二十年後の半端者   作:山中 一

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第四部 十四話

 遥か古代。まだ人間も魔族もおらず、まさしく野生が野生のまま繁栄していた時代。文明の光なき世界を生き、生態系の頂点に立っていた肉食獣。刃の如き一対の牙で獲物を仕留めたという。

 剣のような歯を持つ虎。その名を冠した青き炎が、戦場を一直線に引き裂いた。

 ずんぐりとした体形に似合わぬ颯爽とした動きはさながら豹のようであり、しかし力強い前足の一撃はヒグマの爪を思わせる。

 全長は優に五メートルを超え、灼熱の身体は鉄をも融解させる。特殊な術式で魔力に耐性を持たせているアルディギアの歩兵戦車が、触れただけで真っ赤に熱せられ、原型を留めることなく押し潰されていく様を、特区警備隊の隊員達は畏怖と尊敬の念を込めた視線で眺めていた。

 これこそ、ダーナの眷獣メガンテレオン。単純な攻撃性能は真祖に伍するとまで称される純粋攻撃型の眷獣であった。

 アルディギア軍が持ち込んだ戦車も砲台も何もかもを圧倒的な暴力で叩き潰していく。

「ほんとに久しぶりだねェ、ここまで眷獣を暴れさせられるなんて!」

 強力な吸血鬼は、それだけ制限も多い。眷獣の全力戦闘など、滅多なことではできないのだ。暁の帝国にやってきてそれなりになるが、メガンテレオンの召喚は三回しかしていない。

「後腐れなく、徹底的に全力でやっちまえ。人が乗ってない鉄屑ならいくらでも壊して構わん!」

 ゆえに派手に暴れさせる。

 メガンテレオンもまた、鬱憤を晴らすかのように縦横無尽に駆け回り、火の粉を散らして暴れまわった。

 爪が戦車の装甲を切り裂き、牙がゴーレムを砕き、熱と咆哮が装甲車両を粉砕した。

「ダーナさん!」

 部下が叫んだ。

「おう。あんた達、注意しな。ポッドのお出ましだ!」

 ベルゼビュートが支配した敵の兵器の中で、ダーナが目の仇にしているものがある。

 正式名称は不明なので、便宜的にポッドと呼んでいるものだ。見た目は白い金属の筒だが、どうやら中に吸血鬼が入っているらしい。

 それも、意識を奪われた吸血鬼である。ポッドは内部で吸血鬼を催眠状態に陥らせ、眷獣を兵器として利用する悪辣な人道に反する生体兵器だったのだ。

 同じ吸血鬼として、とてもではないが無視できないものだ。

「アルディギア軍の兵器というよりは、アルディギア解放戦線の連中のもんだろうが……何にしても気にいらんのよ!」

 轟、と熱風が舞い上がりメガンテレオンが飛び掛った。対応したポッドが召喚したのは真紅のコブラと氷の大鷲の二体。三体の眷獣の激突は余波だけで人工林を燃やしつくさんばかりのものだった。

「キヨ!」

「分かってますよ」

 新人隊員、暁の帝国生まれの十九歳清原清子は、緊張に唇を震わせながらも自分の眷獣を呼び出した。

「ミクマリ、おいで」

 現れたのは一メートル弱のアマガエル。これが大きな声で鳴くと、周囲に霧が立ち込めた。二回目の鳴き声で霧が晴れ、代わりに雨粒が降り出した。魔力を帯びた豪雨が人工林を打ち、飛び散る火花を消していく。

「そんなに長くは持ちませんから」

 清子は若い吸血鬼だ。水分を精製して雨として降らせるという希少な能力も、メガンテレオンの熱に負けないくらいの出力を続けていれば精神力が持たない。

「上出来だ! 救出班!」

「はい! 続け!」

 十人の工兵とその護衛がポッドに向かっていく。銃撃があったが、魔術で強化した盾を並べて必死に銃弾を防ぎ、また眷獣の援護を受けながらポッドの破壊と吸血鬼の救出作業に当たった。

 敵を叩き潰すだけならば、ダーナだけでもどうにかなりそうではあったが、何分囚われた吸血鬼を救出しなければならないという事情があるため進軍速度は緩めである。もちろん、派手に戦えば、それだけダーナに敵の攻撃が集中する。アルディギア解放戦線が持ち込んだ兵器の総量は不明だが、とても戦争ができるほどではないだろう。数に限りがある兵器をダーナに当てれば、それだけ別働隊が動きやすくなる。

 敵が仕掛けた凍結封印を解除するために、何としてでも零菜に迎賓館まで辿り着いてもらわなければならないのだ。

 ダーナの役目は、その道を切り開くことである。第四真祖救出の功は、彼の娘に任せる。別に戦功が欲しいわけではないし、そもそも救出戦などダーナの性分には合わない。やはり、こうして敵の眷獣と殴り合っているほうが、ずっと気分がいい。

 だから、感謝している。

 不謹慎極まりないことではあったが、メガンテレオンを暴れさせる機会をくれたことに対してだけは、アルディギア解放戦線もいい仕事をしたと誉めてやりたいところであった。

 

 

 

 

 地上で巨大なサーベルタイガーが火を吹いている頃、空には白銀の彗星が瞬いていた。

 それは一頭の天馬であった。

 その名はアルスウィズ。白亜の身体は世界を照らす太陽のようであり、その背には主である銀の姫騎士を乗せている。

 クロエは右手に聖槍ミスティルテインを握り、夜空を駆けている。

 鎧のように眷獣を身に纏う吸血鬼もいるのだ。クロエのように、騎乗する眷獣を持つ吸血鬼がいてもおかしくはないだろう。

 戦闘機とだって空中戦を演じることができると自負しているクロエではあったが、本格的な戦闘はこれが初めてだ。一気呵成に攻め立てて、敵の本陣を強襲できるとまでは思っていなかったが、敵の対空ミサイルや狙撃をやり過ごすのに手一杯で、いまいち活躍できていない。

「ミサイルで狙われるとか」

 三発のミサイルが背後から迫る。戦場は那月の結界の範囲に固定されているので、あまり高くを飛ぶことができないというのもクロエの戦い方を制限している。

「もっと広ければ、もっと速く飛べるんだけどな!」

 ぐちぐち文句を言っても仕方がない。空をぶんぶん飛び回って、敵の視線を集めるのも仕事のうちだ。

 アルスウィズが放つ電撃でミサイルを迎撃し、眼下でクロエを狙っている多連装ミサイルの発射装置を目掛けて雷撃を放たせる。

 いくつかの雷撃は防御術式で弾かれてしまったが、それでも一度に三箇所を攻撃し爆破することに成功した。

 どれだけ高性能なミサイルであろうとも、アルスウィズを捕らえることはできない。

 戦闘機よりも速く、ミサイルよりも運動性に優れた眷獣である。対抗するのならば、同様の空中戦闘能力を有する眷獣を出すほかない。

 それを、相手も分かったのだろう。支配された兵器に知能があるのかどうかはさておいて、状況に合わせて手を変えるくらいはできるらしい。

 ポッドから召喚された雷のコンドルや溶岩のトンボ、漆黒の巨大蝙蝠といった飛行能力を持った眷獣がアルスウィズに挑みかかってきたのである。

 コンドルの雷をアルスウィズの雷が相殺する。雷光の激突をすり抜けて、溶岩のトンボが飛んでくる。どれくらいの温度になるのだろうか。触れたらただではすまないということだけは容易に理解できる。

「ミスティルテイン起動」

 音声認証により、クロエの槍が眠りから目覚める。穂先が青白く光、石突まで光の線が無数に駆け抜ける。

「リバーサルシールド、前面展開!」

 クロエが穂先をトンボに向けると、ミスティルテインの前面に円形の魔法陣が現れる。特殊かつ高度な術式を搭載した新型退魔兵器。アルディギアの錬金術師が、神格振動波とは異なるアプローチで究極の退魔兵器を生み出そうとした意欲作である。

 魔法陣と正面から激突したトンボの頭が空気に溶けるようにして消える。熱も魔力も霧散して、身体の半分が消失したことで能力を失い失墜していく。

「よし、まずは一体!」

 襲い掛かる雷撃をミスティルテインで切り払い、アルスウィズを走らせる。

 背後から追いかけてくるコンドルは、かなりしつこい。速度もアルスウィズに匹敵する上に要所要所で雷撃を飛ばしてくる。保有魔力も相当のもので、クロエよりも高い能力を持つ吸血鬼が宿した眷獣であろう。歳若いクロエよりも強い吸血鬼などごまんといる。悔しいと思う気持ちはあるが、かといって卑屈になっても仕方がない。

 強いなら強いと理解した上で撃墜する。

「それにしても、うん、兄さんの血は凄いな。まるで別世界だ」

 今更ながらに思う。

 アルスウィズの能力が上がっているのを実感する。それにクロエ自身の力も大分底上げされているように思う。一時的なドーピングであっても、これは凄まじい効能だ。

 吸血鬼に生まれながら血を吸ったことのなかったクロエであったが、凪の血を吸ったことで眷獣が真の力に目覚めたということか。やはり吸血は吸血鬼の基本だったのか。身体がぽかぽかとして熱く、それでいて頭が冴え渡って多幸感に包まれている。今なら何だってできてしまえそうだと思えるくらいに気分がいい。

「こういうことか」

 学校の友人が言っていたことを思い出す。彼氏の血を初めて吸ったという吸血鬼の同級生が興奮気味に話していたものだ。世界が広がったようだったと。今まさにクロエはその世界を実感している。

「うん、よし、一気に行くぞ」

 さらに加速したアルスウィズは、進路を塞ぐようにして立ちはだかる蝙蝠に真っ直ぐに突っ込んでいく。

 ミスティルテインのシールドが前面に展開。そこに、蝙蝠から破滅的な超音波が叩きつけられた。

「ぬ、重……ぬ、くぬぉ!」

 勝負は一瞬。

 ミスティルテインに魔力を込めたクロエが、蝙蝠の超音波を押し切ってその下半身を消し飛ばしたのだ。

 恐るべきはミスティルテインの能力だろう。

 破魔の力といっても、それは多種多様千差万別存在する。ミスティルテインの能力は魔力と霊力の反転であり、魔力を霊力に、霊力を魔力に瞬時に変換することで敵の攻撃を対消滅させる効力を有する。

 吸血鬼なので魔力を扱うクロエだが、ミスティルテインはクロエの魔力を霊力に変換して敵に叩き込むことができるし、前面に展開されたシールドは敵の魔力を霊力に変換してしまう。

 するとどうなるか。

 眷獣であれば、自分の魔力が霊力に置き換わるため消し飛んでしまう。霊力と魔力は同一の性質を持ちながら互いに打ち消しあう関係にあるからだ。

 蝙蝠の眷獣もミスティルテインによって肉体を構成する魔力を霊力に変化させられたことで体内で自分の魔力と自分の魔力を反転させて生成された霊力が打ち消し合って消し飛んでしまったのだ。

 クロエはさらに身体の大半を失った蝙蝠に対してアルスウィズの突撃攻撃を上乗せしている。眷獣に限らず魔術で防御力を底上げしている要塞などにとっても、この連撃は致命的な威力を発揮するだろう。

 後はコンドルの眷獣を倒せば、迎撃に来た敵の眷獣は撃退したことになる。

 クロエはアルスウィズを走らせる。恐らくはコンドルを倒しても第二、第三の迎撃が行われるだけだろう。それでも、クロエが空をかき回している間は、ミサイルなどの対空攻撃の多くはクロエに割かれることになる。それだけでも、味方を大いに助けることにはなるのだ。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 鬱蒼とした人工林は、すっかり闇に包まれている。四方から吹き付ける風には多大な魔力が混じっており、火薬の臭いはツンと鼻を刺激する。爆発物の炸裂音や魔術や眷獣が発する魔力などが入り乱れて凪の感覚を惑わせる。

 今更ながらに大事になったものだと凪は内心でごちる。

 定義上は戦争ではないが、やってることは似たようなものではないか。実質的にはアルディギア軍と特区警備隊の最新装備を相手に戦わなければならず、それを使うのはアルディギア軍の騎士達である。事実上敵に操られている状態であったとしても、当初の予定では彼等精鋭がそのまま敵になっていたのだから性質が悪い。

 アルディギア軍の騎士を相手にするのと、ベルゼビュートに支配された電子兵器を相手にするのはどちらがよかったのだろうか。

 いいほうに考えるのならば、相手はアルディギア騎士の技術や知識を使うことができないというくらいだろう。電子機器を封殺された状況は、科学の国である暁の帝国にとってかなり痛い状況である。

「ねえ、凪ちゃん。萌ちゃんを助ける方法、分かってる?」

 東雲が声を潜めて話しかけてくる。

「分かってる。どうしたらいいのか、頭に思い浮かんでくるよ。力の使い方っていうのかな。何となく分かる」

「そう、ならいいんだけど」

 東雲はそっと自分の首をなでた。凪に噛まれたところが、むずむずした。気のせいだろうが、あれは誘った東雲にとっても少しばかり想定外だったのだ。

「ベルゼビュート。蝿の王か」

 失われた神話に語られる魔王と同名の巨大な悪魔。強大にして邪悪な悪魔の王としての姿容をそのままに体現しているかのようであった。

「わたしの眷獣よりもでっかいなぁ。大きさだけなら、父さんのよりも大きいかもね」

 東雲はどこか感慨深そうにベルゼビュートの巨体を見上げた。

「教官が抑えてくれてるのが幸いだったな。何だかんだ言っても、いかれた強さだからな。あの人は」

 今でも空中を飛び回り鎖を出しては悪魔を押さえている那月の分身体は、那月本人の力には及ばないものの、戦闘技術などは受け継いでいる。那月が操る分身なのだから当然だ。そして、戦闘経験の少ない研究職の魔女は那月に翻弄されるばかりである。

「といっても、悪魔を呼び出すだけの余裕はなさそうだし、わたし達でやるしかないか」

 吸血鬼の警備隊員にも余裕があるわけではない。もともと、第四真祖の帝国は吸血鬼の人口が少ないのだ。最新兵器が封殺された戦場に出られる吸血鬼となるとさらに限られる。まして、あの巨大悪魔と戦えるだけの力を持つ吸血鬼は、ごく一握りだ。

「こっちにも少しは人員を割いて欲しいところだな」

「仕方ないよ。優先順位を考えれば、迎賓館の奪還が上なんだから」

 東雲の言葉に凪は不快そうに顔を歪める。

 迎賓館に囚われた第四真祖達と各国要人。対してベルゼビュートに囚われているのは皇女とはいえ少女一人だ。国際的な立場も考慮し、第四真祖という国の支柱を救出することに人員を割かざるを得ないのは理屈としては理解できる。

 ベルゼビュート自体も、古城や妃達がいればどうにでもできる。萌葱の生死を問わないという判断を下せば、駆逐するのは難しくない。絶対に古城はそんな選択を認めないだろうが、選択肢としてその非情な結論が用意されているのを感じるのは、弟分として反発したいところだった。

「じゃ、わたし達で助けようか。囚われのお姫様を」

「ん。もちろん」

 凪は頷く。否やはない。萌葱を助けるためにここまで来たのだ。

 凪と東雲はすでにベルゼビュートの足元まで辿り着いている。後は敵の心臓部まで一直線に飛び込んでいくだけだ。

「道はわたしが作ってあげる。凪ちゃんはただ只管に、萌ちゃんに向かって走って」

 走るといってもどうやって――――。そんな疑問はすぐに解消した。誰でもない、凪の内側から声ならぬ声が教えてくれたのだ。

 焔に輝く瞳が漆黒の悪魔を見上げる。二人の魔女が操る空前絶後の大悪魔を、これから凪は切り崩さなければならない。困難な、極めて危険な仕事である。それも、萌葱を人質に取られた状態で。

「大丈夫。ベルゼビュートがああしていられるのも、萌ちゃんの能力を取り込んでいるから。萌ちゃんを殺してしまったら、あの萌ちゃんの眷獣は使えない。生きてさえいれば、凪ちゃんなら何とかなるでしょう?」

「……うん、そうだな。できる」

 確信はある。受け継いだ第四真祖にのみ許された能力は、萌葱をあの悪魔から必ず萌葱を救出することができるはずだ。

「まずはわたしからね」

 東雲が急速に魔力を高める。おどろおどろしく、それでいて太陽のように熱い魔力の投射。一秒と経たず、彼女の背後には身長三メートルばかりの白装束の女が現れた。

「ヨミ」

 ただ一言、彼女の名前を呼ぶ。

 応答はなく、小さな怨嗟の苦悩に塗れた虚ろな呻き声をもらすだけ。ヨミは異様なまでに長い髪の間から、真っ白な眼球のない顔を悪魔に向ける。

「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!」

 声帯はおろか肉すらついていないにも関わらず、ヨミが発した声は人工林を震わせた。恐ろしい、と本能が萎縮する。まるで幾千万の呪いの声を叩きつけられたかのようである。そこに意味はなく、ただ怖いという感情だけが湧き上がる。

 もともと、危機感を抱きにくい性質の凪にはさほど効果はないものの、通常の生物ならば嘆きの声だけで精神に変調を来たすことになるであろう。

「さあ、一気に決めてしまおうかッ!」

 東雲と同調した女の白骨は髪を振り乱した。艶やかな黒髪が伸びて蜘蛛の糸のように絡まりながら、無数の縄となってベルゼビュートの胴体に巻きついていく。

 凪はそれを見届けてから、魔力で編み上げた翼を広げて飛び立ったのだった。


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