二十年後の半端者   作:山中 一

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第四部 十一話

 凪を取り囲む四人の少女は互いに互いを見つめている。

 凪の血を吸うことで、吸血鬼の力が大幅に増強される。そして、それが今後の戦いに必要不可欠であるというのは、確認するまでもない事実である。

 とはいえ、血を吸うには大前提として牙を凪に突き立てるという行為が必要になる。注射器などで血を採るという手もないではないが、この際その手段は保留だ。吸血鬼としては、やはり生身から直接血を吸い出すのが一番なのだ。彼女たちに流れる魔の本能は、より鮮度の高い血を求める。眷獣も凪の血ならば大喜びで力を貸してくれることだろう。クロエ以外の三人は、凪の血を吸ったことがあり、当然その体内に巣食う眷獣もまた凪の血の味を覚えている。事ここに至って血を吸わないという選択肢はなく、眷獣たちもまた宿主を急きたてるように興奮している――――ように思われた。

 しかし、それは本能の部分でのことだ。

 彼女たちは年頃の娘であって、知性ある正統な吸血鬼である以上本能に身を任せて凪の血を啜るのは、やはり戸惑われた。各々程度が異なるものの、恥じらいがブレーキとなっているのである。

 他人が見ている前で異性の首に噛み付くのはさすがに……という思いが彼女たちに一歩を踏み出させない。それは逆に言えば人の目がなければ何かと理由をつけて噛み付いていたということでもあるのだが。

 そんな張り詰めた空気の中で真っ先に動いたのは、やはり空菜だった。

 彼女の人生経験は浅く恥じらいは少ない。やるべきことがはっきりしているのであれば、足踏みする理由がない。ホムンクルスであるがゆえに、決断に持ち込む私情は少ないのだ。

「あ、ああ!」

 零菜が小さく抗議の声を上げるのを他所に、空菜は凪の首に牙を突き立てていた。

 空菜は凪に噛み付いたまま、じろりと零菜を見遣る。表情には表れないものの、どこか得意げで、勝ち誇ったかのような視線だ。そのように感じたのは零菜だけだったかもしれないが、とにかく零菜を挑発するかのような視線に、零菜は端整な顔を歪める。

「く、む……ぬぅ……凪君。ちょっと顔、逆向けて」

 ずんずんと凪に歩み寄った零菜がそう言うと、凪の頭と肩に手を置いた。

「おい、零菜」

 凪は零菜がやろうとしていることを察したが、零菜にきっと睨まれて声を失う。空菜は後ろから凪に噛み付いている。ならば、自分は前から噛み付いてやろう。勢いのままに零菜は空菜が噛み付いているほうとは反対側の首筋に噛み付いた。

「うぐ……」

 血を吸われ慣れている凪も、さすがに同時に噛み付かれたことはない。

 首の両側に牙を突き立てられている上に、両者が競うように血を吸い立ててくるので、全身から力が一気に抜け落ちていくかのようだった。

 おまけに、凪が抵抗できないように零菜も空菜もがっしりと凪の身体を掴んでいる。おそらくは無意識の行動なのだろうが、しがみ付くようして凪を固定している。

「ね、姉さん大胆すぎ……」

 顔をほんのりと紅くしたのは、クロエだった。もともと白い肌なので、尚の事紅潮が目立つ。

 なによりも彼女にとっては初めてなまで見る吸血行為だ。刺激的な光景に見えるのだろう。

「あの二人は慣れてるからねぇ……」

 麻夜の表情には困惑と呆れが入り混じった感情が浮かんでいる。確かに、この面々の中では零菜と空菜が吸血経験者として突出している。クロエはいまだに吸血経験がなく、麻夜は緊急事態に一度だけだ。「味わう」という余裕を持って凪から血を吸ったことがあるのは、零菜と空菜の二人だけなのだ。

 とはいえ、このままというわけにもいかない。

 何せ、これから麻夜とクロエも吸血しなければならないのだ。凪に微小ながら回復能力があるとはいっても、一度に大量の血を提供するのは厳しいだろう。

「はい、終わり終わり。零菜も空菜も後が控えてるんだからがぶ飲みしないで」

 麻夜はパンパンと手を叩いて、吸血に没頭していた二人の意識を引き剥がす。

「仕方、ないですね。じゃあ、交代で」

「あ、ごめん凪君。つ、ついね……あはは……」

 顔を真っ赤にして飛び退くように零菜は凪から離れた。空菜もそっと凪から離れて、麻夜とクロエの様子を見た。

「はい、じゃ、クロエ」

 どうぞ、と麻夜がクロエの背中を押した。

「ほあ! わ、わたし!? 麻夜姉さんが先じゃないのか!?」

「僕は最後でいいよ。クロエは、ほら、初めてじゃん」

「え、麻夜姉さんは」

「僕は経験者。一応ね」

 クロエは麻夜に突き出される形で凪の前に押し出された。

「だいたい、血を吸えっていきなり言われても、やり方分かんないし……」

「大丈夫です、クロエさん。凪さんはほら、わたしはしっかりと抑えていますから逃げません。後は、ここにがぶっと噛み付けば本能が何とかしてくれます」

 空菜が凪の頭を横に倒し、首筋を露出させる。

「抑えられなくても逃げないっての!」

「まあ、そうでしょうがそこは気分の問題ということで。安心感は大事かと」

 凪の抗議に空菜は手を離した。凪は首を鳴らして、クロエを見上げた。視線が重なって、クロエは恥ずかしそうに顔を背ける。

「えーと、クロエちゃん。大丈夫、最初は怖いかもしれないけど、噛んじゃえば後は自然と分かるから」

 零菜がクロエに声がけをする。

「時間もないし、ごちゃごちゃやってる場合じゃないよ、クロエ」

 麻夜からもそう言われ、最年少の王女は困り果てて凪に助けを求めるように視線を向ける。が、凪から何か言えることはない。凪は血を吸われる立場であって、クロエがその気にならなければ血の提供などできはしない。無理矢理彼女に血を与えるにしても、それは凪が自傷して血を流す必要がある。

「クロエ。君が騎士として国のために頑張るっていうのなら、ここでしっかりと準備をするのも仕事の一つだろう」

「麻夜姉さん……う、ぅ……それは、そうだが」

 いまいち一歩を踏み出せないクロエはあれこれと考えていたが、それも切羽詰った外の状況を思えば時間の無駄である。

 彼女もそれを分からないわけもなく、自ら頬を叩いて気持ちを引き締めると咳払いをして凪に向き直った。

「兄さん、よろしいですね」

 居丈高にクロエが言った。それが精一杯の虚勢であるということは誰の目から見ても明らかだった。

 クロエは深呼吸してから、凪に覆いかぶさるようにして体重を預けた。そうして、ついさっきまで空菜が噛んでいた場所について二つの傷跡を頼りに牙をずぶりと押し込んだ。

「いっつ……」

 凪が思わず声を漏らすと、クロエが慌てて口を離した。

「あ、すまない。痛かったか?」

「いや、大丈夫。続けていい」

「う、うん」

 クロエは今度は恐る恐る凪の首を噛みなおす。何分初めてのことなので、力加減が分からないのだ。

 しかし、それも束の間のことだ。クロエが分からなくとも本能が知っている。凪の血を一舐めした瞬間にクロエの脳内にはある種の閃きが迸っていた。それはつまり、どうすれば牙の先、血管の内側から熱い血潮を吸い出すことができるのかという決定的な方法であった。

 クロエは噛み付いたままで凪の肩を両手で押さえて姿勢を安定させ、そのまま彼の血を啜った。ごくりと一飲みすると、身体の奥底から火山の噴火めいた勢いで熱が噴出して身震いする。これまでに経験したことがないほどの幸福感と魔力の昂ぶり。

 クロエの中に潜む眷獣たちが十年以上続いた空腹を満たすために血液を要求しているのが分かる。

「あ、つい……」

 クロエは蕩けた表情を浮かべて、凪の肩に顎を乗せる。心臓がバクバクと脈打っていて、どうにもならない状況だ。落ち着くまで深呼吸が何度か繰り返す必要があった。

 クロエの吸血が一応終わったのだと判断して、最後に麻夜が歩み寄る。

「さすがに貧血気味なんだが」

「まさか、ここまできて僕だけナシとか言わないよね?」

「言わないけどさ」

 そのようなことを言える雰囲気でもない。断わるだけの理由もない。血を吸わなければならないという理由を打ち消すだけの道理がなければ、凪は断わらない。

 クロエと入れ替わった麻夜は凪の首筋を眺めて、

「やっぱ交互にいったほうがいいよね」

「どっちでもいい」

「ん、そう? 僕としてはやっぱり左右対称がいいんだよね……ん、じゃあ」

 初めからどこを噛むかは決めていたのだろう。麻夜はクロエが噛み付いたほうとは逆、即ち零菜が噛み付いた側に自分の牙を突き立てた。

「ん……」

 麻夜は一口目をじっくりと味わうように飲んでから、続けて三回喉を鳴らした。人生で二度目の吸血は一度目よりもなお鮮烈に麻夜の身体に火を灯す。紗葵と争ったあの日のことを思い出し、麻夜は内心で紗葵に謝った。思えば紗葵ほど激しく凪の血を求めた吸血鬼はいない。それが敵の眷獣に操られての行為であれ、凪の血をあれほどまでに吸いたがった紗葵がこの場にいないというのは、何という皮肉的な状況だろうか。

 血を吸って、自分の能力が強化されているのを確認した麻夜は凪から離れた。

 それを見越していたように、ドアが勢いよく開いた。那月だ。十分席を離れると言って消えた那月が戻ってきたのだ。

「血の補給は済んだか?」

 那月はイスに座ったままの凪と、その凪を取り囲んでいる四人の吸血姫を眺めて、単刀直入に尋ねてきた。

「一応」

 零菜が答えると、表情を変えることなく那月は頷いた。

「そうか。なら、お前たちの準備は整ったわけだ。後は凪の準備を整えれば、逆襲ができるな」

「俺の準備……?」

 凪は首を傾げる。

 ついさっきまで血と魔力を吸われた凪は、むしろコンディションを下げているような気がする。

 一人二人への献血ならばまだしも四人だ。中には雰囲気に流されて通常よりも多めに血を吸った者もいる。平均して一人当たりコップ一杯分程度の血を吸われている。常人であれば、貧血になって動けなくなっているところだが、幸いなことに凪はダンピールだ。血を吸われながらも回復しているので、彼女たちに纏めて血を提供することができていた。

 那月は凪の隣にふわりと転移して、ひらひらのついた黒い扇の先端をこめかみに押し当ててきた。

「動くな」

「はい」

 有無を言わせぬ迫力を湛えて、那月は言い放つ。凪に拒否権はない。教官の言は絶対である。

 那月がじろじろと眺めているのは、凪の首筋だ。

 零菜たちがそれぞれ思い思いの場所に刻みつけた八箇所の赤い噛み傷――――いや、その数はすでに五箇所に減じていた。

「治っているな」

「そうですか」

「わたしがお前の教導を受け持ったときよりも、傷の修復が早まっている。そうだろうとは思っていたが……」

「何です?」

「……馴染んでいるということだ」

「何が」

「これから説明する」

 深刻そうな顔をする那月に凪は生唾を飲んだ。

「那月ちゃん、さっきから何を……」

 零菜の問いに那月はすぐには答えなかった。とりあえず、全員座れと言って零菜たちを着席させる。

「説明を始める前に、一人追加だ」

 と那月が言うやドアが勢いよく開かれて、室内に少女が飛び込んできた。

「あっぶなッ!? ナツキちゃん、危ないッ!」

 どうやら那月の魔術でここまで引き込まれたらしい。つんのめった彼女は、しかしバランス感覚に秀でているのかすぐに体勢を立て直し、顔面と石畳の激突を避けた。

 身長は零菜よりも低いくらい。目測で百五十センチに届かないくらいだろう。特徴的なのはその髪色だ。襟に届かなくらいで切り揃えた彼女の髪は、金色を基調としていながら光の反射で七色に輝いているように見える。瞳は焔を思わせる輝きを宿した空色だ。

「もしかして、東雲」

 凪が驚いて名前を呼ぶと、東雲――――暁東雲はイエス、と親指を立てた。

「みんな久しぶり! そして、零菜。なんぞそのコスプレは! 可愛いな、可愛いな、すごく可愛いな!」

 メイド服を着た零菜にぴょんぴょん近付いていった東雲は、そのまま零菜に抱きつき胸に顔を埋めた。

「ちょ、ちょっと東雲ちゃん!?」

「ん、ぬ?」

 東雲は零菜の脇を両手で触り、それから胸を鷲掴みにした。

「にゃッ!?」

「去年よりもふかふか増してね。腰変わってないのに、おっぱいだけ成長してる……!?」

「な、な、変なこといきなり言わないでよ!」

 戦慄する東雲に零菜が抗議する。

「変というか事実だよね。え、あ、分かった。エロイことしてるな。一日何回したらこんなに成長するんだ。どうなんだ、これ。おい、ぽにぽにだぞ零菜。DいやEか」

「エロイことしてないし、掴むな揉むな!」

 零菜は東雲を突き飛ばすようにして距離を取り、胸元を隠した。

「いやあ、ついね。ごめんね。ほら、可愛いメイドさんがいたものだからついね」

 東雲は悪びれずに笑う。

「うん?」

 そして、その目は凪の後ろにいる空菜に向けられた。

「お! あなたもしかしてあれでしょ、零菜由来のホムンクルスだっていう……くーな?」

「はい。初めまして、東雲さん。お話は聞いてます」

 さっと空菜は凪の背中に隠れた。零菜に向けられた暴虐が自分に向くことを恐れたのだ。

「ねえ、東雲。君、いきなり現れてどうしたんだ? 飛行機が遅れてるって話は聞いてたけど」

 話が途切れたところを狙って麻夜が話しかけた。

 東雲はもともと第二真祖の領国内で生活していた。それがクリスマスにあわせて帰省する予定だったのだ。

「いや、それが、やっと空港に着いたら外が大騒ぎになってるじゃない。情報ないし全然動けないしで飛行機の中で待機してたら突然の監獄結界。我、大混乱」

「あ、もしかして那月ちゃんが席を外してたのって」

「ああ、コイツを迎えに行っていた」

「ナツキちゃん相変わらずで安心した」

 へらっと笑う東雲。第四真祖と第四真祖の間に生まれた正真正銘の吸血鬼。ある意味で、その存在は奇跡と言ってもいいだろう。もちろん、その身に宿す絶大な魔力は他の追随を許さない。まだ十五年程度しか積み上げていない固有堆積時間であっても、親が親なのですでに旧き世代に並ぶだけの力を持っていると目されている。

「うん、それで、凪ちゃんとみんなの酒池肉林は終わった? まだならわたしも参加したいなー」

「そこまでにしておけ。これからが本題なんだ、東雲」

「ん、はい」

 しぶしぶ東雲は空いたイスに座った。

「さて、これからの方針だが、暁古城以下迎賓館ホールに封じられた重鎮たちの救出には零菜と空菜を切り札として当たる。敵部隊のひきつけ役は麻夜とクロエ。当然、特区警備隊の各部隊との連携をして戦闘を行うことになる」

「特区警備隊の装備って、確か今……」

 凪が心配そうに呟く。

 敵に奪われた萌葱の眷獣の能力により科学技術は軒並みあの悪魔の支配するところとなっているはずだ。

「特区警備隊に限らずな。アルディギア側の兵器もごっそり向こう側だ。よって、こちらの武器となるのは魔力に対抗できる擬似聖剣の類や電子機器を積み込んでいない銃火器、そして吸血鬼たちの混成部隊だな。半世紀以上も前の装備で戦わなければならないのが萌葱の眷獣の恐ろしいところだな」

 これが科学技術を奪われた技術大国の姿か。

 確かに萌葱の力は恐ろしい。下手をすれば敵を一方的に殺戮することができるのだから。

「だが、そこまで心配する必要はない。ベルゼビュートから各方面に指示を出しているが、結局頭脳はあの魔女二人だ。やつらの処理能力は萌葱の眷獣を使いこなすには不十分だ。所詮は他人の力だからな。慣れるまで相応の時間がかかる。そこで、東雲でベルゼビュートを抑える」

「おっけー。わたし、眷獣使っていいのね?」

「ああ、きちんと加減ができるのならな」

「大丈夫大丈夫。南米での特訓の成果を見せてあげるよ」

 明るく、朗らかに東雲は言う。むしろ眷獣が使えるということが嬉しいとでも言うかのように。

「えーと、それで教官。俺は」

「お前は萌葱救出係だ」

「萌葱姉さん救出って言っても……」

「……分かっている。今のままでは無理だ。だから、お前はお前自身を知らなければならない。これからお前の封を解く」

「封?」

「お前が生まれたときにわたしたちで施した封印だ。お前の中に移した吸血鬼の力を抑えるためのものだな」

「は?」

 凪は唖然として那月を見つめた。

「俺の中の吸血鬼の力だって? いやいや、そんな話、今まで聞いたことないぞ!?」

「黙っていたからな。皆でタイミングを伺っていたが、そうも言っていられなくなった。状況も状況だが、お前自身が吸血鬼の力に馴染んでしまったからな」

「みんな?」

「皆は皆だ。親世代は全員、共犯だな」

 その発言に反応しないでいられる者はいなかった。

「まるで母さんたちが悪いことをしたような言い回しですね」

 麻夜が探るように尋ねる。

「その判断は難しいな。すでに善悪で判断できるものではなくなった。もっとも倫理的な問題は、確かに指摘されるところだろうがな」

 それから那月は深く息を吸った。

「凪。お前の母親がもともと病弱だったということは知っているな?」

「俺が産まれる前までの話ですよね? 物心ついてからは、入院したって話も聞きませんが」

「ああ。その原因を取り除いたのが十五年前だったからな」

「どういうことですか?」

「もともと、ヤツの体調不良の原因は第四真祖だったのだ」

「古城さん?」

「違う。あれはもともと人間だった。それも有名な話だろう」

「それは、まあ。先代の第四真祖を上書き(オーバーライト)したっていう噂は、よく出回ってますよね」

 古城がもともと人間だったのは過去の記録が証明している。隠せるものではなく、隠す必要もない。そうなるとどうやって第四真祖に成り上がったのかという問題が発生する。人間が吸血鬼になる方法。それは唯一、上書きすることだけだ。

 今でこそ第四真祖は親しみのある、実在する皇帝として認知されているが、二十年余り前までは伝説上の存在として御伽噺の中にのみ現れる破壊神として認識されていたという。

「上書きは事実だ。暁古城は先代第四真祖から第四真祖の力を受け継いだ。その先代こそが、そこにいる東雲の母親であるアヴローラだ」

 そこまでは特に不思議なことではない。詳しい説明こそなかったが、そうと察する機会は多々あった。アヴローラが第四真祖に関わる特別な存在であるというのは、子ども達の共通認識である。

「そして、アヴローラのさらに先代第四真祖が、凪。お前の母親だ」

「…………は?」

 凪は那月が何を言っているのかまったく分からなかった。

 凪沙は今も昔もただの人間であるはずだ。特別な力といえば、人並みはずれた霊能力であろう。だが、霊力があるという時点で吸血鬼というのはありえない。

「凪沙は強力な霊能力者だ。特に憑依系に強くてな。とある事件に暁古城と巻き込まれた際に、第四真祖に憑依されたのだ。いや、あれは自ら受け入れたというほうがいいか。ともあれ、暁凪沙という少女は第四真祖の人格をその身に宿すことになった。今から二十四、五年前のことだ」

「母さんが第四真祖の人格を宿した?」

「第四真祖はな、封印されていたのだ。それもただの封印ではない。基本人格となる原罪(ルート)と十二体の眷獣を封印するための十二体の人工吸血鬼の合計十三のパーツに分けられてだ。アヴローラ・フロレスティーナは十二体目の人工吸血鬼に付けられた名前だよ」

 母が人工吸血鬼と告げられても、東雲の表情に変わりはない。知っていたのか、察していたのか、それともそもそもそんなことに興味はないのか。

「それで、その封印のうち一つを母さんが解くなり何なりしたわけですか」

「ああ。そして凪沙に憑依した原罪は、その数年後に目覚めた。凪沙の身体を我が物とし、伝説に謳われる破壊の化身として活動しようとした。それを阻止したのが暁古城とアヴローラだったわけだ。アヴローラは原罪を上書きし、古城に第四真祖の力を託して消えた。最新の第四真祖はこうして誕生した。本来ならば、それで終わるはずだった」

「アヴローラさんは生きてる」

「ああ。消えかけたアヴローラの魂を、今度は凪沙が自分の体に受け入れたからな。巫女としての面目躍如といったところだな。そうしてアヴローラは消滅を免れ、そして新たに肉体を得て新生した。今に繋がる面々はこうして揃った。二十年前、この島が大きな転機を迎えたときのことだ」

「それで、母さんの体調不良の原因だったのは? アヴローラさんの魂はさすがに重過ぎると思いますけど」

「当時は、アヴローラの魂が凪沙の体力を削っているものと考えられていた。それは、九割方正しくてな、事実アヴローラが肉体を得てからは凪沙の体調も安定していた。それが崩れたのは、十五年前。ちょうど、暁零菜が生まれるかどうかという時期だったか……突然、凪沙が倒れた。原因は、第四真祖の原罪だった。あれはな、消えたと見せて凪沙の魂にずっと潜んでいたのだ。人格を失いながらも魂にしがみ付いた、原罪の欠片。だが、それでも人間の命を脅かすには十分だった。言ってみれば、毒のようなものだ。毒は毒抜きしなければならないが、地に落ちたとはいえ第四真祖の主要人格だったものだ。生半可な手段では凪沙を解放することはできなかった。そこで、当時凪沙の交際相手だった昏月が目を付けたのがプレイヤーだ」

 聞いた覚えのない単語に、凪は首を傾げる。周りに視線を向けるが、これといって反応がないところを見ると、皆知らないようだ。

「はい、那月ちゃん。プレイヤーって何ですか?」

 さっと手を挙げた東雲が那月に尋ねた。

 那月は十秒ほど黙っていた。何かしらの葛藤があるとでも言うように、目と瞑る。そして口を開いたとき、彼女はある種の覚悟を決めたのだろう。いつもの毅然とした態度で凪を見つめた。質問者の東雲ではなく、凪に対して答えたのだ。

「半世紀ほど前。まだ人類と吸血鬼が戦争をしていた頃のことだ。吸血鬼側がある研究に手を出した。ちょうど科学技術が急速に発達し、生命工学が所謂神の領域を侵し始めた時期だった。戦争を継続するには人手がいる。もしくはより強力な吸血鬼の存在が必要不可欠だった。吸血鬼は知ってのとおり、血を吸うことで本来の能力を発揮する。だから、血を提供するためだけに軍に招聘される人間も少なくなかった」

 特に夜の帝国にとっては吸血鬼は戦争の中核を担う強力な兵器であった。全人口の大半が人間であっても吸血鬼の国家として成立しているのは、吸血鬼の魔族としての圧倒的なポテンシャルによるものだ。その力を維持するために人間を徴発していたが、やはり人間の国家との戦争だ。戦意のない人間を多数戦場に連れて行くのはリスクが大きいというのは、古い時代からの課題であった。

「そこで、当時の吸血鬼の誰かが考えた。人間を連れて行くのではなく、もっと気軽に血を吸って力に変えることのできる生物を生産すればいいとな。当初はホムンクルスで代用しようとしたが、錬金術で生み出されるホムンクルスの血には吸血鬼の力を底上げする効果はない。必然的に、クローン技術を用いた吸血鬼に血を提供するための人工生命体の研究が始まった。それがプレイヤーの始まりだ」

「待ってよ那月ちゃん。その話が凪沙さんに繋がるの? だって、それじゃ……」

 零菜は凪を見て言いかけていた言葉を飲み込んだ。

 零菜が言わんとすることは凪にも分かる。けれど、今は那月の説明が先だ。

「続けるぞ。……吸血鬼に血を吸われるために作られる人工生命体というコンセプトはその後人間側にも継承される。夜の帝国は技術力不足で諦めたが、アルディギアは興味を持ったらしい。吸血鬼に血を吸わせることで、相手に呪詛や毒の注入ができれば敵を内側から瓦解させられるかもしれないと訴える者がいたようだ。まあ、戦争では時として信じられない阿呆な方向に兵器開発が進むこともある。まあ、費用対効果の観点と倫理面から研究は頓挫したがな」

「吸血鬼に血を吸われるための人工生命体……」

「プレイヤーとは被捕食者を指す。吸血鬼をその気にさせるある種のフェロモンを生成する能力を持った人造人間だが、結局はそこ止まりだった。兵器として扱えるほどの効果は期待できない」

 真面目に考えればそうだ。そんな突拍子もない研究が承認されたのは、それだけ当時の情勢が行き詰っていたからだろう。

「那月さん。結論をお願いします。凪さんは何者ですか?」

 静かに空菜が尋ねた。

「そうだな。――――凪、結論を言おう。お前は十五年前、わたしたちが死に瀕した凪沙を救うために、プレイヤーの技術を流用して造った人造人間だ」

「ッ……」

 凪は息を呑む。

 覚悟していたこととはいえ、自分が自分の思っていたものと異なる出生だったというのは、重い。

「この国にはアヴローラという人工吸血鬼のデータがあった。世界有数の技術大国であり、プレイヤーの研究データを握るアルディギアと同盟関係だ。実用化はせずとも、秘密裏に一人生み出すくらいは可能だった」

「古城君は、知ってたんだ。それ、ずっとわたしたちに隠してたってこと」

 零菜はショックを受けたように声を震わせる。

「そうだな。恐らくは我々この国の上層部の人間が初めてした『表沙汰に出来ない仕事』というヤツだろう。凪に関するデータは完全に削除され、凪沙が人工授精で授かった子という形で処理している」

 那月の一言一言が凪に突き刺さるかのようだった。

「最後に、凪。お前の力の正体だが、勘付いているだろうが第四真祖の原罪のものだ。わたしたちは『吸血鬼を惹き付ける』プレイヤーの性質を利用して凪沙から原罪の残滓をお前に移した。その後わたしたちは原罪の力を封じ、ただの人間としてお前の成長を見てきた。正直な、お前の中にある原罪がどういう形で作用していくのかまったく予想ができなかったよ」

「俺がダンピールっていうのも、嘘だった?」

「まあな。あれは暁零菜に噛まれた際に、封の一部が解れ原罪の力が漏れたことによるショック症状だと考えられている。おかしいとは思っていただろう。血の従者になり損ねたというにはあまりに中途半端だと」

「ああ、うん。まあ……気にはなってた」

 そして納得した。

 あのとき、治療室に運ばれる際の母の涙は凪の出生に絡んだものだったのだ。

「あの、一ついいですか、教官」

 凪は恐る恐る手を挙げる。那月が頷いたので、

「それで、俺は母さんの子じゃないってことなんですか?」

「どういう考えによるかだが、お前を生み出す際に凪沙の卵子と昏月の精子を用いている。血の繋がりという観点であれば、確かに凪沙の子だし、凪沙自身もお前を自分の子として育てるのだと言って聞かなかったからな」

「そうですか」

「それだけか?」

「それだけと言うと?」

「お前はわたしたちを非難し、訴える権利がある」

「いや、別に。それに、それがなければ俺産まれてないわけですからね……空菜だって、別に作った人を恨んでるわけじゃないですし、なあ?」

 凪は空菜に聞く。

 空菜も凪と同じく人工生命体だ。ホムンクルスとクローンという違いはあるが、人造人間というカテゴリには含まれる。

「そうですね。恨む理由がありません」

 さらりと空菜は言い切った。

「うん。大体分かりました。俺の原罪の力が萌葱姉さんを助けるのに役立つはずだってことですね」

「そうなる。やってくれるか?」

「もちろん。自分の正体がはっきりしてむしろよかった」

 凪は笑みを浮かべる。

 長年の疑問が解消したのだ。少々驚くこともあったが、だからどうしたという程度のものだった。

「あの、凪君。いいの、本当に?」

 麻夜が心配そうに聞いてくる。

「いいよ。どうしようもないし、どうこうすることでもないじゃないか。母さんはあのとき、俺のために泣いてくれた。目茶苦茶心配してくれた。それで十分」

 凪沙は心底から凪を自分の子として扱ってくれている。

 それは、これまでの生活の中で十分すぎるほどに感じているのだ。

「で、教官。原罪の力って、どうやって使うんですか?」

「封印を解けば自然と分かるはずだ。お前の身体には十分に原罪が馴染んでいる。凪沙のおかげだな。アイツから受け継いだ力が、原罪とお前を結び付けて融け合わせた。他の人間ではこうはいかなかっただろう」

 那月は人差し指を凪に向ける。

 淡い紫色の魔法陣が展開して、凪の身体を光が包む。

 凪は自分の身体の中に那月の魔力を浸透してくるのを感じていた。固く閉ざされた古びた扉が音を立てて開いた。そんな幻聴を、凪は確かに聞いたのだった。


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