支配者なのか、何なのか」
「一枚の絵に収まらない」
泉が小さく言う。
「それって、別に収めなくてもいいのでは……」
「いいや」
露伴は即答した。
「描けないものを描こうとするから、漫画になる」
泉は黙った。
この人は、そういう人だった。
危ないものを見る。
危ないと分かっても見る。
そして、それを作品にしようとする。
岸辺露伴とは、そういう漫画家なのだ。
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泉は諦めきれずに尋ねた。
「でも、どうやって誘うんですか?」
「普通に“怪異の土地へ行きませんか”って言って、来る人たちじゃないですよね?」
露伴は少しだけ考えた。
「カイエンにはこう言う」
露伴は、さも当然のように台詞を読む。
「“以前の別荘では、君の生活面の資料が不足していた”」
「“今度は、もう少し土地の癖が強い場所で観察したい”」
泉が即座に止める。
「絶対来ません」
「そうか?」
「来ません!」
「それ完全に“君を変な場所で観察したいです”って言ってます!」
露伴は眉をひそめる。
「事実だ」
「事実をそのまま言えばいいわけじゃないです!」
露伴は仕方なさそうに言った。
「では、ソープには?」
「先生が案を出す前に言いますけど、ソープさんもかなり危険な方ですよね」
「危険ではない」
露伴。
「興味深いだけだ」
「それ先生基準では同じです」
露伴は無視して続ける。
「ソープには、“見せたい土地がある”と言う」
泉が警戒する。
「……それはちょっと自然ですね」
「だろう」
露伴。
「六壁坂は、単なる別荘地じゃない」
「人の生活、土地の記憶、怪異の気配が混ざっている」
「ソープなら興味を持つ」
「持つでしょうね……」
泉。
「持っちゃうでしょうね……」
「そしてソープが来るなら、カイエンも来る」
「なぜですか?」
露伴は当然のように言う。
「放っておけないからだ」
泉は少しだけ納得してしまった。
「……それは、そうかもしれません」
露伴はさらに続ける。
「アウクソーは、カイエンが来れば来る」
「つまり、本命三人はこれで揃う」
「先生、悪い作戦立ててる時の顔です」
「良い取材計画だ」
「言い方を変えただけです!」
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泉はスケッチを見ながら、次の人物たちを指す。
「じゃあ、承太郎さんは?」
露伴は少しだけ間を置いた。
「保険だ」
「保険?」
「何かあった時、彼がいると安心だ」
「先生が承太郎さんを頼りにしてる……」
「勘違いするな」
露伴。
「僕が危険だから呼ぶんじゃない」
「取材を継続するための安全確保だ」
「同じです!」
露伴は気にせず続ける。
「キラ・ヤマトとラクス・クラインは、おまけだが必要だ」
「キラは場を調整する」
「ラクスは、場を乱さずに締める」
「あの二人がいると、全体が崩れにくい」
泉は腕を組む。
「それ、かなり正しいですね」
「だろう」
「ただ、キラくんの胃が心配です」
「そこは、例の乳酸菌飲料でも持たせればいい」
「雑!」
露伴は最後に、弥子とネウロのスケッチを見た。
「桂木弥子と脳噛ネウロには……声をかけなくてもいい」
泉が目を丸くする。
「呼ばないんですか?」
「食費が増える」
「理由そこですか!?」
「それに、ネウロは呼ばなくても来る可能性がある」
露伴。
「六壁坂のような土地なら、何か嗅ぎつけるだろう」
泉はぞっとした。
「それって、もう呼んでるのと同じでは?」
「違う」
露伴。
「僕は招待していない」
「責任逃れみたいな言い方しないでください!」
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泉は、ふと思い出したように言った。
「あの、先生」
「今回、私も行くんですか?」
露伴は即答した。
「当然だ」
「ですよね……」
「君は編集だからな」
「その時だけ編集扱いするのやめてください」
露伴は地図の横に、別荘の簡単な間取り図を置いた。
「部屋は三つある」
泉は覗き込む。
「三つ?」
「三人部屋が三つだ」
「……人数、足ります?」
露伴は指で割り振る。
「女子部屋」
「弥子、ラクス、アウクソー」
「私がいませんけど」
「男子部屋A」
「カイエン、ソープ、キラ」
「私がいませんけど」
「男子部屋B」
「僕、承太郎、ネウロ」
「私がいませんけど!!」
露伴は顔を上げた。
「そうだな」
「泉くん、君の寝床がない」
「言い切った!?」
「今日はもう帰っていいよ」
「まだ行ってもいないのに帰されるんですか!?」
泉は机を叩きそうになった。
「そもそも山の別荘で“帰っていいよ”って言われても帰れませんよ!」
露伴は少し考える。
「では、女子部屋を四人部屋にしよう」
「最初からそうしてください!!」
「君は声が大きいな」
「先生のせいです!」
露伴はさらりと間取り図を修正する。
「女子部屋」
「弥子、ラクス、アウクソー、泉くん」
泉は深く息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「なんで自分の寝床を確保するだけで、こんなに疲れるんでしょう」
露伴は真顔で答えた。
「リアリティがあるな」
「取材にしないでください!!」
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露伴は別荘の設備についても説明した。
「温泉がある」
泉の顔が少しだけ明るくなる。
「それは良いですね」
「ただし露天ではない」
露伴。
「前回とは違う」
「古い内湯だ」
「少し広いが、閉じた造りになっている」
泉の顔がまた曇る。
「その言い方、怖いです」
「何がだ」
「“閉じた造り”とか」
「“古い内湯”とか」
「先生が言うと全部怪異の前フリに聞こえるんです」
露伴は静かに言った。
「いい感性だ」
「褒めないでください」
露伴は予定表を書き始める。
「初日は、到着、部屋割り、周辺確認、夕食、風呂」
「夜に少し、土地の様子を見る」
泉が素早く反応する。
「夜に何を見るんですか?」
「土地の様子だ」
「具体的に」
「その時になれば分かる」
「分かりたくないです」
露伴はペンを置いた。
「泉くん」
「はい」
「六壁坂には、何かある」
「それは間違いない」
泉は黙った。
露伴は続ける。
「だが、何があるかを知るには」
「そこに人を置く必要がある」
「ただ歩くだけでは足りない」
「食事をして、眠り、風呂に入り、会話する」
「生活の中に、土地がどう割り込んでくるかを見る」
泉は、少しだけ寒気を覚えた。
露伴の言葉は、怖い。
でも、たしかに筋は通っている。
怪異は、ただ出るだけではない。
人の暮らしの隙間に入ってくる。
だからこそ、生活を置いてみる。
露伴はそれを本気でやろうとしている。
「……先生」
泉は静かに言った。
「本当に、危なくなったら止めてくださいね」
露伴は少しだけ笑う。
「当然だ」
泉はじっと見る。
「本当に?」
「僕は死ぬ気で漫画を描くが」
「死ぬために漫画を描いているわけじゃない」
泉は、ほんの少しだけ安心した。
ほんの少しだけ。
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露伴は最後に、携帯を取り出した。
「では、まずソープに連絡する」
泉がぎょっとする。
「今ですか!?」
「今だ」
露伴。
「思いついた時に動かなければ、リアリティは逃げる」
「リアリティは逃げません!」
露伴はメッセージを打ち込む。
レディオス・ソープ。
君に見せたい土地がある。
六壁坂だ。
ただの別荘地ではない。
人の生活と土地の記憶の境目が、少しだけ曖昧な場所だ。
カイエンとアウクソーも連れて来るといい。
泉が横から覗き込んで青ざめる。
「先生」
「これ、完全に危ない誘い文句です」
「いい文面だろう」
「いい文面ですけど、危ないです!」
露伴は送信した。
数秒。
返事が来た。
面白そうだね。
行くよ。
泉は固まった。
「即答……」
露伴は満足そうに笑う。
「やはり来る」
「先生……」
泉は頭を抱えた。
「もう始まっちゃいましたね」
露伴はスケッチブックを閉じる。
「違う」
「え?」
露伴は、六壁坂の地図を見下ろした。
「始まるのは、これからだ」
泉は、心底思った。
帰っていいなら、今すぐ帰りたい。
だが、帰れない。
編集だから。
そして何より、彼女ももう分かっていた。
岸辺露伴が六壁坂へ行くなら、誰かがそばにいなければならない。
それが自分なのだと。
たぶん。
かなり不本意だが。