肩掛け鞄を開け、ポーション・タオル・水・地図、必要最低限の物品が入っていることを確認する。
「それじゃあ、行ってきます!」
顔を上げると、そこには人だかりができている。
「みどりちゃん、元気でね!」「行かないでぇ〜」「絶対遊びに来てね」
人の数は正面からでは把握できない、ゆうに三桁はいるであろう村民達が、思い思いに感情を声に出す。
グレートイーグルを狩ってきたときより、人数も声も大きい。
最前列にいるのは村長達と騎士団がいる。
レモネードが近付きハグをされた、力強くそれでいて拘束する意思を感じない。
「みどりさん、行ってらっしゃい」
私も強く優しく、抱き返した。
「またね、レモネードさん」
別れを告げて、ゆっくりと手を離す。
歩き始めると、一斉に声をかけられた。
「寂しくなったら帰ってくるんだよ」「悪い男に捕まるなよ!」「お姉ちゃんまたね!」
歩きながら、何度も振り返り手を振った。
しかし、その歩みは止まることがなかった。
村民達の姿がボヤける、それでも見える限りは手を振り続けた。
そよ風が頬を撫でる、雲一つない空が旅出を祝福する。
絶好の外出日和に、肝心の心情はというと
「もう、帰りたい!」
わずか数分でホームシックとなっていた。
優しくて純粋な人間関係は、病院暮らしで渇いた心の亀裂に、温かく染み込んで離れない。
つい数日前にレモネードの誕生日があったので、団員と結託してケーキを作った。
誰かが「どうせならレモンケーキにしよう」とか言い出して、全員が乗り気になったはいいものの、誰もスイーツ作りなんてやったことなくて、一個作るのに数時間かかった。
作り上げた物も形は不揃いで御世辞にも綺麗とは言えなかったが、レモネードは喜んで食べてくれた。
結局、全員で分け合ったあと酒をあおって、食堂で雑魚寝した。
その記憶は騒がしくて、この世の何にも変えられなくて、心を満たし続ける。
自分で気付かぬ内に歩を止め、村のいる方向を眺めていた。
手を合わせ天を仰ぎ、祈りを捧げるとそよ風すらも制止する。
「ざみじずぎるぅ゛がみざまどうしよぉ…」
「はぁ…おい、ウーベルタース」
ニーズホッグは、こんなことで一々呼ぶなと言わんばかりに呆れ、ウーベルタースに話を振る。
面倒くさかっただけなのか、慰めることに向いてないと判断したからなのか…おそらく前者だろうが聞かないでおこう。
「みどりさん、デメテラならスイーツも食材もいっぱいあります。
帰省するとき、お土産に持っていきましょう…?きっと皆さん喜んでくれますよ」
優しく背中をさすりながら、心配そうに覗き込む姿はまさに女神。
彫刻のような均一な顔、銀髪の髪、碧い目の人間離れした美貌を、更に溢れんばかりの神聖で装飾されている。
到底、人間が直視できるようなものではな………え?なんでいるの?
「転移者様が祈っている間は顕現できるのです!」
片手を腰にあて、片方の腕を伸ばして人差し指を立てポーズを取り、キリッとした目つきで自慢気に微笑む。
ダサいポースも彼女がやると、神聖な儀式の最中かのように思えてくる。
「話を戻しますが、これでお別れというわけではありません。
デメテラは転移者様の意志を尊重します、完全に自由とは言えませんが里帰りぐらいはさせてくれます」
デメテラ豊国、それがこれから行く国である。
色んな国の話を聞いたが、一周回って最初に勧められたデメテラに決めた。
近くて自由がある…というのもそうだが、とにかく食べ物が美味しいらしい。
お金にならないのに、連邦にも定期的に食糧を運んでくれている。
騎士団の食堂で、豊国のパン粉を使って作られたパンが出たときは美味すぎて取り合いになった。
「それにデメテラには二人の転移者様がいらっしゃいます。
イタリア人の転移者様が、イタリアンレストランを開いていますので、ご興味あれば「すぐ行きます」
ホームシックは食欲によって容易に吹き飛ばされた。
海外留学に行ってた先生が「料理が美味しい国はホームシックにならない」と言っていたのを思い出した。
やはり美味しい物を食べたら、大概のことはなんとかなると実感した…まだ、食べてないけど。
「はい!行ってらっしゃい!」
ウーベルタースは満足気に微笑み、決めポーズのまま天界に戻っていった、最後まで解かなかったな…ツッコんだ方がよかったのかな?
先ほどよりも足取りが軽い、すでに舌がトマトとチーズを欲している。
転移者の
それでも…もし教えてくれたら、皆にも振る舞ってあげよう。
物思いにふけながら歩みを続ける。
たびたび地図を取り出し、ルートから外れてないか確認する。
現代人の性だろうか?位置情報アプリに慣れすぎて、確認が合ってるのかすら判別できない。
木々をかき分け見晴らしのいいところに出ると、デメテラ豊国が視界に入った。
しかし、何度も立ち止まって確認していたせいか、太陽が沈んで草木が紅く染まっている。
デメテラ豊国に初入国する際は、諸々の身分確認を行うため夕方以降の入国はできないらしい。
村長から「嬢ちゃんなら"よっぽどのこと"がない限り、昼さがりまでには着く」と言われていたが、私の方向音痴は"よっぽどのこと"だったようだ。
マズイ、野営の準備がない。
藁にも縋る思いで周囲を見渡すと、建造物らしきものが見える…距離は数kmほどだろうか。
体技魔法により目を凝らすと、双眼鏡でズームしたかのようにクリアに映る。
そこにはいくつかの家があり、煙突からは煙が昇っている。
「村だ…村だ!」
地獄に仏とはこのこと、村を視界に捉えたまま一直線に走る。
周囲の草が激しく揺れる、場所さえわかれば数kmなんて一分もかからない。
近付くにつれて徐々にスピードを落とす、入口に近付くが門番はいないようだ。
「これ入っていいやつ…?」
キョロキョロと見渡しながら、恐る恐る門をくぐる。
その瞬間、血管に冷水を流し込まれたような悪寒に襲われる。
呼吸を荒げ目を見開いて周囲を見渡すが、人が何人か歩いているだけで変わったところはない。
人が少ない気もするが、夕方なことを考えれば不自然ではない。
家の中からは声や食器の音が聞こえ、窓から光が漏れている。
胸に手を当て、深呼吸をして心臓を落ち着かせる…どうやら、私の勘違いだっ───
「あらあら、随分と綺麗な女の子ね?」
若い女性の声…なのに、聞くだけで鳥肌が立つ。
声の方向に身体を振り向けると、そこにいたのは究極の美と呼称したいほど美しい、剣を携えた女だった…だがそんなことはどうでもいい。
私が釘付けとなったのは顔の造形ではない、ましてや肉体の曲線でもない…頭に生えた二本の角と青い肌である。
「まぞ…く?」
私の呟きに、女はウインクで返す。
「はじめまして、私はエルクラーク…まっ覚えてもらわなくていいわ。
すぐに脳みその皺まで、ぜ〜んぶ私で埋めておバカさんにしてあげる♡」
恍惚とした笑みを浮かべながら、目を細めて私のつま先から顔まで品定めをするように眺める。
「こんなに綺麗な子が来るなんて、今日を村の記念日にしましょう!
あぁ、楽しみ♡何してあげようかしら、いっっっぱい遊んであげるからね?」
脳が"見るな"と告げる、顔を伏せるが…もう遅かった、私の魂にナニカが触れる。
記憶・価値観・感性・知能・人格、人が人であるために存在する、絶対に触れられてはいけない禁忌を素手で弄られている。
胃液が這い上がろうとするのを抑える。
ナニカが魂の中心に到着して、魂の全てを手のような物で包み込まれた。
女の高笑いが聞こえる。
そして───なにも起こらなかった。
手を握る、麻痺はない。
身体を触る、肉体の形は変わっていない。
周囲を見る、視界は良好。
記憶を探る、違和感はない。
もう既に発動していて、私が気付いていないだけか?
エルクラークを見ると、口を開けて呆然としている。
「………え?なんで効いてなァ゛」
全身全霊で顔面を殴り抜ける。
ミシミシと顔面の骨が砕け、筋肉の繊維がプツプツと破れる感覚が拳から伝わる。
エルクラークは殴り飛ばされ、村の正門にぶつかっても止まることはなく、正門が衝撃で瓦礫と化し、村の外まで飛ばされる。
村人達が慌ただしく叫んでいるようだが、全神経が魔族に向いている、そちらに割くリソースはない。
助走をつけて地面を蹴り上げ飛躍する、村中の建物が地響により揺れる。
エルクラークは草原の上で頭を押さえていた。
片足を上げて、勢いのまま振り下ろす。
エルクラークはハッと顔を上げ、当たる直前にバク転して躱された。
エルクラークは携えていた剣を抜く、顔の横まで持っていき、両手で剣を握り構える。
顔の半分は抉れて骨が露出しているが、致命傷にはなっていない。
観察していると、エルクラークが歯軋りをしながら睨みつけてくる。
「私のことを見ている…顔も身体も……なんで支配できないのよッ」
先ほどの魂に潜り込んでくる感覚でなんとなく察していたが、この言葉を聞いて確信した、こいつの魔法は精神支配だ。
こいつの発言、こいつを見たら気色悪い感覚に襲われたことを鑑みると"エルクラークを視認する"ことが条件の一つ。
それだけではない、他にも何らかの発動条件がある…だが、それはエルクラーク自身も知らないと見ていいだろう。
その"なんらかの条件"に私は当てはまらなかった、反応を見る限り初めての出来事…もしくは"人間で起きるのは初めて"のはず。
であれば、ほぼ必中と言えるほど広範囲に適応される条件に、たまたま私が入ってなかったのだ。
一番ありそうなのは"この世界の人間ではない"ことだが、その確証はない。
身長か?いや、私より高い人間は探せば普通にいる。
精神か?そうだとして、何を持って弾くことができた?
手順か?たまたま発動条件にならない手順を踏むことができた?
そこまで思考して考えるのを止めた、髪色・筋力・視力…考えればキリがなさすぎる。
条件が不明な以上、戦っている最中に条件を満たしてしまう可能性がある。
決着を急ぐ、やることはシンプル…ブチのめす。
なら、狙うは防御の薄い抉れた顔ッ!
「そうくると思った」
私の拳は剣の側面でいなされ、空を切る。
エルクラークは剣を握り方を変え、体勢を崩した私に高速で剣を突き刺す。
更に体勢を崩して無理やり回避する、剣が頬を掠める。
崩した体勢のままバク宙して距離を取ろうとするが、立ち上る前に剣を振り下ろされる。
回避が脳裏をよぎったが、すぐに放棄した。
先ほどの攻防で理解した"こいつは私よりも戦闘経験が多い"そして前述した"発動条件"を考慮すると、後手に回るほど事故率が上がる。
賭けに出る…信じますよ、ニーズホッグ様。
防御姿勢を取らず、エルクラークに突撃する。
「っ!?」
エルクラークは驚愕するが、そのまま剣を振り下ろす。
肩が抉れ、鋭い痛みが全身に駆け回る…だが剣は肉をえぐりこそすれど骨を断つことはなかった。
「なっ!!?」
鮮血が飛び散り頬にかかる、温かい…なぜだがそれほど嫌な気分ではない。
この痛みは鋭いが、絶望に満ち溢れた痛みではない。
身動きが取れず、中身が腐り落ちるような鈍い痛みは絶望しか孕まない。
この痛みの先には何かがある、それが例え絶望だとしても…選ぶ権利は私にある。
そう思えばなんてことはなかった。
抉れた顔に拳を突き立て、地面に叩きつける。
「がァ゛ッ!?゛」
叩きつけた衝撃で地面が割れ、土煙が私達を包む。
腕を振って土煙を払うと、エルクラークは元より露出していた頭蓋が割れ、脳みそが見えている。
「ァ゛あぁ゛なんで、わだ゛じを゛」
肺が潰れたような声を出しながら、立ち上がろうとするが足が痙攣して立ち上がらない。
「なんで゛わだしを゛こうげきするゥ゛」
「………は?アンタが支配しようとしたから…それに村人達も」
「にんげんたぢ゛は、じぶんのいじでついてきたんでしょ゛!?゛」
「魔法で支配することを意志と呼んでるの?」
「みだのはあなただち゛だ゛じぶんのいじで゛わだじをみで゛しはいされるこどをえらんだ゛んだろぉ゛!!?゛」
脳が理解を拒む、言葉は理解できるのに、意味が全くわからない。
こいつが存在している限り、村人達は生涯自身の意思で歩くことすらできない。
エルクラークのために食事をして
エルクラークのために寝て
エルクラークのために目を開き
エルクラークのために働く
エルクラークのために生きる
全身の細胞が産毛に至るまで「こいつを殺せ」と叫んでいる。
拳を振り上げ、しゃがむ。
「い…やっ」
眼球だけを私に向かせて、全身を痙攣させる。
手をバタバタと動かしているが、攻撃をしようとしてるのか逃げようとしてるのかもわからない、どっちでもいい。
命乞いを言い切る前に、拳を振り下ろす。
グチャりと柔らかい物を潰す感覚が伝わり、地面が更に割れ、大きなクレーターができた。
立ち上がり見下ろすと、頭が潰れたエルクラークがクレーターの真ん中に倒れている。
完全に死んでいる。
エルクラークを手に持って村に戻ると、辺りから叫び声が聞こえる。
嗚咽や金切り声、喉が枯れそうなほどの泣き声、ビチャビチャと吐瀉物が落ちる。
頭を抱えて泣き叫んでいる女性が呆然とエルクラークを眺めたあと、ゆっくりと私の顔を見る。
おぼつかない足取りで立ち上がり、ふらふらと倒れそうになりながら近付いてくる。
エルクラークを投げ捨てて女性を支えた。
「はっ゛はぁ…あなっあなたが、殺してくれたっ…んですか?」
女性はエルクラークを指さし、過呼吸になりながら尋ねる。
私は女性の目を見ながら、静かに頷いた。
ハッと目を見開いて、しがみつくように抱きついてくる。
「ありがとうござい、ます…ありがどうごさいまず゛。
亡くなった娘の…ことを生涯わすれっ、わすれたままでした」
服が涙で濡れて生暖かい、少し落ち着いた女性は抱きつくのをやめる。
女性はエリナと名乗り、一人暮らしだから自分の家を好きに使っていいと言う…というより帰りたくないようだ。
少し申し訳ないが、肩が抉れている状態で野宿するわけにもいかないので、ありがたく使わせてもらう。
玄関を開けると、すぐに帰りたくない理由がわかった。
食器が2人分ある、帰ってくる誰かのために用意していたんだろう。
寝室には2人分のベッドがあり、手前側のベッドに長い髪の毛が落ちている。
この独特な青みがかった髪をよく知っている、エルクラークの髪だ。
エリナのベッドに血を付けるわけにはいかない、このベッドを使う。
どうせ二度と使われることはない。
身体が吸い込まれるように沈んだ、干して時間が経っていない、よく手入れされている。
なのに、信じられないほど胸糞悪い。
天井を眺めながら、抱いた疑問を口にする。
「魔族という種族は、全てこうなのか?」
もしも、その疑問が正しいのであれば
この命、尽きるまで
私は人間領土に存在する全ての魔族を殲滅する
─────────────
「やはり」
「やはり病は人を成長させる」
「精神も価値観も一新され、強い自我が形成される」
「困難に立ち向かい、折れても立ち上がる」
「痛みや恐れを知らないわけではない、知った上で思考をやめない」
「その人格こそが人間の真髄」
「貴女を見つけられて本当によかった」
「ニーズホッグじゃなくて、私のこと選んでほしかったな…」
「それでも、その選択に込められた意思は理解しているつもりです」
「その程度の願いすら認められなくて、疾病の女神など名乗るわけにはいきませんからね?」
・愛縛のエルクラーク
HP:40 APP:18 身長:172 体重:68 AGE:96
性別:女
種族:魔族
支配魔法:エルクラーク未満のAPP(17以下)を持った存在がエルクラークを視認すると発動する。
魔法が発動すると、その人物にとってエルクラークが最も大切な存在となる。
デメテラの村に来たのは1年前
・ウーベルタース(神格状態)
HP:不明 MP:不明 APP:25 身長:182 体重:「めっ!」 AGE:残念でした〜♡
性別:女
種族:神
魔法:植物魔法
銀髪ロング・碧い瞳・豊満バストとヒップに、白いローブを身にまとっている。
魂の選定をクリアした転移者以外の人間は、見るだけで失神する。
最も信仰されている神であり、非常に慈悲深く信者にも信者以外にも寄り添う。
・ファナラビ(神格状態)
HP:不明 MP:不明 APP:25 身長:179 体重:65 AGE:「5柱の中では最年少です」
性別:女
種族:神
魔法:疾病魔法
肌と髪は白く透き通っており、瞳は赤い。
ウーベルタースとは対照的に、スレンダーなロングヘア。
魂の選定をクリアした転移者以外の人間は、見るだけで失神する。
病死を最も尊い死と考えており、その価値観は神々でもあまり受け入れられていない。
彼女を信仰するファナラビ教は、病を治さないことを理念としていて
堰代みどりを見つけたのは彼女である。