二十年後の半端者   作:山中 一

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第四部 十七話

 アルディギア解放戦線によるテロから一夜明けて、暁の帝国に流れるテレビ番組はすべてこの事件の報道特集となっていた。 

 破壊の限りを尽くされた自然公園は、火災こそ免れたもののいくつものクレーターを作っており、所によっては基礎部分から修理が必要になった場所もあるだろう。

 この事件は、第四真祖とその夫人、多くの大使ら世界各国の要人が凍結封印されてしまったという点で、帝国側の警備体制に非難が集まったが、その後の奪還作戦に於いて救出対象に傷一つつけずに事態を沈静化させたという事実まで否定はできず、一日も経てば非難の矛先はアルディギア解放戦線へと向かっていった。

 アルディギア王国でも、武装蜂起があったようだが、暁の帝国での作戦が失敗に終わったと知るや武装勢力は士気を喪失し、次々と拠点を制圧されたと報じられている。

 結果、アルディギア解放戦線の捨て身の蜂起は一日で鎮圧されたのであった。

 テレビはどの局も同じ内容を報じている。クリスマスの華やかな話題もすっかり鳴りを潜めてしまった。一時は非常事態宣言が出されるほどの事件であり、その影響もあってか非常事態宣言が解除された今でも外を出歩いているのは報道関係者が大半だ。クリスマスを賑わす若者は、一部を除いて自宅に篭っている。書入れ時だと意気込んでいたであろう百貨店等は悲鳴を上げているに違いない。

 そしてクリスマスの夜を、凪は病院で過ごした。

 今年に入ってから、何回病院に運ばれたのか。事件に巻き込まれる回数が飛躍的に高まったこともあって、すっかり常連になってしまった感じがする。

「今回は、大して問題もなかったから良かったけどな」

「下手したら死んでたのは変わんないけどね」

 凪に宛がわれたベッドの隣の丸イスに座っている零菜が呟く。

 彼女は怪我もなく、魔力もさほど消費していなかったため簡単な検査だけで解放されたのだ。

「皆は?」

「大丈夫。凍結封印されてた人は、まだしばらく入院させられるみたいだけど、そもそも時間を凍結する魔術だから、身体への悪影響もあまりないみたい」

「そっか」

「そう。あ、でも萌葱ちゃんは事情が事情だし、入院、長くなりそうだって。それでも一週間くらいらしいけど」

「それくらいで済めば、いいほうだろ」

 萌葱は悪魔に身体の半ばまで取り込まれていた。その状態を目視したのは凪だけだが、命が助かっただけでも奇跡的だった。それが、たったの一週間で退院できる程度で済んだのだから、僥倖というほかないだろう。

「凪君の眷獣のおかげだってね」

「……ま、その源は古城さんの眷獣だけどな。俺のは、第四真祖の型落ちだから」

 時間逆行の眷獣。

 萌葱の身体を敵に囚われる前の状態に逆行させることで、悪魔に取り込まれた後に生じた問題をすべてなかったことにしたのだ。

 時間を戻し、今に直結させて過程を消し去る。極めて驚異的な能力であり、本来第四真祖の強大な眷獣にのみ許された力であった。

「凪君は大丈夫なの?」

「何が?」

「身体」

「ああ。それ、全然問題ないみたいだ。自分でも驚くくらいにね」

 凪は笑った。

 これまで、戦いが終わった後はいつもボロボロだった。敵からの攻撃ではなく、自分の魔力行使に肉体が悲鳴を上げてきたからだ。 

 今は彼の身体に傷はない。戦いの過程で生じた傷は、すべて塞がっていた。

「それは……」

 零菜は何と言うべきか迷い、口を噤んだ。

 凪の身体がどうなっているのか、具体的なところは何も分からないからだ。

 凪が、凪沙に巣食う吸血鬼の力を移すための器としてデザインされて生まれたのだということも、それを主導したのが自分の父や母たちであったということも零菜には受け入れがたいことではあった。

 そうなると凪の身体は本当に大丈夫なのかと疑ってしまう。もともと、眷獣の使用に耐えられない身体だったのだ。今回、那月が凪に施されていたという封印を解除して、吸血鬼として大きく飛躍した凪だが本質が変わったわけではない。

 彼の身体に傷がないのは、単に修復能力が高まっただけだ。今までよりも強力で多様な眷獣を使えるようになったのだから、肉体的な負担は大きくなっているのは言うまでもないだろう。

「そういえば、雪霞狼はどうなったんだ?」

「取り返せたみたいだよ。元剣巫だって、盗んだの」

「雪菜さんの知り合い?」

 零菜は首を振った。

「面識はないって。まあ、色々とあったんでしょ。全然抵抗しないで捕まったみたい」

 剣巫――――暁の帝国成立以前、日本で組織されていた退魔組織に属す戦う巫女だ。一般には知られていなかったが、徹底して秘匿された存在というわけでもなく、他国の上層部やテロリストなどはその存在を認識していたらしい。零菜の母親も、剣巫出身者だ。この剣巫も、その所属組織も今は失われている。政治闘争の末に獅子王機関は解体され、所属していた攻魔師たちは様々な道を歩むことになった。中には裏家業に身を落とす者も少なくなかったという。

「亡命とか、あるかもしれないな」

「どうだろうね。十中八九、日本は関わりを認めないだろうし」

 剣巫を送り込んできたのは、間違いなく日本なのだ。雪霞狼を取り戻すというのは、日本側が仕掛けてくる謀略の口実に使われる定型句だ。

 暁の帝国と日本の関係は、かなり微妙だ。暁の帝国内には、日本から見捨てられた。日本なしで発展してきた、という思いが渦巻いているし、日本国内には暁の帝国の持つ技術はもともと日本のものではないか、という気運が高まっているという。いい貿易関係を築いており、民間のやり取りは活発なのだが、片手で握手をしながら、もう片方の手はいつでも相手を殴れるように握り締められているという状況がここ数年続いている。

「しばらくは騒がしそうだな」

「そうだね」

 零菜は肩を落とす。

 元剣巫が、今回のテロに関わっていたという事実は両国間の緊張状態を悪化させる爆弾であった。

 今のところ、ニュースを度々騒がせてきたアルディギア解放戦線の息がかかった軍人たちによるクーデター……という扱いを受けているが、ここに国が関わっているとなると一気に国際問題に発展する。

 日本が最も近い隣国ということもあって、反発はあっても事を荒立てたくはないというのが冷静な意見なのだ。

 凪の病室を古城が訪れたのは、零菜がそろそろ帰らないとと腰を浮かせた時だった。

「古城君。病室抜けて大丈夫なの?」

「ん、まあ少しならとやかく言われないだろ」

 零菜が胡乱な視線を父親に向ける。

 一国の主が病院の中だけとはいえ、勝手にで歩いてもいいものか。第四真祖なので、粉々に身体を粉砕されても復活できる。よって、古城は入院する必要性がそもそもない。だが、それを病院で「証明」するまでは大人しくするべきではないか。

 そんな意図が込められた視線も、父親はどこ吹く風だ。生まれついての皇帝ではない。元々庶民。その感覚は、今でも抜けていないところがある。

「零菜、ちょっと席を外してくれないか」

「ん。もう帰るから」

「そうか。迎えは呼んだのか?」

「大丈夫。来てもらえるから」

 零菜はひらひらと手を振って答えた。

「じゃあね、凪君。後、古城君、ちゃんと凪君に説明してね。いろいろと」

「分かってるよ」

 実の娘に窘められて、古城は肩身が狭そうだ。

 外見だけならば、親子ではなく兄妹にも見える。古城の外見は二十代の前半くらいで止まっているのだ。

 零菜が病室を辞した後、僅かに気まずい沈黙があった。

 古城は徐にイスに腰掛ける。

「古城さん。どうしたんですか?」

「ああ、まずは礼を言わせてくれ。最近、凪には世話になってばかりだ。萌葱を助けてくれて、ありがとう」

「いや、そんな礼なんていいですよ」

 凪は自分がしなければならないことだから萌葱を助けに行ったのだ。

「萌葱姉さんを助けた力は、古城さんからもらったものだと聞きました」

水精の白鋼(サダルメリク・アルバス)……からの派生だな」

「たぶん、そうだと思います」

 凪の眷獣にできることは指定した範囲の時間を逆行させることだ。その範囲も十数メートル四方程度の限定された空間が限度だ。

 古城の水精の白鋼は、それこそ都市を丸々消し去ってもおつりが来るほどの強力な力を持つ眷獣だ。同じ効力であっても、力の差があまりにも大きいので「派生」という表現は、的を射ていないような気がした。

 凪の力は所詮は型落ちだ。第四真祖の眷獣から派生してこの程度ならば、恥じ入るばかりだ。

「萌葱は、来たか?」

「いいえ。まだ、検査とか色々とあるんじゃないですか?」

「ああ、まあ、そうか。さっき会った時に、凪のとこに行くように言ったから、そろそろ来てるんじゃないかと思ったんだがな」

「ん? なんで俺んとこに来るようにって?」

「助けてもらったんだ。一言礼を言うのは、当たり前だろ」

 古城がそうしているように、萌葱もまた凪に救われたのだから礼を言いに来るのが道理だ。

 特に礼を言われる必要を凪は感じないが、それが円滑な人間関係のやり取りに貢献するものなのだから、頭ごなしに拒否はしない。

 その時は、どうせ落ち込んでいるであろう姉貴分に何かしら言葉をかけてあげるかと凪は思う。

「那月ちゃんから聞いたんだってな」

 何をとは尋ねない。

 古城の深刻そうな顔を見れば、それが凪の出生の秘密に関する話だと想像もつく。

「プレイヤーってヤツですね」

「……ああ」

「母さんを助けるためだったと聞いてます」

「……そうだ」

 古城は実に言い難そうに声を絞り出す。

 凪沙に取り付いた第四真祖の力の残滓。原初のアヴローラの呪い。それを、凪沙に霊的に似た別の器に移す。それ以外に凪沙を救う術はなかった。

「プレイヤーの技術を流用したのは、それが吸血鬼好みだからですか?」

「察しがいいな。ああ、確かにそうだ。もともと、可能性の低い賭けだったんだ。プレイヤーへの力の移譲なら、成功率は上がるはずだったからな」

 そうして、吸血鬼が好む器は、原初の力に対しても効力を発揮した。凪の血は、もはや人格も何もかもを失い宿主を蝕むばかりだった原初に気に入られ、その内に取り込んでしまった。

 古城たちすら驚くほど、あっさりと儀式は終わったのだという。

「すまなかった」

「いいですよ」

「よくはないだろ」

「いいんですよ。別に、実はプレイヤーでしたって言われてもピンとこないですし。実際、今までと何も変わりませんから」

「それは、そうかもしれないが……」

 凪がプレイヤーかどうかなど、凪にとって大きな問題ではなかった。人工的に調整されたということも、別に興味の湧く話でもない。そういうものかという程度のものでしかない。もちろん、そういった考え方をしてしまうのも、受身の性格もプレイヤーの特性ではある。が、だからといって、自分の性格や物の考え方を矯正するということも一朝一夕にできることではない。

 結局、何も変わらない。今に不自由していない以上変える必要もないし、古城たちを責める理由もない。

 古城から自分の生まれた経緯――――概ね那月から受けた説明と同じ内容を聞かされて、凪は特に憤りを覚えるということもなく淡々と自分の出生の秘密を受け入れた。

 古城とのやり取りは、全体でも五分程度しかなかった。

 彼は皇帝で病院の患者。零菜が危惧していたように、簡単に病室を空けていい立場ではなかった。あまり席を外して騒ぎになるとまずいので、要件を終えたら自身の病室に引き返さなければならなかったのだ。

 互いに口下手なほうだ。叔父と甥という関係もあって、二人きりで話をしても会話は長く続かないものだ。

 

 

 凪の検査入院の期間は二日に短縮された。一日目の検査結果で問題がなかったので、もう一日病院で様子を見て何もなければ三日目には退院の運びとなる。

 だから、萌葱としても事件のことで凪と話ができるのは二日目の夜が最後の機会だと思った。テロの被害者の中でも特に念入りに様々な検査を受けさせられた萌葱は、正直、かなり疲れている。

 一日半を検査に費やし、分かったことは「とりあえず異常なし」というありきたりな結論だけ。確定結果は後日だが、何も問題ないことは何となく理解している。少なくとも不死の呪いを上回る悪影響が身体に生じているわけではない。

 病室のドアをノックする前に、少しだけ深呼吸する。いつもは自然に接することができるのに、こうして改まって話をしようとするとどうしてか緊張してしまう。

 意を決して、萌葱はドアをノックした。

 返事を待ってからドアを開ける。

 一人用の病室に、気配は一つ。ベッドの上で身を起こす弟が、いつもと変わらない様子で萌葱を出迎えてくれた。

「凪君、遅くにゴメンね」

「まだ八時過ぎたくらいじゃないか。全然、遅くないぞ」

 凪は書棚の上に置いてあるデジタル時計を見て答えた。

 日は没したが、窓の外は人工の光で満ちている。病院は都会のど真ん中にあるためか、日付が変わるくらい深夜でなければ暗くはならない。だから、消灯の時間がくると遮光カーテンを閉めるのが常であった。

「姉さん、歩き回って大丈夫なのか?」

「わたし、凪君のおかげで怪我らしい怪我もしてないから」

 イスに座った萌葱は、薄く笑った。

 入院中なので、萌葱は化粧をしていない。高校に入ってから気合を入れて化粧をするようになった彼女だが、もともとの顔貌が良いということもあって、化粧の有無がさほど印象に違いを与えない。とはいえ、凪としては、今の萌葱のほうが懐かしくまた慣れ親しんだ雰囲気ではあった。

「化粧してない姉さんも久しぶりだな」

「……女の子の前でそういうこと言うのはダメ。アウト。ギルティ」

「む、ゴメン」

「うむ」

 素直に謝る凪に萌葱は腕を組んで、あたかも大工の棟梁のように偉そうに頷く。

 内心、ドキッとしたのは秘密。

 萌葱にしてみれば、凪の前にすっぴんを曝すというのは気まずい。しかし、早く会っておかなければという思いから、凪の退院前に病室を訪れたのだ。

「ま、姉さんは化粧してなくても、大して変わんないけどな」

「ちょ、どういう意味」

「ん? 化粧は印象を良くしたり、美人に見せたりするものだろ。姉さんはもともと美人なんだから化粧は身だしなみ程度の意味しかないのかと思ってた」

「あ……うん、いや、そう面と向かって言われると何というか……」

 返答に困ると、萌葱はもごもごと呟く。

 気の置けない仲というのは、ふとした拍子に意表を突く発言を呼び込むから油断ならない。

「姉さんと一緒に捕まってた吸血鬼の人達も、目を覚ましたらしい。さっき、ちらっと聞いた」

「そうなんだ。よかった」

 萌葱は肉室に使われていた吸血鬼と一時同化していた。彼等、彼女等のことを思うとこれからが大変なのは目に見えている。酷い人は何十年も前からあの状態で魔力を搾取され続けていたのだ。

「あの吸血鬼()達、意識はあったから尚の事辛かったわよね」

「意識、あったのか」

「あったみたいよ。わたしも、半分混ざっていたから感じ取れたし。うん、凪君がいなければ、わたしもああなってた。もしかしたら、何十年も」

 そう思うと、今更ながらに恐怖が襲ってくる。

 あの時は、正直実感が湧かなかったのだ。魔女にいいようにされた自分が情けなく、恥ずかしく、反発心から平常心を保てていた。追い詰められると冷静になるのは、萌葱の長所でもあるだろう。常に自分を――――過小評価する癖がついていたにしても――――客観視してきたからこそ身に付いた心の持ちようであった。

 けれど、危機的状況を終えた今になって抑えていた恐怖が浮き上がってきてもおかしくはない。

 萌葱は吸血鬼で、第四真祖の長女だが、同時に歳相応の少女でもある。戦士の心得があるわけではないのだ。むしろ、ずっと取り乱さずに平静を保ち続けてきたこと自体が偉大なことではないか。

「姉さん?」

「うん、ゴメン。ちょっと、わたし、落ち着かなくて」

 肩を震わせ、目尻に涙を浮かべる萌葱は恥ずかしげに俯いた。

 死の恐怖を今更になって実感する。凪と話して、あのまま自分が敵に囚われていたらどうなっていたのかを振り返ることができたからだ。

「凪君、ありがと」

 やっとのことで搾り出せたのは、たった一言だった。

 この一言を言うために、萌葱は凪の病室を訪れたのだ。

「ありがと、ほんとに……無茶、させてゴメンね……」

 感極まった萌葱は、我慢ができなくなったのか涙を流し始めた。

 萌葱が声を殺して泣く姿を見るのは、いつ以来か。きっと、今までもずっと心の中では泣いていたのだろう。表に見せまいと必死になって辛さを押し殺してきた。そんな萌葱の仮面が、剥がれ落ちて凪の前に素顔を曝している。

「姉さんが悪いわけじゃない。悪いのは、姉さんを利用しようとしたあの魔女だろ」

「でも、わたしが捕まんなかったら、凪君が危ない目に会うこともなかったし、いろんな人に迷惑をかけることもなかったし……だって、あんな……!」

 駄駄を捏ねる子どものように萌葱は嗚咽を漏らし始めた。いよいよ自制ができなくなったらしい。

 そんな萌葱は凪は堪らず抱き寄せた。

 萌葱が子どものように泣くのなら、凪はかつて大人にそうしてもらったように萌葱を包み込むのだ。

「凪君……?」

「落ち着いた?」

 萌葱の頭を胸に抱き、凪は静かに尋ねた。萌葱は突然のことに驚いたのか言葉をなくし、それから身じろぎする。

「馬鹿。わたし、年上なのに」

「一つしか違わないだろ。なのに色々と背負いすぎ。たまには、楽してもいいんじゃないの」

 今まで萌葱は我慢しすぎたのだ。それが姉としての見得や責任感から来るものだったのは、見ていて何となく分かっていた。

「もうちょっと、周りを頼ってもバチは当たんないからさ」

 萌葱は、凪の胸に額を押し当てて、

「……うん」

 小さく頷いた。

 最後に一条の涙を流し、萌葱はこの日初めて笑ったのだった。

 


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