二十年後の半端者   作:山中 一

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第五部 二十二話

 獅子の黄金(レグルス・アウルム)。第四真祖が操る十二体の眷獣の内の一体であり、第四真祖の伝説的で圧倒的な戦闘能力を象徴する眷獣でもある。

 召喚されれば周囲の地場は荒れ狂い、時に広範囲にわたって通信障害を発生させる。

 雄々しい鬣を振り乱す雷光の獅子であり、爪の一撃が旧き世代の眷獣の全力攻撃を遥かに上回る桁外れの眷獣だ。

 一般的な眷獣ですら常人が召喚すれば寿命を食い尽くされてしまうのだ。第四真祖の眷獣をそのまま召喚しようとしても、普通ならば召喚が完了する前に人間の寿命程度ならば消し飛ぶだろう。

 それでも、凪は倒れることなく獅子の黄金を維持している。左手に宿るエレディアの怨念が、ディアドラを倒す力になる。

 数百年もの間この世に留まり続けた、数百人分の死霊の力は、吸血鬼の眷獣に匹敵する魔力を貯蔵している。

 無数の人々の無念を力に変えて、獅子の黄金は雄たけびを上げたのだ。

「だから、どうしたッ」

 ディアドラは叫んだ。 

 凪と対峙して、初めて焦燥に胸を焦がす。

 凪程度の吸血鬼や攻魔師は履いて捨てるほど殺してきたディアドラであったが、真祖の眷獣を相手にしたことは今までで一度もなく、そして長い人生だったからこそ、真祖の力を目の当たりにする機会も多々あった。

 獅子の黄金がディアドラの力を上回る本物であるとすぐに理解した。

 眷獣同士の戦いは、強い方が強いのだ。当たり前の理屈ではあるが、これが分からない者も最近は珍しくなくなった。策を弄すればとか、努力をすればとか、何回か戦っている内にとか悠長なことを言う。

 しかし、実際はそうではない。勝てる相手には勝てるし、負ける相手には何度挑んでも負けるのだ。そして、実戦では一度でも負ければ次がある保証はない。

 勝てないと分かっている相手に正面から戦うのは愚者のすること。ディアドラは愚者ではない。凪が操っているからといって第四真祖の眷獣を侮ることはしなかったし、その脅威を正しく認識していたから迎撃という選択肢は即座に捨てた。

 ディアドラは大きく後方に跳躍する。

 何かに引っ張られるように空中でディアドラは加速していく。何かしらの眷獣の能力だ。獅子の黄金の爪を辛うじて避けたディアドラは、そのまま五十メートル近くを一瞬で移動した。荒ぶる獅子の黄金は、雄たけびとその巨体から放つ電撃だけで地面を破壊し、城を崩す。湿った土は沸騰して破裂する。電撃を浴びた木々は炎上して黒い煙を上げて倒れていく。

「くそ、逃がすなッ」

 消費魔力が加速度的に上昇していく。

 凄まじい「重さ」だ。

 今まで召喚していた小さな黄金とは比較にならない消費魔力である。威力も存在感も桁外れだ。第四真祖の眷獣の力を見るのはこれが初めてではないが、自分で召喚するとその凄まじさを余すところなく実感できた。

 急げ、と獅子の黄金に思う。

 エレディアから預かった怨念の魔力が目に見えて減っている。いくら数百年分の蓄積があるからといって、それは有限の魔力でしかない。巨大な外付けバッテリーであり、巨大な貯水槽とも言えるだろう。凪単体で呼ぶことのできない強力な眷獣を召喚することも可能となる魔力量を貯蔵しているが、文字通り無限の魔力を食い荒らす第四真祖の眷獣からすれば、あまりに心もとない備蓄である。

 エレディアの魔力が失われれば、次は凪が負担する番だ。そうなれば、恐らくは一秒と獅子の黄金を維持できないだろう。

 獅子の黄金は間違いなく凪の切り札だが、だからこそ、これで勝負を決めなければ敗北が確定することになる。

 そして、ディアドラも当然、それに気づいている。だからこそ逃げの一手を選んだのだ。戦って万一に賭ける必要もなく、凪が自滅すればいいだけなのだから、危険を冒す必要性がない。

 獅子の黄金の爪牙をディアドラは潜り抜けた。拠点を失ったがだからどうした。この森は彼女の領地であり庭も同然だ。東雲を手に入れて、思う存分に凌辱するという人生の最盛期を迎え、ディアドラはこの上ない喜びに満ちている。凪という邪魔者を消した後で、再び東雲を回収すればいいのだ。今すぐに問題を解決する必要もない。

「あなたが力尽きるまで、あと何秒かしら? この隠し玉には驚いたけれど、ただの人間にその眷獣は操り切れない!」

 どれだけ強力な兵器を持とうとも、使えなければ脅威にはならない。

 獅子の黄金そのものはディアドラを倒すだけの力はあっても、凪の制御下に置かれた獅子の黄金は、第四真祖やその血の従者が操る獅子の黄金に比べれば見劣りする。凪の身体が獅子の黄金の魔力について行けず、手綱を握れていないからだ。

 幾度も強力な敵と戦い乗り越えてきたディアドラにとって、力を発揮できない眷獣はどれほど強大でも脅威にはならない。

 凪が力を失った時こそ、ディアドラの反撃は成る。

 眷獣をいつでも召喚できるように待機させつつ、ディアドラは追いすがる獅子の黄金をしり目に森へ飛び込んでいく。

 ひとたび姿を消してしまえば、こちらのものだ。魔力消費の激しい獅子の黄金を、どこにいるかも分からない敵のために暴れさせることはできない。凪は勝機を逸したのだ。

「はッ――――ッ」

 ディアドラの勝利の確信に満ちた笑み。彼女はその笑みを浮かべたまま、体勢を崩した。遅れてどこからか火薬の爆ぜる音がする。銃声だった。ディアドラの膝があらぬ方向に曲がって、大量の血を流していた。

「な、にッ……!?」

 バランスを崩して落下したディアドラは、足に穿たれた銃創のために立つことができなかった。身体の構造は人間も吸血鬼も変わらない。再生能力があったとしても、膝に大きな穴が開いている内は、体重を支えることは不可能だ。

 ディアドラの逃走を妨げたのは、横合いから撃ち込まれたアカネの銃弾だった。貫通力に劣る9mm弾でも、無防備な吸血鬼を撃ち抜くことはできる。一発でも当たれば僥倖と、とにかく引き金を引き、ありったけの銃弾をディアドラに向けてばら撒いた。

 アカネ自身、ここが正念場だと承知していた。ディアドラを倒す唯一の機会は、今を置いて他にない。彼女も怪我をしている。ディアドラの眷獣から何とか逃れたものの、肋骨や大腿骨に重篤な怪我を負っている。それでも、強化能力で強引に身体を動かしてディアドラに一矢報いたのであった。

「人間が、わたしに……ッ」

 痛みがディアドラの思考を空白にする。

 怒りでもなく嘆きでもなく、ただ理解ができないという表情であった。その一瞬の隙を獅子の黄金は逃がさない。

「追いついたぞ、ディアドラッ!」

「く……イパルネモアニ!」

 ディアドラは足の再生と眷獣召喚のどちらを優先するか悩み、眷獣召喚を優先した。今となっては逃げきれない。自分の手札の中で最強の眷獣で戦うしかない。

 現れたのは漆黒の闇を凝縮したようなジャガーだった。旧き世代の眷獣より強力な、さらに一段階上の眷獣。第二世代の吸血鬼と対立したときに、その存在ごと食らった超重力のジャガーだ。

 存在するだけで周囲の時空を歪ませる闇の魔力が、獅子の黄金を包み込み、押さえつける。重力によって圧搾された大地が硬質化し、クレーター状に潰れていく。その中で獅子の黄金は四肢でしっかりと身体を支えて立っていた。

「く――――あああああああああああああああッ」

 ディアドラがあらん限りの魔力を注いで重力を強化していく。だが、獅子の黄金は意に介さない。問答の余地もなく、慈悲もなく、ただ純然たる怒りを込めた咆哮で重力空間を焼き払った。

「あ――――馬鹿、なッ、そこまでの力がッ」

 ディアドラは動けない。

 足の出血は止まらず、漆黒のジャガーは跡形もなく消し飛んだ。自身最強の眷獣が倒されたことで、そのフィードバックで魔力をごっそりと持って行かれた。

 立てず、歩けず、眷獣を呼び出す時間もない。

 強い者が勝つ。

 眷獣同士の戦いは至極単純明快だ。基本法則に則るのなら、第四真祖の眷獣にディアドラが勝てるはずがない。

 獅子の黄金は第四真祖が発生したその時から付き従う眷獣だ。

 遥か太古に三人の真祖と天部によって作り出された最高傑作。たかが六百年足らずの時間で、どうして抗うことができるだろうか。

 たとえディアドラが、他の吸血鬼を食らって力を付けていようとも、その犠牲者の中に第二世代の吸血鬼がいようとも、関係がない。その尽くを獅子の黄金は食らい、破壊し、粉砕し尽くすのだから。

 これこそが殺神兵器、世界最強の吸血鬼の眷獣の力である。

 悲鳴を上げる間もなく、ディアドラは雷光の獅子に何一つ抗うことができないままに、その身を雷光に食い尽くされた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 混沌界域から遥かに離れた太平洋上の人工島群。暁の帝国の首都は、深夜に至るまでそこかしこにネオンの明かりが満ち溢れた不夜城だ。駅前の飲み屋街。週末に飲み歩くサラリーマンは、昨年比で2割増し。安定した好景気が、彼らの懐を温めているおかげだろう。

 そんな浮かれた週末の夜、繁華街の地下五十メートルで繰り広げられる激しい銃撃戦は、秘密裏に行われたアルディギア解放戦線掃討作戦の最終局面を飾るものだ。

 アルディギア解放戦線によるテロから二か月が経とうとしており、彼らからの目に見える範囲での攻撃は皆無ではあったが、かといって残党を放置するわけにもいかない。

 国内外で暗躍する過激派組織の根絶は急務である。その思想に共感した第二、第三のテロリストを輩出しないためにも、すばやく確実にこれを叩く必要がある。

 そんな過激派組織をクリスマスに国内に引き入れたいわば裏切者とも言うべき者たちが立てこもる地下施設を攻魔官三十名が強襲したのは日付が変わる頃だった。

 慎重に進められた作戦は、一人の犠牲者を出すこともなく敵組織を叩くことに成功した。

 チョコ祭への参加という建前で、娘たちを国外に一時的に避難させていた古城は、その報告を受けても落ち着かない表情を緩めはしなかった。

 まず、第一に古城は監視されている。二十四時間体制で、妻の誰かが彼の不用意な行動を咎めるべく傍にいる。

 東雲が誘拐された可能性があると聞いた時点で、あまりの過負荷に身体が物理的に壊れるので普通の人間では搭乗できない超音速機に乗り込もうとしたところを雪菜に確保されて以降、ずっとこうである。そもそも、娘たちの安全のために送り出したと言うのに、それが裏目に出ている上に駆け付けることができないのは忸怩たる思いがあった。

 東雲は古城の愛娘の一人だ。眷獣制御のノウハウを学ばせるためとはいえ、単身で混沌界域に留学に出したこと自体古城にとっては苦渋の決断だったほどだ。まして、拉致されたと聞いた時には居ても立ってもいられなかった。

 テロ発生から三日が経っても東雲と凪の居場所は杳として知れない。

 凪沙からも凪を心配するメッセージがひっきりなしに届いている。

「古城、東雲と凪の居場所が分かったって」

 飛び込んできた紗矢華の報告に思わず古城は立ち上がった。

「マジか、どこに?」

「混沌界域の南西部にある、熱帯雨林のど真ん中。報告にあったディアドラって吸血鬼の領地の中だけど」

 紗矢華の携帯端末から送られてきた画像データは、東雲と凪の居場所を示した航空写真であったが、緑と岩、そして川しかなく小さな村すらない環境だ。

 しかも、そこは首都から直線距離で三百キロは離れている。

「どうして、こんなところに」

「詳細の報告は来てないわ。けど、ディアドラが二人を拉致したのはほぼ確定でいいみたい。転移魔術を使った可能性が高いって話」

「拉致の目的は?」

「それもまだ、ね。次の画像なんだけど」

「これは……」

 古城が息を呑んだ。

 一枚目の拡大画像だ。表示されている時刻は混沌界域の時刻だ。暁の帝国の時刻に直すと二時間前の画像となる。

 熱帯雨林の真ん中で黄金の獅子が暴れているのが見て取れた。周囲の木々が燃えて煙が上がっている。

「これのおかげで居場所が分かったの。どうも、広域に結界が張られてたみたいで、衛星写真にも今までは何も映らなかったみたいだけど。これ、獅子の黄金(レグルス・アウルム)でしょ?」

「凪か……アイツ」

 古城の中の眷獣が凪を通して遥か異国の地で暴れている。眷獣のざわつきは感じていたが、その意図するところまでは読み取れなかった古城であったが、これで概ね理解した。

 獅子の黄金が召喚されたということは、凪が自らの限界を超えて力を行使しているということだ。そうしなければならない敵がいるということであり、一刻の猶予も残されていないということでもある。仮に凪が敵を倒せたとしても、凪の身体に致命的な損傷が生じる可能性も高い。

 凪は存在そのものがブラックボックスだ。獅子の黄金を凪が使えるということすら、古城は今把握したくらいだ。

「俺もすぐに現地入りする」

「ダメよ、何言ってんの。真祖が迂闊に外国に行けるわけないでしょ」

「ぐ……」

 真祖は単独で一国の軍隊と同じ扱いを受ける。非公式で国外に出るなど以ての外だ。もっとも、他の三人の真祖もたびたび禁を犯しているように見える行動を取るが、それは事前に側近が相手国に話を通していることが多い。突拍子もない行動を突然執る真祖の側近を勤める官僚は、真祖の行動を先読みする技術が求められる胃の痛い役割を担う。 

 翻って古城だが、彼は現代の人間出身ということもあってその辺りはきちんと理解している。だからこそ、止められれば不満をあらわにしつつ執務室で続報を待つだけの物分かりのよさはある。

 ただしそれは、脱出すれば人に迷惑をかける上に眷獣を使わない限り脱出できない防護術式が重ね掛けされた執務室に軟禁されているような状況だからであって、自由にしていれば超音速機に飛び乗ってしまうということに変わりはない。

「現地にはわたしが行くわ。こういうのは慣れてるしね」

「そうか、ああ、まあ紗矢華が適任か」

 紗矢華は呪術暗殺を得意とし、要人警護を十代から務めた手練れだ。海外での活動経験も豊富で、雪菜や浅葱のように国外には出せない切り札である彼女たちに代わり海外出張も多々こなしている。

 呪術的な面でのサポートも紗矢華ならばできる。まさに古城が混沌界域に行ったところで何ができるわけでもない。むしろ、紗矢華を派遣したほうがいいというのは合理的だ。

「すまんが、頼む」

 古城が動けば内政干渉どころか、下手をすれば戦争になる。そうでなくとも軍隊と同様の扱いを受ける真祖だ。それが乗り込んでくれば、混沌界域側としても相応の対応を取らなければならなくなる。それは古城も望まない。

 紗矢華もまた、古城の血の従者であるためにその強大な戦闘能力を身に宿している。一国の軍と同等の扱いというのであれば、紗矢華も同じではある。

 しかし、国家元首が殴り込みに行くよりは幾分かはマシだ。

 そして紗矢華の動きは政治的なパフォーマンスでもある。

 夜の帝国は吸血鬼の力が強い国だ。強力な吸血鬼やその血の従者というのは、それだけで敬意を向けられる。暁の帝国のような新興国には歴史ある吸血鬼はいないので、やはり古城の血の従者が外交を担う上で重要な立ち位置を占めることになるのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 凪は目を覚ました時、まばゆい太陽の光で思わず目を閉じてしまった。

 自分が窓際のベッドに寝かされているのだと理解するまでに少し時間がかかった。

 湿度百パーセントの熱帯雨林ではなく、洞窟の寝床でもなく、現代文明の技術を駆使したすばらしいベッドだ。

「凪君、起きた? 大丈夫? わたしのこと、分かる?」

「え、あ……紗矢華さん?」

「大丈夫みたいね、よかった」

 隣に座っていたのは紗矢華だった。紗葵の母親。暁の帝国にいるのではなかったか。ここは混沌界域で、東雲を拉致したディアドラをとの戦いで獅子の黄金を呼び出したところまでは覚えていた。

「う、く……ここは?」

「ここは混沌界域の国営病院。名前は、何だったかな……まあ、何でもいいか。普通の病気や怪我だけじゃなくて、呪いの治療ができる設備もあるところ」

「呪い」

 それを聞いて、凪は左手を布団から出した。

 真っ白だった腕は、すっかり血の気を取り戻していた。黒い蜘蛛の巣のような跡が薄っすらと指先から肘まで浮かんでいるのが、エレディアの名残だった。

「かなり強力な死霊だったみたいね。東雲とアカネから話は聞いたわ」

「御霊ですよ」

「分かってるわ。ただ、あなたが救出されたときには、もうその手にはほとんど残ってなかったみたい。獅子の黄金の魔力を肩代わりさせたんでしょ?」

「そういう約束でしたから」

「なら、彼らも本望だったでしょうね。約束通り、あなたはディアドラを倒したんだから」

「そうだ、あの後、結局どうなったんですか? 俺は、何でここに?」

 ディアドラを倒した手ごたえはあった。しかし、その後のことを覚えていない。紗矢華はディアドラを凪が倒したと言った。凪が無事に病院に搬送されているということは、そういうことなのだろう。

「そうね。あなた達がいた場所は、軍の監視衛星が確認したわ。獅子の黄金が派手に暴れてくれたおかげでね」

「ああ、そういうことですか」

 図らずも凪が呼び出した眷獣は盛大なSOS信号になってくれていたらしい。

「東雲とアカネも無事。心身のケアは必要だけど、命に別状はないわ」

「そうですか、よかったです」

 東雲を助けるために戦ったのだ。東雲が無事であるということが何よりの成果と言えるだろう。

「ディアドラは?」

「遺体が回収されたと聞いてるわ。彼女の仲間も何人かいたようだけど、目ぼしい共犯者は今どんどん検挙されてるわ。後で新聞、持ってくるね」

 ディアドラは単独犯ではなく、複数犯だったらしい。凪は突然、ディアドラに拉致されたので、詳しいことはまったく分かっていない。

 もっとも、あれだけの大きな事件を単独で起こすのは難しいだろう。どれくらいの人間が関わっていたのか分からないが、相応の人員が関わっていたのではないだろうか。

「獅子の黄金の召喚に、上級死霊を使うってのは考えたわね」

「使えそうなものは何でも使わないと、とても戦える相手じゃなかったので」

「そう。でも、かなり無理をした。命あっての物種よ。この左手だって、呪われた事実には変わりがない。その意味分かってる?」

「今後、しばらくは要注意ってことですか?」

「呪いは不幸を呼び寄せるものでしょ。いくら死霊と和解したからって、死霊みたいなマイナスの力を身に帯びてたら、ろくなことにならないのは当たり前。先人がどれだけ穢れを忌み嫌ってきたか知らないわけじゃないでしょ?」

「それは、もちろん」

「それに、ある程度穢れを落とさないと飛行機に乗せてもらえないし、病院の面会も認められないからね? わたしみたいに資格のある人間は別だけど、呪いは感染することもあるからね」

「そういえば、そうでしたね……」

 呪いは感染すると言うのは有名な話で凪がエレディアを相手に使った類感魔術と同じ理屈だ。無意識のうちに、その身に帯びる呪いを耐性のない誰かに感染させてしまうかもしれないので、強力な呪詛を受けた者はしばらくの間隔離される。これには国際基準があって、一定化の数値に落とさなければ飛行機にも船にも乗せてもらえないのだ。

「ちなみにどれくらいかかりますか? これ、抜けるまで」

「呪った本人が御霊になった挙句に消滅してるから、そう時間はかからないでしょうね。見たとこ、後、二、三日ってところかな」

「それくらいの入院なら、大したことないですね」

「そうね。ただね、これ、御霊にしてなかったら今頃あなたは死霊の仲間入りしてたくらい危険な代物だからね。そこんとこ、ちゃんと頭に入れておきなさい」

「ありがとうございます」

 エレディアが仲間を求めているのは分かっていた。ずっとエレディアは呼びかけていた。様々な命に対して、孤独と苦痛を訴えていたのだ。凪はその受け皿になった。彼/彼女を受け入れて、ともに戦う道を示したことで、お互いに救われたのである。

「じゃあ、わたしは行くわ。みんなに君のことを報告しないといけないからね」

「よろしく言っておいてください」

「どうしようもなかったことだけど、みんなものすごく心配してるから、早く元気な姿を見せてあげるように。じゃあね」

「はい」

 心配してくれているのはありがたい。

 呪詛の所為で会えないのが残念だ。 

 紗矢華の背中を見送ってから、凪は深く息を吐いた。左手の冷たさが消え、血の巡りを感じる。エレディアは消滅し、ディアドラも倒れた。その仲間たちも次々に逮捕され、東雲も無事。今回の事件は、規模の大きさの割にその目的は矮小で、あまりにもあっけない幕切れであったのだろう。

 呪詛が消えれば帰国の途に就く。長い空の旅になる。体力を取り戻さないといけない。凪は枕に頭を預けて目を瞑った。

 すでにずいぶんと眠っていたはずだが、睡魔はすぐに訪れた。ベッドに身体が張り付いたかのような感覚の中で凪は眠りについた。




凪の眷獣には正確な名前はありません。
古城の眷獣たちの魔力のごく一部が形を成したものなので。
名前が分からないので凪はとりあえず「どういうわけか古城の眷獣に似た性質」というところから古城の眷獣に比べて小さいとか脆いとかのマイナス要素で名前を付けました。
タイニー等が英語なのも当時の凪は英語の辞書しか持ってなかったからです。

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