「……ヤチヨ、どう?」
キュイ、と人工筋肉に通電した音に次いで、アバターボディのまぶたがピクリと動く。
恐る恐るといった様子で目が開くと、数回の瞬きとともに眼球内部の光彩が最適化され、のぞき込む私の顔を結像した。
ヤチヨの視界が接続されたモニター上に映っていることを確認して、ホッと安堵の溜息をつく。どうやら、上手くいったらしい。
「……いろは、が、見える」
「それ以外が見えたら困りますー」
そう言って笑うと、ヤチヨが目を細めて頬を緩め、『笑顔』を作った。
うーん、表情なんかの細かい運動は、まだまだ改良の余地がありそう。筋肉の動き、むずい。
「しゃべる、の、むずかし、かも?」
「だよね。口を動かして発音するのにこだわりすぎたかも。でも、あんま妥協したくないから」
たどたどしいヤチヨの口調に苦笑しながら、モニターに流れるパラメーターを確認していく。ここまでの動きは全部想定通り。プロトタイプのプロトタイプとしては上出来だ。
実験用の簡易ベッド上に横たわるヤチヨボディは、一応完成はしてる。ちゃんと手足も動くし、理想通りにいけば歩行も可能だ。
ただ、問題は。
「手、動かせる?」
「……ううん……うごかし、かた、わかんない……」
「やっぱりかー……」
肉体を持たない八千年という時間の重みが、文字通りヤチヨボディにのしかかっていること。
しばらく色々と試してから、ヤチヨはボディから抜けてツクヨミに戻った。いつもどおりの装いでモニター画面にぴょこんと顔を出し、「よよよ」とわざとらしい涙声をあげてる。
「うう、不甲斐ないのです。おばあちゃんのヤチヨには、地球の重力は重すぎてぇ……」
「年齢や重力の問題じゃないと思うけど……」
表情を作って声も出せたから、人工筋肉が正常に動作してるのは間違いない。
ただ、かぐやが地球に舞い戻ってきてから八千年。ヤチヨとしてVR空間に現出したとは言え、物理的な体を動かす機会は一度もなかった。
その精神と肉体の乖離が、ヤチヨの動きを大きく制限してる。
「視界は良好だったと思うけど、他に何か感じたことはある?」
私の質問に、ヤチヨはうーんと首をひねった。
「ボディの電脳に入ったとき、すこーし抵抗があったかも。海の中に潜るとき、みたいな」
「一時的に視聴覚がオフになるから、もしかしたらそのせいかな。他には?」
「やっぱり手足かな。鉛みたいに重かった。それと……」
「それと?」
なんだかわざとらしく句切られた言葉にヤチヨを見ると、花も恥じらう乙女のような表情で。
「……自分の『目』で見た彩葉は、やっぱり綺麗だなって♪」
「んぐ……ッ!」
長年の『推し』の顔と声を伴う甘いセリフは、未だに私特効の破壊力があることを自覚してほしい。
「ふ、不意打ち禁止!」
「んふふー、不意打ち大成功! 彩葉の照れた顔、久しぶりだなぁ」
「全くもう……そーゆーとこは『かぐや』なんだから」
そう言うと、ヤチヨはくすぐったそうに目を細めた。その相貌に十年前から焼き付いたままの表情が重なり、思わず唇を引き結びそうになる。
でも、耐えたと思ったのは私だけだったみたいで。
「……彩葉。ヤチヨはこのままでも良いんだよ。彩葉のおかげで、彩葉の熱も、パンケーキの味も、ツクヨミで堪能できるんだから」
ヤチヨの優しい声が響く。
ツクヨミでの五感の実装は、紆余曲折あったけど意外にあっけなく出来た。私たちは専用のデバイスがいるけど、ヤチヨはデータさえ定義すれば嗅覚も、味覚も、温痛覚すらも感じられる。
でも、私はどうしても現実の世界でヤチヨにそれを味わって貰いたかった。
かぐやだけじゃなく、ヤチヨにも。
だから、私はアバターボディを
「……いくら『推し』の言葉でも、それは聞けませーん」
「よよよー、ヤッチョの神通力が効かないなんてぇー」
あからさまな嘘泣きの隙間にこっちをチラ見するヤチヨ。ムスッとした仮面の効果は、五秒も保たなかった。
二人で同時に噴き出してひとしきり笑ってから、私は「はー」と長い息を吐く。
そのまま、視線を奥にあるもう一つの簡易ベッドに巡らせた。
そこには、もう一つのアバターボディが横たわっている。
KG-01。
その電脳には、今も
「今更だけど、本当に良かったの? バックアップを切り離して」
そう言うと、ヤチヨは愛おしそうに目を伏せた。
「ヤチヨは、やっぱり彩葉と一緒にいたかぐやには戻れないから。八千年分歩んだ記憶が、今のヤチヨを形作ってる」
「ヤチヨ……」
かぐやには戻れない。その言葉が、私の心の奥底をきゅっと締め付ける。
この十年で何度となく自分を納得させようと努力してきて、それでもなお剥がしきれなかった最後の澱。
「でも! だからこそ私はもう一度彩葉と出会えた! ヤチヨとして、二度目のはじめまして! この記憶は、ヤチヨのタカラモノだから」
その笑みは、本物だった。
あぁ、そうか。
彼女は八千年の間に、色んな事を飲み込んで、折り合いをつけて、ヤチヨになる道を歩んできたんだった。FUSHIに見せて貰った記憶の中でも、ヤチヨを名乗ってからの記憶は特に色鮮やかだった。
そうだね。ヤチヨは、ヤチヨだ。
「だったら、こっちも完成を急がないと。ヤチヨほどじゃないけど、きっと待たされて拗ねてるから」
燻る澱を剥がしてみせたのも、ヤチヨだった。
かぐやの乗ってきた『もと光る竹』には、かぐやの思念体がまるごと保存されていた。それは本来なら得た肉体にアップロードされるけど、エラーが起きてFUSHIの体に意識を転送したため、バックアップとしてコピーが保存されたままになったらしい。
つまり、竹の中にヤチヨとかぐや、二人分の魂というべき存在がある。
「FUSHIの体に意識を転送できたときがバックアップの時期だからー、えーと、八千日ぶり? つくづく八千って数字に縁があるねぇ」
「それ、不時着から二十二年後じゃん。あっぶな、かぐやにも年追い越されるとこだった」
「彩葉は幾つになってもかわいいよー?」
「ちょ……だから不意打ち禁止だってば!」
耳が熱を持つ感覚に打ち震えながら、コロコロと笑うヤチヨに怒ってみせる。
怒ってみせたはずなのに、いつの間にか笑ってた。
それはきっと、すぐ近くまでハッピーエンドの足音が聞こえてきていたから。
「……また、三人でライブしようね、彩葉」
「……うん」
「十年越しに~ヤッチョとめでたししちゃお~! なーんて♪」
「もーやめてってば! 泣くよ? 大の大人が研究室で大声上げて泣いちゃうよ!?」
本当に流れてきそうな涙を堪えながら、私はもう一度KG-01を見た。
記憶の中にあるそのままの姿の、かぐやを。
今にも動き出しそうな彼女の初起動まで、あと少し。
(え~! もう一秒だって待てないのにぃ~!)
頭の中に響く幻聴に――ううん、かぐやの声に微笑み返して、私はヤチヨボディから得たデータのフィードバックを開始した。