今年のクリスマスは散々だった。
年の瀬に、そんな風に数日前を振り返るのは、茶色味がかった髪の少女だ。
もともとは肩の辺りで毛先をそろえたショートカットだったが、いつの間にか伸びて肩甲骨のあたりまで毛先が届いている。狙ってやったわけではなくて、美容院に行くのをサボっていたらこうなっただけだ。そのため、前髪も目にかかって視界を妨げていて、パッと見の印象が暗くなっている。
顔貌は整っていて、将来的には美人になりそうな顔立ちとは友人に言われる。実際、父も母も見た目は上位に入るし、彼女自身も客観的に見ても美少女の仲間入りを果たすに相応しい顔立ちではあるのだが、伸びた前髪と黒縁眼鏡が彼女の顔を隠してしまっているのが痛い。
見た感じから暗い。話しにくい。印象に残らない。そんな外見になってしまっていることを彼女――――暁唯雫は自覚している。
昔はそれでよかった。
身を守る上で、地味な外見は都合がよかったからだ。
見た目のよい女子は人気者になるか、攻撃対象になるかの二択を迫られる場面が多い。もともと積極性に欠ける上、暁の帝国の皇女の一人でもあるため目立ちやすい立場の唯雫は小学校で少なからぬトラブルに見舞われていた。ごく一部の仲のよい友人ができるまで、思い悩んだ時期もある。
結局、行き着いたのは地味な外見と目立たない服装と行動であった。すべてをほどほどに済ませて、無難に解決することで、唯雫は平穏を得た。
中学に上がってからも、さほど生活は変わらない。制服が新しくなったことと授業の内容が多少難しくなっただけだ。部活動に入っているわけでもない唯雫は、放課後に運動して汗を流すようなことすらない。
日々の生活に不満がないわけではないが、かといって不利益を被ることもなく、淡々と学校生活を送っている。自分が望んでそうなったし、想定通りではあったが、環境が変わり、友人関係も好転していく中でいよいよ唯雫自身も変わってみようと意識してみるのだが、地味キャラが板についてしまった今を変えるだけのエネルギーが出てこない。
一度安定してしまうと、そこから変化していくのが難しい。
結局、この一年を無為に過ごしてしまったという思いが強く、何か季節のイベントごとに何とかして自分を変えようと思いはするのだが、行動に移せないまま今に至ってしまった。
その挙句、せっかくのクリスマスはテロ事件に巻き込まれ、外出も儘ならない状況だ。
唯雫にとっては散々なクリスマスであると同時に思い通りにいかない一年を象徴する事件でもあった。
唯雫自身は、凍結封印を受けていたので酷い目にあったという実感はまったくない。気がつけばすべて終わっていたという状況なので、萌葱のように辛い思いをして、それをしっかりと覚えている人とは違って気楽なものだ。
(……美容室に行くのを面倒がっているんじゃ、どうにもならないんだけど)
目にかかる前髪を指で退ける。
現状への不満は自覚しているのに、それをどうにかする努力をする気力はない。別に不都合というほどでもないし、自分に自信がないので目立たなくて済むのならそれで構わないとも思ってしまう。
人前で顔を出すのが苦手だ。他人と目を合わせるのもだめだし、初対面の人と会話をするのも緊張してしまう。眼鏡はそんな唯雫が人見知りを緩和するためにつけているのであって、けして目が悪いというわけではない。
美容院が苦手なのも、お洒落な人が集まり、初対面の美容師に話しかけられたり、髪に触れられたりするのが嫌だからなのだが、それを人に相談するのも弱みを見せるようで嫌。
嫌なことばかりで、とても面倒くさい性格だと自己分析し、同時に自己嫌悪する。
大晦日に勉強するほど殊勝な性格でもない。唯里は古城がいる上の階に行っているので不在だし、家の外に出ることもできないので暇を持て余している。こういう時はゲームに限るとソファに寝転がって黙々とソシャゲをしていた時、メッセージアプリが新着メッセージがあることを報せてきた。
差出人は萌葱であった。
『昼飯食ってるよー』
ただ一言だけだ。これはつまりご飯を食べに来いということだろうか。時計の短針は11の数字を指している。お昼にはまだ早い気もするが、誘われたからには食べに行かなければなるまいと唯雫はソファから下りることにした。
萌葱宅の玄関を開けると、いい匂いが漂ってきた。このツンとする香辛料の香り――――カレーの匂いだ。
「おじゃまします」
と、声をかけてリビングまで行く。
扉を開けると昼間から鍋を囲む姉たちの姿があった。
「おーす、唯雫。待ってたよー」
萌葱がにこやかに唯雫に声をかけてくれる。
高校に入学して何があったのだろうかと心配になるくらい、萌葱は変わった。もともと明るめではあったが、彼女の髪は決して金髪ではなかった。それが、今では都心の真ん中を練り歩いていそうなギャル風に様変わりだ。高校デビューを大成功させたわけだが、急にお洒落になった姉との久々の再会に戸惑うところもある。
とはいえ、昼間からカレー鍋。仮にもここに集まっているのは一国の姫なのだが、根本的に庶民派な暁家らしい昼食に唯雫は内心で安堵する。
「えーと」
「そこ座って」
「はい」
萌葱の視線を追いかけて、自分の席を把握する。テーブルは四人掛けで、お誕生日席にイスを置いて六人で鍋を囲めるようにしている。
主催者と思しい萌葱は、当然お誕生日席。その左右を零菜と麻夜が埋めている。零菜の隣には空菜、そして麻夜の隣に唯雫が座ることになった。
「ここは?」
「ん? ああ、そこはあれ、東雲」
「ただいまーぁ」
ばん、と勢いよくドアを開けてリビングに入ってきたのは、萌葱が名を出したばかりの東雲だった。
「おかえり。どうだった?」
「ばっちり、タイムリー」
東雲は萌葱にビニール袋を見せる。
中にはペットボトルが何本か入っているようだった。
どうやら、ジュースを貰いに行っていたようだ。
「あ! 唯雫ちゃんも参加組み?」
「はい。お邪魔します」
「畏まるなよ。自分の家だと思って羽伸ばしぃ」
バンバンと東雲は唯雫の背中を叩く。
「あんたの家じゃないけどな」
「ダメなん?」
「いや、思う存分羽を伸ばしていい、唯雫はね。あんたは働け」
「何で!? てかお父さんからジュース貰ってきてあげたじゃん。十分働いてるでしょ!」
冷たい萌葱の言葉に抗議する東雲。互いに笑みを浮かべながらの応酬だ。険悪な雰囲気はまったくない。
東雲は自分の席に座り、頬杖をついて東雲に視線を向ける。
独特な瞳の色。綺麗な焔光の瞳だ。第四真祖の「純血の子」である証。もしも、第四真祖が世代交代をするのなら、彼女が能力的には後継者の第一候補となるだろう。
「唯雫ちゃんは、いつまでここにいられるの?」
「三が日まで。四日からは母さんの仕事が始まるから、三日の昼過ぎに帰る予定」
と、唯雫は答えた。
「大体そんなもんか。唯里さんの赴任っていつまでか知ってる?」
「わかんない。仕事の話は、うちではあまりしないし」
「そっか」
「しの姉さんは、こっちに戻る予定はあるの?」
「高校出たら戻るかも。あっちの大学に行かなければだけどね」
日本で暮らしている唯雫と同じく、東雲も国外で生活している。彼女の場合は南米の第三真祖の夜の帝国が普段の生活拠点である。
将来、地元で就職することを考えると、地元の大学を出るのは悪い選択ではない。暁の帝国にある大学は、世界でも有数の研究機関を備えているところが多いのも魅力的だ。
「そいや東雲さん。あんた、理系と文系どっちにするの?」
ペットボトルの蓋を開け、オレンジジュースをコップに注いでいた萌葱が、不意に東雲に尋ねる。
「わたしは理系に行きたいなって。歴史、そんな好きじゃないし」
「考古学者の孫なんだけど、わたしたち。ま、わたしも理系だから何とも言えんけど」
苦笑しつつ萌葱はコップをそれぞれ妹達に配った。
「紅葉姉さんと紗葵姉さんは、いないの?」
「紅葉は、霧葉さんに呼ばれて出てった。紗葵は、何か魔具を弄ってて忙しいらしい」
「そうなんだ」
霧葉とは、休日に一緒に出かけることもある。唯雫と同じく日本の学校に通っていて生活圏が重なっているので、顔を合わせやすいのだ。
紅葉がここにいないのは、とても残念だった。唯雫にとっては、一番話がしやすい相手である。
「鍋、もういいんじゃない?」
じっと鍋の様子を見ていた零菜が、声をかけた。ぐつぐつと沸騰したカレー風味の鍋だ。具材がいい感じに煮えている。
「おいしそー」
「いいじゃん。食おう。わたしはこのために朝ごはんを抜いたんだから」
と、零菜に続いて萌葱が言う。
「萌葱姉さん、もしかして昨日から企画してたの?」
「うん。テレビでカレー鍋やってて」
「それでか」
得心がいったと、麻夜は苦笑した。
「僕らにとってはいきなりのことだったし。昼からカレー鍋って」
豆腐を取り皿に取りながら、麻夜は言う。
「はい、じゃあ、早い者勝ちだから、どんどん取ってって。ちなみにカロリー過多なので、締めはないです」
とりあえず全員に具が入った取り皿が配られたところで、萌葱が宣言する。
「米もないのか」
「カロリー過多なので」
がっかりした様子の東雲に萌葱が言う。
美味しいものを食べたいが太りたくないという女子らしい発想だ。普段からさほど運動をしていない萌葱は、零菜や麻夜のように身体能力が高く、日頃から運動をしている人ほどカロリーの消費量が多くない。それを気にしているのだ。
「まあ、萌ちゃんも最低限運動したほうがいいと思うけどね。せめて、護身術くらいやったら?」
「う……まあ、そのうちね」
東雲に指摘されて萌葱は言葉を濁す。
萌葱の運動嫌いは今に始まったものではないが、かといって体育だけでいいかというとそういうわけにもいかない。
今回のテロの一件で、自分の身は自分で守れるようにならないとという思いを新たにしたばかりである。
「ちょっと、空菜。肉ばっか取り過ぎ」
「あなたもさっきから肉しか取ってないように見えますが」
隣の席で冷戦状態だった零菜と空菜がいよいよ肉を巡って争いだした。いつものことだと周囲は気に止めないが、このような零菜を初めて見る唯雫には新鮮な一幕だ。
萌葱はカロリーを気にしているのか肉や豆腐には箸をつけず、もっぱら野菜類ばかりを取っている。麻夜は零菜と空菜の牽制に漁夫の利を得て肉を掻っ攫いつつバランスよく具を取り、東雲は方向性なく適用に取って食べている感じだ。唯雫はもともと少食ということもあって、少しずつ食べられるものを拾って食べている。
吸血鬼とはいえ、胃の容量は同世代の人間の女子と大差はない。食べた分だけ栄養が蓄積されるという点も変わりないので、食事に気を遣うのが常ではあるが、時たまこうして羽目を外しておなか一杯食べるのも楽しくていい。
食後、それぞれがそれぞれの時間を過ごすことになったが、唯雫は萌葱宅に残ることにした。戻っても唯里はしばらく帰って来ないだろうし、暇なだけだからだ。
「はい、これ」
と、萌葱がアイスコーヒーを入れたグラスを唯雫の前に置く。
「ありがとう」
「砂糖いる? ミルクは?」
「ブラックで大丈夫」
「そう」
萌葱は、角砂糖を自分のコーヒーに一粒入れてかき混ぜている。
唯雫はそんな萌葱の顔をコーヒーを口に運びながら盗み見る。
綺麗な顔をしていると思った。休みだというのに、薄く化粧をして、身だしなみをしっかりと整えているし、染めた髪にも艶があって痛んだ様子がない。日頃から、しっかりと時間をかけてケアをしているに違いない。
高校生になって、ずっとお洒落になった萌葱。しかし、それでいて道を踏み外したという雰囲気もなく、しっかり者の姉は今も変わっていない。
「何? 何かついてる?」
萌葱は唯雫の視線に気付いたらしい。
「何でもない」
と、唯雫は答える。
「唯雫、ちょっと前髪伸ばしすぎじゃない? 日本だとそれが流行ってるの?」
「え、いや、これは……何ていうか、美容院に行くのが面倒というか」
お洒落に気を使っている萌葱に指摘されると、つい気圧されてしまう。自分が如何にそういった方向で遅れているのかということを明確化されているような気がするからだ。
悪い事をしているわけではないが、女子として「ダメなこと」だというのは自覚しているので尚一層、無意味な罪悪感を覚えてしまう。
「面倒はダメよ、面倒は」
「そう、だよね」
「人それぞれではあるけどね。でも、多少は気を遣わないと」
「人は見た目が七割って言うしね……」
「まあね。それに、気を遣ってますってアピールは大事でしょ。適当やってると逆に目立つよ」
「う、うん……」
目立つ、と言われて唯雫は身を引いた。
ふと、自分は目立ってしまっているのだろうかと省みる。あまりクラスでは話すほうではないし、特定の友人と机を挟んで駄弁るのが席の山。体育祭や文化祭でも、ノリのいいクラスメイトたちを遠目で眺めているメンバーの一員である。
「前髪切るのは嫌なの?」
「そうじゃないけど……」
実際のところ、どうしたらいいのかは自分でも分からないのだ。
美容院に行かないのはどう変わったらいいのかというイメージが掴めないからだ。萌葱のようになれるとはまったく思わないが、かといってどうなりたいのかは分からない。
「ふむ」
と、萌葱が唯雫の顔を覗きこむ。
「……な、何?」
「いや、唯雫は素材はいいから、それをどう活かすか何だよなって。うーん、やっぱり眼鏡がなー」
「これ?」
「そう……伊達でしょ、それ。黒縁に長い前髪はやっぱり暗い印象になっちゃうし、てこ入れするならそこからだな」
そう言いつつ、萌葱は唯雫の額に手を伸ばし、前髪を掻き揚げて顔を出させた。
「いきなり髪切るわけにはいかんしね。今日のところは眼鏡を変えて、ヘアピンで顔出すだけで勘弁してあげよう」
得意げに、萌葱は言う。
唯雫の反論を聞く前に萌葱は席を立ち、寝室に行ったかと思えばすぐに戻ってきた。萌葱は寝室からクリアケースを持ってきたのだ。中には色とりどりの眼鏡が何本も入っている。
「これ、全部姉さんの?」
「そうよ。所謂お洒落眼鏡ってヤツね。でも、まあ、学校で使うってなると選択肢が限られるか」
彩海学園はお洒落については緩いが、唯雫が通っている日本の公立校は、それなりに厳しい。伊達眼鏡に目くじらを立てることはないが、あまり派手なものはダメだろう。
唯雫にある地味な印象をせめて大人しい程度に軽減できればいいと考えると、
「黒は黒で、もうちょっと細めのフレームにしてみようか」
落ち着いた黒いフレームをそのままに、よりスマートな印象を与える細身のフレームの眼鏡に変更してみる。唯雫の眼鏡を外して萌葱の目がねを装着する。
「ああ、似合う似合う。いいんじゃない?」
「そう、かな?」
「やっぱり、目のあたりは大事なのよ。眼鏡一つで印象はぐっと変わるもの。じゃあ、前髪をどうにかしましょう。自然のままだと鬱陶しいでしょ。ヘアピンくらい校則違反にはならないよね?」
唯雫に確認を取りながら、萌葱は自分のヘアピンの中から黄色いヘアピンを選んで、唯雫の前髪を纏めてくれる。
「うんうん。イケルイケル、やっぱり元がいいと何やっても似合うわ。外出られるんなら、服も選びたいところなんだけどな」
「そこまでは、いいよ。うん、でもこれ」
唯雫は萌葱がつけた眼鏡を外す。
「いいよ、それ。あげる」
「え、でも」
「見ての通り、わたしいっぱい持ってるからね。その眼鏡も滅多に出番回ってこないから、唯雫が使ってあげたほうがいいのよ。ちなみに、半年前に買ったヤツだから、別に古いわけじゃないからね」
萌葱はそう念押しをして、唯雫の眼鏡をかけなおさせる。
「ま、視力が悪いわけじゃないんだし、眼鏡なしでもいけると思うよ。髪型変えるまではしなくても、前髪の纏め方ひとつで印象って変わるんだし。とりあえず、顔くらい出しておいて損はないよ」
「あ、ありがと……」
笑う萌葱を直視できなくて、唯雫は恥ずかしげに俯いた。
「あの、萌葱姉さん」
「ん?」
「ほんとに、変じゃない?」
「変なわけないでしょ。え、校則違反とか? ヘアピンあたり引っかかる?」
「いや、大丈夫だと思うけど」
萌葱が心配するのが校則違反かどうか、ということは今、唯雫がしているヘアピンも眼鏡も学校で使うことを想定して萌葱が選んでくれたものだということが分かる。
見た目を大きく変えたわけではない。眼鏡を取り替えて、前髪を纏めて顔を出しただけだが、確かに雰囲気は明るくなった。
唯雫が苦手とするものではあるが、萌葱が大丈夫だと言ってくれたのが背中を押してくれた。
「萌葱姉さん。あの、今度は服の相談もしていい?」
「おう。任せとけ、というほど精通してるわけじゃないけどね」
「萌葱姉さん、すごくお洒落だし」
「そりゃ頑張ってるもの。本とかテレビとかチェック欠かさないからね。いくつか貸してあげるよ」
そう言って、萌葱はファッション誌を何冊か持ってきてくれた。
そのファッション誌を開き、萌葱にいろいろとアドバイスを貰いながら、唯雫は日本に帰ってからの自分のお洒落について想像の翼を広げるのだった。
暁唯雫
唯里の娘。中学一年生。単身赴任中の唯里と一緒に日本に渡り、母方の実家で唯里と祖父母の四人で生活してる。近所に母方の従弟がいて、最近はよく勉強を教えている。
魔族が少ない環境にいるため、目立たず、大人しく過ごそうという方向性で努力してしまったため、すっかり地味キャラになってしまった。