守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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昼食を終えた一行は、市場食堂を出て、港沿いの道を歩いていた。

海は明るい。

防波堤の向こうで波が白く崩れ、港には小さな漁船が何隻も並んでいる。空気には潮と魚と、どこか乾いたロープの匂いが混じっていた。

弥子は満足そうに歩いている。

「海鮮丼、おいしかった……」

キラは会計表を確認しながら、小さく息を吐いた。

「昼食は予備費内。まだ大丈夫」

ラクスが微笑む。

「よかったですわね」

カイエンは少し先、防波堤の方を見ていた。

その視線に、アウクソーが即座に気づく。

「マスター」

「何だい」

「釣り場を見ていますね」

「見てるだけだよ」

「現在、釣行意欲が上昇しております」

「そんなものまで分かるのかい」

ソープが笑った。

「顔に出てるよ、カイエン」

露伴はそのやり取りを聞きながら、港の古い建物や看板をスケッチしていた。

泉は言う。

「先生、次は灯台ですよね?」

「その前に、カイエンが見ているものを確認しておくのも悪くない」

「それ、ただ寄り道したいだけでは?」

「寄り道ではない。港町の生活導線の確認だ」

「言い方!」

その時、弥子が一軒の店を見つけた。

「見て! 釣具屋さん!」

港の角に、少し古いがきれいに手入れされた店があった。看板にはこう書かれている。

釣具レンタルあります
手ぶらで堤防釣り
早朝プラン受付中

カイエンの足が止まった。

アウクソーの目が静かに細くなる。

「マスター」

「いや、借りるだけなら」

キラが少しだけ安心した顔をする。

「購入よりは、予算に優しいですね」

アウクソーは即座に補足した。

「レンタル料金も費用です」

カイエンは笑った。

「もちろん、申請するさ」

弥子が目を輝かせる。

「釣れたら食べられる!?」

泉がすぐ止める。

「夕食があります!」

ネウロが笑う。

「釣られる前から食われる未来を語られる魚か。哀れだな」


岸辺露伴は潮騒を聞く その5

店主は、日に焼けた顔の年配の男性だった。

 

「いらっしゃい。観光の人かい?」

 

カイエンが言う。

 

「明日の朝、少し堤防で投げたいんだが」

 

店主はカイエンを見て、棚からレンタル用の竿を出した。

 

「初心者なら、このセットが扱いやすいよ。竿とリール、仕掛けと餌込みで朝の二時間」

 

カイエンは竿を受け取り、軽く握った。

 

その瞬間、店主の目が少し変わった。

 

カイエンは竿を軽く振っただけだった。だが、無駄がない。

 

重心移動も、手首の抜けも、やたら綺麗だった。

 

店主が言う。

 

「……兄ちゃん、本当に初心者かい?」

 

カイエンはさらりと言った。

 

「投げるだけなら、剣も竿も似たようなもんだ」

 

泉が即座に言った。

 

「似てません!」

 

ソープは楽しそうに笑う。

 

「でも、フォームは綺麗だね」

 

アウクソーは淡々と店主に確認する。

 

「明朝のレンタル予約をお願いいたします。料金、返却時間、餌の種類、キャンセル時の扱いを確認させてください」

 

キラが感動したように呟いた。

 

「アウクソーさん、助かります……」

 

弥子は店内の小さな水槽を見ていた。

 

「この辺だと何が釣れるんですか?」

 

店主は笑った。

 

「キス、アジ、たまにメバル。運がよければカサゴも出る」

 

弥子の目が輝く。

 

「全部おいしそう!」

 

ネウロが言う。

 

「魚種の紹介をすべて味で受け取るとは、見事な胃袋だな」

 

「港町だから!」

 

カイエンは予約表に名前を書いた。

 

アウクソーが支払い欄を確認する。

 

「マスター、レンタル料金は個人負担で処理いたします」

 

「分かってるよ」

 

キラは会計表に書き足した。

 

カイエン:釣具レンタル個人負担。明朝。

 

カイエンがそれを見て、少し笑った。

 

「坊や、本当に会計准将だな」

 

「その呼び方はやめてください……」

 

釣具屋を出ると、灯台への道はすぐ近くにあった。

 

小さな坂道を上り、海沿いの遊歩道を抜ける。遠くから見る灯台は白く、明るい空に溶けるように立っていた。

 

近づくほどに、波の音が大きくなる。

 

潮騒。

 

それは本来、穏やかな音のはずだった。

 

だが、灯台の足元まで来た時、露伴はふと足を止めた。

 

「……音が変だな」

 

泉が顔を上げる。

 

「音?」

 

「波の音が、少し遅れて聞こえる」

 

弥子が耳を澄ます。

 

「え? 普通じゃないですか?」

 

ネウロが笑った。

 

「ククク……まだ貴様の耳では味が薄いか」

 

「味で聞くな!」

 

承太郎は灯台を見上げた。

 

「古いな」

 

アウクソーが確認する。

 

「一般公開されている展望灯台のようです。内部は螺旋階段、上部に展望室。現在、見学可能時間内です」

 

泉は露伴を見る。

 

「先生、普通に見学だけですよ」

 

「普通に見学する」

 

「本当ですか?」

 

「本当だ」

 

「信用できない……」

 

一行は灯台へ入った。

 

______________________________

 

 

内部は、思ったよりも狭かった。

 

白く塗られた壁。中央を巡る螺旋階段。ところどころに小さな窓があり、そこから青い海が切り取られたように見える。

 

階段を上るたびに、足音が反響した。

 

かん。

こつん。

かん。

 

弥子は少し声をひそめた。

 

「なんか響くね」

 

露伴は壁に手を当てる。

 

「音が残る構造だ」

 

ネウロが低く笑う。

 

「灯台とは光を回す塔だと思っていたが……」

 

カイエンが続ける。

 

「音も回ってるってわけか」

 

ソープは窓の外を見た。

 

「面白いね。海の音が階段の内側へ巻き込まれてる」

 

泉は不安そうに言う。

 

「皆さん、そういう言い方やめません?」

 

やがて、展望室へ着いた。

 

窓の外には、港町が広がっていた。

 

漁港。

防波堤。

旅館。

遠くの水平線。

 

弥子は窓に近づき、声を上げた。

 

「すごい! 海、広い!」

 

ラクスも静かに微笑む。

 

「美しい景色ですわ」

 

キラも息を吐く。

 

「うん。これは来てよかった」

 

その時。

 

潮騒に混じって、声がした。

 

弥子が振り返る。

 

「……今、誰か言った?」

 

泉も顔を上げた。

 

「え?」

 

弥子は眉を寄せる。

 

「あたしには……“戻れ”って聞こえた」

 

泉の顔が青ざめる。

 

「私は……“帰るな”って……」

 

同じ場所。

同じ音。

 

なのに、聞こえた言葉が違う。

 

露伴の目が鋭くなる。

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……ようやく少し味が出てきたな」

 

「味とか言わないで!」

 

弥子がそう叫んだ瞬間、足元が揺れた。

 

いや、揺れたように感じた。

 

床は濡れていない。風も強くない。誰も押していない。

 

それなのに、弥子の足が不自然に滑った。

 

「えっ――!?」

 

弥子の身体が展望室の手すり側へ傾く。

 

同時に、泉も階段口の方でよろけた。

 

「きゃっ……!」

 

承太郎の声が低く響いた。

 

「スタープラチナ!」

 

次の瞬間、紫の影が弥子の腕を掴んだ。

 

「オラァッ!」

 

弥子の身体が、落ちる寸前で強引に引き戻される。

 

同時に、カイエンが一歩で泉へ詰め、腕を掴んで引き戻した。

 

「おいおい、洒落にならんぞ」

 

泉は真っ青だった。

 

「今……私、押された気がしました……」

 

弥子も震えながら言う。

 

「床が……こっちに動いたみたいな……」

 

キラがすぐに駆け寄る。

 

「怪我は?」

 

ラクスも弥子の背に手を添える。

 

「落ち着いて。まず、ここを離れましょう」

 

アウクソーは床と手すりを確認していた。

 

「床面、乾燥。手すり、破損なし。風圧も通常範囲」

「転倒要因としては不自然です」

 

露伴は言った。

 

「今のは事故じゃない」

 

泉が涙目で叫ぶ。

 

「先生! まず心配してください!」

 

「心配している。だから記録している」

 

「順番がおかしいです!!」

 

______________________________

 

 

一行はすぐに階段を下りようとした。

 

だが、数分歩いても、出口に着かない。

 

同じような白い壁。

同じような小窓。

同じような階段。

 

弥子が不安そうに言う。

 

「ねえ……さっきから、ずっと下りてるよね?」

 

キラも窓を見る。

 

「この窓……さっきも見た気がする」

 

泉の顔がさらに青くなる。

 

「やめてください……」

 

カイエンが階段の壁に手を当てる。

 

「同じ場所を回ってるな」

 

承太郎は壁を見る。

 

「壊すか」

 

露伴が目を細める。

 

「待て。空間の構造を確認する前に――」

 

承太郎はすでに拳を構えていた。

 

「スタープラチナ」

 

壁に拳が叩き込まれる。

 

「オラァッ!」

 

白い壁が砕ける。

 

しかし、その向こうにあったのは外ではなかった。

 

また、螺旋階段だった。

 

まったく同じ角度で、同じ壁が続いている。

 

承太郎が低く言う。

 

「……やれやれだぜ」

 

泉は今にも座り込みそうだった。

 

「帰れない……?」

 

ネウロが笑った。

 

「違うな」

 

露伴が見る。

 

「何が違う」

 

ネウロは螺旋階段の中央を見下ろした。

 

「閉じているのは空間ではない」

 

波の音が聞こえる。

 

上からも、下からも。

 

右からも、左からも。

 

「閉じているのは、音だ」

 

______________________________

 

ネウロはゆっくり階段を上り始めた。

 

「この灯台は、海を照らすための塔ではない」

「少なくとも、今この瞬間はな」

 

露伴は続ける。

 

「音が反響している。いや、反響というより……回っている」

 

ネウロは笑う。

 

「そうだ。階段全体が巨大な溝になっている」

「波の音、人間の声、足音、恐怖の呼吸」

「それらが螺旋に沿って巻かれ、戻り、反転する」

 

弥子が言う。

 

「どういうこと!?」

 

露伴が答えた。

 

「“戻れ”と“帰るな”は別々の声じゃない」

「同じ音が、聞く位置と向きによって意味を変えていたんだ」

 

ネウロは愉快そうに言った。

 

「螺旋階段の音響トリック」

「矛盾のメビウスの輪、というところか」

 

潮騒が強くなる。

 

今度は全員にも聞こえた。

 

戻れ。

 

帰るな。

 

戻れ。

 

帰るな。

 

言葉が重なり、反転し、階段の中を巡る。

 

泉が耳を塞ぐ。

 

「もう嫌……!」

 

弥子が怒鳴る。

 

「どっちなんだよ! 戻れなの!? 帰るななの!?」

 

ネウロは口元を歪めた。

 

「どちらでもない」

 

彼の手に、異様な形の音叉が現れる。

 

黒く、ねじれた金属。

鳴らす前から、周囲の空気が震えている。

 

「魔界777ツ能力(どうぐ)――」

 

ネウロが音叉を軽く弾いた。

 

「反響喰いの音叉”イビルチューニングフォーク”」

 

音が鳴った。

 

いや、音ではなかった。

 

灯台の中に溜まった反響が、白い糸のように見え始める。

 

それは螺旋階段を巡り、壁に絡み、窓を抜け、また戻ってくる。まるで、灯台そのものが巨大な蓄音機になっているようだった。

 

露伴の目が輝く。

 

「見える……音の軌跡が見えるぞ」

 

泉が叫ぶ。

 

「先生、感動してる場合じゃないです!」

 

ネウロはその糸を掴む。

 

「なるほど」

「この塔は、帰らなかった者の声を巻き戻し続ける蓄音機だったわけだ」

 

その瞬間、糸の奥に、ぼやけた影が見えた。

 

漁師のような姿。

 

昼食の食堂の写真に写っていた、顔のぼやけた人物。

 

露伴が息を呑む。

 

「おまえは……」

 

影は何も言わない。

 

ただ、潮騒だけが叫ぶ。

 

戻れ。帰るな。戻れ。帰るな。

 

ネウロは笑った。

 

「よかろう」

「その矛盾ごと、吾輩の舌に乗せろ」

 

音叉がもう一度鳴る。

 

反響の糸が一気に集まり、メビウスの輪のようにねじれて、ネウロの前へ凝縮されていく。

 

ネウロはそれを掴み、噛み砕くように喰った。

 

灯台全体が、震えた。

 

潮騒が途切れる。

 

戻れ、という声も。

 

帰るな、という声も。

 

すべてが一瞬、無音になった。

 

そして次に聞こえたのは、ただの波音だった。

 

______________________________

 

 

階段の下に、出口が見えた。

 

泉がへたり込みそうになる。

 

「出口……」

 

弥子が息を吐く。

 

「帰れる……!」

 

承太郎は壊したはずの壁を見る。

 

そこは元通りになっていた。

 

「くだらねぇ塔だ」

 

カイエンは肩をすくめる。

 

「いや、なかなか手が込んでたよ」

 

承太郎が見る。

 

「褒めるな」

 

ソープは灯台の中心を見上げた。

 

「音を閉じ込める灯台か。面白いけど、趣味は悪いね」

 

アウクソーは冷静に言った。

 

「弥子様、泉様、念のため旅館に戻り、休息を取るべきです」

 

ラクスも頷く。

 

「ええ。今日は少し早めに戻りましょう」

 

キラは弥子と泉を見る。

 

「本当に怪我がなくてよかった」

 

弥子は少し震えながらも、強く頷いた。

 

「うん。承太郎さん、助かった!」

 

承太郎は短く言う。

 

「無事ならいい」

 

泉もカイエンに頭を下げる。

 

「カイエンさん、ありがとうございました……」

 

カイエンは軽く手を振った。

 

「礼はいい。落ちなくて何よりだ」

 

露伴は灯台の壁に触れていた。

 

「食堂の写真にいた男……ここにもいたな」

 

ネウロは満足そうに口元を拭う。

 

「ククク……まだ前菜だ」

 

泉がぎょっとする。

 

「前菜!?」

 

「謎の味は薄くない」

「だが、まだ本体ではない」

 

露伴は灯台の上を見上げた。

 

「つまり、この灯台は入口か」

 

ネウロは笑う。

 

「そういうことだ、漫画家」

 

弥子が叫ぶ。

 

「入口で落とされかけたんですけど!?」

 

______________________________

 

灯台を出ると、外はまだ明るかった。

 

海は穏やかに光っている。

 

防波堤では、釣り人たちが変わらず竿を出していた。港町は何事もなかったかのように、普通の午後を続けている。

 

泉は深く息を吸った。

 

「普通の空気……ありがたい……」

 

弥子も頷く。

 

「普通の階段、最高……」

 

キラは会計表をしまいながら言った。

 

「今日はもう、旅館に戻りましょう」

 

ラクスが微笑む。

 

「夕食まで、少し休みましょう」

 

弥子の目が少しだけ輝く。

 

「夕食……舟盛り……」

 

泉が笑った。

 

「立ち直り早いね」

 

「怖かったけど、お腹は空く!」

 

ネウロが言う。

 

「食欲だけはメビウスの輪より切れんな」

 

「うるさい!」

 

カイエンは防波堤を見る。

 

「明日の朝は、釣りどころじゃないかもしれんな」

 

アウクソーが言う。

 

「マスター、釣りは安全確認後にお願いいたします」

 

「分かってるよ」

 

ソープは港の向こうを見ていた。

 

「でも、明日の朝の海も見ておいた方がいいかもね」

 

露伴は静かに言った。

 

「灯台は声を聞かせた」

「次は、海そのものが何を言うかだな」

 

泉が即座に言う。

 

「先生、今日はもう戻ります」

 

「分かっている」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

全員が、旅館へ向かって歩き出した。

 

潮騒は、もうただの波音に戻っている。

 

少なくとも、今は。

 

だが、露伴とネウロだけは知っていた。

 

この港町の謎は、まだ食べ尽くされていない。

 

今日、ネウロが喰ったのは、灯台に巻かれた声だけ。

 

潮の底には、まだ何かが沈んでいる。

 

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