守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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防波堤を離れたあと、一行はしばらく黙って歩いていた。

波の音は、もう誰かを呼んではいなかった。
風も通っている。
港町の午後の音が、少しずつ戻ってくる。

誰もが、先ほどの歌の余韻を胸に残していた。

ラクスの歌。
ソープが作った凪。
ネウロの竪琴。
ぼやけた顔の男の、最後の微笑み。

泉はまだ目元を押さえていた。

「……すごかったですね」

弥子も鼻をすすりながら頷く。

「うん……すごかった……」

キラはラクスの横を歩きながら、少し心配そうに声をかけた。

「ラクス、大丈夫? 疲れてない?」

ラクスは静かに微笑んだ。

「ええ。少し疲れましたけれど……」

皆がラクスを見る。

ラクスは、実に穏やかに言った。

「久々に歌って疲れましたわ」
「デザートにいたしましょう!」

弥子が叫んだ。

「それ、あたしのセリフ!!」

張り詰めていた空気が、一気に緩んだ。

泉が思わず笑う。

「ラクスさん、そこでデザートなんですね」

ラクスはにこりと微笑む。

「歌った後には、少し甘いものがよろしいかと」

キラは一瞬だけ呆気に取られたあと、ほっとしたように笑った。

「うん。行こう」

弥子は拳を握る。

「港町スイーツ!!」

ネウロが笑った。

「ククク……悲しみを鎮めた直後に糖分を求めるか」
「人間どもの回復手段は単純でよいな」

弥子は言い返す。

「単純でいいの! 甘いものは偉大!」

カイエンが肩をすくめる。

「まあ、今日はそれくらい許されるだろ」

アウクソーが冷静に言った。

「精神的負荷の後の小休止として、甘味摂取は有効かと存じます」
「ただし、過剰摂取は推奨いたしません」

弥子はすぐに反応した。

「一人何品まで!?」

キラが即座に言う。

「一品まで」

弥子が驚く。

「一品!?」

ラクスが微笑む。

「では、皆さまで少しずつ分け合えばよろしいのでは?」

弥子の顔が輝いた。

「ラクスさん天才!!」

キラは苦笑した。

「分け合うなら、会計的にもまだ大丈夫かな……」

カイエンが小声で言う。

「会計准将、即座に戦線復帰だな」

キラは諦めたように言った。

「はい……復帰しました」


岸辺露伴は潮騒を聞く その17

港町の中心近くに、小さな甘味処があった。

 

看板には、丸い文字でこう書かれている。

 

港町ジェラートと塩スイーツ

 

店先には、メニューが並んでいる。

 

塩バニラアイス。

地元牛乳ソフト。

みかんシャーベット。

海塩キャラメルプリン。

黒蜜きなこアイス。

海藻ゼリー。

 

弥子はメニューの前で完全停止した。

 

「全部強い……!」

 

泉もメニューを見る。

 

「塩バニラ、美味しそうですね」

 

ラクスは微笑む。

 

「わたくしは、塩バニラにいたします」

 

キラはすぐ言った。

 

「僕も同じので」

 

弥子がにやにやする。

 

「合わせにいった」

 

キラが少し赤くなる。

 

「いや、ラクスが疲れてるから、同じものなら分けやすいかなって」

 

ラクスはにこりとした。

 

「ありがとうございます、キラ」

 

弥子はさらににやにやする。

 

「いいねえ」

 

ネウロが弥子の頭を軽く小突いた。

 

「貴様は己の注文を決めろ」

 

「今それどころじゃない!」

 

「大いにそれどころだ」

 

承太郎はメニューを見て、短く言った。

 

「コーヒー」

 

露伴がすかさず言う。

 

「甘味処でコーヒーだけか」

 

「問題あるか」

 

「いや、実に承太郎らしい」

 

「書くな」

 

「もう頭に入れた」

 

承太郎は帽子を深くかぶった。

 

______________________________

 

ソープは値札をじっと見ていた。

 

「ふむ」

 

カイエンが嫌な予感を覚える。

 

「何だ」

 

ソープは言った。

 

「塩バニラは少し観光地価格だけど、地元牛乳を使っているなら妥当だね」

「海塩キャラメルプリンは、土産向けとして単価を上げやすい。悪くない」

「海藻ゼリーは……これは話題性重視かな。原価は低そうだけど、見た目で客を止める効果がある」

 

カイエンは即座に突っ込んだ。

 

「だから誰目線だよ」

 

ソープはいつものように笑う。

 

「旅人目線」

 

「嘘つけ。今のは完全に統治者か商工会議所の目線だ」

 

泉が小声で言う。

 

「商工会議所……」

 

露伴は目を輝かせた。

 

「待て、ソープ。君の市場分析と観光地価格の評価について――」

 

カイエンが露伴を遮る。

 

「聞くな」

 

「なぜだ」

 

「話が長くなる」

 

アウクソーは静かに言った。

 

「ソープ様の甘味文化調査費は、個人負担です」

 

ソープは少し笑った。

 

「分かってるよ」

 

キラは会計表に書き込む。

 

「ソープさん、海塩キャラメルプリン、個人負担」

 

ソープは感心したように言う。

 

「反応が早いね」

 

カイエンが笑う。

 

「会計准将だからな」

 

キラは小さくため息をついた。

 

「もう否定しても無駄な気がしてきました……」

 

______________________________

 

 

注文がまとまった。

 

ラクスとキラは塩バニラ。

弥子は地元牛乳ソフトと迷った末、海塩キャラメルプリン。

泉はみかんシャーベット。

アウクソーは小さな地元牛乳アイス。

ソープは海塩キャラメルプリン。

カイエンは塩バニラ。

承太郎はコーヒー。

露伴は黒蜜きなこアイス。

ネウロは「味見」と言いつつ、なぜか海藻ゼリーを選んだ。

 

弥子が青ざめる。

 

「ネウロ、それ本当に食べるの?」

 

ネウロは海藻ゼリーを見つめて笑った。

 

「ククク……人間界にも、多少は不穏な甘味があるようだ」

 

泉が言う。

 

「普通のゼリーですよね? 普通ですよね?」

 

店員はにこにこしている。

 

「はい、普通の海藻ゼリーですよ。ちょっと磯の香りがします」

 

弥子は小声で言った。

 

「磯の香りがするゼリーって、普通かな……」

 

カイエンは塩バニラを一口食べる。

 

「うまいな」

 

ソープも頷く。

 

「塩が甘さを立ててる。海辺で食べると、さらに美味しく感じるね」

 

弥子はプリンを一口食べて、目を閉じた。

 

「……勝った」

 

キラが聞く。

 

「今度は何に?」

 

弥子は胸を張った。

 

「泣いた午後に!」

 

泉が笑った。

 

「また勝ったんだ」

 

「勝った! ラクスさんの歌で泣いて、デザートで回復!」

「これは正しい流れ!」

 

ラクスは塩バニラを一口食べて、柔らかく微笑んだ。

 

「本当に、美味しいですわ」

 

キラはそれを見て、心底ほっとした顔をした。

 

「よかった」

 

ラクスが少し首を傾げる。

 

「キラも召し上がってくださいませ」

 

「うん」

 

キラも塩バニラを食べる。

 

ほんのり甘く、あとから塩味が来る。

 

彼は小さく言った。

 

「うん。美味しい」

 

弥子が小声で泉に言う。

 

「今のキラくん、すごく安心してる顔」

 

泉も小声で頷く。

 

「守りきった後の顔だね」

 

______________________________

 

 

ネウロは海藻ゼリーをひと口食べた。

 

そして、少し黙った。

 

弥子が身を乗り出す。

 

「どうなの?」

 

ネウロは真顔で言った。

 

「不味くはない」

 

弥子が驚く。

 

「ネウロが普通の評価をした!」

 

「ただし、吾輩の食欲を満たすものではない」

 

「それはいつものこと!」

 

露伴が黒蜜きなこアイスを食べながら言った。

 

「今日の防波堤の後で、この甘味処に来る流れは悪くない」

「悲しみを処理した後、人間は糖分で日常へ戻る」

 

泉が言う。

 

「先生、またいいこと言ってるんだか変なこと言ってるんだか……」

 

承太郎はコーヒーを飲んで、短く言った。

 

「悪くねぇ」

 

露伴が反射的に言う。

 

「最大級評価だ」

 

承太郎は否定しなかった。

 

弥子がそれに気づき、目を丸くする。

 

「承太郎さんが否定しない!」

 

カイエンが笑う。

 

「よほど悪くなかったんだろうな」

 

承太郎は帽子のつばを少し下げた。

 

「うるせぇ」

 

それもまた、平和な音だった。

 

______________________________

 

甘味処の窓からは、港が見えた。

 

さっきまで重く見えた防波堤も、今はただの防波堤に見える。

 

完全に何もかもが解決したわけではない。

 

これからも海へ出る人はいる。

戻る人も、戻らない人もいる。

待つ人もいる。

 

港町の涙は、きっと完全には止まらない。

 

でも、今この午後。

 

ラクスは歌い終え、キラは守りきり、弥子は泣いて、そしてプリンを食べている。

 

それでよかった。

 

弥子はスプーンを掲げた。

 

「今日も勝ち!」

 

キラが笑う。

 

「うん。今日は勝ちだね」

 

ラクスも微笑んだ。

 

「ええ」

 

ソープが窓の外を見ながら言う。

 

「いい町だね」

 

カイエンが言う。

 

「また統治者目線か?」

 

「今のは普通に旅人目線だよ」

 

「本当かね」

 

アウクソーは静かに全員を見回した。

 

「皆さま、精神的な緊張は緩和されているようです」

 

泉が息を吐く。

 

「甘いものって偉大ですね……」

 

ネウロは笑った。

 

「ククク……人間どもの日常復帰手段、なかなか侮れんな」

 

弥子が胸を張る。

 

「でしょ!」

 

露伴は、その表情を見てメモ帳を開いた。

 

歌は悲しみをほどいた。

甘味は人間を午後へ戻した。

 

泉が覗き込んだ。

 

「今回は、いいですね」

 

露伴は少しだけ満足そうに言った。

 

「当然だ」

 

港町の午後は、少しだけ明るかった。

 

潮騒は、遠くで静かに鳴っている。

 

そして塩バニラは、海風に溶けるように甘かった。

 

 

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