守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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旅館を出ると、朝の港町はすでに動き始めていた。

空は明るく、海は昨夜の黒さをすっかり脱ぎ捨てている。
漁船のエンジン音。
箱を運ぶ音。
呼び込みの声。
焼き物の匂い。
潮風に混じる、魚と醤油と炭火の香り。

弥子は坂道を下りながら、両手を握った。

「朝市!!」

キラは会計表を片手に、少しだけ顔を引き締める。

「弥子ちゃん、朝ごはん食べたばかりだからね」

弥子は振り返る。

「朝食は朝食」

キラは嫌な予感がした。

弥子は続ける。

「朝市での買い食いは、また別腹!」

キラは静かに目を閉じた。

「ですよね……」

ネウロが笑う。

「ククク……胃袋に市場区画を設ける女」

「いいじゃん! 観光地だよ!?」

アウクソーは淡々と告げる。

「弥子様、本日の午前中は朝市散策後、防波堤周辺確認がございます。過度な買い食いは移動効率に影響します」

弥子は頷く。

「分かってます! 計画的に食べます!」

泉が小声で言う。

「それ、食べない選択肢はないんだね」

ラクスは微笑んでいた。

「楽しみながら、無理なく参りましょう」

承太郎は帽子を押さえ、短く言う。

「人にぶつかるな」

弥子は元気よく返事をした。

「はい!」

露伴はすでに周囲を観察している。

「朝の市場はいいな。生活と観光が同じ場所で交差している」

ソープも値札の並ぶ店先を見ながら、少し興味深そうに頷いた。

「品揃えも悪くない。地元向けと観光客向けが、ちゃんと分かれてるね」

カイエンがすぐに言う。

「誰目線だよ」

ソープはにこりと笑う。

「旅人目線だよ」

「嘘つけ」


岸辺露伴は潮騒を聞く その13

朝市は、思った以上に賑わっていた。

 

干物を並べる店。

イカを焼く店。

揚げかまぼこの屋台。

地元の野菜。

海苔。

珍味。

塩スイーツ。

小さな土産物屋。

 

弥子の目が忙しい。

 

「揚げかまぼこ……イカ焼き……干物……プリン……!」

 

キラが言う。

 

「弥子ちゃん、まず見るだけ」

 

弥子は真剣に頷いた。

 

「見るだけ」

 

一歩後ろでネウロが笑う。

 

「その“見る”には、口で確認する行為も含まれていそうだな」

 

「含まれてません!」

 

その時、弥子の視線が揚げかまぼこの屋台に吸い寄せられた。

 

揚げたてのかまぼこが、紙袋に入って湯気を立てている。

 

弥子はソープを振り返った。

 

「ソープさん」

 

「何かな?」

 

弥子は屋台の値札を指差した。

 

「これ、買っていい値段!?」

 

カイエンが吹き出しかけた。

 

キラも思わず笑う。

 

露伴は即座にメモを取る。

 

「市場価格評価を食欲判断へ直結。桂木弥子、本人確認完了」

 

弥子が振り返る。

 

「本人確認って何ですか!?」

 

ネウロが言う。

 

「ククク……怪盗にも真似できぬ反射だ」

 

ソープは値札を見て、少し考える。

 

「うん。これは買っていいと思うよ。観光地価格だけど、揚げたてなら妥当だ」

 

キラが会計表を見る。

 

「一個なら予備費内」

 

弥子は顔を輝かせた。

 

「一個ください!」

 

泉が笑った。

 

「ちゃんと確認してから買うの、偉いね」

 

弥子は揚げかまぼこを受け取り、ひと口かじる。

 

「熱っ……うまっ!」

 

承太郎が横で短く言う。

 

「火傷するな」

 

「はい!」

 

ラクスはそれを見て、穏やかに微笑んだ。

 

「とても美味しそうですわ」

 

キラが少しだけ安心したように言う。

 

「ラクスも食べる?」

 

「少しだけ、いただきます」

 

弥子は即座に差し出した。

 

「どうぞ!」

 

ネウロが言う。

 

「貴様の食料を分けるとは、珍しい」

 

弥子は胸を張る。

 

「美味しいものは分けた方が勝ち!」

 

露伴はまた書いた。

 

「美味しいものは分けた方が勝ち」

 

泉が少しだけ微笑む。

 

「今日の弥子ちゃん、名言多いね」

 

______________________________

 

次の店では、干物が並んでいた。

 

アジ、サバ、カレイ、金目。

それに混じって、妙に迫力のあるサバの開きが一枚。

 

顔の部分が、なぜか絶望的に見える。

 

弥子が足を止めた。

 

「……このサバ、なんかすごい顔してない?」

 

店のおばちゃんが笑う。

 

「ああ、それね。開き方がちょっと派手になっちゃってね」

 

札には、手書きでこうある。

 

断末魔のサバの開き

 

泉が小声で言う。

 

「売り方……」

 

ネウロは愉快そうに覗き込んだ。

 

「ククク……よい開き方だ」

「身だけでなく、未練まで開いてある」

 

弥子が即座に言う。

 

「朝市で言う感想じゃない!!」

 

おばちゃんは普通に笑っている。

 

「焼くとちょっと音がするんだよ。脂が落ちる時にね」

 

弥子は不安そうに聞く。

 

「悲鳴みたいな?」

 

「たまにね」

 

泉が後ずさる。

 

「買わなくていいです」

 

露伴は近づいてスケッチしようとした。

 

「いい顔だ。絶望が干物として固定されている」

 

泉が止める。

 

「先生、朝からサバの絶望を描かないでください!」

 

カイエンは干物を見て言う。

 

「これを朝食に出されたら、食う前に気が滅入るな」

 

ソープは値段を見て、少し笑った。

 

「でも価格は良心的だね。地元向けかな」

 

カイエンがまた言う。

 

「だから誰目線だよ」

 

ソープは干物の棚を見渡した。

 

「こういう店は、観光客向けの目立つ商品と、地元の人が普段買う品を分けている」

「生活を崩さずに観光収益を乗せている。悪くない」

 

泉が呟く。

 

「観光客の感想じゃない……」

 

露伴の目が光る。

 

「ソープ、君のその視点は――」

 

カイエンが即座に割り込んだ。

 

「聞くな」

 

ソープは笑うだけだった。

 

その横でネウロが、別の棚を見ながら言った。

 

「魔界の市場では、売り手が商品を並べるのではない」

「商品が買い手を選ぶ」

 

弥子が顔をしかめる。

 

「どういうこと?」

 

「買い手の影に値札がつく。安い影は、安い商品にしか触れられん」

 

キラが真面目に言った。

 

「会計的には、少し便利かもしれませんね」

 

全員がキラを見た。

 

キラはすぐに言い直す。

 

「いや、便利じゃないです」

 

ネウロは満足そうに笑った。

 

______________________________

 

 

少し先の土産物屋には、乾物や貝細工が並んでいた。

 

そこで承太郎がふと足を止める。

 

棚の上に、星型のヒトデのジャーキーがあった。

 

ただのヒトデではない。

 

その形が、妙に整っている。

五つの腕の角度。中央の盛り上がり。乾燥によるしわ。

 

露伴が気づく。

 

「承太郎?」

 

承太郎は無言で帽子を少し深く被った。

 

弥子が小声で聞く。

 

「どうしたんですか?」

 

承太郎は低く言った。

 

「……珍しい個体だ」

 

露伴が即座に身を乗り出す。

 

「どけ、承太郎。その絶妙な乾燥具合によるシワのリアリティをスケッチしたい」

 

承太郎は動かない。

 

「先に見ている」

 

「海洋生物学者面をするな。僕は形の情報を見ている」

 

「なら、邪魔するな」

 

泉が頭を抱える。

 

「ヒトデ一枚で揉めないでください……」

 

キラは棚の札を見る。

 

「食べるものなんですか、これ?」

 

店の人が笑う。

 

「飾りみたいなもんですよ。買う人は少ないけど、珍しいから置いてるんです」

 

ネウロが言う。

 

「食えぬ干物か。つまらんな」

 

弥子が即座に言う。

 

「食べなくていい!」

 

承太郎はヒトデを見て、淡々と言った。

 

「吸盤の並びが不自然に揃っている」

 

露伴は目を輝かせた。

 

「それを今描く」

 

「動かすなよ」

 

「君こそ触るな」

 

カイエンが笑う。

 

「朝市で専門家と漫画家が小競り合いか」

 

ソープは楽しそうに言う。

 

「平和だね」

 

泉は少し遠い目をした。

 

「平和……なんでしょうか、これ」

 

______________________________

 

 

次に弥子が見つけたのは、黒い海藻だった。

 

桶の中に沈んでいるそれは、わずかに揺れている。

水流のせいではないように見える。

 

札にはこう書かれていた。

 

深海五千メートルの高カロリー海藻

少量で元気!

 

弥子の目が輝いた。

 

「高カロリー……少量で元気……おやつにいいかも!」

 

キラが全力で止めた。

 

「待って! それはダメ!」

 

「なんで!?」

 

「見た目からして危ない!」

 

ラクスは桶の中を覗き込み、少しだけ首を傾げた。

 

「あら。とても生命力に溢れた色ですわ」

 

キラが慌てる。

 

「ラクス、危ないから離れて!」

 

ラクスはにこりと微笑む。

 

「プラントの植物園に一つ置いたら、平和の象徴に――」

 

「しません!」

 

弥子が笑った。

 

「キラくん、即答!」

 

ソープは桶の海藻を見ながら言う。

 

「これは……商品というより見世物だね」

「買う人は少ないけど、人を止める力がある。客寄せとしては上手い」

 

カイエンが言う。

 

「また統治者みたいな分析を」

 

「市場観察だよ」

 

「絶対違う」

 

ネウロは黒い海藻を覗き込んだ。

 

「魔界なら、これを入口にするな」

 

泉が一歩引く。

 

「何の入口ですか」

 

「胃袋のだ」

 

弥子が言う。

 

「だから食べ物として怖いんだって!」

 

アウクソーが静かに告げる。

 

「弥子様、購入非推奨です」

 

「はい」

 

返事が早かった。

 

キラは心底ほっとした。

 

______________________________

 

さらに奥の店で、ソープが足を止めた。

 

木箱の中に、石のように硬そうな干しアワビが置かれていた。

 

札には大げさに書かれている。

 

三千年熟成の超古代アワビ

 

カイエンが眉をひそめる。

 

「胡散臭いな」

 

ソープはそれを見て、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「あ、懐かしいな」

 

全員がソープを見る。

 

カイエンが即座に言う。

 

「何がだ」

 

ソープは悪びれずに言った。

 

「これ、昔僕が作った保存食のレプリカに似てる」

 

泉が固まる。

 

「昔って……?」

 

ソープは笑う。

 

「三千年くらい前?」

 

カイエンが怒鳴った。

 

「朝市でさらっと時代を歪めるな!」

 

弥子がアワビを見る。

 

「これ、食べられるんですか?」

 

カイエンは即答した。

 

「歯が折れる」

 

ネウロが言う。

 

「食えぬ保存食ほど無意味なものはない」

 

露伴はソープの発言を逃さなかった。

 

「三千年前の保存食。詳しく聞かせてもらおう」

 

カイエンが露伴を止める。

 

「聞くな」

 

ソープは楽しそうに肩をすくめる。

 

「ただの冗談だよ」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「ソープ様の冗談は、判別が困難です」

 

泉が深く頷く。

 

「本当にそれです」

 

______________________________

 

朝市の賑わいの中、露伴は何度も足を止めた。

 

店先に飾られた古い写真。

昔の市場の様子。

漁船の前に並ぶ人々。

大漁旗を掲げた集合写真。

古い防波堤を背景にした記念写真。

 

そのどれにも、さり気なく男が写っていた。

 

顔がぼやけている。

 

前面にいるわけではない。

主役ではない。

けれど、必ずどこかにいる。

 

干物屋の写真では、店の奥に。

土産物屋の写真では、港の影に。

古い市場の集合写真では、端の柱の横に。

そして、ある写真では、防波堤の上に。

 

露伴は足を止めた。

 

「……多すぎる」

 

泉が近づく。

 

「先生?」

 

露伴は写真を指差す。

 

「ここにもいる」

 

弥子も覗き込む。

 

「また、顔がボケてる人……」

 

キラの表情が曇る。

 

「偶然じゃないですよね」

 

ラクスは静かに写真を見た。

 

「この方は、いつも海の近くにいらっしゃるのですね」

 

ソープは言う。

 

「いや、海の近くというより……」

 

カイエンが続けた。

 

「防波堤を見ている」

 

承太郎は短く言った。

 

「待っているのか」

 

ネウロが笑う。

 

「待つ者か、戻れぬ者か」

「あるいは、そのどちらにもなれなかったものか」

 

泉が不安そうに言う。

 

「また、午後にあそこへ行くんですよね……」

 

露伴は頷いた。

 

「行く」

 

弥子は揚げかまぼこの袋を握りしめた。

 

「怖いのは嫌だけど……」

「ここまで来たら、気になる」

 

ラクスは弥子に優しく言った。

 

「大丈夫です。皆で参りましょう」

 

キラも頷く。

 

「うん。無理はしないで」

 

アウクソーは予定を確認する。

 

「朝市散策を予定より十五分短縮し、一度旅館へ戻ることを提案します」

「その後、昼食前に防波堤周辺の確認へ向かうのが安全です」

 

弥子が言う。

 

「じゃあ、あと十五分だけ朝市!」

 

キラが会計表を見る。

 

「十五分なら……買い食いはあと一品まで」

 

弥子が真剣に考え込む。

 

「一品……」

 

ネウロが笑う。

 

「選択に苦しむ食欲」

 

______________________________

 

最後の一品を探していた弥子は、小さな珍味屋の前で止まった。

 

そこには、少し変わった札があった。

 

戻りカツオ

その横に、手書きで小さく追記されている。

 

戻れカツオ

 

弥子が首を傾げる。

 

「戻れカツオ?」

 

店のおじさんが笑う。

 

「古い冗談だよ。戻りカツオに引っかけてね」

 

露伴の目が鋭くなる。

 

「いつからその呼び名を?」

 

おじさんは少し考えた。

 

「さあなあ。昔から言ってる人がいたんだよ」

「海へ出たやつに“戻れ、戻れ”って言う土地だからね」

 

空気が少しだけ静かになった。

 

キラはラクスを見る。

 

ラクスは、札を見つめていた。

 

弥子もそれに気づく。

 

「ラクスさん?」

 

ラクスはゆっくり顔を上げた。

 

「いえ……言葉が、残っているのですね」

 

ネウロが小さく笑う。

 

「魚にまで染みるとは、なかなかしつこい声だ」

 

泉が震える声で言う。

 

「買うの、やめません?」

 

弥子は少しだけ迷った。

 

しかし、すぐに首を横に振る。

 

「うん。今日はこれはやめとく」

「なんか、美味しく食べられなさそう」

 

キラはほっとした。

 

「それがいいと思う」

 

承太郎は札を一瞥し、低く言った。

 

「戻れ、か」

 

カイエンは防波堤の方を見る。

 

「昨日の灯台と同じ言葉だな」

 

露伴はメモを取る。

 

「市場の言葉。土地に残る呼び声。戻れカツオ」

 

ソープは静かに言った。

 

「この町は、帰ってくることにずいぶん重さを持たせているね」

 

おじさんは、少しだけ表情を曇らせた。

 

「海の町は、どこもそうだよ」

「出たら帰ってくる。それが一番めでたい」

 

それ以上は、誰もすぐには言わなかった。

 

______________________________

 

結局、弥子の最後の一品は地元プリンになった。

 

キラは会計表を見て頷く。

 

「予備費内です」

 

弥子はプリンを大事そうに持った。

 

「やった!」

 

泉が笑う。

 

「今日は本当に計画的だね」

 

弥子は胸を張る。

 

「買い食いにも構成がある!」

 

露伴がメモしようとする。

 

泉が止める。

 

「先生、その構成論はもういいです」

 

ソープは市場全体を見渡した。

 

「いい市場だね。観光の賑わいもあるけれど、生活の匂いがまだ残っている」

「価格も、少し高いものはあるけど、全部が観光客向けに振り切ってはいない」

 

カイエンが言う。

 

「だから誰目線だよ」

 

「旅人目線」

 

「嘘つけ」

 

アウクソーは時間を確認する。

 

「そろそろ旅館へ戻りましょう」

 

承太郎が頷く。

 

「そうだな」

 

ネウロは朝市の奥、防波堤へ続く道を見ている。

 

「ククク……賑わいの底に、よく沈んでいる」

 

弥子が言う。

 

「今はプリンの話だけしてて!」

 

ネウロは笑っただけだった。

 

旅館へ戻る道すがら、弥子はプリンを見ていた。

 

怖いものは怖い。

気になるものは気になる。

 

でも、朝市は楽しかった。

揚げかまぼこは美味しかった。

プリンもきっと美味しい。

 

それでいい。

 

怖いことだけで今日を埋めない。

 

露伴は、少し前を歩く弥子の背中を見て、またひとつメモした。

 

朝市。

食欲は、怪異の侵食を拒む生活の壁である。

 

泉がそれを覗き込み、少しだけ笑った。

 

「先生、今回はいいと思います」

 

露伴は言った。

 

「当然だ」

 

潮騒が、朝市のざわめきの向こうから聞こえていた。

 

まだ、ただの波音のふりをしている。

 

けれど、防波堤の方角だけは、少しだけ空気が重かった。

 

 

 

 

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