二十年後の半端者   作:山中 一

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第八話

 耳障りな蝉の声が高層建築物の間に木霊する。

 黒いパーカーのフードを頭から被った凪は、大嫌いな太陽の下を憂鬱そうに歩いている。教科書を抜き、代わりに護身用具を入れた学生カバンがかかっている。

 なぜ出歩くことになったのか。

 そんなことは言うまでもない。

 単純に、負けたからだ。

 自転車があれば、すぐにレンタルショップまで辿り着けるのだが、凪の自転車は自宅マンションの駐輪場に置いてある。そのため、凪は気温三十度に達する炎天下の街中を歩いて移動するしかない。

 夏休みの初日とはいえ、休みなのは学生だけで国の大半を占める大人たちは今でも忙しく働いている。加えて、昨夜から得たいの知れない魔獣(ということになっている)が街中に発生しているということで警報が出されている。そのため、夏休みという割には大通りでも人通りは多くはなかった。

「昼前だしな……」

 時刻は十一時を回ったところ。

 昼休みになれば、近場のオフィスビルからサラリーマンが大挙して出てくるのかもしれないが、今の時間帯はまだ仕事をしているのが一般的だ。

(暑い)

 心の中で呟く。

 声に出さなかったのは、独り言が鬱陶しいと思われたくないからだ。

 誰に。

 もちろん、同伴者にだ。

「凪君、そのパーカー暑くないの?」

 半歩後ろを歩く零菜が凪に尋ねた。

「暑い。けど、暑くない」

「どっち」

「直射日光に当たるよりはマシ。あと、これ見た目の割りに通気性がいいんだよ。これでも夏用だからな」

「夏用なの。長袖なのに」

「それを言ったら零菜だって長袖だろう」

 零菜は薄水色のワンピースの上にベージュのカーディガンを羽織っている。頭には鍔広の帽子が乗っかっていて、太陽から顔を隠している。曰く、百パーセントUVカットだそうだが、怪しいものだ。地面からの反射はカットできるわけでもないだろうに。凪と同じく、直射よりはマシというだけだろう。

「零菜まで付いて来なくてもよかっただろ」

「護衛役が近くにいなくてどうするの」

「んなこと言ったってな……別に昼間から何があるってわけでもねえだろうに」

「それは楽観的過ぎる」

「そうか?」

「相手が日光を嫌うって情報はないし、人目を憚る知能があるわけでもないんだから、いつどこに現れるか分からないよ」

「ああ、そうか。なるほどな」

 相手が人間並みに知能があれば、自分によって都合のよい時間帯を選び、無防備な相手を捕食するだろう。しかし、そうでなくただ狩猟本能に従うだけのものならば、白昼堂々街中に姿を見せることもあるだろう。

「といってもだ、まだ発見されたって報告は来てないからな。それこそ、人目につくところに出てくれば騒ぎになる」

「それでも、危ないものは危ないから」

「それは零菜にも言えるだろ……」

 魔力の質、霊力の質、共に零菜のそれは凪と同等かそれ以上だ。吸血鬼だから、霊力よりも魔力のほうが際立って高く、霊力は巫女として上位という程度でしかないが、それでも一般人からすれば十分に図抜けている。あの怪物の行動理念が、魔力や霊力を補給することであれば、凪と零菜のどちらに食いつくのかは未知数なのだ。

 そのための二人一組。

 単独では危険だが、二人いれば切り抜けられる。あるいは、どちらかがやられても片方が助けを呼べる。

 さて、問題なのはあの怪物が凪と零菜の前に現れたときにどのように対処するのかという点だ。

 零菜は古城に言いつけられて凪を護衛している。言葉遊びでも、子どもの戯れでもなく本気で凪のために身体を張ろうとしているのだろう。零菜にはその能力がある上に責任感も強いから間違いなく凪を助けるために戦うだろう。しかし、その一方で凪もまた零菜を危険な目に合わせるくらいならば自分が戦ったほうがいいという思考をする男だ。女子に守られるだけというのは、男子としては考え物だ。たとえ女子のほうが強かろうが、関係がない。凪は、そのために訓練を積んできたし、攻魔官の見習い資格を取得したのだから。

 結局、どちらがどのように戦うのかという問題については、あの怪物がどのように行動するのかというところにかかっているということになる。

 凪はポケットに手を入れて、空を見上げた。

 太陽光線が目に突き刺さる。

 どこまでも抜けて行くような青空がビルの合間に広がっている。青い天井には、染みのように白い斑点がポツポツと浮かんでいて、それがゆっくりと流れていく。

 零菜との会話は、そう長くは続かない。

 昨日から、共に過ごす時間が増えたことで会話はできるようになったが、それだけでも快挙と言える。ギクシャクとした関係は、一度話してみればそれほど深刻なものでもなかったかに思えたが、社交性のない凪からすれば改まって話をしようにも話題そのものが見つからない。

 しかし、だからこそこうして外に出られたのは僥倖だったかもしれない。

 あのまま紗葵の家にいたら、萌葱や麻夜の玩具にされていたかもしれないからだ。女性ばかりの環境というのは、それだけで息苦しい。もっとも、外に出たら出たで太陽の灼熱が反射込みで上下左右から襲い掛かってくるというデメリットがあるのだが、それは店に入ってしまえば解決する。

 紗葵の家にいるときは、外出するほうが面倒だったのだが、一度出てしまえばこちらのほうが開放感があっていいかもしれないと思ってしまうのだ。

 

 

 零菜はそんな凪の後ろを黙ってついてく。

 静寂を愛する気質というわけではないので、会話が続かないのは心苦しい限りだが、ここ数年でここまで凪に近付いたことはない。それを考えれば、流されているだけとはいえ状況だけを見れば数倍好転しているように思える。

 凪の歩く早さは、零菜とほぼ等速。

 時折、前に行ってはペースを落としている。それは、凪が零菜の歩く速度に合わせてくれているということであり、気にかけてもらっているということでもあった。

 それが、零菜には嬉しかった。

 昨日は、普通に会話ができた。

 過去を清算できたわけではないけれども、少しずつ前には進めているらしい。

 時間が解決してくれたというには違和感があるものの、それでも前向きになれる変化を思わせる要素はあった。

「あ、の。凪君」

「ん?」

 凪が振り返る。

 フードに顔の半分を隠しているものの、視線が自分に向けられているのが分かる。

 声をかけたはいいものの、さて、何を話したものか。

 零菜は慌てて視線を動かして会話の端緒となりそうなものを探す。そして、コンビニを見つけると、

「あ、えーと。暑いし、ジュースでも買わない、かな」

 少しどもりながらも搾り出すように言った。

「ジュースか。そうだな、コンビニあるしな」

「うん」

 零菜は頷き、凪と共に横断歩道を渡って道路の反対側にあるコンビニへと立ち寄った。

 「飲みやすい血液味!!」。

 あからさまな謳い文句と共に陳列される赤黒いラベルの缶に辟易しつつ、零菜はその隣の500mlのペットボトルを掴む。昔からあるお茶のブランドだ。九州限定だったものが、大ヒットして息の長い全国的人気商品へと脱皮したもの。三十年以上前に生まれ、旧日本人が大半の“暁の帝国”でも変わらずすべてのコンビニで取り扱われているものだ。 

 零菜はとりあえず悩んだらこれを買うことにしていた。

 お茶系の王道であり、あらゆる状況で購入しても不自然さがないので不都合があって誤魔化し紛れにコンビニに入ったときなどには重宝する。

 例えば凪とすれ違いそうになったときなど――――。

 今でも、自分の発言が原因とはいえ予定していなかったコンビニ入りだ。喉を潤す何かを買わなければ、都合が悪い。

 一方の凪は、零菜の懊悩を知ってか知らずか、コンビニに入ると真っ直ぐ雑誌コーナーに向かっていった。週刊少年漫画を立ち読みする姿は、一般的な中学生と大差ない。

 その後姿を遠目に見て、零菜は嘆息する。

 レジの前には数人が並んでいて、零菜は列に並ぶ間に目に付いたガムを手に取って購入リストに加える。ペットボトルとガムを購入した零菜は、肩に掛けたカバンに袋ごと押し込むと凪の下に向かった。

「買わなくていいの?」

「俺は大丈夫だ。どうせ、行って帰るだけだしな」

 ゆっくり歩いたとしても、目的地に到達してから紗葵の家に戻るまで一時間とかからないだろう。どの映画をレンタルするのか悩めばもう少しかかるかもしれないが、寄り道しなければ熱中症で倒れるほどの時間を外で過ごすことにはならない。

 凪は少年漫画を閉じてもとの場所に戻すとずり落ちかけたカバンを担ぎ直す。

「行くか」

「うん」

 零菜は小さく頷き、凪と共に店を出る。

 途端に襲い掛かってくる夏のじめっとした空気に顔を歪めつつ、零菜は買ったばかりのペットボトルを取り出して蓋を開け、一口だけ水分を補給した。

「そういえば、零菜は何を見るつもりなんだ」

「え、あー、そうだなぁ。特に考えてなかったな。最近、映画観てないんだよね」

「俺もだ。何があるのかも分からん」

「行ってから悩む?」

「そうなりそうだな。さっきから考えてはいるんだけどな。何か、何を選んでも弄られそうな未来しか見えない」

 げんなりとした凪の脳裏には萌葱と麻夜が凪が選んできた映画について酷評する図が浮かんでいる。

 それなりのものを選んでも「無難」、マニアックなものならば「何これ」。有名所は「もう観た」。どうしたことろで、厳しい末路が待っているような気がする。

 あくまでも想像ではあるのだが。

 あの二人の琴線に触れるものが分からない。

「もういっそ、自分で観たいものっていう風に割り切らないとだめだね」

「B級映画の地雷にチャレンジしてみるのもありか……」

 究極のギャンブルだ。

 外せば多種多様な弄りに曝されるし、勝てば問題なく一日を終えられる。

 と、その時だ。

 太陽が翳り、大きな影が街に落ちる。

 昼時の街に、ざわめきが広がる。

 凪と零菜もまた唖然として空を見上げた。

「蜘蛛っぽいな」

「蜘蛛っぽいっていうか、蜘蛛だし、これ何のB級映画!?」

 凪の呟きに零菜が突っ込みを入れつつ、現実味のない光景に文句を付ける。

 それもそうだろう。

 昼のオフィス街に、全長三十メートルにはなろうかという巨大蜘蛛が現れれば、それを現実だと認識することはまずあるまい。

 映画の撮影かと笑い、逃げる気すら起こさない者もいるくらいで、ざわざわとしつつも多くの一般人が危険を感じていない。

 怪物の見た目は巨大に過ぎるアシダカグモ。見るだけで生理的嫌悪感を掻き立てる外観をしている。

「あの怪物だな」

「うん。いよいよ眷獣染みてきたね」

 この場に於いて、怪物と相対したのは凪と零菜の二人だけ。その魔力の特徴を掴んでいるのも、この二人だ。外見が多少変わったところで本質が変わるわけではなく、おどろおどろしい魔力の塊だということは明確に感じ取れた。

 向こうも八つの複眼で凪と零菜を見下ろしている。感情は定かではないが、意思のようなものを感じる。理性というよりも機械的な、本能に基づく意思だ。

「凪君、手持ちは」

「警棒とグレネードが三つ」

「物騒」

「眷獣出せる吸血鬼に言われるのもどうかと思うけどな」

 凪は周囲を見回して、人の多さに舌打ちする。

 ざっと二十人ばかりが凪の回りで暢気に話をしている。怪物に牙を突きつけられる直前だというのに。こういう者たちは、最期の最期まで自分の死因を理解しないのだろう。

 もちろん、攻魔官としては、彼らを死なせるわけにはいかないのだが。

 凪と零菜、そして蜘蛛の間で薄絹を張ったかのような緊張が駆け巡る。

 火蓋を切ったのは、蜘蛛のほう。

 ふわりとビルから足を離し、その巨体を重力の手に委ねたのだ。ゆっくりと落下してくるように見えるのは、巨大すぎて感覚が狂っているからだ。

「凪君、下がって!」

 零菜が前に進み出る。

 雷光が迸り、その手に一振りの槍が現れる。

槍の黄金(ハスタ・アウルム)!!」

 落下する蜘蛛の脳天を目掛けて、零菜は魔力無効の刃を突き込む。相手が魔力で構成された怪物なので、この槍の一突きはそれだけで致命的なダメージを与えるはずだ。

 槍に触れ合うかどうかの一瞬を、蜘蛛が制した。

 蜘蛛は、長い足でビルの側面を蹴り、天敵の刃を躱して反対側のビルに激突した。

「な……!?」

 激突したと見えた蜘蛛は肉体の半分を泥へと変えてビルの壁にへばりついている。

「こいつ……!」

 槍の危険性を理解して、回避行動を取った。

 それだけでも知性の表れだと言える。

「零菜、ここはまずい。場所を変えるぞ」

 凪が叫び、カバンの中から取り出した野球ボール大の黒い物体を蜘蛛に向けて投じた。

 蜘蛛に直撃する直前、ボールは空中で破裂して目を焼かんばかりの真白な閃光を撒き散らした。それと同時に四方に霊力の衝撃波をぶちまける。

 対魔獣用のグレネードは、熱を発しない代わりに生物の感覚に衝撃を与えることで相手を無力化する。霊力の波の直撃を受けた蜘蛛は驚いて落下し、地面に落ちて潰れた。

 あの怪物に形は意味がない。

 行動しやすさから蜘蛛の形を選んだだけで、物理的に破壊されても魔力さえあれば再生する。

「攻魔官だ! 全員、あの怪物から逃げろ! 喰われるぞ!」

 凪は全力で叫び、霊力をばら撒いて周囲のガラスを鳴らす。

 それが決定打になった。

 物見遊山気分だった見物人たちは、自らが凶獣の餌食になりかけていたことを察して、悲鳴を上げて逃げていく。

「零菜! 走れ!」

 凪が叫び、カバンから警棒を抜き放つ。

 黒色の短い棒は最新の技術で生み出された護身具であり、凪の霊力を増幅して放出する対魔兵装でもある。

 霊力を警棒に込めて一閃すると、青白い輝きが刃となって大蜘蛛の顔面を打ち据えた。

「走るって言ったって、どこに?」

「人がいないとこだよ」

 凪の言葉を聞いて、零菜がはっとする。

「サテマか」

「おう」

 サテマは大型デパートのことで、サテライトマートの略称だ。

 帝国内にも十店舗を構えており、日本と合わせて百店舗ほどを抱えている。凪がいる地点から五百メートルほど離れたところには、店舗改装のため解体工事の最中であるサテライトマート中央店がある。

「あの蜘蛛が俺たちを狙ってくるなら、なんにしても人気のないところにいかないとまずい。あそこなら、どうとでもなる」

 凪と零菜は走り出す。

 人間離れした速度で走れるのは、人外ならではの身体能力をさらに呪術で強化しているからだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 時間は僅かに遡る。

 第二西地区(セカンド・ウェスト)の「幽霊団地」を取り囲むのは物々しい雰囲気だ。

 有事の際には軍隊としても機能する特殊部隊、特区警備隊(アイランド・ガード)が鼠一匹取り逃がさぬとばかりに団地そのものを包囲していた。

 住人が絶えて久しく、ここ最近の不穏な噂で不良すらも満足に寄り付かなくなった正真正銘の廃墟に、銃やら棒やらで武装した一団が一斉に雪崩れ込んで行く。

「一応、ここがあの眷獣モドキの拠点ということですけど」

 陽光の下、スーツ姿の美女がギターケースを背負って呟く。

 奇怪な光景だ。

 緑の黒髪がふわりと風に揺れる。

 屈強な武将隊員たちがあくせく走り回る中にいるにしては、あまりに不釣合いな容貌をしている。

 今となってはこの国の要でもある暁雪菜は、厳しい表情を崩さず突入の様子を見守っている。そして、彼女の隣には、さらに荒事には不釣合いな風貌の少女がいる。

「外れ籤を引かされた可能性は高いだろうな。ここからは、残滓を感じ取ることしかできん。いればすぐに分かる」

 ゴシックロリータのひらひらとした衣服に黒い日傘。

 二十年前、雪菜が中学生だったころから寸分変わらぬ格好にはもう慣れたものだ。極自然に、その有り様を受け入れている。

 単純な戦闘能力なら、雪菜と那月はほぼ互角。争えば地形が変わるのは覚悟しなければならない。それほどの使い手が二人揃って集っているのは、それほど駆逐しなければならない敵の危険性が高いことを物語っている。

「もっとも、ここにいる可能性自体は元々低かった。手掛かりでも掴めれば御の字といったところだがな」

 相手は魔力の塊でありながらどういうわけかセンサーに引っかからない。

 何かしらの能力で隠蔽しているのだと思われるが、向こうから出てきてくれない限り打つ手がないのが現状だ。となれば、怪物が関わっていると思われる行方不明事件の中心となったこの団地の調査は迅速に行わなければならなかった。

 結局突入した部隊が敵と交戦することはなく、第一目標は案の定取り逃がす形となった。しかし――――、

「遺体とはいえ見つかったのは僥倖だったか」

「南宮先生。不謹慎ですよ」

 黒い扇で口元を隠す那月の顔にはこれといって変化はない。

 護送者に運び込まれた六体の遺体は、時期に大きな差があり白骨化したものもあればまだ朽ちかけといったものもあった。

 性別が分かるものは少ない。

 白骨になっていないとはいえ、それは肉が骨についているという程度であり、人の形を留めているということではないのだ。

「ここは熱いからな。腐るのも早い。それでも、DNA鑑定はしやすいから身元が割れるのもすぐだろうな」

 雪菜に窘められたばかりの那月が事務的な口調で言う。

「やはり、魔力を喰うという予想は的を射ていたようだ。六人すべて、生命力を根こそぎ吸い尽くされた上で放り出されたようだからな」

「死因は、衰弱した状態で放置されたことですか」

「あるいは、魔力を喰われた時点で死んだか。噂の怪物が何であれ、魔力に依存する存在だということははっきりした。出くわせば、お前の槍で十分に仕留められるだろう」

 魔力を断つ破魔の槍は、魔力を扱うあらゆる存在に対して有効だ。“暁の帝国”では、雪菜と零菜、そして特殊車両の中で黙々とキーボードを叩くアスタルテの三名のみが、魔力無効化能力を有している。

「零菜の槍が一度相手を消滅間際まで追い込んでいます。決定打になるとは」

「ふん、あれの槍が打ち消したのは外装だけだろう。映像しか見ていないが、核を潰さないことには意味がない。鎧を剥いだところで、また着直せばいいだけだからな」

「なるほど。それで、心臓とは?」

「すでに理解していることをいちいち聞くのは感心しないな」

「失礼しました」

 雪菜は言葉少なに、遺体に視線を戻す。

 中学生の頃とは違う。

 命が消える瞬間を幾度も目にしてきたからか、かつてほどこうしたものを見ることを忌諱する気持ちは出てこない。しかし、それでも自分の娘がこの元凶となった存在に付け狙われたと思うと、心静かにとはいかないのだった。

 雪菜と那月は車外に出て一息ついた。

 遺体と同じ空間にいつまでもいては、気が滅入るばかりだ。

「そういえば、転校生も母親暦十四年になるのか。奇妙なものだ」

 那月が雪菜に言った。

 不意のことに、雪菜は一瞬どう応えたものかと思案して、結局そのまま思ったとおりの回答をする。

「そうですよ。何せ娘が、わたしがここに来たときと同じ歳になりましたから」

「そうだったな。あのときのお前はまだ中学生だった。まあ、その割には色々と騒動を起こしてくれたが」

「ご迷惑をおかけしました」

 中学生がどれくらい子どもなのか。大人となった今ならよく分かる。かつては、そのようなことは微塵も思わず考えたこともなかったが、中学生の娘を一人暮らしをさせるとか吸血鬼の監視任務につけるようなことは母親として許可し難い。

「その割には、護衛などよく言い渡したものだ」

「凪君は、別です。見ず知らずというわけではありませんし、きっかけにしてくれればいいんです」

「そうか」

 那月は腕を組む。

「だが、公序良俗を乱すような行いに走るのであれば、教師として見過ごすわけにもいかん。そのときは、当然三者面談になる」

「それは、そうでしょうけど。あの娘もあれでしっかりしているはず、ですし、先生の手を煩わせることはないと思いますよ?」

 たじろぎながら雪菜は言った。

 その雪菜に、那月は思わせぶりな笑みを見せる。

「さて、出会って間もないときに二人揃ってゲームセンターでデートするような親だからな。どうなることか」

「そんな、最初期のことはもういいじゃないですか。それこそ、二十年も前の話です」

 からかわれて顔を赤らめた雪菜は、那月から顔を背けた。

 三十代も中頃になりはしたものの、雪菜の外見は二十代前半のまま成長していない。吸血鬼とその従者は外見から実年齢を推測することができないのだ。

 例外は那月。

 彼女に至っては、吸血鬼とはまったく異なる原理で以て若さ、というよりも幼さを保っている。

「総隊長!」 

 そんな雪菜と那月の下に一人の隊員が駆け込んできた。

 総隊長と呼ばれた雪菜が表情を引き締めて、隊員と向き合う。

「どうしましたか」

「本庁から緊急連絡です。例の怪物が、中央行政区に現れたとのことです。今、居合わせた零菜さんが交戦中だと……」

「な……ッ!?」

 さすがの雪菜も絶句せざるを得なかった。

 目的の怪物が現れたのはいいとして、そこに零菜が居合わせたというのが衝撃だった。しかし、頭の中の冷静な部分が、その原因を探り、到達する。

(零菜か凪君を狙ったのか、それとも、単純に魔力量の多い零菜たちが近くにいたからか。昨日の今日で、もう襲撃に出るような真似をするとは思わなかった)

 やはり、那月が言うように外装を壊した程度では大した影響を与えられなかったということなのだろうか。

 情報が少ないので断言はできないが、通常の生物であれば身体の九割を消滅させられればその場で死ぬ。アメーバのようなものならどうか知らないが、あの怪物は生物というよりもエネルギー体と考えたほうがいい。それも眷獣に近い存在ながらも、眷獣ほど自己の形態に依存しないより原始的な存在だ。

「南宮先生。現場に直行します」

「ああ、門は開けて置いた。こちらの後始末はこっちでやっておこう」

「ありがとうございます」

 雪菜の前には紫色の魔法陣が立ち上がっている。

 那月の得意魔術である空間制御で、空間を跳び越えて移動できる極めて便利な魔術である。空隙の魔女の異名を取る那月の本領である。

 一礼した雪菜は、躊躇うことなく魔法陣に足を踏み入れ、そしてその場から消失した。

 

 


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