暗転する。
天地は意味を失い、前後左右は境界をなくす。視界は失われ、手足の先から冷たくなっていく。血の気が引き、膝の力が抜けた。
「な、何してるの!」
誰かの声が聞こえた。
板張りの廊下を慌しくかけてくる。
頭の奥に音が響く。どうやら、倒れこんだらしい。泣き声と人が集まる音が響く。
「何てこと。救急車!」
「貧血か。まずいぞ、うちに輸血パックがあったな」
「あなたたちは離れていなさい」
大人たちの騒がしい声が頭に突き刺さる。
こんなにも眠いのだから、放っておいて欲しい。
ああ、もう睡魔がすぐそこまで迫ってきている。揺り篭に揺られているような心地よさ。身を委ねればすぐにでも深遠な夢の世界へ旅立てるだろう。
目を瞑る。視界は元より失われている。だから、これは感覚的なものにすぎない。大人たちの声も、すすり泣く誰かの声も遠く彼方に追いやって、一人、闇の中に沈み込んでいく。
魔力も霊力も基本は同じ。熱力学に囚われない不可視のエネルギーであり、あらゆる生命が生きていくのに必要な第一要素でもある。
食物から得る栄養素や、精神的充足感などを差し引いて、魔力や霊力が第一要素とされるのは、それが生命力という言葉で表されていることからも伺えよう。要するに、それそのものが生きるためのエネルギーであり、命そのものだということだ。そうでなければ、眷獣が純粋な魔力の塊でありながら意思を持つことなどありえない。意思を持つからこそ、魔力を持つのか、魔力を持つからこそ意思を持つのかは数多の哲学者や神学者が議論してきたが、一つだけ言えることは、魔力というのは、それ自体が命の源であるということだ。
腕の怪我は寝ている間に治っていた。
純粋な人間だった頃にはありえない回復速度だが、この身体になってから早五年。すっかり、慣れてしまった。
戦闘を終えた翌日、萌葱を学会に送り出した後で、凪は自宅近くの
毎週日曜日、凪はここで近接戦闘の訓練を受ける。四年前から続く、習慣の一つだ。かつての“魔族特区”とはいえ、
もちろん、そこには軍事訓練を施すという目的以上に、力の使い方を学び、人類と魔族の共存を推し進めるというものがある。魔族もそうだが、異能の力はたいていが生まれ付きのものだ。それを振るえない者との間に軋轢を生みやすく、暴走させやすい。幼い頃からの教育は必要不可欠なものだ。
「萌葱姉さんから腕を怪我したって聞いたけど、もう大丈夫なのかい?」
茶色みがかった短髪の少女が、凪の隣を歩いている。背の高さは凪の肩くらいで、スレンダーな体形だ。これから運動をするというので、凪と同じくジャージの上にプロテクターをつけている。
「寝れば大概は治る。つーことで、問題はないな」
「そりゃあ、結構だ。組み手とはいえ、僕も怪我人が相手だとやりずらいからね」
「なんだよ。もう勝った気になってんのかよ」
「まあ、優位性は常に僕にあるからね。本気になれば別だけど、君は組み手で軽々しく力は使えないだろう?」
「人に眷獣を使おうって時点で、反則なんだよ」
むす、として凪は視線を前に向ける。
飾り気のない廊下を抜けて、扉を開けると、開けた空間に出る。天井は高く、焦げ茶色のペンキで四方が色づけられている。魔力に対抗するための特殊ペイントだ。
ここは、魔術戦闘を想定した試合会場で、一見すればフットサルコートが三面分の広さの体育館だ。ここで、特区警備隊は日々訓練を行っている。
ドアの真横には、壁に背を預けてスキンヘッドの筋肉達磨の如き男が座っていた。その男は、訓練所に入ってきた二人を見て人好きのする相好を崩した。
「おお、麻夜ちゃんに凪の坊主。次か?」
頷いて答えたのは麻夜だった。
「はい。ここの第三コートを一時間ほどお借りする予定です」
「おおう、そうかい。若いってのに、真面目だねえ」
「秋月隊長もまだお若いでしょう」
「つっても、俺はもう妻子持ち。君らに比べりゃおっさんさね」
秋月は、特区警備隊の小隊長を務める男であった。十年ほど前から那月の部隊に属し、多くの事件に関わってきた猛者の一人である。
その秋月は、自分の汗を拭きながら立ち上がる。
「そういえば、今日は午前中に零菜ちゃんが来てたな」
「零菜が?」
「ああ。ここは使ってなかったけどな」
訓練所を使わなかったとなると、書庫辺りに顔を出したのだろうか。
暁零菜。
“第四真祖”の第三子に当たる姫にして、その戦闘能力は“第四真祖”の子供たちの中でも二回りは飛びぬけていると評される戦闘の申し子だ。
「ふうん。まあ、零菜がまだいるなら、一緒に帰るかな」
などと、麻夜は言う。麻夜と零菜は同い年の異母姉妹で、麻夜のほうが三ヶ月ほど後に生まれている。姉妹仲は良好だ。
「と、まずはこっちに集中か」
麻夜は腕の筋を伸ばしながら配置につく。凪はすでにコートの中央で、黒い棒を素振りしていた。
「遅れてすまない。凪君」
「別にいいよ。ウォーミングアップの時間は稼げたしな」
「ふふ、じゃあ、すぐに始めてもいいわけだ。負けても準備不足は言い訳にできないよ」
「そりゃ、こっちの台詞だな。隊長殿と立ち話したのは、言い訳とは認めねえ」
棒を麻夜に突きつける。
棒の長さは八十センチほど。対魔族用の特殊加工が施された警棒を剣術に合わせて長くしたものだ。特区警備隊の基本装備の一つである。
「うん、まあいいよ。といっても、戦うのは例の如く僕じゃないんだけどね」
そう言って、麻夜は三歩下がって魔力を炸裂させた。
「来て、ル・ノワール」
ズオ、と麻夜の魔力が渦を巻いて形を取る。
漆黒の西洋甲冑に身を固めた騎士。魔力によって召喚される、意思ある魔力の塊。暁麻夜の眷獣だ。
「いきなりソイツかよ」
ル・ノワールは、麻夜の眷獣の中でも打撃に秀でた眷獣で、メイスを武器として扱う。加減しやすいという点では剣や弓を扱う眷獣よりはいいだろうが、それでも凪と相対するには過剰戦力だ。
「壁を壊さない程度には加減するよ、怪我はしないでね凪君」
「余裕ぶっこくと、そっちが怪我するぞ」
凪は警棒を肩に担いで麻夜に言う。
試合の方式はいたってシンプル。
制限時間内に、凪が眷獣を潜り抜けて麻夜に警棒を突きつけるか、それとも麻夜の眷獣が凪を打ちのめすかだ。当然、この方式は凪が圧倒的に不利だ。麻夜を倒す必要がないとはいえ、眷獣と相対するのはそれだけで危険な行為である。
しかし、これは訓練だ。正々堂々のスポーツではないし、凪からしても眷獣との戦いはいい経験になる。
怪我をしない程度に、凪は全力でル・ノワールに向かっていった。
結論から言えば、凪は負けた。三勝一敗。麻夜の勝ち越しが確定した。
「ぼっこぼこにされて、ジュースまで奢らされるとか、訳が分からん」
直前まで仕合をしていたコートを見下ろしつつ、凪はボックスチェアに座った。
そこは、二階にある休憩場所で、廊下の一部に設けられている。大きなガラス窓から、コートの中を見下ろすように作られていて、四台の自動販売機が据え置かれている。ボックスチェアが纏めて置かれているので、行儀は悪いが仰向けに寝転がることも不可能ではない。
「ごめんごめん。僕も、夢中になっちゃってさ。でも、賭けは賭けだろう?」
頬にガーゼを張り付けた凪が、麻夜を睨む。
「途中から、ル・ジョーヌなんて持ち出しやがって。一対一じゃねえのかよ」
「あはは、ルールにはなかったなぁ」
手ぬぐいで頬を撫でながら、麻夜はいけしゃあしゃあと言う。
確かに、一対一なんてものは凪が勝手に思い込んでいただけだ。加えて言えば、凪対麻夜という視点ならばずっと一対一だった。
ル・ノワールとの戦いそのものは、僅かながらに凪が優勢だったのだ。それは、眷獣が本気になれば凪を殺しかねないということでの手加減もあったが、凪が上手く立ち回り、霊力を叩きつけて眷獣を弱らせたこともあった。
霊力と魔力は対消滅する関係にある。魔力の塊である眷獣には、霊力を叩き付けたほうが魔力で攻撃するよりも比較的効きやすいのだ。
さらに凪の母親以上に強大な霊力は、長ずれば神官が勤まると評されるほどのもので、その能力は突き詰めれば魔族の天敵として活躍できるほどなのだ。
それでも、眷獣と対消滅するほどの霊力を人間が発するのはまず不可能で、さらにそこに二体目の眷獣が追加されれば、圧倒的に劣勢となるのは目に見えている。
「喉渇いたかな。飲む?」
そう言って、麻夜はペットボトルをこちらに向ける。
「飲むって言ったら、くれんの?」
「もちろん。君と僕の仲じゃないか」
どこまで本気か分からない麻夜の言葉に、凪はため息をつく。ボーイッシュなのは母親譲り。とはいえ、明け透けすぎて最近、いろいろと困るのだ。身体のほうは、もうずいぶんと女性らしくなっているのだ。幼馴染とはいえ、これは目にも身体にも毒だ。
「いいよ。自分のがある」
凪は麻夜の提案を断って、自分の水筒をバッグから取り出した。常夏の国では、ペットボトルを持ち歩いていても、あっという間にぬるくなってしまう。
「なんだろうね。そういう風に断られたらそれはそれで微妙だなぁ」
「どうしろってんだよ……」
「間接キスとか、僕は気にしないよ?」
「少しは気にしろ。年頃の女だろう、お前は」
凪は、水筒の中の麦茶で喉を潤し、一段落つける。
馬鹿なことをいう従妹に、呆れつつ水筒を仕舞う。
「ふうん、そう」
「次はル・ジョーヌも纏めて倒してやる」
「それなら、三体目も召喚しちゃうかな」
「まじ、それは死ぬだろう。こっちが」
さすがに“第四真祖”の血を引く二世だ。眷獣の数で戦力が決まるというものではないが、平均的な吸血鬼に比べてもポテンシャルが異様に高い。それこそ、長く生きている“古き世代”に十数年で追いつかんとするほどだから、彼女たち“皇女”の才覚は目覚しいものがある。
単純な破壊力では、到底敵わない。
もちろん、物を壊すだけの眷獣ばかりというのも苦労する。使い勝手が悪すぎるからで、その点では凪の眷獣は優秀だ。主の命を削らなければ及第点は与えてもよかっただろう。
「そうだ、凪君。一つ、付き合ってくれないか?」
「どこに?」
「……そこは、冗談でも慌てて欲しかったかな」
よく考えていることが分からない。
麻夜は、ペットボトルの蓋を閉めて自分のショルダーバッグの中に仕舞った。内容物は、まだ僅かに残っていたようだ。麻夜の癖のようなものだ。ペットボトル飲料は、僅かに残して持ち歩く。曰く、「暴漢対策」なのだとか。
「とりあえず、僕は着替えてくるよ。汗をかいたからね。凪君も着替えるだろう?」
「そうだな」
「では、集合は玄関前にしよう」
好きなように言うだけ言って、麻夜は更衣室に向かっていった。
「しまった」
凪は膝に頬杖をついて呟く。
彼女がいったいどのような要求をしてくるのか、まったく聞いていなかった。なし崩し的に、同行が確定している。
麻夜の性格から推察するに、あまりけばけばしいところにはいかないだろう。バッティングセンターとかそこらに連れて行かれるに違いない。
凪は、ジャージから私服に着替えた後で、玄関に向かった。
女子の着替えは遅い。特に話をする相手もいなかっただろうに、凪に遅れることたっぷり十分、やっと麻夜がやってきた。
「ごめん、凪君。もしかして、かなり待たせたかな?」
「ん、いや。そうでもない」
麻夜の私服は、シックな印象の黒と紫紺を基調としたものだった。頭にはキャスケットを被り、Vネックのシャツの上から薄い長袖のカーディガンを羽織っている。可愛いというよりもかっこいいといった感じになっている。それにしても、ホットパンツから覗く引き締まった脚線美は、少々反則ではないか。さらに足元は厚底のサンダルで、健康的な肌の露出をしている。
対する凪は、いつも通りの黒パーカーだ。
「どうかした?」
「なんでもない」
凪は目を逸らし、空咳をする。
それから、麻夜はショルダーバッグを担ぎなおして、
「ちょっと、書庫まで行ってたんだ」
「書庫に?」
「うん、零菜がいるかもしれないと思ってさ。ほら、午前中にはいたって言っていただろう?」
「ああ。それで、いたのか?」
麻夜は首を振る。
「行き違いになったみたいだ。もしかしたら、君を避けているのかもしれないけど」
「何年前の話だっての」
「まあ、あんなことがあったからね。零菜にとってもショックだったんだよ」
凪は眉根を寄せて、自分の首を摩る。
「散々謝られたし、許す許さない以前に恨んでもない」
「でも、やっぱり顔を合わせずらいんだろうね。しかたないさ。気持ちは分かる」
同い年のいとこ同士とはいえ、年末年始の挨拶くらいでしか零菜と顔を合わせる機会がない。かつては、日がな一日一緒に遊んでいたこともあったが、ある事件をきっかけに関係は途絶した。
「で、どこに連れて行こうってんだ?」
「うん、とりあえず付いて来て」
麻夜が先導して歩き始めた。
日曜日の午後。マンションの立ち並ぶ住宅街を抜けてモノレールの駅に入る。
「中央までね。あの駅の近くに最近できた、黒猫堂って店。知ってる?」
「いや、まったく」
「そう? テレビでは割と取り上げられているんだけど、まあ、男子だからしかたないか」
つまり、女子なら知っている穴場スポットということか。
どのようなところか分からないが、そういった場所に連れて行かれるのは、なんだか不安になる。
モノレールにしばらく揺られた後、駅の改札口を出た二人は、寄り道もせずに真っ直ぐ目的地に向かった。
居酒屋が立ち並ぶ路地の只中。小さな十字路の角に建つ五階建てのビルの一階部分がそれだった。
「ここが、黒猫堂?」
そこは、赤レンガ風の外壁の、こじんまりとした喫茶店だった。内装は古風で、お洒落なアンティークショップでも経営できそうな雰囲気だ。
「とりあえず、凪君。何も聞かず、話を合わせて欲しい」
「うん?」
意味深長なことを言ってから、麻夜は凪を連れ立って扉を開ける。鈴が鳴り、店員が二人を出迎えた。おそらくは大学生くらいの女性店員。その、にこやかな営業スマイルをやり過ごし、案内された角席で向かい合った。
黒猫堂などという名前の割りに、猫を思わせるものは何もない。せめて置物くらいは置いておくのがいいのではないだろうかと思いながら、店内に視線を巡らせる。
やはり、女性客が多いようだ。カップルでの来店者もいる。
空調の整った喫茶店の中では、窓から差し込む強い日差しも暖かく思える。そういえば、吸血鬼は日差しが苦手だったはずだが、実際のところはどうなのだろうか。
「その迷信、本気で信じてるのかい? 親族として、それはどうかと思うよ」
親族とはいっても種族が異なる。最も、凪は半分は吸血鬼寄りの身体になってしまったが。
「俺は太陽光で、なんつーか身体が重くなる気がするんだよな」
「まあ、みんなその程度の苦手意識はあるよ。好きではないよね、やっぱり」
店員が持ってきた水で、唇を濡らした麻夜が言う。
店内のテレビでは、吸血鬼の芸人が、吸血鬼のあるあるネタをかましていた。
「ああいうの、人間からすればどうなのかな。僕らにとってはあるあるだけど」
「どうだろうな、言われれば納得、程度じゃないか。……吸血鬼の生活で想像できないことって、あまりないよ。知識としては知っているし、結局は実感が伴わないだけじゃないか」
「ふぅん、吸血は?」
「人それぞれとしか。人間だって、マムシとかすっぽんの血を健康にいいっつって飲むことあるだろ」
それはマイノリティではあるが、文化として血を摂取することがないというわけではない。
「それと一緒にはできないと思うよ、僕らの吸血は」
「分かってるよ。血を飲むって部分を拡大解釈しただけだ」
「血を口にするという点で言うなら、僕らは人間とは違う。むしろ、蚊のほうが近いと思うな。血を吸って仲間を増やしたいっていう部分ではね」
蚊の雌は卵を育てるために血を吸う。吸血鬼の吸血衝動は、性欲から来るものだとされる。根源的には次世代のための吸血だ。
そのため、吸血鬼は同性の血はあまり好まない。ホモとかレズとかそういうレッテルを貼られるからだ。マイノリティを除けば、同性に欲情しているなどと思われたくはないだろう。
「血を吸っても、仲間は増えないだろ」
「どうかな。上手く血の従者にしてしまえれば、その時点でチェックメイトだと思うけどね。何せ、わざわざ告白する必要もなければ、浮気をされる心配もない。血の従者は、主には逆らえないからね」
「性質が悪い」
「そういう吸血鬼も、残念ながらいる。それが、僕らの苦難の歴史を生み出す一因だったわけ」
血の従者。別名に血の伴侶とも呼ばれるそれは、吸血鬼の支配下に入った人間を指す。主からの魔力提供を受け、擬似的な不老不死となり、相性次第では主の眷獣を使役することもできる。永遠の命を持つ吸血鬼と定命の人間が永久に一緒にいる唯一の手段であり、吸血鬼と人間のカップルは、総じて血の従者を選択することが多い。
しかし、その一方で、血の従者は主となった吸血鬼には逆らえないという大きな危険が伴う。赤の他人を無理矢理血の従者にしてしまうことも可能なので、問題視されることも少なくない。
当然ながら、吸血鬼と人間が共生するために、吸血に関しても各国で法整備が進められている。
「緊急事態を除き、公共の場での吸血行為の禁止」であったり、「同意のない吸血行為の禁止」であったりが基本であろうか。日本国や日本国の法律を参考に整えられた“暁の帝国”の法律では、前者は「わいせつ物陳列罪」後者は「強制わいせつ罪」に準じた処罰が加えられる。
強制的に他者を血の従者にした者には、重い罪に問われるのは言うまでもない。幸いなことに血の従者は、人間から擬似吸血鬼への不可逆の変質ではないので、元に戻すことも不可能ではない。
「ま、吸血がどうこうって話は、吸血鬼同士でもあまりしないものだよ」
「そうなのか」
「うん。血が吸えるかどうかってのは、つまりはその対象がタイプかどうかだからね。輸血パックは別としてさ」
さらに言えば、その相手に欲情できるかどうかの議論だ。思春期の吸血鬼にとっては、恋バナに準じる話題なのだとか。
「ところで、オーダーは決まった?」
「ん、ああ。これでいい」
凪がメニューを指差す。アイスコーヒーだった。
「じゃあ、決まりだね」
麻夜はすでに決めていたらしい。呼び出しボタンで、店員を呼び出した。
店員は先ほどの大学生だった。
「ご注文を承ります」
「アイスコーヒー一つと、後はこの、期間限定カップル専用特盛りパフェで」
凪が目を見開いて口を開こうとすると、麻夜は狙い済ましたようにサンダルの踵で凪のつま先を踏み、捻る。「話を合わせろ」とはこのことだったのだろう。言外の圧迫感が凪に押し寄せた。
「なんだよ、カップル専用って……」
声を潜めて尋ねた。
「ここの特盛りパフェは男女二人組みでなければ食べられないんだよ。期間限定でね。安くてでかい」
「写真を見れば、それは分かる。なんで俺だよ」
「僕には凪君以外に仲のいい男子がいないからね。最後の手段はできるだけ使いたくなかったし、君が暇でよかった」
見た目もいいが血筋もいい麻夜に手出しできる勇気ある男子はまだ出てきていないらしい。いたとしても
「ちなみに最後の手段って何だ?」
「僕が男装して、部活の後輩を連れて来る。悔しいけど、まだ男子でも頑張れば通るからね。シンディ辺りなら、いいえさもあるし釣れるだろうね」
そういえば、麻夜はシンディと同じバスケ部だった。吸血鬼と人間なので、試合は別で行っているらしいが、練習では顔を合わせる機会も多いのだという。
「あまりシンディを煩わせないでやってくれよ……」
「その辺りは大丈夫さ。僕はこれでもいい先輩だからね」
「どうだか」
それから十数分後。
凪は、運ばれてきた巨大なパフェを見て絶句し、麻夜は珍しく目を輝かせてスプーンを取るのだった。