二十年後の半端者   作:山中 一

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第五部 八話

 壁にかけたアナログ時計の音が、やけにはっきりと聞こえる。

 アンティークショップで見つけてきた古時計は、三十年くらい前に製造された物らしい。店主の手で綺麗に直されたそれが妙に気に入って、内装とも合うと思ったので父にせがんで十四の誕生日に買ってもらったものだ。

 年月を経て黒ずんだオークのフレームはそれだけで味わいがある。昔は真っ白だった文字盤は陽光で黄ばんでしまったが、それも気に入っている。

 延々と飽きることなくずっとオークの時計は時を刻む。

 いつもは気にならない――――それどころか心を落ち着かせてくれる時計の音が、今は異様に鬱陶しく思える。心と身体が落ち着かず、電気を消しても眠れないのだ。

 冷たい月光が差し込む部屋は青白く染まっている。月光の奥に浮かぶ掛け時計は、午前零時半を示している。

 真夏の混沌界域はうだるような暑さで外は夜間でも汗ばむ気温だ。寝るのに冷房を入れるのは、常識だ。今も冷房は室内の温度は快適な二十三度前後に維持してくれている。だというのに、東雲は身体の火照りを感じていた。身体は眠りを欲していない。頭も起きてしまっている。夜目が利く吸血鬼にとって明るい月夜は日中と大差なく物が見えるのだが、今日はいつも以上に目が冴えている気がしている。

 じっとしていられない。

 今すぐにでも激しい運動がしたい。サッカーでも野球でもバスケットボールでもいいから全力で身体を動かせる何かをしたい。ベッドの上で何時来るかも分からない眠気を待ち続けるのは苦痛で仕方がない。

「う――――ん」

 小さく呻く。

 愛用の抱き枕を抱きしめて、顔を埋めて睡魔を呼ぶ。もう何度もそうしてきたが、一向にやって来る気配がない。

「寝れない」

 困ったことになった。明日、何があるわけでもないが、このままだと仮に睡魔を呼び込めても昼過ぎまで寝ているパターンになってしまう。

 目を瞑って、意識を暗闇に捧げる。しかし、心臓の音が消えない。時計の音を耳が拾う。感覚が研ぎ澄まされて、明瞭に魔力が溢れてくる。

 東雲の身体は、今、溢れんばかりの情動に突き動かされている。

 原因は明白だった。

「凪、くぅん……んぅ」

 抱き枕に押し付けた唇でくぐもった声を漏らす。

 初めての吸血――――それがもたらした副作用とでもいうのだろうか。

 身体の芯から暖まってしまっている。 

 脳髄から火が出て、全身の血と神経が沸騰しているかのようだ。

 凪の血の味を思い出す。舌の上に乗せて、鉄を思わせる苦味が命の熱と共に身体に行き渡る感覚に打ち震えた瞬間は、東雲にとってまったく新しい経験だった。

(もっと欲しい)

 さすがに、そこまでは言えなかった。

 一度だけでいいから、なんてことも言えない。

 本音を言えば、何度だって血を吸いたい。それこそ、空菜のように理由をつけて、機会を見つけて、その都度噛み付きたい。それくらい東雲は一度の吸血で凪の血に溺れてしまいそうになっている。

 東雲の身体は今すぐにでも凪の下に行って吸血したいと訴えている。

 東雲の瞳はまだ紅のままだ。極光を湛えた焔光の瞳は、ルビーのような深紅になる。人ならざる魔性の瞳のまま、元に戻らないでいる。これは吸血衝動を抱いている証で、年頃の乙女としては、とても異性には見せられない状態である。

 溢れんばかりの情動は、別の何かにぶつけなければ収まりがつかない。今すぐにでも五十メートル走を十本ばかりぶっ通してしたいくらいだが地下のシェルターは、凪と空菜が使っているので利用できない。

 まさか、ここまでの変化があるとは思わなかった。

 空菜みたいに血に慣れていればこうはならないのだろうが、東雲はそうではなかった。

 初体験を済ませたばかり。その余韻が未だに残っている。

 吸血鬼にとって特別な凪の血は、第四真祖の血縁者には特に強く作用するらしい。その誕生の経緯からして、身体の相性はいいと踏んでいたが、ここまで満たされるとは思わなかった。それは、あたかもジグソーパズルの足りなかったピースをやっとのことで見つけたような達成感と充足感であった。

 凪に血を与え、凪の血を求める。血の循環が東雲と凪を結びつける。凪の魔力は東雲の先天的な「不足分」を補うし、東雲の血も凪の先天的な「不足分」を補っている。

 凪の血を吸って、脳が蕩けるかと思うくらいの多幸感があった。じんわりと身体の芯から暖まっていく感覚は、湯船に肩まで浸かったときに近い安堵の感情を湧き上がらせた。

「あっつい……」

 じっとりと汗をかく。

 冷房が利いているはずなのに、体温が上がっているような気がする。風邪はすっかりよくなった。ならば、やはり吸血の所為だろう。

 血を吸った後は気分が昂ぶる。

 程度は個人差があるが、吸血鬼に共通する性質ではある。寝る前に吸血すると寝つきが悪くなると聞いたこともあるが、本当だったということか。

「んーーッ」

 東雲はベッドの上でじっとしていることができなかった。

 吸血できないのなら、走り回りたい。それも無理ならどうするか。テレビをつけて、深夜番組を見るかスマホやパソコンでネットサーフィンをするか。

 あれこれ考えた結果、東雲は一先ずは水分補給に行こうと結論した。

 汗をかいたからか喉が渇いた。

 真っ暗な屋敷の廊下を東雲は早足で歩く。足元はしっかりしている。僅かな光があれば、鮮明に暗闇を見通せるのが吸血鬼の目である。人間のそれとは比較にならない視力を有するのである。危なげなく階段を下りて、キッチンに辿り着く。

 当然ながら誰もいない。真っ暗だったので電気をつけた。蛍光灯の明かりで目が眩み、涙が滲んだ。

 東雲はコップ一杯のミネラルウォーターを飲んだ。

 水で身体が冷やされたからか、少し落ち着いた。

「何かないかなー」

 小腹が空いて冷蔵庫に手を伸ばした時、あえて思っていたことを声に出す。こうして、有り余った情動を発散させる。

 いつもは眠っているので、空腹を意識しない時間帯だが、よくよく考えれば最後に腹に物を入れてから六時間以上が経過している。これは、口寂しくなるのも無理はないではないか。

「んーふふーん、ふんふんふーん」

 東雲は鼻歌を交えて冷蔵庫を漁る。

 屋敷は大きいものの、東雲を含めて家人は僅かだ。冷蔵庫に入っている食料も、凪と空菜を迎えるために買い溜めした分を含めても多くはないし、どれも調理して使うのが前提の食材だ。

「ジャーキーあったあった」

 冷蔵庫の奥に押し込まれていたタッパーには、エレファントタートルと呼ばれる魔獣の肉を加工したジャーキーが入っている。大型魔獣の干し肉はこの国の伝統料理の一つである。東雲が手に取ったタートルジャーキーは、暁の帝国で一般的なビーフジャーキーよりもずっと噛み応えがあり、濃い塩味が特徴だ。

「あ、と、は……これにしようかな」

 弾む声でガサゴソとスチールラックの上に置かれたビニール袋を漁る。

 取り出したのは即席麺の袋だった。

 実家に帰ったときに購入した即席醤油ラーメンの残りだ。

 ラーメンは今や世界に広がった文化だ。混沌界域にも多くの店があって、それぞれの地域や文化に合わせた味付けがなされている。

 とはいえ、東雲の舌は暁の帝国で築いた味覚が基準になっている。超濃厚のどろどろとした魔獣の脂たっぷりのラーメンは胃もたれしそうで口にできない。さっぱりした醤油ラーメンが一番だと思うし、特に即席麺が一番のお気に入りだった。

 いつも丁寧な味付けの食事をしている東雲にとっては、即席麺の雑なしょっぱさが口寂しいときに重宝するのだ。

 吸血衝動を食欲に変化させ、東雲は電気ケトルで沸かしたお湯を即席麺に注ぎ、二分三十秒待って食べ始める。

「ふう……うまい」

 本来は三分待つところを、三十秒早く食べ始めたことで麺に硬さが残っている。東雲が一番好きなタイミングである。お湯も少なめにして味を濃くしている。ここまでしたら、シメに白米を入れたいところだが、残念ながらキッチンにはパンしかない。

 そもそも、混沌界域の主食はトウモロコシである。市場でも米はあまり見かけないし、あったとしても、おいしくない。

 東雲は黙々とラーメンを食べて、タートルジャーキーを齧る。

 不健康極まりない食べ方だが、だからこそおいしさを感じてしまう。夜中ということもあるのだろう。悪いと分かっていて、だからこそ惹かれる悪魔的な魅力が深夜のラーメンにはあるのだ。

 ラーメンと用意したジャーキーをすべて食べ終えてから、東雲はふと我に返る。

「やっちゃった」

 どんぶりの中は空っぽだ。汁まで綺麗に飲み干した。すべて胃に送り込んでから、激しく後悔した。

「明日、走らなきゃ」

 今食べた分は、そのまま体重へと移動するだろう。

 低身長がコンプレックスの東雲だ。横幅の変化は、高身長の人よりも如実に見た目に影響する。

 人生初の吸血をしたその日に、興奮した勢いのまま極悪な食事をしてしまうとは。後悔先に立たずとはいうものの、やってしまった感が強い。

 皿洗いだけして、寝よう。そう思った矢先に、近づいてくる足音を聞いて身構えた。やってきたのは空菜だった。

「空菜ちゃん? どうしたの? 地下にいるんじゃなかったの?」

「休憩時間です。時間圧縮の連続使用は身体に悪影響があるということで」

「あ、そうなんだ」

 地下シェルターの時間圧縮魔術は、内部時間を外部時間の三倍にまで引き上げることができる。必要な睡眠時間を六時間とすれば、外部時間で二時間程度の睡眠でこれを達成できる。東雲がベッドの上で悶々としている間に凪と空菜は睡眠を終えて二日目の講義を始めていた。

「凪、君も出てきたんだよね」

 呼び方を変えるよう凪に言われたことを思い出して、呼び慣れない君付けをする。

「凪さんなら、部屋に戻ってますよ。呼んできますか?」

「いや、いい。大丈夫」

 むしろ、いなくてよかった。

 凪にこっそり夜食にラーメンとジャーキーを食べているところを見られたくはない。

「……不健康そうな食事ですね。太りそう」

「分かってるから、口にしなくてもいいからッ」

 自覚はあるし、盛大に後悔したばかりだ。

 脂肪分が腹部ではなく、胸部に貯まればこんな心配もしなくていいのにと東雲は自分よりもふっくらと膨らむ空菜の胸を恨めしそうに見つめる。

「なんですか?」

「いや、別に。大きいなって」

「ん……?」

 空菜は、東雲の視線を追う。その先にあるのは豊満なバストだ。

「これですか?」

 空菜は自分の胸を掴んだ。

「動くときに邪魔になるんですよね。効率が悪いというか」

「あッ、またそういうこと言うッ。持たざる者への慈悲が感じられないッ」

 服の上からも勝敗は明らかだ。

 空菜は中学生とは思えない女性らしい身体つきをしている。対して東雲は、年齢以下に見られるのが常態化している。

「母方の問題なんだろうか。いや、でもなぁ」

 零菜は、現時点で母親よりも胸部装甲が分厚くなっている。父方の祖母がナイスバディなので、やはり零菜のスタイルは父方の系譜ではないだろうか。

 そうだとすると、なおのこと納得がいかない。

 父親は全員が同じだ。それなのに、胸部にこうも大きな差が出るのはどうしてなのだろうか。身長も、古城は高いほうなのに、東雲の成長は早いうちに止まってしまった。今となっては、妹たちを見上げるようになった。なんという理不尽だろうか。世界最強の第四真祖の娘にして、いずれは世界最高峰の吸血鬼の一翼を担うであろう東雲であっても、自分の成長まではコントロールできないのだ。

「別にシノさんだって、悲観するほどないってわけじゃないのでは?」

「それでも大きいほうがいいもん」

「そういうものですか」

「そういうもんです。男子だって、大きいほうがいいに決まってる。そりゃ、極端な大きさは別としても、空菜ちゃんくらいあれば、安泰でしょ。吸血鬼だから歳いってから垂れる心配もないし」

「男子ですか。まあ、そうかもしれないですが」

「空菜ちゃん、クラスでそういう話ないの? 男子からジロジロ見られたりしてるんじゃないの?」

「視線は、確かに感じますよ。吸血鬼は珍しいですからね」

「そういう視線じゃないと思うけど」

 東雲の前に座った空菜は、ミネラルウォーターを飲んでいる。

 こうして間近で見ると、ますます美人だと思う。暁家の血縁者は全員世間一般でいうところの美男美女ぞろいではある。特に女性陣は特筆して注目すべき容貌の持ち主ばかりだ。

 一般公立校に突然やってきた美少女転校生というのが、彼女の立ち位置だ。それはもう話題になるだろう。凪と義理の兄妹となれば、なおのこと。凪もまた何かしらの騒動に巻き込まれたであろうことは想像に難くない。

「わたしが男子だったら、空菜ちゃんを放っておかないよ。何とかしてお近づきになりたいと思うし、告白とかあったんじゃないの?」

「恋愛はよく分かりませんけど、告白は確かにされたことはあります」

「え? ほんとに? うわーすごーい、どんなの?」

 冗談で聞いてみたが、まさか本当に告白されているとは思わなかった。

 東雲はそういった経験は皆無だ。強大な力を持つ吸血鬼はこの夜の帝国では特別な立ち位置を築く。まして、第四真祖の娘ともなれば、そうそう近づけはしない高嶺の花だ。

 そして、それは他の姉妹にも言える。

 どれだけフレンドリーに周囲を接していても、必ず皇族という立場が邪魔をする。自由恋愛を標榜しても、気後れするものだ。まして、外見は周囲から隔絶するくらい整っているとなればなおこのことだ。

 しかし、空菜はそういった制約はない。

 皇族の関係者だと知られていない空菜は、足踏みをする理由がないので自然と下心を向けられる機会も多くなる。

「どんなと言われても、普通にお断りしましたよ。こういうのは、すっぱり断るべきだと本で読みました」

「まあ、そうだよね。空菜ちゃんに彼氏がいるって聞かないし」

 もしも、今、空菜に彼氏がいるのなら凪から血を吸うことのもかなりまずい話になる。

「それで、どんな風に断ったの? 断るのはそれはそれで悪いなぁって気にならない?」

「いえ、別に。凪さん以外の男性に興味はないと言ったらそれで終わりました」

「そ、それ、言ったの?」

「はい。まあ、思えばわたしも言い過ぎた面はあると今は反省しています」

「うわぁ……」

「友達もそんな反応してました」

「そりゃ、そうなるわ。ちょっと相手が可哀そう。あと、巻き込まれた凪君も」

「凪さんに喧嘩吹っ掛けられる人、いないですよ」

 凪が攻魔官を目指していることは周知の事実。呪術も使えるとなれば、正面から喧嘩を吹っ掛けられる者はいないのだ。義理の兄妹で一緒に暮らしているということで、様々な憶測や噂が流れもしたが、空菜はこんな性格だからまったく気にならなかった。それに、世間ずれしているところがあるのは明白で、周囲からもそういう認識は持たれていた。凪とのことも今はブラコンを拗らせているという認識で落ち着いている。

「シノさんには、そういう経験はないんですか」

「残念ながらねー」

「凪さんには、ちょっかいをかけているのに」

「ちょ、ちょっかいとかそういう言い回しはよくないと思うの確かにずっと血を吸いたいと思ってはいたけど別にやってみたら全然大したことじゃなかったしそれに吸血は年頃の女子はみんなしたいと思ってるよわたしだけじゃないもん」

「え、はあ……?」

 空菜は妙に食い気味な反応をした東雲に押され気味だ。

 取り立てて気に障ることを聞いたとは思っていないのだが、東雲の感情を揺さぶる言い回しをしてしまったらしい。

「ところで、シノさん」

「何かな?」

「シノさんは、凪さんのどこがいいと思ったんです?」

「んくゔぉッ゛」

 水を飲みかけていた東雲は思い切り咽た。

「あ、すみません」

「い、いい。ちょっとびっくりしただけだから」

 はあはあと東雲は息を整える。

「急にどうしたの」

「いえ、なんとなく。シノさんは凪さんから血を吸いたがっていましたし、やっぱりどこか惹かれるところがあったのかなと。まあ、血については凪さんの体質もあるんでしょうが」

「あー、うん、それね」

 凪の体質――――プレイヤーと呼ばれる人工生命体が有する魔族を惹き付けるフェロモンを生成する特異体質だ。とりわけ吸血鬼の吸血衝動を強める働きがあるとされる。とはいえ、それは吸血鬼が我を忘れるというほど強力な催淫作用があるわけではない。ただ魅力的に感じるという程度だし、そもそも離れて暮らしている東雲にはあまり関係がない。

「凪君のいいところ、ねぇ」

 うーん、と東雲は眉根を寄せて考える。

「まあ、まず顔だよね」

「顔ですか」

「ぶっちゃけ好み。見た目って何だかんだで大事でしょ。凪君は、合格」

「身もふたもないですね」

「あはは、まあね。でも、そんなもんじゃない? 見た目でアウトなら、そこまででしょ。見た目が許容範囲内だから、その先もあるわけで。まあ、凪君は小さいころから接点のある男子ってのも大きいけどさ」

「そういうものですか」

「そんなもんでしょ。もちろん、心とか内面も大事ってのは分かるけど、そんなのは優先順位というか判断基準の一つだから、切り離せるもんじゃないし。頑張り屋で女の子のために身体を張れる凪君は、まあそこも合格だよね」

 春先から立て続けに起こった暁家を巻き込む事件の数々に、凪は巻き込まれていた。時に当事者にもなり、その都度大きな怪我を負い、命を危険に曝した。クリスマスでのテロ事件の際には東雲も現場で凪が戦っているところを見ていた。

「シノさんは凪さんと付き合いたい?」

「それは、まあ」

 東雲は断定を避けた。

 凪への好意は事実としてある。それが恋愛に近しい感情だという自覚もしている。吸血衝動を向けてしまう相手であり、唇すらも許したのだ。叶うなら、その先に進みたいとも思う。

「わたしはなんだかんだ言って第四真祖の娘だしね。他のみんなもそうだけど、本気で人を好きになって大丈夫なんだろうかって思う。相手の迷惑を考えると、ね」

 よくも悪くも皇族というのは立場がある。学生でいられる今はまだいいが、その先のことも考えてしまうし、伴侶となるような人にも注目を集めてしまうかもしれないと思うとやはりしり込みしてしまう。今ならばまだ仲のよい家族の中での関係だと言い訳もできるが、一歩踏み出してしまうとそうは言えなくなる。

 口には出さないが、同じような悩みを姉妹は共有している。

 凪への好意の種類や度合いはそれぞれだが、いまだに誰もその思いを告げないのは凪への配慮もある。そして、同じな悩みを持つ姉妹への配慮とそれを言い訳にした現状維持が今の東雲たちの関係性だった。

「凪君と関わっていたいけど、それが悪い方向に向かうのは嫌。だったらいっそ変わらなくてもいいんじゃないかって、思ったりもする。今が一番楽しいし」

 そうは言っても不満がないわけではない。東雲にとっての最もいい展開は凪といい関係を結ぶことだ。凪が東雲を求め、東雲が凪を求める関係性が一番だ。求めあって一つに溶け合ってしまうくらい深く繋がりたい。それほどまでに入れ込むのは、東雲が本能レベルで凪の中の原初を求めているからでもある。

「んー」

 東雲は空菜をジトっと見つめる。

「何ですか?」

「いや、やっぱり、空菜ちゃんってわたしたちの天敵だなって」

「なぜです? 別に敵対する要素はないと思いますけど」

「うん、まあ、そうだね。そうなんだけどね」

 凪と同居する美少女かつ毎日血を吸い、しかも東雲たちのように立場という足かせがない。これで警戒しないほうがどうかしている。

 今まで暁姉妹が自然と育んできた共通認識や共有価値観を空菜は持ち合わせていない。空菜の存在自体がこれまで「みんなで仲良くやっていきましょう」という妥協でやってきた中に投じられた一石となる可能性は高いのだ。

「空菜ちゃんも仲良くしようね」

「急に何ですか? なんか変ですよ、会話の流れが」

「そう? 変じゃないよ、全然」

 空菜に笑いかける東雲。その笑顔の意味を判じかねる空菜は、どことなく漂う不穏な空気に警戒心を抱く。どこかで東雲を怒らせてしまったかもしれない。

 人間社会で活動するようになって広がった交友関係だが、まだ半年程度の交流では自然と空気が読めないことを言ってしまうこともある。東雲にも同じように何かしらの地雷を踏んだのかもしれない。自分の反省点だと思いながらこれまでの会話を振り返る空菜だったが、特筆する内容の会話をしたとは思えない。東雲が意図しない形で空菜は人間関係の円滑な運営の難しさを学習したのだった。




東雲の恋愛観を語る回。
凪に求めることが姉妹でそれぞれ少しずつ違う。ハーレムするのなら、それぞれに応えないといけないので大変である。

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