かぐやのアバターボディへの適応は上手くいったが、ヤチヨの歩行運動がなかなか解決しないことに悩む彩葉。
そこへ、芦花と真実からツクヨミを賑わす『車椅子の幽霊』と『弁慶』の噂話が舞い込んできて……
ヤチヨがかぐやとは別の人間として歩んでいくという、8000年と11年目の別ルート(√2)。
全5話+エピローグで綴る中編です。
連日投稿予定なので、是非お付き合いください。
Pixivと同内容です。
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静かなのに耳障りな音。
宵闇に沈む研究室の中を滑るように歩く影は、鼓膜に届く煩わしい微振動への苛立ちを隠すように両手を握りしめる。
慣れたはずの室内を手探り、目当ての端末を探り当てた。電源を入れ、モニターの輝度を最低まで落とす。
苛立たしい電子音が増えたが、それよりも待ち遠しい気持ちが上回った。
無事に起動したのを確認して、再び手探りで端末の表面を撫でる。指先に引っかかる陥凹を確かめ、薬指と小指で握りこんでいたUSBメモリを差し込んだ。
人を信用しすぎだな、彼女は。
メモリが無事に認識されたのを見届け、哀楽の入り交じる溜息をついた。その甘さが自分の付け入る隙を与えてくれたことには感謝する。
端末を操作し、待つこと数分。計画の最難関と思われた工程は、拍子抜けするほどあっけなく終わった。
素早くメモリを抜き、端末からログインした形跡を拭う。
ポケットに忍ばせたスマホの画面に変化が現れたのを見て成果を確信し、影は来たときと同じように滑らかに研究室を出た。
廊下の監視カメラに施した細工が、そろそろ切れる。
足早にその場を離れ、安全なエリアまで逃れたところで、ふと窓の外を眺めた。
蓄えた太陽の光を優しく反射する、満月の
ほのかな月光を浴びる影の口元に、上弦の月。
向かい合う月の片方が、歪に綻んだ。
「……すぐに連れ出してあげるからね、
零れた言葉は、何処にも届くことなく虚空に吸い込まれていった。
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「車椅子の……幽霊?」
「そう! 最近ツクヨミはその話題で持ちきりだよー」
隣の部屋の真実から飛び出てきた単語をオウム返しにしながら、私は今朝淹れて冷蔵庫に突っ込んでおいたコーヒーをたっぷり氷の入った三つのグラスに丁寧に注いだ。
新しく仕入れた豆は、アイスにしてもほのかな酸味が午後の気怠い空気に心地良い。
研究室に併設されてる給湯室から戻ってみれば、すっかりくつろいだ様子の真実と芦花が最近新調したソファーで電子ペーパーを広げてる。
二人にグラスを渡して、私も自分のオフィスチェアに身を任す。気怠さを吹き飛ばすようにグラスの中身を
「『神出鬼没! 謎の車椅子男』……男なの?」
「うーん、アバターだから確かめようがないけど……」
かつての新聞よろしく段組された文字列の途中に挟まれた写真を真実が苦笑しながらタップすると、拡大された写真が動画になって音声を垂れ流した。
『先月から目撃情報が相次いでいる車椅子の幽霊! バグかイタズラか、それともー!? まだまだ情報、お待ちしてまーす!』
忠犬オタ公の煽りが響く動画には、確かに車椅子に乗った人影のようなものが映ってる。若干わざとらしく画質が落とされてるけど、ひょろっとした体型に真っ赤な衣装を着た人物像は、確かに不気味だ。
といっても、別に何か害があるわけではないらしい。
ある意味、都市伝説的ではあるけど。
「VRに幽霊も何もないと思うけど……そもそも、そんなのがいたらヤチヨのネットワークにも引っかかるんじゃない?ねぇヤチヨ?」
そう水を向けると、椅子型のメンテナンスドックに座ってたヤチヨが『キュイ』という可愛らしい起動音を立てて目を開けた。
「うーん、ヤッチョも噂は聞いてるけど、それらしいIDは見てないなぁ。不正アクセス検知にも引っかかってないし」
軽く小首を傾げつつ、ヤチヨはソファの真実と芦花に「やおよろ~」と挨拶する。二人も挨拶を返しながら、感心したように頷いた。
「ヤチヨちゃん、ホントに違和感なくなったねー」
「ね。もうかぐやちゃんとほとんど変わらないんじゃない?」
真実の感想に同意しつつ、芦花はまじまじとヤチヨを見つめてる。視線をくすぐったそうに受けるヤチヨは、なかなか新鮮で可愛い。
「まだまだ課題は多いんだけどね。
「よよよ~、ご迷惑をおかけしますねぇ~」
「それは言わない約束でしょ。私がヤチヨといたいからやってるんだから」
そう言うと、ヤチヨは頬を赤らめてクネクネしだした。長年の推しの顔でそういう仕草をされると悶え死にそうなのでやめて欲しい。
純愛だねーなどと囃し立てる二人をいなしながら、照れ隠しに私の専用端末を立ち上げる。
ヤチヨをかぐやと別人格として現実に誕生させる事を決めた私は、研究所所長という地位を乱用して『神降ろし』というプロジェクトを打ち立てた。
文字通り、ツクヨミの神でもあるヤチヨをアンドロイドの肉体に宿らせ、ゆくゆくは別の研究所が開発中のバイオロイド技術と組み合わせて『定命の存在』にするのが目的だ。
定命はまだ先の話になるけど、情報生命体とも言うべきかぐやのアンドロイドへの移植は既に大成功を収めていた。普通の人間と遜色なく体を動かせるようになったかぐやは、味覚を備えたことで完全体(かぐや談)となり、今日も元気に夕飯の仕込みをしに一時帰宅してる。
ヤチヨもかぐやとほとんど同じ仕様のボディに換装済みなんだけど、何故かかぐやほど体を自由に動かせてない。五感はちゃんと機能してるし、立ち上がるところまでは出来るんだけど、歩行となると補助がいる感じ。
恐らく八千年間まともに肉体を持ってなかったから、身体感覚が追いつかないんだろうというのが一応の結論だった。ツクヨミでは浮いたり分身したりしてるもんね。
ツクヨミの管理も、最近は少しずつヤチヨAI(元々AIって設定なのに!)に移行してる。ヤチヨ曰く、月で自分のコピーを作ったのと同じ要領だそうだ(だから厳密にはこっちもAIじゃない)。
それに伴って、ヤチヨのツクヨミでのライブ活動も少しずつ数を減らしてる。何かしら勘づいてる人もいるみたいだけど、正確に事情を知ってるのは私の周りにいる数名だけだ。
ヤチヨボディ初起動から約一年。
かぐやに遅れたけど、なんとかヤチヨも自由に動けるようにしてあげたい。もうちょっと、あとちょっとで何か掴めそうなんだけど。
「そういえば、例のチーターも最近頻度が増えてるんだよー」
「チーターって、KASSENの?」
「そうそう。私もこの前の招待戦で見たよ。荒らすだけ荒らしてどっか行っちゃったけど」
げんなりした様子の真実に問い返すと、憤慨よりも呆れたような表情の芦花が後を継いだ。
「その件はヤッチョも把握してるんだけど……ごめんねぇ、解析にまだ時間がかかりそうなのです~」
車椅子の幽霊と違って、こっちはヤチヨも対処中の案件だという。
私は最近触れてないから知らないんだけど、KASSENに謎のアバターが乱入してくる事案が先月から度々報告されてるらしい。
平安時代の僧侶みたいな格好の大男で、ゲームに参加してるアバターと戦って武器を奪っていく様子から、付いたあだ名が『弁慶』なんだって。
KASSENで使う武器なんて所詮データだし、集めたところで使い道はない気がするけど。
「それって、お兄ちゃ……帝が前に使ってたみたいな
十一年前、かぐやが月に帰還するのを阻止する作戦を立てたとき、兄たちが使った全パラメータ上限突破のチートコード。
基本的に、チートは使えばツクヨミの自動検知システムに引っかかってすぐアカウントを凍結させられるけど、検知されるまでに少し猶予がある。
ちなみに、兄たちが使ったときはヤチヨが凍結回避のためにコードを書き換えてたってのは、最近になって聞いた。
「ううん。パラメータをいじってるっていうより、何もないところから急に出てきて、強引に武器だけ奪ってくって感じ」
「なにそれ。ホントに武器だけが目的ってこと?」
「変だよねー。何が面白いんだかー」
芦花の説明に覚えた不信感を、真実が同意する。
それにしても、変な事件の二本立てだ。片や神出鬼没で実害のない幽霊。片や神出鬼没で武器を奪うチーター。しかも、どっちもここ一ヶ月で発生し始めてる。
「……同一人物?」
「って説もあるね」
私の安易な推測を芦花が補足するけど、なんとなく違う気がする。わざわざ二つのアバターを使ってまで、こんな意味不明なことする?
とはいえ、偶然こんな奇妙なことが重なることがあるのか……と、当事者でもないのに思考の迷宮入りをしそうになったところで、研究室の扉が勢いよく開いた。
「たっだいまー! 外あっちぃ~。あ、芦花と真実も来てんじゃーん! おは~!」
「かぐやだ、おは~」
「おは~。でもかぐやちゃん、もう昼過ぎだよ?」
「いいのいいの、気にしなーい」
鮮やかな金髪をふんわり広げて高らかな挨拶と共に入場してきたのは、我が研究室のもう一人の姫君。
そして、私の大切な家族。
「ちょっとかぐや。扉は静かに開けてって言ってるでしょ。壊したらまた庶務から嫌味言われるんだからね」
遠い月からやってきた、今は機械仕掛けのかぐや姫。
「えへへ、ごめーん彩葉。外暑かったから、早く涼みたくってぇ」
「まったくもう。まぁオーバーヒートしても困るから、一応ドックで冷やしてね」
「うえぇ、ドック硬くてお尻痛いからやーだー」
帰室即ダダをこねるお姫様に溜息をつきつつも、こんなやりとりがまた出来ることに毎度ながら安堵してしまう。
ヤチヨに感じるのとはまた別種の親愛は、今の私の大きな原動力だ。
渋々メンテナンスドックに座りながらも、かぐやは有り余る元気を身振り手振りに変えて話し始める。
「あ、彩葉、夕飯はハンバーグにした! 手ごねでふっくらジューシーだよー?」
「昨日買ってた挽肉から予想ついてたけど、お昼から準備する必要あった?」
「ちっちっち。ハンバーグのタネは冷蔵庫で寝かせると下味が馴染むし、脂が固まって焼いたときに肉汁が流れ出しにくくなるの! どやぁ!」
「ふふ……じゃ、期待しちゃおっかなー」
「かぐやに任しとき!」
そう言ってガッツポーズを取るかぐやに微笑み返したところで、なんだか複数の視線を感じた。
まぁ、この場の視線なんて、残り三人分しかないんだけど。
「新婚さん」
「新婚さんだねぇ」
「もー。あんまり揶揄うと出禁にするよ? 所長権限発動しちゃうよ?」
ニヤニヤ生温い笑みを浮かべる芦花と真実に、ちょっとだけ意地悪言ってみる。もちろん、親友兼スポンサーにそんなこと絶対しないけど。
「横暴ー!」なんて言いながらキャッキャする二人を軽くいなしてもう一つの視線の方に目を向けると、案の定こっちは物欲しそうなお子様みたいなお顔。
「いーなー。ヤッチョも肉汁たっぷりのハンバーグ、食べたいなー」
「うぐ……」
ヤチヨにも当然かぐや同様に味覚は実装済みだし、擬似的に食事する機能も備わってるけど、さっき言ったように移動が困難なのと、一応ヤチヨは当研究室の『成果物』でもあるので、おいそれと研究室から外へ出せないのだ。
かぐやもそうなんだけど、こっちは『実証実験』という名目で私の管理下のもと自由に外出できるようになってる……って言っても、自由気ままなかぐやのことだから、全然管理下にあるとは言えないけど。
つまり、ヤチヨにできたてのハンバーグを食べさせてあげる手段がない。
当然ヤチヨもそんなことは百も承知でこの『きゅるん』な顔をするから余計にたちが悪い。単に私の困り顔が見たいだけでやってる。それが分かってて毎度引っかかる私も私なんだけど。
「あ! ここで焼く!? 練炭借りて、炭焼きハンバーグ!」
「絶ッ対やめてよね!? あんた前も実験室で火使って危うくスプリンクラー起動させるとこだったでしょ!?」
かぐやの危険な思いつきに烈火の如く反対すると、ペロッと舌を出してあさっての方向を向いて誤魔化した。本当に油断も隙もない。
若輩ながら大学の片隅に『酒寄研究所』なんて大層な肩書きの研究棟をもらったけど、半分は客寄せパンダ的な扱いだ。特に
おかげさまで次世代以降のアバターボディ開発は爆速で進んだし、ずっと頭を悩ませていたブレイクスルーの一つ――
で、当然の結果だけど、当研究所は目玉が飛び出るような高額機器の宝物庫でもあるわけで。
「……かぐやの今座ってるメンテナンスドック、一億だからね」
「ヒェ……」
当の本人だけじゃなく、芦花と真実も怖がらせちゃった。ごめんね。
自分のものではないとは言え、何十億、何百億円の資金を運転する身分になるなんて、ボロアパートに住んでた十年以上前には想像もつかなかったけど。
おかげさまで、今の私は愛する家族とハッピーエンドへの道を進めている。
後は目下頭を悩ませるヤチヨの運動機能さえ解決すれば、ひとまず最初のゴールに辿り着けるんだけど……。
そんなことを考えてると、今度はノックと共に控えめに扉が開いた。
「あ、あの、酒寄所長。そろそろカンファレンスの時間です」
そう言って顔を覗かせたのは、当研究所の助手の一人、
「もうそんな時間かー。すぐ行くから、宇田ちゃんも外回り出ちゃってー」
「わ、分かりました」
ぺこりとお辞儀をしてそっと扉を閉めていく宇田ちゃん。かぐやとはえらい違いだ。
「うえー、彩葉もう行っちゃうのー?」
「仕方ないでしょ、会議も大事なんだから。予算が減ったら、かぐやの自由時間も減っちゃうかもよー?」
「それはやーだー! ライブも配信ももっともっとするんだからー!」
はいはい、と適当に相づちを打ちながら、会議に持って行くタブレットを机の上の雑多な物品から引っ張り出す。
超ハイテクの塊として生まれ変わったかぐやのやることがライバー活動ってのも、なんだかおかしな話だ。流石に十一年前の古参ファンはいなくなった人も多いけど、相変わらず無茶苦茶やって新規ファンがそれ以上に増えてる。
正直、去年までに比べて私生活の充実度は段違いに上がってて、研究に割ける時間が大幅に増えたのはかぐやが稼いでくれてるおかげでもある。研究費と家計費は別だからね。
「それじゃ、私たちはおいとましよっか」
「そだねー、彩葉たちが元気なのも確認できたしー」
「ごめんね、あんまり相手できなくて」
芦花と真実が帰り支度をするのを、少し申し訳なく思う。
彼女たちが度々ここに来てくれるのは、多分まだ過去の私の失態を案じてくれているからだ。
大学に入ってから研究員になるまでも多少の無茶はしたけれど、彼女たち、そして兄に無事の連絡を入れるのだけは欠かさなかった。
あれ以上、私のことで悲しい思いをしてほしくなかったから。
「芦花と真実も帰っちゃうのー!? つまんないよー!!」
再び駄々っ子モードのかぐやを宥めながら二人を見送り、私はタブレットにヤチヨを移し替えた。ヤチヨボディは自動でスリープモードに移行し、くたりとドックにもたれかかる。
まだぶー垂れてるかぐやに苦笑しつつ右手を差し出すと、ぱちくりと可愛い瞬きをしてから一転して笑顔で自分の左手を掲げてきた。いつもの『なかよしのやつ』をした後のキツネサインを、かぐやはパペットみたいにくねらせる。
「帰ったら次のライブのセトリ一緒に考えてね、い・ろ・は!」
「はいはい。二時間くらいで戻るけど、もしここ出るときはちゃんと施錠してよ。それと、火気厳ッ禁だからね!」
「分かってるってぇ。ヤチヨも、また後でねー」
「会議中に演出プラン考えとくよー。さらばーい」
「会議中は会議に集中して?」
なんだか最近ヤチヨもかぐやに引っ張られてきてるなーと思ったけど、ヤチヨも元はかぐやだから仕方ない。八千年の経験は彼女の思想や価値観を不可逆なほどに変えてしまったけど、根っこは今もハッピーエンドを夢見る少女のままだ。
だから、そんな彼女とも、一緒に年を重ねていきたい。
どうやら、欲深怪獣はかぐやだけではなかったみたい。
「さて、いっちょ気合い入れて予算ぶんどるプレゼンしますか」
研究室を出て廊下を歩きながら、自分を鼓舞するようにタブレットを持たない片手でガッツポーズを取る。
そこへ、ヤチヨの囁くような声が響いた。
「ねぇ彩葉」
「なに、ヤチヨ?」
「……ありがとね」
「……そのセリフは、自立歩行が出来るようになったらいっぱい聞かせてもらっちゃおっかなー」
ちょっと涙ぐんでしまいそうになるのをグッと堪えて、いつものトーンで返事を返す。
今の私にとっての真のハッピーエンドは、きっとヤチヨの考えるものとはちょっと違う。そして、それが叶うかどうかは、私が死ぬときまで分からない。
そこに至るまでのハードルは、まだまだ無数にあるけど。
一個一個乗り越えていくしか、ない。
「あ! 歩けるようになったら、かぐやだった時に押しかけたお店のパンケーキ食べたいなー」
「残念、あのお店、もうなくなっちゃったよ」
「よよよー! 時の流れは残酷なのですー!」
「あはは、他にもいっぱいお店あるからさ。一緒に食べ歩こ。かぐやには内緒で」
「彩葉、悪い顔するようになったねぇ」
生まれそうになる不安の芽を摘むように冗談を言い合いながら、私はいつの間にか辿り着いていた会議室の扉を開いた。