二十年後の半端者   作:山中 一

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第一話

 何もない、無機質な部屋に隔離されて何日が経過しただろうか。

 十日がすぎたころには数えるもの飽きてしまい、それ以降は今が、何月何日なのかも分からない。カレンダーはあるのだが、意識しないようにしていた。

 日に日に弱っている身体を自覚すると、日を数えるのも怖くなる。子供心に、死ぬかもしれないという恐怖は感じていた。

 季節が、何度か巡った桜の綺麗なある日のことだ。

「ごめんね、ごめんね。今は、こうするしかないの……!」

 母親が涙を流して、小さな頭を抱きかかえる。

 手術が決まった。命を繋ぐ、唯一の手段だという。病魔に侵された今の身体は、真っ当な方法では到底助かる見込みがない。だが、彼はその血筋と奇跡が重なって、未来に希望が見出せた。

 しかし、それには大きな代償が必要だった。成功する見込みは低く、成功したとしても、もう元には戻れないだろうと。

 そのリスクは、正しく自覚していたわけではない。ただ、今は生き永らえることができるかもしれないというだけで、期待に胸を躍らせていたのだ。

「がんばる」

「うん。うん。……強い子だね」

 母は気丈に振舞って泣き笑う。

 どうだろうか。

 本当に、覚悟を決めていたのなら、この選択をしたのだろうか。ならば、それは強いというよりも、無知なだけであろう。

 運ばれていく身体を他人事のように感じながら、手術室へ向かう。

 母親だけでなく、父親や伯母たちが見守ってくれている。伯父はすでに手術室に入り、準備を済ませているという。

 やがて、手術は静かに始まった。

 麻酔を打たれ、急速に視界が暗くなっていく。

 次に目が醒めたとき、自分は自由の身となっているのだと信じて、自ら目を瞑ったのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 蛍光灯の一つが遂にダメになった。

 点滅を始めて数日。限界まで命を燃やし、天寿を全うして逝ったらしい。ジャージ姿の昏月凪(くらつきなぎ)は、ソファに寝転がったまま気だるげに頭上の蛍光灯を眺めていたが、十秒ほど後で諦めたかのように頭を掻いて起き上がった。

「だりぃ」

 暦で言えば六月の中頃に入り、日本は梅雨の季節を迎えている。とはいえ、ここは南の島。しかも人工島である。日本と異なり、梅雨前線が形成されないために、高気圧の影響をそのまま受ける。ここ一週間、雨は一度も降っていない。

「マジで外出なきゃいけねえのか……」

 少年は、逡巡する。クーラーの効いた部屋の中で寝ていたいという欲求が勝っている。蛍光灯一つなくても生活に与える影響も少ないということもあって外出に乗り気ではない。

 リビングの蛍光灯は四本。その内の一つがなくとも、明るさは十分なのだ。

「でも、ダメだよなぁ」

 この家が自分だけのものならば、それでもいいが、彼は中学三年生である。訳あっての一人暮らしだが、日本で働く母親に心配をかけるわけにはいかず、見てくれだけでもきちんとした生活は送っていることにしなければならない。

 一人で利用している家でありながらも、凪は好き勝手に家を使おうとは思えなかった。

 だから、家の中は比較的整理整頓が行き届いている。そもそも、必要以上にものを置く性格でもなく、物欲も少ないので簡素な見てくれになってしまう。

 凪はジーンズを履き、パーカーを着る。長袖長ズボンという格好は、見た目からして暑苦しいのだが、これが意外に涼しい。世界に誇る“魔族特区”が、さらに発展したこの“暁の帝国(ライヒ・デア・モルゲンロート)”の技術力は、こんな些細なところにも発揮されている。

 さすがは、世界最高峰の技術大国だ。

 二十年前に発生した“大災厄”は世界各国に深刻なダメージを与え、各地で情勢不安を誘発した。この人工島は特に被害が大きく、日本政府から見捨てられるまでになったのだが、その最悪の事態を収拾するために立ち上がったのが、皇帝の地位にある“第四真祖”暁古城とその仲間たちだったという。

 結局、今から十年前に“第四真祖”を戴いて日本政府から独立した最新の夜の帝国(ドミニオン)は、今日に至るまで拡充を続け、今や日本の四国と同程度の国土を獲得するまでに成長した。主要産業は電子産業と錬金術。この二つの分野は、他国に十年以上の差をつけているとまで言われている。

 皇帝は、まさしく救国の英雄というわけだ。

 電気街を歩いていると、否応なく数多のモニターが目に飛び込んでくる。その中には、“第四真祖”の動向を追った映像も入っていた。見た目がいいということもあって、一部には熱狂的な信者(ファン)がいるのである。

 性格も非常にいいお兄さんといった感じなので、彼と個人的に親しくした女性は大抵好意を抱く。最近は、慣れてきたのか、開き直っている節もあるくらいで、複数の后の間で警戒感が広がっているという話を聞く。

 凪はいくつか店のショーウィンドウを眺めた後で、行きつけの大型家電量販店に入った。

 日曜日というだけあって、人でごったがえしている。

 蛍光灯は二階に上がってすぐのところにあるのだが、まずは新商品のイヤホンを捜しにいく。

 売れ行きナンバーワンの人気商品で、外部の雑音をほぼ遮断する機能があり、骨伝道を利用する最新の方式によって、耳にイヤホンを装着する必要がないというものだ。雑音を完全に遮断するイヤホンと、ポケットに入れておけば、誰かと会話しながらでも楽曲を楽しめる骨伝道式。どちらも一長一短があって、有利不利を論ずることはできない。

 屋内に入った凪は、フードを外して一息ついた。

 空調の行き届いた店内は、極楽至極。肌寒いくらいの温度設定で、外出意欲をものの見事に砕いてくれる。おかげで、何時間でも店内を物色できそうだ。あるいは、それも含めて店側の策略であろうか。

 もっとも、手持ちはそう多くない。

 購買意欲だけはあるものの、実際に買えるかといえばそうではない。

「とっとと買って、寝るか」

 イヤホンが陳列されているコーナーにやってきた凪は、眉根を寄せて商品を眺める。

 しゃがみこんで、三色のバリエーションを見比べる。赤、青、黄色とありそうな色の候補である。

「耳につけないのにイヤホンってどうなんでしょうねぇ」

 唐突に、すぐ近く、左側から声をかけられた。

 視線を向けると、髪を短く切り揃えた赤毛の少女が膝に手をついてこちらを覗き込んでいた。

「なんだ、シンディ」

「なんすか、その反応。可愛い後輩が、目つきの悪い先輩にこうして挨拶しにきてあげたのに」

 シンディは、中学二年生。凪の一つ下だ。一年ほど前に、不良に絡まれていたところを助けたのがきっかけで交流が始まったが、一緒に外出するほどの仲ではなく、見かけたら多少の無駄話をする程度である。

 ちなみに、後輩といいながらも学校が同じということではない。

 凪は公立の中学校に通っているが、シンディは私立彩海学園に通っていると聞いている。

 シンディがため息混じりに言ってくるので、凪はブスッとしながら言葉を返す。

「いや、頼んでねえよ。つーか、誰が目つき悪いだ」

「先輩。挨拶は頼まれてするものじゃないですよ。後、目つき悪いがダメなら、あれですね。何か暗い。友だち、あたし以外にできませんよ」

「ナチュラルに俺がボッチみたいに言うんじゃねえ。しかも、お前が友だちかよ」

「あ、それなんか酷くないですか。それとも、もう友だち以上の関係だと思っちゃったりとか? それはそれでなんですけど、こちらとしては言葉にしていただきたいなとか」

「あー、はいはい。お前みたいに騒がしいのは百歩譲ってただの後輩で結構」

「酷い!?」

 ガツン、と頭を殴られたような顔でシンディは言う。しかし、それも一瞬のこと。表情をコロコロと変えるのが、シンディの長所であり短所でもある。この程度の軽口を本気にするような繊細さをこの少女は持ち合わせていない。

 凪は適当に青色のイヤホンを選んで立ち上がった。

「あれ、青ですか?」

「何かおかしいかよ?」

「いやー、黒っぽい先輩には、赤をお勧めします」

 と、シンディは勝手に凪からイヤホンを取り上げ、赤いイヤホンのパッケージを押し付けた。

「……」

「赤は黒で引き立ちます。先輩、その黒いパーカーの前だけ開けて中に赤いシャツとか着たらどうで、非常に痛いんですけど」

 凪は手渡されたパッケージの角を後輩の旋毛に押し付けてグリグリと捻る。

「お前こそ、何を勝手に俺をコーディネートしてんだ」

「いやいや、赤の魅力というものを是非先輩にもと」

「余計なお世話だ」

 凪はふと手元のパッケージを見ると、力任せに扱ったからか角が折れてしまっている。このまま戻すのは気が引けるので、しかたなくそのままレジに持っていくことにした。

 そして、シンディもまた赤のイヤホンを買っていた。目立つ赤毛もそうだが、この少女の持ち物には赤い小物が目立つ。パーソナルカラーが赤以外にないといった状況だ。

「ところで、何で先輩は日がな一日フード被ってんです?」

「日差しが嫌いなんだよ。悪いか」

 刺すような太陽光は、肌を焼く。他人はどうか知らないが、少なくとも凪にとってはあまり得意なものでもない。体質的な問題もある。

「いや、全然。何となく不思議に思っただけです」

「大した理由でもなかったろ」

「ええ、びっくりするぐらい普通でした」

「びっくりするような理由があるとでも思ったかよ」

 むしろ、フード一つに何をそこまで期待するものがあるのだろうか。

「色々と半端な先輩は、太陽に当たったら溶けちゃうとかって弱点があったりとか」

「溶けるか。完全な吸血鬼でも日光は苦手くらいだろうが」

 そもそも、半端という言葉は凪にとって思うことのある言葉である。シンディもその理由を知っているが、あえて使っている。人のコンプレックスをぐさりと刺すのはさすがだが、彼女が言うと不快に思わない。あっけらかんとした態度が、その原因だろうか。嫌味に聞こえないのだ。

 なぜか付いてくるシンディと話をしながら、蛍光灯を求めて二階の売り場に向かおうとしたときだった。

 凪のポケットで振動があった。携帯端末にメールが届いたのである。

 凪は端末を取り出して、画面を見る。

 

 差出人:那月ちゃん

 件名:仕事だ

 本文:第二南地区の区役所三階に来い

 

 極めて簡素な連絡だったが、言いたいことは分かった。

 師が学生に面倒事を押し付けようとしているのである。ばっくれる、のは無理。後で何を言われるか分からないし、身の危険を増やすだけだ。

「あー、先輩。実はこの近くに最近クレープ屋さんが出店してて……」

「悪い、シンディ。その話は後で」

「へ?」

「高校教師から呼び出し食らった」

「え、あ、そうですか」

 いかにも面倒そうな表情で凪は言う。

 休日に呼び出しを食らうというのは、あまりないのだが、凪は決して素行のいい生徒ではない。幾度となく教師の世話になっている上に、以前は非常に喧嘩っ早いところがあったために煙たがられるところもある。だから、教師から呼び出しを受けるのは納得のいく話だったし、凪自身が非常に迷惑そうにしている。嘘かどうかは別として、彼にとっても色よい話ではないのだろう、という予想は立った。

 シンディは、しおしおと元気をなくしながらも去っていく凪を見送った。

 

 

 

 シンディと別れた凪は、大急ぎでモノレールの駅に向かい、第二南地区(セカンド・サウス)に向かう。

 “暁の帝国(ライヒ・デア・モルゲンロート)”は、かつて絃神島と呼ばれていた頃の部分を中心として、東西南北に人口大地を増設して国土を増やしてきた。絃神島の中心地だった部分を中央行政区(セントラル・ゾーン)とし、東西南北に内側から第一、第二、第三と人工島(ギガフロート)を増設してきた。凪が呼び出されたのは、その第二南地区である。

 第二南地区の区役所前までは、中央行政区からモノレールで一時間ほどかかる。

 近隣で事を終える出不精には、なかなか厳しい距離だ。

 モノレールから見える景色は、立ち並ぶビル群から住宅街に移り変わり、第二南地区に入ったところから工場が立ち並ぶようになった。この区画は、国営の食料生産工場が多数ひしめき合っている区画だ。民間の資本とも提携して、他国を圧倒する植物工場(プラント)が特徴の一つとなった。国営の工場は日々の生活で食す野菜類を中心に生産し、民間の工場では南国の気候を利用した半自然状態での果物栽培を行っており、今では日本向けの輸出産業として成立するほどになっている。

 第二南地区は、植物工場発祥の地で、規模を拡大して内陸部になってしまってからも、未だに多数の資本が操業している。

 改札を出ると、そこに一人の少女が佇んでいた。長い髪と無機質な表情が特徴的な彼女は、見た目には年下に見えるが、実際は凪よりも二十歳ほど年上だ。

 また、主人の少女趣味を反映してか、概ねメイド服姿でいることが多い。今も、ふりふりのメイド服に身を包んでいる。

「アスタルテさん」

南宮教官(マスター)から到着次第連れて来いとの命令を受けています。寄り道せずに、真っ直ぐ庁舎へ向かってください」

 有無を言わせぬ言葉にも、凪は動じない。アスタルテは世にも珍しい眷獣使いのホムンクルス。その制御も完璧だ。凪は教えを請う立場にあり、南宮那月と共にアスタルテは戦闘に於ける師の一人なのだ。

「分かってますよ。さすがに、これをすっぽかしたら(えら)いことになる」

 師は高校教師を兼任する攻魔官だ。その実力は同僚を遙かに圧倒し、戦闘能力だけならば“第四真祖”に匹敵、あるいは上回るとされるほどの怪物なのだ。その恐ろしさを、凪は嫌というほど知っている。

 凪は二の句なく区役所に向かう。徒歩で五分とかからない。寄り道などする場所もない。

「確認。最近、母親とは連絡を取っていますか?」

 隣を歩くアスタルテが、こちらを見上げて尋ねてくる。

「一週間ほど前に、電話で十分ほど。忙しくしているみたいですよ。それが、何か?」

「“第四真祖”が気にかけている」

「あの人は、いつも母さんを心配してるじゃないですか。それに、なんなら陛下自ら連絡を取られればいい」

「回答。息子にしか見せない弱みもあります」

 なるほど、一理ある、と思いながらも凪は首を振る。

「それだったら、問題ないとしか。あの人は電話越しにも騒がしい。いつも通りでしたよ」

 それを聞いて、アスタルテは頷いた。

 心配していたのは皇帝だけではない。アスタルテもまた国外で働く友人を気にかけているのであろう。

 徒然と話をしていると、区役所の前に到着する。

 五階建ての赤レンガで建てられた旧時代的な外観は、建築家の趣味が多分に反映されている。

 凪が連れてこられたのは、その地下一階にある会議室であった。

 小さな会議室で、長机を三つ、コの字型に並べている。そして、正面には大型のスクリーン。その左端に、西洋人形のような端整な顔立ちの少女が座っている。

 南宮那月。

 “暁の帝国(ライヒ・デア・モルゲンロート)”最強の攻魔官である。

「来たか」

 那月は凪が来るなり黒い扇で口元を隠しつつ、鋭い視線を向けた。

「無駄口を叩かずに聞け、馬鹿弟子」

 開口一番、尊大な態度で接してくる那月は、恐ろしいことに外国の王族に対しても同じような態度を取る。礼儀作法というものを、母親の腹の中に忘れてきたような女である。実年齢は四十過ぎ。しかし、外見年齢は、十代の前半くらいであろうか。

 母親の学生時代の写真に、まったく同じ容姿で写っていたのは衝撃的であった。

「お前もそろそろ実戦を経験する頃合だと思ってな。ちょうどいい舞台を用意してやった」

「は? それは一体……」

「いいから聞け」

 那月に窘められて凪は口を噤む。

「この区画は植物工場が密集した農産物の生産地だ。とりわけ、植物の生産技術は、独自開発したものも多用されていて秘匿性が高い。知っているな?」

「それは、まあ」

「困ったことに、優れた技術は金になるし狙われる。先日、この工場に企業スパイが入り込んでいる可能性が浮上した」

 那月が大型スクリーンを指し示す。

 表示される画像には、見覚えのある建物が映っていた。

「帝国農業研究センターですか」

「ああ。内偵も済んでいる。北米連合に本社を置く大企業と繋がっている所員がいるようだな」

「そらまた……」

 “暁の帝国(ライヒ・デア・モルゲンロート)”は建国十年目を迎えたばかりで、国家としての自覚を持っている人は多くない。人間のうち、九割が元日本人であり、帰属意識は本土にある者も多い。そのため、国立の研究所の職員といっても国家公務員という自覚の薄い人間が多いというのが、なかなか難しい問題だった。

「国を裏切るだのなんだのは置いておくが、とにかく情報を持ち出される前に潰さなければならない」

「え、でもそれは特区警備隊(アイランドガード)の仕事では?」

「ああ、そうだ。だから、お前は後方で見学だ。実戦を見学しろと言っているんだ」

「なるほど」

 今まで、戦闘訓練や雑用を主にやってきた凪だが、今回は犯人確保の瞬間に立ち合わせてもらえるらしい。

 おそらくは、今までで一番の収穫になると思われる。

「もちろん、逃げたスパイがお前のほうに向かったら、それはお前の仕事だ」

「ええー……」

「当たり前だ。仮免とはいえ、お前も攻魔官の端くれだろう」

「それは、まあ」

 苦心の末に見習いとはいえ攻魔官の資格を手に入れてはいる。しかしながら、実戦経験は皆無で師の好意に甘んじているのが現状だ。

「とにかく、今すぐにお前も配置につけ。まずは突っ立っているだけでいい」

 

 


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