二十年後の半端者   作:山中 一

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第四部 六話

 迎賓館の裏口から出た凪は、近場の自動販売機で麦茶を買った。

 大きくため息をつく。

 知らないうちにずいぶんと疲れていたようだ。

 大仰なパーティは柄じゃない。実際、ただの中学生である凪にとって、こうした催し物に参加する機会など皆無だった。第四真祖の血縁者ではあっても、立場は一般人と大差ない凪は、ここ数年はパーティや会合とは無縁で過ごしていた。小さい頃ならば、また話は変わってくるのだが、それも昔のことだ。

 近付いてくる足音が聞こえて、そちらのほうに視線を向けると銀糸を夜風に靡かせる二人のアルディギア人がいた。クロエとアレックス。二人とも、ドレスから目立たない私服に着替えての登場だった。

「そこまでして?」

「人目は避けたいだろう。これでも、衆目を集める立場だと理解しているつもりだ」

「そりゃ、まあ、そうだけど」

 クロエの衣服は薄い桃色のワンピースとベージュ色のカーディガン。どこにでも売っていそうな、特徴のない服なのに、彼女が着用すると瞬く間に華やかになる。だが、アレックスが持っている長い竹刀袋はどうにかならないものだろうか。間違いなく武器の類が入っている。この前クロエが持ち歩いていたものと同じだろう。

「兄さんも着替えればいいのに」

「そうだな。着替えればよかった」

 そう言いつつも、実際には難しいだろう。クロエとアレックスの服は、まだパーティに顔を出しても溶け込めるラインを維持しているが、凪の私服では無理だ。黒のパーカーでパーティに出席しても不審者になるだけだ。

「服屋にでも行くか? この辺りに良い感じの店が何件かあると姉さん達に聞いたんだ。特に萌葱姉さんのオススメの店があっちの通り沿いにあるみたいだぞ」

「その店なら知ってる。テレビで何度か紹介されてたな」

 萌葱がどの店のことを言っているのか、凪にはすぐにわかった。

 若者の間で話題になっている海外ブランドの店だろう。大手デパートに出店したり、広い敷地に展開するのではなく、小型店舗を狙った土地にピンポイントで出店する戦略を取り、対象となる購買層を的確に集めている。経営戦略という点からも、テレビや雑誌で取り上げられる機会の多い店だ。ファッションに拘りのない凪ですら、名前くらいは聞いたことがあるほどだ。

「でも、ダメだろ。最低でも公園の中にはいないと後で何を言われるか分からん」

「真面目だな、兄さんは。頭が固い」

「これくらいは普通だろ。なあ、アレックス」

 腰に手を当てて不満げな表情を見せるクロエの隣でアレックスが苦笑する。

「真、その通りかと。クロエ様はもっとご自身の立場を自覚して欲しいところです。これではいつまで経っても目が離せないままです」

「わ、わたしは子どもか」

「はい。疑いの余地なく。気侭に行動しては周囲を振り回す。とても大人とは言えません」

「うぅ」

 にこやかにダメだしをするアレックスにクロエは引き気味だ。

 見た目だけはすっかり大人っぽくなってしまったクロエではあるが、中身はまだまだというところか。アレックスも未成年ではあるが、王宮の警護を代々司り、自分もその道を進むと幼い頃から当たり前のように自覚して生きてきただけに、肝が据わっているというかしっかりしている。クロエにとっては姉貴分。まず、アレックスに窘められると反論できずにしょぼんとしてしまう。

「堅苦しい空間から逃げるにしても、迎賓館から出たくらいじゃな。かといって、護衛がすぐに動けない場所に勝手に行くわけにはいかないだろ。素直に公園の中を散策するくらいが関の山だな」

「真っ暗ではないか。わたしはもっと賑やかなところも見てみたい」

「無茶言うなよ……この時間にいきなりそんなとこに繰り出せるか」

 ただでさえ目立つ容貌なのに、人前に簡単に出ていいはずがない。凪の常識的な考えは、往々にしてお姫様達に通じないことがあるのだが、クロエもその例に漏れない。

 もっとも、クロエ自身、普段から多少抑圧されているので、地元を離れたことで気分が解放的になっているという面は否めない。

「明日じゃだめか」

「抜け出すことに意味があるのだ。抜け出すことに」

「そうかい」

 さて、どうするか。

 正直に言えばクロエに付き合う理由もないわけで、ここでアルディギアの誰かに声をかければそれで終わる話ではあった。ただ、それはそれで心が痛む。一緒に出てもいいと言って抜け出してきたのだから、その時点で凪も同罪である。

 言っても聞きそうにない従妹に困り果てた凪はアレックスと視線を交わす。彼女もため息を付きそうな顔つきで、しかし楽しそうに微笑を浮かべている。

 アレックスもアレックスで状況を楽しんでいるような気がする。

 公園の中でクロエの興味を引きそうなところ。凪には一箇所しか思い当たる場所がなかった。

 

 

 

「で、うちに連れてきたって」

 凪の前に佇むのは大柄の男。

 周囲には十五名ほどの武装した男女がそれぞれの仕事に励んでいる。主に監視カメラのモニターチェックである。

 全員、特区警備隊の隊員であり、攻魔師資格を持つ者もいる。

「たく、凪よぉ。いくらなんでもいきなりアルディギアのお姫様連れてこられたら、こっちは大変だぞ」

「ですよね。いや、分かってはいたんですけど」

 今年で二十七歳になる吉岡信二は、凪にとっては攻魔師の先達であり那月を通せば兄弟子となる。凪が那月の無茶振りを受けた時にはしばしばサポートに回ってくれていたりもしているのだ。その縁を頼り、公園内のテントで警備に当たっていた信二に連絡を取ってクロエを連れてきたのである。

「しかし、こんなむさい場所に来たがるってのはな。いや、そういえばうちの姫さん達も似たようなところはあるか。でもなあ」

 うーん、と信二はクロエとアレックスの後姿を眺める。

 機材を興味深そうに見ているクロエは対応する職員にあれこれと質問を投げかけている。

 アルディギア王国の姫であり、第四真祖の娘でもあるクロエは暁の帝国の特区警備隊からしても護衛対象である。普段関わりのある姫達と異なり、他国にも影響があるので緊張感が違う。

 クロエとアレックスに対応している女性職員は事務方だそうだが、かなりの若手。今にも泣きそうである。

「お前も兄貴分なら、きっちり面倒みてやれよ」

「いや、そりゃ勝手に街中で歩かれるよりはずっといいじゃないですか。ここの方がまだ」

「そりゃあな。何かあったらこっちの責任になっちまう。まあ、そういう時に謝るのは上の人間だけどよ。お前のおかげで俺達のところにも飛び火しかねないことになったけどな」

「すみません」

「いいさ。ほっといてどっかいかれても困るのは事実だしな」

 クロエとアレックスが着ている服は、どうやら特殊な魔術迷彩が施されているらしい。服に織り込まれた物ではなく、服の上から魔術をかけたのだろう。術式の一部に日本伝統の隠れ身を流用している辺り、多分アレックスの忍術なのだろう。

 透明化するのではなく、視線をずらすタイプの魔術だ。メリットはそのまま他者から識別されにくくなることだが、その一方で事故に遭遇しやすいという簡単なデメリットが存在する。車の運転手から認識されないのだから当たり前である。

「多分、飽きたら戻ると思います」

「ああ。ま、見られて困るような物品は、ここにはないからな。好きなだけ見て回って、迎賓館に帰ってもらえればそれでいい。俺達としても良い暇つぶしになる」

 決して暇ということはないはずだが、信二は堂々とそんなことを言い放つ。

 護衛の仕事の中でも対象者にぴったりと張り付いているわけではないので、することといえばモニターチェックか機材の確認くらいのものだろう。緊張感を維持するのは最低限の原則ではあるが、それを朝から晩まで常に貫き通すのは人間である以上は難しいだろう。

 クロエがしたかったのは要するにしがらみからの解放だ。

 アルディギア王国関係者のいない場所でのびのびとしたかっただけだろう。そう思ってここを紹介したらばっちり嵌った。

 アレックスも敷地内かつ暁の帝国の特区警備隊のテントということで文句なく付き合ってくれている。

 公園内部に点在する特区警備隊とアルディギアの王国騎士団の護衛部隊の拠点の位置は、凪も把握している。それくらいは頭に入れておけと、怖い教官に資料を送られていたからだ。

 その上で、迎賓館からほどほどの距離にあるこのテントを対象としたのは知り合いがいることに加えて、クロエが迎賓館から離れたいという思いがあるだろうと踏んだからだった。

 クロエ自身も、おそらく分かっているのだ。

 だが、素直に檻に入れられる性格でもない。聞けば、母親のラ・フォリア女王も似たようなことをしていたと聞く。

 伝統といえば伝統か。

 むしろ、ラ・フォリアに比べて言うことを聞く分だけクロエのほうがまだましという話も以前、アルディギアの御老体から聞いたことがある。

 お転婆で年頃のお姫様が相手では、どこの国も苦労するのだろうと凪は他人事のように考えていた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 迎賓館の一室はアルディギア王国に所属する騎士団の最前線だ。

 室内には多くの機材が持ち込まれ、床には足の踏み場もないほどに多種多様なコードが這っている。

 無線ではどこで傍受されるか分からないという至極単純で、必要以上の厳戒態勢が敷かれているのである。

 如何なる敵が攻めてこようとも、即座に対応できるだけの戦力を迎賓館周辺に展開している。特区警備隊と合わせれば、吸血鬼の旧き世代が束になってかかってきたとしても撃退できるだろう。

 それだけの戦力を用意しても、内側からの不意打ちには対応できない。それは、歴史が証明していることではある。

 厳戒態勢が機能していたのも、ほんの十数分前までの話だった。

 今や、アルディギア王国騎士団の最前線は崩壊したも同然の有様だった。

 倒れ伏した騎士は十三名。外傷はなく、昏々と眠り続けている。立っているのは、三名の男だけだった。

「計画通りとはいえ、自分が属する騎士団がこの有様というのは泣けてくるな」

 縛り上げた部下を部屋の片隅に放置してアーロンは吐き捨てるように言った。

「仕方ないでしょう。まさか、上司に薬を盛られるとは思ってもいないはずですからね」

「立場というのは便利なものだ。屈強な騎士も、それだけで大人しくなる」

 騎士は本来戦場の華であるべきであって、邀撃騎士や近衛騎士もまた王族を守るために身命を賭して戦う存在である。

 そして、アルディギア王国にはもう一つ、人類を魔族から守る盾としての役割もあった。

 王国が成立してから数百年以上に亘って、戦い続けたアルディギア王国の立ち位置は、人と魔の戦いが終息しつつある現代にあって大きく意味合いを変えてしまった。

 アルディギア王国が吸血鬼に屈したと一部の人間は影で言う。

 そのような悪評を、女王は平然と受け入れている。

 だが、女王が受け入れていても下の者まで受け入れているわけではないのだ。

 これまで、どれだけ多くの血が吸血鬼のために流れたか。あの女王は知らないわけではないだろうに、自分の我欲を優先し国体を変え、人の精神を腐らせた。

 吸血鬼に対抗する人の盾であることを誇りとしてきたアーロンにとって、今のアルディギア王国の惨状は見るに耐えないものだった。

「吸血鬼どもの動向は?」

「第四真祖とその妃達は全員ホールにいますが、姫達がそれぞれ別々に行動しております。クロエ姫も監視の目を潜って外に出たようです」

「腐っても女王の娘か」

「もっと大々的に動かせれば、そちらにも人員を割けたのですが」

「致し方ない。取り逃してはならんのは第四真祖と血の従者だ。クロエ姫の優先順位は低い。見つけ次第始末するにしてもだ」

 第四真祖と血の従者は超強力な眷獣を振るう。万が一、一人でも逃せばその時点で詰む。

「このまま決行すればいい」

 長い年月をかけて集めた賛同者は百人ばかり。かなりの数だが、それでもクーデターを起こすには少ない。

 最大限に自分たちの力が発揮できるように道具も運び込んでいる。そういったことができる立場に今のアーロンはある。

「よろしいですか?」

 部下の問いかけに、アーロンは静かに頷いた。

 よくここまでやってこれたと感慨深そうにしながら。

「では、始めます。これよりホール内に限定し、空間凍結封印術式を展開します」

 合図とともに強力な魔術が作動する。

 パーティ会場のホール内に仕掛けられ、巧妙に隠蔽された魔法陣が即座に展開した。アルディギア王国から――――厳密にはアーロンが指示をして運び込ませた贈答品が基点となって、会場全体が瞬時にして凍りついた。

 勝負は一瞬だった。

 この一瞬にすべてを注いだアーロンとその部下の根気と覚悟が勝敗を分けたともいえる。

「空間の凍結を確認しました」

「さすがに何人かは気付いたようだが、まあ遅すぎたな。致命的に」

 モニターの内部には灰色に染まった空間が映し出されている。

 パーティ会場の時間の流れが停止してしまったかのような状態だ。第四真祖も、その妻たちもそして運悪く居合わせた参加者達も揃って凍り付いてしまっている。

「フェーズ1完了です」

 どっと、アーロンは椅子に座り込んだ。

 強大な吸血鬼を倒すには心臓か脳を潰すしかない。しかし、それ以上の真祖クラスの怪物が相手となると心臓を潰しても頭を潰しても復活してくる。そのため、無力化は封印処理するのが有効な解決策であった。

 ドアがノックされる。

 決められたリズムで四回。

 返事を待たずに想定していた人物が室内に入ってきた。

「まずは作戦成功をおめでとうございます。正直、ひやひやしながら見守っていましたよ」

 現れたのは黒髪の女だった。

 二十代中頃だろうか。

 美しい顔立ちではあるが、ナイフのような怜悧な目つきは物好きな男でも遠ざかるだろう。そういうのが好みならば、むしろ寄ってくるかもしれないが。

 彼女が肩に担いでいるギグケースにアーロンは視線を向ける。

「そちらも上手くいったようで何より」

「おかげさまで第一に回収すべきものは手に入りました。それで、身柄の引渡しは予定通りでよろしいですか?」

「構わん。我々には価値がないからな。予定通り封印変更が進めば、姫柊雪菜以下元日本人はお渡しする」

「そうですか。では、予定通り事が運ぶのを期待しています」

 表情を変えずに淡々と女は言う。

「元剣巫として、彼女達に思うところはあるのか?」

「いいえ」

 女は答えた。

「顔見知りでもないと?」

「顔は知っています。話をするほど歳が近いわけではありませんので、遠目に見たことがあるという程度です」

 女はギグケースを背負いなおし、ねめつけるような視線でアーロンを見た。

「暁零菜を取り逃がしたのは失策だったのでは?」

「そうかね」

「ご存知でしょう。あの吸血鬼には槍の黄金(ハスタ・アウルム)があります。凍結魔術に対するジョーカーになりえます」

「そうだな。それについては、すでに魔女共が動き出しているところだ。私の部下も向かっている。もともと、あの魔女は暁零菜を喰らうために参加したようなものだ」

「そうですか」

「信用ならんといった顔だな」

「計画に若干の遅れがあるのは事実です。効率を考えれば、子ども世代をより多く封じるべきでした。まあ、雲が出てきたという不運があるにしてもタイミングを見誤ったと言われても仕方ありません」

「辛らつだな。ああ、事実は事実として認めよう」

 第四真祖に通じるほどの強力な封印術をホール全体に一瞬でかけるには、それだけ多くのエネルギーを必要とする。しかし、ここは暁の帝国内であり、そして竜脈は帝国が掌握している状態だ。利用できるエネルギー源は自ずと空に求めることになる。

 星を利用した魔術は遥か古代から用いられている。凍結封印にも、星を利用したが天候に左右される以上計画的な運用には不向きだった。

 それをあえて計画に取り入れたのは、それ以外に手がなかったからである。

「そろそろ特区警備隊が動き始めるころだ。それを持って逃げるとなれば、参加者に成り代わることもできないだろう」

「ご心配なく」

 そう言って、女は踵を返した。

 女が扉を開けると、外から銃撃や爆発音が響いてくる。逃げ遅れた人達の悲鳴が耳に突き刺さる。

「無遠慮な女でしたね」

「闇から闇を渡り歩いた女だ。油断はならんぞ」

「獅子王機関の生き残りですか」

「あれは政府に拾われたからな。散り散りになった剣巫と剣巫候補生の中ではまだマシな人生だっただろう。もともと身寄りのない人間を集めて戦士に仕立てた組織出身だ。政府も表立って雇用はできんから、結局は裏家業以外に生きる道はなかったようだ」

 日本政府子飼の退魔暗殺部隊が獅子王機関の実態だとアーロンは思っている。実際、そのような活動をこなしていたのは事実だ。権力争いに敗れた組織の人間の末路の悲惨さはアーロンとてよく知っている。とりわけ、表に出せない超法規的活動をしていた組織となればなおのこと。

 もちろん、それはこれからの暁の帝国関係者にも言えることだ。

 第四真祖がいなくなれば、この国は国としての体裁を失う。逃げ延びた姫は姫ではなくなり、真祖の力を分け与えられた血の従者達もそれぞれの引き取り先で相応の扱いを受けるだろう。アルディギア王国は騎士団主導の下で王政を管理する。ラ・フォリア女王は引き続き女王を続けてもらいつつ、復活するアルディギア王国の象徴として御輿とする。日本側はどう扱うつもりかは知らないが、暁の帝国の知識を欲しているはずだ。

 強力すぎる封印術のせいでしばらくはアーロン達もホールには入れない。少しずつ封印を小規模化して、小分けにしていく作業が必要だ。

 その時間を稼ぐために、護衛のために必要という名目で多数の兵器を持ち込んでいる。

 さて、後は何人の姫が逃げ延びるか。

 関心があるとすれば、そこくらいか。

 

 

 

 


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