ご注文は春のあとで   作:くりーむペン

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#1 ちいさなお雛様は今日ももふもふです

開店前のラビットハウスで、タカヒロはいつものようにオリジナルブレンドコーヒーを飲んでいた。

 

タカヒロ「うん、いい香りだ。チノはすっかり一人前だな。」

チノ「ありがとうございます。」

 

店の中には、湯気に溶けるようにやわらかな香りが広がっていた。磨かれたカップ、整えられた椅子、窓から差し込む朝の光。ラビットハウスの朝は、いつだって静かだ。

 

タカヒロ「昼はチノ一人になるから、よろしく頼むよ。」

チノ「はい。任せてください。」

 

チノの返事は落ち着いていて、もう立派に店を任される顔つきだった。ティッピーもいつもの場所で丸くなっていて、店の空気はどこまでも穏やかだった。

 

やがて時間は経ち、昼過ぎ。

 

木組みの街の通りを、ココアは紙袋を抱えて小走りで帰っていた。

 

ココア「えへへ、かわいくていっぱい買っちゃった。チノちゃん喜んでくれるかな。」

 

紙袋の中では、桃の花を模した紙飾り、春色の小さなオーナメント、卓上に置けそうな可愛らしい飾り物がシャカシャカと揺れている。雑貨屋の前で見つけた時、ラビットハウスの木の色合いにぴったりだと思ったのだ。

 

ココア「わっ」

 

急いでいたココアは、ラビットハウスの前で車に当たりそうになって、胸の前に紙袋を抱え込んだまま一歩だけ身を引く。ココアは目をぱちぱちさせたあと、すぐに紙袋の中身を覗き込む。

 

ココア「よかった、無事!」

 

飾りが壊れていないことを確かめると、ココアはすぐにまた顔を明るくした。

 

ココア「よーし、チノちゃんびっくりするぞ〜」

 

そう言って、勢いよくラビットハウスの扉を開ける。

 

ココア「ただいまー! チノちゃん、見て見て!」

 

カウンターの向こうにいたチノは、ほんの一瞬だけ反応が遅れた。それからすぐ、いつもの顔に戻る。指先で一度だけエプロンの裾を整えてから、ココアの方を見た。

 

チノ「……ココアさん。早かったですね。」

ココア「えへへ、いいもの見つけちゃったから、早く見せたくて!」

 

ココアが紙袋を開いて見せると、チノはそっと中をのぞき込んだ。桃色や白色の小さな飾りを見て、その目元がやわらかくほどける。

 

チノ「いいですね。春らしくて、ラビットハウスにも合いそうです。」

 

ココア「ほんと!? やったー!」

 

チノが喜んでくれたことがうれしくて、ココアはその場でぴょこんと弾んだ。

 

ココア「もうすぐひなまつりだし、ちょっとだけ飾ったらかわいいかなって思って!」

チノ「そうですね。季節感があっていいと思います。」

ココア「じゃあ飾ろうよ! これ、どこに置く?」

チノ「客席側の方がいいと思います。」

ココア「そっか。みんなにも見えるしね!」

チノ「はい。その方がきれいです。」

 

ココアはうきうきと客席側へ回り、小さな飾りを一つずつ取り出した。テーブルの端、棚の上、窓際の少し空いたところ。どこに置けばいちばん可愛く見えるかを考えるだけで楽しい。

 

ココア「ここに桃の花っぽいの置いたら、すっごく春じゃない?」

チノ「少し近いです。お客さんが当たるかもしれません。」

ココア「じゃあ、こっち!」

チノ「……それならいいと思います。」

 

チノは呆れたようにしながらも、ココアが置いた飾りを、見栄えが良くなるようにほんの少しだけ直す。その手つきはやっぱり丁寧で、ココアはそれを見てますます嬉しくなる。

 

やがて扉のベルが鳴り、千夜とシャロがやってきた。

 

千夜「あら、素敵。もうひなまつりの飾りなのね。」

ココア「そうなの! さっき見つけて、つい買っちゃった!」

シャロ「また衝動買いしたのね……。」

 

続いてリゼ、マヤ、メグも店に入ってくる。

 

リゼ「へえ、春らしくていいな。」

マヤ「ほんとだ! いつもより華やかだなー!」

メグ「ふわっとしててかわいいねぇ。」

ココア「でしょでしょ!」

 

みんなの反応に、ココアはますます機嫌がよくなった。

 

千夜「でも、ひなまつりなら、うちのは毎年力を入れてるのよ〜。」

チノ「甘兎庵は凄そうですね。」

ココア「見せて見せて〜!」

 

千夜はすっと携帯を取り出し、嬉しそうに写真を見せた。

 

その中の甘兎庵は、まるで春の行事を店いっぱいに招き入れたような華やかさだった。

赤い毛氈が几帳面に敷かれ、その上に段飾りが整然と並んでいる。

最上段には金屏風を背にした内裏雛。男雛と女雛が並んで座り、その左右にはぼんぼりがやさしく灯るように添えられ、脇には桃の花が春の色をのせていた。

 

ココア「わあ……いちばん上、すごくきれい。」

 

千夜「そこはお内裏様とお雛様の段なの。ひな壇の中心みたいなところよ。」

 

ココア「へえ〜、やっぱり特別なんだね! あ、このお花もかわいい!」

 

千夜「ふふ、桃の花よ。ひなまつりにはよく飾るの。」

 

メグ「そうなんだぁ。桜じゃないんだねぇ。」

 

千夜「ええ。桃の花には、冬が終わって春が来るっていう意味があるのよ。だから、これからあたたかくなっていく季節を祝う日にぴったりなの。」

 

チノ「そんな意味があったんですね。素敵です。」

 

二段目には三人官女。上品な装いの三人が、道具を持って静かに控えている。祝いの席を整える人たちのようで、華やかな中にもきちんとした空気があった。

三段目には五人囃子。小さな楽器を手にした五人が並び、今にもにぎやかな音が聞こえてきそうだった。

その下には随臣、さらに仕丁と続いて、段を追うごとにお祝いの場を支える人たちが揃っていく。

 

メグ「下にいくほど、どんどんにぎやかになるんだねぇ。」

千夜「ええ。上の段から順番に、お祝いの席を整えたり、支えたりする人たちが並んでいるのよ。」

 

しかも、それだけではない。

脇には菱餅やひなあられを模した小さな飾り、春色の和菓子を盛った皿、季節の掛け紙まできちんと揃えられていて、ただ豪華なだけではなく、隅々まで“甘兎庵らしいおもてなし”が行き届いていた。

 

マヤ「すげー! 壮観だなー!」

リゼ「さすが甘兎庵だな。」

シャロ「……本気すぎない?」

千夜「ふふ。おばあちゃんが、季節のことは大事にしたい人なの。」

 

しばらくみんなで写真に見入ったあと、ココアが写真とチノを見比べるように首を傾げた。

 

ココア「ねえ、このお雛様、なんだかチノちゃんみたいじゃない?」

チノ「急になんですか。」

ココア「だって、ちっちゃくてかわいくて、おすまししてるもん!」

千夜「ふふ、たしかに似合いそう。」

メグ「うん、分かるかも……。」

 

ココアはそう言うなり、にこにことチノへ近づき、そのままもふっと抱きついた。

 

ココア「もふもふ〜!」

チノ「ちょ、ココアさん……みなさんの前でやめてください。」

ココア「だってチノちゃんがお雛様に見えてきてかわいかったんだもん!」

 

シャロ「相変わらずね……。」

リゼ「チノもすっかり慣れたな。」

チノ「慣れてません。」

 

ココア「みんなもひな人形の役を決めようよ!」

マヤ「リゼは随臣だな!」

リゼ「おう!護衛は任せろ!」

ココア「しゃきっとしてて守ってくれそう!」

シャロ「リゼしぇんぱいに守られたい…。」

 

千夜「じゃあ私は三人官女のひとりかしら。」

メグ「どうしてー?」

千夜「だって、お茶を出したりする係、楽しそうなんだもの。」

マヤ「じゃあ私は五人囃子!」

メグ「わたしもそこがいい〜」

ココア「じゃあマヤちゃんとメグちゃんで二人囃子!」

シャロ「減ってるじゃない。」

 

ココア「シャロちゃんは……うーん。」

シャロ「そこで迷うのやめなさいよ。」

ココア「しっかり者だから仕丁かな!」

シャロ「そうなると思ったわよ…。」

 

千夜「ココアちゃんは、どの役なの?」

ココア「私はお内裏様!お雛様のチノちゃんを、となりで守るんだ~!」

リゼ「男役だけどいいのかよ…。」

 

そんなふうにひとしきり笑い合ったあと、ココアはぱんと手を打った。

 

ココア「よーし、じゃあ続きの飾り付けするね!」

千夜「私も手伝うわ。」

メグ「わたしも〜」

マヤ「私もやるやる!」

 

嬉しくて、ココアはぱっと顔を輝かせる。

 

ココア「みんなありがとう! よーし、頑張るぞー!」

 

そう言って、さっき置いた紙袋のところへ勢いよく向かった、その瞬間だった。

 

ココア「わっ――」

 

足先が椅子の脚に引っかかり、ココアはぺたんと床に転んだ。

 

リゼ「おい、大丈夫か?」

ココア「だ、大丈夫〜……」

シャロ「もう、はしゃぎすぎよ……って、服にごみ、ついてるわよ。」

 

そう言ってシャロは、ココアの服をはたいた。

派手に転んだココアには、ほこりに混じって、小さな紙片やガムテープの切れ端までくっついていた。

 

ココア「えへへ、ありがとうシャロちゃん」

 

ひとしきり飾り付けを終えて、ようやくみんなが席につく。

店の中は、春の飾りと笑い声で、いつもより少しだけ明るく見えた。

 

リゼ「さて、落ち着いたところで何か飲むか。」

ココア「はーい!」

チノ「では、お伺いします。」

 

チノが順番に注文を聞いていく。ココアはいつも通り甘いものを頼み、千夜は春らしいメニューに目を細め、リゼは落ち着いた調子で注文を決める。マヤとメグも、それぞれ楽しそうにメニューを見ていた。

 

そして最後に、シャロの番が来る。

 

チノ「シャロさんは、何にしますか。」

 

シャロは少しだけ顎を上げて答える。

 

シャロ「……そうね。今日は、オリジナルブレンドにするわ。」

 

ココア「おおーっ!」

リゼ「珍しいな。」

 

千夜が、くすっと笑う。

 

千夜「ふふ。実はシャロちゃん、今日はいいことがあったのよね。」

シャロ「千夜!」

ココア「えっ、そうなの!?」

千夜「二年生になっても、特待生のままでいいって先生に言われたんですって。」

リゼ「なるほど。それはめでたいな!」

チノ「おめでとうございます。」

シャロ「……ありがとう。」

 

マヤ「やっぱ高校って、勉強むずかしいのかなぁ。」

メグ「ねぇ……わたしたちももうすぐだと思うと、ちょっと不安かも。」

シャロ「今からそんなに怯えなくても大丈夫よ。ちゃんとやればついていけるわ。」

千夜「また勉強会でもしましょうか。」

ココア「数学と物理はまかせて!」

リゼ「ココアは先に自分の暗記科目をどうにかしろよ。」

ココア「えへへ〜。」

ココア「でも、数字ならいろいろ覚えてるよ!√2は1.41421356…で、√3は1.73205080…で、√5は2.2360679…で、sin18°は……」

千夜「ココアちゃん、もう、やめてぇ〜…」

リゼ「おい!千夜が数字を聞きすぎて倒れたぞ!しっかりしろ!千夜ー!」

 

ラビットハウスの昼下がりには、春の飾りとやわらかな賑わいが重なっていた。甘兎庵の豪華なひなまつりの写真も、ココアの買ってきた小さな飾りも、シャロの少し照れた横顔も、みんな穏やかな午後の中に溶け込んでいる。

 

カウンターの向こうで、チノは静かにコーヒーの準備を始めた。

 

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