守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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朝食は終わった。

だが、食べた気がしなかった。

皿は空になっている。
パンも、卵も、スープも、確かに口に入れた。
それなのに、腹の底に力が落ちてこない。

弥子は、空になった皿を見下ろしていた。

「……許せない」

泉は少し怯えた。

「弥子ちゃん?」

弥子は拳を握った。

「食べたのに、食べたことにならないなんて」
「これは……ごはんへの冒涜だよ!!」

ネウロが、実に楽しそうに笑った。

「ククク……」
「よい怒りだ、騒音娘」
「食を奪われた人間の怒りは、実に分かりやすい」

「分かりやすいとか言うな!」

キラは食材の在庫を確認していた。

「未開封の保存食にも影響が出ています」
「開けてないのに、軽いというか……エネルギーが抜けてる感じがします」

アウクソーも頷く。

「重量に大きな変化はありません」
「しかし、摂取後の満足感、栄養感に異常があると推定されます」

泉が困惑する。

「栄養感って、もう完全に感覚の話ですよね……?」

ソープは、パンの断面をじっと見ていた。

「いや、感覚だけじゃない」
「これは“食材の形”は残して、“食事としての機能”を抜いている」
「かなり陰湿だ」

カイエンが椅子にもたれて言う。

「燃費の悪い騎士には、なかなか嫌な相手だな」

承太郎は、黙って食堂の隅を見ていた。

空になった菓子袋が、かさり、と小さく揺れる。

風はない。

窓も開いていない。

承太郎の目が細くなる。

「……いるな」

露伴のペンが動く。

「カロリー・イーター」
「食材の形を残し、熱量だけを奪う」
「生活への侵食としては、昨日の死体よりさらに近い」

泉がすかさず言う。

「先生、観察はいいですけど、今回は早く何とかしてください」
「食べ物に関わると、弥子ちゃんが本気です」

弥子は真顔で頷いた。

「本気です」

ネウロは、ゆっくりと立ち上がった。

「では、腹ごなしといくか」

キラが反応する。

「昨日の謎を食べたからですか?」

「昨日の前菜は、まだ腹に残っている」
ネウロは口元を歪める。
「少し運動するには、ちょうどよい」

弥子が指を突きつける。

「じゃあ、今日はちゃんと働きなさいよ!」

「吾輩に命令するな」

「ごはんのためなら命令する!」

承太郎が低く言った。

「見えるようにできるのか」

ネウロは承太郎を見た。

「できる」

承太郎は短く返す。

「なら、あとは任せろ」

その一言で、食堂の空気が少し変わった。

カイエンがにやりと笑う。

「今回は承太郎の番か」

承太郎は帽子のつばを押さえる。

「見えねぇ相手を殴る趣味はねぇ」
「だが、見えたなら話は別だ」

露伴が、明らかにわくわくした顔で言う。

「いい」
「非常にいい」

泉が小声で言った。

「先生、今回は承太郎さんが頼もしいです……」


岸辺露伴は六壁坂へ誘う その10

まずは、怪異が最も反応しそうな場所を探すことになった。

 

候補は食堂。

キッチン。

保存食を置いた棚。

そして、弥子の荷物。

 

弥子は両手を広げた。

 

「なんであたしの荷物!?」

 

ネウロが言う。

 

「貴様の荷物は、この別荘内で最も食の気配が濃い」

 

「褒めてないよね、それ!」

 

アウクソーは冷静に言った。

 

「弥子様の菓子類は、昨夜の時点で量が多く、かつ種類も豊富でした」

「怪異が反応する可能性はあります」

 

弥子はしょんぼりする。

 

「お菓子が餌に……」

 

ラクスが優しく言う。

 

「弥子さんのお菓子を守るためにも、確認いたしましょう」

 

「ラクスさん……!」

 

そう言われると、弥子も従うしかない。

 

全員でキッチンと食堂の中間に荷物を集めた。

 

パン。

米。

缶詰。

チョコ。

羊羹。

レトルト。

乳酸菌飲料。

そして、ソープのフローズンヨーグルト用素材。

 

ソープが、その容器を見て少し眉をひそめる。

 

「これは守りたいな」

「せっかく持ってきたからね」

 

カイエンが呆れる。

 

「そこか」

 

「大事だよ」

ソープ。

「食後の楽しみが減る」

 

弥子が力強く頷く。

 

「分かる!!」

 

カイエンはため息をついた。

 

「変なところで気が合うな、おまえら」

 

その時、チョコの袋が小さくへこんだ。

 

かさり。

 

次に、未開封のカップ麺の容器が、わずかに軽く揺れた。

 

キラが息を呑む。

 

「今、動きました」

 

承太郎が一歩前へ出る。

 

「ネウロ」

 

「慌てるな」

ネウロ。

「まだ姿はない」

「だが、喰っている」

 

弥子が怒る。

 

「人のお菓子を!?」

 

ネウロは笑った。

 

「そうだ」

「人間どもの熱量を、つまみ食いしている」

 

承太郎の背後に、スタープラチナの気配が立ち上がる。

 

だが、まだ拳は振るわれない。

 

見えないものは、殴れない。

 

ネウロは、その様子を満足げに見ていた。

 

「ならば、見えるようにしてやろう」

 

ネウロが指を鳴らした。

 

空気が、急に重くなる。

 

食堂の床に、黒い影が染みるように広がった。

それは水ではない。

泥でもない。

しかし、どろりとしていた。

 

白く、黒く、妙にぬらついた液体。

 

泉が悲鳴を上げる。

 

「何ですかそれ!?」

 

ネウロは高らかに言った。

 

「魔界777ツ能力――」

「暴食の造影剤(イビル・バリウム)」

 

キラが顔を引きつらせる。

 

「バリウム!?」

 

弥子も叫ぶ。

 

「胃の検査で飲むやつ!?」

 

「人間界のそれとは違う」

ネウロはにやりと笑う。

「これは、喰っている器官だけをこの次元へ引きずり出す魔界の造影剤」

「カロリーを盗み食いしている存在の消化器官にのみ付着する」

 

泉が震える。

 

「説明が嫌すぎる……」

 

ソープは目を輝かせている。

 

「なるほど」

「“食べている”という行為を媒介にして、次元に固定するのか」

「乱暴だけど、理にかなってる」

 

カイエンがぼそりと言う。

 

「魔界の医療ってのは、ずいぶん荒っぽいな」

 

ネウロは指先を振る。

 

どろり。

 

イビル・バリウムが床を這い、棚へ、食材へ、空中へと広がっていく。

だが、不思議なことに、人間たちには付着しない。

 

弥子は自分の腕を確認する。

 

「ついてない……」

 

ネウロが言う。

 

「安心しろ」

「貴様は食っているだけで、盗み食いはしていない」

 

弥子は一瞬だけ胸を張る。

 

「よかった!」

「……いや、なんか褒められてない!」

 

次の瞬間。

 

空間の真ん中に、白い線が浮かんだ。

 

最初は細い輪郭。

次に、膨らむ袋。

裂けたような口。

牙のない、ただ開くだけの口。

そして、巨大な胃袋。

 

醜悪な、胃と口だけのシルエットが、白々と空中に浮かび上がった。

 

泉が叫ぶ。

 

「いやああああ!!」

「胃と口だけ見えてる!!」

 

露伴は身を乗り出す。

 

「いい……」

「食欲だけが形を持っている」

「実にいい」

 

弥子が怒る。

 

「よくない!!」

「あいつ、あたしのお菓子食べたやつでしょ!?」

 

空中の胃袋が、びくりと震える。

 

口が開く。

 

音はない。

だが、周囲の食材が一瞬、さらに軽くなった。

 

アウクソーが即座に言う。

 

「熱量の吸収が進行しています」

 

キラが保存食を抱えて下がる。

 

「食材を避難させます!」

 

ラクスも動く。

 

「皆さま、落ち着いて」

 

カイエンは、逃げ道になりそうな廊下側へ立った。

 

「こいつが逃げようとしたら、そっちは任せろ」

 

ソープはフローズンヨーグルトの素材を守るように、容器を回収していた。

 

カイエンが突っ込む。

 

「ソープ、そこか」

 

「大事だと言っただろう?」

 

弥子も叫ぶ。

 

「大事!!」

 

______________________________

 

 

承太郎が、一歩前へ出た。

 

白く浮かび上がった胃袋と口は、空間を裂くように揺れている。

 

「やれやれだぜ」

承太郎が低く言う。

「見えさえすれば、ブチのめせる」

 

スタープラチナが現れた。

 

泉は思わず息を呑む。

 

キラも、初めて見るわけではないが、その圧には慣れない。

 

ネウロが笑う。

 

「さあ、我が舌の上に、その小賢しい謎を乗せろ」

「……と言いたいところだが」

「少々、調理が必要だな」

 

承太郎は答えない。

 

その拳が、すでに怪異へ向かっていた。

 

「オラァッ!!」

 

一撃。

 

白い胃袋が大きくへこむ。

 

音にならない悲鳴のようなものが、部屋の空気を震わせる。

 

続けざまに、拳。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラーッ!!」

 

スタープラチナの連打が、白く浮き上がった胃と口を叩き潰す。

 

食材を奪っていた口が歪む。

胃袋がねじれる。

空間に縛り付けられた怪異は、逃げられない。

 

泉は呆然とした。

 

「す、すごい……」

 

弥子は拳を握る。

 

「もっとやれー!!」

「人のごはんを食べ物じゃなくするなー!!」

 

キラが苦笑する。

 

「弥子ちゃん、完全に応援してる……」

 

カイエンは廊下側で、逃げ出そうとした白い筋を見つける。

 

「おっと」

「そっちは通行止めだ」

 

軽く指を振る。

 

ソニックブレードの気配が、廊下の空間を切る。

 

白い筋は、そこで進路を失った。

 

承太郎がさらに叩き込む。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラッ!!」

 

胃袋が限界まで潰れたところで、ネウロが前へ出た。

 

「十分だ」

 

承太郎の拳が止まる。

 

怪異は、もはや形を保てない。

白い造影剤に絡め取られ、胃と口だけがぐずぐずと崩れかけている。

 

ネウロは、その前に立ち、愉悦を隠さず笑った。

 

「熱量だけを奪い、満腹を空洞に変える」

「食事という生活の根幹に入り込む、小賢しい謎」

 

ネウロの目が細くなる。

 

「だが、調理は済んだ」

 

弥子が叫ぶ。

 

「食べ物みたいに言うな!」

 

「食べるのだから当然だ」

 

ネウロが口を開いた。

 

その瞬間、白く浮かび上がった怪異の輪郭が、ずるりと引き剥がされる。

胃袋の形をした謎が、空間から抜き取られる。

 

ネウロはそれを、優雅に喰らった。

 

静かな一瞬。

 

そして、食堂の空気が軽くなる。

 

棚の中のパン。

保存食。

菓子。

フローズンヨーグルト素材。

それらに、重さが戻ったような気がした。

 

弥子が真っ先に叫ぶ。

 

「戻った!?」

 

アウクソーがすぐに確認する。

 

「熱量の異常低下、停止しました」

「既存の影響も、徐々に回復しているようです」

 

キラが息を吐く。

 

「よかった……」

「昼食はちゃんと食べられそうですね」

 

弥子が両手を上げた。

 

「昼食!!」

 

泉が力なく笑う。

 

「そこに戻るの早い……」

 

ネウロは満足そうに口元を拭った。

 

「ふむ」

「昨日よりは軽い」

「だが、腹ごなしにはちょうどよい味だった」

 

弥子が指を差す。

 

「こっちはお腹すいてるんだからね!」

 

「それは貴様の問題だ」

 

「元凶食べたくせに!」

 

______________________________

 

 

食堂は、見た目ほど壊れてはいなかった。

 

イビル・バリウムの痕跡は、ネウロが指を鳴らすと消えた。

ただし、泉の心にはかなり残った。

 

「もう二度と見たくないです……」

「胃と口だけの怪異……」

 

露伴は猛烈にメモしている。

 

「見えない食欲」

「魔界の造影剤」

「空間に固定された消化器官」

「スタープラチナによる物理的制裁」

「非常にいい」

 

承太郎が低く言った。

 

「漫画に使うな」

 

露伴は即答する。

 

「使う」

 

「露伴」

 

「表現を変える」

 

「そういう問題じゃねぇ」

 

カイエンは笑っている。

 

「今回は承太郎の勝ちだな」

「見えた瞬間、終わった」

 

承太郎は淡々と言う。

 

「殴れる相手ならな」

 

ソープは感心していた。

 

「やっぱり、君のスタンドは面白い」

「力だけじゃなく、反応と精度が異常だ」

 

承太郎は短く返す。

 

「分析するな」

 

「整備士だからね」

 

カイエンが笑った。

 

「便利な言葉だな、それ」

 

ソープはフローズンヨーグルト素材を確認して、少し安心したように言う。

 

「これも無事だ」

「昼食後には出せそうだね」

 

弥子の顔が輝いた。

 

「ほんと!?」

 

アウクソーが補足する。

 

「昼食後、状態を見てお出しいたします」

 

弥子は両手を合わせた。

 

「やったー!」

 

キラは少し笑った。

 

「怪異討伐の後に、ちゃんとデザートの話に戻れるの、すごいね……」

 

ラクスは穏やかに言った。

 

「それも、生活を続けるということですわ」

 

露伴はその言葉を聞き、ペンを止めた。

 

「いいな」

「食事を奪う怪異を倒した後に、デザートを守る」

「生活の勝利だ」

 

泉は小さく言った。

 

「先生が珍しくまともなことを……」

 

「失礼だな、泉くん」

 

______________________________

 

 

昼食の準備が始まった。

 

今度は、ちゃんと食材に力がある。

 

パンはパンとして。

米は米として。

スープはスープとして。

食べれば、きちんと腹に落ちる。

 

弥子は念入りに確認した。

 

「アウクソーさん」

「これ、ちゃんと栄養ある?」

 

アウクソーは真顔で答える。

 

「現在、熱量の損失は確認されません」

 

「よし!」

「食べる!!」

 

キラが苦笑する。

 

「昼食で熱量確認するの、初めて見たよ」

 

カイエンは席に着きながら言う。

 

「食えるうちに食う」

「旅の基本だな」

 

承太郎も静かに座る。

 

ネウロは少し満足げな顔をしている。

 

弥子はその顔を見て言った。

 

「ネウロ」

「今日は働いたね」

 

「吾輩は吾輩の食事をしただけだ」

 

「はいはい」

「でも、助かった」

 

ネウロは少しだけ口元を歪めた。

 

「感謝するなら、次もよい謎を用意しろ」

 

「こっちに言うな!」

 

承太郎が箸を取りながら言った。

 

「次はなくていい」

 

露伴は静かに笑った。

 

「そうはいかないだろうな」

 

泉が叫ぶ。

 

「先生!!」

 

ソープは窓の外を見る。

 

六壁坂の森は、何事もなかったように静かだった。

 

しかし、そこには確かに何かがいる。

 

昨日は死体と密室。

今日は空腹と食卓。

 

六壁坂は、生活の中へ入り込んでくる。

 

それを知った上で、彼らは昼食を始めた。

 

弥子が両手を合わせる。

 

「いただきます!!」

 

今度の食事は、ちゃんと腹に落ちた。

 

それだけで、少し勝った気がした。

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