守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
午後の光が、テーブルの上のカップに淡く反射していた。
そこに一人、男が座っている。
ダグラス・カイエン。
……に見える男だった。
足を組み、片肘をつき、面倒そうに通りを眺めている。
その姿勢は、確かにカイエンらしい。
どこか飄々としていて、いざとなれば一瞬で空気を切り替えそうな雰囲気。
ただし、その“いざとなれば”の部分が、ほんの少し軽い。
本人なら、そこに座っているだけで、もう少し面倒くさそうで、もう少し危なっかしくて、もう少し疲れている。
だが、その違いに気づく者は、まだいなかった。
そこへ岸辺露伴と泉京香がやってくる。
露伴は、カイエンらしき男を見つけるなり言った。
「いたな」
男は顔を上げた。
そして、面倒そうに立ち上がる。
「さて、そろそろ帰るか」
泉が慌てる。
「まだ何も始まってませんよ!?」
露伴はテーブルに手をついた。
「待て待て!! 失礼だろ!」
男は肩をすくめた。
「君が来た時点で、だいたい用件は分かるんだよ、漫画家先生」
露伴は眉を上げる。
「ふん。今日の君は、ずいぶん分かりがいいじゃないか」
「いつも分かってるさ。面倒だから聞かないだけで」
泉は少しだけ納得した。
これはカイエンさんっぽい。
かなりそれっぽい。
露伴も一応、椅子に座る。
「六壁坂の件で、まだ聞きたいことがある」
「ほらな」
「ほらな、じゃない。取材対象には協力する義務がある」
「ないよ」
「ある」
「ない」
泉は、いつもの流れだと思った。
非常にいつもの流れだ。
露伴がメモ帳を出したところで、男が少し笑った。
「帰るな。まぁ座れよ、ダグラス・カイエン」
男は、軽く手を振った。
「誰だよそれ。僕はヒッター子爵だヨ」
泉は一瞬、固まった。
露伴も目を細める。
「……今の返しは、まあカイエンっぽいな」
「だろう?」
「自分で言うな」
男は笑う。
露伴はメモする。
ヒッター子爵ネタに自然に反応。
外面はかなり似ている。
泉が横から覗き込む。
「先生、もう疑ってるんですか?」
「怪盗Xiがこれだけ続いているんだ。疑わない方がおかしい」
男は片眉を上げた。
「疑うなら帰るよ」
「本物なら帰りたがる。偽物なら帰るふりをする」
「どっちでも帰るじゃないか」
「そこが厄介なんだ」
泉は頭を抱えた。
「この時点でもう面倒です……」
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そこへ弥子が駆けてきた。
「お疲れ様でーす!」
「あ、カイエンさん!」
男は軽く手を上げる。
「やあ、弥子。今日も元気そうだな」
弥子は少しだけ止まった。
「……あれ?」
泉が反応する。
「弥子ちゃん?」
「いや、なんか」
弥子は首を傾げる。
「カイエンさん、今日はちょっと爽やか?」
男は笑う。
「失礼だな。いつも爽やかだろう」
弥子は即答した。
「それは違う」
泉が吹き出しかける。
露伴はメモした。
桂木弥子、違和感あり。理由:爽やかすぎる。
男は肩をすくめた。
「ひどいね」
弥子は席につき、メニューを見る。
「ケーキ頼んでいいですか?」
男は答えた。
「いいんじゃないか」
弥子がまた止まる。
「……え?」
泉も止まる。
露伴が見る。
男は言った。
「何だい」
弥子はじっと見た。
「カイエンさんなら、そこでまず“食いすぎるなよ”とか、“会計は誰持ちだい”とか言いません?」
男は一瞬だけ黙った。
「……今日は気分がいいんだ」
露伴が少し笑った。
「なるほど」
泉が小声で言う。
「先生、今のは怪しかったですね」
「かなりな」
男は露伴を見る。
「聞こえてるぞ、漫画家先生」
「聞こえるように言っている」
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その時、通りの向こうからキラとラクスが歩いてきた。
キラはカフェテラスの面々に気づき、軽く会釈する。
「あ、皆さん」
ラクスも微笑んだ。
「ご一緒してもよろしいでしょうか?」
弥子が手を振る。
「どうぞどうぞ!」
男はキラを見て、口元を緩めた。
「おや、坊や。今日も胃が痛そうだな」
キラは苦笑する。
「それ、挨拶ですか?」
「半分くらいは」
ここまでは、かなり似ていた。
キラも普通に席へ近づく。
だが、男は続けた。
「まあ、慣れろ。君はそういう役回りだ」
キラの足が止まった。
ラクスも、わずかに目を伏せる。
弥子が気づく。
「キラくん?」
キラは、男を見た。
「……違います」
露伴の目が光る。
「何が違う」
キラは少し迷ってから言った。
「カイエンさんは、そういう言い方をしても」
「最後に、逃げ道を残してくれます」
男は黙った。
キラは続ける。
「六壁坂の時も、からかわれましたけど」
「でも、ちゃんと寝ろとか、食べろとか、無理するなって意味がありました」
「今の言い方は、ただ突き放しただけです」
ラクスも静かに頷く。
「カイエンさんは、言葉は乱暴でも、相手の疲れを見落とす方ではありません」
泉が小さく息を呑む。
弥子も頷く。
「あー……分かる」
「カイエンさん、なんだかんだ面倒見いいもん」
露伴は猛烈にメモしている。
「いい」
「雑な外面の奥にある世話焼き」
「偽物によって、本物の輪郭がまた見えた」
男は、数秒黙った。
そして、笑った。
「うわー」
「そこかあ」
姿が揺れる。
カイエンの顔が崩れ、服の輪郭が溶けるように変わる。
そこにいたのは、怪物強盗Xiだった。
「カイエンさん、雑そうに見えて難しいなあ」
弥子が叫ぶ。
「Xi!!」
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Xiは、カップを持ち上げながら笑っていた。
「外面は結構似てたでしょ?」
泉は悔しそうに言う。
「似てました……」
露伴も認める。
「軽口、面倒くさそうな態度、ヒッター子爵の返し」
「そのあたりは悪くなかった」
Xiは胸を張る。
「でしょ?」
キラは少し困った顔をする。
「でも、カイエンさんは、もう少し優しいです」
Xiはにやにやした。
「本人に聞かせたいね、それ」
ラクスが微笑む。
「きっと照れられるでしょうね」
弥子が言う。
「照れるかな?」
露伴が即答する。
「照れる。間違いなく不機嫌な顔で誤魔化す」
泉が頷く。
「見えますね……」
Xiは楽しそうに笑った。
「じゃあ、今回はキラくんとラクスさんの勝ちか」
キラは首を横に振る。
「勝ち負けじゃないですけど……」
「そういうところも、キラくんらしいね」
Xiは立ち上がる。
「さて、じゃあ僕はそろそろ」
弥子がすかさず伝票を見る。
「待って! 何か食べた!?」
Xiはカップを示す。
「コーヒーだけ」
泉が伝票を確認する。
「本当です。コーヒー一杯だけ」
弥子が言う。
「払って!」
Xiは少し考えて、小銭を置いた。
「今回はカイエンさんに化けたからね」
「食い逃げすると、あとで本人が面倒くさそうだし」
露伴がメモする。
「本人の性格まで想定して会計を処理」
Xiは笑う。
「僕も成長してるんだよ」
カイエンの声が、背後からした。
「ほう」
全員が振り向いた。
そこには、本物のダグラス・カイエンが立っていた。
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空気が変わった。
本物のカイエンは、いつものように軽い表情をしている。
だが、目が笑っていない。
Xiは一瞬で後ずさった。
「あ、本人」
カイエンはゆっくり近づく。
「楽しそうだな」
「いやー、今日もいい天気だね」
「誤魔化し方が雑だな」
Xiはさらに下がる。
「じゃ、僕はこのへんで!」
カイエンが一歩踏み出す。
Xiは即座に人混みへ滑り込むように逃げた。
「次はもっと優しいカイエンさんを勉強してくるよー!」
カイエンは少しだけ額に青筋を浮かべた。
「二度とするな」
Xiの気配は消えた。
弥子がぽつりと言う。
「逃げ足早い……」
泉が言う。
「本物が来ると、やっぱり撤退判断が早いですね」
露伴は不満そうだ。
「もう少し観察したかった」
カイエンが露伴を見る。
「君も大概だな」
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本物のカイエンは、席に座った。
そして、全員を見回す。
「で」
嫌な間だった。
弥子が少し背筋を伸ばす。
泉も目を逸らす。
露伴だけが面白そうにしている。
カイエンは言った。
「騙されたのは誰で」
「偽物だって気づいてくれたのは誰だ?」
泉が小さく言う。
「えっと……」
弥子が正直に手を挙げる。
「最初はちょっと騙されました」
泉も続ける。
「私も……」
露伴は平然と言う。
「僕は疑っていた」
弥子が即座に言う。
「でも断定はしてませんでしたよね」
露伴は黙った。
カイエンはにやりと笑う。
「なるほどな」
それから視線をキラへ向ける。
「で、気づいたのは?」
キラは少し気まずそうに手を挙げた。
「僕と……ラクスです」
カイエンは一瞬、黙った。
「坊やが?」
「はい」
ラクスが穏やかに言う。
「カイエンさんは、もう少しお優しいですから」
カイエンは、はっきり困った顔をした。
「……やめろ」
「そういう褒め方はやめろ」
露伴が即座にメモする。
「剣聖カイエン、優しいと言われて狼狽」
カイエンが鋭く見る。
「書くな」
「もう書いた」
キラも少し笑った。
「すみません。でも本当に、そう思ったので」
カイエンは目を逸らす。
「坊やまでやめろ」
弥子がにやにやする。
「照れてる」
「照れてない」
泉も小声で言う。
「照れてますね」
「照れてない」
ラクスは微笑んでいる。
カイエンは深いため息を吐いた。
「……全く」
「Xiより厄介だな、君たちは」
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少しして、カイエンはコーヒーを注文した。
そして弥子の方を見た。
「弥子」
「はい?」
「ケーキを頼むのは構わんが、食いすぎるなよ」
「会計は誰持ちだい?」
弥子は目を輝かせた。
「本物だ!!」
泉も頷く。
「本物ですね」
露伴が言う。
「雑だが、管理が入っている」
キラが笑う。
「そう、それです」
カイエンは不満そうにする。
「褒めてるのか、けなしてるのか、はっきりしろ」
ラクスは穏やかに言った。
「褒めていますわ」
「だから、それをやめろ」
カイエンはコーヒーを飲み、少しだけ気まずそうに外を見た。
露伴はメモ帳を閉じる。
「怪盗Xiは剣聖を装った」
「だが、剣聖の雑さの奥にある面倒見までは装えなかった」
カイエンが言う。
「まとめるな」
露伴は少し笑う。
「いい取材だった」
「勝手に取材するな」
「もうした」
弥子が笑った。
「でも、これでXiがカイエンさんに化けるのは難しくなりましたね」
カイエンは肩をすくめる。
「次にやったら斬る」
泉が小声で言う。
「冗談に聞こえない……」
キラも小声で言う。
「聞こえないですね……」
カイエンは聞こえていたが、何も言わなかった。
そのかわり、少しだけキラに言う。
「坊や」
「はい?」
「寝られる時に寝ろよ」
キラは一瞬驚いて、それから笑った。
「はい」
ラクスは、それを見て静かに微笑んだ。
そして弥子は、メニューを見ながら言った。
「じゃあ、ケーキ一個だけ」
カイエンは即座に返す。
「一個だけだぞ」
弥子は笑う。
「やっぱり本物!」
カフェテラスに、穏やかな午後の風が吹いた。
偽物が去って、本物が残る。
本物は、少し面倒で、言葉が雑で、時々照れる。
だからこそ、分かる。
それが、ダグラス・カイエンだった。