エルザの体が、床を滑るように弾き飛ばされる。
衝突音。
だが、そのまま崩れ落ちることはない。
片手を床につき、低く構え直す。
「……なるほど」
息を吐く。
口元に、わずかな笑み。
「そういうのも、いるのね」
視線が、ゆっくりと山崎良子へ向く。
先ほどまでの余裕は消えていない。
だが、明確に――“警戒”が混じっている。
「面白いじゃない」
言いながら、足を踏み込む。
空気が裂ける。
不可視の斬撃が、一直線に放たれる。
――だが。
届かない。
いや、“届く前に止まる”。
空間そのものが固定されたかのように、斬撃が途中で霧散する。
「無駄よ」
山崎の声は、静かだった。
「その程度の“未確定”で、こちらをどうにかできると思わないことね」
次の瞬間。
山崎の姿が、消えた。
「――ッ!」
エルザの瞳がわずかに見開かれる。
背後。
振り向くよりも早く――
衝撃。
空気が叩きつけられたような圧。
エルザの体が再び宙を舞う。
「ぐ……っ」
今度は踏みとどまれない。
壁に叩きつけられ、そのまま崩れる。
だが――それでも、倒れない。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。
だが、笑っている。
「強いわね……ほんとに」
血の気配もなく、ただ純粋な興奮だけがそこにある。
山崎は、ゆっくりと歩み寄る。
一歩ごとに、場の空気が“確定”していく。
揺らぎが消える。
可能性が潰される。
逃げ道が、閉じていく。
「終わりよ」
淡々と告げる。
「ここであなたは、もう――」
その瞬間。
エルザの足が、わずかに動いた。
次の動きは、速かった。
廃材を蹴り上げる。
視界を遮る。
同時に、横へと跳躍。
「――逃がさないわよ」
山崎が踏み込む。
だが、一瞬だけ生まれた“揺らぎ”。
完全に固定される前の、ほんのわずかな隙。
エルザはそこを、正確に抜ける。
壁。
窓枠。
崩れかけた外壁。
足場にするものを選ばない。
連続した跳躍で、一気に距離を取る。
「……ちっ」
山崎が小さく舌打ちする。
追おうとするが――止まる。
これ以上は、無理に追う場ではないと判断したのか。
その間にも、エルザは屋外へと抜ける。
振り返る。
距離を取った場所から、こちらを見下ろして。
そして――笑った。
「いいわね、今日の収穫」
風に黒髪が揺れる。
「久しぶりに、“切りがいのある未来”だったわ」
細められた瞳が、スバルとエミリアを捉える。
「次は――」
わずかに間を置いて。
「全員の足、切り落としてあげる」
軽い口調。
冗談みたいに。
だが、その言葉だけがやけに重く残る。
「それまで、せいぜい――進めると思って頑張りなさい?」
最後に、くすりと笑って。
エルザの姿が、闇に溶けるように消えた。
静寂。
残された空気だけが、ゆっくりと元に戻っていく。
「……逃げたか」
スバルが、ようやく息を吐く。
足の感覚は、まだ戻らない。
だが、さっきまでの絶対的な“断絶”は薄れている。
「大丈夫?」
エミリアが、すぐ隣に来る。
「あ、ああ……なんとか」
そう答えながら、視線は自然と前へ向く。
そこに立つのは――
「……すごい人、だな」
ぽつりと漏れる。
山崎良子は、何も言わずにただそこに立っていた。
揺るぎない、“確定した存在”として。