「お前はいいのかい。これで。」
おかみさんが、あきれたようにそう問いかける。
「ええ。すみません。やめることになってしまって。」
最初から、選択肢何て決まってる。でも、少しだけ寂しかっただけだ。
「まあ、連絡なく辞められるよりはいいけれど。今日が最後なんだ。そんな顔しないで。」
「えっと。どういうことですか。」
「しょげてるのが伝わってくるよ。だから聞いてるんだ。」
「ごめんなさい。仕事はちゃんとしますので。」
「ま、頑張りなさいな。」
泣いても笑っても、今日が最後の晴れ舞台だ。きっともう。こんなに大勢の前で踊ることはないのだろう。だから、もっと笑って。舞台に立った。
全てを出し切って踊る。もしかしたら、彼が来てくれているかもしれない。彼が見ているかも知れない。そう思いながら、踊りだす。
だって、ここはあの人と出会った場所だから。ゆっくりと席を見渡す。
彼はどこにもいなかった。
「辞めちゃうの、オリビアちゃん。」
常連さんがそう問いかける。
「ええ、ごめんなさい。」
「明日から、オリビアちゃんの踊りが見れないなんて。僕は、どう生きていったらいいんだ。」
「お前はまた馬鹿なこと言って。またおかみさんに締め出されちまうぞ。それよりも」
「えっ」
「結婚相手は誰なんだ。」
「あ、それは俺も気になる。あの若坊主の狼か。それともあのウサギの坊ちゃんか。」
「おいおい。結婚するとも限らないだろう。」
「でも、そういうことじゃないか。このタイミングでやめるって。」
常連さんたちの話題の的が、私に向かってくる。
「そんなに気になりますか?」
「気になる!」
「もちろん!」
「だって俺たち。」
「オリビアちゃんが誰と結婚するか、賭けているんだから!」
大勢の声が一致する。まったくこの人たちはいつも懲りないんだから。でも、まあ。
「で、誰なんだ。」
「それは…。」
「それは…。」
「ヒミツ。です。」
「アンタたち、馬鹿なことやってオリビアを困らせるんじゃないよ。」
おかみさんの一声で、皆が一斉に席に着いた。
「オリビアも、後悔ないようにね。」
「えっと。」
「まあ、今日は早く上がりな。」
「…ありがとうございます。」
帰り道。街の中を歩く。街灯のそばの道を歩く。星の降りたこの街に別れを告げながら。
ふと、後ろからついてくる足音を聞く。
その気配を私はよく知っていた。きっと嘘じゃない。彼が来てくれた。でも、私はもう振り向かない。だって、もう決めたことだから。彼に迷惑をかけないって。
だから、冷たい言葉で引き離す。
「ついてこないでよ、ストーカー。別れた女になんか用。」
ひたひたと足音は止まらない。私のそばに近づいてくる。
「婚約者ほっといて、浮気でもする気?」
足音は止まらない。ただ、石畳のうえで、コツコツと音を鳴らしていた。
何も言い返してくれない彼を不気味に思って。私は振り返ってしまった。
「ねえ、何か言ってよ。」
そこには、今にも襲い掛かってきそうな狼がいた。
私は、怖くて、少し身を引く。
「なあ、あいつは誰だ。」
まるで図星を着くかのように、私の浮気に気付いたのだろうか。
こわくなって、聞き返す。
「あいつって…なに。」
「さっきまで話していたやつだ。」
「それは、ただの客よ。」
「そんなわけないだろ!!!!!」
彼の大きな声で、私は後ろに身を引いた。
そのすきに私の手を彼がつかむ。
「なあ、オリビア。」
「な、に…?」
「君を食べたい。君を食べて独り占めしたい。君と一つになりたい。」
その言葉を聞いたとき。私のたりないピースが埋まったような気がした。
そうだ。私は、彼に食べられたかったのだ。昔話の狼とウサギのように、食べて、食べられて。この関係は、きっと異種族の愛のカタチ。あなたと決して離れないように。何があっても、そばに入れるように。心の奥底で、求めていたものが形になった。
だから、私は笑顔であなたに顔を向けた。
「うれしいわ。」
「なぜ、喜ぶ?」
「だって、私を食べてくれるんでしょ?」
「なぜ、うれしい?」
「だってわたし、すごく寂しかった。だれと話しても、心にぽっかり穴が開いてた。ご飯だって、あなたと一緒なら、あんなにおいしかったのに。今ではすごくおいしくない。でも、あなたと一緒にはいてはいけないって、そう思ってた。あなたの婚約者は、すごくきれいな人だもん。二人とも、お似合いで、私の入る隙間はない。」
「だからうれしい。私がさみしくないように、食べてくれるって。ずっと一緒にいてくれるって。」
「さあ、私をたべて」
私は。万感の思いでそう告げた。
「いいや。食べない」
彼から出た言葉は予想外の物だった。
それと同時に彼は身を乗り出して、私の唇をふさいだ。
突然、何が起こったのか分からなかったけれど、すこしずつ。彼とキスをしている事がわかった。その瞬間はあっという間で、冷静になるには、少しだけ時間がかかった。
私は彼の胸を叩いて、答えを聞く。
「ねぇ…食べないの?」
「ああ。食べない。」
「…私のこと、嫌いになった。」
「いや、違う。俺は。オリビアが好きだ。愛している。」
「じゃあ、どうして?」
「君を食べてしまったら、もう二度と君と会えない。二度と君の顔を見れない。」
「そう…。」
「なあ、オリビア。…ロザリンドと、婚約者との、婚約をやめるよ。」
「いいの?それで?」
「ああ。だからオリビア。俺とずっと一緒にいてくれるか?」
「うん。いいよ…。ねぇユージン。また一緒に、あの丘の上に行こう?」
「ああ、今すぐにでも行こう。」
「今日じゃないよ。今日は遅いもの。」
「じゃあ、明日にでも行こう。」
「うん。」
道端での逢瀬は突然で、自分でも何が起こったか分からなかった。でもただ一つだけ。私が進むべき道ははっきりした事だけが分かった。