二十年後の半端者   作:山中 一

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第五部 十話

 窓から見えるのは茶褐色の街並みとどこまでも青い空だ。まだ午前中だというのに、気温は三十度を優に超えている。カンカン照りという言葉は、昨今はなかなか使わないが、あえて使うのならばこんな天気の日に使うのだろうと凪は思った。それほどまでに、この国の太陽光は強烈だった。暁の帝国も南国で、夏場はかなり厳しい暑さに見舞われるのだが、それでも人工島の利点を生かして道路や建築物の大半に耐熱素材を使っている。

 混沌界域には、それがない。

 自然なままの気温は、慣れない旅人を瞬く間に倒れさせることになるだろう。比較的暑さに強い暁の帝国育ちの凪であっても、それは例外ではない。

 冷房の効いた屋敷の中であって、窓から差し込む日光は肌を焼くように暑かった。これでは外出する気など起きるはずもなく、よほどのことがない限りは外に出ないという判断を下す。もともと、インドア派の凪にとっては、外出を渋る言い訳に使えるとすら思えるくらいだった。

 とはいえ、今日ばかりはそうもいかない。

 バレンタインデーの贈り物を東雲と空菜からもらった。空菜は一緒に住んでいるので毎日顔を合わせるが、東雲はそうもいかない。

 三月になったら、ホワイトデーがやってくる。毎年、何だかんだでチョコなりお菓子なりを送ってくれる東雲に、凪も郵送でお返しをするのが常であったが、今年は手渡しで受け取ったのだ。ならば、手渡しで返すのが筋ではないか、と思うのだ。

 三月に、この国に戻ってくるのはさすがに不可能だ。ならば、いっそ、今のうちにお返しを渡してしまうのがいいのではないか。

 実際はどうか分からない。

 きちんと記念日として三月十四日を目掛けて発送したほうがいいのかもしれない。女心は正直分からないので、どっちが正解かはやってみないことには何とも言えない。

 東雲の気配を探して廊下を歩く。

 強い魔力を持つ東雲の居場所は、すぐに分かった。一階のエントランスホールから気配を感じる。東雲以外にも何人かいて、うっすらと話し声が聞こえてくる。

「お客さんか」

 エントランスホールにいたのは、スーツ姿の赤毛の女性だった。見た目二十代の中頃くらいで、着ている七分丈のスキッパーブラウスは真夏だからか清涼感を感じさせる。

 女性からは、お堅い雰囲気を感じる。

 出入りの業者ではないようだ。

 お役所関係だろうか。

 東雲の立場ならば、何かしら公務員との接点があってもおかしくはない。東雲の安全確保は、暁の帝国と混沌界域双方の課題である。

 東雲はずいぶんと心を許しているのか、仲よさそうに話をしている。どうも旧知の仲のようだ。

 しばらく東雲は忙しそうなので、後にしようかとその場を立ち去ろうとしたとき、ふと顔を上げた女性と目があった。

「昏月凪君ですね」

 と、声をかけられた。

 少し高めの鈴を鳴らすような綺麗な声だった。

「初めまして、わたしはディアドラと申します。混沌界域国土保安庁警備部の者です」

「初めまして、昏月凪です」

 凪には語れるような肩書はない。こういうとき、どう名乗るのが適切なのか分からない。

「お邪魔でしたか?」

「いいえ、昏月君にも時間を見てご挨拶させていただくつもりでした。シノさんの護衛は、うちが所管しているので」

「あ、そうなんですね。それで警備部」

「はい。要人警護を担当する部署です。本日は昏月君へのご挨拶とシノさんのご機嫌伺で立ち寄らせてもらいました」

「ご機嫌伺ですか」

「はい。シノさんはお姫様であらせられますし、へそを曲げられるとわたしの出世にも響くので」

「なるほど」

 思っていたよりもお堅い人ではないらしい。愛らしい笑みを浮かべて、ジョークを飛ばしてくる。隣で東雲が「なるほどじゃない」と遺憾の念を示している。

「もう、ディアドラさん、変なこと言わないでよ。別に迷惑かけてないし、連絡だってちゃんと取ってるじゃん」

「そうですね。シノさんはそのあたり、きちんとしてくださるので助かってます。世の中には護衛の目を掻い潜って出かけようとするおてんば姫も数知れず、ですからね」

「そうそう、わたし、そういうのしたことないからね」

 東雲は胸を張ってそう言った。

 護衛の目を掻い潜って遊び回る姫と聞けば、まっさきにクロエが思い浮かぶ。彼女の母親も、十代のときにはかなり活発に護衛を困らせていたと聞く。 

 当人は自由気ままにやっているのだろうが、回りの人間はそうもいかない。何かあれば大問題だし、なくても大問題だ。

 ディアドラは東雲にへそを曲げられると出世に響くと冗談めかして言うが、現実に東雲が勝手に抜け出してトラブルに巻き込まれたら、叱責どころでは済まないだろう。それは、暁の帝国から送り込まれている護衛たちにも言えることだろう。

「行動一つで人の人生変えられるのは、すごいことだな」

「それが立場というものです。シノさんは、その自覚はきちんとしているようで助かりますよ」

 東雲に視線を向けたディアドラが小さく微笑んだ。

「さて、わたしはここでお暇させていただきます。お祭りも近づいているので、そろそろ配置につかないといけませんから」

「やっぱ、今日は忙しいんだ、ディアドラさん」

「それなりに、です。基本、わたしは上で見ていて、実働部隊任せですけど、いざとなれば指示を出す立場ですからね」

 二月十四日の夜に開催されるチョコ祭は、万を超える人が集まる大きな祭だ。

 世界各国から人が押し寄せてくるので、開催地は地獄絵図のようになる。当然、警備を担当する役人たちはこの日が最も忙しい日となるだろう。

「釘を刺されてしまいましたね」

 後ろで見守っていたアカネが口を開いた。

「釘?」

「要するに、大人しくしていろと言いに来たんでしょう、ディアドラ様は。チョコ祭に参加する前にもめごとを起こされては堪らないということですね」

「む、別に何もしないし」

「例年と違って、今年は凪様もいますからね。念には念をと言ったところでしょう」

「むぅ、信用ないなー」

 多くの人が押し寄せる祭の当日。当然テロ対策にてんやわんやしているところだ。そこに東雲が全く別の問題をもたらせば、それこそ手が足りなくなる。

 ディアドラからすれば、仕事を増やすなと言いたくなるのは仕方のないことだろう。

「もめごとを起こすなってのは、俺も対象かな」

「それはそうでしょう。わざわざ、あなたにも会いに来たわけですからね」

「そりゃ、そうか」

 凪は立場上は一般人ではあるが、第四真祖との血縁は混沌界域の上層部ならば認知しているだろう。この滞在も東雲が暮らす屋敷に逗留しているのだ。関係者として扱う以上、護衛の目を光らせなければならない。

 となると東雲へのお返しを用意するために出歩くのもままならないわけだ。こっそり抜け出してもいいが、明確に困ると言われている手前、さすがにその禁を犯すことはできない。無理を言って外に出ても迷惑をかけるだけだ。ここは引き下がって別の方法を探すべきだろう。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

「なかなかお上手ですね、凪様」

「普段からこれくらいはしてますからね」

 凪はキッチンに立っていた。

 熱したフライパンで玉ねぎを豚肉を炒めているところだ。

「それにしても、急に昼食を作りたいと仰るので驚きました。それもシノ様のためになんてねぇ」

「そりゃ、クッキー貰ったまま帰国するってわけにもいきませんからね。これくらいのお礼はしとかないと」

「凪様、なかなかに律儀な性格してますね」

「そうですか? そうでもないですよ」

 話しながらも手は止めない。

 ケチャップをふんだんに使ったケチャップライスがフライパンの中で踊っている。いい匂いがキッチンに立ち込めて、空腹を誘う。

 東雲にお礼をするタイミングは今しかないが、外出が制限されているので買い物にも行けない。そこで、凪は昼食を作ることでお礼に代えようとしたのである。

 作っているのは誰でも美味しく食べることのできるオムライスだ。

 アカネの許可を得て、多めに卵を使っている。

「そういえば、さっき来ていた」

「さっき?」

「あの、赤毛の人。ええと、ディアドラさん。東雲とはずいぶんと仲良く話してたみたいですけど、護衛の担当は長いんですか?」

「そうですねぇ……うーん、おそらくシノ様がこちらに来てからずっとになるんじゃないですか」

「へえ、そう考えるとけっこうですね」

「まあ、あの方はこの道のプロですから。もう何十年も要人警護を担当してきた実力者ですよ」

「そうなんですか」

「ええ、はい」

「何十年ってことは、あの人も魔族なんですね」

「旧き世代の吸血鬼ですよ。六百年を数える古参の一人ですね」

「そりゃ、またすごい」

 吸血鬼は古ければ古いほど強力になる。

 魔力の源である固有堆積時間(パーソナルヒストリー)は、すなわち一存在が積み重ねた時間の総和である。長く存在した吸血鬼はそれだけで莫大な魔力を蓄積する。

 吸血鬼の戦闘能力を決定付けるのは、血統と固有堆積時間の二つであり、旧き世代はどちらも突出しているので、旧き世代=強大な吸血鬼という図式が成立するのであった。

 血統は超一流でも、若い吸血鬼は力を持て余してしまったり、地力で負けてしまったりもする。破壊能力は旧き世代に匹敵あるいは凌駕するとされる東雲であっても、固有堆積時間は十六年と吸血鬼としてはあまりにも少ない。

 時間がすべての吸血鬼界隈では、第四真祖の血統はまだまだひよっこも同然だった。

「そろそろ、シノ様たちを呼んできましょうか」

「そうですね。お願いします」

 用意するのはオムライスと千切りキャベツとミニトマトのサラダそして卵スープだ。凪からすれば、少し物足りないラインナップだが、凪以外が女性であることを考えればこれでも十分だろう。

 

 

「美味しい」

 空菜と並んでオムライスを食べる東雲の評価は好意的だ。

 凪とアカネは軽く昼食を済ませたので、東雲と空菜だけがテーブルについている。

「オムライス久しぶり。なんか懐かしい味。美味しい。凪君ありがとう」

「シノ様、もう少し語彙力のある感想をおっしゃった方がよかったのでは?」

「食レポなんてしたことないわ。美味しいのは美味しいでいいでしょー」

 東雲はパクパクとオムライスを口に運び、スープで味わう。その隣で空菜がサラダとスープに目をくれず一心不乱にオムライスを頬張っている。

 オムライスといっても、さまざまなバリエーションがある。近年、人気を博すプレーンオムレツを乗せたふわとろオムライスもあれば、薄焼き卵を使ったオーソドックスなオムライスもある。ケチャップライスをチャーハンにしたものもあり、創意工夫次第でいくらでも形を変える料理である。

 凪が作ったオムライスは、薄焼き卵をケチャップライスで包んだ一般的でごく普通のオムライスだ。

「空菜ちゃんは、オムライスばっか食べてるけど……」

「おかわり欲しいです」

「さすがにない。スープならあるぞ」

「スープはいいです」

「そうかい」

 オムライスは空菜の好物でもある。人を選ばない家庭料理で、凪の得意料理でもある。ただ、おかわりを用意するようなものではない。ケチャップライスも残ってはいないのだった。

「ま、主役は東雲だから。空菜もだけど」

「わたし?」

「バレンタインのお礼。東雲には直接できなそうだからな。今のうちに、だ」

「ぁ、ん……そう、あはは、そっかぁ」

 東雲は頬を染めて、それを誤魔化すようにオムライスを口に運ぶ。

「わたしはおまけですか」

「違うっての。だから、二人に昼食作ったんだろ。ただ、東雲はタイミング的に今しかないからメインにしてるんだよ」

 拗ねたように唇を尖らせる空菜に困らされる凪。言い方に問題があったのは確かだ。空菜からすれば、一緒にバレンタインのプレゼントを渡したのに序列をつけられたように感じただろう。

 とはいえ、空菜とは同居しているのでお返しを渡す機会はいくらでもある。今回ばかりは、やむを得ない措置と思ってもらうしかなかった。

「うん、まあまあ、空菜ちゃんはいつでも家で作ってもらえるじゃん。てか、今も一緒に食べてるし」

「そうですね」

 むくれながらも空菜は食べる手を止めていない。

 東雲は、凪と同居する空菜の立ち位置を羨ましいとは思う。

 家族と離れて遠い異国の地で暮らす東雲にとっては、家族との同居というのがそもそも羨ましいのだ。もちろん、アカネのような親友が一緒にいてくれるが、血の繋がりのある家族と時間を共にできるのは特別なことだと思う。

 最も、離れているからこそ、今日のような特別な配慮をしてもらえるというのもある。

 まさか、凪が手料理を振る舞ってくれるとは思っていなかったので、これには驚いたし、東雲からすれば予想外の贈り物だった。

 凪は簡単なものしか作れなかったとも言うが、そんなことを言う必要はないのだ。料理にどれだけ手をかけたかではなく、料理を供する理由が東雲には嬉しかったのである。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 真っ赤な絨毯の敷かれた部屋は、アンティーク家具に彩られてさながら中世の城の中であるかのようだ。照明器具も現代のそれではなく、ランプを象った電灯で高級感が滲み出ている。天蓋のついた大きなベッドがあり、化粧台があって、ゆったりとしたソファがある。そのどれもが普段使いされているもので、ここが観光地などではない個人宅であることを物語っている。

「はあ……なんて綺麗」

 堪らないとばかり声を蕩かせる女がいる。赤毛の女――――ディアドラである。長い時間を生きる吸血鬼であり、長らく国家の一部門を統括する立場にある女である。数時間前に東雲の屋敷を訪ねた時とは別人のように表情を劣情に歪めている。

 ディアドラがうっとりとした表情で眺めているのは、椅子に座った少女であった。金色のショートヘアの色白の少女は、茫洋とした瞳を虚空に向けている。

 自身に向けられる邪な視線にも動じることなく、じっと固まったままで動かない。

 そんな少女の髪にディアドラは触れる。頬を撫でて、抱きしめて、首筋を噛む。血が出ても噛まれた少女は声を上げることもなく、微動だにしない。

「はあ……うふふ、今回のはうまくできてると思わない?」

 唇を離したディアドラが話しかける先に現れたのは、長いローブに身を包んだ誰かだった。フードを深く被った顔は影になっていて見えない。背の高さは百七十センチくらいだろうか。混沌界域の男性の二十代男性の平均身長よりは小さく、女性の平均身長よりは高い。

 得意げにディアドラはその誰かに話しかける。

「ほら、見て。この髪、今までで一番、うまくできてると思うの。サラサラで絹みたい。そして色合いも完璧じゃない? ドウメキ」

 ディアドラは少女の髪を手櫛で梳く。

 彼女が言う通り、さらりとした髪はディアドラの指をすり抜ける。引っかかることのない髪の感触は高級な絹を思わせる。そして、髪色。一見すると金色のそれは、光の加減で別に煌めく。虹のような輝きを纏っていた。

「目が違う……力なき、人形の瞳は我が欲するものにあらず……色、魔力、感情、何もかもが求める水準に届いて、おらぬ」

 しわがれた甲高い声でドウメキが答えた。

「あらそう? この前のヤツよりはうまくいったと思ったのだけど」

「焔光の瞳の、再現には、至らず」

「ああ、まあそうよね。そこはわたしも不満なのだけど」

「オリジナルの、目の、美しさには、遠く及ばぬ。我の欲する、価値もなし」

 感情を感じさせない口調で、ドウメキが断言する。

 自らの「研究成果」を否定されてもディアドラは表情を曇らせなかった。この回答が来ることは分かり切っていたからだ。

 初めからドウメキの目的は焔光の瞳であって、身体のほうではない。どれだけ容貌がよくても、目が違えば彼女の欲望を満たすことはない。

「私からすれば、完成度が確実に上がっていることを評価してもよいかと思いますがね」

 また別の声が聞こえてきた。

「あら、いたの、マテオ」

「ひどい物言いですねぇ。声をかけてきたのはそちらでしょう。私も忙しくてね。何せ、うちの店、お祭り前は毎年毎年書き入れ時なんですよ」

 どこからともなく現れたのは背の低い男だった。身長のわりには横幅が広い。痘痕面でお世辞にも顔がいいとは言えない中年の男であった。

 名はマテオ。

 風俗店の経営者であり、人身売買を国内外で行っている犯罪組織の長でもある。一国の要人警護を担当する部署の責任者と犯罪組織の長の癒着によって、静かにこの混沌界域には官憲の目の届かない暗部が生まれていた。

「どこもそうじゃない。わたしだって、そうよ」

「お役所勤めのあなたが、今この時期この時間に現場を離れているのは如何なものかと。妙な勘繰りを受けると動きにくいでしょう?」

「どうせ、それも今日までじゃない。賭けに出るって決めたでしょう」

「まあ、そうですがね」

「それで、あなたはこの娘をどう思う?」

「とても良い出来かと。量産できるのであれば、ええ、高級な「ジョークグッズ」として取り扱えます。人肌の温もりを持つ人形というのは、珍しいものですからね。ところで、それ、生きているんですか?」

「肉と骨でできた人形を生きてると言っていいのかしらね。まだまだ魂までは再現できていないのよ。だから呼吸してるだけで、後はお人形そのものね」

「あえて、人形のまま培養槽から取り出したのですか? それだけの出来なら臓器も揃っているでしょう。放っておいても魂が宿ったでしょうに」

「そんな不完全な魂はいらないもの。どうせ動かすのなら完全再現がいいじゃない。わたしが求めているのはあくまでも器なんだし。魂になる眷獣は別。ふふ、でも可愛らしいからつい愛でちゃうのよね」

「不死性は?」

「そうねえ……」

 ひゅん、とディアドラの腕が宙を薙ぐ。

 鋭い爪が少女の胸を切り裂いて鮮血がカーペットを濡らした。両断された椅子とともに、血染めの少女が床に転がる。

「御覧の通り」

「まだまだ、吸血鬼とは言えませんね」

「自分も吸血鬼だけど、不死の呪いを人工的に再現するって難しいわ。これじゃあ、眷獣()の再現ができたとしても、身体が持たない。それじゃあ、わたしの目的は達せないわ」

「ディセンバーの復活でしたか」

「ええ、そう」

「しかし、それにしても昨今は第四真祖の娘によく似た人形をお作りのようですが?」

「仕方ないじゃない。可愛いんだし。それに、彼女はディセンバーの子どもみたいなものでしょう? なら、ディセンバーと同じくらいに愛しても浮気じゃないわ」

 倒れた少女の顔は東雲によく似ていた。瞳の色が違うという指摘は確かだが、それ以外は一卵性双生児と言われても納得できるくらいにそっくりだ。

 完成度の高い人形ではあるが、目的には程遠い。ディアドラ自身もそう思っていたからこそ、破棄することに迷いはなかった。自分が作った自分を慰めるための道具としか見ていないのだ。

「ディセンバーですか。私は、アヴローラを遠目から見ただけですが、確かに美しい顔立ちでしたな。ディセンバーも似たような容姿でしょうか」

「ディセンバーはアヴローラよりも成長してたから、外見的にはちょっと歳を重ねてたわ。でも、ええ、あの娘を美しくないと言うのは、よほどこじれた性癖を持ってるってことになるんじゃない?」

「ふくくく、あなたがそれを言いますか。想い人の再生のみならず、その娘のクローニングにまで手を出すあなたが、こじれた性癖とは」

「可愛いものを手に入れたい。わたしの目的はただそれだけ。そのためにだらだらと生を貪っているのだからね」

 先ほどまでの満ち足りた表情から変わって、疲れ切った曇りの表情を浮かべた。

 長く生きた吸血鬼は強大な力を持つ一方で精神的に摩耗する者もいる。また、現代とは異なる価値観の時代を生きてきたので、生まれた時代ごとに話がかみ合わないこともあるという。

 旧き世代のディアドラも、その例に漏れない。生の実感を得るために、極端な行動を取っているのだ。

「ところで、あなた達はいいのかしら。このままだと、あなた達も巻き添えよ?」

 と、ディアドラは二人に問いかける。

「焔光の瞳が、手に入るのなら、官憲など、どうでもよい。あの目が欲しいから、この場に、いる。あの宝石、のような、目は、我のコレクションの中でも、最上のものと、なる」

「私はもともとこの国の人間ではないので、危なくなればさっさと高跳びさせてもらいます。もちろん、できる限りの手土産はいただきますがね。今のうちに、部長の作品、いくつか持ち出させてもらっても構いませんか? どうせ、二、三日遊んだら廃棄するんでしょう?」

「んー、少しだけよ。廃棄予定の娘が培養槽に入ってるから」

「ありがとうございます。それだけでも十分な手土産ですよ」

 国内外で活動する組織の人間であるマテオにとっては、混沌界域の売り場を失っても大きな損失にはならない。暁の帝国との同盟関係をうまくいき、周辺諸国との関係も安定して混沌界域は内政に力を入れるようになった。治安の改善とともにマテオの商売もやりにくくなっていたのである。パトロンであるディアドラがその地位を捨てる覚悟で動くのならマテオもこの国に拘り続ける意味がなくなる。

 ピーピーピーと電子音が鳴ったのはその時だ。

 ディアドラの携帯端末に着信があったのだ。

「あら、呼び出し。そろそろ、戻らないといけないみたい」

「大変ですねぇ、お祭り前は」

「今日はバレンタイン当日ですもの。盛り上がりは最高潮。当然、警備もしっかりしないといけませんね」

「その割には責任者がこんなところで油を売っているようですが」

「優秀な部下がいっぱいいるんですもの。毎年、わたしは座ってるだけで一日終わるの」

 するり、と音もなく立ち上がるディアドラ。ジャケットに袖を通し、魔術を使って血の匂いをかき消した。

「お忙しいようですし、この辺でお暇しましょうか」

「我は、我で、動く」

 足早に二人の客は部屋を出ていった。

 濃密な気配が消えた後、ディアドラはカバンを肩に担いだ。

 六百年を過ごしたこの国とも、あるいは今日が最後かもしれない。それだけの覚悟を持って動くことになる。犯罪だろうが何だろうが関係ない。手に入れたいものを手に入れるための戦いだ。刹那的な欲望に身を任せる。破滅はもとより計算の上だ。

 この欲望を発散できないまま永遠に生き続けるくらいなら、ここで欲望とともに破滅する。

「しかし、シノちゃんも変なファンに狙われて大変よね」

 もちろん、自分もその中の一人ではある。

 恋であり愛であり欲望である。彼女の母と同体をなす眷獣の器に恋い焦がれて二十余年。その復活を夢見てきた彼女にとっては、東雲の存在は特別に過ぎる。想い人の子どもというだけではない。東雲自身もまた宝石のように美しく見えた。ゆえに、これを手に入れたいと望む。手に入れて、その美しさと可愛らしさのすべてを解き明かし、そして完璧な複製を作って消耗品のように使い潰したい。オリジナルは永遠に手元に置いてひたすらに舐り、犯し、辱めて凌辱したい。どす黒い欲望が溢れてくるのを止められない。長き人生に飽いたディアドラにとって、ディセンバーと東雲への恋心は唯一の清涼剤だ。

 東雲が小学生の頃はまだよかった。幼い姿は愛らしかったが、ディセンバーほどの欲望は抱かなかった。成長して、身体が大きくなって、少女から大人への階段を登り始めるともうダメだった。ディセンバーを思わせる容貌は、さらに成長して一人の乙女になるだろう。それを自分の手元に置いて、自分だけの物にしてしまいたかった。六百年の無味乾燥の人生にあって、二十余年もの間温め続けた想いは本物だ。捻じれ狂った願望だが、誰にも邪魔はさせない。

 ディアドラは高鳴る鼓動に突き動かされるように血濡れの部屋を出る。努めて平静に、内心の喜悦を覆い隠して職場に向かうのだった。


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