静寂が戻る。
さっきまで張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていく。
「……逃げたか」
スバルが息を吐く。
膝に残る違和感は消えていないが、さっきまでの“断たれた感覚”は薄れていた。
「大丈夫?」
エミリアがすぐ隣に来る。
心配そうに覗き込んでくるその顔に、スバルは苦笑する。
「あ、ああ……なんとか。助かった、マジで」
視線が自然と前へ向く。
「……すげえ人だな、あんた」
ぽつりと漏らす。
そこに立つのは、揺るがない存在。
山崎良子。
「礼はいいわ」
淡々とした声。
「問題は終わっていないもの」
その視線が、スバルに向く。
ほんのわずかに、眉が寄る。
「あなた――」
言いかけて、止まる。
そのときだった。
「……あ?」
視界が、歪む。
床が遠のくような感覚。
足元の感触が、すっと消える。
「お、おい……なんだ、これ……」
立っているはずなのに、立っていない。
支えているはずの足が、“存在しない”みたいに。
さっきの感覚が、戻ってくる。
いや――
もっと、深い。
「スバル?」
エミリアの声が遠い。
耳鳴り。
思考が、鈍る。
頭の中に、あの言葉が浮かぶ。
――足切り。
ただの結果じゃない。
“決定されたもの”として、体に落ちてくる。
「……まだ、なのに」
掠れた声。
「俺、まだ……受けてすら……」
崩れる。
今度は、支えきれない。
「スバル!」
エミリアが体を支える。
だが、力が抜けていく。
意識が、沈む。
視界の端で、山崎が動くのが見えた。
「なるほど」
低い声。
「切られたのは“身体”じゃない。“進路そのもの”ね」
即座に状況を理解する。
「このままだと、意識が落ちるわ」
「えっ、ちょっと、どうすれば――」
「運ぶしかない」
迷いがない。
すぐに取り出した端末を操作する。
「搬送を手配する。至急」
短く、的確に。
「場所は――メルカリ蔵付近。患者は男子一名、意識混濁。特殊事例よ」
通信を切る。
視線をスバルへ戻す。
「持つわ」
「わ、私も手伝う!」
エミリアが肩を支える。
二人でスバルを持ち上げる。
そのとき、スバルの意識がわずかに浮上する。
「……み……」
声にならない声。
焦点の合わない目で、何かを探す。
「大丈夫、いるわよ」
エミリアが答える。
「すぐに治すから」
その言葉を聞いて、わずかに安堵したように。
スバルの力が、完全に抜けた。
意識が落ちる。
その体を支えながら、山崎が呟く。
「駿河台日本大学病院に運ぶ」
「びょういん……?」
「ええ」
短く頷く。
「“足切り”みたいな概念的な損傷を扱えるのは、あそこしかないわ」
遠くで、サイレンの音が近づいてくる。
夜の空気を切り裂いて。
やがて、光が差し込む。
救急車。
「間に合うわ」
山崎は静かに言い切る。
「まだ、“完全に切られた”わけじゃない」
その言葉だけが、確かな希望として残る。
そして――
ナツキ・スバルは、意識を失ったまま搬送されていった。