守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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六壁坂から帰って、数日後。

いつものカフェテラスに、カイエンはいた。

よく晴れた午後だった。
六壁坂の湿った霧も、古い別荘の匂いも、怪異の気配もない。

ただ、テーブルの上にコーヒーがあり、皿には小さなケーキがあり、通りには人が行き交っている。

ようやく日常が戻ってきた。

カイエンはそう思っていた。

「……と思った頃に来るんだよな」

「何が?」

向かいの席で、レディオス・ソープが紅茶を飲みながら首を傾げた。

今日は男性モードである。

カイエンはじろりと見た。

「何って、面倒ごとだよ」

「僕がいる時点で?」

「自覚があるなら少しは大人しくしてろ」

「ひどいなあ」

そこへ、岸辺露伴がやってきた。

カイエンは露骨に顔をしかめた。

「来た」

露伴は椅子に座りながら言った。

「挨拶くらいしたらどうだ」

「帰れ」

「まだ何も言っていない」

「一言目で分かる」

泉京香も後ろから来て、深く頭を下げた。

「すみません、先生がどうしても六壁坂の件で追加取材をしたいと……」

カイエンはため息をついた。

「やっぱりじゃないか」

露伴はすでにメモ帳を出している。

「六壁坂の件は、まだ整理しきれていない」
「特に、ソープ。君については――」

カイエンが即座に遮った。

「やめろ」

ソープはのんびりしている。

「僕?」

「おまえも反応するな」

「僕の話なら気になるじゃないか」

「気にするな。おれが疲れる」

その時、桂木弥子が小走りでやってきた。

「お待たせしましたー!」
「ケーキあります!?」

泉が苦笑する。

「開口一番それなんだ……」

弥子はテーブルの皿を見つけ、目を輝かせた。

「ある!」

ソープは笑った。

「どうぞ。まだ追加で頼めるよ」

カイエンが眉をひそめる。

「おい、ソープ。軽々しく言うな」

「いいじゃないか。日常に戻った記念だよ」

「おまえが言うと会計が怖い」

露伴がメモする。

「六壁坂後の日常回。ケーキにより平和を確認」

泉がすかさず言った。

「先生、普通のお茶会まで取材にしないでください」

「普通じゃない面子だろう」

それは否定できなかった。


岸辺露伴は三度取り違える

会話は、六壁坂の後日談に移っていった。

 

弥子はソフトクリームの話をした。

泉は六壁坂という単語を聞くたびに疲れた顔をした。

露伴は「寝かせている」と言いながら、明らかにまだ描く気でいた。

 

ソープは、なぜかいつもよりよくケーキを食べていた。

 

一切れ。

二切れ。

三切れ目。

 

カイエンが少し眉を上げる。

 

「珍しいな、ソープ」

 

ソープはにこにこしながら答えた。

 

「たまにはね」

 

「地球文化の追加調査か?」

 

「そうそう、それ」

 

カイエンは少し引っかかった。

 

だが、ソープはもともと引っかかることが多い男である。

 

男にもなる。

女にもなる。

湯あたりで妙なことにもなる。

六壁坂の霧に「分かるね」とか言って道を開けさせる。

 

多少いつもと違っても、ソープならそういうこともある。

 

カイエンはそう判断した。

 

弥子も普通に納得していた。

 

「ソープさん、甘いのも結構いけるんですね!」

 

「うん。おいしいよ」

 

泉も笑う。

 

「前のフローズンヨーグルトも美味しかったですしね」

 

露伴はソープの手元を見ていた。

 

「食べ方が少し軽いな」

 

ソープはにこっと笑った。

 

「そう?」

 

露伴は目を細めた。

 

ほんの少し違和感があった。

だが、ソープという人物は、そもそも観察結果が安定しない。

 

露伴はひとまず、メモにこう書いた。

 

ソープ、今日は妙にケーキを食べる。

 

その程度だった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

その時。

 

弥子がふと、通りの向こうを見た。

 

「……あれ?」

 

泉もそちらを見る。

 

カイエンも、遅れて視線を向けた。

 

交差点の向こうから、一人の女性が歩いてくる。

 

美しい女性だった。

 

軽やかな足取り。

柔らかな表情。

そして、見覚えがありすぎる顔。

 

ソープダッシュだった。

 

カイエンの手が止まった。

 

弥子が固まる。

 

泉が固まる。

 

露伴の目が見開かれる。

 

そして、テーブルには男性モードのソープがいる。

 

弥子が叫んだ。

 

「ええええ!?」

「ソープさんが、ふたり!?」

 

泉は完全に処理落ちした。

 

「待ってください」

「待ってください待ってください」

「つまり……やっぱり別人だったんですか!?」

 

露伴は立ち上がりかけた。

 

「いい」

「非常にいい」

「これは決定的な――」

 

カイエンは、テーブルの“ソープ”を見た。

 

向こうから来るソープダッシュ。

こちらに座ってケーキを食べているソープ。

 

その瞬間、ようやく違和感が形になった。

 

「……違うな」

 

テーブルのソープが、にこっと笑った。

 

「何が?」

 

カイエンの目が鋭くなる。

 

「おまえ、ソープじゃない」

 

弥子が即座に突っ込む。

 

「今!?」

「今気づいたの!?」

 

泉も言う。

 

「カイエンさん、さっきまで普通にお茶してましたよね!?」

 

カイエンは少しだけ気まずそうに言った。

 

「……泳がせてた」

 

露伴が即答した。

 

「嘘だな」

 

カイエンが睨む。

 

「うるさい、漫画家先生」

 

交差点を渡ってきたソープダッシュが、テーブルの前で足を止めた。

 

「あら」

「私がいない間に、面白いことになってるじゃない」

 

テーブルの偽ソープは、肩をすくめた。

 

「バレちゃったかー」

 

その顔が、ぐにゃりと崩れる。

 

ソープの顔ではなくなる。

姿も、声も、雰囲気も変わる。

 

そこにいたのは、怪物強盗Xiだった。

 

「やあ」

「久しぶり」

 

弥子が叫ぶ。

 

「Xi!!」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Xiは、実に楽しそうに笑っていた。

 

「いやー、思ったよりバレないね」

「この人に化けるの、すごく楽だったよ」

 

ソープダッシュは眉を上げる。

 

「あたしに?」

 

「うん」

Xiはにこにこしている。

「だって本物が普段から説明不能すぎるんだもん」

「ちょっと変なことしても、みんな“ソープさんならそういうこともあるか”って流してくれるし」

 

ソープダッシュの笑顔が、少し固まった。

 

弥子が気まずそうに言う。

 

「……まあ、ちょっと分かる」

 

泉も小声で言う。

 

「すみません、正直に言うと……はい」

 

露伴は真顔で言った。

 

「観察対象として、君は普段から不安定すぎる」

 

ソープダッシュは静かに言った。

 

「ひどいわね」

 

カイエンが肩をすくめる。

 

「普段の行いだな」

 

ソープダッシュがカイエンを見る。

 

「カイエンにだけは言われたくないわ」

 

Xiは腹を抱えて笑った。

 

「ほら! この空気!」

「誰も最初から僕を疑ってなかったじゃん!」

 

弥子が指を差す。

 

「でも! さすがにケーキ食べすぎ!」

 

Xiは胸を張った。

 

「そこはちゃんと楽しんだよ」

 

泉が青ざめる。

 

「楽しんだって……」

「もしかして、そのケーキ代……」

 

Xiは、すっと立ち上がった。

 

「じゃ、僕はこのへんで」

 

カイエンが身構える。

 

「逃げる気か」

 

Xiは笑う。

 

「怪物強盗だもん」

「払う側じゃなくて、盗る側なんだよね」

 

弥子が叫ぶ。

 

「ケーキ代払えー!!」

 

Xiは軽く手を振った。

 

「じゃあね、ソープさん」

「次はもっと上手く化けるよ」

 

ソープダッシュはにこりと笑った。

 

「次はないわよ」

 

「怖っ」

 

そう言って、Xiは通行人の影に紛れるように消えた。

 

本当に一瞬だった。

 

弥子が悔しそうに拳を握る。

 

「逃げた!!」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

残されたのは、空になったケーキ皿。

 

一枚。

二枚。

三枚。

 

さらに、Xiが勝手に頼んだらしい追加の紅茶。

 

泉が恐る恐る伝票を見た。

 

「……えっと」

「結構、食べてます」

 

弥子がカイエンを見る。

 

カイエンはソープダッシュを見る。

 

ソープダッシュは伝票を見た。

 

そして、ため息をついた。

 

「……あたしが払うの?」

 

カイエンは即答した。

 

「本人だろう」

 

「本人じゃないわよ。偽物よ」

 

露伴が言う。

 

「だが、店員から見ればソープが二人いたわけではない」

「最初からいたソープが食べたことになっている」

 

泉がうなずく。

 

「そうですね……」

 

弥子も言う。

 

「ソープさんに化けて食べたから、ソープさんの支払い?」

 

ソープダッシュは少しだけ目を細めた。

 

「その理屈、納得しにくいわね」

 

カイエンは肩をすくめる。

 

「諦めろ、ソープ」

「地球文化の追加調査だ」

 

ソープダッシュがじとっと見る。

 

「便利に使わないで」

 

カイエンは笑う。

 

「お互い様だろ」

 

ソープダッシュは財布を出した。

 

「仕方ないわね」

 

泉が慌てる。

 

「あの、すみません……」

 

「いいの」

ソープダッシュは支払いを済ませる。

「Xiに化けられて気づかれなかった授業料だと思うことにするわ」

 

露伴がメモした。

 

「偽物による飲食代を本物が支払う。非常にいい」

 

ソープダッシュが露伴を見る。

 

「よくないわ」

 

弥子がしみじみ言った。

 

「でも、ソープさんでもショック受けるんだね」

 

ソープダッシュは少しだけ拗ねたように言う。

 

「そりゃあね」

「自分の偽物が目の前にいたのに、誰も気づかなかったんだもの」

 

カイエンは目を逸らした。

 

「……まあ」

 

ソープダッシュが詰め寄る。

 

「カイエン?」

 

「いや、あれだ」

「今日は男のソープだったし」

 

「言い訳が雑」

 

「それに、おまえは普段から――」

 

「言わなくていい」

 

カイエンは黙った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

露伴は、ソープダッシュとカイエンと、空になった皿を見比べた。

 

「なるほど」

「これは面白い」

 

泉が警戒する。

 

「先生、何がですか」

 

露伴は言った。

 

「これまで、僕たちは何度も取り違えてきた」

 

弥子が首を傾げる。

 

「何を?」

 

「ヒッター子爵と剣聖カイエン」

「ソープとソープダッシュ」

「そして今度は、本物のソープと怪物強盗Xi」

 

露伴はメモ帳を開く。

 

「三度目だ」

「僕は三度取り違えた」

 

カイエンがぼそりと言う。

 

「自覚があるだけマシか」

 

露伴は続ける。

 

「だが、取り違えは失敗ではない」

「本物を見分けるために必要な過程だ」

「偽物が現れることで、本物の輪郭が分かる」

 

ソープダッシュは少しだけ黙った。

 

弥子が言う。

 

「でも、みんな気づかなかったよ?」

 

露伴は平然と言った。

 

「だから面白い」

 

泉が頭を抱える。

 

「先生……」

 

ソープダッシュは、少しだけ笑った。

 

「じゃあ、次からはもっと分かりやすくするわ」

 

カイエンが即座に言う。

 

「やめろ」

 

「何を?」

 

「本物感とか言い出すなよ」

 

ソープダッシュはにこっと笑った。

 

「本物感」

 

カイエンが額を押さえた。

 

「ほら言った」

 

弥子は笑っている。

 

「でも、次は分かるよ!」

「たぶん!」

 

泉が言う。

 

「たぶん、なんだ……」

 

露伴は最後に、伝票の控えを見た。

 

「それにしても、Xiはよく食べたな」

 

弥子がむっとする。

 

「あいつ、人のケーキ代まで押しつけて!」

 

ソープダッシュは控えをしまいながら言う。

 

「次に会ったら、請求するわ」

 

カイエンが笑う。

 

「できるのか?」

 

ソープダッシュは微笑んだ。

 

「できるわよ」

 

その笑顔は、とても穏やかだった。

 

だが、弥子と泉は同時に思った。

 

あ、これは本物だ。

 

 

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