二十年後の半端者   作:山中 一

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第六話

 謎めいた漆黒の泥の襲撃を受けた直後、零菜たちはマンションの最上階――――暁古城が座す広大なフロアにやってきていた。

 フロアは円形で、南側半分がオフィスとして利用される空間であり、残り半分が生活空間として分かれていた。

 凪が呼び出されたのは、オフィス側だった。

 中に入って圧倒される。

 天井は高く、一面ガラス張りとなっている。東に向かえば、バーベキューもできる広い屋上が現れるし、オフィス内にあるテーブルやソファの類はすべてアルディギア王国の伝統技法がふんだんに用いられた高級品。国内最上級の調度品に飾られた、豪奢な一室だ。

 らしくない、というのは零菜がこの部屋にいる古城を指しての言だ。凪からすれば、一国の統治者なのだから、オフィスくらいは最上級であってもいいと思うし、実際には古城の要望でこのような形になったのではなく、政治の先輩であるアルディギアの女王が主導してこのような形になったらしい。――――あの女王(ラ・フォリア)がそれを好機と見て、基本的な内装のすべてをアルディギア式にしてしまったのは言うまでもない。

「凪くーん、はーい」

 ソファに腰掛けて手を振るのは萌葱。その正面には、サッカーのユニフォームを着こみ、如何にも応援真っ最中だったという格好の麻夜が母親(優麻)と立ち話している。

 この空間に足を踏み入れたとき、凪が圧倒されたのも仕方ない。

 暁家が一堂に会しているのだ。国外にいる面子を除いて、勢ぞろいしている。

「凪、零菜と紗葵が迷惑をかけたみたいだな」

「いえ、そんなことは……」

 華々しい面々の中心に座る皇帝――――第四真祖暁古城がそこにいた。

 凪の叔父であり、この国を統べる権力者は高校生程度の若々しい外見をしている。吸血鬼の年齢と外見は比例しないのは常識であるが、彼は凪と同じく人間として始まり運命の悪戯によって吸血鬼としての生を歩むことになった数機な運命の持ち主だ。

 膝と肩に子どもを乗せていなければ、最強の名を欲しい侭にする吸血鬼の皇帝として寸分違わぬ威厳を発していたのだろうが、今は実質家にいるに等しく本来の親バカな性格が表に出てしまっていて、気のいいお兄さんという風にしか見えない。

「凪君も来ましたから、夏穂は引き取ります」

「はいはい、瞳もね」

 銀色の天使と見紛う透き通った美貌の女性(夏音)が、古城の膝に乗って絵本を読んでいた四つばかりの少女を抱き上げると同時に肩に乗っかって古城の頭を玩具にしていた夏穂と同い年の()を持ち上げるミディアムヘアのすらりとした体形の女性(結瞳)

 どうにも暁家は女の子に恵まれる血筋のようだ。そろそろ男の子が生まれてもいいような気もするが、そうなるとこの女性陣の中で一番年下の弟ということになってしまう。そうなれば、実に肩身の狭い思いをすることになるだろう。

「やあああああ」

「ぐおッ?」

 古城から引き剥がされそうになった瞳が全力で古城の頭に抱きついて、母親の暴挙から身を守る。結果として両足が首を極めることになり、古城は苦悶の声を漏らした。

「あ、ちょっと瞳! 駄目でしょ古城さんの首絞めたら!」

「ここがいーのー!」

「だーめー! 我侭言わないの!」

「こじょーくんがいーのー!」

 古城の頭にしがみ付いて離れない瞳に手を焼く結瞳。悪戦苦闘の末話が始められないと、古城が仲裁を行い結局瞳は己がポジションを死守することに成功した。尚、夏穂については何の問題もなく母親に抱きかかえられており、すでに眠りの世界に旅立っている。普段からぼうっとしているが、ここでも実にマイペースな少女である。

「まあ、なんだ。あれだな、さっき凪たちを襲ったやつのことで集まってもらったわけだが」

「アイツ、なんなの? いきなり、うちの目の前に出てきたんだけど! てゆーか、死にそうになったんだけど!?」

 紗葵が古城に文句を言う。

 魔力の塊という奇妙な怪物に、危うく飲まれそうになったのだ。そのときの恐怖たるや筆舌に尽くし難いものがある。

「ああ、セキュリティレベルを上げる必要があるな。今のままだと家の中に入られても不思議じゃない。それはもちろん、市民全体に言えることだけどな」

「ッ……」

 紗葵は唇を噛む。

 そして、古城の一言が事態の深刻さを物語っていた。

 相手が暁家が暮らす建物に侵入できたということは、事実上“暁の帝国(ライヒ・デア・モルゲンロート)”内のどこに現れてもおかしくはないということだ。吸血鬼のように対抗手段を持つ魔族ならばともなく、人間では食われて終わる。

「セキュリティについては、浅葱が何とかするから心配はいらない。街の警戒についても那月ちゃんが動いているから早々悪いことは起こらないだろう」

 那月がすでに特区警備隊を率いて巡回を行っているという。

「でも、あの怪物に特区警備隊の兵装がどこまで役に立つか分からないよ、古城君」

 零菜が口を開いた。

「何か、思うところでもあるのか?」

「だってアイツ、実体がないっていうか。一応、本体らしいものはあったけど、全身が魔力の塊……眷獣みたいなものだったよ?」

「それは、俺も思いました。ただの魔獣ではない感じでした」

 零菜と凪の報告を受けて、古城は頷く。

「やっぱりか」

「やっぱりって、見てたの? というか、見てたよね。紗葵ちゃんに手を貸したでしょ? もっと早く助けてくれてもよかったじゃん!」

「悪かったよ。それは、本当に」

「むぅ……」

 零菜がぷっくりと頬を膨らませる。

 その零菜を雪菜が嗜めた。

「あまりお父さんを困らせないの、零菜。飛び出ていこうとするのを抑えるのが大変だったんだから。こんなところで獅子の黄金(レグルス・アウルム)を召喚しようとしたものだから……」

「まったく、もっと落ち着きを持ちなさいっての」

 雪菜に続いて紗矢華がため息をつく。

「ま、娘が狙われたときにどんな行動をするのかってのがはっきりしたし、よかったかもね」

「大体分かってたことだけどね、それは」

 さらに浅葱と優麻が笑いながら言った。

「お前らなあ……」

 古城が不機嫌そうにむすっとする。その頭の上で瞳がなにやら楽しそうにきゃっきゃっと笑い声を上げる。

「でさ、古城君。結局、凪君たちを襲ったのは何だったの?」

 ミルクコーヒーを味わっている萌葱が横から話を戻す。

「それは、今後の調査結果が待たれるところだな。零菜の話によれば魔力の塊に近い存在だというし、ただの魔獣ってわけでもないみたいだな。魔獣だったら、そっちの専門家にも話を通すのが楽だったんだけどな」

「あの女の子は?」

「ワンピースのか?」

「そう」

 零菜が言っているのは、戦闘の最終局面で現れた少女のことだ。あの怪物の中から現れた少女は、いつの間にか姿を消していた。紗矢華の矢で怪物が打ち抜かれた直後にはすでに消えていたのだ。

「カメラの映像を見る限りでは、あの怪物の一部みたいよ」

 答えたのは浅葱だった。

 浅葱が手元のタッチパネルを操作すると立体映像が部屋の中央に浮かび上がった。凪たちの戦闘シーンを捉えた監視カメラの映像だった。

 それを見る限りでは、白いワンピースの少女はあの怪物の一部と考えるしかない。何せ、怪物の体内から出てくると共に、怪物の残滓と同化して排水溝に溶けていったからだ。

「あれで死んだと思うのは、楽観的過ぎるよね」

 映像を見た麻夜の呟きは、一同が揃って抱く感想だった。

「でも、アイツの狙いははっきりしているわ。ここに入ってきて、一直線に紗葵の部屋にまで来たんだもの。あの部屋にいた三人を狙っていたのは明らかよ」

 紗矢華がそう言うと、狙われていたと指摘された三人が顔を引き攣らせる。

「な、なんでわたしが狙われるの!?」

「そうよ、悪いことしてたわけじゃないし!?」

 零菜と紗葵が揃って反論する。

「いや、こっちの都合は関係ないんじゃないか?」

 そんな二人に凪が冷静に突っ込む。

 雪菜も頷き、口を開く。

「あの怪物の正体は不明として、魔力で構成された身体を持つという点に注目すれば零菜たちを狙った理由を探ることはできます」

「なるほど。単純にエネルギー源にしようとしたってことか。理性らしいものはなさそうだったし、動物的な本能に従っていると考えるほうが的を射ているのかな」

 浅葱が雪菜の言葉を補完する。

「うえ、それってやっぱりわたしたち、食べられそうになってたってこと?」

「もしくは魔力や霊力を吸い尽くされてポイかもしれないけどね」

 それはどっちも嫌だ。魔力や霊力を吸い尽くされても、結局は衰弱死するだけで死ぬことに変わりないではないか。

「ともあれだ」

 古城が議論の間に入って声を挙げる。

「これからこの件については、ここの四階に緊急対策室を設置して対応する。地区長に通達を出して、市民の安全確保の努めるように全力で事に当たることになる。母さんたちもそれに応じて忙しくなるからな、お前たちは夜に外出せず、一人で出歩くことも控えるようにしなさい」

「む、別にあんなの、次来たらぶっ飛ばすだけだし」

「零菜」

 少し強い口調で、古城は零菜を嗜める。

「それは大人の仕事だ」

「古城君……」

 頭に瞳を乗せていなければかなり格好よかった、という思いが脳裏を過ぎったが口にすると雪菜が本当に怒り出すので黙る。

 しかし、古城が言っていることは理に適っている。

 二十年前、今の零菜と同じ歳の頃に雪菜は数多くの実戦を古城と共に潜り抜けてきた。零菜たちの母親たちは、皆学生でありながら大人顔負けの戦績をたたき出し、世界の命運にすら手を伸ばして英傑とも言うべき存在なのだ。そんな人物たちが動員されるというのに、未熟な零菜たちが手を出しても足を引っ張るだけだ。

「敵の目的が魔力の確保だってんなら、お前たちが狙われる可能性は十分にある。質という点で見れば、凪もな」

 古城の視線が凪を射抜く。

 凪の身体に流れる、凪沙の霊力と古城の魔力。それは、ここに集う皇女たちを差し置いて最上位に位置する高純度の代物だ。

 もちろん、単純な魔力量ならば凪は純正の吸血鬼には及ぶべくもない。

 しかし、どのような分野に於いても質というものは時に量を上回るほどの重要性を持つ。魔力や霊力の世界でも、不純物が少ないものほど珍重されるし、狙われる。――――雪菜が幼い頃、ある神への生け贄にされかけたように。

「凪の家は遠いし、あそこじゃあいざというときが心配だからな。……しばらく、こっちで暮らすといい。何ならそこ使っていいぞ」

 古城は自分のプライベートルームを指差した。

「いやいやいや、さすがにそれはできないですよ。自分の身くらい自分で守れますし!」

「こっちが心配をすると言っているんだ。何より、凪沙に何を言われるか分かったものじゃないしな。一先ずは、零菜」

「ん?」

「お前、凪の護衛に就け」

「はぁ……!?」

 零菜は素っ頓狂な声を挙げて驚く。凪もまた愕然として古城を見た。

「な、なんで凪君の護衛なんて」

「そ、そうですよ。俺は別に護衛してもらわなくても」

「そうだろうがな、まあ、相性を考えてだ。零菜の眷獣はあの怪物に相性がいい。狙われやすい凪の傍に零菜がいるのは、いざというときのためになる。もちろん、そうならないようにするためにこっちも動くがな」

 そして、ほかの皇女たちにはそれぞれ自由に使える眷獣がいる。幼い瞳や夏穂は親が付きっ切りで面倒を見る上に護衛に就く帝国職員もいる上に大錬金術師が四六時中傍にいるのだ。しかし、凪は暁家を離れた身だ。眷獣も自由に使えるというわけではなく、戦力としては聊か劣る。その上に狙われやすいとなれば、誰か傍にいる者が必要だ。

 仕方ないとはいえ、実力不足を指摘されたに等しい。凪としてはそれが悔しくてたまらない。

「はい!」

 そんな凪の懊悩を知らず、元気よく手を挙げる紗葵。

「ん?」

「凪君は今日うちに泊まる予定だったよ、古城君。零菜姉さんが凪君の護衛をするのは、まあいいとして凪君が泊まるのはうちでおっけー?」

「そうだったな。それなら、それで構わないぞ。ただ、一人でいられると心配だってだけだからな」

 古城の返答を聞いて、萌葱が提案をする。

「一人でいるのがアウトなら、わたしたちも紗葵の家に行ったほうがいいんじゃない?」

「あ、じゃ僕も行く」

「萌葱姉さんに麻夜姉さんも?」

「こんだけ集まれば、あの魔獣モドキ程度に遅れは取らないよねー」

 萌葱が笑ってソファから立ち上がる。

 凪はどうしたものかとため息をついた。女性の中でただ一人の男になるのだ。親戚とはいえ、辛い状況ではないか。

 しかし、古城の言葉に逆らうわけにはいかない。心配をかけてはならないという理屈も分かるので、唯々諾々と従うことにする。

「うちは女の子ばかりで凪も居心地が悪いかもしれないな」

「いえ、そんなことはないです」

「男の子が一人でもいれば、凪もキャッチボールとかもできたかもな」

 などと、古城は気さくに話しかけてくれる。

 そんな古城と凪の会話を古城に肩車されている瞳が聞きつける。

「こじょーくん、おとうと?」

「ん? ああ、男の子がいれば、弟だったな」

「おー。ねえねえ、ひとみ、おとうとほしい」

「え……」

 古城が固まる。

 固まったのは、古城だけではない。ほんの一瞬ながら、その世界が停止した。凪はそんな錯覚に襲われた。

「そうだねー、瞳。弟、欲しいねー」

 そこで満面の笑みを浮かべて結瞳が瞳の傍に近寄り、瞳を抱きかかえた。今度は、古城の身体からあっさりと引き剥がされた瞳は、結瞳の腕の中に戻る。

「おとうと、どうなんのー?」

「お父さん次第かなー」

 結瞳が瞳の頭を撫でながら、ちらりと古城に視線を向ける。

 室内に目に見えない何かが飛び交っている。

 理由定かならぬ危機感のみが凪の背筋を伝って脳に届く。いや、理由ならある。室内の魔力やら霊力やらが、誰かの影響を受けて小波を立てて蠢きだしているのだ。

「あ、あー。わたし、寝巻きの準備しなきゃ。おっ先ー」

 逸早く萌葱がその場を後にする。

「なら、僕もだね。じゃ、紗葵。後でお邪魔するよ」

「鍵開けなきゃだめじゃん。わたしが先に帰らないと。ほら、凪、行くよ」

「え、あ、ああ。そうだな……」

「わたし、凪君の護衛だから。じゃあね、古城君。……えーと、たぶんまた明日」

 後ろ髪を引かれる思いで、凪たちは先に出て行った萌葱たちの後を追うように大人たちに背を向ける。

 閉じた扉の向こうに、おどろおどろしい気配が充満しているような気がするのは、あくまでも気のせいなのだろう、と凪は現実逃避に耽った。


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