二十年後の半端者   作:山中 一

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第四部 二話

 昏月空菜が一人で暁家を訪れるのは、これが初めてのことになる。遺伝的には暁零菜とほぼ同じ。多少獣人などの因子を組み込まれているものの、外見はあえて零菜に似せて作られていることもあって、傍目からすれば零菜が帰ってきたのと区別をつけるのは難しいだろう。

 二人をよく知る者であれば、仕草や表情から区別をつけることも可能だろうが、そうではない他人が空菜と零菜の違いを見分けることはまず不可能だ。

 そのため、マンションに入ってからも空菜は零菜と間違われて挨拶をされることが多々あって、やや辟易していた。

 生まれて半年も経たない彼女だが、それなりに人格が形成されてきたのか快と不快の違いが明確になってきた。

 とりあえず、零菜と間違われるのは心底嫌だということが最近になってはっきり自覚できるようになった。

「わたし何かした?」

「特に何も、ええ、何もありませんでした」

 零菜が怪訝な顔で空菜に聞いてくる。

 顔に出ていただろうか。

 零菜への敵意は、そもそも初めから存在しない。命令を忠実にこなすことはホムンクルスとしての絶対正義だったわけで、それも自分の性能を正しく示すことができた時点で達成している。零菜はただ巻き込まれただけの被害者だと言えるだろうし、空菜もまた生命科学と魔術の実験の末に生み出された憐れな生命の一人でしかない。

 昨今の生命倫理の説からすれば、こう考えられるだろう。

 作られた本人からすれば、どこか違和感を覚えるわけだ。

 己の幸運や不運は他人に評価されるものなのだろうかと。確かに一般常識に照らし合わせれば幸福ではないかもしれないが、憐れまれるほどでもないだろう。実際、普通に生活しているわけで、身体に問題を抱えてはいるものの、それも時間をかければ解決できる程度である。

 集合場所は夏音の自宅。

 といっても、マンションの一室であり隣人もまた古城の妻の部屋である。ここは姉妹たちにとっては自宅にも等しい。とことこと歩き回っている二人の四歳児(瞳と夏穂)が、穏やかな休日の午後を演出している。

 この家に今いるのは瞳と夏穂、空菜に零菜、そして別室に麻夜と結瞳だ。大人は夏音がついていて、下の二人の面倒を見ている。

 零菜と空菜は同じ空間にいながら、あまり話をしない。

 無理もない、と空菜は思う。

 零菜からすれば、自分の遺伝子情報から作られたホムンクルスなど気味が悪いだけだろう。まして、凪を人質にして戦いを挑んできた相手だ。仲良くしろというほうがどうかしている。だが、暁家の家風はそうではなかった。空菜を昏月家で引き取り、適当な距離を置くことで事件そのものをなかったことにしてしまった。零菜の感情の矛先は、どこに向けられることもなく彼女の中に燻っているに違いない。

 それについて空菜は文句を言う立場にない。

 敵意がないだけましだろうか。

 零菜も人がいい。空菜を拒否するのではなく、彼女なりに受け入れようとはしているようだ。そうでなければ、空菜の視線に問いを投げかけるようなことはしないはずだ。

 耳を澄ませばゴトゴトと物音が別室から聞こえてくる。確か、そこは和室になっていて真新しい畳の匂いに包まれた落ち着きのある部屋だったはずだ。

 と、そんな風に空菜が思いを馳せていると和室の引き戸がスライドして、麻夜が出てきた。

 暗い紫を基調としたドレス姿だ。細身ながら出るところの出ている麻夜に合わせたオーダーメイドである。

「麻夜ちゃん、可愛い……」

 零菜が思わず感嘆の念を込めてため息を零した。

「そう? ありがと、零菜」

 麻夜はこうした服に慣れていないのか、自分のドレスをあちこち見ている。

「うーん、何かこれ、下がすかすかするんだけど」

「普段ズボンで過ごしてるからじゃない? 制服のときだって、下に短パン履いてるじゃん」

「それは零菜だって同じじゃん。スカート脱いですぐに体育に出られるようにってさ。みんなやってるって」

 気に入らないとばかりに麻夜はドレスのひらひらを摘む。

 麻夜とて女子だ。こういったキラキラひらひらとした服が嫌いなわけではないが、それを自分が着るとなると抵抗感があった。

 普段から着飾らないタイプだからか。どうしても気恥ずかしさが勝ってしまう。

「とりあえず、写真撮ろう写真」

 零菜がスマートフォンを取り出す。カメラ機能を即座に起動させ、麻夜にレンズを向ける。

「ええ、撮らないでいいよ、恥ずかしい」

「いいじゃん、可愛いって。どーせ、後でみんなで写真撮るしさ」

「だったら零菜が着てからでいいよ。今撮らない」

 麻夜は手を振って零菜の撮影を拒否する。

「今撮らなくてもいいけど、座るときは注意してね。皺になるといけないから」

 和室の中から結瞳が声をかけた。

「あ、はい。結瞳さん」

 クリスマスパーティーは友だち同士で集まるような小さなものではない。各国の大使やその縁者も招待される規模の大きなものであり、政治的な色合いも強い。麻夜たちもまだ子どもではあるが出席しなければならないのだ。世界のパワーバランスを左右するとも言われてる暁の帝国は、領土こそ小さいものの世界的全体から見ても重要な国である。好を通じたい国は、友好国として縁を結んでいる国以外にも多々あるのだ。粗相のないように、ドレスの準備も抜かりなく進めなければならない。

「じゃあ、次、零菜ちゃん来て」

「はい、お願いしまーす」

 呼ばれて零菜は和室に入っていく。

 零菜と入れ代わりで出てきた麻夜が、空菜が座るソファの肘掛のところに腰掛けた。

「ここに座らないのですか?」

「そこ座ると、後ろがだめそう」

 彼女の言わんとすることは分かった。

 背凭れもあり、普通にソファを使用するとドレスに皺がつくのではないかと気にしているのだ。肘掛のところであれば、触れる部分は最小限に抑えられる。

「空菜はどんなドレスにしたんだい?」

 空菜もクリスマスパーティー用のドレスを注文していた。彼女にとって初めての経験だ。どのような場所なのか、どのような話をして、どのようにパーティーが進んでいくのかも分かっていないまっさらな状態だ。

 それどころか、クリスマスすら空菜はよく分かっていないので、本番ではとりあえず外国語は話せない設定にして会場の隅で大人しくしていようと考えているところだった。

「空色のドレスにしました。下のほうがそんな長くなくて、膝が出るかでないかくらいのものですね」

「動きやすそうでいい。僕のこれなんか、どうやって走れって言うんだって感じでしょ?」

「そもそもドレスで走ることを想定する必要はないのでは?」

「それもそうなんだけどね。普段が普段なもんだから、動きやすいかどうかで考えちゃうんだよね」

 運動が大好き。

 年がら年中走り回っているような生活をしているのが麻夜だ。身体能力は非常に高いし、スポーツ面での成績は姉妹の中で一番上だ。

「それはそれとして」

 麻夜は自分で振った話をあっさりと変えて、背凭れに腕を回して身体を捻り、空菜のほうを向く。

「凪君は今日、どうしてるの?」

「一日暇を持て余していると思います。いつもの休日ですね」

「そっか、まあ、そうだろうね」

 凪は休日だからといって積極的に遊びまわるような人間ではない。ほとんど家の中にいるか、近くの店にぶらりと立ち寄るかくらいのものだろう。友人がいないわけではないが、休みに約束をして一緒に出かけるということはしないタイプだ。

「ねえ、空菜」

「はい」

「そこ、何かついてるよ」

「ん?」

 麻夜が指差したのは空菜の袖の先のほうだった。

 今、空菜が着ているのは秋用の長袖だ。白いワンピースの上から薄い桃色のカーディガンを羽織っている。そのカーディガンの袖に薄らと赤黒い染みがついていた。乾燥した絵の具のようだ。

「血だね」

「そうですね」

「拭ったときについた?」

「そう思います」

 取り立てて隠すようなこともなく、淡々と空菜は答えた。

「目ざといですね」

「目に入っただけ」

 麻夜は小さく笑みを浮かべて、

「ここに来る前に凪君の血、吸ったんだ」

「そうですね」

「いつも吸ってるのかい?」

「はい」

 あっさりと空菜は認める。

「一日に二度、朝と夜に血を吸わせてもらっています」

「い、一日二回? ……さすがに、多くない? 毎日って、ちょっと」

 麻夜が珍しく動揺した。

 吸血行為は吸血鬼にとって特別なものだ。麻夜だって、まだ一度しか血を吸ったことはない。

「恐らく、わたしが一番吸血経験があるでしょうね」

「どうして、毎日血を吸う必要があるんだい? ちょっと多すぎるような気がするよ」

「わたしの身体の事情です」

「身体の?」

「わたしはもともと軍事面で活用するために作られたホムンクルスですから、反乱を防ぐために色々と仕込まれているのです。例えば、一定時間血を吸わないと急激に消耗して動けなくなるとかです」

「そんな都合のいい話……」

「あるから困っているんですけどね。まあ、凪さんの血を吸えるので役得ですけど、本来はマスターの血に縛られる形になるのです。わたしが最初に血を吸ったのは凪さんですし、凪さんが今のわたしのマスターと言ってもいいかもしれませんけれど」

 何でもないとばかりに白状した空菜に麻夜は複雑そうな視線を向ける。

「麻夜さんも、以前に凪さんの血を吸ったのだとか」

「一回だけだよ。そんな、何回も吸ってない」

「多分、頼めば吸わせてもらえますよ。あの人、もう慣れてしまってるみたいですし、基本受身な人ですから」

「そんな簡単に言わないでくれるかな。うん、僕にも色々とあるからさ」

 げんなりとした顔つきで麻夜は言った。

 何も事情がないにも関わらず吸血を頼むと言うのは、それ相応な仲でなければならないことだ。

 麻夜と凪は決して不仲ではなく、空菜が現れるより前であれば最も接点の多い異性ではあっただろう。しかし、だからといって吸血させてくれとは言えない。それが性に纏わる話題だからだ。空菜はそういった現代吸血鬼としてのいろはを知らないということと、血を吸わなければならない身体だという二点から吸血行為が日常生活の中に組み込まれているというだけなのだ。

 よって、空菜と同じ感覚で麻夜が凪に迫るわけにはいかない。

 魅力的な提案ではあるだろうし、頼めば血を吸わせてくれるという部分についても賛同する。凪はその辺りを深く考えてはいないだろう。彼はお人よしなのか考えが浅いのか、よほど自分が不利にならない限りは無茶振りにすら付き合ってくれる。

 そういうところは信頼できると麻夜は思っているし、一緒に暮らしている空菜もまた短い付き合いながらも見抜いていた。

 

 

 

 

 

 ■ 

 

 

 

 

 夏から秋を経由せずに冬になったような感じすらする今日この頃、凪はぶらぶらと街を歩いていた。冬といっても、十度台中頃。日本ならばまだ肌寒いと感じるほどでもないのだろうが、暁の帝国は南国であり夏の暑さに身体が慣れている国民はこれくらいでも寒気を覚えることもある。凪としては涼しくていいのだが、ふと見れば薄手ながら長袖を着ている者もいる。

 街はもうじきクリスマスだ。

 当然、どこもかしこもイルミネーションに彩られ、煌びやかに飾り立てられている。

 今年は凪の予定も埋まっている。

 帝国主催のクリスマスパーティーに参加することになったからだ。

 高尚なパーティーに自分は似つかわしくないと思いつつ、招待されたのだから顔は出さないといけない。従姉妹から誘いのメールが何通か着信しているということもあり、今更行かないとも言えないのだった。

 書店にでも行こうかと大通りを歩いているときだった。ふと、視界の片隅に違和感を覚えたのだ。風景が多少盛り上がっているような気がする。

 人の邪魔にならないように端に寄り、自分の目の錯覚ではあるまいかと焦点をずらしつつそこを観察してみる。

 道行く人々はまったく気付いていない。違和感が視界にも入らないとばかりに無視をして歩いている。ならば、凪の気のせいなのかと言えば、どうやらそうではない。

「姿隠しの魔術か」

 魔力まできっちり隠している辺り相当鍛えているのだろう。姿を隠す魔術は様々な種類があるが、総じて街中での使用は制限されている。犯罪に用いられやすいという簡単な理由があるからだ。それをあえて街頭で使っているというのは、よほど後ろ暗い理由があるのだろう。

 さて、どうするか。

 どうやらあの影に気付いているのは凪だけのようだ。

 放置して犯罪が起きたら目も当てられないではないか。観察していると影が動いた。凪はいつでも通報できるように携帯の画面を操作した上で影を追跡する。彼我の距離はおよそ三十メートル。人込みの中という動きにくい環境下では容易に逃げられてしまう距離である。姿隠しの魔術を使うからには、魔術での追跡も難しいだろう。凪は引き離されないように注意して、その後ろをついていく。

 風景に浮き上がる違和感を追いかけるのは中々難しいことではあったが、凪には霊眼がある。先読みの霊眼は、普通の人間よりも取得する霊的情報が多くなる。魔術に対して鋭敏な反応を示すのは、その最たる特徴の一つでもある。

 人並みをすり抜けて、何者かは路地の中へ消えていく。

 大通りから一つ入れば、そこは巨大なビルの狭間。一日中影に包まれた薄暗く細い通路だった。区画整理によって誕生したそこは、結局店が軒を連ねることもなく、大通りの喧騒から遠ざかってしまったのである。

「こんなところに」

 凪が踏み込めば、相手にもそれと分かってしまうかもしれない。

 大通りのように人影に隠れることもできない。日中でありながら、疎らな人影しかないこの場所では中学生に過ぎない凪は悪目立ちする。

 レンズを通して歪んだかのような風景が動いている。それは途中で十字路を右に折れて消えてしまう。

 追いかけなければならない。そう思った。凪は決心して影が消えた十字路まで来て足を止めた。

「行き止まりか」

 十字路に見えたのはビルとビルの間を通る通路であり、そこは道ですらなかった。人が一人通れるかどうかという細い通路は室外機や粗大ゴミで半ば塞がっている状態だ。目を凝らすと、人影は粗大ゴミを越えて、先を進んでいる。真っ直ぐに進めば、明るい通りに出ることができる。

 凪は影を追いかけようとして一歩、足を踏み出して動きを止めた。

 理屈ではなかった。

 通りに向かう人影。

 風景の中に浮かび上がる半透明なレンズのような何か。視界に映りこむ余分な染みのようなものに違和感を覚えた。自分が追いかけてきた何かと、今目の前にいる何かが微妙に違うような。

「ッ――――」

 凪は咄嗟に学生カバンを頭の右側を守った。

 衝撃がカバンを通り越して頭に届く。

 何か棒のようなもので殴られたのだ。

 凪はすぐに姿勢を低くして、横薙ぎの攻撃を躱し、カバンの中から警棒を引き抜く。凪の霊力を食らって瞬時に硬化した警棒は襲撃者の棒と激突して火花を散らす。

「いきなり、何すんだ……!」

「そちらこそ、人の後をこそこそとつけ回すとは不審極まりない!」

 目の前にいたのは竹刀袋のような長い革製の袋で凪に殴りかかったままの姿勢を維持する少女だった。

 第一印象は白。

 白銀のサイドテールに幼さを残すものの凛々しい顔立ちだ。鼻筋がよく通っていて、目は大きくぱっちりとしている。抜けるような白い肌の北欧系の美少女だったが、話す言葉は綺麗な日本語だった。

 ――――というか、

「まさか、クロエ?」

「な……ッ」

 彼女は驚きのあまりに大きく目を見開いた。

「何故、わたしのことを……! まさか、わたしが大使館から逃げ……外出したことを知って追いかけてきた者か!?」

 ぐい、と彼女――――クロエ・リハヴァインは興奮したように力任せに己の武器で凪を突き飛ばす。

「ちょ、まて、クロエ。クロエ姫! ストップ、俺だって!」

「問答無用! どこの誰か知らん、いやなんか見たことがある気がするが、不審人物(ストーカー)は記憶ごと強制排除だ!」

 魔力が竹刀袋に集まっていく。あの中には長柄の武器が隠してあると思われ、それがクロエの魔力を吸って凶悪な兵器に変わりつつあるのだ。

「覚悟!」

「お、俺だって。昏月凪だ! 従兄のッ!」

「うぬ?」

 びたり、と黒い袋が凪の鼻先で止まる。

「凪?」

 首をかしげたクロエは凪の顔をじろじろと見てくる。

 それから、二度目の驚愕。また目を見開いて数歩下がって、隠しようもない長柄武器を背中に隠した。コホンと咳をして、それまでとうって変わった淑やかな笑みを浮かべた。

「どうも、お久しぶりですお兄さま。日本では男子三日会わざれば刮目して見よと申しますが、最後にお会いしたのは三年も前のこと。一目でお兄さまと見抜けず、ご挨拶が遅れましたこと平にご容赦ください」

「お、おう……」

 まったく別人になったかのような切り替えに凪は相槌を打つことしかできなかった。

「ところでお兄さまはお昼はもうお済になられましたか?」

「……まだ、だけど」

「ああ、そうですか。それはよかった。実はわたしもなのです。如何でしょう、再会を祝して一緒にお昼を楽しむというのは? ええ、それがいいです。このような路地裏で立ち話など、わたしとお兄さまには相応しくありませんものね」

 早口で一気に捲くし立てた後で、クロエは凪の手を取った。挙句、腕を組んでくるではないか。

「……どういうつもりだ?」

「ふふ、後できちんと説明します。まあ、大した理由はありませんが、暫しお付き合いください」

 嫣然と微笑む彼女。

 これが、今年中学に上がったばかりの従妹との三年ぶりの再会だった。

 




クロエが萌葱と同じ髪型なのは、一国の跡継ぎという点で萌葱と接点が多いから。

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