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「良かったぁぁぁぁ! 彩葉もヤチヨも無事だったぁぁぁぁ!!」
天守閣にログインすると、かぐやが泣きながら駆け寄ってきて私とヤチヨに向かって飛び込んできた。危うく後ろにぶっ倒れそうになりながらも、なんとか受け止める。
「こら、危ないでしょうが。ちゃんと無事だよ。かぐやのおかげ」
「ご迷惑をおかけしましたねぇ」
二人で無事を報告して、かぐやの頭を撫でた。くすぐったそうに身を委ねるかぐやの向こうで、山ほど積まれた巻物に囲まれて座るチヨがホッとしたような笑みをたたえている。
宇田ちゃんから提出されたプログラムで、ヤチヨとドックの接続異常はあっさり解除された。複雑なウイルスではなく、ヤチヨをドックに誤認識させるだけの単純なものだ。
弁慶もやっぱり彼女が仕込んだもので、過去にツクヨミを退会したユーザーのIDを集めて偽装し、NPCとしてばら撒いたということだった。武器収集に使った弁慶は、他ならぬ宇田ちゃん自身のサブアカウントを偽装したものらしい。
「えらい簡単に言ってるけど、宇田ちゃん超ヤバ級ハッカーだったんじゃね?」
「さすが、酒寄研究所の期待の星でしょ」
「褒めるとこじゃなくない?」
茶化したように言ったのが分かったのか、かぐやは溜息をつきながら苦笑する。
彼女の処遇については、彼女自身に一任することにした。一応の謹慎期間は設けたけど、その後現職に復帰したい場合はそのまま受け入れる。
兄には甘すぎると言われたけど、私は彼女のヤチヨに対する純真さをまだ信じてるし、研究所にとっても彼女を失うのは損失だ。
ヤチヨは何も言わなかったけど、ただ微笑んでくれた。それだけで十分だ。
警護を引き受けてくれた兄を残し、私たちはチヨとかぐやに事件解決を報告するためにツクヨミへダイブし、今に至る。
「ツクヨミのコントロールは完全に取り戻したから、もう安全だよー。弁慶のIDも全部停止して完全凍結ー」
「チヨもご苦労様。大変な一日だったね」
「これくらい、チヨにかかれば朝飯前の玉藻の前なのですー」
そう言って胸を張るチヨの肩に、ぴょこんとFUSHIが飛び乗った。何事かをチヨに耳打ちすると、チヨはニコリと笑って立ち上がる。
そのまま数歩歩くと、チヨはポンポンと手を叩いて言った。
「さて、本日はお客人がいらしているのです。ご紹介しましょう~」
チヨの言葉とともに、室内に謎のふすまが現れる。なんか縁が七色に光ってて不安になるんだけど……。なんで月の住人の系譜はみんなゲーミングなんとかを出したがるんだろうか。
そんなことを考えてる間に、ふすまがゆっくり開いてスモークと共に誰かが出てきた。スモークも炊くんかい。
そうして現れた全貌は、さっき私たちがお世話になった人物。
「やぁ。また会えたね、二人とも」
車椅子に乗った、赤いスーツの幽霊。
「STEVEN……おかげでヤチヨを守れたよ。ありがとう」
「ふむ。それはなにより」
STEVENは頷いてそう言うと、車椅子を操作して淀みなくまっすぐ進んでいく。
彼を見て何故か固まってしまった、ヤチヨの方へ。
「……まさか」
ヤチヨの呟きに目を細め、彼は懐かしそうにその名を口にした。
「やはり君だったね。
「ジョン……また会えるなんて」
驚きと喜びを声音に乗せ、ヤチヨは差し出されたジョンの右手を両手でしっかりと包み込む。
あぁ、やっぱり。
以前見たヤチヨの記憶の中に、彼はいた。年を取って顔は変わってしまっているけど、面影と、特徴的な笑みはそのままだ。それに、彼の経歴ならこれまでのことほぼ全てに納得がいく。
ジョン・カーター。CIAの東アジア担当分析官で、『もと光る竹』の奪取にも関わった人。確か、科学技術にも強かったはずだ。
「ゔええええ!? ヤチヨがSTEVENと知り合いだったの!?」
かぐやが素っ頓狂な声を上げた。いや気づいてなかったんかい。かぐやもヤチヨの記憶は見せて貰ってるはずだけど?
でも、分からないことが一つある。
何故、彼は本人に似た老人のアバターなんだろう。車椅子だって、仮想空間でそんなものは必要がないはずだ。もちろん、ツクヨミでは乗り物を作ってる人もいるから、探せば車椅子を作ってる人もいるかもしれないけど。
……いや、違う。
頭の中にチヨの言葉が蘇って、突飛な推測が一気に芽吹き始めた。
紐付け出来そうなアカウントはゼロ。該当するログイン・ログアウト情報なし。つまり彼は――ここにいる彼は。
「STEVEN、いえ、ジョン・カーター。あなたは……
私自身が否定したその推測を、彼は右の口角を上げる特徴的な笑みで受け止めた。
「半分は正解で、半分は間違いだ。私という
「ど、どゆこと……?」
ジョンの言葉に、かぐやが恐る恐る訊く。かぐやって幽霊苦手だっけ?
ヤチヨも不安そうに瞳を揺らす中、彼は空中に一つのウインドウを表示した。
そこに映ったものを見て、私たちは絶句する。
「
ベッドに横たわり、喉から挿入された管で機械を通じて呼吸をさせられている、一人の老人。ここにいるジョンよりも更に年輪を刻んだ彼の顔は、目は、もう何も映していない。
そして、彼の体には他になんのデバイスもつけられていない。当然、スマコンも。
信じられないけど、それが答えだった。
「『
「ブレイクスルーを果たしたのは、君だけではなかったということだ、酒寄博士」
私たちがヤチヨという情報生命体を物質的な体にダウンロードした一方で、ジョンたちは人間を情報生命体としてネット上にアップロードしたんだ。だから、アカウントなんて存在しないし、ログイン・ログアウトの概念もない。
情報として、ただそこにいる、
問題は、私たちと違って倫理的なハードルが遙かに高いということ。
多分、そんなことが出来た例はそう多くはないはず。
「
苦笑いするジョンだけど、それは聞いて良かったことなんだろうかと不安になる。下手しなくても国家機密じゃない?さすが、正倉院から国宝を盗み出した男。
それにしても、そんな生ける国家機密の彼が、なんでツクヨミに来たんだろう。
「ジョンは、どうしてツクヨミに?」
私が聞きたかったことを、ヤチヨが代わりに訊いてくれた。
もしヤチヨに会いに来たんだったら、一ヶ月も前からウロウロする必要はないし、それこそ今の彼なら天守閣に直接来れただろう。
彼の口から出たのは、意外な答えだった。
「ツクヨミは
「……そっか、ヤチヨはAIライバーって設定だったから」
「AIによって形成された仮想空間上の一大経済圏。我が国が目をつけないわけがないだろう?」
彼によると、ツクヨミの黎明期からCIAは監視の目をつけていたらしい。実際にアカウントを作成して入り込んだりもしてたけど、ヤチヨのガードは鉄壁で付け入る隙はなかったんだって。
ヤチヨ曰く『多国籍のお客様にお引き取り願った』そうで、ツクヨミは各国から研究対象として見られていたみたい。
ただ、ジョンはヤチヨの正体を知ってたから、ツクヨミが真の技術的特異点ではない事は分かっていたし、特に調査に参加するつもりはなかったそうだ。
彼が参加を決めたのは、不治の病が発覚したから。
五年以上の歳月をかけて、人格の全てを情報化する最後のブレイクスルーが成された。
およそ一月前。
彼の体が、完全に呼吸を停止する直前に。
「徐々に死んでいく病を告知され、私は真っ先に人格複製試験に参加した。人生最後の仕事として、かぐやの創りあげた世界を自由に見て回る絶好の機会だと思ったからね」
「それってつまり……」
「そう、仕事にかこつけた観光さ」
そう言って、ジョンは破顔する。その顔は、記憶の中で見た若々しい彼の笑顔そのものだった。
結局、彼の行動パターンは単にツクヨミを網羅的に見て回ることによって出来たものだ。何かを探したりしていたわけではない。
弁慶と戦っていた私たちを助けてくれたのも、事前に宇田ちゃんの企みをある程度察知していて、予め準備しておいたものだって。当然、
CIA、恐るべし。
「しかし、まさか趣味で作った『月人召喚プログラム』が役に立つとは思ってもみなかったよ。なんでも作ってみるものだ」
「趣味ぃぃぃぃ!? コレが!?」
「ジョン、手先は器用だったもんねー」
「手先の問題じゃなくない!? 月のテクノロジーに対する脅威だよ!」
「あ、あはは……」
一般の研究者が聞いたら卒倒するような話が展開されてるけど、私は愛想笑いだけして聞き流しておく。
しばらく世界の研究者が青ざめそうな世間話が続いてから、ジョンがふと私の方に視線を投げかけてきた。
「さて、日本のもう一つの特異点でもある酒寄博士に土産話がある」
「わ、私?」
唐突なパスに、思わずキョドる。ていうか、特異点って……もしかして、私もCIAから目をつけられてる?
「君は今、かぐや……ヤチヨの歩行試験で躓いている。そうだね?」
「は、はい……やっぱり、私の研究内容も全部CIAが監視してます?」
「うちだけではない、と言っておこう。セキュリティには気をつけることだ」
さらっと肝が冷える忠告を受けてしまった。CIAどころか、ツクヨミ同様に全世界から監視の目が向いてるらしい。
「話を戻そう。普通のAIにも可能な二足歩行をヤチヨが出来ないのは、歩行機能を代替する機能が発達してしまっているからだ」
「仮想空間での生活が長かったから、ですよね」
「いいや、違う」
「え?」
私が考えていた仮説を、ジョンはあっさり否定する。
「仮想空間で生活するまでの長い間、ヤチヨは『何』だった?」
「……あ!」
盲点だった。
ヤチヨはずっと情報生命体で、仮想空間での浮いたり飛んだりが長かったから歩き方を忘れてしまったんだと思っていた。
そうじゃない。
それまでの約八千年間、ヤチヨはFUSHIの体を借りて、手足のないウミウシの体で這うように動いていた!
「この体になってみて、分かったことがある。仮想空間上でも身体感覚は現実のものに引っ張られる。私が車椅子に乗っているのも、ほとんどそれが理由だ」
ジョンは人格複製を開始する頃にはもうほとんど車椅子生活だったみたい。だから、電子の幽霊になった今も、歩行はかなり難しい。瞬間移動なんかは身体感覚とは別で、プログラムを弄る感覚らしい。
ヤチヨが歩行できないのも、恐らくその頃の身体感覚が邪魔をしているのではないかというのがジョンの推測だった。
ツクヨミでのヤチヨの行動は全部アバターとしての行為で、実際に運動してるわけじゃない。つまり現実の運動機能は、ウミウシで止まってたんだ。
「でも、手は結構すぐに動かせてたくない? ウミウシって手もないっしょ?」
「私の会ったかぐやは触覚と外套膜の動きである程度ジェスチャーが出来ていた。恐らくそれが手の動きだったのだろう」
「なるほど……?」
若干納得しがたい表情のかぐやだけど、私にはなんとなく分かる。
身振り手振りに近いことはきっとウミウシの体でも出来てたのだろう。人間の構造とはまるで違うけど、意思疎通の道具として使い続けることが重要だったんだ。
対して、足はほとんど使ってない。体全体を使って移動してるから、歩行という感覚がない。
でも、これが分かったところで解決策はあまり変わらない。要するに、歩行感覚が定着するまで地道にリハビリを積み重ねていくしかないんだ。
こればっかりは仕方ない。
「さて、ここからが土産話だ」
そんな諦念に、ジョンの言葉が割り込んだ。
「私の人格複製試験には、私の息子も関わっている。脳神経学者でね。自慢の息子だ」
「は、はぁ……」
「そして、ヤチヨの大ファンでもある」
そう言って目の前に表示されたのは、電子署名入りのレター。ヤチヨの自立歩行の達成に、是非協力したいという申し出が書かれている。
そこに記載の名前を見て、ぶっ飛びそうになった。
「こ、こ、これ……私がツクヨミの五感実装とボディの電脳神経系統の構築に参照させて貰った論文の著者……!」
まさか、この人がジョンの息子だったなんて!
しかも、レターの署名には他の共著者の名前もズラリと並んでる。どの名前もアバターボディ開発の過程で見たことのある名前ばかりだ。
土産話としてはあまりに大きすぎる代物に目を白黒させていると、ジョンは満足そうに続けた。
「皆、ヤチヨが現実に舞い踊る日を楽しみにしている。連絡してやれば、諸手を挙げて協力するだろう」
「あ、ありがとうございます! 是非!」
これだけの頭脳が揃えば、早期解決も夢じゃないはずだ。感謝してもしきれない。
私が浮かれている横で、ヤチヨはなんだか寂しそうな顔をしてジョンの方を見ていた。何かを言おうとして、結局小さな吐息だけが漏れる。
そんなヤチヨの方に車椅子を向け直して、ジョンはまるで孫でも見るような優しい目をして口を開いた。
「浮かない顔だ。悩み事かな?」
その言葉に、ヤチヨは視線を彷徨わせてから僅かに俯く。
そうして、さっきは言えなかったであろう言葉をそっとこぼした。
「やっと現実で自由に動けるかもしれないのに、そこにもうジョンはいない……」
「あ……」
思わず声に出してしまう。
多分、ジョンの体はもうとっくに限界なんだろう。人工呼吸器での延命も永遠に保つわけじゃない。年齢的にもかなりキツいはずだ。
それに彼は……肉体の死と共に仮想空間からも消滅するつもりだと思う。
だって、こう言ってたから。
そのことを、ヤチヨも気づいている。
「現実で出会った、最後の友人。こうして出会えただけでも嬉しいはずなのに、変だなぁ……
きっと、無意識だったろう。自分をかぐやと呼んだヤチヨは、静かに涙を流していた。
ウミウシの姿で現実を生きたヤチヨの友人たちは、みんな死んでしまっている。彼を除いて。つらい別れも多かった中で、彼との最初の別れは円満とも呼べるものだった。
それが、奇跡的な再会を十分に喜び合う間もなく永遠の別れになってしまう。
また、彼女は見送る側だ。
だから、私は――
「以前の別れ際に言ったことを、覚えているかい?」
穏やかな声に、ヤチヨは小さく頷く。
ジョンは頷き返すと、車椅子の肘掛けを握ってゆっくりと立ち上がる。慌てて補助に回ろうとする私を片手で制すると、彼はそっとヤチヨの涙を右手で拭った。
「極上のワインは、時間が経つほど深まる。私の樽は、いま熟した」
はっと目を見開いたヤチヨは、いつの間にか噛み締めていた唇をぎこちなく綻ばせ、精一杯の笑顔を見せた。
ツクヨミの月明かりを受けて
両方の口角を上げた誤魔化しのない笑顔が、彼の貌に宿っていたから。
その後、ジョンは来たときと同じようにチヨの作った謎のふすまから帰っていった。
もうしばらく観光してからいくよ、と言い残して。
ヤチヨはもういつもの調子に戻って、笑顔で彼を見送った。うっすら涙が残っていたのは、指摘するのも野暮ってもので。
「ヤチヨが泣いてるの初めて見たかも」
思ったそばから隣のかぐやが指摘するから、とりあえず脇腹を小突いておいた。
ツクヨミ内部の全ての指揮権がチヨに戻ったのを確認して、ようやく肩の荷が下りた気がする。兄も待たせたままだし、そろそろ戻らないと。
「ヤチヨ、私たちはそろそろログアウトするよ。研究室の電気も落としちゃうから、家で合流ね」
いつもなら「りょー」と返事があるけど、今日はなかなか返事が来ない。
ちょっと堪えたかな、と思いつつヤチヨの方を見ると、ヤチヨはもじもじと何かを言いたそうにこっちを見てる。
なんだか新鮮な反応にこっちまで身悶えしそうになっていると、ヤチヨは上目遣いで、
「……彩葉。今日はその……一緒に帰りたいなー……って」
なんてか細い声で言うから、思わず抱きしめちゃいそうになった。
スマホでツクヨミに接続してヤチヨを呼び出すと、負荷がエグくて充電が凄い勢いで減ってくんだけど、モバイルバッテリーを繋ぎながらなら研究所から自宅までは十分保つ。
流石に今日くらいはね、と思って「いいよ」って言ったら、花が咲くように笑顔になった。どれだけ一緒にいても、この笑顔の破壊力には慣れない。
「あ、じゃあかぐや、先に帰ってハンバーグの用意してくる!前菜も作らなきゃだし、忙しい忙しい!」
真っ先にやかましく言うかと思ったら、かぐやはそう言ってサクッとログアウトしてしまった。かぐやなりに気を遣ってるのかも。
チヨとFUSHIに後を頼んで、私もログアウトする。
研究室の景色が戻ってくると、兄がかぐやを見送ったところだった。無事に戻ってきた私にホッとしたように溜息をつくと、肩をすくめて言う。
「かぐやちゃん、一人で帰っちゃったけど。彩葉は送らんで大丈夫?」
「うん、大丈夫、ありがと。今日のお礼は、また改めて」
「そんなんええよ。あ、乃依のアバターボディの件だけ、相談乗ったって」
「ん、わかった」
久しぶりに方言丸出しの気楽な会話を交わして、兄は帰っていった。
ガランとした室内で、私はツクヨミサーバー以外の全ての電源を落として形だけ着ている白衣を脱いだ。通勤鞄からスマホを取り出し、机に引っかけたストラップを取り付ける。
電源を入れ、ツクヨミと接続してヤチヨを呼び出した。
「それじゃ、帰りますか」
「うん」
まだ本調子じゃないヤチヨの入ったスマホを首から提げ、研究所を出る。
二人で歩きながら、色んな事をとりとめもなく話した。研究の話、かぐやの話、ツクヨミの話、そして、ヤチヨの話。
ヤチヨの記憶を見て知っている事もあれば、知らないことも結構あった。
例えば、私が最初に見た、『もと光る竹』の水槽があったマンションのこと。あそこは元々ジョンが拠点としていた部屋の一つを譲り受けたものらしい。
「CIAの管理下だから、名義もあやふやだったし、都合良かったんだよねー」
「だからあんな怪しい部屋なのに誰にも触れられなかったのか……」
サーバーだけが置いてある生活感皆無の部屋なんて、明らかに怪しいもんね。消費電力もデータセンター並に馬鹿デカかったし。
研究に使うためにツクヨミサーバーは別のところに移してあの部屋は引き払っちゃったけど、噂によると別の外国人が出入りしてるらしい。もしかしたら、CIAの管理下に戻ったのかも。
話の流れでジョンの話題になって、ヤチヨはまた少しトーンダウンした。
彼には返しきれないほどの恩があるのに、せっかく再会できたのに、何も返せないままお別れになってしまった。そんなことをこぼすヤチヨに、私は少し考えてから応えた。
「きっと、同じくらい返してあげれてたんじゃないかな」
「え……?」
目を丸くするヤチヨに、なんとなく思っていたことを続ける。
「私が記憶で見たジョンは、ヤチヨの隣でずっと楽しそうにしてた。CIAって、国だけじゃなくて世界も動かしかねない仕事でしょ? プレッシャーだって、相当あるはず」
「それは……そうだったかも」
「そんな彼が、ヤチヨと出会って、正倉院の潜入なんて無茶やって、おまけにヤチヨを一緒にアメリカまで連れて行きたがって。一緒にいて楽しくなきゃ、そんなこと絶対にしない。ヤチヨは、ジョンに『楽しい』を返してあげてたんだよ」
確信に満ちた声で言うと、ヤチヨは「そうだったらいいな」とほんの少し嬉しそうに呟いた。
少しの間、沈黙が横たわる。
今日のことを反芻しながら、私は思いついた提案をヤチヨに投げかけた。
「アメリカ、行っちゃおっか」
「……いいの?」
少し戸惑いがちのヤチヨに、笑って頷く。
「ヤチヨが歩けるようになってからになるけどね。学会の招待も断り続けで流石に気まずいし、ジョンの息子さんにも直接会ってお話ししたいから」
これから向こうがイヤって言うほど質問攻めにするつもりの相手を思いながら、アメリカがあるであろう東の方の空を見上げた。
ヤチヨに、見せてあげたい。
一度きりの人生は、繋いでいく人生でもあるってこと。
ヤチヨの記憶の中にはたくさんの人々との関わりがあったけど、誰かの系譜を追い続けた記憶はほとんどなかった。
時代的に途切れる系譜も多いし、あったとしても前の大戦で大部分が追えなくなってしまった。
だから、ヤチヨには知ってほしい。見送り続けた人生は、ちゃんとここに繋がってること。これからも、繋がっていくこと。
「かぐやも連れてさ。いっそ向こうでライブでもしちゃう?」
冗談めかして言うと、ヤチヨは嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑った。
「じゃあじゃあー、ヤッチョはカーネギーホールで歌いたいなー」
「ハードルたっか! ていうか、かぐやもヤチヨも飛行機乗れるのかな……バイオ燃料電池だけど補助に普通の燃料電池も入ってるし……貨物?」
「よよよ~! アメリカに着く頃には、ヤチヨの尊厳はボロボロなのです~!」
「冗談だってば。大切な家族をそんな運び方するわけないでしょ。行くからには超豪華な旅行にするから、期待しててよね」
「はーい! ふふふ、楽しみにしてるね、い・ろ・は♪」
「ちょ、急に色っぽい声出さないで心臓止まっちゃうから!」
すっかりいつもどおりになったヤチヨと一緒に、ゆっくりと家路を楽しむ。
もうすぐ、本当に彼女と並んで歩ける日が来る。そんな予感に、心を弾ませながら。
帰宅後、「遅い! ご飯が冷めちゃう!」なんて怒られてヤチヨと顔を見合わせて笑ってから、私は美味しいご飯に勝るとも劣らないワクワクする計画を、かぐやに話した。
歓喜の声が、近所迷惑になりそうなくらい響き渡る。
「壁ドンされたりしてー」
「シャレにならないからやめてよヤチヨ……かぐやも落ち着きなって」
「こんな話聞いちゃって、じっとなんてしてらんないよー! もー、彩葉ったらかぐやを喜ばせるプロなんだからー! 大好き!」
「ヤッチョも彩葉だーい好き!」
「分かった、分かったから! ほら、もうご飯食べるよ!」
一度きりの人生、その一瞬を、最高のパーティーにしよう。
ハッピーエンドは、きっとその先にしかないから。
そんなことを考えながら、私は目の前の幸せに手を合わせた。
明日に短いEpilogueをアップします。
このお話を、最後まで見届けてね。