守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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岸辺露伴は疲れていた。

珍しく、本人がそう言った。

「泉くん」

アトリエの机に向かったまま、露伴はペンを置いた。

「今度の週末は、少し休養させてくれ」

泉京香は、資料を抱えたまま固まった。

「……先生が?」

「何だ、その顔は」

「いえ。先生の口から“休養”という言葉が出ると思わなかったので」

「僕だって人間だ。休養くらい必要だ」

泉は、少しだけ感動しかけた。

怪盗Xi。

ソープ。
ラクス。
アウクソー。
露伴本人。
承太郎。
カイエン。
泉。
そして、最後にはキラ本人ではなく「観察者」まで装った。

あの一連の騒動は、確かに疲れた。

露伴先生でさえ疲れたと言うなら、それは本当に疲れたのだろう。

泉は、少し優しい声で言った。

「そうですね。たまにはゆっくりされてもいいと思います」

露伴は頷いた。

「だから、今度の週末に海辺の旅館を探してくれ」

「海辺の旅館」

「そうだ」
「港町がいい」

泉はメモを取り始めた。

「港町ですね。温泉旅館ですか?」

「温泉があればなおいい」
「海が近く、潮騒が聞こえる場所」
「漁港があり、市場も近い」
「できれば古い灯台もあるといい」

泉のペンが止まった。

「先生」

「何だ」

「灯台は、休養に必要ですか?」

露伴は当然のように答えた。

「必要だろう」

「何に?」

「リアリティに」

泉はゆっくり目を閉じた。

「もしかして……」

露伴は言った。

「取材旅行だ」

泉は机に両手をついた。

「ですよね!!」


岸辺露伴は潮騒を聞く その1

泉は、気を取り直して確認した。

 

「一応お聞きしますけど、誰と行くんですか?」

 

「僕と君」

 

「はい」

 

「それと、カイエン」

 

「はい?」

 

「ソープも必要だな」

 

「必要?」

 

「海辺の土地に対して、彼がどう反応するか見たい」

 

「もう完全に取材対象じゃないですか!」

 

露伴は聞いていない。

 

「それに、六壁坂では山だった」

「今回は海だ」

「山の怪異と海の怪異では、土地の記憶の出方が違う」

 

泉は頭を抱えた。

 

「怪異を探しに行かないでください。休養ですよね?」

 

「もちろん休養だ」

「ただし、何も起きないとは限らない」

 

「起こさない努力をしてください!!」

 

露伴はさらに続けた。

 

「弥子とネウロも呼ぶ」

 

「呼ぶんですか!?」

 

「桂木弥子は、怪異があってもなくても行動が強い」

「それに港町なら、彼女は海鮮で釣れる」

 

泉は否定できなかった。

 

「……まあ、それはそうですね」

 

「キラとラクスも呼ぶ」

 

「先生、結局いつものメンバー全員じゃないですか」

 

「全員ではない。承太郎は都合次第だ」

 

「呼ぶ気はあるんですね……」

 

露伴は淡々と言った。

 

「怪盗Xiから少し離れるには、環境を変えるのが一番だ」

 

泉は思わず言った。

 

「それは分かりますけど、メンバーがいつも通りだと、別の何かが起きそうです」

 

「起きたら描く」

 

「だから!!」

 

______________________________

 

 

数時間後。

 

露伴は、いつものカフェテラスにいた。

 

泉は旅館候補をいくつか印刷してきている。

 

海辺の温泉旅館。

港に近い民宿風の宿。

少し高いが料理評価の良い旅館。

古い灯台まで徒歩圏内の宿。

 

露伴は資料を見ながら言った。

 

「ここがいい」

 

泉が見る。

 

「料理がかなり良い旅館ですね」

「ただ、少し高いです」

 

「食事が悪い旅は、記憶に残らない」

 

「そこは分かりますけど……」

 

「港町だ。海鮮は妥協するな」

 

その瞬間、背後から声がした。

 

「海鮮!?」

 

桂木弥子だった。

 

露伴と泉が振り返る。

 

弥子は目を輝かせていた。

 

「今、海鮮って言いました!?」

 

露伴は短く言う。

 

「言った」

 

弥子は即答した。

 

「行きます!」

 

泉が笑う。

 

「まだ場所も日程もちゃんと決まってないよ?」

 

「海鮮があるなら行きます!」

 

そこへネウロがぬっと現れる。

 

「ククク……」

「また食欲で旅先を決めるか、騒音娘」

 

弥子は振り向く。

 

「あんたも来るんでしょ!」

 

「謎の匂いがあればな」

 

露伴はネウロを見る。

 

「海辺の怪異に興味は?」

 

ネウロは口元を歪めた。

 

「海はいい」

「沈んだもの、流れ着いたもの、戻らぬもの」

「人間どもの後悔がよく漬かる」

 

泉が即座に言った。

 

「やめてください! 今回は休養です!」

 

ネウロは楽しそうに笑うだけだった。

 

______________________________

 

 

その後、キラとラクスも合流した。

 

キラは話を聞くなり、少し警戒した。

 

「港町旅行ですか……」

 

ラクスは微笑む。

 

「素敵ですわね」

 

キラは慎重に言った。

 

「今回は、最初に会計をきちんと決めておいた方がいいと思います」

 

泉が力強く頷く。

 

「それは本当にそうです」

 

弥子が首を傾げる。

 

「会計?」

 

キラは真面目な顔でメモを出した。

 

「前回までの実績から、通常参加費とは別に、予備費を多めに設定します」

「特に、桂木弥子魔界探偵事務所さんは……」

 

弥子が嫌な顔をした。

 

「なんでうちだけ名指し!?」

 

ネウロが即答した。

 

「貴様が食うからだ」

 

「ネウロにだけは言われたくない!」

 

キラは続ける。

 

「港町は海鮮が高くなる可能性があります」

「海鮮丼、浜焼き、刺身、旅館の追加料理、お土産……」

 

弥子の目がどんどん輝いていく。

 

「海鮮丼……浜焼き……刺身……」

 

泉が言う。

 

「もう予備費が必要な顔してる」

 

キラは少し言いづらそうに言った。

 

「なので、弥子ちゃんは通常参加費ではなく……」

「一ヤコ換算で」

 

弥子が叫んだ。

 

「単位にしないで!!」

 

露伴のペンが走る。

 

「一ヤコ。旅費計算における食欲単位」

 

「書かないでください!!」

 

ラクスは少し笑っていた。

 

「でも、事前に多めにしておけば、旅先で慌てずに済みますわ」

 

アウクソーの声が静かに加わった。

 

「妥当かと存じます」

 

いつの間にか、カイエンとアウクソー、そしてソープも来ていた。

 

弥子が絶望した顔になる。

 

「アウクソーさんまで!?」

 

アウクソーは淡々と言った。

 

「港町編では、弥子様の摂取量を一ヤコ=四人前で見積もるのが安全かと」

 

弥子はテーブルに突っ伏した。

 

「四人前……」

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……成長したな」

 

「嬉しくない!」

 

______________________________

 

 

カイエンは旅館資料を眺めていた。

 

「港町か」

 

ソープが言う。

 

「いいね。山が続いたし、海は気分が変わる」

 

カイエンは港の写真を見て、少しだけ興味を持ったようだった。

 

「堤防があるな」

 

泉が不安になる。

 

「カイエンさん、何をする気ですか?」

 

「釣りくらいはできるだろう」

 

弥子が反応する。

 

「カイエンさん、釣りできるんですか!?」

 

「投げるだけなら、剣も竿も似たようなもんだ」

 

露伴が即座に言う。

 

「似ていない」

 

ソープは楽しそうに笑った。

 

「でも、カイエンなら投げ釣りは様になりそうだね」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「マスター、現地で釣り具を購入される場合は、事前に予算申請をお願いいたします」

 

カイエンは目を逸らした。

 

「……見るだけだよ」

 

アウクソーは一礼した。

 

「では、購入はなさらないということで記録いたします」

 

「いや、そこまでは言ってない」

 

「マスター」

 

「……分かった。申請する」

 

キラが小さく呟いた。

 

「この時点で、もう会計が怖い……」

 

ソープは旅館資料の別ページを見ていた。

 

「塩ソフトがあるね」

 

カイエンが言う。

 

「また文化調査か」

 

「海辺の甘味文化は重要だよ」

 

「君の重要はだいたい会計に響く」

 

ソープは笑った。

 

「今回は個人負担にするよ」

 

泉が小声で言う。

 

「その言葉、記録しておきましょう」

 

露伴が即座に書いた。

 

「ソープ、塩ソフトは個人負担」

 

ソープが困ったように笑う。

 

「信用がないなあ」

 

カイエンが言った。

 

「あると思うな」

 

______________________________

 

 

最終的に、宿は港から少し歩いた高台の旅館になった。

 

海が見える。

温泉がある。

料理は海鮮中心。

近くに小さな漁港と朝市がある。

少し足を伸ばせば、古い灯台にも行ける。

 

泉は予約画面を見ながら、何度も確認した。

 

「本当にここでいいんですね?」

 

露伴は頷く。

 

「いい」

 

「予算、少し高めですよ」

 

「港町で料理を削るな」

 

弥子が力強く言う。

 

「削らないでください!」

 

キラが会計表を見ながら言った。

 

「では、参加費は通常分と予備費、それから一ヤコ分……」

 

「だから一ヤコって言わないで!」

 

ネウロが言う。

 

「一ヤコ分は吾輩の分も含めておけ」

 

弥子が跳ね上がる。

 

「なんで!?」

 

「貴様の事務所だろう」

 

「違う!!」

 

泉が頭を抱えた。

 

「出発前から会計が荒れてる……」

 

カイエンは笑った。

 

「まあ、旅らしくなってきたじゃないか」

 

アウクソーは冷静だった。

 

「なお、今回の追加費用は、原則として各自負担といたします」

「ただし、不測の事態に備え、予備費を設定いたします」

 

露伴が言う。

 

「不測の事態とは?」

 

アウクソーは静かに答えた。

 

「主に、弥子様の追加注文、マスターの釣り具、ソープ様の文化調査、露伴様の取材関連費です」

 

泉が乾いた笑いを漏らした。

 

「不測というより、だいたい予測できてますね……」

 

______________________________

 

 

旅館予約が終わったあと、露伴は港町の地図を眺めていた。

 

漁港。

防波堤。

旅館。

灯台。

古い神社。

海沿いの道。

 

彼の指が、灯台の近くで止まる。

 

泉がそれに気づいた。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「灯台には、行くんですね?」

 

「もちろんだ」

 

「休養ですよね?」

 

「休養の一環だ」

 

「取材ですよね?」

 

「取材でもある」

 

泉はもう諦めた。

 

弥子はメニューの写真を見ていた。

 

「海鮮丼……舟盛り……朝市の焼き魚……」

 

キラは会計表を直していた。

 

ラクスは港町の写真を静かに眺めている。

 

カイエンは堤防の形を見ている。

 

ソープは塩ソフトの店を確認している。

 

アウクソーは全員の予定と予算を整理している。

 

ネウロは、地図の海の部分を見て笑った。

 

「ククク……」

「潮騒か」

 

露伴が顔を上げる。

 

「何か感じるか」

 

「まだ何も」

ネウロは笑う。

「だが、海は隠すには広すぎる」

「そして、返す時は唐突だ」

 

泉が言った。

 

「そういう不穏なこと、準備段階で言わないでください!」

 

露伴は地図を閉じた。

 

「決まりだな」

 

泉が小さくため息をつく。

 

「はい……港町旅行、ですね」

 

露伴は訂正した。

 

「岸辺露伴は潮騒を聞く」

 

泉は目を細める。

 

「やっぱりタイトルつけてるじゃないですか」

 

「当然だ」

 

「休養ですよね?」

 

露伴は少しだけ笑った。

 

「休養だよ、泉くん」

「ただし、潮騒が何を語るかは、聞いてみなければ分からない」

 

泉は天を仰いだ。

 

「絶対、普通に終わらない……」

 

弥子が元気よく言う。

 

「でも海鮮丼は食べます!」

 

キラは会計表を見ながら呟いた。

 

「予備費、もう少し増やそう……」

 

こうして、新たな旅の準備は始まった。

 

怪盗Xiから逃げるための休養旅行。

 

少なくとも、名目上はそうだった。

 

だが、露伴が地図の灯台に丸をつけた時点で、泉はもう分かっていた。

 

これは、ただの旅行では終わらない。

 

そして会計も、たぶん普通では終わらない。

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