守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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港町旅行の予定が決まってから、キラ・ヤマトは少し真剣だった。

いや、かなり真剣だった。

いつものカフェテラス。
テーブルの上にはノート、ペン、スマートフォン、旅館の予約確認画面、周辺地図、そして会計表。

その横には、すでに数本の乳酸菌飲料が並んでいる。

弥子がそれを見て言った。

「キラくん、準備早いね」

キラは顔を上げた。

「今回は、会計で負けないようにしようと思って」

泉が乾いた笑いを漏らす。

「会計で負ける旅行って何……」

ラクスは穏やかに微笑んでいたが、キラの肩にそっと手を置いた。

「キラ、無理はなさらないで」

「ありがとう、ラクス」
キラは乳酸菌飲料を一本手に取る。
「でも、今回は最初が大事だから」

弥子は不思議そうに首を傾げる。

「最初?」

キラは真面目な顔で言った。

「事前徴収」

弥子の表情が固まった。

「……あ」

泉が即座に頷く。

「それは大事です」

露伴もメモ帳を開く。

「出発前の会計管理。実に生活のリアリティがある」

弥子は両手を振った。

「ちょっと待って! まだ何も食べてないよ!?」

ネウロが、いつの間にか弥子の背後にいた。

「ククク……」
「食う前から費用を恐れられるとは、貴様も立派な災害だな」

「災害じゃない!!」

キラは会計表を見せた。

「通常参加費は、このくらい」
「旅館代、交通費、基本の食費、予備費を含めてます」

弥子は恐る恐る聞いた。

「あたしは?」

キラは一瞬だけ目を逸らした。

「弥子ちゃんは……」

アウクソーが静かに補足した。

「一ヤコ換算です」

「その単位、まだ生きてるの!?」

露伴のペンが走る。

「一ヤコ、港町旅行における主要経済単位として定着」

「定着してない!!」


岸辺露伴は潮騒を聞く その2

キラは会計表を指差した。

 

「前回は、一ヤコ=四人前で仮計算していました」

 

弥子は少し胸を張った。

 

「ほら。四人前ならまあ……」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「甘いかと存じます」

 

弥子の顔が引きつった。

 

「アウクソーさん!?」

 

アウクソーは淡々と続ける。

 

「今回は港町です」

「海鮮丼、浜焼き、刺身、焼き魚、イカ焼き、ソフトクリーム、朝市での追加購入、お土産用干物等を考慮する必要がございます」

 

弥子の目が、項目ごとに輝いていく。

 

「海鮮丼……浜焼き……イカ焼き……干物……」

 

キラがその顔を見て、表に線を引き直した。

 

「やっぱり増やします」

 

「なんで!?」

 

カイエンが遅れてやってきて、会計表を覗き込んだ。

 

「何だい。もう旅先で何を食うか揉めてるのか」

 

泉が答えた。

 

「揉めているというか、見積もっています」

 

カイエンは弥子を見る。

 

「港町補正を考えると、四人前じゃ足りないだろうな」

 

弥子が叫ぶ。

 

「カイエンさんまで!」

 

ソープも続いて現れ、資料を見るなり笑った。

 

「海鮮は軽いからね」

 

全員がほぼ同時に言った。

 

「軽くない」

 

ソープは困ったように笑う。

 

「そうかな」

 

アウクソーはさらりと告げた。

 

「再計算の結果、一ヤコ=六人前。加えて、おやつ別枠が妥当と判断いたします」

 

弥子はテーブルに両手をついた。

 

「六人前!? しかもおやつ別!?」

 

ネウロが愉快そうに言う。

 

「ククク……」

「よかったな。貴様の胃袋が公式単位として拡張されたぞ」

 

「よくない!!」

 

露伴は真剣にメモしていた。

 

「一ヤコ=六人前+おやつ別枠」

「旅費計算における、極めて実用的な概念――」

 

泉が止める。

 

「先生、実用的でも記録しないでください」

 

露伴は首を振る。

 

「これは記録すべきだ」

「人間の食欲が経済設計を変える瞬間だぞ」

 

弥子は涙目で言った。

 

「ただの旅行準備なのに、なんでこんな辱めを……」

 

ラクスは優しく言った。

 

「弥子さん、美味しいものを安心して召し上がるためですわ」

 

弥子は少しだけ考えた。

 

「……それはそうかも」

 

キラはその一言で、予備費の欄にさらに数字を足した。

 

______________________________

 

 

キラは、参加者ごとの負担表を読み上げた。

 

「通常参加費は全員分」

「弥子ちゃんは一ヤコ枠」

「ネウロは……」

 

ネウロは平然と言った。

 

「吾輩は謎を食う。人間界の食費とは別勘定だ」

 

弥子が叫ぶ。

 

「あんた旅館のご飯も食べるでしょ!」

 

「味見程度だ」

 

「前回も味見って言いながら食べてた!」

 

ネウロは悪びれない。

 

「謎が出れば吾輩が処理する。むしろ報酬を請求してもよい」

 

泉が頭を抱えた。

 

「また処理費用の話が……」

 

キラは静かに乳酸菌飲料を飲んだ。

 

「ネウロの分は……桂木弥子魔界探偵事務所枠で」

 

弥子が机を叩く。

 

「だからそんな事務所ない!!」

 

ネウロが笑う。

 

「あるではないか。ここに所長が」

 

「所長じゃない!!」

 

カイエンは面白そうに言った。

 

「一ヤコ枠に、ネウロ補正か」

 

アウクソーが頷く。

 

「はい。魔界探偵事務所枠は、一ヤコ+ネウロ不払いリスクとして算定いたします」

 

弥子は絶望した。

 

「旅行前から負けてる……」

 

ラクスが弥子の前に小さなお菓子を置いた。

 

「まずは落ち着きましょう」

 

弥子は受け取った。

 

「ありがとうございます……」

 

ネウロがそれを見て言った。

 

「また食っているぞ」

 

「これは慰めのお菓子!」

 

露伴が呟く。

 

「慰め費も必要だな」

 

泉がすぐに言った。

 

「先生、費目を増やさないでください」

 

______________________________

 

次に、持ち物確認が始まった。

 

泉がチェックリストを読み上げる。

 

「着替え、洗面道具、充電器、常備薬、保険証、旅館の予約情報、交通手段の確認……」

 

キラが手を挙げる。

 

「乳酸菌飲料は、今回一ケース持っていきます」

 

カイエンが眉を上げた。

 

「一ケース?」

 

キラは真剣だった。

 

「会計表を見る時に必要になる可能性があります」

 

泉が苦笑した。

 

「会計用の救急箱みたいになってますね……」

 

ラクスは穏やかに言った。

 

「キラには必要ですもの」

 

ソープは興味深そうに見る。

 

「海辺で冷やして飲むと美味しそうだね」

 

キラは即座に言った。

 

「それは別会計でお願いします」

 

ソープが少し驚く。

 

「厳しいなあ」

 

カイエンが笑った。

 

「坊やも成長したな」

 

アウクソーは別のリストを持っていた。

 

「マスター」

 

「何だい」

 

「釣り具についてです」

 

カイエンは目を逸らした。

 

「見るだけだよ」

 

「前回も、見るだけと言いながら購入を検討されておりました」

 

「まだ買ってない」

 

「今回、現地で竿、リール、仕掛け、餌を購入される場合は、事前申請が必要です」

 

カイエンは少しだけ抵抗した。

 

「投げ釣りくらい、現地の安いセットで……」

 

アウクソーが静かに見た。

 

「マスター」

 

「……分かった。予算申請する」

 

弥子が小声でキラに言う。

 

「カイエンさん、アウクソーさんには弱いね」

 

キラも小声で答える。

 

「うん」

 

カイエンは聞こえていた。

 

「聞こえてるぞ、坊や」

 

キラは即座に乳酸菌飲料をもう一本手に取った。

 

______________________________

 

ソープは港町の観光案内を見ていた。

 

「塩ソフト、海藻アイス、みかんシャーベット、地元牛乳プリン……」

「なかなか面白いね」

 

カイエンが言う。

 

「また甘味文化調査か」

 

「海辺の甘味は、山とは違うからね」

 

泉がすかさず言った。

 

「ソープさん、個人負担ですよね?」

 

ソープはにこりと笑う。

 

「もちろん」

 

露伴が即座にメモする。

 

「ソープ、甘味文化調査は個人負担」

 

ソープが困った顔をする。

 

「もう皆、僕を信用してないね」

 

カイエンが答える。

 

「してたら会計が死ぬ」

 

アウクソーも淡々と言う。

 

「個人負担の確認は重要です」

 

ソープは肩をすくめる。

 

「分かったよ」

「ただし、地球海浜文化に関する興味深い発見があった場合は、共有する」

 

弥子が手を挙げる。

 

「試食は?」

 

キラが即座に言った。

 

「試食も別会計で」

 

弥子がしょんぼりする。

 

「キラくんが厳しい……」

 

ラクスが微笑んだ。

 

「今回のキラは会計担当ですから」

 

ネウロが笑った。

 

「ククク……」

「港町に着く前から、財布を締めるか」

 

キラは会計表を見ながら言った。

 

「着いてから締めると、間に合わないんです」

 

その言葉には、経験者の重みがあった。

 

______________________________

 

準備の話題は、自然と旅館の夕食に移った。

 

弥子は旅館の料理写真を見て、すでに魂が半分港町へ飛んでいる。

 

「舟盛り……刺身……焼き魚……」

「すごい。全部おいしそう……」

 

ネウロが横から覗き込む。

 

「ククク……人間界の刺身は、まだ死んでいるだけで平和だな」

 

泉が嫌な予感を覚えた。

 

「まだ死んでいるだけ、って何ですか」

 

ネウロは楽しそうに言う。

 

「魔界の刺身は、皿の上で食う者を品定めする」

「格下と見れば、逆に箸を喰う」

 

弥子が叫んだ。

 

「刺身が箸を食べるな!!」

 

キラが真顔で言う。

 

「それ、刺身なんですか?」

 

「刺して身になっている以上、刺身だ」

 

「定義が怖い……」

 

カイエンがそれに乗った。

 

「ジョーカー太陽星団の刺身は、切られた後でも騎士の間合いを測る」

 

泉が即座に突っ込む。

 

「嘘ですよね!?」

 

ソープは笑った。

 

「今のは八割嘘だね」

 

カイエンが平然と言う。

 

「二割は本当だよ」

 

弥子が箸を握る真似をする。

 

「やだ! あたし普通の刺身が食べたい!」

「命乞いしない刺身! 箸を食べない刺身!」

 

ラクスが優しく言った。

 

「では、旅館では普通に美味しいお刺身をいただきましょう」

 

弥子は力強く頷いた。

 

「ラクスさん、正解!!」

 

露伴はメモしていた。

 

「魔界の刺身、ジョーカー太陽星団の刺身、普通の刺身」

「食卓における異界比較――」

 

泉が止める。

 

「先生、旅館の食事中にその話を広げないでくださいね」

 

露伴は答えない。

 

泉は目を細める。

 

「先生?」

 

「……善処する」

 

「それ一番信用できないです」

 

______________________________

 

 

旅館の部屋割りも確認された。

 

泉が資料を見る。

 

「今回は旅館なので、前回の別荘みたいに全部こちらで管理しなくていいのは助かりますね」

 

アウクソーは静かに頷く。

 

「食事、寝具、入浴施設の管理が旅館側に委ねられるため、私の負担は多少軽減されます」

 

弥子が明るく言う。

 

「アウクソーさん、今回は少し楽できますね!」

 

アウクソーは少しだけ柔らかい表情をした。

 

「ありがとうございます」

 

カイエンが言う。

 

「まあ、今回はおまえも少し休め」

 

アウクソーは一礼する。

 

「マスターの釣り具管理が増えなければ、可能かと」

 

カイエンは黙った。

 

弥子が笑う。

 

「釘刺された!」

 

泉は部屋割りを読み上げる。

 

「女子部屋は、弥子ちゃん、ラクスさん、私、アウクソーさん」

「男子部屋は、キラさん、カイエンさん、ソープさん」

「露伴先生とネウロは……」

 

露伴が言う。

 

「僕は一人部屋がいい」

 

泉が即座に言う。

 

「予算が上がります」

 

露伴は眉をひそめる。

 

「ではネウロと同室か」

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……漫画家よ、夜の海の夢を見たいか?」

 

露伴は数秒黙った。

 

「一人部屋の追加費用は僕が出す」

 

泉が深く頷いた。

 

「賢明です」

 

キラは会計表に書き込んだ。

 

「露伴先生、一人部屋追加分は個人負担……」

 

露伴が少し不満そうに言う。

 

「記録しなくてもいい」

 

キラは静かに返した。

 

「します」

 

カイエンが面白そうに笑った。

 

「坊や、強くなったな」

 

______________________________

 

出発前夜。

 

それぞれが準備を進めていた。

 

弥子は大きなバッグに着替えとお菓子を詰めている。

泉は資料と旅程表を確認している。

キラは会計表を何度も見直している。

ラクスはキラの横に乳酸菌飲料を置いている。

 

カイエンは釣り用の簡易セットを検索していたが、アウクソーに見つかった。

 

ソープは塩ソフトの店の場所を確認している。

 

露伴は港町の古い灯台について調べていた。

 

ネウロは、どこからか海の音を聞くように、窓の外を見ていた。

 

「ククク……」

 

弥子が振り向く。

 

「何?」

 

「海はよい」

「人間どもの秘密は、よく沈む」

 

弥子はお菓子をバッグに押し込みながら言った。

 

「今回は普通の旅行だからね!」

 

「普通で済むと思うか?」

 

「済ませるの!」

 

ネウロは笑う。

 

「では、せいぜい腹を空かせておけ」

 

「言われなくても!」

 

その頃、キラは会計表の最後に赤字でこう書いた。

 

予備費:さらに追加

一ヤコ:六人前+おやつ別枠+海鮮補正

乳酸菌飲料:一ケース必須

 

ラクスがそれを見て、静かに言った。

 

「キラ、よくできていますわ」

 

キラは少し疲れた笑顔で答えた。

 

「ありがとう、ラクス」

「これで足りるといいんだけど」

 

ラクスは少し考えて、優しく言った。

 

「もう一ケース、用意しましょうか」

 

キラは即答しなかった。

 

数秒後、静かに頷いた。

 

「……お願い」

 

潮騒はまだ遠い

 

港町はまだ遠い。

 

旅館の窓から海を見るのも、堤防で釣りをするのも、朝市で焼き魚を食べるのも、灯台へ向かうのも、まだ先の話だ。

 

けれど、準備はすでに旅を始めていた。

 

食費は膨らみそうだった。

会計表は厚くなった。

乳酸菌飲料は増えた。

一ヤコは六人前になった。

カイエンの釣り具は監視対象になった。

ソープの甘味文化調査は個人負担になった。

露伴の取材は、誰にも止められそうになかった。

 

泉は旅程表を見ながら、小さく呟いた。

 

「今度こそ、平和に終わりますように……」

 

その願いを、露伴が聞いていた。

 

「平和なら、それはそれで描く」

 

泉は振り返った。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「今回は休養です」

 

露伴は少しだけ笑った。

 

「分かっている」

 

「その返事、本当に信用できません」

 

こうして、出発準備は終わった。

 

次はいよいよ港町へ。

 

潮騒は、まだ聞こえない。

 

だが、誰かが耳を澄ませ始めていた。

 

 

 

 

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