Re:ゼロから始める浪人生活   作:猫色鼠

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第一章6  『エルザ・グランヒルテ』

 

 エルザの手が、わずかに持ち上がる。

 刃物は見えない。

 構えも、動作もない。

 それでも――

 空気だけが、先に裂けた。

 

「ねえ」

 

 囁くような声。

 

「あなた、もう進めない顔してるわね」

 

 理解が追いつくよりも先に、

 何かが“通り抜けた”。

 スバルの体を。

 抵抗もなく。

 感触すら残さず。

 ただ、そこに“あったもの”だけを削り取るように。

 

「――」

 

 遅れて、違和感が来る。

 痛みはない。

 衝撃もない。

 それなのに、

 足元の感覚だけが――消えていた。

 

「……え?」

 

 力が抜ける。

 膝から崩れる。

 だが、それは単なる脱力じゃない。

 踏ん張りが効かない。

 支えがない。

 いや、違う。

 

(違う、これ……)

 

 抜けたんじゃない。

 最初から、そこに“なかった”みたいな。

 前に進むための何かが、

 丸ごと切り取られている。

 

「今の……なに、した……」

 

 喉が引きつる。

 言葉がうまく出ない。

 

「簡単なことよ」

 

 エルザは微笑む。

 

「あなたの“その先”を、少しだけ切り落としただけ」

 

 意味がわからない。

 わからないはずなのに――

 

(進めない)

 

 その一点だけは、理解できてしまう。

 

(無理だ)

 

 立てない。

 進めない。

 これ以上、先に行けない。

 理由はわからないのに、

 結果だけが確定している。

 

 そのときだった。

 

 スマホが震える。

 場違いな音。

 ありえないタイミング。

 

「……は?」

 

 反射的に、画面を見る。

 通知。

 見覚えのあるフォーマット。

 だが――内容が、理解を拒む。

 

 二次試験 一次選考:不合格

 

「……は?」

 

 声が、もう一度漏れる。

 指先が震える。

 見間違いだと、思いたかった。

 だが、画面は変わらない。

 何度見ても、

 同じ文面が、そこにある。

 

「……なんでだよ」

 

 喉が渇く。

 言葉が擦れる。

 

「俺、まだ……共通テストすら受けてねえのに……」

 

 順序が、おかしい。

 過程が飛んでいる。

 原因がないのに、結果だけがある。

 

(なんだよ、これ)

 

 時間が、ねじれている。

 未来だけが、先に来ている。

 まるで――

 

 “可能性だけ切り落とされた”みたいに。

 

「ふふ」

 

 エルザが、楽しそうに笑う。

 

「いい顔ね。それ」

 

 一歩、近づく。

 ゆっくりと。

 確実に、距離を詰めながら。

 

「努力も、可能性も、全部無意味になった瞬間の顔」

 

 言葉が、刺さる。

 否定できない。

 反論もできない。

 なぜなら――

 

 もう、進めないからだ。

 

 足も。

 未来も。

 まとめて、断たれている。

 

「スバル!」

 

 そのとき。

 奥から、声が響いた。

 反射的に顔を上げる。

 エミリア。

 息を切らしながら、こちらへ駆けてくる。

 

「見つけた――これ!」

 

 差し出される手。

 その中にあるのは――

 ビニールに包まれた、一式の教材。

 

 一瞬、思考が止まる。

 

 そして。

 

「……パック」

 

 ぽつりと、エミリアが呟く。

 それを見つめて、

 次の瞬間、はっと顔を上げた。

 

「……共テパック!」

 

 空気が、変わる。

 さっきまでの静かな焦りが、

 一瞬で、鋭い緊張に塗り替わる。

 視線が、エルザを捉える。

 

「それ、返してもらうわ」

 

 低く、はっきりとした声。

 迷いのない意思。

 

 エルザは首を傾げる。

 

「それ、あなたの?」

 

「違う。でも――」

 

 一歩、前に出る。

 スバルを庇うように。

 自然に。

 当然のように。

 

「盗まれたものは、取り返す」

 

 短く、言い切る。

 

 その背中を見て、

 スバルは息を呑む。

 止まっていたはずの何かが、

 わずかに――揺れる。

 

(……動いた?)

 

 確かに切られたはずの“その先”。

 それが、

 ほんの少しだけ、戻りかける感覚。

 

「……へえ」

 

 エルザが、楽しそうに目を細める。

 

「いいわね。そういうの」

 

 ゆっくりと、構えを取る。

 空気が張り詰める。

 

「じゃあ――次は、あなたの番にしようかしら」

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