守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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岸辺露伴は六壁坂へ誘う その9

二日目の朝。

 

六壁坂の別荘には、静かな光が差し込んでいた。

 

夜のあいだ、何かが起きたようには見えない。

 

窓の外には森。

朝の空気は少し冷えている。

昨夜の湯気も、密室も、死体めいた怪異も、今は遠い出来事のようだった。

 

少なくとも、見た目だけなら。

 

最初に起きたのは、アウクソーだった。

 

彼女は音を立てずに身支度を済ませ、台所へ向かう。

前夜に分類しておいた食材を確認し、朝食の準備に入るためだ。

 

パン。

卵。

缶詰。

野菜。

乳酸菌飲料。

フローズンヨーグルト用の素材。

弥子の手の届きにくい場所へ置いたお菓子と保存食。

 

アウクソーは、棚の上段へ目を向けた。

 

そして、わずかに動きを止めた。

 

そこにあるはずの袋が、ひとつ減っていた。

 

アウクソーは静かに棚を確認する。

 

「……」

 

続いて、隣の棚。

冷蔵庫。

保存食の箱。

レトルトの山。

 

大きく荒らされた形跡はない。

だが、少しずつ減っている。

 

まるで、誰かが遠慮がちに食べたように。

 

しかし、量は遠慮していない。

 

アウクソーは、静かに呟いた。

 

「……弥子様ではありませんね」

 

そこへ、寝ぼけた顔の泉京香がやってきた。

 

「おはようございます……」

「アウクソーさん、早いですね……」

 

「おはようございます、泉様」

 

泉は目をこすりながら、棚を見る。

 

「……あれ?」

「昨日、そこにお菓子とか置いてませんでした?」

 

「はい」

 

「減ってません?」

 

「減っています」

 

泉の眠気が一瞬で飛んだ。

 

「えっ」

 

アウクソーは冷静に言う。

 

「食材の一部が、夜間に消費されています」

 

「夜間に消費」

「誰が?」

 

その時、廊下から元気な声がした。

 

「おはよーございまーす!」

 

桂木弥子だった。

 

髪は少し跳ねているが、目はしっかりしている。

起き抜けから空腹の気配を漂わせている。

 

泉は反射的に弥子を見た。

 

弥子はぴたりと止まる。

 

「……なに?」

「なんで二人とも、あたしを見るの?」

 

アウクソーは静かに言う。

 

「弥子様」

 

「はい」

 

「棚の上段に置いていた食材が減っています」

 

弥子は目を丸くした。

 

「えっ」

「あたし触ってないよ!」

「届かないもん 」

 

泉が一瞬だけ黙る。

 

「その言い訳、かわいいけど説得力ある……」

 

弥子は必死に言う。

 

「ほんとに!」

「昨日、アウクソーさんが上に置いた時、あたし見てたもん!」

「あそこ、背伸びしても微妙だったし!」

 

アウクソーは頷いた。

 

「はい」

「弥子様の身長と腕の長さでは、台を使わない限り届かない位置です」

 

「そこまで計算されてたの!?」

 

「必要な管理です」

 

泉は小さく呻いた。

 

「じゃあ……誰が?」

 

弥子はきょろきょろと周囲を見る。

 

「ネウロ?」

 

その瞬間、背後から声がした。

 

「ククク……」

「吾輩を人間どもの菓子泥棒と同列に扱うな」

 

ネウロが、いつの間にか廊下に立っていた。

 

弥子は眉をひそめる。

 

「じゃあ、あんたじゃないの?」

 

「吾輩が食うのは謎だ」

ネウロ。

「菓子ではない」

 

泉は小声で言う。

 

「昨日、乳酸菌飲料は味見してましたよね……」

 

「味見は食事ではない」

 

「屁理屈……」

 

ネウロは棚の上を見た。

 

その目が、少しだけ楽しそうに細くなる。

 

「ほう」

「夜の間に、食材が食われたか」

 

弥子がすぐに言う。

 

「食われたって言い方やめて」

「あたしが疑われる」

 

ネウロは笑った。

 

「安心しろ、騒音娘」

「今回ばかりは貴様ではない」

 

弥子は胸を張った。

 

「ほら!」

 

ネウロは続けた。

 

「貴様なら、もっと派手に食う」

 

「台無し!!」

 

______________________________

 

しばらくして、全員が食堂に集まった。

 

キラは、思ったよりすっきりした顔をしている。

 

泉が少し驚いた。

 

「キラくん、眠れた?」

 

キラは微笑む。

 

「はい」

「今回は、ちゃんと眠れました」

 

ラクスが嬉しそうに言う。

 

「よかったですわ」

 

カイエンが軽く笑う。

 

「坊や、少し顔色が戻ったな」

 

「ありがとうございます」

キラ。

「カイエンさんとソープさんが静かにしてくれたので」

 

ソープは紅茶を手にして、穏やかに笑った。

 

「僕たちはそんなに騒がないよ」

 

キラは少しだけ間を置いた。

 

「昨日は本当に騒がなかったので、そこは感謝してます」

 

カイエンが肩をすくめる。

 

「信用を少し回復したな、ソープ」

 

「僕の信用だったの?」

 

「半分くらいは」

 

承太郎も起きてきた。

 

必要最低限の身支度。

顔に疲れはない。

 

露伴は少し寝不足気味だった。

おそらく寝る直前までメモを整理していたのだろう。

 

泉がそれを見てため息をつく。

 

「先生、ちゃんと寝ました?」

 

「必要なだけは寝た」

 

「それ絶対足りてないやつです」

 

ネウロは楽しそうに朝食の席を見ていた。

 

「ククク……」

「朝から人間どもが食卓に集まる」

「生活は本当にしぶといな」

 

弥子が言う。

 

「朝ごはんは大事だからね!」

 

その朝食は、見た目には平和だった。

 

トースト。

卵。

具だくさんのスープの残りを温め直したもの。

缶詰を使った小皿。

乳酸菌飲料。

そして、少しだけフローズンヨーグルト用の素材を試した小さなデザート。

 

弥子は目を輝かせる。

 

「朝から豪華!」

 

アウクソーが言う。

 

「食材消費量を見ながら調整しております」

 

露伴が食卓を見て言った。

 

「一見、平和な朝だな」

 

泉が即座に反応する。

 

「一見って言わないでください」

 

露伴は平然と続ける。

 

「だが、食材が消えている」

 

全員の手が止まった。

 

キラが顔を上げる。

 

「消えている?」

 

アウクソーが説明する。

 

「夜間、棚の上段に置いていた食材が一部減少しました」

「冷蔵庫内の食材も、わずかに減っています」

「ただし、荒らされた形跡はありません」

 

承太郎が静かに言う。

 

「誰かが食ったのか」

 

弥子が両手を上げる。

 

「あたしじゃない!」

「届かないもん!」

 

カイエンが笑いかけたが、アウクソーが真顔で頷いた。

 

「弥子様ではありません」

 

弥子が勝ち誇る。

 

「ほら!」

 

ネウロが付け加える。

 

「貴様ならもっと分かりやすく減る」

 

「またそれ!」

 

ソープは食材の並びを見ながら、少し目を細めた。

 

「不自然だね」

「盗まれた、というより……抜かれた感じがする」

 

キラが聞く。

 

「抜かれた?」

 

「食材そのものを食べたというより」

ソープ。

「栄養だけ、熱量だけを吸われたような印象がある」

 

泉が嫌そうな顔をする。

 

「熱量だけを吸う……?」

 

露伴の目が輝いた。

 

「いい」

 

「よくないです!」

 

ネウロは朝食を眺めながら、にやりと笑った。

 

「ククク……」

「なるほど」

「昨日の前菜とは別の皿が出てきたか」

 

キラが頭を抱える。

 

「皿って言わないでください……」

 

______________________________

 

食事中、弥子がふと思い出したようにカイエンを見る。

 

「そうだ」

「カイエンさん、変な夢見た?」

 

カイエンは、パンを食べながら平然と答えた。

 

「いや」

「よく寝た」

 

弥子はつまらなそうにする。

 

「なんだー」

「スティルトン食べてたのに」

 

ネウロも不満そうに言った。

 

「つまらん」

 

カイエンは涼しい顔で言う。

 

「酒のつまみとしては悪くなかったぞ」

 

ソープが笑う。

 

「夢の実験より、食文化として処理されたね」

 

ネウロは鼻で笑う。

 

「剣聖の夢など、少しは歪むかと思ったがな」

 

カイエンは目だけでネウロを見る。

 

「オレの夢に入ってこようとしたら、斬るぞ」

 

「夢を斬れるつもりか」

 

「必要ならな」

 

承太郎が短く言った。

 

「やめろ」

「朝飯中だ」

 

キラが小さく頷く。

 

「承太郎さん、ありがとうございます」

 

______________________________

 

 

朝食が進むにつれ、違和感は少しずつ明確になった。

 

食材の量が、予定より減っている。

 

見た目には残っている。

しかし、妙に軽い。

 

パンはある。

だが、食べると満腹感が薄い。

スープもある。

だが、いつもより体に残らない。

卵も、缶詰も、昨日の残りも、確かに食べているのに、どこか頼りない。

 

弥子が眉をひそめる。

 

「……なんか」

「食べてるのに、お腹にたまらない」

 

泉が不安そうに言う。

 

「弥子ちゃん、それいつものことじゃなくて?」

 

「違う!」

「いつものお腹空いたとは違う!」

「こう、食べたのに食べたことになってない感じ!」

 

キラも少し考える。

 

「確かに……」

「量は食べてるのに、変な感じがします」

 

ラクスも静かに頷いた。

 

「少し、力になりにくいような」

 

アウクソーはすぐに食材の一部を確認する。

 

「重量に対して、栄養感が一致していない可能性があります」

 

泉が言う。

 

「栄養感って何ですか……」

 

ソープは、パンの断面を見ていた。

 

「構造は残っている」

「でも、中身が薄い」

「食材という形だけが残って、熱量が少し抜かれている」

 

カイエンは食べ終わった皿を見下ろす。

 

「道理で、満ちない感じがするわけだ」

 

ネウロは低く笑った。

 

「カロリー・イーターか」

 

その言葉で、食堂の空気が変わった。

 

弥子が即座に反応する。

 

「なにそれ」

「名前からして許せない」

 

ネウロは愉快そうに言う。

 

「食材から熱量を奪う」

「人間の食事という営みを空回りさせる怪異」

「昨夜の死体もどきより、実害は分かりやすいな」

 

キラが真顔になる。

 

「つまり、食べ物があるのに、栄養が減っているってことですか?」

 

「そういうことだ」

ネウロ。

「貴様ら人間にとっては、かなり不愉快な相手だろう」

 

弥子が拳を握る。

 

「不愉快どころじゃない」

「食べ物への冒涜だよ!!」

 

泉が小声で言う。

 

「弥子ちゃん、本気で怒ってる……」

 

カイエンも少し眉を寄せている。

 

「燃費の悪い騎士にも、なかなか嫌な相手だな」

 

ソープが言う。

 

「形は残して、機能だけ奪う」

「かなり陰湿だね」

 

露伴は静かにメモ帳を開いた。

 

「食べ物の形骸化」

「生活に対する侵食」

「非常にいい」

 

弥子が露伴を見た。

 

「露伴先生」

「今回ばかりは、よくないです」

 

露伴は一瞬だけ黙った。

 

弥子の目が、本気だった。

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……」

「騒音娘の逆鱗に触れたな」

「食事を奪う怪異か」

「これは、なかなか面白くなる」

 

______________________________

 

 

朝食は終わった。

 

だが、満足感は薄い。

 

弥子は明らかに不満そうだった。

キラも、食材在庫を再確認している。

アウクソーは、保存食をいくつか開けて状態を確認していた。

 

「一部、熱量の低下が疑われます」

アウクソー。

「未開封品にも同様の傾向があります」

 

キラが眉をひそめる。

 

「未開封でも?」

 

「はい」

 

承太郎が言う。

 

「物理的に食ってるわけじゃねぇな」

 

ソープが頷く。

 

「栄養や熱量という概念に触っている」

「昨日の死体が“認識”を利用していたなら」

「今日のこれは“食事の機能”を奪っている」

 

カイエンは軽く首を鳴らす。

 

「で、どうする」

「斬れる相手か?」

 

ネウロが楽しそうに言った。

 

「今はまだ形がない」

「だが、空腹が溜まれば、形を持つだろう」

 

弥子が即座に言う。

 

「空腹を溜めるって何!?」

「それ、あたしが被害担当みたいになってない!?」

 

ネウロは笑った。

 

「貴様ほど適任はいない」

 

「嫌だよ!」

 

ラクスが穏やかに、しかししっかり言った。

 

「無理に危険を引き受ける必要はありませんわ」

 

アウクソーも頷く。

 

「弥子様の体調管理は必要です」

 

弥子は少し嬉しそうになる。

 

「ラクスさん、アウクソーさん……」

 

ネウロは鼻で笑う。

 

「甘いな」

「だが、この怪異は食を狙う」

「ならば、食に執着する者に最も濃く反応する」

 

全員が弥子を見た。

 

弥子は両手を広げる。

 

「やめて」

「その理屈、分かるけどやめて」

 

露伴はメモした。

 

「カロリー・イーター」

「桂木弥子に反応する可能性」

 

泉が即座に言う。

 

「先生、実験しようとしないでくださいね」

 

露伴は答えた。

 

「まだしない」

 

「“まだ”!?」

 

承太郎が低く言う。

 

「露伴」

 

「分かっている」

露伴。

「安全は確保する」

 

キラが少し不安そうに言った。

 

「露伴先生の安全基準が一番不安です……」

 

______________________________

 

朝食後、食堂の窓から見える森は、穏やかだった。

 

鳥の声もする。

光もある。

夜のような濃い気配はない。

 

それなのに、食卓には明らかな異変が残っていた。

 

食べ物はある。

でも、少し足りない。

 

満たされるはずのものが、満たされない。

 

それは、昨夜の死体よりも地味で、しかし生活に近い怪異だった。

 

泉は皿を片づけながら、小さく言う。

 

「先生」

「これ、もう始まってますよね?」

 

露伴は窓の外を見ていた。

 

「始まっている」

「昨夜は、死体と密室だった」

「今日は、食事だ」

 

「生活の中に怪異が入り込む、ってやつですか……」

 

「そうだ」

露伴は少しだけ笑った。

「六壁坂は、こちらの生活を見ていた」

「そして、次にどこへ触れれば効くかを選んだ」

 

弥子が不満そうに言う。

 

「選ぶ場所が最悪!」

 

ネウロはゆっくりと立ち上がった。

 

「ククク……」

「よい」

「食を奪う怪異」

「腹ごなしには、ちょうどよい相手だ」

 

キラが思わず言う。

 

「昨日の謎を食べたから、動けるんですか?」

 

「昨日の前菜が、まだ腹に残っている」

ネウロ。

「少し運動するには、悪くない」

 

弥子が指を差す。

 

「じゃあ今日はちゃんと働きなさいよ!」

 

ネウロは笑った。

 

「必要になればな」

 

「今もう必要でしょ!!」

 

その声に、食堂の隅で何かが微かに揺れた。

 

誰も置いていないはずの、空の菓子袋が一枚。

 

かさり。

 

中身はない。

 

だが、袋だけが、少しだけ膨らんだように見えた。

 

まるで、まだ何かを食べているように。

 

泉が青ざめる。

 

「……動きました?」

 

承太郎が目を細める。

 

「動いたな」

 

ソープは静かに言った。

 

「形を持ち始めている」

 

弥子が拳を握った。

 

「食べ物に手を出した怪異は」

「許さない」

 

ネウロは、満足そうに笑った。

 

「いい顔だ、騒音娘」

「その怒りもまた、よい餌になる」

 

「餌って言うな!!」

 

六壁坂の二日目。

 

朝は平和に始まった。

 

だが、その平和は、すでに食われ始めていた。

 

 

 

 

 

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