二十年後の半端者   作:山中 一

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第二部 一話

 第一南地区(ファースト・サウス)は、中央行政区(セントラル・ゾーン)に程近いという立地からベッドタウンとして整備された区域である。交通網が整っており、大通りを真っ直ぐ進めば中央行政区に入ることができる。

 特区警備隊(アイランドガード)所管の国有大規模実験場は、そんな第一南地区の中でも最北端――――ほぼ、中央行政区と重なる位置に建造された巨大施設であり、魔導実験や実戦訓練などが日夜行われている。

 帝国第三皇女の暁零菜は、この日休日を利用して棒術の鍛錬をするためにこの施設を訪れていた。

 広い「道場」には零菜と教官の二人だけ。基本的に吸血鬼同士の戦いを想定すると、周囲に人はいないほうがいい。先ほどまでは麻夜と紗葵もいたのだが、二人は休憩に入っていて道場の外にいる。

 黒い訓練用の棒は長さがおよそ二メートルにもなる零菜の身長よりも長いそれを、器用に振り回して教官に刺突を放つ。

 零菜の武術は同年代でも抜きん出て優れている。最も得意とするのは棒術だが、剣術も弓術も高い次元でこなすことができるという意味では天才があるのだろう。

「ッ……!」

 しかし、零菜は唇を噛んでバックステップをする。彼女の喉元を狙う鋭い警棒が虚空を斬る。

 驚くことではないが、かといって素直に受け入れることもできない。相手の胴を狙った三連撃が、いとも容易く警棒で受け流されたのは、零菜の自信をいたく傷付けるものだった。

「ハハハ、まだまだ甘いわ、お姫様」

「その呼び方は止めてください、ダーナさん」

「別に間違ってないでしょう」

 零菜の師であるダーナ・エーカトルは、年齢不詳の女吸血鬼である。

 緑を帯びた金色の髪を腰の辺りまで伸ばしており、見た目は二十代の前半くらいでありながらも実際には数百年を生きる歴史ある吸血鬼だ。

 T種に属しており、零菜と同じように意志のある武器(インテリジェンス・ウェポン)を従えていることから零菜の護衛兼教導を委託されているという。付き合いはかれこれ五年にはなるだろう。

「さて、廊下の二人が戻ってくるまで、あと十分はあるのだけど、続けられる?」

「もちろんです」

 零菜は頷いて、棒を構える。

 彼女が最も得意とする眷獣は槍の黄金(ハスタ・アウルム)だ。

 眷獣の中でも珍しい魔力を無効化する対魔の槍であり、意志を持つ武器でもあった。対人戦闘では無類の強さを発揮する槍の黄金も、当たらなければ意味を成さない。変幻自在の槍ではあるが、根本が「槍」である以上は槍の使い方を身体に叩き込まなければ使いこなせはしない。

「前に雪菜さんが言ってたわ」

 零菜の猛攻を易々と凌ぐダーナは、軽口でもするように言った。

「昔戦ったある女吸血鬼は、自分の眷獣の動きについていけなくて雪菜さんに負けたって」

 零菜の突きを、ダーナは黒い警棒で払い除ける。

 受け止めるようなことはせず、動きを見切った上で最低限の対処をするのである。

 零菜の顔に焦りが浮かぶ。

 棒術を本格的には始めて五年。残念ながら、天賦の才があったとしても、数百年を生き、あらゆる戦乱を体験してきた歴戦の猛者にはまだ届かない。

 その実力差を越えるため、零菜は一瞬先の未来を読み解く。

 人間の巫女が有する霊視能力。未来視の特性は、どういうわけか吸血鬼の零菜にも引き継がれている。性能は雪菜には及ばないが、近接戦では僅かな先読みが活路を開くこともある。

 が、零菜は霊視をした瞬間に目を見開く。

「あ!」

 パン、と音が鳴って零菜の手から棒が叩き落される。次いで、逃げる間もなくのど元に突きつけられる警棒が勝敗を如実に物語っている。

「ま、参りました……」

「うん」

 満足げにダーナは笑う。

 零菜は割りと必死になって戦ったつもりだが、彼女にとってはまだまだ本気を出すまでもなかったのだろうか。それは、やはり悔しいことこの上ない。

 吸血鬼は人間と違って老いることがない。どれだけ自分を成長させても、目標の背中も同じように遠ざかる。古い者ほど強いというのは、単純に魔術的な性質というだけではなく、のびしろが無限にあるということでもあった。

 零菜がダーナにこの分野で勝利するのは、まだまだ先の話になるのだろう。

「ま、あなたは雪菜さんの娘だし、腐らず鍛錬すればすぐにわたしくらい超えるわよ」

「ぅ……」

 雪菜の名前を出されて、零菜は表情を曇らせた。

 鍛錬を積んでいると分かる母親の理不尽な強さ。才能の差とも言うべき壁を感じている。

「マ……わたしの母は、やっぱり強いですか。その、ダーナさんから見ても」

「ん、それはもう」

 と、ダーナは呆れすら含んで言う。

「あの人は十四、五歳で第四真祖とカタストロフを戦い抜いた人だしね。人間ってのは、時に魔族の数百年を凝縮したような天才を生み出すことがあるのよ。高位の攻魔師なんて、そういう才能のある人間だからね。雪菜さんだけじゃなくて、あなたたちの母親たちは大体そんな理不尽の集まりなのよ」

 零菜の母親である雪菜は日本にかつて存在した獅子王機関という対魔組織の出身者だと聞いている。同じように紗葵の母親や唯雫の母親も獅子王機関の人間だったらしいが、大体十五歳前後で魔族と戦い鎮圧できるだけの戦闘能力を身につけるのだという。身体能力で圧倒的に不利な人間の少女が、屈強な獣人や数百年を生きる吸血鬼に匹敵する戦闘をこなせるようになるには、相当の魔術的修練と洗練された武具が必要だ。ある意味では兵器として育てられた者でなければ到達しない領域であり、その中でも才能に優れた一部の者だけが辿り着ける高みである。

 母親の血を継いでいるはずの自分は、母親が活躍を始めたという中学三年生になっていながら、まだまだ打ち合いで簡単に凌がれる程度の技術しか身に付けられていない。練習しているつもりだが、練習が足りないのか。あるいは、単に才能がないだけなのか。零菜にとっては、母の名前は重過ぎる。

「ま、焦る必要はないわよ。吸血鬼は時間が有り余っているし、人間みたいに生き急いでもいいことなんてありゃしないんだからね」

「……はい」

「ヒューマナイズ世代の零菜には、ちょっと実感しずらいかもね」

「そんなことは、ないですけど」

 零菜の言葉に強さはない。

 ヒューマナイズ世代と言われて少しばかり不愉快な気持ちになる。

 ヒューマナイズ世代は、主に高齢の吸血鬼が若年の吸血鬼を指して使う言葉であり、文化的に人間化していることを揶揄する意味合いがある。吸血鬼が人間の生活に溶け込むのは、数百年前から当たり前のように行われてきたことではあるが、四十年近く前に聖域条約が成立して以降の共存の道を模索する中で、趣味嗜好までも人間に合わせるようになっていったのが、旧い吸血鬼には不心得者と映ったらしい。吸血鬼文化の再興を叫び、テロを行う吸血鬼優位主義者も現れるくらいに、文化的な衝突は根深く発生している。

 第四真祖は元人間であり、妃たちも人間から擬似吸血鬼になった者ばかりだということで、世界で最も若い夜の帝国(ドミニオン)は、世界で最もヒューマナイズされた吸血鬼国家だと呼ぶ者もいるのである。

 ヒューマナイズ世代という言葉は昨今では流行語のように広く知られたものであるため、ダーナが差別的な意味合いで用いたわけではないが、言われた側は枠に嵌められたような気がして気分がよくない。

 人間でも「最近の若いやつは」とか「ゆとり世代」などと言われては、十把一絡げに一緒にするなと言いたくなるだろう。

「ん、帰ってきたね」

 扉が開いて、麻夜と紗葵が入ってくる。休憩を終えて、鍛錬の続きをするために戻ってきたのである。

 厳しい鍛錬も、残すところ一時間となった。

 ここが正念場とばかりに、零菜たちは気合を入れなおす。 

 第四真祖である暁古城や、その血の伴侶のような例外を除けば、ダーナは帝国でも最強クラスの吸血鬼である。才能があるとはいえ、まだ生まれて十五年程度の若輩者に遅れは取らない。単純な力のぶつかり合いでは、積み上げた年月がものを言う。吸血鬼として非常に若く脆弱な零菜たちが学ぶべきは、そういった年月の重さに対抗するための技術と知恵であると言ってよい。力技はそのうち自然とできるようになる。よって、今は基礎の基礎の段階だ。

 

 

 

 午前中に鍛錬を終えた零菜たちは、揃って実験場を出る。思い切って眷獣を使えるのは、こうした広い公共施設の中くらいのもので、ストレスの解消にも役立っているのだが、それでも棒術やら魔力制御やらの鍛錬は身体に疲労を蓄積する。不老不死で負の魔力を無限に持つ吸血鬼の肉体であったとしても、体力や精神力まで無尽蔵というわけではないのだ。

「あまり根を詰めすぎても、身体に毒だからねー」

 と、ダーナは笑って、三人のジュースを奢ってくれる。

 遠巻きに三人を見ているのは、それぞれの護衛役を務める攻魔官だ。彼らもまたダーナの教え子たちである。

 ダーナは、“暁の帝国”の中でも最年長の吸血鬼である。気の遠くなるような長い時間を世界の放浪に当て、二十年前に雪菜と知り合ったことをきっかけにして絃神島に移り住んだ。絃神島が日本から切り離されて独立した後も、根無し草は今更困ると、古城たちに協力して荒廃した絃神島の再建と国家の樹立に貢献した重鎮である。

「そういえば、旦那さんってどんな人ですか?」

 と、零菜は聞いた。

 最近になって、ダーナが結婚したのだということを思い出したのである。

「ん、どんなって言っても、企業づとめのサラリーマンだよ。わたしから見れば若い若い。羨ましい若さだよ。まあ、人間なんて例外なく若いんだけどね、わたしからすれば」

「え、人間なんですか?」

 そう尋ねたのは、紗葵だ。

 驚いたように顔を上げる。

 歴史を重ねた吸血鬼の伴侶が人間だと聞いて意外そうな顔をする。

「てっきり、吸血鬼の誰かだとばかり思ってましたけど」

「昔ほど種の壁ないしね。見てくれは同じだし」

「見てくれって……」

 零菜はなんと言ったらいいか言葉を詰まらせる。

 人間と魔族はその多くが外見を同じくし、子を為すこともできる。生物学的な面からしても謎の多い現象ではあるが、これが両者の勢力を長らく戦争状態にしてきた要因でもあった。なまじ近いために、価値観の衝突が起こる。相手が言葉を解さない他の生物であれば、そのような葛藤は生まれなかっただろう。

 しかし、今は新たな時代だ。世界規模で魔族と人間の融和は進んでいて、結婚することにも特に規制があるわけではない。

「ダーナ師匠は最近ご結婚されましたけど、その前はどうだったんですか?」

「踏み込むね、麻夜殿下」

 そう言いながらも、ダーナは不快感を滲ませることもなく、むしろ得意げな表情で続ける。

「前はざっと五十年ばかり前に死別かな。わたしは、血の従者を作ったことがなくてね。吸血鬼の旦那は、百年ばかり連れ添ってから分かれたし、人間のほうはいつも死に別れだよ。かれこれ、七回は見送ったかな」

「な、七回?」

 さすがに麻夜も目を白黒させる。

 一人の相手と最後まで連れ添うことが美徳である、とはもうこの時代には通じないかもしれないが、それでも相手をとっかえひっかえするのは非難の対象にはなる。

 しかし、それも場合によりけりである。

 長い時を生きる吸血鬼の中でも経済力のある者がハーレムを築き上げるのは珍しいことではない。ほかでもない暁古城が、そうして美女を囲っており、零菜も紗葵も麻夜もそうした環境の中で育ってきた。

 それでも、やはり七回旦那を見送ってきたと聞けば、すぐには納得できない思いを抱く。

「おかしい? 仮に千年生きたとして、相手を血の従者にしなければ当然そうなるわ。わたしは世界の終わりまで連れ添いますって覚悟はなかったし、そう思うとうちの皇帝はすごいことしてるわよ」

「それは、まあ、そうです。確かに」

「うちのことを言われると、何も言えないよね」

 麻夜と紗葵が苦笑する。

 同時に複数の愛を楽しむ古城と、一つの愛を繰り返すダーナ。恋愛観は正反対と言っても過言ではない。

「お姫様たちも、そのうち考えなきゃいけないときがくるよ。特に血の従者云々は、いろいろと覚悟しないとね」

「覚悟ですか?」

 零菜が聞いた。

 血の従者について、零菜は過去に騒動を引き起こしたことがある。

「相手の人生を背負えるのかどうか。何せ自分が死ぬまでずっと縛り続けてるわけだからね。いろんな問題も発生するでしょう。百年もすれば嫌だから契約を切るってわけにもいかなくなるし、それを、正面から受け止めて乗り越えられないと、血の従者は足枷にしかならないよ」

 それは長く生きた人生の先達からの言葉だからだろうか。内容は非常に重く、簡単に忘れられるものではなかった。特に、どこか後悔を滲ませるダーナの口調に零菜は引っかかりを覚えたのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 中央行政区の北部は今、まさに再開発の真っ最中である。工事の指揮を執るのは、世界最高峰の錬金術師であるニーナ・アデラートで、彼女は暁の帝国の拡張に大きな貢献を果たした人物である。

 人工の島ゆえの資材の乏しさを、海水中のミネラル分を金属に変換することで補ったことで解決した。

 最新の夜の帝国が、簡単に独立できたのも人工島であるための自給能力の低さがあったからだ。いざとなれば日干しにできるという点が、周辺諸国から侮られる要因であり、独立も容易かった。錬金術の大規模使用による資源調達という発想は、古代からあったものの暁の帝国が実現するまでは夢物語でしかなかった。そして、現代でも、この規模で錬金術を使えるのはニーナ以外には存在しない。各国が挙って錬金術師の育成に取り組んでいるものの、なかなか次のステップに進めないのが現状であった。

 そこかしこで大規模な工事が行われている街並を眺めながら零菜と紗葵は歩いていた。目的地は、すぐ目の前に建つショッピングモールである。

 生鮮食品売場から映画館、書店、レストランとおよそ生活するのに必要なものはここだけで揃えられる。絃神島だった頃から存在する古参のショッピングモールであり、休日ということもあって家族連れも多い。

 零菜と紗葵がその護衛と共に訪れたのは、ショッピングモールの三階で営業する映画館だった。

 零菜も紗葵も皇族ではあるが、その生活は一般市民と大きく乖離することはない。護衛を連れているのは、彼女たちが狙われる可能性を有しているからであり、戦闘訓練を行うのも自衛手段を持つためである。それ以外については、通う学校から食事に至るまで飛びぬけて高価なものを利用しているということはなく、映画を見るにも一般市民と共に列に並んでなだれ込むしかない。特別扱いを母親たちは認めておらず、それもあって零菜も紗葵も皇族として恭しく接されることには不慣れだった。

「なんでこんな人いんの……」

 予想以上の人だかりに紗葵は早くも不平をもらす。

 吸血鬼も混じっているだろうから、言い切ることはできないが見たところ若い女性が多い。いや、吸血鬼の精神年齢は見た目に左右されるというから、見た目の若さは精神的な若さにも繋がる。実年齢はともかくとして、若い女性が多いと言い切ってもかまわないだろう。

「海外では、かなり人気だって話だし、しかも初日だから」

 しかたない、と零菜は答える。

 製作は中央アメリカの夜の帝国・混沌海域の映画会社である。

 大掛かりなセットとCG、そして世界的名俳優の起用と斬新なストーリーで人気作を連発する有名な映画監督。およそ失敗しないとさえ言える布陣で撮影に臨み、見事に大ヒットとなったのが、この映画だ。

 現在、第三部まで公開されている。

 しかし、諸般の事情により暁の帝国では公開が認められていなかった。

 タイトルは「第四真祖と真夏の訪問者」。

 「第四真祖シリーズ」の第一作目であり、本人が断固拒否したことで帝国内での公開がお蔵入りとなった作品である。

「でも、古城君が主人公の映画とか……ふ、くく……」

 紗葵は堪えきれずに失笑を漏らした。

 民主主義国家の暁の帝国としては、過度な言論統制は不可能である。まして、公序良俗に反するわけでもなく、政治的意図も見出せない映画を皇帝の個人的感情でいつまでも公開不可とするわけにもいかなかった。映画会社や世論の影響を受けて、苦渋の決断をした古城が、テレビでCMを見たときの表情は一緒にいた零菜と雪菜の間でのみ共有されている。

 古城としても、赤の他人が演じているとはいえ自分をモデルにしたキャラクターが冒険活劇をするなど夢にも思わなかっただろう。

「なぜかヒロインがジャーダさんで、アルデアル公がよき友人でありライバルなんだってね。日本で見た友達が言ってたけど、CGがすごくて本物みたいだったって」

「一作目は獅子の黄金(レグルス・アウルム)しか出ないらしいし、わたしは、蟹ちゃんが好みなんだけどなぁ」

 紗葵は声を潜めて呟く。

 古城の眷獣は非常に有名だ。一体一体が破滅的な力を有するものの、十二体と真祖の中では控えめな数ということもあり、その名前から効果まで広く知られてしまっている。外見も、映像媒体の普及した現代では隠すことはできず、ネット上に出回っている。そのため、眷獣の非公式ファンクラブまで誕生しているカオスな状況だ。

 ネット上では、よく古城の眷獣の中でどれが最強かという不毛な議論もされている。

 この列の中にも、俳優よりも第四真祖の活躍にこそ興味があるという者が紛れているに違いない。

「チケットくらい、仰っていただければわたしが事前に購入しておきましたのに」

 と、零菜の護衛に就く高城有紀が言った。

 二十代半ばの女性で、十五歳までは日本の獅子王機関に属していたこともあったという。今は、その身に積んだ対魔の秘儀を活用して暁の帝国で働いている。

「思いつきで来ちゃったから」

 と紗葵が言った。

 事前に予定を組んでいれば、チケットを取り寄せるなりしていただろう。しかし、今回は本当に思い付きでの行動である。通販もあるこのご時勢にまさか、チケットを買うところから並ぶ羽目になるとは思わなかった。それもこれも、窓口購入特典などというものをつけたことに問題がある。想像以上の客足に窓口が対応し切れていないのだ。

「それに、有紀さんはお手伝いさんってわけじゃないんですから」

 零菜も有紀にチケットの購入を頼むという手は使わないと明言する。

 皇女の庶民的な反応には慣れたものだが、果たして人込みに長時間佇むのが妥当な対応と言えるのだろうか。第二真祖のように、時折護衛もつれず、お忍びで遊びにくる国家元首がいる世の中なので何とも言い難いところではあるが、彼女のような最強の吸血鬼というわけではなく、まだまだ能力的には未熟な零菜たちを危険に晒すことになりかねないというのは懸念事項ではあった。

 大蜘蛛の眷獣の暴走により、零菜が危険に晒されたのはつい最近の出来事である。この先、同じようなことが起こらないとも限らない。

 そして、往々にしてそうした懸念というのは実際に発生する。

 唐突に、店内に炸裂音が響いたのである。

 何事かと思えば、ゲーム売り場から粉塵が上がり、警報機がけたたましく鳴り響いている。

「な、何!?」

 零菜が叫ぶ。

 突然の爆発に、ショッピングモール内は騒然としている。あちらこちらで悲鳴が上がり、逃げ惑う人々が走り過ぎていく。並んでいた列も最早なく、その場にしゃがみこむ者や列を飛び出して逃げていく者、状況が掴めず困惑する者などが混在している。

「お二人とも避難します! すぐに!」

 有紀が叫ぶ。続いて、三人の護衛が零菜と紗葵を取り囲み、その場を離れるように促した。

 爆発はなおも続いている。 

 強い魔力の波動が、辺りにばら撒かれているのを感じる。

「あ、でも……」

 伊達に戦闘訓練を受けてはいない。感じる魔力は吸血鬼の眷獣によるものだろう。燃える二足歩行の狼が、陳列棚を押し倒して暴れまわっているではないか。

「お二人の安全確保が最優先です!」

「わたしたちだったら、自分で逃げられるよ。まずは、民間人の安全を守って!」

 紗葵の言葉に護衛たちは戸惑う。

 彼らも攻魔師の資格を持つ者である。護衛の仕事は重要だが、同時に民間人の安全を守ることもまた仕事である。一発の爆弾ならばまだしも、吸血鬼が暴れているとなれば、それを止めるのは攻魔師の義務であった。

「では、我々があの吸血鬼を抑えます。ですので、お二人は高城攻魔官と共に離脱してください」

 青年攻魔師は、言うやジャケットを脱ぎ捨てる。すでに彼の上半身は金色の毛に覆われ、甲羅のように背中が筋肉で膨らんでいた。

 彼はライオン系の獣人だったのである。

 速度よりも力に秀でた獅子頭の獣人が暴れる吸血鬼の眷獣に襲い掛かる。飛び散る備品の欠片を物ともせず、燃える狼に格闘戦を挑むのだ。

「こちらへ!」

 有紀が零菜と紗葵の手を引っ張り、現場を離脱する。二人の離脱を確認しつつ、被害を最小限に抑えるために狼の眷獣に獅子頭の獣人は殴りかかる。

 眷獣に物理攻撃は通じない。しかし、彼には膂力のほかにも対魔の技がある。低級の眷獣が相手ならば、十分に通用する性能を持ち合わせているのだ。そして、彼を援護するのは魔術師である女だ。紗葵の護衛であり、魔術談議の相手でもある十代後半の少女はつぶさに戦況を観察して、眷獣の宿主を探り当てる。

「見つけた……!」

 吸血鬼は瓦礫の中で雄叫びを上げていた。

 吸血鬼は眷獣こそ強力だが、本体はそれほど高い能力を持つわけではない。眷獣を倒すよりも、吸血鬼本体を叩くのが対吸血鬼のセオリーである。

 暴れる眷獣の宿主は、これまた奇異な状態だった。

 無残に押し倒された陳列棚と散らばった商品の中に佇むのは、制服を着た少女だったのだ。部活動の帰りなのか、大きなスポーツバッグを肩に担いでいる。

「暴走している!?」

 見るからにだった。

 頭を抱えて、髪を振り乱す少女は強い魔力を垂れ流しながら喉を裂かんばかりに怒鳴り散らしていた。

「ああああああ! うぐああああああああ! ざけんな、ざけんな、なんであたしが、スタメン落ちなんだよ! 今まで頑張ってきたのに、なんでいきなり! あ、ぐぅ、くあああああああ!」

 苦悶の表情を浮かべる少女は、まったく周囲が見えていない。眷獣が暴れているというのも、意識の外である。発言は二転三転し、自分の身体を引っ掻くなどの自傷行為も見られた。

「説得は無意味か」

 完全に錯乱している少女に対して、言葉を投げかけても意味はない。

 無理矢理にでも拘束して、眷獣の実体化を解除するのが先決だ。

 魔術師は即製の拘束魔術と催眠魔術を生成し、少女に放った。

 

 

 

 地響きがショッピングモールを襲っている。

 眷獣の暴走から逃れた人々が、一斉に出口に向かったために混雑が発生していた。怒号と罵声、悲鳴が飛び交う中で、零菜と紗葵は二階に留まり、成り行きを眺めるしかなかった。

 この建物は一階から三階まで中央部分が吹き抜けとなる構造だ。そのため、上から出入り口を目指す人々を眺めることができる。

 人込みの中に飛び込めば、いざという時に自衛できなくなる。眷獣を召喚するスペースくらいは常に確保しておかなければ、咄嗟の防御ができないのである。それに、最悪の場合は窓から飛び降りて脱出するという手もある。そういったところは民間人よりも融通が利くのである。

「何が、あったんだろう」

 零菜は緊張と不安を綯い交ぜにした表情で呟く。

 眷獣が暴れていたということしか、今の時点では分からない。テロなのか、事故なのかすらも掴めないので、余計に不安が広がる。

「これから、どうするの?」

 紗葵が有紀ともう一人の護衛――――美樹に尋ねる。

「この敷地から出るのが最優先です。吸血鬼がどうして、このような場所で眷獣を実体化させたのかは分かりませんが、現時点ではお二人を危険に晒せませんから」

 あくまでも護衛としての職務に忠実であるのならば、当然の判断ではある。

 戦う力はあるが、それとこれとは別だ。零菜と紗葵が皇女という特別な立場にある以上は、騒ぎに首をつっこむべきではないという理屈は分かる。けれど、納得がいかないというのは確かにあって、零菜も紗葵も悔しげに唇を噛む。実際に、無謀というわけではないのだ。先ほど暴れていた眷獣程度であれば、零菜でも紗葵でも倒せる。しかし、それをわざわざ皇女がする必要はないとも言えるし、倒したところで解決するかというと怪しい。その先があった場合、彼女たちが出て行くことで事態が悪化する可能性もある。

「相手の狙いが分からない以上は、こちらも動けません。状況を整理する必要がありますし、それはプロの仕事です」

 有紀が言い聞かせるように言った。

 零菜は小さく頷く。

 自分の立場は分かっている。ここで無理を言っても、彼女たちを困らせるだけだ。

 先を争って出口を目指す人々の流れ。誘導する係員も、最早どうにもならないほどの混乱が生じている。そこに、畳み掛けるように問題が発生する。出口に向けて走っていた一人の男が、突然眷獣を実体化させたのである。

 現れたのは、全長十メートルほどにもなる巨大な鷲だった。

 鷲は頭上に舞い上がり、けたたましく鳴いておぞましい魔力を撒き散らす。宿主の男も、なにやら訳の分からないことを口走っているようだ。

「この――――!」

 咄嗟に零菜は手すりを蹴って飛び出した。何か考えがあるわけでもなく、あの妖鳥をどうにかしなければ、悲劇が起きると直感したからである。

 無論、護衛の二人の制止は振り切った。後で謝ろうと思いながら、雷光の眷獣を召喚する。

槍の黄金(ハスタ・アウルム)!」

 槍を振るうのと、鷲が火球を放つのは同時だった。

 着弾点は未来予知にも匹敵する直感で感じ取っていた。人の上に落ちる前に、空中で零菜は火球を打ち消した。魔力無効化能力のある槍の黄金ならではの防御法である。零菜はそのまま、観葉植物の枝に着地した。

「零菜さん!」

「ごめんなさい、有紀さん! でも……!」

「もう、分かってます。ですが、無茶はしないようにしてください!」

 困った護衛対象だと呆れながら、今のは零菜に助けられたとも思ったのだろう。眷獣が一般市民を攻撃すれば、ただではすまなくなる。頑丈な獣人や不老不死の肉体を持つ吸血鬼ならば、ある程度は耐えられても魔術の心得もない人間では直撃した瞬間に蒸発することになるだろう。零菜の槍の黄金は余波も含めて危険な火球を消し去ることができるという点で、対吸血鬼の楯としてこの上なく優秀である。

 安堵しつつ、有紀はポケットから札を取り出して、投じる。

 札は空中で三羽の鳥となって、吸血鬼に向かって下降した。

「は、ははは! ははははは! さっきからギャーギャー騒ぎやがって、人間ども! このまま――――うお!?」

 舞い降りてきた鳥の式神に、吸血鬼は瞠目する。三方を囲んだ鳥は白銀の糸で結ばれ、吸血鬼を完全に包囲したのである。

「なんだ、こりゃあ!? てめ、出せコラ!」

 吸血鬼は第二の眷獣を召喚する。それは、青白い蛇だった。

 宿主の苛立ちを代弁するかのように、内側から結界を食い破る。

 魔族の中でも最強ともされる吸血鬼の眷獣だ。下級吸血鬼の眷獣であっても、たった一人で紡ぐ即製結界では数秒押し止めるのが精一杯だろう。その程度のことは、有紀も十分に承知している。必要だったのは、その数秒だ。

 砕けた結界の欠片の中に飛び込んだ有紀は、あっという間に吸血鬼の懐に踏み込んだ。

「若雷!」

 強烈な破魔の体術で吸血鬼の身体が跳ね上がった。

 凄まじい一撃は、大気すらも震わせたかのようで、有紀の攻撃を受けた吸血鬼は哀れにも錐揉みしてベンチの上に落ちて動かなくなる。

 宿主が意識を手放したことで、眷獣たちも消える。

 ふう、と有紀は深呼吸をした。

「突然、何なのよ」

 小さく文句を言うのも仕方ない。

 倒れた吸血鬼はスーツを着込んだ、どこにでもいるような青年だった。実年齢は不明。内ポケットから出てきた名刺には、一流企業の名が入っていた。

「どうして、こんな人が眷獣を出したりしたの?」

 覗きこんだ零菜が意外そうに驚いた。

 倒れた吸血鬼の風貌と肩書きが、人込みで眷獣を無差別に使うテロリストと結びつかなかったためだ。先ほどの狂気を孕んだような叫びも、まったく似つかわしくない。

「人は見かけによらないとは言うけど……」

 有紀としてもそれは同じ意見であった。それに、三階で暴れていた吸血鬼とこの吸血鬼が申し合わせて眷獣を使ったようにも見えなかった。単独犯が偶然重なったような、ありえないとまでは言い切れないものの低確率な事態ではあって、さすがに異常を感じずにはいられない。

「零菜姉さん、有紀さん、大丈夫?」

 紗葵と美樹が駆けつけた。

 一階にはもうほとんど人が残っていない。

 ちらほらと見えるのは、逃げ遅れた人がいないか確認している店員や警備員である。この広いショッピングモールが蛻の殻になっているという異世界感が、この事件の異様さをさらに後押ししているような錯覚すらする。

「とりあえず眷獣行使の現行犯で逮捕、ですね」

 有紀が魔力抑制の手錠を吸血鬼にかける。

 強大な魔族や魔術師の異能の多くは魔力に依存する。その魔力を著しく制限する効果のある手錠である。さすがに、歴史を重ねた吸血鬼相手には、多少の違和感程度しか与えないが、低級魔族にはこれでも効果がある。

 上の戦いも終わったらしく、魔力の波動はもう感じない。

「これで、一件落着?」

 紗葵が誰にともなく尋ねる。

 頷けるものは一人としていなかった。

「とりあえず、この人の精神鑑定から始めないと何とも言えませんね」

 有紀はそう答えるのが精一杯だった。

 明らかに精神に異常を来たしているようで、もしかしたら上階で暴れていた吸血鬼も同じ問題を抱えていたのかもしれない。何かしらの病気と言うには発生したタイミングが重なっているのが不自然だ。となれば、何者かが引き起こした事件であると考えたほうがいい。

「ッ……」

 紗葵は不意に首筋にチクリとした痛みを感じて、首を叩いた。

「どうしたの、紗葵ちゃん?」

「ううん、なんでもない。虫かな?」

「虫って」

 零菜は苦笑いを浮かべる。

 吸血鬼を刺す虫などそうそういない。不死の呪いや強い魔力を帯びた血液は、虫からすると栄養価よりも毒性のほうが強く、好んで吸血鬼から血を吸おうとはしないのだ。

 休日のショッピングモールを襲った騒動は、一時間もしないうちに大々的に報じられることとなり、零菜と紗葵の貴重な休みは特区警備隊への捜査協力で潰えることとなった。

 


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