二十年後の半端者   作:山中 一

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第四部 一話

 暁の帝国の書き入れ時は、大きく三つに分かれる。

 一つは言わずと知れた夏休み。

 暁の帝国は新興国であり、歴史があるわけではないので歴史ロマンに対抗することは不可能だ。しかし、その一方で完全無欠の人工島であるがゆえに、遊園地などのレジャー施設で勝負することができる。南国なので夏の海を楽しんでもらうというイベントも強い。

 二つははろういんフェスタ。

 日本にはシルバーウィークがあり、はろういんフェスタは日本のシルバーウィークに重ねる形で開催しているのが特徴だ。狙いはもちろん隣国からの観光客だ。帝国最大のイベントは、企業にとっても一般人にとっても大きな経済効果をもたらすものだ。

 そして、最後に冬休みから春休みにかけての三ヶ月。 

 これは、南国だからというのが最大の理由だ。

 雪の降らない暁の帝国は、年間を通して強い日差しと高い気温が維持される。この国で生まれ育った人にとっては、当たり前のことでしかないが、主として日本から観光に来る人々にはそれが珍しい。冬でも海で騒げるというのは、一つの目玉なのだ。

 そのためのビーチは帝国全土に多数設けられている。人工のビーチなので、天然物を求める人たちには物足りないかもしれないが、人工であるが故の美しさはある。

 暁の帝国は技術のみならず、観光面でも安定収入を得ることができているのである。

 もっとも、それは観光客を誘致する業者に恩恵があるというだけであって、下々の一般人には何の恩恵もない。いや、税収面での恩恵は確かにあるが、それを実感することはまずないだろう。

 強いて言えば、テーマパークが庶民の娯楽にも繋がるという点があるが、それも興味のない人間にはさほどの価値もない。

 ということで、冬休みを目前に控えた十二月の中頃にあっても、凪の生活にはほとんど変化らしい変化はなく、常夏の島と同様に年中彼の予定に大きな波はないのだった。

 世間は今クリスマス一色になっている。日本の放送局から流れてくるCMや番組はもとより、国内の放送局でも様々なクリスマス特集を取り扱っている。一週間後のクリスマスに向けた関連企業のPR合戦でもある。雪があるのとないのとでは、印象が大分違うんだな、という程度の感想しか持てないのが悲しいところではある。

 学校から自宅に戻って凪はカードキーを取り出す。

 自分の親がこの人工島にやって来たときから暮らしているマンションなので、かなり古い部類に当たる。数年前までは普通の鍵を使っていたのだが、今はカードキーに置き換わっているのだ。

 カードキーシリンダーにカードキーを挿入する前に、凪はふと手を止めてドアノブを捻った。案の定、鍵はかかっておらず、ドアを開けることができた。

「ただいまー」

 と小さく家の中に声をかける。

 一人暮らしの頃は一言も発さずに家に帰っていた凪だが、今は相方がいるために最低限、自分が帰ってきたことは知らせないといけないのだ。

 リビングに戻ると、テレビを観賞している義理の妹がいた。

 頭にはワイヤレスのヘッドホン。口にはソーダ味の氷菓子。ソファの上で胡坐をかいて、太ももの上に置いたリモコンのボタンを操作している。

「おや、お帰りなさい、凪さん」

 空菜は、相変わらず感情の起伏のない声で言う。

「……お前、なんでまたそんな格好してるんだよ」

 空菜はワイシャツの胸元をだらしなく開けており、スカートからもシャツが出ている。それだけならばまだしも、スカートがめくれ上がり、あやうく下着が見えてしまいそうな状態だ。真面目な雰囲気を漂わせるブレザーもここまで着崩せばまったく印象が変わってしまう。

「夏を快適に過ごすための、涼しさを追及した格好です」

「もう夏じゃないだろうが。一応、暦では冬だよ、冬」

 言いながら、凪は自室に向かう。

 空菜の格好は実のところ、普段からこうなのであまり口うるさく言うこともなくなった。彼女は面倒くさがりで、手を抜くところは手を抜きたがる。やるべきことはきちんとやるので、文句はないが、こうして無防備な姿を曝すことが茶飯事となっている状況でもある。凪はもう慣れたものだが、人前でこうした格好をしないかどうか心配で仕方がない。

 学生カバンを自分のベッドの上に放り投げた凪は、再びリビングに戻ってくる。

 キッチンまで行ってから冷蔵庫を開けて麦茶を取り出し、グラスに注ぐ。凪が先ほども言ったとおり、暦の上では冬に突入しており、クリスマスも近い。しかし、気温は未だ高く、残暑と言うには夏に近すぎる環境だ。衣替えで冬服――――つまりは長袖の制服が導入されているとはいえ、多くの学生は上着を脱いで、袖を捲くって生活しているほどである。リビングでクーラーが稼動しているのも不思議なことではない。

「ん、今日はレバーか?」

 凪はキッチンに出ている冷凍レバーを見つけて呟く。

「そうですよ」

 と、空菜が返事をする。

 夕食は、二人で持ち回りとなっている。基本的には自炊をしているが、どうしても手が回らないとなれば近くのコンビニに向かうことになる。ホムンクルスである空菜は戦闘以外にも「様々な用途」での運用が計画されていたらしく、知識だけならば多方面に通じる。料理も、もちろん彼女のレパートリーの中に入っているのだが、如何せん経験がなかった。頭でっかちな知識ばかりだったので当初は炒め物で焦がしてしまって計算が合わないと首を傾げたり、美味しいと知っていて食べた料理が口に合わず困惑していたりと意外にも失敗には事欠かなかった。日常生活でもところどころ抜けているので、学校ではすっかり不思議ちゃん扱いだ。社会生活経験がないのだから、人と異なる言動が出てしまうのはどうしようもないが、不安ではある。彼女の発言一つで、自分の学校生活にも影響が出てくるのは当然のことなのだ。クラスが違うが昏月という苗字は日本も含めて彼の家くらいのものだろう。必然的に身内だということは広まる。

「レバー……なんか、この前もそうだったような」

「わたし、レバーが好きみたいなんです。健康にも、いいって言いますよね」

 ソファの背凭れにぐったりと頬を乗せて、空菜は言った。

「それは、俺も聞いたことあるな。健康にいいっていうのは」

「凪さんの食事は栄養バランスがかなり偏ってました。もう少し、健康的な食事を意識しなければなりません」

「耳に痛い……」

 一人暮らしの習慣が身に付けさせたのは生活力だけではなかった。食事や睡眠が非常に不健康なものとなってしまっていたのだ。空菜が来たことで、そういった点については多少の改善がされた。凪自身、料理当番のときには食べたいものだけを食べるようなことができなくなったことを自覚して食事を作っている。

「ちなみに、レバーで何を作るつもり?」

「レバーといえば、当然ながらレバニラ炒め。今日はチンジャオロース風にオイスターソースを使ってみる所存」

「へえー」

 特に料理に興味のない凪は適当に相槌を打つ。レバニラが出てくると分かっただけで、十分なのでそれに使われる材料がオイスターソースなのかどうかはあまり興味の対象ではなかった。

「まあ、ほかにも色々と安かったので魚介類とか買ってみました。この島は青物には高値がつくのに、魚介類は安く手に入りますね」

「そりゃ、回りが海に囲まれてるからな。海の幸にはかなり助けられてるんじゃないか」

 島国の食料は魚介類と相場は決まっている。まして、人工島である暁の帝国には天然の土がない。農家は皆無と言ってよく、企業のバイオプラントが野菜類の大量生産に成功したからこそ、輸入にあまり頼らずに野菜を摂ることができるようになっている。その一方で、漁業は企業だけでなく一般家庭でも転向しようと思えばできる。養殖業も盛んなため、どうしても野菜類よりも魚介類のほうが安くなる。

「まあ、当然の成り行きですか」

「これでも、昔よりはマシになってるみたいだぞ。絃神島のときは、大部分を輸入に頼ってたから、ショートケーキで何千円の世界だったらしい」

「技術大国とはいえ食料自給率が壊滅的では、戦わずして負けるのは自明の理……暁の帝国は上手く弱所を改善しているわけですか」

「ま、仮に戦争になって輸入を止められても今の生活をある程度維持できるような生産体制は取ってるらしいからな。色々と反則だよ、この国」

 かつて、絃神島は生産力のない技術だけの実験場という認識を持たれていたという。たとえ危険な兵器を抱え込んでも、食料の輸送を止めてしまえば瞬く間に崩壊するものと。

 しかし、今は食料を自分たちで調達できるようになった。完全に独立して活動できるようになった暁の帝国は他の追随を許さない圧倒的な技術力も加味して世界トップレベルの先進国として影響力を持つまでになったのだ。

 第四の夜の帝国として、歴史ある第三までの夜の帝国と並んでも遜色ない国力を手に入れているというのは、帝国国内だけでなく、世界全体の認識である。

 空菜は、口数の多いタイプではない。凪もそうだ。よって、家庭内での会話はそれほど賑やかなものにはならないのが常である。それを、居心地が悪いとは思わなかった。顔立ちが零菜に似ているからだろうか。それとも、自分と同じ中途半端な立ち位置にいるからだろうか。比較的容易に凪は空菜の存在を受け入れていた。いい意味では空気のような存在。過度に干渉してくることなく、けれどそこには明確に存在している。

 当初は零菜と瓜二つで、あまり見分けのできなかった凪だが、最近は零菜と空菜を並べてもきちんと見分けることができるという自負を持てるまでになっていた。顔立ちと身長はほぼ同一。しかし、外見をどれだけ揃えようとも、別人である以上は違いが出てくる。機械的に判別するのは困難でも、感性での判別はできる。

 日頃の行動からでも、零菜は空菜のように無防備を曝すことはしないだろう。髪の色も微妙に異なる。零菜は艶のある深い黒の髪、空菜は同じく黒髪ではあるが光に触れると銀粉を鏤めたかのような鈍い色を呈する。零菜は右利きで、空菜は左利き。それだけでなく血を吸うとき、噛み付く部位も左右対称だということに最近になって気付いた。

 同一になるように組み立てられたというが、生活を共にしていると大分零菜とは異なる思考、行動をする。表情もまったく違う。よく似た双子というのが現状だろう。おそらくは生産者の意に反しているのだろうが、これが健全だ。空菜も、今は零菜に取って代わろうとか乗り越えようとか思っているわけではないようだ。

 それから、あまり会話がないままに三時間余りが過ぎていった。凪は自室で漫画や小説を読み漁ることで時間の大半を潰し、空菜は五時半頃から夕食の支度に動き始めていた。

「凪さん、ご飯できましたよ」

 と、声をかけられたのがついさっき。

 リビングから漂ってくる芳しい香りは、それだけで食欲を刺激する。

 空菜が語ったとおりのレバニラ炒めが香ばしい匂いを纏った湯気を上げている。確かにレバニラ炒めはレバーとニラを炒めれば成立するから、味付けに何を使おうと料理する人間の自由。オイスターソースが入っていても、レバニラ炒めはレバニラ炒めなのだという主張は頷けるし、口に運んでこれはこれで美味いと宣言できる。チンジャオロースを思わせる味付けなのも、むしろ好みかもしれない。普段、食べなれたレバニラ炒めとは異なる味わいがそこにはあった。

「魚介って、これ牡蠣?」

「はい。安かったです。残念ながら養殖物ですけど」

 殻を皿にした焼き牡蠣。海と養殖技術に恵まれた暁の帝国ならば、日本よりも比較的安く本来は高級であるはずの魚介類を手に入れることができる。今回は牡蠣が安売りされていたらしい。

「そういえば、テレビで養殖牡蠣が豊漁だったとか」

「養殖だと時期を選びませんしね」

 大きな身の牡蠣だ。

 一口で食べるのがもったいないと思えるほどだが、それを敢て一口で食べるのがいいのだとばかりに凪はぺろりと食べてしまう。ほどよく火の通った牡蠣は口の中で溶けるように独特甘味を出して消える。

 今日の献立のメインとなるのは、オイスターソースで味付けをしたレバニラ炒めと焼いた牡蠣の二点になるだろう。

 その他、摩り下ろした山芋の炒りゴマ乗せ、きくらげと干しえびの鶏がら中華スープ、アスパラガスとブロッコリーを添えた千切りキャベツと食物繊維もしっかり取れる献立となっており、おかずはとても豊かだ。

「やっぱり、料理上手いな」

「そうでしょうか。わたしは与えられた知識を使っているだけですよ」

「それでも、知識を実際に使えるかどうかは別物だろ」

「そうですね。それは、確かにそうです。知っていても、失敗してしまうことはありましたし」

 空菜はこの家に来たばかりの頃を思い返しているのだろう。

 知識ばかりで実践できなかった頃。最初の一週間は文字通りの試行錯誤の日々だった。

 それこそ、身体の大きな子どものようで目が離せなかったものだ。一応、名目上は妹という扱いなのだ。まだ、というか今後も妹という実感は湧かないんだろうが、心配することは多かった。

「そういえば、学校」

「ん?」

「クリスマスには何もしないんですね」

「どうしたんだ、急に」

 凪は空菜の発言の意図が分からず、尋ねてしまう。

「漫画とかではクリスマスには学校を挙げたイベントを行うのが常。萌葱さんに借りたゲームでもそうでした。ですが、わたしたちの学校にはそのようなイベントはなく、彩海学園にもないとのこと」

「そりゃあ、クリスマスなんて学校には関わりないイベントだからな。うちは公立だから創立記念日もないし、世間のイベントなんて、学校にはほとんど関わりないだろ」

「そういうものですか」

「ファンタジーの中だけじゃないのか。俺はクリスマスに何か学校行事を入れるってとこに心当たりはないな」

 凪が答えると、空菜はちょっとだけがっかりしたような表情を浮かべる。

 以前は、表情筋が死んでいるのではないかというほどに表情に乏しかった彼女だが、徐々に感情表現を豊かにしていっている。

 カタン、と物音がしたのはそのときだった。郵便物が届けられたのだ。取りに行ってみると、一通の封筒が郵便受けに投函されていた。

 差出人は、暁夏音とある。

「夏音さんから?」

 珍しいこともあるものだと凪は驚いた。

「何事ですか?」

「夏音さんから手紙だよ。今時珍しい」

 今時は大概がメールや短文投稿アプリを使用する。夏音さんは、そういった機械よりも手紙のような前時代的な伝達手段のほうが似合っているようには思うが、実際に彼女から直接何かしらの連絡が来るのは初めてのことではあって、それがますます不思議だった。

「とりあえず開けてみれば?」

「そうだな」

 不思議がっていても仕方がない。

 凪は開封して中から手紙を取り出した。

 丸みを帯びた丁寧な字で書かれた便箋と、業務的な文面の印字された通知がそれぞれ二枚ずつ入っている。

「クリスマスパーティーがあるんだと」

「クリスマスパーティー? 暁家主催で、ということですか?」

「ああ、そうみたいだな。その招待状だそうだ」

 そういえば、例年この各国の大使らを集めてクリスマスパーティーを催していたように思う。零菜たちも、パーティーの最初には最低限出席させられていた。凪は案内は貰うものの、基本的に出席しないでここまできた。

「凪さん、どうするのですか?」

「あー……まあ、保留」

 クリスマスの予定などないが、要人が集まるような場所に出席するのは気が引ける。皇族から外れた昏月家は基本的には一般人の家庭なのだ。

 凪から手紙を受け取った空菜は、興味深そうに文面に目を走らせている。

 空菜も招待されている。

 いつも通りに不参加を決め込むかどうか、空菜の反応を見てから決めてもいいかなと凪は思うのだった。

 


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