二十年後の半端者   作:山中 一

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第五部 十四話

 アスファルトがひび割れて、陥没し、間欠泉のように水が噴き上がっている。地下に埋没していた水道管が破裂して、土と石とアスファルト片をまき散らしながら水を噴き上げているのだ。

 悲鳴は水の音にかき消され、何が起こっているのか把握することも困難な状況だった。恐ろしいことが起こっているということだけが否応なしに理解させられる。

 陥没した地面から這い出てきた巨大蜘蛛の魔獣は、ギラギラとした紅い単眼は上下に四つずつ並んでいて、並外れた動体視力を有している。高い跳躍力と三次元的な動きでビルの壁面に飛び上がり、さらに地上で逃げ惑う人々に向けて糸を吐きかけ始めた。

「何なの!? 何が起こってるの!?」

 紗葵が叫ぶ。周囲は大量の水が霧状になって見通しが悪く、悲鳴や怒号で会話も儘ならない状況だ。

「分からないけど、この場にいるのは不味い……うわッ」

 麻夜が人とぶつかってよろめく。自由はない。集まった多くの人が避難経路も何もなく逃げ惑っている。わらわらと湧いて出る蜘蛛に追い立てられて、人の波は滅茶苦茶になった。

「ダメ、みんな手……きゃッ」

 零菜も人混みに押し流されるように望まぬ方向に流されていく。

「零菜さん、ご無事ですか!?」

 すかさず駆け付けたのは零菜付きの女性攻魔官だ。名は須藤。さすがにプロだけあって人混みでもすぐに護衛対象者に近寄っていた。人の流れに逆らわずに歩を進めながら、零菜に危害が及ばないように特に蜘蛛からの不意打ちに気を付けている。

「すみません……みんなは?」

「各々、担当者が張り付いてます。今は、早くここを抜けましょう!」

「あの、蜘蛛は……?」

「よく見えませんでしたけど、恐らくは南米原産のセグロオオヒゲクモだと思います。だとすれば、あの蜘蛛で死人が出るということはあまりないでしょう」

「そうなんですか?」

「はい。あのヒゲクモ類の魔獣は、獲物を捕らえた後、糸で包んで時間をかけて魔力を吸うんです。ですので、命は最後まで奪いませんし、あの蜘蛛の糸は獲物に微量の魔力を与えて生命活動をギリギリまで維持させます。確か、混沌界域の南部のジャングルで二週間、糸に包まれた状態で救出された人がいたという記録を見たことがあります」

「……なんか、詳しいですね」

「魔獣、調べる分には楽しいですよ」

 黒い影が頭上を抜ける。

 巨大蜘蛛がビルの壁面を駆けて零菜たちがいる一画に狙いを定めていた。

「あ、く……!」

「零菜さん、槍の黄金(ハスタ・アウルム)はダメッ! 感電するッ!」

「ッ!?」

 咄嗟に最も信頼する眷獣を召喚しそうになった零菜を須藤が制止する。水浸しになったこの場で雷光の眷獣を召喚すれば、周囲に電撃が駆け抜ける。眷獣の電撃を制御することもできなくはないが、確実とは言えず危険だ。

 零菜の代わりに須藤がヒップホルスターから拳銃を抜いた。護衛任務ということで許可を得て会場に持ち込んでいたのだ。

 彼女が愛用するグロリア17は、暁の帝国が開発した拳銃としては最も信頼されているモデルである。黒塗りの実践的なデザインで、外観の遊びは一切ない。使用する弾丸は一般的な9mmパラベラム弾だが、最大の特徴は銃身に刻まれた三種類の呪紋であろう。発射された弾丸は銃口に辿り着くまでに魔術を刻み込まれ、即製の魔弾となる。セーフティレバーを三段階にし、その位置で刻む魔術を切り替えることができる。魔術と科学を融合することにおいて右に出る者のない暁の帝国ならではの凶悪な拳銃だ。

 タタタッと軽い銃声。右手一つで銃の反動を完全に抑え込み、三点バーストで蜘蛛の頭を狙う。ヒゲクモ類は視力が発達しており、目に頼った狩りをする。充満する霧が視界を悪くする。十把一絡げの獲物の群れから不意に飛んで来た、蜘蛛にとっては小さすぎる弾丸を回避するのは困難だっただろう。魔弾はすべて命中した。蜘蛛の頭を貫き、脳に食い込んでから、内部で激しく発熱する。グロリア17が放つ魔弾の中で唯一、対魔獣用を意図した発炎弾である。

 中枢神経を焼かれた蜘蛛が力なく落下して水しぶき上げた。

「やった、すごい」

「ありがとうございます」

 厳しい表情のまま須藤はグリップを握りしめる。

 とりあえず、効果があってよかったと内心安堵する。もともとグロリア17は対人、対魔族用に開発された拳銃だ。身体が大きく、生命力の強い魔獣には不利。まして、相手は虫の魔獣だ。魔獣ではない虫もそうだが、虫には痛覚がほとんどないと言われている。脳一つ失ったとしても、即座に命を失うこともなく、種によっては頭を失っても反撃してくることもある。魔獣となれば、なおのことだ。セグロオオヒゲグモにとって、ただの拳銃弾が与える程度の外傷などあってないようなもので、数十発撃ち込んでようやく効果が見込めるかという程度であろう。発炎弾で、内部を焼くというのは効果的な対処法だが、これが効かなければ彼女だけでは対応困難な相手であった。

 会場に持ち込めた銃弾は二十発だけだ。今の戦闘で三発消費したので、残弾は十七発である。蜘蛛の数が分からない以上、無駄撃ちは絶対できない。

「くッ」

 猛烈な爆発音と衝撃が駆け抜けて、悲鳴が上がった。毒々しい魔力を背後に感じる。吸血鬼の眷獣だ。

「こんな人がたくさんいるところで」

 破壊規模の大きな眷獣は人混みでは使えない。

 第三真祖の血を引く吸血鬼は、武器の形状をした眷獣を宿していることが多いので、人混みでも比較的戦えるが、今、背後で召喚された眷獣は猛獣の姿をした巨体だ。誰かを巻き込んでいなければいいが。翼の生えた虎の眷獣が蜘蛛をなぎ倒し、食い殺す。あっという間に三匹の蜘蛛を討ち果たした。アドレナリンが出て興奮状態になっているのだろう。猛然と蜘蛛を叩く眷獣に自分の危険を忘れて声援を送る人も少なくなかった。

 逃げ惑う人の中から、蜘蛛と戦うことを選んだ人が出始める。人口密度の低い場所を選び、魔術や眷獣、魔族の能力を駆使して蜘蛛と戦い始めた。軍警察も人が掃けた場所に陣取り、応戦し始めている。

「危ないッ」

 飛んで来た糸を咄嗟に回避する零菜。バランスを崩し、人に押されるようにしてビルとビルの間の一メートル幅の路地に押し込まれる。

「大丈夫ですか、零菜さん」

「大丈夫です。須藤さんは?」

「何とか……しかし、路地ですか」

 肩で息をしながら路地の様子を確認する須藤。ビルは高く明かりもない。真っ暗な路地ではあるが、零菜も須藤も夜目が利く。この暗さは何の障害にもならない。舗装されていない足元は湿っているが、これは日の光が届かないからだろう。水道管の破裂で生じた水漏れの影響はここには及んでいない。

「眷獣、どうしようか」

「様子を見ながら、ですね。魔力を栄養源にしているあの蜘蛛にとっては、無限の魔力を持つ吸血鬼はご馳走です。眷獣を出せば、間違いなく寄ってきます

「う、キモイなそれは」

 零菜は蜘蛛が嫌いだ。魔獣だけでなく、普通の蜘蛛にも生理的嫌悪感を抱く。益虫などということもあるが、見た目からして零菜にとっては害虫である。その巨大蜘蛛が大量に自分に集ってくると思うと、背筋が震える。

「ここはいい避難場所かもしれません。この狭さなら、あの蜘蛛は簡単には入ってこれないでしょう」

「そうですね。でも、どうしてみんなここに逃げ込まないだろう」

 零菜はふと疑問に思う。

 路地には蜘蛛はいない。身体が大きく、しかしコンクリートを砕けるほどの力も強度も持たないからだ。

「人払いの結界が張ってありますね。こっちの術式ですから、ぱっと見分かりにくいですが。チョコ合戦の参加者なり見学者なりが路地に入るのを防ぐためでしょう。交通規制の一環ですね」

「それでわたしたちも飛び込むまで気付かなかったんだ」

 そのおかげで、とりあえずの避難先を見つけることができた。零菜は深呼吸して、膝に手を突いた。

「これ、何とか他の人も連れ込めたりしない?」

「どうでしょう。迂闊に人を連れ込むと、逆効果の場合もあります。ここは狭いので逃げ場がありません。万が一、蜘蛛が想定外の場所から攻撃してきたらと思うと、人をたくさん呼び入れるのは危険です。それに、混沌界域側がここに人がいると認識していない可能性もあります。救助が遅れたり、ここに人がいないと思って作戦行動を取るかもしれません」

「そうかな。はあ……もう、考えたらきりがないですね」

「とにかく、今はご自身の身の安全を確保するのが大事です」

「分かってます」

 この混乱の中で家族と離れ離れになってしまった。

 みんな、そう簡単にどうにかなるとは思わないが、万が一がある。何が起こっているのか全体像が見えないのがさらに不安を掻き立てる。

「出口側から離れましょう。下手に通りの近くにいると、蜘蛛から攻撃される可能性もありますから」

 蜘蛛の身体が入ってこなくとも、吐き出された糸が飛んでくることも考えらえる。セグロオオヒゲクモは、素早い動きで獲物を捕らえるだけでなく、糸を投げ縄のように使って狩りをすることもあるのだ。粘つく糸に絡め取られたら、そのままここから引きずり出されてしまう。

 零菜と須藤は、路地の奥に向かって歩く。

 この道は、区画整理を免れた雑多な飲み屋街に続いている。入りくねっているのは、この街が徐々に拡大して今の形になった成立過程を表しているようで、こんな時でなければ探検してみたいと思うくらいだった。

 左右の建物はコンクリート製のビルから古風なレンガ造りのアパートに代わる。赤茶けた外壁の建物がずっと続いている。

「人、住んでるのかな?」

「住んでいるでしょう。もしかしたら、この騒ぎで避難しているかもしれませんが……ッ、頭を下げて」

 零菜も寸でのところで危険を察知した。銃撃音とともにドスンと物音がした。

「う……気持ち悪い」

 落下してきた蜘蛛は、一回りほど小さい。体内を焼かれて黒い煙を吹いている。

「子蜘蛛、でしょうか。こんなのがいるとなると、ここも不味いかもしれませんね」

 身体の小さな蜘蛛ならば、路地に入ることもできるだろう。

「前門の虎、後門の狼ってところですね」

「どちらも蜘蛛ですけどね」

「前と後ろ、どっちに行きますか?」

「じゃあ、前」

「承知しました」

 須藤は警戒しながら先行する。頭上とアパートとアパートの間から敵が来ないか注意深く進む。人とは異なる魔獣が相手だ。対人戦のノウハウはほぼ役に立たない。

 曲がりくねった道を進んでいると、不意に開けた場所に出た。住宅の間にできた広場のようだ。中心には噴水まで設置されている。近隣住民の憩いの場なのだろう。背の高いアパートに四方を囲まれた、隠れた公園に続く道は四本。霊菜たちが来た道以外も、曲がりくねっていて先が見えない。そして公園には先客がいた。ボロボロのローブを着た人影だ。

 あからさまな不審者だ。いかにもこの騒動について知っていそうな雰囲気。まさか、この格好でただのホームレスということもないだろう。ただ、確認する術はない。零菜にも須藤にもこの国での警察権はない。関わらないように、距離を取って進むだけだ。そう思ったが、

「何、してるの?」

 零菜がそう口にしてしまうのも無理はない。ローブの人影が何をしていたのか、角度が変わって初めて分かったのだ。

 そこにいたのは、一人ではなかった。その人影は白い物体に覆いかぶさるような姿勢を取っていた。地面に横たえられた白い物体は細長くその先端には人の頭があった。それは、蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされ、意識を失った少年だったのだ。

「見た、な……」

 ローブの何かが零菜たちを、ここで初めて認識したようだった。

 しわがれた声。しかし言葉は分かった。聞き取りにくいが、日本語を話している。

「言葉が分かるようですね。なら、その子をどうしたのか教えてもらえますか?」

 警戒しながら須藤は尋ねた。

 警察権がなくとも現行犯逮捕はできる。眼前の正体不明の何者かを静かに問いただした。

 須藤にとっては零菜を安全圏まで逃がすのが仕事だ。目の前の少年を見捨てることになるが、優先順位はあくまでも零菜である。

 しかし、少年が蜘蛛の糸で拘束されている状況を考えると、ローブの何者かはこの事件の核心を知る可能性が高い。二人をみすみす逃がしてくれるとは思えない。何があるか分からない相手に認識された以上、背中を向けるのは危険だった。

「その顔、お前、暁の帝国の、姫、か……ぐ、ふ、ふ……」

 フードに隠れて見えないが地の底から響くような不気味な笑い声が聞こえる。

 須藤は零菜を背中に隠すようにして、いつでも引き金を引けるようにする。選択する魔弾は治癒の魔弾。対人制圧用で殺傷ではなく、確保を目的とした弾丸だ。

「焔光の瞳、ではない……が、空色の目、は、美しい、な……」

「何を……ッ!?」

 頭上から蜘蛛の糸が降ってくる。須藤と零菜は後ろに下がって回避する。アパートの屋上から顔を覗かせるのは、三匹の蜘蛛だ。それぞれが腹部の先端から糸を飛ばして須藤を絡め取ろうとしている。

「須藤さん!」

「大丈夫、あなたは逃げて!」

「でも……ッ」

 糸を飛ばす蜘蛛は巨体なので、この広場まで降りてこられない。その代わり、子蜘蛛がアパート屋上から降りてくる。

「逃がしは、しない」

 須藤が発砲し、子蜘蛛を迎撃するがきりがない。零菜と須藤の逃走ルートはすでに蜘蛛が抑えている。逃げ道はない。

「だったら……!」

 ローブの人影が蜘蛛を操っているのなら、これを倒せばここを切り抜けることはできるだろう。危惧しなければならないのは術者を倒した後の蜘蛛の動向だが、そこまで気を払う余裕はない。

 零菜は魔力を右手に集中し、愛槍を召喚する。

「それは、知って、いるぞ」

「な、あッ」

 零菜が槍の黄金を呼び出す直前、眷獣へのパスが乱れた。一瞬、別の力が眷獣召喚を妨害したのだ。ローブの人影が零菜に手の平を向けていた。手の平には目玉がついていて、それが零菜を捉えていた。

「魔眼……ッ」

 手の平の紅い瞳が発する魔力が零菜の召喚を妨害したのだ。だが、そうと分かっていれば対策はある。魔眼はよほど強力なものでなければ効果は長続きしない。まして零菜のような魔力の塊を術中に嵌めるのは容易ではない。

 直後、またしても零菜の予想外の出来事が起こる。

 ローブの人影がやおら自身の正体を隠匿していたローブを脱ぎ捨ていたのだ。

「ひぃッ……」

 その怪奇な姿に零菜は恐れ戦いた。震えあがり、喉が干上がるかと思ったくらいだ。

 ローブの人影は男だった。それは声で予想できた。が、まさかローブの下に何も着ていないとは思わなかった。骨格と筋肉を厚い脂肪で覆ったぶよぶよの肉体は大きく腹が突き出ていてだらしがない。

 何一つ評価のしようのない体型である。

 変態と叫び、悲鳴を上げなかったのは、この瞬間に零菜が男の術中に嵌っていたからに他ならない。

 男はただの露出狂ではなかった。その裸体には戦術的な意味があって、全身に数えきれないほどの魔眼が埋め込まれていた。

「まさか、百目鬼(どうめき)!?」

 声を上げたのは須藤だった。

 百目鬼は古来、日本に伝わる鬼の一種だ。詳しいことは不明で、魔族とも魔獣とも言われている。戦国時代ごろには姿を消していて、その正体は現代では謎に包まれている。

「う……あ、く」

 零菜が膝から崩れ落ちる。

 槍の黄金さえ召喚できれば、こんな拘束は無効化できる。しかし一歩相手の方が早かった。零菜に先んじて槍の黄金の召喚を妨げ、次いで零菜が年相応の驚愕で思考停止した一瞬の隙を突いて自由を奪った。吸血鬼への対処方法をよく心得た会心の魔眼だった。

 須藤は身動きが取れない。襲い来る子蜘蛛の群れは彼女の対処能力を超えつつある。銃弾は底をつき、今は魔術と体術を駆使して何とか倒されずにいるという状況だった。

「空色の目、第四真祖の血族のもの、なら……宝石よりも、価値が、ある」

 見かけとは裏腹に百目鬼の動きは素早かった。

 魔眼の拘束を振り切ろうとする零菜に飛び掛かり、首を掴んで引き倒す。

「が、あッ、あッ」

 万力のような力で首を締め上げられる。

 窒息して顔色が急速に悪くなる零菜に百目鬼が左手の平を向ける。

 百目鬼の手の平の中心に穴が開いている。ぽっかりと開いた穴から血管のようなものが這い出してくる。百目鬼はこうして他者の目を奪うのだ。身体中に開いた眼窩に他人の目を取り込んで、その力を我が物とする。

「い、や……離せ」

 気味の悪い触手が目に触れたら終わりだ。零菜は直感して、震える手で百目鬼の左手を抑えようとする。力が入らないし、魔力も心もとないがとにかく死力を尽くす。

「あああああああああああああああああああッ」

 最悪の展開に身が竦む。

 そんな零菜の視界が不意に開けた。

「お……ぐがッ」

 百目鬼の身体が後方に吹っ飛んだのだ。噴水に叩き付けられた百目鬼は苦し気に呻く。

「か、はッ、はあ、はあ」

 零菜の身体に自由が戻った。

「何してんですか、まったく世話の焼ける」

「空菜……はあ、はあ、はああ……助かった、ありがと」

「動けますね」

「うん」

 飛び込んできた空菜が百目鬼を蹴り飛ばした。空菜はさっきと変わらぬ水着姿だが、ネコ科を思わせる尻尾と三角形の耳が生えている。獣人の特性を活かした強烈な蹴りだからこそ、重量のある百目鬼を跳ね飛ばせたのだ。

「空菜さん、ありがとうございます」

 空菜が参戦したことで形勢が逆転した。白い巨人の腕が猛然と襲い掛かってきた子蜘蛛たちを引き潰していた。

「ぐ、ぉ、なんだ、同じ、顔……双子、か? いや、そうか……お前が」

「まだ動く。思ったよりも頑丈か」

 容赦なく空菜は追撃をかける。何をしてくるか分からない相手は短期決戦で制圧するに限るからだ。しなやかな豹のように距離を詰める。

「ぬぅッ」

 百目鬼の身体に埋め込まれた魔眼が輝く。青く、赤く、緑に黄色と様々な光が空菜を捉える。拘束能力だけでなく、視力を奪い、聴力を奪い、魔力を奪う魔眼の連続投射である。

「ッ……」

 百目鬼は驚愕に目を見開く。息を飲み、そして強烈な衝撃を受けて再度跳ね飛んだ。空菜には百目鬼の魔眼の一切が効果を発揮しなかった。それどころかクロスカウンターの要領で振るわれた空菜の右手の延長線上に真っ白な腕が現れて百目鬼を殴り飛ばしたのである。

 空菜にも零菜と同じ魔力を無効化する能力がある。零菜よりも自由度は低いが、不意を打たれなければ魔眼に拘束されることはないし、その他の干渉も魔力に由来していれば打ち消せる。

「おの、れ……ぐ」

 百目鬼は予想を超えて頑丈だった。空菜の眷獣で殴られて、まだ動ける。

「お前たちの相手を、している時間は、もう、ない」

「何を、う!?」

 地面がひび割れて埋没していた電線が襲い掛かってきた。無機物操作の能力だ。空菜の魔力無効化に対抗して、物理攻撃に切り替えたのである。そうして意識を逸らした隙に、百目鬼は無機物操作の魔眼を地面に使った。百目鬼のいる区画が崩れて、沈み込み、地下の排水路が剥き出しになったのである。邪魔な土砂は空中に巻き上げて、百目鬼は排水路に飛び込んだ。

「危なッ」

 落ちてくる瓦礫を白い巨人で防ぎながら、空菜は零菜と須藤を庇う。

「あいつ、逃げた?」

「地下に入ったみたい」

 零菜に空菜が答える。

「あの魔眼で蜘蛛を操っていたということでしょう。蜘蛛が出現したとき、大規模な道路の陥没がありましたが、それも、魔眼の力でしょうね」

 須藤が呼吸を整えながら分析した。百目鬼は日本に由来する魔族、あるいは魔獣。言動から魔族に分類してよさそうだが、ともかく現代に生き残っていたとは驚きだ。

「空菜はよく、ここが分かったね」

「ああ、それは偶然、偶々。わたしは皆さんと逸れた後、ビルの屋上に駆け上がったんですね。そしたら、蜘蛛に追いかけられる羽目になってしまって」

「魔力を食う蜘蛛みたいだからね」

「そうなんですか? ふぅん、まあ、追い立てられてるうちに蜘蛛の動きが変わって、こっちに集まり始めたのでこれは何かあると思って様子を見に来たら、あなた達がいたという感じです」

「そうなんだ。うん、まあ、ほんとに助かったよ」

「油断しすぎですね。せっかくの魔力無効化なんですから」

「……う、ごめん」

 零菜の油断もあるが、ここに張られた人払いの結界に影響を与える可能性があったため、槍の黄金の召喚に躊躇したということもあった。とにかく、他所に気を使って自分が危険な目に遭うのは本末転倒である。まずは自分の身の安全を確保するのが大原則だ。

「あの、空菜。凪君は?」

「分かりません。凪さんともこの騒ぎで逸れてしまったので。いつもなら匂いで行方を追うこともできたかもしれませんけど、チョコの匂いがきつくて鼻が利きません」

 獣人らしい嗅覚も今はチョコ祭の残り香に邪魔をされて真価を発揮できない。

 蜘蛛の襲撃が収まり、糸で拘束された少年を保護した須藤は、無線で暁の帝国の仲間や大会実行委員会に連絡を取った。

「お二人とも、麻夜さん、萌葱さん、紗葵さんの無事は確認できました。今、それぞれ別の場所にいますけど、何とか安全圏に退避できているようです。それに、東雲さんと凪さんも、混沌界域の担当者が確認したようです」

「よかった。じゃあ、とりあえずは何とかなりそう」

 身内の安否確認ができただけでも気持ちが大きく変わる。

 蜘蛛の魔獣の問題が解決したわけではないので気は抜けないが、空菜が駆け付けたことで戦力が増えた。蜘蛛の襲撃を逃れて安全な場所まで退避することは、さほど難しくはないだろう。


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