守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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第一の怪異は、消えた。

少なくとも、目に見える形では。

キッチン奥の納戸は封鎖され、扉にはアウクソーが目印を貼った。
承太郎が周囲を確認し、キラが通路に荷物を置いて不用意に近づかないようにする。
露伴は最後まで名残惜しそうに扉を見ていたが、泉に本気で袖を引かれてようやく離れた。

「先生、もういいです」
「十分見ました」

「十分ではない」

「十分です!!」

そんなやりとりの横で、弥子がぽつりと言った。

「怖かったけど、お腹空いた!!」

沈黙。

キラが思わず振り向く。

「切り替え早いね……」

泉も疲れた顔で言う。

「弥子ちゃん、さっきまで死体っぽい怪異が増えてたんだよ?」

弥子は胸を張った。

「だからこそ!」
「食べないと明日戦えないでしょ!」

キラが顔を曇らせる。

「明日も戦う前提なの……?」

ネウロが愉快そうに笑った。

「ククク……」
「吾輩はすでに前菜を済ませた」

弥子が即座に怒鳴る。

「それ言うな!!」
「こっちはこれから本物のごはんなの!」

カイエンは肩をすくめる。

「やれやれ」
「謎を前菜扱いする魔人と、怪異の直後に飯を要求する女子高生か」
「この合宿、相変わらず濃いな」

ソープは納戸の方を一度だけ見てから、静かに言った。

「でも、食事に戻れるのは大事だよ」
「生活が続いている、ということだからね」

ラクスが微笑む。

「ええ」
「まずは皆さまで、落ち着いて夕食にいたしましょう」

アウクソーは、すでにキッチンへ向かっていた。

「では、準備いたします」
「温かいものを中心にしましょう」

弥子の顔がぱっと明るくなる。

「温かいもの!」

泉が小さく笑った。

「そこだけで元気になるんだ……」


岸辺露伴は六壁坂へ誘う その5

キッチンのテーブルに、食材が並ぶ。

 

米。

パン。

缶詰。

レトルト。

野菜。

卵。

保存食。

菓子。

チョコ。

羊羹。

そして大量の某乳酸菌飲料。

 

キラが本数を数えて、少し遠い目をした。

 

「……えっと」

「僕が持ってきた分が十二本で」

「アウクソーさんの補充分が十本くらい……」

 

アウクソーが訂正する。

 

「十二本です」

 

キラが固まる。

 

「合計二十四本……」

 

弥子が目を輝かせる。

 

「毎日飲めるじゃん!」

 

アウクソーは真顔で頷いた。

 

「一日一本が目安です」

 

ネウロが鼻で笑う。

 

「ククク……」

「人間どもが乳酸菌に支配されている」

 

承太郎が短く言う。

 

「うるせぇな」

 

カイエンが瓶を一本手に取る。

 

「これ、坊や用じゃなかったのかい?」

 

キラが苦笑する。

 

「もう、みんな用でいいです……」

「僕専用みたいになると、なんか余計に疲れるので」

 

ラクスが優しく言った。

 

「皆さまでいただきましょう」

 

ソープは興味深そうに瓶を眺める。

 

「睡眠やストレスに関わる飲料か」

「地球の食文化は、機能をかなり前面に出すんだね」

 

キラが即座に反応する。

 

「そこまで深く考えなくていいですよ」

 

露伴はメモしていた。

 

「乳酸菌飲料を中心に形成される共同体」

「非常にいい」

 

泉が言う。

 

「先生、夕食前に変な概念を作らないでください」

 

______________________________

 

 

結局、初日の夕食は、持ち寄り食材を使った大鍋になった。

 

野菜と缶詰の肉、保存のきく食材を合わせた具だくさんのスープ。

米は炊いて、おにぎりにもする。

レトルトや缶詰は、アウクソーとラクスの手で少しずつ手が加えられ、ただの非常食からちゃんとした食事へ変わっていく。

 

弥子も、当然のように手伝いに回った。

 

泉が少し驚く。

 

「弥子ちゃん、手際いいね」

 

弥子は得意げに言う。

 

「食べるだけじゃないんですよ!」

「食べるためなら作る!」

 

キラが笑う。

 

「動機がまっすぐすぎる」

 

ラクスが優しく言う。

 

「とても大切なことですわ」

 

ネウロが横から言う。

 

「食欲に支配された単純な労働力だな」

 

弥子が振り返る。

 

「うるさい!」

「あんたは謎の前菜食べたんだから黙ってなさい!」

 

ネウロは愉快そうに笑うだけだった。

 

承太郎は黙って大鍋を運んだ。

 

重い鍋を片手で持つような勢いだったので、泉が目を丸くする。

 

「承太郎さん、力ありますね……」

 

「鍋くらいで騒ぐな」

 

ソープがそれを見て、少し面白そうに言う。

 

「精密性だけじゃなく、日常の力仕事にも無駄がない」

「スタンド抜きでも、身体の使い方が整っているね」

 

承太郎が低く返す。

 

「分析するな」

 

「整備士だからね」

 

「便利な言葉だな」

 

カイエンが笑った。

 

「前にも聞いたな、それ」

 

______________________________

 

 

食卓の端には、ネウロが持ってきたスティルトンチーズが置かれていた。

 

アウクソーが一応、皿に分けている。

 

「就寝前の摂取は推奨できません」

「ただし、夕食時に少量であれば問題は少ないかと」

 

キラが真顔で言う。

 

「この土地でその“少ない”が怖いんです」

 

ネウロが不満そうに言った。

 

「変な夢を見る可能性があるだけだ」

 

弥子が指を差す。

 

「ほら!」

「悪夢じゃないって自分で言った!」

 

ネウロは舌打ちしそうな顔をした。

 

「細かい」

 

その時、カイエンがいつの間にか小さなグラスを手に、チーズを一切れつまんでいた。

 

泉が叫ぶ。

 

「食べてる!!」

 

弥子も叫ぶ。

 

「普通にツマミにしてる!!」

 

カイエンは平然としている。

 

「悪くないぞ」

「クセはあるが、酒には合う」

 

キラが頭を抱える。

 

「なんで六壁坂の怪異より先にチーズ談義が始まるんですか……」

 

ソープも一切れ取って、香りを確かめた。

 

「発酵の香りが強いね」

「でも、構造は面白い」

「地球の熟成食品は、思ったより幅が広いな」

 

カイエンが少し楽しそうに言う。

 

「分かるか、ソープ」

「地球の酒肴も侮れんぞ」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「マスター、飲みすぎにはお気をつけください」

 

「分かってる」

 

「昨日もそう仰いました」

 

「……やれやれ」

 

露伴はそのやりとりを逃さずメモする。

 

「怪異の土地で、怪しいチーズを酒の肴にする剣聖」

「非常にいい」

 

泉が即座に言う。

 

「よくないです!!」

「いま一番よくない方向に記録しましたよね!?」

 

______________________________

 

 

ようやく食卓が整った。

 

大鍋の湯気。

炊きたての米。

おにぎり。

缶詰を使った小皿。

野菜。

チーズ。

そして全員分の某乳酸菌飲料。

 

弥子が両手を合わせる。

 

「いただきます!!」

 

全員もそれぞれ手を合わせる。

 

ネウロだけは、まるで別の食事を終えた後のような顔をしていたが、それでも席には着いていた。

 

弥子はスープを一口食べて、すぐに叫ぶ。

 

「うまっ!」

「怪異のあとに染みる!」

 

泉が疲れた顔で言う。

 

「その感想、普通は出ないよ……」

 

キラもスープを飲み、ほっと息を吐いた。

 

「でも、分かるかも」

「温かいものって、落ち着きますね」

 

ラクスが微笑む。

 

「ええ」

「皆さまで食卓を囲めるのは、よいことですわ」

 

承太郎は黙って食べている。

 

だが、おかわりを拒まなかったので、弥子がすぐに気づいた。

 

「あ、承太郎さん、気に入ってる」

 

「うるせぇな」

 

「当たりだ!」

 

カイエンはチーズを食べながら、スープにも手を伸ばす。

 

「悪くない」

「保存食が多い割に、ちゃんと飯になってる」

 

アウクソーが淡々と答える。

 

「ラクス様と弥子様の手際がよかったので」

 

弥子が胸を張る。

 

「ほら!」

「食べるだけじゃない!」

 

ネウロがすかさず言う。

 

「食うための労働だろう」

 

「だからうるさい!」

 

ソープは食卓全体を見ていた。

 

「面白いね」

「怪異に触れた直後でも、食事で場が戻る」

「人間は、かなりしぶとい」

 

キラが苦笑する。

 

「しぶとくないと、ここにはいられない気がします」

 

露伴が頷く。

 

「いい答えだ」

 

「褒められても怖いです」

 

______________________________

 

食事が進むにつれ、弥子の皿は何度も空になった。

 

おかわり。

おかわり。

さらにおかわり。

 

泉は途中で数えるのをやめた。

 

「……先生」

「食材、多すぎるくらいだと思ったんですけど」

 

露伴は静かに答える。

 

「桂木弥子がいるからな」

 

弥子が口を尖らせる。

 

「聞こえてる!」

 

露伴は淡々としている。

 

「事実だ」

 

「否定しづらい!」

 

キラが在庫を見ながら言う。

 

「でも、思ったより減ってますね」

「明日の朝と昼も考えると、少し配分を見た方がいいかも」

 

アウクソーが頷く。

 

「同感です」

「弥子様の消費量を基準に再計算します」

 

弥子が反応する。

 

「あたしが基準!?」

 

カイエンが笑う。

 

「いいじゃないか」

「燃費の単位になれるぞ」

 

弥子が真顔で言う。

 

「それ褒めてる?」

 

「半分くらいは」

 

「半分!?」

 

ネウロが楽しそうに言った。

 

「ククク……」

「“一ヤコ”という単位を作るがよい」

「通常人間の二・五食分程度だ」

 

「勝手に単位化するな!!」

 

露伴は当然メモした。

 

「一ヤコ」

「食費計算に有用」

 

泉が叫ぶ。

 

「先生も採用しないでください!!」

 

______________________________

 

 

食後。

 

全員が少し落ち着いた。

 

怪異は出た。

密室もあった。

死体のようなものも増えた。

 

だが、誰も怪我をしなかった。

ネウロは謎を喰い、部屋は封鎖され、そして皆で夕食を食べた。

 

それは、奇妙ではあるが、確かに一つの区切りだった。

 

弥子は満足げに某乳酸菌飲料を飲んでいる。

 

「ぷはー」

「これもおいしいね」

 

キラが少し笑う。

 

「毎日一本ね」

 

「了解!」

 

ネウロが鼻で笑う。

 

「人間どもめ」

「怪異の土地で乳酸菌に安堵するとは、実に滑稽だ」

 

承太郎が短く言う。

 

「飲むのか」

 

ネウロは少し沈黙した。

 

「……味見程度ならな」

 

弥子が笑う。

 

「結局飲むんじゃん!」

 

ソープは瓶を手に、ラベルを眺めていた。

 

「健康と安心を飲料にする」

「地球の商売も面白いね」

 

カイエンが言う。

 

「君は何でも構造で見るな」

 

「君は何でも雑に食べるね」

 

「失礼な」

カイエンはチーズをもう一切れ取る。

「ちゃんと味わってる」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「マスター、そろそろそのあたりで」

 

「はいはい」

 

キラはそのやりとりを見て、少しだけ安心した。

 

今回は、前回より寝られるかもしれない。

 

そう思った。

 

その直後、露伴が言った。

 

「食後は温泉だな」

 

泉の顔が固まる。

 

「……先生」

「普通に入れますよね?」

 

露伴は静かに笑った。

 

「入るだけなら普通だ」

 

「その言い方!!」

 

ラクスが穏やかに言う。

 

「皆さま、順番にいたしましょう」

「まずは女性からでよろしいでしょうか」

 

アウクソーが頷く。

 

「準備いたします」

 

弥子が立ち上がる。

 

「温泉!」

「ごはんの次はお風呂!」

 

ネウロが口元を歪める。

 

「ククク……」

「満腹の人間は警戒が緩む」

「風呂場という閉じた湿地で、何が見えるか楽しみだな」

 

泉が両手で耳を塞いだ。

 

「聞こえません!」

「私は何も聞こえません!!」

 

承太郎が低く言った。

 

「黙れ、ネウロ」

 

カイエンも肩をすくめる。

 

「やれやれ」

「せめて風呂くらい静かに入らせてやれ」

 

露伴はメモ帳を閉じた。

 

「生活は続く」

「食事の次は、入浴だ」

 

泉が涙目で言う。

 

「普通のことを不穏に言わないでください……」

 

六壁坂の夜は、まだ長い。

 

だが少なくとも今だけは、食卓の湯気と、乳酸菌飲料の甘さと、弥子の満足そうな顔が、怪異の気配を少しだけ遠ざけていた。

 

ほんの少しだけ。

 

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