時が止まる、というのはこういうことだろうか。
校舎裏の入口。
さっきまでの男たちと同じ場所に、ひとりの少女が立っていた。
美しい少女だった。
肩口で揃えられた黒髪。
無駄のない所作と、真っ直ぐにこちらを射抜く瞳。
整っている、というより――近寄りがたい。
そんな印象を与える存在だった。
「それ以上はやめて」
静かな声。
だが、不思議と場の空気を支配する力があった。
男たちが顔を見合わせる。
さっきまでの余裕が、わずかに崩れる。
「……なんだよ、お前」
「関係ないなら、引いて」
淡々とした言い方。
だが、その一歩が自然と男たちとの距離を詰める。
それだけで、押し返されるように男たちは後ずさった。
「チッ……行くぞ」
舌打ち一つ。
それを合図に、男たちは校舎裏から引いていく。
去り際、スバルを一瞥したが、何も言わずに消えた。
静寂。
残されたのは、スバルと少女だけ。
助かった、という実感が遅れて押し寄せる。
同時に、妙な緊張も。
少女の視線が、こちらに向いていた。
「――動かないで」
その一言で、体が止まる。
助けてもらったはずなのに、
なぜか“警戒されている側”に回っている感覚。
少女はゆっくりと近づいてくる。
一定の距離を保ったまま、視線だけが鋭くなる。
「あなた」
一拍。
「さっき、この辺りにいたでしょ」
「……いたけど」
「なら、見てるはずよね」
問いというより、確認。
スバルは一瞬だけ言葉に詰まる。
だが、すぐに首を振った。
「見てない」
はっきりと言い切る。
少女の眉が、わずかに動く。
「……本当に?」
「本当だって。俺、さっきあいつらに絡まれてただけで……それどころじゃなかったし」
言い訳じみていると、自分でも思う。
だが、それが事実だ。
少女はしばらくスバルを見つめる。
見透かすような視線。
嘘かどうかを測っているのがわかる。
逃げ場がない。
「……そう」
やがて、小さく息を吐く。
「じゃあ、あなたが私のパックを盗んだの?」
「は?」
あまりにも自然に出てきた疑いに、思考が一瞬止まる。
「答えて」
間髪入れず、重ねられる。
逃がさない圧。
「違う。俺じゃない」
即答する。
今度は迷いなく。
少女は黙ったまま、スバルを見る。
信じているのか、疑っているのか。
そのどちらも読み取れない。
「……そう」
やがて、小さく息を吐く。
「じゃあ仕方ないわね」
あっさりと引いた。
拍子抜けするくらいに。
それ以上追及されることもなく、彼女は視線を外す。
「時間がないの。行くわ」
それだけ言って、踵を返す。
迷いのない動き。
焦っているのがわかる。
その背中を見て、スバルの中に妙な感情が残る。
――助けられた。
それは間違いない。
別に優しくされたわけでもない。
手当てもしてもらっていないし、気遣われたわけでもない。
それでも。
あの状況から引き離してくれたのは、確かに彼女だ。
「……なんだよ、それ」
小さく呟く。
何も受け取っていないのに、
借りだけが残っているような感覚。
それが妙に気持ち悪い。
考えるより先に、体が動いた。
「――おい、待ってくれ!」
校舎裏の出口で、彼女が足を止める。
振り返るその目は、さっきと同じく冷たい。
「なに?」
「話は終わりって顔してるけど、こっちは終わってない」
「……関係ないでしょ。あなたは何も知らない」
「そうだけど」
言い切られて、一瞬詰まる。
だが、そのまま引く気にはなれなかった。
「でも、助けてもらった」
「別に」
「いや、別にじゃないだろ」
即座に否定する。
「俺、あのままだったら普通にやばかったし」
「……それはあなたの問題でしょ」
突き放すような言い方。
だが、それでもスバルは一歩踏み出す。
「だからだよ」
「?」
「俺の問題を、勝手に助けられた」
言いながら、自分でも変な理屈だと思う。
それでも止めない。
「借りができたままって、気持ち悪いんだよ」
彼女の目が、わずかに細くなる。
「……それで?」
「手伝わせてくれ」
真っ直ぐに言い切る。
「パック、探すんだろ」
「でもあなた、何も……」
「何も知らない。でも関係ない」
かぶせるように言う。
「役に立つかどうかは別として、動ける人数は多い方がマシだろ」
「……」
彼女は黙る。
少しだけ考えるように視線を逸らす。
その沈黙が、やけに長く感じる。
「……なんのお礼もできないけど」
ぽつりと、彼女が言う。
「いらない」
即答だった。
「さっきも言ったけど、これは俺のためだから」
「あなたの?」
「そもそも、俺が礼をしたいから手伝いたいんだ」
シンプルに言い切る。
彼女はしばらくスバルを見つめて――
やがて、小さく息を吐いた。
「……変な人」
さっきと同じ評価。
だが、今度はほんの少しだけ柔らかい。
「俺も俺のために君を手伝う。俺の目的はそう、だな。そう、善行を積むことだ!」
「善行?」
「そう、それを積むと死んだあとに天国に行ける。そこでは夢のくっちゃね自堕落ライフが俺を待っているらしい。だからそのために、俺に君を手伝わせてくれ」
自分でも何を言っているやらわけがわからないが、言いたいことは言い切った。
やり切った顔のスバルに少女は思案顔。
「――本当に、なんのお礼もできないからね」
そう言って、スバルの差し出した手を取ってくれたのだった。